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私は少年の時、死について考え、ある時期それをとても恐れた。
また、人間の記憶の曖昧さについても不思議に思っていて、あっという間に時が過ぎていくことも同時に恐れた。
「こんなに早く時が過ぎるなら、人生はあっという間じゃないか?」
つまり、気がついたときには死が目前に迫っているのではないか?と思った。
この「記憶」について考えているとき、自分が意識的にそれを考えているときの記憶だけは、割と明確に思い出せることを不思議に思ったし、それをどこまで覚えていられるか?を意識することもあった。
グルジェフの本に出会ったとき、「自己想起」という言葉を初めて目にしたが、私にとっては、子供の時にこの経験があったから、それを理解するのはそれほど難しくはなかった。
つまり、死に対しての恐れから、たまに「自己想起」に近いことをしていたことを知ったのだった。

中学生の時は、引き続き死についてと、宇宙について考え、多くの疑問が生まれた。
「我々が地球と呼んでいる円形の不可思議な物体の表面上にいるとされている私たち人間が生まれ、生きているのはなぜなのだろうか? 人類と、この惑星の過去の正確な情報はなく、未来はどうなるのか? といった疑問への答えもない。 我々は何なのだろう? 何らかの理由があって存在しているのではないのか? なぜ皆そのことを考えず、それに関しての答えがないのだろう?」

高校生の時には、ふとこんなことを考えた。
「人々は戦争を忌み嫌っている。しかし、世界史を勉強していると人類はずっと戦争をし続けていて、現在もしている。自分たちがそれを嫌ってるのだから、その原因を見つければ、それを止められるはずだ。その原因と、それを止める方法を見つければ、ノーベル賞も夢ではないのではないか?」

つまり、私がどうしても生きている間に見つけたいと思ったものを、文字にするなら
1.死後の過程
2.宇宙における人間の存在の意味と、諸惑星間との関係性、および宇宙の謎
3.戦争の原因と、それを回避する方法
当然、これらの答えを見つけられるとは思っていなかったし、それを知るには、若いうちは経験が重要であるとも考えていた。
ある程度、真贋の見分け方というか、人間の内面をある程度見抜けるようになった頃、20歳半ば頃に、ネット上に氾濫する〈真実に導く可能性のある〉情報を見極め、私が疑問に思っているものを〈実際に調べそれを書き残した人〉を見つけることを思いついた。
紆余曲折あり、国会図書館にも足を運んで、〈現段階において自分的には最終的に〉グルジェフを見つけることができた。
それまで調べた人物は特に挙げないが、グルジェフには驚かされた。
最初は、かなり怪しいオッサンだと思ったし、特に期待もしなかったけれど、私が自信を持って知っていたことも知っていたし、知りたかったことも知っていたし、知りたかった以上のことも教えてくれた。
もちろん、実生活で誰かの助けを得たり、何らかのグループや団体の助けも借りてはいない。そもそも、それまでの人生で、それらに期待することは出来ないと踏んでいたし、そこには無いだろうとも感じていた。
おそらく、グルフェフサークル、グルジェフの教えを引き継いでいる団体は世界中にいくつかあるだろうと思うけど、特に興味はないし、関わりもない。
そもそも、師のいないグループに価値があるだろうか?
もちろん、ノーベル賞(笑)や、地位や名誉など、今はどうでもいいし、現代において有名になることは無用なリスクを背負うばかりで、特に目的もなく有名人になりたがるのは、自意識過剰、自己顕示欲過剰にすぎないでしょう。
今後私の活動がどう展開していくかは未定だが、このホームページで一つの完結を目指してはいます。

私の探求、研究は上記の3つの疑問から発しています。
私が育った家庭は宗教的なものは一切無く、両親は(仕事や友人関係を抜きに)あらゆる宗教団体や思想グループとも関係がなく、現代的に言えば、唯物的であったかな?とは思います。
当然私もあらゆる宗教団体と関わりが無いし、神秘学や神智学、スピリチュアル、オカルト、政治結社、秘密結社、研究団体、思想団体、何らかの主義主張を広める団体等々の、あらゆる特定のグループや団体とも(金銭的なビジネスや商取引以外では)関わりがないし、特に興味も無いことを明記しておきます。
真の教えが残されている秘教団体に関しては、興味が無いとはいえませんが。

私の研究、探求は純粋に、一人の人間としての疑問を解明しようとしているだけです。
この研究が誰か、もしくは何らかの助けや参考になれば幸いですが、責任は一切とれないことは明記しておきます。
何故こんなことを言うかといえば、知識は毒薬、特に女性にとっては毒薬になり得ることをグルジェフが書き残しているし、私自身そう考えているからです。
他には、誤解や曲解から生じる思考の混乱や、精神がバランスを失う等々があるでしょうし、何よりも下手に何かを変える、もしくは知るよりは、何もしない、つまり、風の向くまま、自然に身を任せて生きる方が多くの人にとっては幸せな場合が多いですし、また知る必要もありません。(そういった人たち向けの知識もまとめようと思いますが)
グルジェフの教えの価値は、自分自身で継続的に考え、探求してきた人には大いにあるかもしれないけれど、大半の人間にとっては不要であり、難解であります。
ただ受動的にその知識を吸収するだけなら、近づかない方が良いかもしれません。
多くの人は、こういった知識、神秘的な知識を知ろうとするときは、夢を見たり、そこに気持ちの良いものがあると想像したり、もしくは怪しげで幻想的なものを想像すると思います。けれど実際には、知れば知るほど、強い懐疑心と探究心、想像力、執念深さ、心の強さが必要になります。
つまり、元々の宗教、というより古代の学問、忘れ去られた古代の知識は、現実、真実、事実を追求することであり、幻想的で曖昧、不安定で不確定なものは、検証に検証を重ねたの上で判別されなければならないのです。
盲信、過信しやすかったり、感化されやすく流されやすい人は、それと戦う意思がなければ厳しいでしょう。
真実を知るのは困難でもあるし、苦痛でもあります。
しかし、それを求める人、あるいは、それを学び、知り得た人はどの時代においてもいるでしょうし、必要でもあると考えます。
ここにおいては、あえてその点が「玄人と素人の違い」とさせていただきます。
それでは、玄人になろうと奮闘する素人諸君の、健闘を祈ります。