ベルゼバブの孫への話(第2章分) 著者G.I.Gurdjieff

このページでは、第二章についてまとめていきます。
用語集
アイエイオイウオア…生物が、絶対太陽あるいは他の太陽から発する放射物に直接ふれた時に生じる〈良心の呵責〉。聖トリアマジカムノの三源泉の一つの結果から生じた部分が、同じ法則の別の源泉が生み出したものから生じる部分の以前の活動に対して〈反抗〉し、〈批判〉する時に生じるプロセス。
アイエサカルダン…あるいくつかの惑星でのハンブレッドゾインの呼称。
アカルダン協会…アトランティス大陸に、ベルカルタッシを中心に創設された知識人の集団。人間が正常な生存をしていないことを認識し、それを可能にする能力を獲得することを目的とした。
アシャギプロトエハリー…ヘプタパラパーシノク、あるいはアンサンバルイアザールの最後のストッピンダー。
アシュハーク…現在のアジア大陸。
アスコキン…月とアヌリオスを維持するために、地球上に生存する生物が死ぬ時に生み出すよう自然が定めた振動。
アヌリオス…地球に生じた最初の大異変の際に、月とともに地球から分離した二つの塊の一つ。現代の人間には知られていない。アトランティス大陸の最後の時代の人間たちはこれを、〈安眠を絶対に許さないもの〉という意味である〈キメスパイ〉と呼んだ。
アファルカルナ…人間が手で作り出し、自分たちの日常生活で実際に使うさまざまなもの。グルジェフのいう〈客観芸術〉の重要な分野。
アブルストドニス…ヘルクドニスとともに、三脳生物のケスジャン体と魂体を形成し、完成させる聖なる物質。
アラ・アタパン…ヘプタパラパーシノクの法則を解明するために、中国のチョーン・キル・テズとチョーン・トロ・ペルの双子の兄弟が作った実験装置。
アルムアーノ…性交の最後に起こるプロセス。
アルムズノシノー…体内にケスジャン体を形成し、これを完全に機能させて理性をある確固たる段階にまで引き上げた人間は、死者の体内にケスジャン体を生み出し、これをある密度にまで高めて、死者の肉体が生前もっていた機能を死後一定の時間働かせることができる。こうして行なわれる生者と死者の交信プロセス。
アンサパルニアン・オクターヴ…太陽系内部の、七つの宇宙物質(活性元素)から構成されているオクターヴ。
アンサンバルイアザール…あらゆる宇宙源泉から発する放射物。客観科学の定義によれば、〈あらゆるものから発し、再びあらゆるものへと入っていくすべてのもの〉。宇宙的トロゴオートエゴクラットを実現させるもの。
アントコーアノ…三脳生物の客観理性が、〈時の流れ〉に従ってひとりでに完成していくプロセス。その惑星上のすべての生物がすべての宇宙的真理を知っている場合にのみ起こりうる。
アンドロペラスティ…ホモセクシュアル。
イアボリオーノザール…宗教的感情。客観理性の獲得という意味での自己完成をよりすみやかに達成したいという願望、およびそれに向かう努力の中に時おり現われる感情。
イクリルタズカクラ…人間の脳の中を流れている連想によってある時体内に引き起こされた衝動や刺激を、一定の限界内に抑制する能力を人間に与える特性。人間が奇妙な精神をもつに至った一因は、この特性の欠如にある。
イトクラノス…大自然が生物を創造する際の第二原理。一脳および二脳生物を創造する時に適用されるが、現在では地球の三脳生物はこの原理に従って創造されるようになっている。
イラニラヌマンジ…汎宇宙的な物質交替システム。一種の食物連鎖を形成することによって、トロゴオートエゴクラティック原理を実現させるプロセス。
イルノソパルノ…根源的宇宙法則、聖ヘプタパラパーシノクと聖トリアマジカムノが、宇宙凝集体の中で歪められ、その表面でそれぞれが独立して活動する状態。
インクリアザニクシャナス…血液循環。
インコザルノ…真空では存在できない身体。
インスティンクト・テレベルニアン理性…現代の人間がもっている、外部からそれ相応のショックが与えられた時だけ機能する理性。
インパルサクリ…オキダノタが生物の体内に入ってジャートクロムのプロセスが始まる時、オキダノクの根源的部分が、その時生物の体内に存在している知覚作用の中の、〈同種の振動〉に従ってこれと呼応するものと融合し、脳に凝集するプロセス。
ヴァリクリン…アルムズノシノーの儀式において、自分のハンブレッドゾインを、交信をもちたい相手の身体に意識的に注入すること。
ヴィエトロ・イエツネル…外面的なはかないものだけを基盤にして物事を見、評価すること。
ヴィブローチョニタンコ…〈悔恨〉という感覚。
エイムノフニアン思考活動…知覚可能な論理(的思考)。
エキシオエハリー…テタートコスモスの中で誕生する〈重心的役割を果たす活性元素〉の第六のものであり、また最も聖なるもの。第一存在食物が変容する際、男性では睾丸、女性では卵巣に集中する。人間はテタートコスモスが生み出す活性元素のうち、これしか知らない。
エゴプラスティクーリ…霊的視覚化。客観理性を得るのに必要な全データを完全に把握し、肉化しようとする努力および能力。
エテログラム…電報に似たもの。耳にあてて聴く。
エテロクリルノ…宇宙的根源物質。
エルモーアルノ…種の存続のためにエキシオエハリーを放出する聖なるプロセス、およびそれに伴う受胎。
エレキルポマグティスツェン…遍在するオキダノクの二つの部分から成る統合体。
オキアータアイトクサ…ケスジャン体が完全に形成され、機能している三脳生物の体内に生じる第二種の存在理性。
オキダノク…宇宙に遍在する活性元素。聖テオマートマロゴスの三つの独立した力が一つに融合することによって誕生する。あらゆる生成物の形成にかかわり、ほとんどの宇宙現象の根源的な原因である。
オキプクハレヴニアン交換…以前のケスジャン体の交換。地球流にいえば、霊魂の再生または輪廻。
オクタトラルニアン生成物…イラニラヌマンジのプロセスが進行中に誕生する植物の第二類。その植物が誕生した惑星、その太陽、およびその太陽系の他の惑星によって変容した物質から生じる活性元素がこれを通して変容する。
オスキアーノ…教育。
オスキアノツネル…指導者、教師。
オスコルニコー…感謝、報恩の気持ち。
オーナストラルニアン生成物…イラニラヌマンジのプロセスが進行中に誕生する植物の第一類。その植物が誕生した惑星によって変容した物質から生じる活性元素がこれを通して変容する。
オブレキオーネリシュ…十二宮図。
オルーエステスノクニアン視覚…宇宙の全色調の三分の二、384万3200の色調を識別する視覚。
オルス…地球が属する太陽系。
カシレイトレール…羊皮紙に似ているが、ただし野牛の皮を使ったもの。
カラタス…ベルゼバブが生まれた銀河系宇宙の惑星。
カルターニ…ティクリアミッシュ時代のレストラン。
クスヴァズネル…ある者を他の者に対立させるようそそのかす力。
グラボンツィ…現在のアフリカ大陸。
クールカライ…ティクリアミッシュの首都。
クレントナルニアン回転…惑星の自転。
クレントナルニアン位置…惑星が自転する際に、太陽あるいは他の惑星に対してとる位置。
クンダバファー…遥か古代に、人間に自らの生存の真の理由を認識させないために、神聖個人たちが人間の体内に植えつけた器官。この器官が働くために、人間は現実を逆さまに知覚するようになり、また、外部から入ってくる印象が彼らの体内であるデータとなって結晶化し、それが彼らの内部に快楽とか愉快とかいった感覚を引き起こす要因を生み出す。この器官は後にやはり神聖個人によって人間の体内から除去されたが、その特性の諸結果だけはいまだに残り、人間の生を異常なものにしている。
ケスジャン体…パートクドルグ義務の遂行を通して、人間の体内に生まれる第二の体。聖なる物質アブルストドニスとヘルクドニスによって形成されるこの体は、肉体より高次ではあるが、第三の体である魂体あるいは高次存在体よりも低次で、肉体が消滅すると、その惑星の大気圏内に上昇するが、一定の時間が経つとそこで解体する。現代人はこれをアストラル体と呼んでいる。ペルシア語で〈魂の器〉の意。
ケスチャプマルトニアン生物…新しい生命を誕生させるためには二つの独立した性の体内で作られるエキシオエハリーが融合することが絶対に必要な三脳生物。
ケルコールノナルニアン実現…〈順応することによって必要な振動の総量を獲得する〉プロセス。
ゴブ…マラルプレイシーの首都。
コルカプティルニアン思考テープ…ある出来事に関する物質化された観念(テレオギノーラ)が一連の流れをもってつながったもの。
コルヒディアス…現在のカスピ海。
サクローピアクス…アトランティス時代のレストラン。
サムリオス…アトランティス大陸の首都。
サリアクーリアップ…水。
自己沈静…パートクドルグ義務を遂行しなくなった結果生じる、良心の呵責を全く感じない状態。白昼夢にふけるのと同様に、現実から完全に遊離した状態。
シャット・チャイ・メルニス…古代中国科学の一分野。ヘプタパラパーシノクに関する真の知識の断片。
ジャートクロム…オキダノクの特性の一つ。融合体としてのオキダノクが、新しく生まれた宇宙構成単位の中に入ると、オキダノクを生み出した三つの根源的な源泉へと分散し、そのそれぞれが独立して、この宇宙構成単位の中で、各源泉に呼応する三つの独立した凝集体を生み出すプロセス。これが聖トリアマジカムノの発現の基盤となる。
シルクリニアメン…〈機械的な苦しみ〉を伴う〈不機嫌な〉状態。
ジルリクナー…地球でいう医者。
進展(evolution)…退縮とともに、グルジェフの宇宙論の基本概念。グルジェフはこの語を、通常の意味とはほとんど正反対の意味で使っているようで、すなわち、中心からの展開・多様化ではなく、根源(絶対太陽、《永遠なる主》)への帰還プロセスを意味している.もっとも、通常の意味に付随する、内的組織の複雑化あるいは高次の次元への進化という含みはそのまま残している。
ズースタット…意識、あるいは〈霊的部分〉の機能。
ストッピンダー…意識、あるいは〈霊的部分〉の機能。 および二つの重心間の距離。
スヘツィートアリティヴィアン凝集体…人間の脳。
ソーニアト…割礼。
ソリオーネンシウス…惑星間に生じた緊張が各惑星に緊張を誘発し、それが惑星上の生物に影響を与えるという宇宙法則。この法則のおかげで、通常の惑星の生物の体内には、客観理性を獲得するという意味での進化に対する欲求が生まれるのに対し、惑星地球の人間の体内には、安定した生存状態を何としても変えたいという欲求、すなわち〈自由への欲求〉が生じる。
ソルジノーハ…何世紀にもわたって社会的にも家庭内にも定着した、世代から世代へと自動的に受け継がれているさまざまな儀式や作法。グルジェフのいう〈客観芸術〉の重要な分野。
退縮(involution)…進展とともに、グルジェフの宇宙論の基本概念。進展と同じく、通常の語義とはほとんど逆に、中心(絶対太陽、《永遠なる主)からの放出・展開・多様化を意味する。
チャイノニジロンネス…自分や他の人間に行為、思想、観念等を伝達するにあたって、以前彼らの間で起こった同種の行為に対する理解に関連づけて説明する方法。
チョート・ゴッド・リタニカル期…宇宙的大惨事。これ以後、高次存在体は至聖絶対太陽と直接交わる可能性を失ってしまい、そのためその居住地として聖なる惑星パーガトリーが作られた。
ティクリアミッシュ…アシュハーク(アジア)大陸に存在した文化の中心地。地球を襲った三度目の不幸である大嵐でマラルプレイシーともども地中に埋没し、南に移住したその住民は今のペルシアに、北に移住した者はキルキスチェリに定住した。グルジェフはこの文明を、アトランティスと並んで人間が生み出した最高の文明とみなし、J・G・ベネットはこれをシュメール文明と同一視している。
ディムツォネーロ…自分に誓った〈本質的言葉〉。
テオマートマロゴス…二つの根源的宇宙法則、トリアマジカムノとヘプタパラパーシノクの働きを至聖絶対太陽から宇宙空間に導き入れた結果生まれた、絶対太陽の放射物。〈言葉なる神〉とも呼ばれる。
テスコーアノ…望遠鏡。
テタートエハリー…テタートコスモスの中で誕生する〈重心的役割を果たす活性元素〉の第四のもの。第一存在食物が変容する際、大脳半球に集中する。
テタートコスモス…ミクロコスモスの形成物で、〈類似物の相互誘引〉と呼ばれる第二等級の宇宙法則によって凝集した惑星上の凝集体。あるいは、〈ミクロコスモスの・集合から・成る・比較的・独立した・形成物〉。人間を含む全生物と考えられる。
テニクドア…重力の法則。
デフテロエハリー…テタートコスモスの中で誕生する〈重心的役割を果たす活性元素〉の第二のもの。第一存在食物が変容する際、十二指腸の中で生じる。
デフテロコスモス…第二等級の太陽、およびそれからの派生物。
テレオギノーラ…物質化された観念、思考。体内で高次存在体を完成させ、それが有する理性を聖〈マルトフォタイ〉の段階にまで高めた者のみがこれを生み出せる。これはいったん生じると、それが生まれた惑星の大気圏内に永久に存在する。
トランサパルニアン大変動(震動)
第一大変動…彗星コンドールが地球に衝突し、その結果、地球から二つの大きな破片が分離し、空間に飛び散った。その一つが月、もう一つはアヌリオスである。
第二大変動…地殻の大変動の結果、アトランティス大陸が惑星中に陥没し、それとともに、それまでに生み出された全文明やよき慣習も失われてしまった。
第三大変動…大地殻変動のために、それまで肥沃であった陸地が砂におおわれ、砂漠化してしまった。
トリアマジカムノ…世界創造と世界維持に関する二つの根源的宇宙法則の第二のもの。〈聖・肯定〉〈聖・否定〉〈聖・調和〉の三つの独立した力から成る。常に結果の中に流れこんで次に生じる結果の原因となり、また、その中に隠れていて見ることも感じることもできない特性から生じる、三つの独立した、しかも全く相反する特徴を具えた発現力によって常に作用する法則。ギリシア語で、「私は三つを一緒にする」の意。
トリトエハリー…テタートコスモスの中で誕生する〈重心的役割を果たす活性元素〉の第三のもの。第一存在食物が変容する際、肝臓の中で生じる。
トリトコスモス…第三等級の太陽、すなわち惑星。
卜ーリノーリノ…自らが誕生した惑星のいかなる圏内においても解体されないという特性。
トルンルヴァ…ヘプタパラパーシノクに従って第一存在食物が変容するプロセス。
トロゴオートエゴクラット、トロゴオートエゴクラティック・プロセス…至聖絶対太陽を維持する、汎宇宙的エネルギー変容システム、あるいは相互扶養システム。
ナルー・オスニアン衝動…人間がもつ利己主義的心理および欲求。七つの側面をもつ。
ニリオーノシアン世界音…チョーン・キル・テズとチョーン・トロ・ペルが、活性元素の比振動と比重を明らかにするために採用した標準単位。
ハヴァトヴェルノーニ…宗教。
パーガトリー…大宇宙全体の心臓のような存在である聖なる惑星。宇宙に生存する三脳生物が、生存中に自らの存在を完成の域にまで高めた結果生じる彼らの高次存在体が、それぞれ誕生した惑星上での肉体を伴った生存を終えた後にここに住むことを許される。
ハスナムス…惑星体だけから成る者たちのみならず、体内にすでに高次存在体が形成されているのに、どういうわけか〈客観的良心〉という聖なる衝動を生み出すデータがいまだ結晶化していない者たちをも含む三脳生物の、すでに〈凝り固まってしまった〉身体。
パートクドルグ義務…意識的努力と意図的苦悩。人間の体内に高次存在体を形成するのに必要な宇宙物質を同化吸収する唯一可能な手段。
ハーネル・アオート…ヘプタパラパーシノクの五番目のストッピンダーの調和が乱されたもの。
ハーネル・ミアツネル…高次のものが低次のものと融合して中間のものを生み出すプロセス.その結果生まれたものは、混合以前の低次のものにとって高次のものになるか、あるいは次に生まれる高次のものにとって低次のものとなる。
パパヴェルーン…ケシ。
パリジラハトナティオーズ…オキダノクの第三部分。
パールランド…現在のインド亜大陸。
ハンジアーノ…キング・トー・トズが作り出した装置、ラヴ・メルツ・ノクのすべての弦の協和音の総体。
パンデツノク…北極星を太陽とする太陽系。ベルゼバブは、パンデツノクで起こった重大事件を処理する会議に出席するため、惑星カラクスからパンデツノクの惑星レヴォツヴラデンドルヘ向かう。
ハンブレッドゾイン…生物のケスジャン体の〈血液〉。その生物が誕生し、生存している太陽系の他の惑星および太陽それ自体の諸成分が変容することから得られる。
ピアンジョエハリー…テタートコスモスの中で誕生する〈重心的役割を果たす活性元素〉の第五のもの。第一存在食物が変容する際、小脳に集中する。
フーラスニタムニアン原理…大宇宙の全三脳生物の正常な生存を司る第一原理。この原理に従って生存する生物の根源的目的は、トロゴオートエゴタラティック・プロセスに必要な宇宙物質を体内で変容することである。
フリアンクツァナラーリ…現在のコーカサス。
プロスフォラ…パン。
フロディストマティキュールズ…脳神経節を含む脳の中の部分。
プロトエハリー…テタートコスモスの中で誕生する〈重心的役割を果たす活性元素〉の第一のもの。第一存在食物が変容する際、胃の中で生じる。
プロトコスモス…至聖絶対太陽。
ヘプタパラパーシノク…グルジェフの宇宙論の根幹を成す「世界創造」と「世界維持」を司る二大法則の一つ。七の法則あるいは七重性の法則とも呼ばれ、『奇蹟を求めて』の中ではオクターヴの法則とも呼ばれている。客観的宇宙科学はこれを、「法則に従って絶えず偏向し、そして最後にはまた合流する力の流れの進路」と定義している。ある根源的力によって始まった動きあるいは活動は、一定の時間が経過すると必然的にその進路を変更するが、その進路変更は厳密にこの法則に従って起きる。それゆえこの法則および第二の宇宙法則トリアマジカムノを理解すれば、宇宙の全現象が解明できるのみならず、その一部である人間という現象の全側面も理解できるという。
ヘルクドニス…アブルストドニスとともに、三脳生物のケスジャン体と魂体を形成し、完成させる聖なる物質。
ヘローパス…時の流れ。
ポドブニシルニアン…思想の隠喩的伝達形態。
ボビン・カンデルノスト…生物の脳の中にある一種のスプリングで、これが形成される時にその生物が一生の間にもつことのできる経験の総量が決定される。つまりこれが巻き戻る期間だけその生物は生存できる。
ポローメデクティアン生成物…イラニラヌマンジのプロセスが進行中に誕生する植物の第三類。その植物が誕生した惑星を含む太陽系のみならず、メガロコスモスの他の太陽系に属する種々の宇宙凝集体の物質の変容から生じる活性元素がこれを通して変容する。
ポローメデクティック生物…テタートコスモスから直接変容して生まれた初期の生物。
マラルプレイシー…アシュハーク大陸に存在した文化の中心地。地球を襲った三度目の不幸である大嵐でティクリアミッシュともども埋没し、東に移住した住民は今の中国に、西に移住した者は今のヨーロッパに定住した。
ミクロコスモス…惑星上の最小の〈比較的独立した形成物〉。
ムドネル・イン
①機械的に合致するムドネル・イン…ヘプタパラパーシノクの中の三番目と四番目の偏向の間で引きのばされたストッピンダー。
②意図的に生み出されたムドネル・イン…ヘプタパラパーシノクの中の最後(七番目)の偏向と、このプロセスの新たなサイクルとの間で短縮されたストッピンダー。
ムラー・ナスレッディン…「ムラー」とは、イスラーム教国での律法学者に対する敬称。ナスレッディンは、数々の格言や金言を残した伝説上の賢者とされているが、本書ではほぼグルジェフの代弁者と考えて間違いなかろう。
メガロコスモス…現存する世界を構成するすべてのコスモスの総称。
メンテキトゾイン…第二等級の各太陽からの放射物。
モアドールテン…オナニズム。
ラヴ・メルツ・ノク…キング・トー・トズが、自分が生み出した〈振動の進展と退縮〉という理論を立証するために作った装置。
ラスコーアルノ…死という聖なるプロセス。
ラストロプーニロ…匂い、臭い。
ラハラフル…土星の科学者ゴルナホール・ハルハルクが作ったオキダノクを解明するための実験装置。フルハハルフツァハ、ライフチャカン(クルフルルヒヒルヒ)、ソルーフノラフーナはその主要部分の名称。
リツヴルツィ…〈同種のものの集合〉を意味する第二等級の宇宙法則。
レイトーチャンブロス…特殊な金属板にエテログラムの本文が録音されたもので、耳にあてて聴く。
レゴミニズム…秘儀参入者を通して過去の出来事に関する情報を代々伝える方法。
レストリアル…オクターヴ内の重心音、あるいは全音。
ロジックネスタリアン…思考(知性)センターの、あるいはそれにかかわる、という意味だと思われる。
惑星体…肉体。


第29章 前時代の文明の成果と現代文明の開化


「ここまでおまえの興味を引いておる惑星地球に生息する三脳生物に関して話してきたが、この話が生み出す連想的な流れに従うなら、わしはここで2つの強力な共同体、すなわち〈ギリシア人〉と〈ローマ人〉と呼ばれる者たちの共同体についてもう少し話しておかねばなるまい。彼らは、本質を愛するアシアタ・シーマッシュのこの上なく聖なる努力によって生み出されたものの最後の記憶までも、この不幸な惑星の表面から〈きれいさっぱり拭い去って〉しまったのだ。
まず最初に言っておかなければならないのは、この惑星の表面のアジア大陸に、汎宇宙的な非常に聖なるアシアタ・シーマッシュが天から遣わされて三脳生物の体内に受肉したのだが、その後、つまり彼の非常に聖なる行動の時期と、さらにはそれから得られた結果をおまえのお気に入りたちが徐々に破壊していった時期には、隣接する大陸、つまり当時すでにヨーロッパと呼ばれていた大陸には、おまえが興味をもっている奇妙な三脳生物がたくさん生息しており、すでにずっと以前から多くの独立した共同体を形成していたということだ。
そして当時、これらの独立共同体の中に、前に一度話した宇宙法則に従って、2つの大きな、そして彼らの言い方によれば〈最強の〉共同体、つまりよく組織され、相互破壊の道具をたくさん所有している共同体が存在していた。それがこのギリシアとローマだったのだ。
おまえのお気に入りの現代人の目から見ればこの2つの共同体は〈遠い昔〉のものだが、わしはこれについてもっと詳しく話しておかねばならん。なぜかというと、彼らは、今言ったように、後世のすべての三脳生物に有益であったであろう成果の最後のものをこの不幸な惑星の表面から拭い去り、本質を愛するアシアタ・シーマッシュの非常に聖なる努力の痕跡をとどめるものすべてを消し去ったばかりでなく、現代のおまえのお気に入りたちの理性の中に巣食っている実に〈たわけた事ども〉を生み出し、そしてまた、客観的道徳の主要な原動力となる〈有機的廉恥心〉と呼ばれる〈基本的衝動〉を彼らの中で完全に衰退させる元凶ともなったからだ
この2つの大グループ、とりわけ彼らが生み出し、後世の人間たちに伝えられた種々の形態をもつ〈至福〉についてよく知るようになれば、ヨーロッパの共同体はいかにして個々別々に形成されたのか、またある一つの共同体が他とは全く切り離されて強力になると、彼らがそれをどんなふうに利用して他の〈弱小〉共同体のもっているものを破壊し始めるのか、さらには、いかにして自分たちの〈新しい考案物〉を彼らに押しつける(それもほとんどの場合、それこそまさに彼らが必要とするものだと無邪気なまでに本気で信じこんで)ようになるのか、こういったことを正確に理解する上で格好の材料を提供してくれるだろう。
実をいうとだな、坊や。このギリシアとローマと呼ばれる古代の共同体が誕生した経緯と、それに関連するその後の出来事についての話は、わし個人の調査に基づくものではない。実はこれは、我々の種族の者で、おまえの惑星に永久にとどまりたいと望んだ者の一人から得た情報なのだ。
つまりこういうことだ。六度目、つまり最後に地球を訪問した時、わしはいかなる犠牲を払ってでも、なぜこの三脳生物の精神は(われらの大宇宙の他の三脳生物の精神と当然同じであるはずなのに)これほど極端に奇妙なものになってしまったのか、その真の原因を最終的に解明しようと決意した。
調査しているうちに、わしは何度も、現代人の一般的な精神の様々な異常性の根本的な原因は、ギリシアとローマと呼ばれる2つの大きなグループによって種が撒かれたいわゆる〈文明〉なるものにあることに気づき、そこで彼らについて詳細に調査せざるをえなくなった。
しかし当時わしは非常に神聖なるアシアタ・シーマッシュの活動に関する研究に専念していたので、この2つの独立したクループの誕生の経緯について(それも彼らのいわゆる〈主観的存在〉と呼ばれるものに焦点を合わせて)調べてくれるよう、それ、前にも一度話しただろう? ヨーロッパ大陸のある大都市で現在に至るまで〈葬儀屋稼業〉をやっておる我々の種族の一人に依頼したのだ。
この我々の仲間の調査から、どうやら次のようなことがわかってきた。わしがあの壮麗な都市バビロンについて話した際の背景になっていた時代の遙か以前、この奇妙な生物が主としてアジア大陸だけに生存していた時代、つまり文化の中心地がティクリアミッシュにあった時代に、今ではおまえのお気に入りたちの生存の中心地になっているヨーロッパ大陸に、まだ確固たる組織をもっていない共同体がいくつかあった。
当時その大陸には、主として〈野生の四足生物〉とか〈爬虫類〉と呼ばれる二脳および一脳生物が生存していたが、二足生物であるおまえのお気に入りたちは、多くの小グループに分かれて、〈四足生物〉とほとんど同じくらい〈野生的〉に生存していた。
この小グループに分かれた二足生物がやっていたことといえば、〈四足生物〉や〈爬虫類〉を破壊したり、時には相互に破壊し合うことくらいのものであった。
このヨーロッパ大陸にいるおまえのお気に入りたちの数が増えるのは、マラルプレイシーからの移民が、あちこち放浪した末、ここに辿り着いて定着した時からであった。
その時期もほぼ終わろうとする頃、アジア人のグループの中から最初の人間たちが大挙してヨーロッパ大陸にやってきた。彼らは2つのきわめてはっきりと異なった仕事に従事するようになった。すなわち彼らのある者は海に関わる様々な仕事に、別の者はいわゆる〈牧畜〉とか〈羊飼い〉といった仕事に従事した。
牧畜に従事する家族は、主として大陸の南岸に住むようになった。当時はその地が、こういった四足生物を飼育するのに最も便利がよかったからだ。
地球の人間たちのこのグループは当時〈ラティナキ〉と呼ばれていたが、それは〈羊飼い〉という意味であった。
最初この羊飼いたちの家族は、羊の群れと共にあちこち散らばって住んでいたが、その数は次第に増えていった。一つにはアジア大陸から同じ仕事に従事する者たちが移民してきたためであり、また一つには彼ら自身がどんどん多産になっていったからだ。そうなった原因は、惑星地球の自然は人間の放射物から生じる振動を必要としていたが、その質が悪化してきたために、その状況に合わせて、彼らの
聖ラスコーアノのプロセス、つまり彼らのいう〈死〉からだけ得られる振動をその代用にするようになったからだ。
そんなわけで彼らの数はかなり増え、それにつれて外的な状況も変化し、それまでバラバラだった家族も頻繁に交流をもつ必要が生じたので、彼らは初めて共同の居住地を作り、これを〈リムク〉と呼んだ。
そしてまさにこのアジアの羊飼いのグループから、後に有名になるローマ人が誕生したのだ。そして彼らの名称は、最初の共同体であるリムクからとられたのだ。
一方、〈海での仕事〉に従事していた者たち、つまり漁をしたり、海綿やサンゴや海草を集めたりしていた者たちは、仕事に便利だということで、彼らのいたアシュハーク大陸の西岸、あるいはヨーロッパ大陸の東南岸、あるいは今でもアジアとヨーロッパを分けている海峡に浮かぶ島々に家族を引き連れて移住した。
ここに新しいグループを形成した三脳生物は、当時〈ヘレナキ〉と呼ばれたが、これは〈漁師〉という意味であった。
このグループの者の数も、羊飼いのグループについて言ったのと同じ理由から、徐々に増えていった。
この第二のグループの人間たちは何度も名称を変えたが、最終的には〈ギリシア人〉と呼ばれるようになった。
さて坊や。この2つのグループの住民たちこそが、おまえのお気に入りの現代人の理性が自動的になったこと、および廉恥心という衝動を生み出すデータが彼らの中で完全に衰弱してしまったことの主因の一つなのだ。
ギリシア人たちは、三脳生物の理性が徐々に退化し、ついには現代人の理性は、われらが親愛なるムラー・ナスレッディンいうところの、〈正真正銘のナンセンス製造所〉になってしまった、その元凶だ。
一方ローマ人は、他の三脳生物の中に〈本能的廉恥心〉と呼ばれる衝動を生み出す因子、言いかえれば、いわゆる〈品行〉とか〈客観的道徳〉とか呼ばれるものを維持しようとする衝動を生む因子が、一連の変化の結果、現代の三脳生物の体内には全く結晶化しなくなった、という事態を生み出す原因となったのだ。
こんなふうにこの2つの共同体は、今言った場所に誕生し、後には、地球ではよくあることだが、ある一定期間きわめて強固で強力な力をもつようになった。彼らが後の世代のために〈用意した伝承物〉は実に有害なものであったが、それが生まれた経緯は以下のとおりだ。
さっき話した我々の仲間の者の調査によると、後に〈ギリシア〉と呼ばれるようになる共同体の住民の最も初期の祖先たちは、頻発する海上の嵐に海での仕事を妨害され、そのため、雨風をしのげる囲いのある場所に避難所を求めた。そしてそこに避難している間、彼らは退屈しのぎにいろいろな〈ゲーム〉を考案し、それをやって気晴らしをするようになった。
後になってわかったことだが、この古代の漁師たちは、初めのうちは今の子供たちがやるようなゲームをして楽しんでいたようだ。しかし(これが肝心なところだが)子供といってもまだ今でいう学校に行き始めていない子供だ。というのも、現在学校に行っている子供たちは大量に宿題を出され、その中心は種々雑多なハスナムス候補生が作り上げた〈詩歌〉を丸暗記することにあるので、このかわいそうな子供たちにはゲームをして遊ぶ時間なんて全然ないからだ。
簡単にいえば、この退屈しきった哀れな漁師たちは、初めのうちは、ずっと以前からあった普通の子供のゲームをやっておった。しかしそのうちにある者が〈空から虚無への移し替え〉という新しいゲームを考案すると、みんなこれに夢中になり、以後はこれしかやらなくなってしまった。
このゲームは、何かある〈無意味なこと〉について、つまりある馬鹿げたことについて慎重に考えた質問を出し、その質問を受けた者はできるだけもっともらしいことを答えなければならないというものであった。
さてさて、まさにこのゲームこそが、後で起こる諸々のことの原因となったのだ。
つまりこの古代の退屈しきった漁師たちの中には、非常に〈聡明〉で〈器用〉な者がいて、彼らはこの風変わりなゲームのルールに従って非常に長いお話を作り出すエキスパートになったのだ。
その後、〈サメ〉と呼ばれる魚から、後に〈羊皮紙〉と呼ばれるようになるものを作る方法が発見されると、その方面の能力のある者が、ただ仲間に〈自慢〉したいがために、この長ったらしい話を、〈ネズミ取り〉と呼ばれる別のゲームのために以前考案された慣用的な文字を使って魚の皮に刻みこみ始めた。
もう少し後になって、この退屈した漁師たちが次の世代と交替する頃になると、文字を刻みこんだ魚の皮は、この風変わりな〈ゲーム〉に対する熱狂共々子孫に伝承されていった。そして彼らは、この種の新しい考案を、先祖たちが作ったものも自分たちが生み出したものも含めて、最初は素晴らしく高尚な響きのする名称、すなわち〈科学〉という名称で呼ぶようになった。
その時以来、この種の科学を〈作り上げる〉ことに対する熱狂は代々伝わり、先祖はたかだか漁夫であったこのグループの住民たちは、ありとあらゆるこの種の科学を発明する〈専門家〉になっていったのだ。
そればかりか、こういった科学は代々伝えられて、その中のかなりの数のものは、ほとんど形を変えないでこの惑星の現代人にまで伝わっている。
そんなわけで、この不幸な惑星の現代人の理性の中に生じた〈
エゴプラスティクーリ〉と呼ばれるものの約半分は(一般的にいって、いわゆる〈世界観〉なるものはこれから形成されるのだが)あの退屈しきった漁師たちと、それに続く世代の者たちが作り上げた〈真理〉から結晶化したものなのだ。
一方、後に〈ローマ〉と呼ばれる強力な大共同体を作った古代の羊飼い達だが、彼らの先祖も、やはり同じように悪天候のために、雨風をしのげる場所に羊の群れを追いこんで、その間何かをして時間を潰す必要に度々迫られた。
そこで彼らは寄り集まって〈いろいろなお話〉をすることにした。ところがみんなが話をしてしまうと、彼らはまた退屈してしまった。そこで彼らの一人が救済策を出した。つまり当時〈シンク・コントラ・ウノ(五対一)〉と呼ばれていた気晴らし用のゲームをやろうと提案したのだ。このゲームは現在でも残っていて、同じ場所にずっと生存している彼らの子孫たちも同じ名前で呼んでおる。
男だけがこのゲームに打ち興じている間は、すべてはきわめて〈平穏〉に進んでおったのだが、少し後になって彼らの〈受動的半分〉、つまり女たちがこれに加わるようになると、彼女らはたちまちこれに惚れこみ、中毒になってしまい、次第にこの〈ゲーム〉の〈達人〉になっていった。実際その手際は実にすばらしかったので、さしものわれらが全宇宙的な奸智(かんち)に長けたルシファーが誉れ高い脳みそをいくら絞ってみても、この不幸な惑星の昔の羊飼いたちが後世の者のために発明し、〈準備〉を整えておいてくれたこの〈お手本〉の十分の一にも達せないほどだった。
それでだな、坊や。地球の三脳生物のこの2つの独立したグループが繁殖し、ありとあらゆる有効な〈手段〉、つまり相互破壊の手段を手に入れ始めると(これを手に入れるのはいつの時代でもすべての共同体の目的であったのだが)彼らは別の独立した共同体、もちろんたいていは彼らよりも弱小である共同体に対して、いや時には彼らの内部でさえ、この〈プロセス〉を遂行し始めた。
実に面白いのは、この2つの共同体、つまり相互破壊のプロセス用の有効な手段の所有という点でほぼ互角の力を有する2つの共同体の間で和平が結ばれて平和な時期が訪れると、両グループの住民は、居住地が隣接していたため頻繁に接触して友好関係をもつようになった。その結果彼らは、祖先が生み出し、やがては彼ら固有のものとなった、それぞれに得意とする領域からお互いに少しずつ学ぶようになった。つまり、この2つの共同体の住民は頻繁に接触するようになった結果、ギリシア人はローマ人から性に関する〈洒落た言い回し〉の能力を借り受けて、いわゆる〈アテネの夜〉なるものを生み出すようになった。一方ローマ人のほうは、ギリシア人から〈科学〉のでっちあげ方を教わり、後に非常に有名になる〈ローマ法〉なる代物を編み出したのだ。
その時から長い時間が経った。こういった種類の活動を生み出した者たちはとっくの昔に消滅し、彼らの子孫の中で偶然〈強力〉になった者も、もう消え去ってしまった。そして現在……この惑星の現代の三脳生物たちは感情までこめて、無意識のうちに、あるいは時には意識的に、この2つの理想を実現することに、彼らの生存と、何らかの方法で獲得したエネルギーの半分以上とを費やしている。そんなものを考案したそもそもの張本人は、退屈したアジアの漁師と羊飼いであったことも知らずに。
それでだな、坊や。後になるとこんなことが起こったようだ。おまえのお気に入りたちのこの2つのグループは、自分たちと同類の生物の破壊を効率よく行うための手段を大量に手に入れ、他の国々の住民が内的に確信を抱いているものを、彼らの先祖が生み出した観念と交換するよう説得する、というよりも、この手段をちらつかせて強制することが実に上手になった。すると前にも言ったように、彼らはまずヨーロッパ大陸の近隣の共同体を征服し、その後も同じ目的のために、当時かき集めてきた遊牧民の力を借りて、アジア大陸の方へ手を伸ばし始めた。
彼らはまず、このアジア大陸の西岸に住みついていた人間たち、つまり前にも言ったように、何世紀もの間に、多少とも正常な生存を行うための衝動が植えつけられていた住民たちに悪しき影響を及ぼし始めた。それから彼らは徐々に内陸部へと進んでいった。
アジア大陸内部への進軍は成功裡に進んでいき、従軍する兵士の数も増え続けた。なぜかというと、以前バビロンにいた知識人連中が、アジア大陸のいたるところで、人間の理性の中に、彼らの
ハスナムス的政治理念なる病原菌を撒き散らし続けていたからだ。
彼らにとって助けになったもう一つのことは、アジア人の本能の中には、非常に聖なるアシアタ・シーマッシュから秘儀を伝授された者や、その僧侶や弟子が生み出したものがちゃんと残っていたということだ。つまりこのアジア人たちは、説法の中で、アシアタ・シーマッシュの主要な教えの一つをくどくどと説き続けてきたのだが、その教えというのはこうだ。
たとえ自分の生命が危険にさらされても、決して他人を殺すなかれ

このことに大いに助けられて、昔漁師や羊飼いだった者たちは、いとも容易に軍を進め、その途上で、彼らの〈神々〉、つまり空想的な〈科学〉と目にあまる堕落という〈神々〉を崇拝するのを拒んだ者を容赦なく破壊していったのだ。
来たるべき世代のすべての三脳生物の中に〈悪の種〉を植えつけた者たち、すなわちヨーロッパに生まれた人間たちの中でもとりわけギリシア人たちは、初めのうち、アジア大陸の内陸部へ侵入しながら、ゆっくりとではあるが、確実に自分たちの目的を果たしていった。
しかししばらくして、彼らのいわゆる(軍隊〉の先頭に、巨大な虚栄心に完全に凝り固まった一人のギリシア人、つまり未来の
ハスナムスであるマケドニアのアレキサンダーという者が立ってこれを率いるようになると、その時から、汎宇宙的なこの上なく聖なるアシアタ・シーマッシュが意識的に行なった聖なる努力の結果は、その最後の痕跡に至るまで完全に拭い去られ、そしてあの〈例によって例のごときお話〉が繰り返されたのだ。
おまえのお気に入りの奇妙な三脳生物の文化の中心地は度々変わり、そしていわゆる新たな〈文明〉なるものが出現するたびに、次の時代の人間たちに何かしら新しくて有害なものをもたらしてきた。たしかにそうではあったが、これまで生まれた数多の文明の中で、もちろん現代も含めた後の時代の人間に対して、かの有名な〈ギリシア・ローマ文明〉ほど甚大な悪影響を及ぼした文明は一つとしてない。
この文明は、三脳生物がもつにふさわしくない精神的特徴を沢山生み出し、現に今おまえのお気に入りたちはそれを全部体内にもっている。しかしこういった細々した特徴はさておくとしても、この文明が責任を負うべき最大の悪は、次代の三脳生物、とりわけ現代人の体内から、〈健全なる論理的思考〉を生み出すデータを結晶化する可能性、及び〈自己に対する廉恥心〉という衝動を生み出す可能性を完全に奪い去ったことだ
すなわち、〈古代ギリシアの空想的科学〉は、今言った可能性のうちの前者が完全に衰退する原因となり、一方〈古代ローマの堕落〉は後者が消滅する原因となったのだ
ギリシア・ローマ文明もその初期には、今では誰もがもつに至ったあの有害な衝動、すなわち〈空想的科学を生み出す情熱〉及び〈堕落への情熱〉はギリシア人とローマ人だけに固有のものであった。ところが前にも言ったように、この2つの共同体の住民が偶然例の力を手に入れて、他の共同体の住民たちと接触し、影響を及ぼすようになると、他の共同体に住む多くの哀れなおまえのお気に入りたちは、次第にこの奇妙で不自然な衝動に冒されていったのだ。
こんなことが起こったのは、すでに話したように、この2つの共同体から絶えず影響を受けていたからではあるが、もう一つの理由は彼らの精神の特殊性にあり(実はこれはこの惑星の三脳生物すべてに共通するもので、このことが起きる以前にすでにすっかり定着していたのだが)それは〈模倣〉と呼ばれていた。
そんなわけで、この2つの古代の共同体が〈発明したもの〉のために、それでなくても以前から虚弱であったおまえのお気に入りたちの精神は、今日では一人の例外もなく完全にたがが外れてしまい、彼らの〈世界観〉も日常生活の送り方も、今言ったギリシア・ローマ文明期の人間たちが発明したもの、すなわち空想と性的満足の追求という2つのものだけを土台にして成り立っているという有様になってしまったのだ。
しかしここに一つ非常に興味深いことがある。つまり今話したように、古代ローマ人から伝承したもののせいで、三脳生物には当然具わっているべき〈自己に対する有機的廉恥心〉は、徐々にではあるが完全におまえのお気に入りたちの体内から消滅してしまった。ところがそれにもかかわらず、彼らの中のそれがあったところに、何かそれによく似たものが芽生えてきた。つまり現代のおまえのお気に入りたちの体内には、彼らがやはり〈廉恥心〉と呼んでいる偽物の衝動がいやというほどあるのだが、もちろんこれを生み出しているデータは、他のすべての衝動と同様、極めて異常なものなのだ。
この衝動が彼らの体内に生じるのは、彼らの異常な日常的生存状態のもとで、他人の前でやるべきではないと考えられていることをやった時に限られている。
ところが、やったことを誰も見ていないと、いかなることをやっても(たとえ意識や感情では望ましいと思わないことでも)そのような衝動は全く彼らの中に生じないのだ。
古代ローマ人が用意してくれた〈至福〉は、現在では、この不幸な惑星のあらゆる大陸に生息しているおまえのお気に入りたちの本性の中にあまりに深く入りこんでしまっているので、現代の共同体のどの住民がこの〈親切この上ない〉ローマ人に最も多くを負っているかを言うのは実に難しい。
しかしギリシア人から受け継いできたもの、つまりいろいろな空想的科学を考案することに対する情熱は、現代のすべての三脳生物に等しく継承されているわけではなく、この奇妙な惑星の表面の全陸地に生息している大小様々な共同体の住民の中でも、ある特定の者にだけ受け継がれている。
比率的にいうと、この〈空想的科学を発明する〉情熱は、〈ドイツ〉という名称で呼ばれている現代の共同体の住民が最も強く受け継いでいる。
現代ドイツの住民は〈古代ギリシア文明の直接の子孫〉などとあけすけに呼ばれることもある。なぜそう呼ばれるかというと、現在ありとあらゆる新しい科学や発明を現代にもたらしているのは主として彼らだからだ。
しかし不幸なことにだな、坊や。現代ドイツ共同体の住民は、多くの点で古代ギリシア人を、まあいうなれば凌駕しておる。
つまり、古代ギリシア人の発明した科学によって損なわれ、現在も引き続き損なわれているのは、人間の思考活動だけだ。
ところがドイツ共同体の現代の住民は、これに加えて、別の種類の科学を生み出すのに巧みになった。そしてこの科学のおかげで、地球特有の病気、つまり知ったかぶりの大ぼら吹きというやつが、おまえのお気に入りたちの間に広く行き渡ってしまったのだ。この病気が彼らの中で進行している間は、彼らの多くは半意識的に、あるいは全く自動的に、存在するすべてのものを生み出している汎宇宙的プロセスのある細部に偶然目を止め、それを別の者に教え、それから一緒になってそれを彼らのいう新発明なるものに利用し、そしてこの数ある〈新しい手段〉にさらに新たなものをつけ加えるのだ。そんなわけで、過去二世紀の間に非常に多くの新しい手段が蓄積され、そして現在それらが全体となって、いわゆる〈解体を促す合力〉と呼ばれるものを引き起こし、それが自然のもついわゆる〈創造的合力〉と呼ばれるものと対立するようになってきた。
実際にだな、坊や。現代ドイツの住民が発明した科学によって、同じ共同体に属する三脳生物も、他の共同体に属する者も、今ではみんな何らかの新しい工夫や新しい手段を考案する可能性を手に入れ、現に毎日あちこちでいろんなものを発明しておる。そしてそれを自分たちの生存プロセスに利用しているので、今では、それでなくても弱体化しているかわいそうな自然は(それも決してそれ自身の責任ではないのだが)そのいわゆる〈進展的〉あるいは〈退縮的〉プロセスと呼ばれるものを実現する力さえほとんど奪われているのだ。
ではここで、現代の直接の子孫たちがどんなふうに〈祖先〉を凌駕しているかをはっきり理解できるように、現在地球上で非常に広く使われている手段について話しておかなくてはなるまい。この手段は、まさにこの古代ギリシア人の直接の子孫である〈自然の手助けをする〉者たちのおかげで存在するようになった。
現代のドイツ共同体の住民が発明し、今ではいたるところで使われている手段のうち、いくつかを選んで説明することにしよう。
その前にまずある奇妙な現象をはっきりさせておかなくてはならん。
それは、古代ギリシア人の現代における〈代理人たち〉は、彼らの有害な発明品に、どういうわけかすべて〈イン〉(in)で終わる名前をつけているということだ。
ドイツ人が発明した数々の極めて有害なものの中から、例として5つのいわゆる〈化学物質〉を取り上げてみよう。
この化学物質は現在、⑴サトカイン、⑵アニリン、⑶コカイン、⑷アトロピン、⑸アリザリンと呼ばれており、あらゆる大陸や島々の住民に、われらが親愛なるムラー・ナスレッディンに言わせれば、〈節約しようなどとは露ほども思わずに〉使われておる。
ドイツ人が特別に作り出したこれらの手段のうち最初のもの、つまひサトカインは、要するに何のことはない〈
サモーコーローアザール〉、つまりそれぞれの惑星の全存在体の中に絶えず誕生し、存在している7つのいわゆる〈中和ガス〉の一つで、惑星上及び惑星中のあらゆる形成体の〈完全なる結晶化〉に関わっている。そしてもしこれが分離抽出されると、いついかなる場合でも、いわゆる〈既に生成しているものを無差別に破壊するもの〉になるのだ。
ドイツ人のこの発明に関しては、ある時次のようなことを聞いた。この共同体のある者が、わしがこの前話したような理由で、ある〈惑星上〉及び〈惑星内〉の形成体から偶然このガスを手に入れ、さっき話したような具合にこれの特殊性に気がついて、それを何人かの者に話した。と、ちょうどその時、その共同体の住民の体内で、したがって当然彼ら自身の中でも、この惑星の三脳生物の精神がもっている主要な特性、つまり〈自分と同種の者の生存を破壊したいという抑えがたい欲求〉というやつが、いわば〈最も激しく活動〉している最中であったために(実際この共同体の住民は当時、近隣の共同体の住民たちとの相互破壊のプロセスに完全に没頭しきっていた)この発明を聞いた者たちは、他の共同体の住民の生存を迅速かつ大量に破壊すべく、このガスの特性を何とかうまく利用する手段を見つけることに全力を注ぐことを、すぐさま〈熱狂的に〉決断したのだ。
この目的に向かって実践的な研究を始めたところ、まもなくある者が、もしこのガスを、いつでもどんな空間にでも自由に開放できるように純粋な形で抽出し凝縮すれば、容易に先ほどの目的を達成できることを発見した。
この発見は満足のいくものだったので、この時からこの共同体の普通の住民はみんなで、普遍的な調和を保って生成している存在するすべてのものからこのガスを人工的に分離し、そして相互破壊のプロセスが進行し始めると、いわゆる〈敵対している〉共同体の住民が最も多く集まる時と場所とを正確に狙って、ある一定の方法でこのガスを空気中に放出した。
この特別に毒性のきつい宇宙物質が分離され、今言ったような状況の下で意図的に大気中に放出されると、これに呼応する他の宇宙物質と再結合しはじめ、その結果近くにいる三脳生物の惑星体に浸入し、即座に、そして完全にその生存を破壊するか、あるいは少なくとも、彼らの身体のあちこちの部分の機能を永久に損傷してしまうのだ。
列挙した化学物質の第二のもの、つまり〈アニリン〉は化学的な染色用の物質で、これを使うと、三脳生物が平常の生存プロセスに必要な様々な品物を作る原料としている惑星上形成物のほとんどを染めることができる。
この物質を発見したおかげで、おまえのお気に入りたちはどんな物体でも好きな色に染めることができるようになりはしたが、そのため逆にこれらの物体の耐久性は、ああ、ちょうどそこに横になっているかの有名なビスマルクの〈ペット猫〉並みになってしまったのだ。
この有害なアニリンが発見されるまでは、おまえのお気に入りたちは通常の生存のために作り出したもの、例えば〈絨毯〉とか〈絵〉とか呼ばれているもの、あるいは羊毛や木や獣皮で作ったいろいろなものを簡単な植物染料を使って染色しておった。その方法は何世紀にもわたって獲得されたものであり、これで染色した今挙げたような物体は、彼らの時間計測法でいう10世紀、時には15世紀間もの耐久力があった。
ところが今では、このアニリン、あるいはアニリンをベースにした他の染料で染めたものは、せいぜいよくて30年もすれば、もとの面影はほとんど見られなくなってしまうのだ。
それにこのことも言っておかなくてはならん。現代のドイツ共同体の住民たちは、この有害なアニリンを発見することによって、この惑星の現代人が生産したものを速やかに破壊する張本人になったばかりでなく、この不幸な惑星に古くからあったものがほとんど消滅してしまう原因にもなったのだ。
なぜそうなってしまったかというと、種々雑多な
ハスナムス的目的、あるいはかの有名ないわゆる〈科学的な目的〉のために、彼らはあらゆる国々から古代の遺物をかき集めてきたが、どうやって保存すべきか知らないために、いたずらにその破壊を早めてしまったからだ。
とはいえ、今でも彼らは集めてきたこれらの〈骨董品〉を〈安物〉の〈モデル〉として使っていて、この〈安物〉はこの不幸な惑星のいたるところで〈エアザッツ(模造品)〉なる呼び名で知られている。
彼らが発明した化学物質の三番目のもの、すなわちコカインについて言うと、この化学物質は、自然が惑星形成物(この場合は彼ら自身の惑星体だが)を解体するスピードを速める上で多大の貢献をしているばかりでなく、この化学的に作り出された物質は、地球の現代人の精神に対して、かの有名な
器官クンダバファーが彼らの祖先の精神に及ぼしたのと驚くほどよく似た影響を与えておる。
つまり彼らの祖先が、大天使ルーイソスの発明したこの器官を体内に植えつけられた時にも、現代人がドイツ人の発明したこのコカインなるものを体内に摂取した場合と全く同じ状態が生じたのだ
ただし一つ注意しておくがな、坊や。このドイツ人の発明品の作用がかの有名な器官クンダバファーといかに似ていようとも、それはドイツ共同体の現代の住民たちが意図的にやったことではない。むしろ彼らは全くの偶然で大天使ルーイソスの同胞となったのだ。
現在では、現代文明の正真正銘の代表者となった者たちはほとんどみな、びくびくしながら、それでいて大きな喜びと優しい気持ちをもって、この現代文明が生んだ〈祝福〉を体内に取り入れているが、それはもちろん常に、われらが親愛なるムラー・ナスレッディンの言うように、〈割れたひづめをもつ者(悪魔)〉の栄光を讃えるためなのだ。
さて、先に挙げた化学物質の四番目、つまり〈アトロピン〉は、これまた今ではいたるところで非常に大きな需要があり、その目的も実に様々だ。しかし最も一般的な用法は、あるひどく奇妙な目的のためだ。
つまり、どうも例の異常な生存状態のために、彼らの視覚器官はある奇妙な特性をもつに至ったようで、その特性というのは、誰かの顔を見た時、その顔が黒い目を具えている時にだけそれが善良で喜ばしいものに見えるというものだ。
ところでこのアトロピンと呼ばれる化学物質をある方法で目に注入すると、瞳孔が広がって以前より黒くなる。それがために彼らのほとんどはこのアトロピンを点眼して、自分の顔が他人の目に善良に快く映るようにしているのだ。
実際これは本当の話だがな、坊や。地球の人間でこの〈ドイツの祝福〉を目に入れたものはみな非常に〈黒い瞳〉をもつようになり、それが45歳になるまで続くのだ。
なぜ45歳かというと、これまでのところ、この方法を用いた者で、45歳を越えてもまだ視力があって目を使い続けたというケースは一つもないからだ。
さて、この発明品の中の五番目、つまり最後のものである〈アリザリン〉だが、これもいたるところで広く使われている。
この現代文明の〈祝福〉は、主として〈菓子製造者〉と呼ばれる者や、その他、この惑星で第一食物として最も〈おいしい〉ものを作る専門家たちに使われておる。
菓子製造者や、その他の、おまえのお気に入りたちの第一食物としておいしいものを作る専門家たちは、もちろん目的などは全く意識しないで、ドイツ人が作ったこの〈成功を約束する〉合成物を使っているのだが、その目的というのは今ではすでに現代文明全体の理想になってしまっており、われらが高貴なるムラー・ナスレッディンの言葉を借りて言うとこうなる。
『すべてが見栄えがよく、ダンディーに見えるならば、たとえ草が生えなくてもそんなことは問題ではない』

とにかくだな、坊や。古代ギリシア人の現代におけるこれら代理人たちは、自分たちが発明した〈諸科学〉を土台にした様々な実際的な成果によって、今ではかわいそうな自然を大いに手助けしている。もっとも解体のプロセスのほうだけだがな。実際われらが親愛なるムラー・ナスレッディンが次のような意味深長な言葉を吐いているのも無理からぬことだ。
『自然の手助けをしないよりは、おまえのおっかさんの頭から毎日10本ずつ髪の毛を抜くほうがましじゃ。』

厳密にいうと、〈空想的科学〉をでっちあげて通常の生存に使える新しい方法をひねり出す能力は、古代ギリシア人から現代ドイツの住民にだけ伝えられたのではない。現代の別の独立した共同体もこの同じ能力をほぼ同程度受け継いでいるが、この共同体もそれなりに支配権をふるっておる。
おまえのお気に入りたちが形成するこの現代の別の共同体は、〈イングランド〉と呼ばれている。
この第二の共同体イングランドは、そしてこのイングランドだけが、古代ギリシア人が生み出した最も有害なものの一つを直接に受け継ぎ、そしてこの共同体の住民は、これを最も完璧に受け入れて実践しておる。
古代ギリシア人はこの特に有害な発明を〈ディアファロン〉と呼んだが、現代人は〈スポーツ〉と呼んでおる。
現代のスポーツについては、この話の最後にできるだけ詳しく話してやろう。今のところは次のことだけ覚えておきなさい。このイングランド共同体の住民も今では、通常の生存プロセスに必要ないろいろな新しいものを大量に発明してはいるが、現代のドイツ共同体の住民のように化学物質を発明したりはしなかった。いや……彼らは主に、いわゆる〈金属器具〉というやつを発明したのだ。
特に最近では彼らは、それを発明してこの惑星の表面全体に生存している人間たちに供給するエキスパートになってしまった。彼らはあらゆる種類の金属器具を大量に作り出したが、その中には次のようなものが含まれている。錠、カミソリ、ネズミ取り、拳銃、草刈り鎌、マシンガン、フライパン、蝶番、鉄砲、ペンナイフ、弾薬筒、ペン、機雷、針、その他似たようなものをどっさり作っておる。
さて、この現代の共同体の住民がこういった実用的なものを作り始めてからというもの、この惑星の三脳生物の通常の生存は、われらが親愛なるムラー・ナスレッディンが言うように、『
もう生活ではなくて、ただ好き放題をやっているにすぎん』。
この現代の共同体の住民は、おまえの惑星の他の共同体の住民の恩人であった。というのも、とりわけ彼らの第一の義務、すなわち時おり〈相互破壊〉のプロセスを遂行するという義務に関して、彼らはいわゆる〈博愛的な援助〉を他の者たちに施したからだ。
彼らのおかげで、この義務の遂行は徐々におまえのお気に入りの現代人にとって〈ほんの些細な事〉になっていった。
こういった発明品がなかった時代には、おまえの哀れなお気に入りたちにとってこの義務を遂行することは恐ろしく骨の折れることであった。つまり以前には彼らは、これをやるためには、いやというほど汗をかかなくてはならなかったのだ。
しかしこの現代人たちが発明したありとあらゆる器具のおかげで、今では、われらが尊敬するムラー・ナスレッディンが言うように、〈ほんの朝飯前〉のことになった。
現代人は今では、自分たちと同類の生物の生存を完全に破壊するために、これっぽっちの努力もする必要はない。
時には彼らのいう〈喫煙室〉にゆったりと腰をおろしたまま、まるで娯楽か何かのように、何十何百という自分と同じような生物を破壊することができるのだ。
ここでついでに、ギリシア・ローマ文明期の人間の現在の直接の子孫についても少し話しておこう。
かつては〈偉大〉で〈強力〉であった共同体ギリシアの住民の子孫たちは、今も存続して独立した共同体を営んでいるが、他の独立した共同体にとっては今では全く取るに足りない存在になっておる。
彼らは、ありとあらゆる〈空想的科学〉を作り上げるこの上ない専門家であった祖先がやったようなことはもう一切やらない。なぜかというと、現代ギリシア人が何か新しい科学を作り出しても、今では他の共同体の住民はこれっぽっちの注意も払わないからだ。
なぜ全く注意を払わないかというと、それは主として、この共同体が他の現代人に対していわゆる〈権威〉になるには、現在もっている〈大砲〉や〈船艦〉の数があまりにも少ないからだ。
しかし昔の偉大なるギリシア人の子孫、つまり現代のギリシア人は、たしかに他の三脳生物に対するいわゆる〈想像上の権威〉になる秘訣こそ失ってしまったが、今度はほとんどすべての大陸や島々で、〈店〉と呼ばれるものを開くコツを完全に身につけ、そしてちっともあくせくせずに、のんびりと、〈海綿〉とか〈ハルヴァ〉〈ラーハット・ロコウム〉〈トルコ求肥〉
(3つともお菓子)等々、また時には〈ペルシアの乾燥果実〉、それにもちろん〈ケファル〉と呼ばれる乾燥魚などを売っておる。
一方、有名なローマ人の子孫だが、彼らも同様にまだ存続し、その共同体の中心都市はいまだに〈ローマ〉という名で呼ばれてはいるものの、祖先が築き上げた栄光はもう見る影もない。
初めは羊飼いの集団で、後に偉大なるローマ人となった者たちの子孫が現在作っている共同体の住民は、他の人間たちからは〈イタリア人〉と呼ばれている。
あの特殊な衝動、つまり古代ローマ人がこの惑星で初めて体内に結晶化させ、その後徐々にこの惑星の三脳生物全体に広がっていったあの衝動以外、このイタリア人と呼ばれる人間たちが祖先から受け継いだものはほとんど何もない。
現代のイタリア共同体の住民たちは、今では、気取らずに、次々に新しい形の、無害で実に無邪気な〈マカロニ〉なるものを作り出しながら、極めておとなしく平和に生存しておる。
とはいえ、現代イタリアの住民たちのある者は、ある一つの特殊な、そして実に風変わりな〈特性〉を祖先から受け継いでいるが、これは〈他人に歓びを与えること〉と呼ばれている。
ところが彼らはこの受け継いだ欲求、つまり〈歓びを与えること〉を、自分と似た生物にではなく、別の形態の生物に対してだけ表現しておる。
公平を期するために言っておかねばならないが、現代イタリアの各地にいる住民たちにこの特殊な性質を伝えたのは、偉大なるローマ人ではなかった。つまりこの受け継がれた特性が彼らにとってこれほど〈自然なもの〉になったのは、かなり後の時代の祖先のおかげなのだ。かなり後というのは、彼らがある真正の〈天からの聖なる使い〉の教えに、自分たちのエゴイスティックな目的のために変更を加えて、自分の共同体や近隣の弱小共同体の住民に広め始めた時代のことだ。
現在イタリア各地の住民は、他のものに歓びを与えるというこの特性を次のような形で実行している。
彼らは〈羊〉および〈山羊〉と呼ばれる四足生物の惑星体を第一食物として利用しているが、その際、その生存を全部一度には破壊せず、この〈歓び〉を与えるために、何日にもわたって〈ゆっくりと〉〈やさしく〉破壊していくのだ。つまり最初の日は足を一本切り取り、数日後に二本目の足という具合に、羊あるいは山羊が息をしているかぎり続けていくのだ。しかも羊や山羊は、今言ったような部分が身体から切り取られてもかなり長い間呼吸していることができる。なぜかというと、これらの部分は、自己感覚を生み出す衝動を実現する機能には関与しているが、生存のための宇宙物質を取り入れるという主要な機能には関与していないからだ。
これだけ話せば、かつてはあれほど他の共同体にとって〈脅威〉であり、また〈偉大〉であったローマ人の子孫については、もう話す必要はあるまい。
さてそれでは、古代ギリシア人の発明の中でもとりわけ有害で、現代のイングランドと呼ばれる共同体の住民が実行している〈スポーツ〉と呼ばれる発明について話してみよう。
現代の共同体イングランドの住民、つまり古代ギリシア人のとりわけ有害な発明を通常の生存プロセスの中で実行に移している中心的存在である者たちは、それが生み出す有害な結果のおかげで、それでなくても短い自分たちの生存期間をさらに縮める上で効果抜群の要因をもう一つつけ加えているばかりか、現在自分たちの共同体が巨大であることを知っているがゆえに、他の三脳生物に対して威信をひけらかしておる。さらには、この発明を実行することを理想とし、それを広めるのを目標としたため、現在彼らは、この発明でもってこの不幸な惑星の大小様々の共同体の住民たちに大きな影響を与えているのだ。
こんなとんでもないことが生じる土台となったのは、おまえのお気に入りたちの体内から、〈論理的思考〉を実現させる要因を結晶化する可能性が消滅してしまったという事実だ。
この〈論理的思考〉ができなくなったせいで、彼らはほとんど例外なく、ある
ハスナムス候補生の主張、すなわちスポーツをすることによって何か〈善きもの〉が得られるという主張を心の底から信じこみ、そして今では、その何かを得ようと全面的にスポーツに打ちこんでおる。
この哀れな者たちは誰一人として、この有害なスポーツからは何一つ善きものは得られないばかりか、前にも言ったように、
まさにこのスポーツこそが、それでなくても十分短い彼らの生存期間をさらにいっそう短縮する元凶になっておるということなど知りもしないし、これからも考えることはないだろう
なぜこのスポーツのために彼らの生存期間がいっそう短くなったのかをはっきり理解するためにも、ここで前に約束しておいたことをもう少し詳しく説明しておくのがいいだろう。それはつまり、
〈フーラスニタムニアン〉原理に従った場合と、〈イトクラノス〉原理に従った場合とでは、生存期間がどう違うかということだ。
おまえのお気に入りたちが〈時の流れ〉を定義するやり方について説明した時、こう言ったのを覚えておるかな。
器官クンダバファーがその特性もろとも彼らの体内から除去され、彼らも、われわれの宇宙のいたるところに誕生しているすべての正常なる三脳生物と同じ期間だけ生存し始めるようになった時、ということはつまりいわゆるフーラスニタムニアン原理に従って生存するようになった時には、彼らは〈第二存在体であるケスジャン体〉が体内に完全に形成されるまで、そしてついには理性によって聖なる〈イシュメシュ〉の段階に到達するまで生存するようになるはずだった
しかしその後、彼らはますます三脳生物にふさわしくない形態で生存するようになり、大自然が予見したとおり、体内で
パートクドルグ義務を遂行するのを完全にやめてしまった。三脳生物が今言った高次の部分を体内に形成するためのデータを獲得するには、この義務を遂行する以外に道はないというのに。
こういったことすべての結果、彼らが発する放射物の質は、最も偉大なる
汎宇宙的トロゴオートエゴクラティック・プロセスの要求に応えることができなくなってしまった。そうなると大自然は、〈振動の均衡を保つ〉ために、徐々に彼らの生存期間をイトクラノスと呼ばれる原理に従って定めざるをえなくなってしまった。この原理は、一般的に一脳および二脳生物、つまり三脳生物と同じ可能性を有さず、したがって、自然が予見した〈パートクドルグ義務〉を体内で遂行することができない生物の生存期間を定める際の基盤となる原理なのだ。
この原理によると、生物の生存期間およびその身体の構成物全体は、一般的にいって、彼をとりまく以下の7つの要因から生じるものによって決定される。

⑴遺伝
⑵受胎時の状態と環境
⑶生産者の子宮内での成長期間内における、その太陽系の全惑星が発する放射物の組み合わせ
⑷彼が責任ある年齢に達するまでの、生産者の行為、活動のレベル
⑸彼の周囲の同類の者たちの生存の質
⑹成年期に達する時期における、彼をとりまく圏内で形成される
〈テレオクリマルニクニアン〉思考波と呼ばれるものの質、すなわち彼の、いわゆる〈血族〉が見せる心底善良なる意図や行動
そして最後に、
⑺彼自身の
エゴプラスティクーリと呼ばれるものの質、すなわち、彼の内部に客観理性を獲得するためのデータを把握し、肉化する彼自身の努力

この
イトクラノスの原理に従った生存の主な特徴は、これに従って生存している生物の体内に、今挙げた7つの外的な要因によって、その生物の身体の各独立部分のすべての活動の源となる中枢部にあたる部位(つまりおまえのお気に入りたちが脳と呼んでいる部分)に、〈ボビン・カンデルノスト〉と呼ばれるもの、すなわちこの脳と呼ばれる部位に連想あるいは経験を可能にする一定量のあるものが結晶化されるということだ。
というわけでだな、坊や。おまえのお気に入りの現代人、つまり惑星地球の三脳生物たちは、もうすでにこのイトクラノス原理によってしか生成しないようになっているので、受胎の瞬間から責任ある年齢に達するまで、彼らの脳には、連想プロセスを生み出す極めて限られた可能性をもった
ボビン・カンデルノストしか結晶化しないのだ。
この問題をもっとはっきりさせておまえがよく理解できるようにし、その本質そのものに関して、そしてまた今言った、
イトクラノスだけを土台として生存している生物の脳と呼ばれる部位の中で、法則に従って結晶化しているボビン・カンデルノストのような確固たる宇宙生成物の機能の形態を要領よく説明するために、〈ジャムテステルノキ〉、つまりおまえのお気に入りたちが〈機械時計〉と呼んでいるものを例にとってみようと思う。
おまえもよく知っているとおり、
ジャムテステルノキ、あるいは機械時計にはいろいろないわゆる〈システム〉をもつものがあるが、しかしその基本的構造は同じ、つまりすべて〈スプリングが巻き戻る時の張力もしくは圧力〉の原理の上に成り立っている。
ジャムテステルノキ、あるいは機械時計のシステムの一つは、スプリングが巻き戻る時の張力の継続期間をきっちり24時間に計算してセットしてあるものだ。別のシステムはこれを一週間にし、さらに別のは1ヵ月、等々という具合になっている。
イトクラノスの原理に従って生存している生物の脳の中のボビン・カンデルノストというのは、ちょうどこの、いろいろな時計がもっているスプリングに相当している。
機械時計の動く期間がその中のスプリングによって決定されるのと同じように、生物の生存期間も、その生物が誕生し、その後の成長期間中に、脳の中に形成される
ボビン・カンデルノストによって、しかもそれだけによって決定されるのだ。
時計のスプリングがある一定期間しか巻き戻らないのと同じように、生物も、
ボビン・カンデルノストが脳の中で結晶化する間に自然が彼らに注入した、経験に対する可能性の範囲内でしか、連想したり経験したりすることはできないのだ。
つまり彼らが連想し生存できるのは、結局のところその間だけであって、それ以上でも以下でもないということだ。
スプリングのいわゆる〈巻き戻しによる張力〉があるかぎり機械時計は動くが、それと同様に、前に言った7つの外的条件によって脳の中に形成される
ボビン・カンデルノストが使い尽くされるまでは、生物は経験し、そして生存することができる。
というわけでだな、坊や。もはや
パートクドルグ義務の結果は彼らの体内に結実することはないし、その上、彼らの生存期間は今言った偶発的でしかも外的な7つの条件の結果に決定的に左右されるようになってきたために、そういったことすべての結果、彼ら、とりわけ現代人たちの生存期間はひどくまちまちになってしまった。現在の彼らの生存期間は、彼らの時間計測法でいうと、数分から、70年ないしは90年に至るまで実にバラバラだ。
だから、今言ったことからすれば、おまえのお気に入りたちがいかなる手段を使っていかなる生き方をしても、そうだな、たとえ〈自分をガラス・ケースの中に閉じこめて〉みても、脳の中に結晶化している
ボビン・カンデルノストの内容物が使い尽くされるやいなや、脳の中のどれか一つが直ちに機能を停止してしまうのだ。
機械時計とおまえのお気に入りの現代人との唯一の違いは、時計には一つしかスプリングがないのに対し、おまえのお気に入りたちは3つの独立した
ボビン・カンデルノストをもっているという点だ。
三脳生物の3つの独立した〈部位〉すべての中にある独立した
ボビン・カンデルノストの名称は次のとおりだ。

第一:〈思考センター〉の
ボビン・カンデルノスト
第二:〈感情センター〉の
ボビン・カンデルノスト
第三:〈動作センター〉の
ボビン・カンデルノスト

このところ何度も繰り返し言っていること、つまり
聖ラスコーアルノのプロセスは、おまえのお気に入りたちの中では三分の一ずつしか完結していかない。つまり彼ら流の言い方を借りれば、彼らは〈部分的に死に〉始めるということになるが、そんなことが生じるのも、彼らがイトクラノスの原理にのみ従って誕生、成長し、調和を欠いたまま生存しているためだ。言いかえると、彼らは3つのそれぞれ独立した脳のボビン・カンデルノストの内容物をてんでんばらばらに使い果たしてしまい、そのために普通の三脳生物にはちょっと見られないような恐るべき〈死〉が彼らには頻繁に起こるのだ。
彼らのところに滞在している間にも、わしはよくこの〈三分の一の死〉というやつを目撃した。
こんなことが可能になるのも、おまえのお気に入りたち、とりわけ現代人の体内では、脳の一つの
ボビン・カンデルノストが完全に使い尽くされても、生物そのものは、時にはかなり長期間生存を続けるからだ。
例えばこんなことがよく起きる。特別に異常な生存を送っていると、ある一つの脳の
ボビン・カンデルノストの内容物が使い尽くされ、そして例えばそれが動作センター、あるいは彼ら流にいえば〈脊髄脳〉であったとすれば、この現代の三脳生物は引き続き〈考え〉たり〈感じ〉たりはするが、自分の惑星体の各部分を意図的に操作する力はもう失っている。
実に面白いことには、おまえのお気に入りの現代人のある者がこんなふうに部分的には永久に死んだとする。すると同時代の
ゼルリクナー、つまりいわゆる〈医者連中〉は、まず間違いなくこの種の死を病気と診断し、彼ら特有のありとあらゆる知ったかぶりをひけらかして治療を始める。おまけにこの見かけ上の病気に、〈ラテン語〉と呼ばれる彼らの全く知らない古代語を使って実に様々な名前までつけるのだ。
こんなふうにして広く広まった病気には次のような名前がついている。〈半身不随〉〈対麻痺〉〈進行性麻痺〉〈エッセンシャリス〉〈脊髄梅毒〉〈震顫麻痺〉〈流行性硬化症〉等々。
おまえが興味をもっている惑星地球では、この三分の一の死はこの二世紀の間とりわけ頻繁に起こるようになったが、この死が起きるのは、おまえのお気に入りたちの中でも次のような者たちだ。つまり彼らの職業柄、あるいは例の異常な生存状態ゆえに大小様々の共同体の住民たちの間に生じたいわゆる〈情熱〉なるもののために、その生存期間中、程度の差こそあれ、脳のどれか一つのボビン・カンデルノストの内容物だけを通して生きてきたような、そんな人間に起きるのだ。
例えば、動作センター、あるいは〈脊髄脳〉の
ボビン・カンデルノストの枯渇のために三分の一の死がよく起きる人間というのは、古代ギリシア人の有害な発明であり現代の共同体イングランドに属する人間たちが一所懸命やっていること、つまりスポーツと呼ばれる有害な職業に従事しているような人間だ。
この有害な職業が引き起こす結果がどれほど恐るべきものであるかは、次のことを話せば十分に理解できるだろう。おまえのお気に入りたちのところに滞在していた頃、ある時一度わしは統計に特別の欄を作って、いわゆる〈プロレスラー〉と呼ばれる者になった三脳生物がどれくらい生存できるか調べたことがある。この統計からわかったところでは、49年以上生存した者は1人もいなかった。
一方、感情センターの
ボビン・カンデルノストの枯渇が早すぎることから三分の一の死が起きるのは、ほとんどの場合、職業的ないわゆる〈芸術の代表者〉となった人間どもだ。
彼らの大多数、特に現代の職業芸術家は、まず何らかのいわゆる〈精神病〉にかかる。そしてそのおかげで、この精神病の中でいわば意図的に〈感じる〉ことを覚えていく。その後も繰り返しこの異常なる衝動を経験する結果、自分の感情センターの
ボビン・カンデルノストの内容物を徐々に使い果たし、そうすることで身体全体の調和のとれたテンポを乱し、ついには、彼らの間でもそう度々は見られないような実に特殊な最期へと突き進んでいくのだ。
ところで、ついでにもう一つ面白いことをつけ加えておくと、感情センターの枯渇による三分の一の死は、ある極めて特殊な型の〈精神病〉、すなわち〈愛他主義〉と呼ばれるものによっても起きるのだ。
次に思考センターの
ボビン・カンデルノストの枯渇による早期の部分的な死だが、この種の死は、特に近年ではおまえのお気に入りたちの間でますます頻繁に起こっている。
思考センターによるこの種の死は、主として新型の科学者になろうとしている者、あるいはすでになっている者、そしてまた、生存期間中にいわゆる〈本〉とか〈新聞〉を読むことに熱中するという病気にかかった者に起きる。
彼らのように異常に読みちらかし、そして思考だけで連想していると、その結果、思考センターの
ボビン・カンデルノストの内容物が、他のセンターのボビン・カンデルノストの内容物がなくなる前に使い尽くされるという事態が生じる。
というわけでだな、坊や。こういったすべての不幸、つまり彼らの生存期間の短縮と、それから生じた多くの彼ら自身にとって有害な結果とは、これはすべて彼らが〈多くの源泉から発する振動の均衡化〉と呼ばれる宇宙法則の存在をいまだに知らないことから生じているのだ。
もしそんな考えが彼らの中に浮かんで、それについてほんのちょっといつもの大ぼらを吹けば、たぶん彼らも一つの非常に簡単な、彼らのいう〈秘密〉を理解するようになるだろう。
きっと誰かはこの〈秘密〉を理解しているとわしは睨んでいる。というのも、第一にこれは実に簡単明瞭であるし、第二に、実は彼らはずっと以前にこれを発見して、彼ら流にいえば〈実際的なこと〉に応用しているからだ。それどころか彼らはこの単純な秘密を、わしが彼らの生存期間について説明した時に比較の対象として使った機械時計にまで応用している。
どんな構造をもつものでも、機械時計はすべてこの秘密を使って、前に言ったスプリングか、もしくは時計の全体的機構の中のそれに相応する部分のいわゆる〈張力〉を調節している。そして彼らはそれをどうやら〈調節器〉と呼んでいるようだ。
この調節器を使えば、例えば24時間分巻いた時計のメカニズムを1ヵ月間作動させるとか、あるいは逆に、この同じ24時間分の巻き量を5分で巻き戻すといったことも可能なのだ。
イトクラノスにだけ基づいて生存している生物はすべてその体内に、機械時計の中の調節器に似た〈あるもの〉をもっており、これは〈
イランサムキープ〉と呼ばれている。その意味するところはこうだ。
『人間の脳のどれか一つの機能から生じる結果に自己全体を委ねてしまわないこと』。

しかしたとえ彼らがこの単純な秘密を理解したとしても、結局すべては同じことだろう。つまり彼らは、そうなったとしてもやはり必要な努力(これは現代人にも十分可能なのだが)を払おうとはしないだろう。ところが自然はその予見能力によって、この努力なしにはおよそいかなる生物も〈調和的連想〉と呼ばれるものの可能性を手に入れることはできないようにし、おまけにこの連想の力がなくては、宇宙のいかなる三脳生物にも、したがって地球の三脳生物の体内にも、活動的な生存のためのエネルギーを生み出すことはできないようにしてしまったのだ。そして現在では、おまえのお気に入りたちは、その身体がほとんど無意識の時にしか、ということはつまり、彼らが〈睡眠〉と呼んでいる状態の間しか、このエネルギーを体内で作り出すことができなくなっている。
しかしおまえのお気に入りたち、特に現代のお気に入りたちは常に、体内の霊化された部分のある一つの指令だけに従って生存しており、そのため絶えず、これも法則に従って体内に生じる、否定的な特性を生み出す要因にだけ従って行為している。このような否定的な言動の結果、彼らの中では各
ボビン・カンデルノストの内容物が不均等に消費される。言いかえると、自然が法則に従って彼らに与えた可能性、つまり一つあるいは2つの脳だけでも行動できるという可能性は常に実行に移され、その結果、一つあるいは2つのボビン・カンデルノストの内容物が早く使い尽くされる。そうなると、ちょうど巻いたスプリングが全部巻き戻したり、あるいは調節器の力が弱まったりすると機械時計が止まるように、彼らも活動を停止するのだ。
イトクラノスの原理だけに従って生活している人間が、彼らの中の3つの霊化された源泉を連合させ、目的を同じくして調和的に働かせた結果行動するのではなく、そのうちの一つあるいは2つの命令だけに従って行動していると、なぜある特定の脳にだけ余分な連想が生じてそれだけが時期尚早に消耗し、その結果生きながらにして死ぬという事態が生じるのか、またそれだけでなく、以上のことのために、他のボビン・カンデルノストまでが、自分が働いたわけでもないのに、これまた使い尽くされてしまうのはどういうわけか、こういったことについては、もう少ししてから詳しく説明してあげよう。
しかし今でも時には、この惑星のおまえのお気に入りたちの中には五世紀にわたる生存期間をもつ者もいることはいる。
ともかくこの説明を聞けば、近年でもおまえのお気に入りたちの中には、人間の別々の脳の中で進行している連想の法則、そしてまたこれら独立した連想が相互に及ぼし合う作用を何らかの方法で見つけ出し、これをかなり詳しくしかも正確に理性で把握した者がいること、しかも彼らは程度の差はあれ、これまで話してきたような方法で生存してきたということ、さらにそういった者たちのそれぞれの脳の中で形成された
ボビン・カンデルノストは、彼らが他の人間たちとともに生存しているうちに使い尽くされるということはなく、逆に彼らの身体は、他の三脳生物よりもはるかに長く生存する可能性を獲得するということがよく理解できるようになるだろう。
地球に最後に滞在した時にも、こうした現代の三脳生物に会ったが、すでに二世紀から三世紀、いや四世紀近く生きている者もいた。こういった人間のほとんどは三脳生物の小さな〈友愛団〉にいたが、彼らはほとんどすべてのいわゆる〈宗教〉の出身者から成っており、その永住の地はアジア大陸の中央部であった。
この友愛団のメンバーは自分たちでこの連想の法則の一部を解明したが、これに関する情報の別の一部は、真の秘儀伝授者を通して古代から継承されたものであった

例の現代の共同体の住民、つまり古代文明の住民が発明したきわめて有害なスポーツなるものの主たる犠牲者となっている者たちは、これを自分たちの生存プロセスで行うだけでは飽き足らず、他の共同体の住民たちもこの悪に感染させてやろうと必死になっておる。そればかりか、この有害なスポーツのおかげで、それでなくても取るに足りない彼らの生存期間はさらにいっそう短縮し、その上さらに悪いことには、わしの見るところでは、彼らはいずれそのうち自分たちの共同体に、〈ロシア〉と呼ばれる大共同体につい最近起こったのと同じ災禍をもたらすことだろう。
これについては、この惑星を最終的に離れる前によく考えてみた。
このことを考えはじめたそもそものきっかけは、ロシアに決してひけをとらない現代のこの大共同体で、すでに権力者たちが、ロシア共同体の権力者たちがいわゆる〈ロシアン・ウォッカの問題〉と呼ばれるものを利用したのと同様の目的、つまり自分勝手な
ハスナムス的目的のために、このスポーツと呼ばれる有害極まるものを利用し始めていることを知ったことだった。
ロシア共同体の権力者たちはあらゆる手練手管を使って、普通の住民の弱い意志の中に、この〈ロシアン・ウォッカ〉を大量に摂取することの必要性を徐々に浸透させていった。それとちょうど同じように、イングランド共同体の権力者連中も、あらゆる術策を弄して自分の共同体の普通の住民たちをスポーツに熱中させ、何が何でもこれをせずにはいられないような一種の強迫観念を彼らに植えつけたのだ。
その時わしが抱いた憂慮は、どうやらすでに現実のものになっているようだ。
この話を締めくくるにあたって、つい最近火星から受け取ったエテログラムにあった話を紹介しておこう。
それによると、現在イングランド共同体にはいわゆる〈失業者〉と呼ばれる者が250万人以上もいるというのに、権力者連中はかの有名なスポーツをさらにいっそう彼らの間に広めようと骨折っているということだ。
大共同体ロシアでは、どの〈新聞〉や〈雑誌〉の記事もロシアン・ウォッカの問題でいつももちきりだったが、現在のイングランド共同体でも全く同様に、同種の〈悪を撒き散らすもの〉のことごとくが、その記事の半分をこの有名なスポーツに捧げておるのだ。」

第30章 芸術

ここまで話すとベルゼバブは突然話すのを止め、そこに座ってハセインと同じように注意深く話を聞いていた昔からの召使いのアフーンに向かって次のように言った。
「老人よ、おまえもハセインと同じ興味をもってわしの話を聞いておるのか。おまえもわしと一緒に地球という惑星のすみずみまで行って、わしが今ハセインに話していることを自分の目で見て感じたのではないかな?
わしの話を聞くだけではなく、おまえも何か気がついたことを話してくれんか?……逃れる道はないぞ。ハセインがこれほど興味をもったのだから、あの奇妙な三脳生物について我々が話せることはみな話さなくてはならんだろう。
たしかおまえはあの風変わりな連中のいくつかの側面に興味をもっておったな。さあ、それについて何か話してくれ。」
ベルゼバブがこう言うと、アフーンはしばらく考えてからこう答えた。
アフーン「あの〈理解し難い生物〉についてのあなたの精緻な心理学的お話の後で、どうして私めの話など割りこませることができましょう。」
こう言うと彼はいつになく真剣になり、その上ベルゼバブの言い回しや語調まで真似てこう続けた。
「そりゃあ、たしかに・・・・・・どう言ったらいいのでしょう。あの奇妙な三脳生物は私の本質のバランスまで崩してしまいました。何しろあいつらの〈玄人の域にまで達した馬鹿騒ぎ〉のおかげで、私は霊化された器官のあちこちに、驚愕という衝動を引き起こすに十分な刺激をほとんどいつも受けていましたからね。」
それからハセインに向かって言った。
「わかりました、ハセイン様! 私は尊師様のように、我々の大宇宙に生息する、あなたの興味を引いた三脳生物の精神の奇妙さについては特に詳しくお話ししますまい。そのかわり私は尊師様にある一つの要素を思い出していただこうと思います。その要素は、我々がこの惑星の表面に五度目に滞在していた時に発生し、そして六度目、つまり最後の滞在中には、あなたのお気に入りたちが誕生してから責任ある存在になるまでに、彼らの正常な思考能力が次第に歪んで、ついにはほとんど〈
カルチュサーラ〉にまで変質してしまう主要な原因になったのです。」
それから彼はベルゼバブの方に向き直ると、おずおずした様子で口ごもりながらこう言った。
「尊師様、恐れ多くもあなた様に私の意見を述べることをどうかお許し下さい。これはたまたま私の心に浮かんできたことで、たぶん頭で考えて結論を出すにはあまりにも使い古された資料についてあれこれ考えた結果出てきたものなのです。
あなたはこれまで、ハセイン様の興味を引いた地球上の現代の三脳生物の精神がなぜ、あなた様がもったいなくも使われたお言葉を拝借するならば、全く無意味なことを苦心して生み出す挽き臼に変わってしまうかということについて様々な理由を話してこられましたが、しかしその間も、ある一つの要素、恐らくは他の諸要素よりも重要で、特に最近数世紀間、こうした変化が起こる基盤となった要素についてはほとんどふれられませんでした。
そこで私は、現代の人間たちにとってすでに決定的に有害になってしまったこの要素について話そうと思います。とてもよく覚えているのですが、この要素が生まれる原因となったものが発生した当時、あなた様と私はバビロンに滞在していてそれを目の当たりにしました。つまり私は、彼らが〈芸術〉と呼んでいる要素のことを言っているのです。
もしあなた様がご深慮に照らされてみてこの問題を詳細に検討することに同意なさいますならば、私の思うに、ハセイン様が、最近地球上に発生した三脳生物、つまりハセイン様をすっかり虜にしてしまったこの生物の精神構造の異常性を理解される上で、この上ない材料を提供されたことになりましょう。」
こう言い終わって、額に吹き出た汗をしっぽの先で拭うと、アフーンは黙りこんでまたもとの注意深く聴く姿勢に戻った。
ベルゼバブは愛情をこめた眼差しで彼を見ながらこう言った。
「老人よ、そのことを思い出させてくれてありがとう。たしかにわしは、例によって彼ら自身が生み出したあの本当に有害な要素、つまり偶然のおかげで何とか今日まで生き残っている彼らの思考活動に必要なデータさえも完全に破壊してしまうこの要素についてはほとんど話さなかった。
しかしな、老人よ。これまでその話をしなかったからといって、わしがこのことを全く考えていなかったというわけではないのだ。この旅行ではまだまだたっぷり時間があるのだから、我々二人のお気に入りのハセインにこれから先話していく道筋で、必ずやおまえが思い出させてくれたこの問題を取り上げることになるだろう。
しかし今ここで、現在地球上に蔓延っているこの芸術なるものについて話すのも時宜を得ておるかもしれん。おまえの言ったとおり、たしかにわしはあの悪しきものの原因となったものを生み出す出来事をこの目で見たのだからな。それはまたしても、あの不運な惑星の全表面からバビロンへと集まってきた知識人連中の仕業であった。」
これだけ言うと、ベルゼバブは今度はハセインの方を向いて話を続けた。
地球では芸術と呼ばれておる、このすでにはっきりと確立された観念は、今ではおまえのお気に入りの不幸な連中にとって諸々の自動的に機能するデータの一つになっている。このデータ全体が一丸となって、自動的に、ほとんど知覚できないくらいにではあるが、それでも確実に彼らを変えている。つまり、神性の一部を成す微粒子になるという可能性を体内に具えた生物としての彼らを、単なる〈生ける肉〉と呼ばれるものに徐々に変えていっているのだ
この有名な現代の地球上の芸術に関する問題をあらゆる角度からしっかり認識し、そしてそれがどうして生まれたかを明確に理解するためには、おまえはまず、我々の五度目の地球訪問の際にこのバビロンで起こった2つの事柄を知っておかなくてはならん。
第一は、現在地球に生息する三脳生物の間に、芸術と呼ばれる、今では完全に悪しき観念となったものが存在するようになった理由のそもそもの基盤となったいくつかの出来事を、なぜ、またどのようにしてわしが目撃したかということ、そして第二には、そのうちのどれが先に起こってこれらの理由を生じさせる原因になったのか?ということだ。
まず第一の事柄についてだが、我々がバビロンに滞在しておった時、つまりすでに話したように、例の地球全土から集まってきた学識ある三脳生物の間で起こった出来事、すなわち彼らがいくつかの独立したグループに分裂して〈政治〉なるものに熱中するようになると、わしはバビロンを離れて、ヘラスと呼ばれる、すでに強大になっていた共同体を訪ねて観察を続けようと考えておった。それでわしはすぐに彼らの言語を習得しようと決心し、バビロンの中でそれを実際に学ぶのに一番適した場所へ行って、ヘラスから来ている人間たちに会うことにした。
ある時、家からそう遠くないある通りを歩いていると、もう何度もその前を通ったことのある大きな建物の上に、〈
オーカゼモトラ〉、つまり現在の地球では〈看板〉と呼ばれているものがあるのを見つけた。つい最近かけられたものらしく、そこには、外国からの知識人たち、つまり〈レゴミニズム信奉者〉のクラブがその建物に新設されたと書いてあった。ドアの上には注意書きが吊されていて、クラブへの入会受付を行なっており、またここでの様々な報告や学問的な討論はすべてバビロンとヘラスの言葉でのみ行われると記されていた。
わしはこれに非常に興味をもつと同時に、ヘラス語の習得に、この新たに設立されたクラブを利用できるのではないか?と考えた。
それでわしは、その建物に出入りしている何人かの人間にこのクラブについてもっと詳しく聞いてみた。ちょうどその時たまたま知り合いの者を見つけ、彼の説明でかなりのことがはっきりしてきた。それでその場で、わしもこのクラブのメンバーになることに決めたのだ。
あまり深くも考えずにわしは外国の知識人になりすまして建物に入り、レゴミニズムの信奉者としてクラブに入会したいと申し込んだ。先ほど偶然出会った知り合いのおかげで、わしはすんなり入会を許され、そしてこの知人も他の人間たちも、わしを彼らと同様の知識人として扱ってくれた。
というわけでだな、坊や。このクラブの〈正会員〉と呼ばれるものになって以来、わしは定期的にそこに行っては、主にわしの必要としているヘラス語をよく知っている会員と話をした。
さて、第二の事柄についてだが、これはバビロンでの次のような出来事から始まった。
まず次のことを言っておかなくてはなるまい。当時バビロンには、一部には前に話したペルシア王によって世界中から強制的に連れてこられた知識人と、また一部には、これも前に話した有名な〈魂〉の問題ゆえに自発的に集まってきた知識人がいたが、この強制的に連れてこられた知識人の中には、他の大多数と違って、〈新型〉の知識人ではなく、彼らの中の様々な霊的部分から生まれる真剣さをもって、ただ自己完成という目的だけのために高次の知識を獲得しようと努めている者が何人かいた。
彼らは、その心底真剣な努力、そしてそれに伴う生活様式や行為などによって、すでにバビロンに来る以前から、〈この上なく神聖なるアシアタ・シーマッシュが復活させた規律に従った、すべての権利を有する秘儀参入者〉と呼ばれる者になる資格のある三脳生物たちによって、秘儀参入の第一段階に達した者とみなされていた。
それでだな、坊や。例のクラブに出入りするようになってから、そこでの会話や他の情報などから、次のことが明らかになってきた。つまり、理性の完璧化を目指して真剣に努力しているこの幾人かの知識人は、バビロンの町でもそれぞれ孤高を守り、他の知識人の大多数がすぐに巻きこまれてしまうあれこれの関心事には決して首を突っこまなかったのだ。
これら数人の知識人は、初期、つまり当時バビロンにいた他の知識人が町の真ん中に自分たちの会合場所を最初に開設した時以来ずっと、物質的かつ道徳的な相互扶助を目的として地球のすべての知識人のための中央クラブを設立した時も、また後になって、知識人全体が3つの独立した〈派〉に分裂し、それぞれの派がバビロンのあちこちに独自のクラブを作った時でさえ、彼らは孤立し、この3つの派のどれにも加わらなかった。
彼らはバビロンの郊外に住んでいて、他の知識人連中とはほとんど付き合わなかった。その彼らが、わしが入会するほんの数日前に、この〈レゴミニズム信奉者〉のクラブを組織する目的で初めて一堂に会したのだ。
今話しておるこれらの知識人は、ほとんど例外なく強制的にバビロンに連れてこられた者たちで、しかも彼らの大部分はあのペルシア王によってエジプトから連れてこられたのだ。
後で知ったのだが、彼らの連帯の基盤は、第一段階の秘儀参入者である二人の知識人によって準備された。
秘儀に参入したこの二人の知識人の一人はムーア人と呼ばれる者で、名前はカニル・エル・ノルケルといった。もう一人の秘儀参入者はピタゴラスという名の、ヘラス人と呼ばれる者たちの一人で、このヘラス人たちは後にはギリシア人と呼ばれるようになった。
これも後で知ったのだが、この二人の知識人はたまたまバビロンで出会い、どんな形態の人間存在が将来の人間の幸福に役立つかについて〈
オーイサバガオームニアン意見交換〉と呼ばれるもの、つまり会話をしている間に、次のような確固たる合意に達した。すなわち、地球上での人類の世代交替の間に、非常に不快で悲惨な現象である相互破壊のプロセス、つまり〈戦争〉とか〈人民蜂起〉とか呼ばれているものが起きると、必ずや様々な段階にいる多数の秘儀参入者たちが何らかの理由で殺され、またそれと共に、地球上での過去の本当の出来事に関する多様な知識を伝え、またこれからも代々受け継いでいくための唯一の手段であるレゴミニズムの多くが永久に破壊されてしまった、ということだ。
この二人の真摯で正直な知識人は、彼らが〈悲惨な現象〉と呼んだものの認識において同意見であることを確認すると、長い間考えこんでしまった。その結果彼らは、少なくともこの例外的な状況、すなわち人間の異常な生存状態ゆえに地球上に発生したこの悲惨な現象だけでも防ぐ何らかの手段を講じるために多数で協議できるよう、非常に多くの知識人が一つの町に集まっているというこの特殊な状況を利用することに決めたのだ。
そのために彼らは前述のクラブを創設し、これを〈レゴミニズム信奉者クラブ〉と名づけた。
すぐに同様の考えをもつ多くの人間が彼らの要請に応えたので、わしがこのクラブに入会してから二日後には、早くも新会員の募集は打ち切られてしまった。
新会員の募集が打ち切られた日には、会員数は139人に達していた。そしてこのクラブは、あのペルシア王が知識人に関して抱いていた例の気まぐれを放棄するまで、このメンバーのまま存続したのだ。
これも入会後知ったことだが、クラブ創設の第一日目に、メンバーになった知識人全員で全体集会を開き、全体会議を毎日開くことを満場一致で決定した。そしてこの会議では、次の2つの問題について報告や討論がなされることになった。一つは、メンバーがそれぞれの故国に帰った時、そこに現存するすべてのレゴミニズムを収集するにはいかなる手段をとるべきかという問題、もう一つは、このレゴミニズムを、ただ秘儀参入者を通してだけでなく、何か別の方法ではるか後世にまで伝えるにはどうしたらいいか?という問題だ。
わしが入会する前からすでに、この2つの問題に関する実に様々な報告や討論が全体会議でなされていた。そしてわしが入会した日には、秘儀を伝授された者たち、いわゆる〈道〉に従っている者たち、すなわち当時〈オナンジキ〉〈シャーマニスト〉〈仏教徒〉等々と呼ばれていた者たちをこのクラブの主要な仕事に参加させるにはいかにしたらよいかという問題について、種々様々な意見が出されていた。
さて、わしが入会して三日目に、偶然現代の人間たちにまで伝わってきたあの言葉、つまり多少とも正常な論理的思考活動に必要な、かろうじて生き延びてきたデータまでもが完全に衰弱してしまう主因の一つとなったあの言葉が初めて使われたのだ。この言葉、すなわち〈芸術〉は、その当時は全く違った意味で使われていたし、それが定義している観念も全然別のもので、総じて今とは全く別の意味をもっておった。
この言葉は次のような経緯で初めて口にされた。
この〈芸術〉という言葉が最初に使われた日(その時にはもちろん、その真の観念と正確な意味を全会員が等しく認識していたのだが)、このレゴミニズム信奉者クラブのメンバーであるアクシャーパンジアールという名の、当時非常によく知られていたカルデア人の学者が演台に立った。
すでにかなりの高齢であったこのカルデア人学者、偉大なるアクシャーパンジアールのこの報告が、地球上の現代芸術に関わるそれ以後のすべての出来事の発端となったのだから、彼の演説を一語一句思い出しながら、できるかぎり正確に繰り返してみる。
彼はこう話した。
『これまでの、とりわけ過去二世紀の歴史が我々に示していることは、大衆が必然的に陥る精神錯乱の時期が来ると、この精神錯乱から必ずや国家間の戦争や国家内の様々な人民蜂起が起きるのでありますが、この時人民の野蛮な行為の罪なき犠牲者となるのは決まって、その敬虔さと意識的な犠牲精神のゆえに秘儀参入者になる力のある者、つまり過去に起こった多種多様な出来事に関する真の知識を含んだ種々のレゴミニズムを後世の意識的人間たちに伝えることができる者たちでありました。
いつもこういった敬虔な者たちだけが人々の残虐な行為の罪なき犠牲者になるのは、私の考えでは、彼らはすでに内的に自由になっており、したがって他のすべての者のように、自分のまわりの通常の利害に自己同一化しないためであり、さらにはそれゆえに、自分のまわりの人々の興味や喜びや情緒、あるいはそれと同様にはっきりとした率直な自己表現に共感することができなかったからだと思うのです。
したがって、平時には彼らは普通に生活し、まわりの人たちとの関係も、内的にも外的にも善意に満ちたもので、それゆえ平時の日常生活においてはまわりの人々の尊敬と愛情を受けていたのです。が、それにも関わらず、ひとたび人民大衆が前述の精神錯乱に陥って、いつもながら2つの相対立する陣営に分裂すると、彼らの理性は戦いによって野獣化してしまい、そのため、いつも控え目で真面目だったこれらの人々に対して病的な猜疑心を抱くようになるのです。そして万一、この精神錯乱に陥った者たちの注意が少しでも長くこれら例外的な人々の上に注がれようものなら、彼らはこれらの真面目で外的にはいつも大人しい人々は、平時も今も、彼らの仇敵の〈スパイ〉に違いないと固く信じこんでしまうのです。
野獣化した人間たちは、その病んだ理性でもって、こういった人たちの真面目さや大人しさは単に〈秘密主義〉とか〈二枚舌〉と呼ばれているものの表れに他ならないと断定的に決めつけてしまいます。
敵対している陣営のいずれかに属する野獣化した人々は、精神錯乱的な結論を引き出し、それに従ってこれっぽっちの良心の呵責も感じずに、これらの真面目で大人しい人々を殺してしまうのです。
私の意見では、今私が述べたことが、この地球上で本当に起こったことについてのレゴミニズムが、なぜ世代から世代へと受け継がれていくうちに地上から完全に消滅してしまうかの理由の大半を説明すると思うのです。
さて、わが敬愛する同志たちよ。もしあなた方が私の個人的な意見をお聞きになりたいのであれば、私は自己の全存在をかけて率直にこう申しましょう。レゴミニズムという手段を使い、それにふさわしい秘儀参入者を介して隔たった世代へと真の知識を伝えることに関して今私が述べたことにも関わらず、今となっては、この手段を使ってなすべきことは何一つありません。
この手段はこのまま存続させておきましょう。というのも、これは有史以前から地球上に存在していたのだし、それにまた、秘儀参入者のみがもつ〈存在する能力〉を通して伝達するというこの方法は、あの偉大なる予言者アシアタ・シーマッシュによって再生されたのですから。
もし我々現代人が、今この時点で将来の人類のために何か有益なことをしたいのであれば、我々のなすべきことは、このすでに存在している伝達手段に何らかの新しい手段をつけ加えること、つまり、我々にまで伝えられてきた情報をうまく伝えられるような、現在の地上での我々の生活様式ばかりか、我々以前の世代の何世紀にもわたる経験にも密着している、そういう手段をつけ加えることです。
それで、私は個人的に次のような提案をしたいと思います。それは、
将来の世代への伝達は、人間の〈アファルカルナ〉と呼ばれるもの、すなわち人々の手で作り出され、人々の日常生活の中で実際に使われている様々なものを通して、そしてまた人間の〈ソルジノーハ〉、つまりすでに何世紀にもわたって社会的にも家庭内でも定着しており、しかも世代から世代へと自動的に受け継がれている様々な儀式や形式を通して行われるべきだ、ということです
この人間の
アファルカルナ自体は、とりわけ恒久的な素材でできたものは生き残り、いろいろな理由で未来の世代に受け継がれていくことでしょう。またもしそうならなくても、少なくともその模造品は代々受け継がれるでしょう。なぜかといえば、人間の本質の奥深いところには、遙かな過去から継承されている人間の創造物に、ほんのちょっと手を加えただけで、それを自分が創り出したのだと思いたがる傾向があるからです。
人間の
ソルジノーハ、例えば種々の〈神秘劇〉〈宗教儀式〉〈家族および社会の慣習〉〈宗教的および大衆的な舞踊〉等々についていえば、たとえこれらのものがしばしば外的な形態を変えるとしても、これらを通して人間の中に呼びさまされる衝撃と、これらが導き出す人間の表現行為は常に変わることはありません。それゆえ、我々がこれまでに得た有益な情報や真の知識を、これらの衝撃や有益な表現行為を生み出す内的要因の中に組み入れるならば、遠く隔たった子孫たちにこれらが伝わり、しかも彼らのうちの何人かがこれを解読して、他の人々もこれを有益に使えるようにしてくれることを十分に期待できるのです。
となると問題は、いかにして、私が今述べたように、人間の種々の
アファルカルナソルジノーハを通してこの伝達を可能にするか?ということだけになります。
私個人としては、〈七重性の法則〉と呼ばれている宇宙法則を利用すべきだと思います。
この七重性の法則は地球上に存在しており、これからも永久にあらゆるものの中に存在するでしょう。
例えばこの法則によるならば、白光線の中には7つの独立した色があります。同様に、一音の中には7つの独立した音階があり、またどんな人間にも7つの独立した感覚があり、さらには、明確な形をもつものはすべて7つの次元から成っている可能性があり、また
重量のあるものがすべて地球上で静止しているのは7つの〈相互推進力〉のおかげである、等々、枚挙にいとまがありません。
さてそれで、我々が個人的に獲得したものにせよ、あるいは過去から継承したものにせよ、現存する知識の中で後世の子孫に有益であると我々すべてが認める知識だけは、今述べた人間の
アファルカルナソルジノーハの中に何とかして組みこまなくてはなりません。そうすれば将来、純粋理性の所有者がこの偉大なる宇宙法則を使ってこれを探り出すかもしれないのです。
もう一度繰り返しますが、この七重性の法則は宇宙が続くかぎり地球上に存続し、また地球上に人間の思考があるかぎり人間はこの法則を発見し、そして理解するでしょう。したがって、あえていうならば、人間の生み出したものにさきほど述べたような方法でこの知識を組みこむならば、それは地球上で永遠に存続するでありましょう。
ではその方法、つまりこの法則を通しての伝達形式についてでありますが、私の意見では、次のような方法で達成できるのではないかと考えます。
未来の世代に伝達する目的で、この法則を土台にして意図的に様々な生産物を作り出し、それらすべての中に、これも意図的に合法則的なある不正確さを導入し、そしてこの合法則的な不正確さの中に、あらゆる手段を使って現在の人類が所有している様々な知識の内容を組み入れるのです
そしてどんな場合でも、これを解釈できるように、あるいはこの偉大なる法則中の不正確さを見つけ出す〈鍵〉とでもいうべきものを与えるために、これに加えてさらに我々の生産物の中に何かレゴミニズムに似たものを挿入し、その上で、特殊な秘儀参入者、芸術の秘儀参入者とでも呼びましょうか? その人々たちを通して、これが代々確実に伝達するようにいたしましょう。
我々がこれらの秘儀参入者を特にこう呼ぶのはなぜかというと、七重性の法則を通して未来の世代に知識を伝達するというプロセス全体は、自然なものではなくて人工的なものだからです。
さて、高い知性と公平さを身につけておられるわが同志諸君……
以上の話で次のことがはっきりしたと思います。つまり、地球上での過去の出来事に関してこれまでに人類が得た知識の中でも我々の子孫にとって有益な知識が、たとえ何らかの理由で、真正の秘儀参入者の力をもってしても伝達できなかった場合でも、私が今提案した新しい伝達方法によってなら、未来の世代の人々はいつでも、現存している全知識とはいわないまでも、少なくともすでに地上に存在している共有知識のある断片だけでも見つけ出し、そこから何かを明らかにすることができるでしょう。つまり、この偉大なる七重性の法則と人工的な表示方法とを使って、現代人の手になる種々の生産物や現存している様々な儀式の中に我々の望むものを組み入れることによって、こうした断片だけでも彼らに伝えることができるのです。』

以上の言葉でこの偉大なるアクシャーパンジアールは報告を締めくくった。
レゴミニズム信奉者クラブの全メンバーは彼の話でかなり興奮し、あちこちで騒々しい会話が始まった。その結果彼らは、偉大なるアクシャーパンジアールの提案を実行することを満場一致で決めたのだ。しばらく食事の時間をとってから彼らは再び集まり、その日二回目の全体集会が夜を徹して続けられた。
さて、この満場一致の決定はさっそく実行に移され、翌日、まず個々に様々な生産物のいわゆる〈小型イメージ〉、つまり現代の三脳生物が〈モデル〉と呼んでいるものを作り、偉大なるアクシャーパンジアールの提案した原則に則って、可能でしかも最も効果的な表示方法を模索し、そしてその後、これらの小型イメージまたはモデルをクラブにもち帰って他のメンバーに陳列公開することにしたのだ。
次の二日間、彼らの多くは早くも自分たちの作った小型イメージを持ち込んで、適当な説明を加えながら他のメンバーに見せた。
またある者は、この惑星の生物が以前からその通常の生存プロセスにおいて折あるごとに、そして今もなお行なっている様々な表現行為を披露した。
彼らが持ち込んだ種々のモデルや実演した表現行為の中には、いろいろな音の組み合わせ、種々の形の建造物、様々な楽器の演奏、いろいろな種類のメロディの歌唱、それに彼らには馴染みのない種類の経験の正確な実演まで含まれていた。
その後間もなく、このクラブのメンバーは便宜上いくつかのグループに分かれ、そして彼らが〈週〉と呼んでいるある一定の時間の七分の一、つまり彼らが〈日〉と呼んでいるものを、ある特定の知識の分野で作り出されたものの実演や展示だけに使うことにした。
ここで面白いのは、この週と呼ばれる一定の時間は、おまえのお気に入りの惑星では常に七日に分割されてきたということだ。この分割はアトランティス大陸の生物によって行われたのだが、彼らがそうしたのは、彼らが七重性の法則をよく知っていたからにほかならない。
当時アトランティス大陸では週の各々の日は次のように呼ばれていた。
⑴アダシュシクラ
⑵エヴォシクラ
⑶セヴォークシクラ
⑷ミドシクラ
⑸マイコシクラ
⑹ルーコシクラ
⑺ソニアシクラ

これらの名称は以後何度も変えられたが、現在の人間たちは次のように呼んでおる。
⑴月曜日
⑵火曜日
⑶水曜日
⑷木曜日
⑸金曜日
⑹土曜日
⑺日曜日
(日本語だとちょっと違和感を感じますが)
さて、今言ったように彼らは、週の各曜日を、手で作られたもの、あるいは意識的に構想された表現行為の中のある特定のものに集中的にあてることにした。
すなわち月曜日には第一のグループに集中した。そしてこの日を〈宗教的・社会的儀式の日〉と呼んだ。
火曜日は第二のグループに集中し、これを〈建築術の日〉と呼んだ。
水曜日は〈絵画の日〉と呼ばれた。
木曜日は〈宗教的および大衆的な舞踏の日〉、
金曜日は〈彫刻の日〉、
土曜日は〈秘教儀式の日〉、または〈劇の日〉、
日曜日は〈音楽と歌の日〉と呼ばれた。

月曜日、つまり〈宗教的・社会的儀式の日〉には、第一のグループに属する知識人たちが、前もって伝達用に選んでおいた〈知識の断片〉を、七重性の法則に則った不正確さ、とりわけその儀式に参加する者の合法則的な動きの中の不正確さによって示している種々の儀式を実演した。
例えばある特定の儀式のリーダー、僧侶あるいは現代人の呼び方によれば聖職者が、天に向かって手を上げることになっていると想像してみよう。
この姿勢は七重性の法則に従って、必然的に彼の足がある一定の場所に置かれることを要求する。しかしバビロンの知識人たちは意図的に、この儀式のリーダーの足がこの法則に従って当然置かれるべき場所にではなく、別の場所に置くようにした。
一般的にいうと、このグループの知識人たちは、この宗教儀式に参加する者の動作のまさにこの〈異例さ〉を利用して、普通の〈アルファベット〉と呼ばれるものを使いながら、これらの思想、つまり儀式を通して遠い未来の子孫たちに伝達せねばならぬと彼らが考えた思想を示そうとしたのだ。

火曜日、つまり〈建築術の日〉には、第二のグループに属している知識人たちが、非常に耐久性があると考えられる種々の建造物や構築物のモデルをもってきた。
この場合彼らは、七重性の法則から生じる安定性に完全に依拠することなく、また慣習的な建築方法に機械的に従うこともしないで、別の方法でこれらのモデルを組み立てたのだ。
例えばある種の構築物の天蓋は、いろいろな資料によれば、一定の厚みと強さをもった四本の柱で支えなくてはならない。
しかし彼らはこの天蓋を三本の柱で支え、そして惑星上の重量物を支えるのに必要な、七重性の法則から生じる相互推進力、あるいは〈相互抵抗力〉とも呼ばれているものを、柱からだけでなく、当時の大衆がすでによく知っていた七重性の法則から生じる特異な力の組み合わせからも得たのだ。言いかえれば彼らは、この天蓋を支えるのに必要な柱の抵抗力を、主として天蓋自体の重量が生み出す力から手に入れたのだ。
別の例を挙げよう。ある種の礎石は、様々なデータによれば(これらの資料は長年にわたる実践から機械的に得られたものもあれば、理性をもった人間たちの完全に意識的な計算の結果生まれたものもある)一定の抵抗力を生むだけの強度を必ずもっていなくてはならない。ところが彼らは故意にこの礎石を、今言ったデータに全く合致しないように造って据え、その上に載せられる重量を支えるのに必要な(七重性の法則をもとにして割り出された)抵抗力を、礎石の下にさらに石を据えることによって得るようにした。しかしこれも単に慣例に従ってそうしたのではなく、さらに下に石を据えるその据え方に基づいて計算した結果そうしたのだ。
こうして彼らは、七重性の法則に従って礎石をこのように異例な形に組み合わせることによって(ここでもまた通常の〈アルファベット〉を媒介にして)ある有益な情報を伝えようとしたのだ。
レゴミニズム信奉者クラブのこのグループのメンバーは、さらに〈
ダイヴィブリズカール〉と呼ばれる法則、すなわち密閉された空間内で起きる振動現象の法則を利用して、これらの建築物の小型イメージあるいはモデルの中に、彼らの伝達したいものを組み入れた。
この法則はあの惑星の現在の三脳生物には全く伝えられていないが、その当時の人間たちには非常に馴染み深いものであった。つまり彼らは、密閉された空間の大きさと形、そしてその中に閉じこめられている空気の量は、ある特定の形で生物に影響を及ぼすことをよく承知していたのだ。
この法則を使って彼らは次のように自分たちの考えを伝えようとした。
まずこう考えてみよう。ある一つの建物は、その性格と目的からして、何世紀にもわたる機械的な使用に適するように、七重性の法則に従って、その建物の内部からある特定の感覚が一定の合法則的な順序でもたらされることを必要としている。
そこで彼らは、この
ダイヴィブリズカールの法則を利用して、この建物のモデルの内部を、この建物の中に入る人間の内部にその特定の感覚を呼びさますように造ったのだが、それも誰にも馴染みのある合法則的な順序に従ってではなく、これとは別の順序で呼びさますように造り上げたのだ。
つまりこうして普通合法則的な順序で感じる感覚の順番を変えることによって、彼らは望むものを伝えようとしたのだ。

水曜日、つまり絵画の日は、様々な色の組み合わせの研究に捧げられた。
この日このグループに属す知識人たちは、実演用に、非常に長期間の使用に耐える、色のついた素材でできたいろいろな家庭用品をもってきた。例えば〈カーペット〉や〈織物〉や〈チンクルーアリーズ〉、すなわち何世紀も使用できるよう特別になめした皮に様々な色で描いた絵、といったようなものだ。
彼らはとりどりの色を使って自分たちの惑星の自然の景観や、そこに生息する種々の形態の生物を、これらの工芸品の上に描いたり刺繍したりした。
当時の地球の知識人たちがどんな具合に色を組み合わせて様々な知識の断片を示そうとしたか、その話をする前に、これに関する一つの事実に目を向けておかねばならん。この事実はおまえのお気に入りたちにとっては間違いなく悲惨なものではあるが、それは彼ら自身が作り上げた異常な生存形態ゆえに彼らの体内に生じたものであった。
まず、すべての生物の体内に形成されるべき〈知覚器官〉の形成の質が、彼らの内部で徐々に悪化していったことについて、それから我々にとって現在とりわけ興味深い器官、すなわち宇宙のあらゆる空間から彼らの惑星に届く〈重心振動〉の混合と呼ばれるものを知覚し、識別する器官について話してみよう。
つまりわしはこれから、〈あらゆるものを生起させる源から発する普遍的かつ必要不可欠な振動〉について、つまりさっき話したアクシャーパンジアールという学者が〈白光線〉と呼んだものについて、そしてまた、〈重心振動の混合〉(この混合は生物たちには様々な〈色調〉として識別される)から受ける印象の知覚について話そうとしているのだ。
まず次のことを覚えておきなさい。この惑星地球に生息する三脳生物の中では、彼らの誕生の当初からすでに、すなわち
器官クンダバファーが彼らの体内に植えつけられる前、そして後にこの器官が彼らから完全に取り去られ、それどころか第二トランサパルニアン大変動の後で我々が人間の姿をしてこの惑星を三度目に訪問した時点に至るまで、先ほど話した知覚器官は、〈知覚の感受性〉と呼ばれるものを伴って彼らの体内に生み出されており、しかもこの器官は、我々の大宇宙全体に住む普通の三脳生物の体内に生み出されるものと同種のものであった。
以前、つまり今言った時代には、この惑星上のすべての三脳生物が所有するこの器官は、(白光線の重心振動〉の混合を知覚する感受性と同時に、この惑星上の全存在物のみならず、大小すべての宇宙凝集体が発するあらゆる〈色調〉の三分の一を識別する感受性をもっていた。
客観科学はすでに、〈普遍的かつ必要不可欠な振動から発する重心振動〉の混合、つまり〈色調〉の数は、1〈
ホールタンパナス〉と正確に一致する、つまり地球の三脳生物の計算方法によれば、576万4801の数の色調があることをはっきりと確認している。われらが《すべてを維持する永遠なる主》の知覚だけがとらえうる唯一の色調は別として、この全混合あるいは全色調の三分の一、つまり192万1600の色調は、我々の大宇宙のいかなる惑星の普通の生物でも〈色の違い〉として知覚することができる。
しかしもし三脳生物が彼らの最高次の部分を完成の域にまで高めるならば、彼らの視覚器官は〈
オルーエステスノクニアン〉視覚と呼ばれる感受性を獲得し、そうなると宇宙に存在する全色調の三分の二、すなわち地球での計算法では384万3200にあたる数の色調を識別できるようになるのだ。
そしてさらに、最高次の部分を〈
イシュメシュ〉と呼ばれる状態にまで高めた三脳生物だけが、この全混合と全色調を知覚し、識別できるようになる。ただしさきほど言ったように、われらが《すべてを維持する創造主》のみが知覚できる唯一の色調は別だ。
実をいうと、どのように、またどうして〈
インサパルニアン宇宙凝集体〉の中では、あらゆる種類の形成物が、進展作用および退縮作用のプロセスによって、生物のこの器官に種々の影響を及ぼす特性を獲得するかについては、もっと先になってから詳しく説明しようと思っていたのだが、今この問題にふれておくのも無駄ではないだろう。
まず最初に次のことを言っておかなくてはなるまい。根源的な宇宙法則である
聖ヘプタパラパーシノク、つまりバビロニア時代の地球の三脳生物たちが七重性の法則と呼んでいた宇宙法則が完全に機能した結果、〈普遍的かつ必要不可欠な振動〉は、すでに〈具現化している〉すべての宇宙生成物と同じく、7つの〈結果の複合体〉と呼ばれるもの、あるいは時にはこれらの宇宙の源泉から発する〈七階級の振動〉と呼ばれるものから構成、形成される。そしてその中の一つ一つの振動は別の7つの階級から発し、その活動もそれに依存しており、そしてその各々がまたさらに上の七階級から発し、かつ依存しているという具合で、この関係は、至聖第一源泉から発する最も聖なる〈独自の7つの性質をもつ振動〉に至るまで続いている。そしてこれらが全体となって、全宇宙に存在するすべてのものを生み出すあらゆる源泉から発する普遍的かつ必要不可欠な振動を構成している。そしてこれらの振動が変容することによって、この振動は宇宙の〈インサパルニアン凝集体〉の内部にさっき言った数の〈色調〉を生み出すのだ。
もう何度も約束したように、適当な時を見はからって、世界創造と世界維持に関する最も偉大なる根源的法則を詳しく説明するつもりだが、この最も聖なる〈独自の7つの性質をもつ振動〉についても、これを聞けばよく理解できるようになるだろう。
だから今のところは、これに関して次のことだけを覚えておきなさい。この普遍的かつ必要不可欠な振動、すなわち地球の三脳生物が〈白光線〉と呼んでいるものが、それ固有の存在を伴って、
インサパルニアン惑星の中の、それが変容する〈可能性をはらむ圏〉内に入っていくと、その中では、さらに高次の実現の可能性を有するすでに〈具現化した〉すべての宇宙生成物の場合と同じく、ジャートクロムと呼ばれるプロセスが進行しはじめる。つまり白光線それ自体は一つの存在のままであるが、その本質はいわば解体し、そして別々の〈重心振動〉によってその生成物が進展および退縮するプロセスを生み出し、そしてこれらのプロセスは次のように続いていく。すなわち、重心振動のうちの一つが別のそれから生じ、さらにそれが第三の重心振動へと変容していく、という具合にだ。
この変容の間に、〈普遍的かつ必要不可欠な振動〉、すなわち白光線は、その重心振動を伴って、惑星の内部および表面での生成と解体の中で進行している通常のプロセスに働きかけ、そしてこれらは〈類似の振動〉を有しているために、それらの重心振動はまわりの環境の影響を受けながら混合して、惑星の内部および表面の形成物全体(その中でさっき言ったプロセスが進行しているわけだが)の一部となるのだ。
さて坊や。わしが人間の姿を借りて地球に滞在していた間に、最初はわしの理性が意識的にそうしたわけではないのだが、後になるとはっきり意識的に、すべての人間の体内でこの〈器官〉の退化が進行していることに気づき、ついにははっきりと確認するに至った。
この退化は何世紀にもわたって続いたので、この器官(つまりこれを通して三脳生物の体内に〈外観に対する自動的満足〉と呼ばれるものが起こり、そしてこの満足が自己完成の可能性の基礎となるという、そうした器官)の〈知覚の感受性〉も、我々の五度目の滞在の時、すなわち現代の人間が〈バビロンの栄光〉の時代と呼んでいる時代には、白光線の重心振動の混合を、その白光線のいわゆる〈七層〉と呼ばれるもののうちの最高でも第三段階までしか、つまり343の〈色調〉しか知覚、識別できないほどにまで退化してしまったのだ。
ここで面白いのは、このバビロニア時代のかなりの三脳生物が、自分自身、この器官の感受性が徐々に退化しているのではないか?という懸念を抱き、そのうちのある者は、当時の画家たちを集めて、ある特殊な運動を始める新しい協会をバビロンに設立するということまでやっている。
この時の画家たちの特殊な運動は次のような目的をもっていた。すなわち、〈白と黒の間に存在する色調だけを通して真理を見いだし、明確にする〉というものだ。
それで彼らは、黒と白の間から出てくる色調だけを使って作品を作り上げた。
わしがバビロンでこの特殊な絵画運動のことを知った時には、この運動の推進者たちはすでに、〈灰色〉と呼ばれる色の中に含まれている約1500もの非常にはっきりとした色合いを使って制作していた。
この新しい絵画運動は、少なくとも何かの中に真理を見いだそうと努めていた人間たちの間に〈巨大な刺激〉と呼ばれるものを生み出した。それどころか、これがもとになって別の、もっと特殊な〈運動〉まで生まれてきた。これはバビロンの〈ヌークスホミスト〉と呼ばれる人間たちの間に生まれた。彼らは当時、〈振動の集中の新たな組み合わせ〉と呼ばれるものを研究し、また作り出していた人間たちで、この組み合わせはある一定の仕方で人間の嗅覚に働きかけ、そして彼らの精神全般に確かな影響を及ぼすのだ。つまりこれらの人間たちは、匂いを媒体にして真理を発見しようとしていたのだ。
これに熱中した者のうちの何人かが、さっき話した絵画運動のグループを真似て同種の会を設立し、次のようなモットーを掲げた。〈凍りつくほど寒い時に感じられる匂いと、ものが腐敗するほど暖かい時に感じられる匂いとの間の微妙な差異の中に真理を探る〉。
例の画家たちのように、彼らもこの2つの匂いの間に約700の微妙な違いを嗅ぎ分け、これを使って種々の実験を行った。
我々がそこにいた当時、もし新しく任命された市長が、この第二の新しい〈運動〉のメンバーを罰しなければ、バビロンのこの2つの特殊な〈運動〉がどんな道筋を辿り、またどんな終末を迎えたか、わしには見当もつかん。つまり、それでなくても鋭敏になっている嗅覚で、彼らは市長のいわゆる〈闇取り引き〉なるものを嗅ぎつけ、知らず知らずのうちにそれを明るみに出してしまったのだ。そのため市長はあらゆる手段を講じて、この第二の運動ばかりか、第一の運動にかかわるものまで、ほんの些細なものも含めてすべて禁じてしまったのだ。
さて、さっき話していた彼らの器官、つまり彼らから遙かに離れた宇宙生成物を視覚的に知覚する器官の話に戻るが、その感受性の退化はバビロニア時代以後も続き、我々がこの惑星に最後に滞在していた時には、ついに、彼らが本来知覚し、識別すべき192万1600の〈色調〉の中の、〈白光線の七重の結晶化〉と呼ばれるもののうちの最後から二番目のものから生じたものだけしか、すなわち49の色調しか知覚し、識別する力をもたない段階にまで落ちてしまった。いやそれどころか、この能力をもつ者さえ限られていて、大多数の者はその力さえも奪われていたのだ。
しかし彼らの体内で最も重要なこの部分がどんどん退化していったことに関して一番興味深いことは、これに続いて起こった見るも哀れな茶番劇だ。つまり49という、全体からすれば惨めなほどわずかな数の色調を、それでもまだ何とか識別することのできた当時の三脳生物たちは、優越感を伴った自惚れと誇りという衝動の入り混じったものを心に抱いて、ちょうどこの器官に欠陥をもっている人間たちに対するのと同じように、この惨めなほどの数の色調すら識別する能力を失った者たちを見下し、そして彼らを、〈ダルトニズム〉と呼ばれるものに悩まされている病人と呼ぶようになったのだ。
〈白光線の重心振動〉の最後の7つの混合物は、当時のバビロンと同様現代の人間たちも次の名称で呼んでいる。
⑴赤
⑵橙(だいだい)
⑶黄
⑷緑
⑸青
⑹藍
⑺紫

さて次に、当時バビロンで、さっき話した画家たちのグループに入っていた知識人たちが、当時七重性の法則と呼ばれていた偉大なる宇宙法則に則った不正確さを利用し、今言った7つの独立した色と、それから派生する二次的な色調との混合を使って、いかにしてすでに獲得していた種々の有益な情報や知識の断片を表したかを話してあげるからよく聞きなさい。
〈普遍的かつ必要不可欠な振動〉、すなわち白光線が変容するプロセスがもっているある特性(それについてはさっき話したし、バビロンの学識ある画家たちもよく知っていたが)に従って、その〈重心振動〉の一つ、あるいは自光線に含まれている色の一つは、常にそれ以外の色から出てきてさらに第三の色へと変容する。例えば橙は赤から生じ、そして黄色に変わる、という具合だ。
それで、これらバビロンの学識ある画家たちは、色のついた糸で布を織ったり刺繍をしたり、あるいは出来上がったものに着色したりする際には必ず、縦の線や横の線、それにそれらの交差する斜めの線にも異なった色調を使ったが、それも七重性の法則に従って、このプロセスが実際に進行する合法則的な順序とは違った別のやり方で行い、こうして合法則的な〈別のやり方〉をすることによってあれこれの情報や知識の内容を伝えようとしたのだ。

木曜日、つまりこのグループの知識人たちが〈神聖〉舞踏や〈民衆〉舞踊に割り当てた日には、現存するものを少し変えただけのものや、全く新たに創作したものなど、考えうるかぎりの宗教舞踏や民衆舞踊が必要な解説つきで実演された。
彼らがいかにしてこれらの舞踏の中に伝えたいと思うものを盛りこんだかをはっきり理解するためには、当時の知識人たちはずっと以前から次のことに気づいていたということを知っておかなくてはならん。つまり一般的にいえば、すべての生物の姿勢や動きは、七重性の法則に従って、彼らの身体全体の7つの独立した部分に生じる7つの〈相互均衡緊張〉と呼ばれるものから成り立っていて、そしてこの7つの部分のそれぞれがまた7つの〈動線〉と呼ばれるものから成っており、そしてこの線の一つ一つが7つの〈動的集中点〉と呼ばれるものをもっている。そして今言ったことが、スケールは小さくなっても同様の形と順序で繰り返されて、〈原子〉と呼ばれるすべての物質の最小単位にまで続いているのだ。
というわけで、この舞踏の間、学識ある舞踏者たちは互いに調和のとれた合法則的な動作をしながら、意図的に、これも合法則的な不正確さをある一定の方法で挿入することによって伝えたいと望む情報や知識を示したのだ。

彫刻に捧げられた金曜日には、このグループに属する知識人たちは、〈粘土〉と呼ばれる素材で作られた、当時小型イメージとかモデルとか呼ばれていたものをもってきて展示した。
他のメンバーによく知ってもらおうと彼らがもってきて展示したこれらの小型イメージ、もしくはモデルの多くは、この惑星上に生息するあらゆる生物(彼らに似たものもそうでないものも含めて)の外形をかたどったものであった。
これらの作品の中には種々の〈寓意的生物〉と呼ばれるものも含まれていて、それは例えばある生物の頭部をもち、他の生物の胴体と、また別の生物の四肢をもつものなどであった。
このグループに属する知識人たちは、必要なことすべてを、当時〈次元の法則〉と呼ばれていたものとの関連において使ってもよいと考えた、合法則的な不正確さによって表示した。
次のことも知っておかねばならん。これらの彫刻家たちはもちろんのこと、当時の地球のすべての三脳生物は、やはりあの偉大なる七重性の法則に従って、どの生物のどの部分の次元も二次的な部分の7つの次元から導き出され、同様にそれは二次的な7つの部分から成り、以下も同様に続いていることをすでに知っていたのだ
(さすがに全ては言い過ぎだと思いますが)
これに従えば、ある生物の惑星体全体の中の大きな部分も小さな部分も、他の部分との関係において、正確な比率に従ってより多くの次元、あるいはより少ない次元をもっていることになる。
今言ったことをもっとよく理解するには、三脳生物の顔がいい例になるだろう。
一般的な三センター生物の顔の次元、そして地球上のおまえのお気に入りの三センター生物の顔の次元は、その生物の身体全体の7つの基本的な部分の次元から生じたものであり、また顔のそれぞれの部分の次元も、顔全体の7つの異なった次元から生じたものである。例えばいかなる生物でも、鼻の次元は顔の他の部分の次元から必然的に出てくるし、またこの鼻の上には7つのはっきりしたいわゆる〈表面〉が形成されているが、これらの表面もまた、顔の原子そのものに至るまで、7つの合法則的な次元をもっており、そしてこの原子が、今話したように、惑星体全体の次元を構成する7つの独立した次元の一つなのだ。
これらの合法則的な次元から外れることによって、バビロンのレゴミニズム信奉者クラブの学識ある彫刻家たちは、すでにもっている種々の有益な情報や知識の断片を後世の人間たちに伝えようとしたのだ。

土曜日、つまり秘教儀式の日、あるいは劇の日には、このグループの学識あるメンバーが出し物を演じたが、これは実に興味深く、またいわゆる一番〈人気の高い〉ものであった。
わし自身もこの土曜日が他のどの日よりも好きで、一度も見逃さないようにしていた。わしがこのグループの知識人たちによるこの日の上演を好んだのは、この上演がしばしばこのクラブのあるセクションにいる三センター生物すべての間に実に自然な心からの笑いを引き起こし、そのため、時としてわしは自分がどの種の三センター生物の間にいるのか忘れてしまうほどで、しかもそのためにわしの中でも、わしのような単一本性の生物に特有のこの衝動が起こったからなのだ。
このグループの知識人たちはまず、クラブの他のメンバーの前で様々な形態の経験や表現行為を演じてみせた。次に、演じたもの全部の中から、すでに存在している秘教儀式や彼ら自身が作り出した儀式の中の様々な細かい部分に相当するものを選び出し、そしてその後で初めて、七重性の法則の原理から意図的に外れることによって、彼らの再現したこれら諸々の経験や表現の中で彼らの望むものを示したのだ。
ここで次のことに注意する必要がある。つまり遙か以前には時として、多くの教育的観念を含んだ秘教儀式がたまたま機械的にある世代に伝わり、また時にはかなりの世代を経た後世の人間にまで伝わることもあったが、現在ではこれらの秘教儀式、つまりレゴミニズム信奉者クラブの学識あるメンバーが遙か後世の人間に伝わるように計算して種々の知識をその中に意図的に組みこんだ秘教儀式は、ほとんど完全に消滅してしまっている。
何世紀も前には人間の通常の生存プロセスに組みこまれていたこれらの秘教儀式は、バビロニア時代の直後には早くも徐々にではあるが消滅し始めた。最初これは、〈
ケスバージ〉と呼ばれるもの、つまり現在ヨーロッパ大陸で〈人形劇〉(ペトルーシュカ)と呼ばれているものに取って代わられたが、もっと後になると、今なお存続している〈劇場演芸〉あるいは〈見世物芝居〉がついにこれを追放してしまったのだ。この〈劇場演芸〉は彼らの現代芸術の一形態として定着したが、これは彼らの精神の進行性〈委縮〉のプロセスにおいてとりわけ有害な影響を及ぼしておる。
これらの〈見世物芝居〉は、現代文明の初期の人間たち、すなわちバビロンの学識ある秘教儀式執行者たちがいかに、また何を行なったかについて〈10分の5〉の知識しか伝えられていない現代人がこれを真似しようと考え、まあいうなれば同じことをやり始めるようになって以来、秘教儀式の地位を乗っ取ってしまったのだ。
この時以来人間たちは、この秘教儀式執行者を真似る者を〈演技者〉とか〈喜劇俳優〉とか〈役者〉などと呼ぶようになり、今では〈芸術家〉とまで呼んでいるが、こういった連中が近年続々と現れておる。
しかしこの当時の秘教儀式執行者のグループに属していた知識人たちは、この儀式を執り行なう者の〈連想的動作の流れ〉と呼ばれるものを使って彼らの所有する種々の有益な情報や知識を示したのだ。
この惑星の三脳生物は当時すでにこの〈連想的動作の流れ〉の法則をよく知っていたが、現代の三脳生物にはこの法則に関する知識は全く伝わっていない。
この〈連想的動作の流れ〉は他の三脳生物の体内では流れているのが普通だが、おまえのお気に入りの三脳生物の体内では全く流れていない。が、これには彼らに固有の全く特殊な理由がある。これについてもっと詳しく話してみよう。
このプロセスは我々の内部で進行しているものと同じものだ。ただ我々の内部では、体内のすべての機能が、様々な活動を伴う生存に必要な種々のエネルギーを、意志によって妨げられることなく自由に変容できるよう我々が意図的に休息をとる時にこのプロセスが進行するのに対し、彼らの内部では、これら種々のエネルギーは彼らが完全に活動を停止している時、すなわち彼らが〈睡眠〉と呼んでいる間にだけ生まれてくるのであり、それももちろん、〈どうにかこうにか〉生まれる、という状態なのだ。
我々の大宇宙のあらゆる三脳生物と同様、彼らも3つの独立した霊化された部分をもっていて、その全機能が集中している中枢部位を彼らは〈脳〉と呼んでいる。そしてすべての印象は、外部から入ってきたものであろうと内部で生じたものであろうと、その性質に応じてそれぞれの脳に別々に知覚される。その後(これも脳組織の違いに関係なくあらゆる生物の体内で当然起こることだが)これらの印象は以前受け取った印象と混じり合って一個の全体を構成し、そして折々のショックの助けを借りて、それぞれの〈脳〉の中に独立した連想を引き起こすのだ。
そういうわけでだな、坊や。おまえのお気に入りたちが彼らの体内で〈
パートクドルグ義務〉(これが何らかの成果を結んで初めて人間は、種々の連想からいわゆる健全な〈比較思考活動〉や意識的・能動的な表現行為の可能性を引き出すことができるのだが)を果たすのを完全にやめた時以来、そしてまた、今では全くバラバラに連想を行なう彼らの個々の〈脳〉が、彼らの体内の異なった源泉から3つの別々の衝動を生み出すようになって以来、彼らは徐々に、いわば3つの人格をもつようになり、しかもその3つは、欲求や興味に関するかぎりお互いに全く何の共通性ももっていないのだ。
おまえのお気に入り、とりわけ近年の彼らの一般的な精神構造の中に生じたすべての異常の半分以上は、次の三点に起因している。まず第一に、彼らが体内に三種の独立した連想プロセスをもっており、そのプロセスが、種類も性質も異なる3つの部位に刺激を与えること。第二には、あらゆる種類の三脳生物において通常そうであるように、彼らの中のこれら3つの異なった部位の間には、いわゆる〈身体機能〉のために大自然があらかじめ定めた結びつきがあること。そして第三には、知覚し、感じ取ったすべてのもの、すなわちあらゆる種類のショックから生まれる三種類の印象が生み出す連想がこの3つの部位の中で進行し、その結果彼らの体内に3つの全く異なる衝動が呼びさまされること。以上のことから、彼らの内部ではほとんどいつも数多くの経験が同時に進行しており、おまけにその経験の一つ一つが彼らの身体全体にそれに呼応する表現をとりたいという気持ちをかき立て、そして身体のある特定の部分が許す範囲内でその呼応する動作が実際になされるのだ。
今言った異なる源泉から生じる連想的動作は、ここでもやはり七重性の法則に従って次々に生じつつ、彼らの体内で進行していくのだ。
当時バビロンのレゴミニズム信奉者クラブのこのグループに属していた知識人たちは、次のような方法で秘教儀式執行者の動きや演技の中に彼らの望むものを表示した。
例えばある秘教儀式において、ある執行者が自分の役割を果たすために、合法則的な連想に従って自分のどれか一つの〈脳〉の中に、ある新しい印象を生み出したと考えてみよう。すると彼は必然的に、ある特定の表現あるいは動作でもってこれに反応せざるをえない。しかしここで彼は、必然的にとらざるをえない形とは違ったふうに、つまり意図的に七重性の法則に従わないような表現あるいは動作をしようとするのだ。このような〈ズレ〉を生み出すことによって、彼らは後世に伝えなければならぬと考えたものを挿入したのだ。
さて坊や。わしは当時の激務を逃れるためにいつも喜んでこの土曜日の上演を見にいったものだが、この上演が具体的にどのような形でなされたのかを説明するために、これら学識ある秘教儀式執行者たちが、レゴミニズム信奉者クラブの他の学識あるメンバーの前でどんなふうに様々な経験や表現を連想の流れに従って演じたか(後世に伝わっている秘教儀式はこれの断片にすぎない)その実例を挙げてみよう。
上演に先立って、彼らはクラブの大きな集会場の中に〈真実反映台〉という名の特別に高くした場所を造った。後世の人間たちはバビロンの学識ある秘教儀式執行者のこの行為を伝承で偶然知り、同じようなものを真似て造り、これを〈舞台〉と呼んだが、この名称は今も残っておる。
さてそれから、まずいつも二人の演技者がこの〈真実反映台〉あるいは舞台に上り、そして通例そのうちの一人がしばらくそこに立ったまま、彼自身のいわゆる
〈ダーテルラストニアン〉状態、つまり彼自身の内部の〈連想的・一般的・精神的・諸経験〉とも呼ばれることのある状態に、いわば耳を傾けるのだ。
こうして耳を傾けながら、彼は例えば次のようなことを理性に明確に刻みこむ。すなわち、連想から生じる諸経験の総和が、ある人間の顔を殴りたいという差し迫った欲求という形で出てくる。つまり、ある人間の顔を見ると決まって彼の中で一連の印象が湧き起こるのだが、その印象はそれまでずっと彼の自己意識を苛立たせる不快な気分を彼の心理全体の中で引き起こしてきたものである、という具合にな。
そこで次のように考えてみよう。彼が当時〈
イロドハフーン〉と呼ばれていた人間、つまり現在〈警官〉と呼ばれる職業に就いている人間を見るたびに、彼の中でこういった不快な気分が生じたとする。
ここで彼は、この
ダーテルラストニアン心理状態と自分の欲求とを理性で明瞭に見極める。と同時に、一方では、外的な社会生活の現状では自分のこの欲求を完全に満たすことは不可能だということを十分にわきまえ、一方では自分はすでに理性によって完成されており、また自分の身体の他の部分の自動的機能にも依存していることを十分に承知した上で、彼のまわりの者にとって非常な重要性をもつ彼自身の義務の遂行はこの欲求の満足いかんにかかっているということをはっきり理解する。こんな具合にすべてを考えつくした上で、この突き上げてくる欲求をできるかぎり満たすために、あのイロドハフーンに、少なくとも〈道徳的な傷〉を負わせてやろうと、つまり彼の内部に不快な気分を誘発する連想を引き起こしてやることに決めるのだ。
以上の目的をもって彼は舞台に上ったもう一人の知識人の方を向き、彼を
イロドハフーン、あるいは警官として扱いながら次のように言う。
『おい君! 君は自分の義務を心得ておるのかね? いったいあれが見えないのか?』と言いつつ、その日の上演の他の参加者の楽屋になっているクラブの小部屋を指差す。
『二人の市民、〈兵士〉と〈職人〉があそこの道で喧嘩をして公共の平和をかき乱しているというのに、君は自分を主人公に(それが誰かは神のみぞ知りたもうだ)仕立てた白昼夢にふけりながら優雅に散歩としゃれこみ、通りすぎていく実直で尊敬すべき市民の奥様方に流し目をくれたりしているではないか! ちょっと待て、このならず者! この町の名だたる名医である私の上司を通して、君の上司に君の職務怠慢を報告してやる!』
こう言うが早いか彼は医者になる。たまたま自分の上司をその町で最も権威ある医者にしてしまったからな。一方、彼に警官と呼ばれたもう一人の知識人は警官の役になり、直ちに楽屋から別の二人の知識人を呼ぶ。そしてこの二人がそれぞれ職人と兵士の役につく。
呼ばれて登場したこの二人の知識人はこの2つの役、つまり兵士と職人の役を演じなくてはならなくなったが、それというのもただ、最初の知識人が自分の
ダーテルラストニアン状態に従って医者の役につき、そして彼らをそれぞれ兵士、職人と呼んでしまったからだ。
そこでこの三人の知識人、つまリ最初の知識人に馴染みのないタイプの役を、すなわちおまえのお気に入りたちが〈未知の役〉と呼んでいる、ここでは職人と兵士と警官の役を即興的にふりあてられた三人は、その役にふさわしいあらゆる知覚と行為を法則に従って表現することを期待されたわけだ。そこで彼らは自分にとっては新しい経験を作り出し、さらにそれをもとにして、彼らの中の〈
イクリルタズカクラ〉と呼ばれる特性を利用して真実を反映する表現を生み出した。この特性も当時の地球の知識人にはよく知られていた。つまり彼らはすでに、この特性を実際に使うことができるまでに自己の身体を完全なものにする能力を具えていたのだ。
3つのセンターをもつ生物はこの
イクリルタズカクラと呼ばれる特性を獲得できるが、ただしそれは、それ以前に当の個人が自分の体内に〈エッソアイエリトゥーラスニアン意志〉と呼ばれるものを獲得している場合に限られる。そしてこの〈意志〉は、あの〈パートクドルグ義務〉、すなわち意識的努力と意図的苦悩によってのみ得ることができるのだ。
というわけで、当時のバビロンの秘教儀式執行者グループの知識人たちはこんな方法で未知の役を演じ、他のメンバーに、十分な知識を具えた理性の指示に従って生み出される諸経験と、それから出てくる行動とを実演してみせたのだ。
その後で彼らは、前に話したように、このレゴミニズム信奉者クラブの在席メンバーとともに、今言ったような形で示された諸衝動の中から彼らの目的にかなうものを選び出したのだが、選ばれる諸衝動は、様々な源泉から発する連想の流れの法則に従って、その人間の明確な行為の中で実際に経験され、表現されたものでなくてはならなかった。そしてその後で初めて、選び出したものを適当な秘教儀式の細部に組みこんでいったのだ。
ここで是非とも強調しておかなくてはならないが、当時バビロンのこの秘教儀式執行者グループに属していた三脳の知識人たちは、彼らには馴染みのない種々のタイプの知覚や表現行為を、細部に至るまで驚くほど見事に、また的確に演技の中で再現したのだ。
彼らがこういったものを実に的確に再現できたのは、前に言ったようにただ彼らが
イクリルタズカクラという特性を所有していたためだけでなく、当時の地球の知識人が〈タイプの法則〉と呼ばれるものをよく知っており、自分たちの惑星の三脳生物は究極的には27のはっきりしたタイプに分類されること、そしてまた、どのタイプは何をどのように知覚し、また表現するかを熟知していたからだ。
ここでイクリルタズカクラと呼ばれる特性についてもう少し話しておかねばなるまい。実はこの特性だけが、様々な衝動や刺激、すなわち彼らの脳の中を流れている連想(この連想は、彼らの中にすでに存在している一連の印象を彼ら自身が意識的に動かした結果生じたものだ)によってある時体内に引き起こされた衝動や刺激を、一定の限界内に抑制する能力を人間に与えることができるのだ。そしてまた、あるタイプの心理を前もって十分に研究しておいたならば、そのタイプに会った時にその心理の細部に至るまであらゆることを見抜くことができ、しかもそれに似せて自分を表現できるばかりかそれに完全になりきることさえできるが、それもまさにこの特性のおかげなのだ
わしの見るところでは、おまえを魅了してしまった惑星地球の三脳生物の異常さの大半を生み出し、その結果彼らがあんなにも奇妙な精神をもつに至った理由は、まさにこの特性の欠如にあると思う
次のことも知っておかねばならん。現代の三脳生物の体内では、一般にあらゆる三脳生物と同様に、新しい印象はすべて〈類縁性〉と呼ばれるものに従ってそれぞれ3つの〈脳〉に蓄積され、その後、すでに脳に記録されている印象と一緒になって、3つの脳の中に喚起された連想に加わる。言いかえると、その時その時の彼らの体内の〈重心衝動〉と呼ばれるものに従って、新たな知覚が引き起こす連想に関与するのだ。
そこでだ、坊や。おまえのお気に入りの現代の人間たちの体内でも同様に三種の独立した連想が常に流れ続けており、それが一方では様々な衝動を喚起している。また同時に、彼らはとっくの昔に、さっき話した特性を獲得する唯一の手段である宇宙生成物を体内で意識的に生み出すことを完全にやめてしまっている。これらのことを考えあわせると、必然的に、おまえのお気に入りたちが生存期間中に所有している身体は、前にも言ったように、いわば3つの全く分離した人格から成り立っているということになる。つまりこの3つの人格は、生まれにおいても表現行為においても、互いに何一つ共通性がなく、またありようもないのだ。
その結果次のようなことが起こる。つまり彼らの内部には、その身体の特殊事情が常にあり、それで彼らの本質の一部はいつもあることをやりたがっているのに、同時に別の部分は全く別のことをやりたがる。おまけに第三の部分があるために、彼らはもうすでにそれらとは全然違ったことをやり始めているといったあんばいだ。
彼らの精神の中で起こっていることを要約すれば、われらが親愛なる師、ムラー・ナスレッディンが〈ごちゃまぜ〉という言葉で表したものにぴったり一致する。
当時のバビロンの、この秘教儀式執行者グループに属している知識人たちの上演についてもう少しつけ加えておこう。彼らが実演している間に、その仲間は、やはり連想的な種々の自然発生的な出来事によって徐々にこの実演に加わっていき、演技者の人数が増えていった。
またそれとは別に、自分とは全く違ったタイプの人格に特有な知覚とそれに呼応する自動的表現行為を演じるという役をたまたまある偶然によって自分にふりあてられた者は、それを演じつつ同時に、何かもっともらしい口実をつけて、その役にふさわしい衣装に着替える時間を作り出さなければならなかった。
彼らはふりあてられた役をいっそう明瞭かつ印象深く演じるために衣装を変えたのだが、そのおかげで、このレゴミニズム信奉者クラブの知識人のうち、ここに出席して未来の秘教儀式用にいろいろな部分をチェックし、選りすぐっていた者たちは、いっそうよく実演が理解でき、それゆえ最上の選択をすることができたのだ。

日曜日、すなわち音楽と歌とに捧げられた日には、このグループに属す知識人たちは、まず声や音を出す様々な器具を使ってあらゆる種類の〈メロディ〉と呼ばれるものを作り出し、それからどんなふうに彼らの望むものをその中に挿入するかを他の知識人たちに説明した。
彼らもまた、この〈メロディ〉が代々受け継がれて遠い未来の人類に届き、そして彼らがこれを解読して、地球上の過去の世代が獲得した知識がその中に込められているのを発見し、それを自分たちの日々の生活に有益に役立てるであろうことを期待して、彼らのこの創作を様々な人間たちの慣習の中に定着させることを意図していた。
このグループの知識人たちがどんなふうにしてこの〈音楽〉作品や〈声楽〉作品の中に自分たちの望むものを挿入したかがはっきり理解できるように、まずあらゆる種類の生物の身体に見られる聴覚器官のある特殊な性質について説明しておこう。
特殊な点はたくさんあるが、その中に〈
ヴィブローチョニタンコ〉と呼ばれる特性がある。
まず知っておかなくてはならんのは次のことだ。生物の脳の中には、客観科学で〈
フロディストマティキュールズ〉と呼ばれる部分があるが、おまえのお気に入りの惑星の〈学識ある医者たち〉はこのうちのいくつかを〈脳神経節〉と呼んでいる。この部分は〈ニリオーノシアン振動結晶体〉と呼ばれるものから形成されているが、一般的にこの振動結晶体は、生物の完成された身体の中で、その聴覚器官がとらえたすべての知覚プロセスの結果生じる。ひとたび生じるとこのフロディストマティキュールズは、同種のものではあるがまだ結晶化していない振動から受ける影響によって機能しつつ、脳の中の呼応する部位に、今言ったヴィブローチョニタンコ(これはまたの呼び名を〈悔恨〉という)を呼びさますのだ。
大自然の先見の明のおかげで、この
フロディストマティキュールズは、生物の体内からいかなる衝動も生じないとか、あるいは外部から来るショックが脳に達しないといった場合でも、連想のプロセスが生ずるのを助ける真の因子として機能している。
一般にまだ結晶化していない〈
ニリオーノシアン振動〉は、あらゆる種類の生物に見られる〈声帯〉と呼ばれるものから、あるいは生物が発明した人工的な〈音声製造器〉から生じ、その後生物の体内に入っていく。
こういったものから発生したこの振動が生物の体内に入ると、いずれかの脳の中の
フロディストマティキュールズにふれ、そして身体全体の全般的機能に従ってこの〈ヴィブローチョニタンコ〉のプロセスを引き起こすのだ。
聴覚器官の機能の第二の特殊性は次のようなものだ。一般的に、様々なメロディのもつ音の連続から生じる振動によって、生物の体内の3つの脳のどれか一つの中で通常ある連想が引き起こされる。するとその瞬間その脳の中で、〈過去の経験の惰性〉と呼ばれるものが増大し、そしてその経験に対してかき立てられた一連の衝動が自動的な順序で進行し始める。
当時のバビロンの学識ある音楽家や歌い手たちは、音の一連の振動が生物の中に一連の連想を、そしてひいては経験に対する衝動を呼びさますようにメロディを組み立てたが、もちろん通常の自動的な順序でではない。つまり一連の振動が生物の体内に入る時に、
フロディストマティキュールズの中でヴィブローチョニタンコを呼びさますように組み立てたのだが、それも一つの脳の中だけでなく(ちなみに通常これはある一つの脳の中だけで生じ、そのためその脳が生み出す連想がその人間全体を支配してしまうのだ)、今はこの脳の中で、次は別の脳で、また次は3つ目の脳でヴィブローチョニタンコが起きるように作り上げた。こうして彼らは、脳に影響を与える音質、あるいは彼ら流にいえば音の振動数を生み出したのだ。
そればかりか彼らは、生物のどの脳の中で、どんな振動からどのようなデータが生じ、そしてそのデータがどんな種類の新しい知覚にとっていわゆる〈結果決定要因〉となるのか、ということまですでに熟知していた。
彼らが生み出したこれらの連続音は生物の体内で同時に作用して様々な種類の衝動を生み出し、それが種々の相対立する感覚を呼びさます。そしてこれらの感覚が彼らの中に極めて珍しい経験や反射的運動を引き起こすのだ。
いいかね、坊や。彼らが生み出した連続音がこれらの生物の体内に入っていくと、本当に恐ろしいくらい彼らに影響を及ぼしたのだ。
何しろ、彼らならさしずめ別の鋳型で造られたとでも呼ぶであろうこのわしでさえ、これを聞くと実に様々な衝動が体内に生じ、しかもそれまで経験したこともないような順序で変化していったのだからな。
なぜこんなことが起こったのかというと、彼らがある一定の順序で組み合わせたメロディの音がわしの体内に入ってくると、その音の中で
ジャートクロムが進行し、あるいは別の言い方をすれば、音が〈種類別に選別され〉、それぞれ違った原因から生じた3つのフロディストマティキュールズ全部に均等に働きかけ、その結果、わしの3つの独立した脳の中で進行していた連想、つまりこれと同種の連想と等しい強さで同時に進行してはいるがそれぞれに違った性質をもつ一連の印象を伴った連想が、わしの体内で3つの全く違った刺激を生み出したからなのだ。
一つ例を挙げてみよう。この音がわしの体内に入ってきた時、わしの意識の座の一つ、つまりおまえのお気に入りたちが〈思考センター〉と呼んでいるものがわしの体内に歓喜の衝動を生み出し、そして第二の座、つまり〈感情センター〉が〈悲哀〉と呼ばれる衝動を生み出し、さらには身体そのものの座、つまりおまえのお気に入りたちが〈動作センター〉と呼ぶものが〈敬虔〉と呼ばれる衝動を生み出したとする。
つまり彼らは、こういった衝動、すなわち音響的あるいは音声的に表現されたメロディが生物の中に生み出す通常経験しないような衝動を通して、重要な知識を後世に伝えようとしたのだ。

さあ、坊や。現在地球上で広く知れ渡っている芸術なるものについてこれくらい話せば、おまえにも、わしがこの惑星に五度目に滞在した時に、この芸術の誕生の原因となった出来事を目撃した経緯や、おまえのお気に入りの現代人たちが〈バビロニア文明〉と呼んでいる時代に、どんな意味合いでこの言葉が最初に使われたかが十分に理解できただろう。
そこでわしは次の話に移ろうと思う。これを聞けばおまえは、お気に入りの三脳生物の〈論理的思考活動〉があれほどの短期間にいかに甚だしく損なわれてしまったかがいくぶんなりと理解できるだろう。実際その劣悪化の程度は甚だしく、そのため彼らはいわゆる〈不変的個人性〉を完全に失って、彼らの間から登場してきた〈ならず者〉と呼ばれる少数者の奴隷に嬉々としてなってしまった。そして〈良心〉という聖なる衝動を完全に失ってしまったこの〈ならず者〉たちは、全く利己的な目的のために、彼らの代までたまたま伝わってきたこの芸術という〈空語〉を利用して、人間が〈意識的存在〉を得るのに必要な、いまだかろうじて残っていたデータをことごとく打ち砕き、最後のとどめを刺す〈成功間違いなしの要素〉をでっちあげたのだ。
この惑星に六度目の、つまり最後の滞在をしていた時、わしはあちこちでこの現代芸術なるものについて話を聞き、またそのなれの果てを見もした。そこでわしは、これはいったい何が起こったのかと自問せずにはおれなかった。わしは昔のバビロンの友人たち、そして彼らが子孫に対して抱いていた善意を思い出した。そしてこのような結果を見る機会に接して、これまでずっと話してきたような、偶然この目で見た出来事からいかなる結果が生まれたかをはっきりと認識したのだ。
そこでおまえに、これまで誰にも話さなかった彼らの現代芸術に関するわしの印象を話そうと思うが、この印象は、わしがこの惑星に最後に滞在した時に意識的に知覚したものから得たもので、わしの身体の中にすっかり定着してしまった。これを話すにあたって、わしの中の〈私〉は、深い後悔の衝動が湧き上がってくるのを感じながら、次のことを声を大にして言っておかなくてはならん。バビロニア文明時代の人間がすでに獲得していた知識の断片(断片とはいえ膨大な量の知識を含んでいたことは認めなくてはならんが)のうち、中身の空っぽないくつかの〈空語〉は別として、彼らの通常の生存を益するようなものは実に何一つとして現代文明に生きる人間たちには伝わらなかったのだ。
いやいや、あのレゴミニズム信奉者クラブの知識人たちが
聖ヘプタパラパーシノクの法則、彼ら流にいえば七重性の法則を利用して、合法則的な逸脱によって彼らに伝えようとした、すでに地球上で知られていた普遍的な知識の種々の断片が何一つ彼らに伝わらなかったばかりではない。それどころか、この2つの文明期の間に、彼らの沈思黙考能力はあまりにひどく衰えてしまったので、今や彼らはそのような全宇宙的な法則が自分たちの惑星に存在していることを知りもしなければ、そんなことを考えてみようとさえしなくなってしまった。
おまけに彼らの奇妙な理性のおかげで、この2つの文明期の間に、この芸術という言葉そのものの上に、彼らが〈悪魔しか知らないもの〉と呼んでいるものがうず高く〈堆積〉してしまった。この言葉に関して特別の調査をした結果、次のことが判明した。当時の知識人たちが使っていた言葉や表現の中でも、特にこの言葉は世代から世代へと自動的に伝わっていくようになり、そのうち偶然に、ある三脳生物たちの使う語彙の中に入りこんでしまった。すると彼らの体内では、種々の環境条件に応じて、
器官クンダバファーの特質から生じるものが〈相互反応〉をしながら一定の順序で結晶化し始め、その結果ハスナムス個人の存在を形成するためのデータが生じやすくなってしまったのだ。そのためこの言葉は何らかの理由でこの種の三脳生物をいたく喜ばせることになり、そこで彼らはこれを自分たちの利己的な目的のために使い始めた。そして徐々に、ほかならぬあの例のもの、つまり今も昔もいわば〈完全なる虚無〉から出来上がっているにもかかわらず、徐々に妖精のような外観をまとい始めたあのものをでっちあげていった。そして現在これが、おまえのお気に入りたちの中でも、それに少しでも注意を払う者たちをみな〈盲目〉にしてしまっているのだ。
当時バビロンで、レゴミニズム信奉者クラブのメンバーの知識人たちが議論の中で使っていたこの芸術という言葉以外にも、かなりの数の言葉が、いや言葉ばかりでなく、その当時には明瞭に理解されていた事柄に関するいわゆる〈あやしげな観念〉までもが、世代から世代へと自動的に継承されていった。
現在、演劇という名称で地球上に存在しているものは、名称の点からも戯画的模倣という点から見てもこの〈あやしげな観念〉の中に含まれていた。
覚えていると思うが、わしは前に、バビロンの秘教儀式執行者のグループに属している知識人たちの行なっていた演技自体も、またそれが行われた会場も共に〈シアター〉と呼ばれていたと話した。
そこでわしはこれから、彼らのこの現代演劇なるものについてもう少し詳しく話そうと思う。これを聞けばおまえは、まず第一に、バビロニア時代の知識人たちの善き意図と努力とがいかなる実を結んだかについて、また第二には、真の知識に関してすでに獲得されていたものが、あの〈バビロニア時代〉から、さっきも言ったように芸術が妖精のような外観でおおい隠されてしまった現代〈ヨーロッパ文明〉なるものへと下っていくにつれて、いったいいかなるものに変容していったかということについて、深い洞察を得るのに十分な材料を手にするだろう。そして第三には、かの有名な彼らの現代芸術なるものがいかに有害であるか、その側面のいくつかを感じ取ることだろう。
レゴミニズム信奉者クラブの学識あるメンバーであるこの秘教儀式執行者たちのグループの活動に関する情報は、さっきも話したように、ほんのわずかだけ現代の人間たちにも伝わってきた。そこで彼らはこの分野でもそれを模倣しようと考えて、この目的のために特別な会場を建設し、これも同じように〈劇場〉と呼んだのだ。
現代文明の中で生息している三脳生物は、実に頻繁に、またかなりの人数が、ごく最近になって〈俳優〉と呼ばれるようになった者たちの行なう、練習を積んだ多種多様な表現を観察するために、いや恐らくは研究するために、この劇場なるものに参集する。その昔バビロンで、レゴミニズム信奉者クラブのメンバーが秘教儀式執行者グループの知識人たちの上演を研究したのととてもよく似ている。
今ではこの劇場なるものは、おまえのお気に入りたちの通常の生存プロセスの中で最大級の重要性をもつものになっており、そのため彼らはほとんどの現代都市に、一番立派な建築物と呼べるようなとりわけ巨大な建物を演劇用に建てたのだ。
ちょっとここで、〈芸術家〉という言葉に関する彼らの誤解について話しておくのも無駄ではないだろう。いや、実は話さずにはおれないのだ。それというのも、この言葉もやはりバビロニア時代から現代のおまえのお気に入りたちに伝わったものだが、ただこれは他の言葉とは違ったふうに伝えられた。つまり何の意味もない単なる空語としてではなく、当時使われていた言葉の意味の一部を伴って伝えられたのだ。
ここでぜひ知っておかねばならんのは、当時のバビロンの知識人たち、つまりレゴミニズム信奉者クラブのメンバーたちが、彼らに好意的な他の知識人たちから、彼らが自分たちを呼ぶのと同じ呼び方で、すなわち現代の人間たちならば〈Orpheist〉(オルフェウス教徒)とでも書き記すであろう呼び名で呼ばれていたということだ。
この言葉は当時使われていた2つのはっきりした意味をもつ言葉に由来していて、それは現代では〈公正〉と〈本質〉という意味に相当するだろう。つまり誰かがこの名で呼ばれているとすれば、その人間は〈本質を正しく感じ取っている〉ということを意味していたのだ
バビロニア時代以後もこの表現はほとんど同じ意味で代々自動的に継承されていった。ところが約二世紀前にある人間たちが、これまでに話したデータ、とりわけあの芸術という〈空虚な〉言葉に関して偉ぶってあれこれと理屈をこね始め、それと同時に様々な〈芸術の流派〉なるものが生まれ、誰も彼もが自分はそのうちのどれかに属していると思うようになった。当時彼らはこの言葉の真の意味など全く理解しておらず、また何よりも、当時この芸術諸流派の中に〈オルフェウス〉なる人物(これは古代ギリシア人が造り出した人物で、現代の人間たちもそう呼んでいる)の流派があったために、彼方は自分たちの〈天職〉をもっとはっきり区別するために新しい言葉を造ることに決めたのだ。
そういうわけで、彼らはこのオルフェウス教徒という表現のかわりに芸術家という言葉を造り出した。これは〈芸術に従事している者〉という意味だ
今話した誤解から後々生じた様々なことをよく理解するためには、まず次のことを知っておかねばならん。地球上の
第二トランサパルニアン大変動以前は(この時代にはおまえのお気に入りたちもまだ正常な責任ある生活を営んでいたのだが)彼らは、大宇宙に生存するあらゆる三脳生物と同様に、〈会話〉と呼ばれるもの、すなわち相互の意思疎通のために、適切な子音を自分の中で思い通りに生み出すことによって、351もの明確に区別されたいわゆる〈アルファベッ卜〉の数だけ子音を発音することができたし、また現にそうしていた。
しかし時代が下って、いつもながら彼らが自ら生み出した異常な生存状態のために、三脳生物に固有のあらゆる種類の特質が徐々に消滅していくにつれて、今話した彼らの〈能力〉も衰退していった。バビロニア時代の人間たちでさえもうすでに77の子音しか使えなくなっていたのに、この時代以後の衰退の速度はさらに増して、五世紀後の人間たちは最大限で36〈アルファベット〉しか使えず、それどころかいくつかの共同体では、それっぽっちの数の明瞭な音さえ発音できなかったのだ。
そういうわけでだな、坊や。バビロニア時代に関する知識の継承は、いわゆる〈口伝〉ばかりでなく、耐久性のある材質の上に記された印、つまり地球流の言い方をすれば〈銘刻文〉(これは〈明瞭に区切られた音〉を表わす慣習的な記号でできているのだが)によってもなされたのだ。そして現代文明が始まろうとする頃、幾人かの人間たちが〈バラバラの断片〉からこれを解読しようとしたが、そこに記されている文字の多くは彼らには発音も発声もできないことに気づき、そこで〈文字化した折衷案〉なるものを造り上げた。
この文字化した折衷案というのはどんなものかというと、彼らは、意味はわかっても発音できない記号や文字のかわりに、その時代に自分たちが使っていたアルファベットの中の、かろうじてそれとの類似性を認められる文字を使うことに決めた。そして、その文字は本来の文字そのものではなく、本当は全く別のものであることを示すために、常にその文字の横に古代ローマ人の文字を書き足したのだ。これは今でも残ってはいるが、すでに全く意味はなくなっている。例えば英語の〈h〉、現代フランス語の〈ahsh〉等だ。
この時以後、他のおまえのお気に入りたちも同様に、これらの疑わしい文字全部にこのローマ人の〈遺産〉をつけ加えるようになった。
この文字化した折衷案が創案された当時、彼らは約25のこういった疑わしい文字をもっていた。ところが時が経つにつれて、ということは、ますます彼らが偉ぶって理屈をこねるようになるにつれて、彼らの発音能力はさらに衰え、それにつれて、この〈能力〉を補うために苦心して発明したこうした文字の数も減少し、芸術家という語が造り出された時にはたったの8つしか残っていなかった。そしてこの悪名高い〈h〉の前に、ある者は古代ギリシア語から、ある者は古代ラテン語から取ってきた文字をくっつけて次のように表記した。すなわち〈th〉〈ph〉〈gh〉〈ch〉〈sch〉〈kh〉〈dh〉、そして〈oh〉だ。
先ほど話した誤解が生まれる土台となったのは〈ph〉という折衷記号であった。
その理由は、この記号が、あの学識ある秘教儀式執行者たちの呼び名の中に出てくるためであり、また同時に、古代ギリシア人が創造したある人物を表す言葉の中にも出てくるためだ。先ほど話したように、この大物の名前は当時存在していた芸術の一流派と結びついておった。以上の結果、
当時の地球の芸術の代表者たちは、すでに完全に萎縮してしまっていた理性でもって、この言葉は〈オルフェウスという歴史上の大物の追従者〉ということ以外の意味はないと考えた。しかも彼らの多くは自分が彼の追従者とは思っていなかったので、この言葉のかわりに芸術家という言葉を造り出したのだ
これまで見てきたように、必ずしも古代ローマ人の遺産がすべて後世の人間たちに有害だったわけではない。しかし今の場合、この小さな〈h〉という文字は、自分で何かを始める力や〈遂行能力〉が全く欠如しているという状態がすでに当たり前になっていたこれら後世の人間たちの体内で、少なくともこの〈能力〉が生まれる霊感的要素にはなった。それで彼らは、すでに長期間存続してきた明確な表現である〈オルフェウス教徒〉のかわりに芸術家という新しい言葉を置きかえようと考え、そしてそれに成功したのだ。
ここで是非おまえに、この惑星の三脳生物の体内で、音声による意思疎通に必要な子音を発声する能力という意味での〈力量〉が徐々に衰えたことに関する顕著な異常性について話しておかなければならん。
要点はこうだ。この能力の衰退は、あらゆる世代のあらゆる人間の体内の精神的・有機的機能の中で均等な速度で進んだのではなく、時間によって、またこの惑星上の場所によっていわば交互に進んだ。つまり、ある時は彼らの身体機能の中でも精神的部分のほうが、またある時は有機的部分のほうが衰退が著しかったのだ。
今話したことをはっきりさせる上で最適な例がある。それは、遙か昔の古代ギリシア人から現代の人間たちに伝わってきて、今ではこの惑星上のあらゆる地域に住むほとんどすべての人間たちが知っており、また実際に使っている2つの明確な子音ないしは文字を発音する能力、及びそれに対するいわば味覚だ。
古代ギリシア人たちはこの2つの文字を〈シータ〉と〈デルタ〉と呼んでいた。しかも面白いことに、遙か古代のおまえのお気に入りたちは、特にこの2つの文字を2つの全く対立する意味をもつ言葉に使っていた。
すなわち〈シータ〉文字は〈善〉の概念に関連する考えを表す言葉に、そして〈デルタ〉文字は〈悪〉の概念に関連する言葉に使っておった。例えば〈神〉という言葉は〈セオス〉、〈悪魔〉は〈ダイモニオン〉といった具合にな。
この2つの文字の子音の概念とそれに対する〈味覚〉は、現代文明のすべての人間たちに伝えられた。ところが彼らは、この2つの本質的に全く異なる文字を、全く同一の記号で、すなわち〈th〉で表示するようになったのだ。
例えばロシアと呼ばれる現代の共同体に住む人間たちは、どんなに頑張ってもこの2つの文字を全く発音できない。にもかかわらず彼らはその2つの違いをはっきり感じており、だからこれらの文字をある明確な意味をもつ言葉の中で使う時は、たとえ文字と発音が全く一致しなくても、彼らは違いを正確に感じ取って、ごちゃまぜに使ったりはしない。
一方、現在イングランドと呼ばれている共同体に住む人間たちは、今でも古代ギリシア人と大体同じようにこれらの文字を発音している。しかしそうはしているものの、2つの文字に含まれている違いは全然感じておらず、それで全く悪びれもせず、完全に対立する意味の言葉にかの有名な昔通りの〈th〉の記号を使っている。
例えば、現代イングランドの人間たちが、お気に入りのしょっちゅう使う〈サンキュー〉という言葉を発する時には、古代文字〈シー夕〉をはっきり聴き取ることができる。またこれも大好きで始終使っている〈そこ(there)〉という言葉を発声する時には、古代文字〈デルタ〉を極めて明瞭に聴き取ることができる。しかしそれにもかかわらず、彼らはいわゆる良心など全く痛めずに、そのどちらの文字にもこの〈世界的逆説〉である〈th〉をあ当てておるのだ。
しかし地球の用語法についてはこれくらい話せば十分だろう。
そこで話を進めて、第一に、なぜ現代のおまえのお気に入りたちは、いたるところに劇場なるものを建てることを慣習にしたのか、そして次に、これらの劇場の中で現代の俳優たちはいかなることをし、またどのように自分を表現しているのかを明らかにしてみよう。
彼らが劇場に、ほとんどの場合かなりの規模の集団で集まることが慣習となった理由に関しては、わしは個人的に次のように考えておる。これら現代の劇場とそこで行われるすべてのことは、異常な形で形成された現代の三脳生物の大多数の身体にたまたまぴったり呼応したのだ。
それというのも、すでに彼らの身体からは、三脳生物に特有の、あらゆる物事において自分の独創性を発揮したいという欲求は最終的に消え失せ、そのため彼らは、外部からの偶然のショックや、
器官クンダバファーの諸特性が彼らの中に生み出し、結晶化したものから生じる衝動だけに全面的に従って生存しているからだ。
彼らの劇場の誕生の当初から、彼らは現在〈俳優〉と呼ばれている者たちの演技を見たり研究したりする目的で劇場に集まった。これは今でも同様だ。いや……実をいうと彼らは、
器官クンダバファーの諸特性の必然的な結果の一つを満足させるためにだけそこに集まっているのだ。この結果は彼らの大多数の体内で結晶化していて、〈オールネル〉と呼ばれているが、現代の人間たちはこれを〈見せびらかし〉と呼んでおる。
この
器官クンダバファーの諸特性の必然的結果のために、現代の人間たちのほとんどは自分の体内に非常に奇妙な欲求、すなわち、自分に対する〈驚異の念〉と呼ばれる衝動の表現を他の人間たちの中に呼びさましたい、あるいは少なくともまわりの者の顔にそれを認めたいという摩訶不思議な欲求をもつようになった。
この欲求は実に奇妙なもので、彼らはまわりの人間たちが彼らの外観に対して驚きを表すと満足を感じるのだが、まさにこのことは〈流行〉と呼ばれるものの要求にぴったりと合致している。この〈流行〉という悪しき習慣はティクリアミッシュ文明の時代から始まり、今では、彼らが現実を見たり感じたりする時間や可能性を機械的に奪い去る要因の一つになっておる。
この彼らにとっての悪しき習慣というのは、いわゆる〈自分の虚無をおおい隠すもの〉の外形を定期的に変化させることだ。
ここでついでに次のことを話しておくのも面白いだろう。おまえの興味を引いているこの三脳生物の通常の生存プロセスにおいては、今言ったおおいの外観を変えるという習慣は、ハスナムス個人候補者になる〈資格を十分に具えるに至った〉男性女性双方の人間たちによって操作されているというのが現在の一般的状況になってきつつある。
この点に関しては、現代の劇場はおまえのお気に入りたちにはまさにうってつけだ。というのも劇場は、彼らが、彼らのお好みの言葉でいえば〈シックなヘアースタイル〉とか、〈クラヴァッ卜(縄飾りのあるスカーフ)の特別な結び方〉、あるいは挑発的にむき出しにされた〈彼らの身体のクパイタリアン部分〉と呼ばれるもの等々を見せびらかすのに最高に便利かつ容易な場所だからであり、そこでは同時に、〈
ハスナムス個人〉候補者が『最新』と書かれた折り紙をつけた指示に従って作り上げられた〈流行〉の新しい表れを見ることもできるからだ。
現代の〈俳優〉なる連中が劇場での〈見せびらかし〉にいかなることをやるのかはっきり知るためには、もう一つの極度に奇妙な〈病気〉、つまり〈誇張した劇化〉という名で呼ばれている〈病気〉のことを知っておかねばならん。彼らの何人かの体内でこの病気が発生する原因となったのは、実はただ彼らの〈産婆〉と呼ばれる者の不注意にすぎなかった。
この産婆の実に犯罪者的な不注意とは何かというと、仕事に行く途中で別の患者の家に立ち寄り、そこで出された〈ワイン〉をかなり飲んでしまい、そのため仕事の最中に無意識のうちに呪詛の叫び声をあげてしまった(この呪詛の叫び声というやつは、ちょうど〈魔術師〉と呼ばれている連中の〈悪魔祓い〉と同じく、おまえのお気に入りたちの通常の生存プロセスの中にしっかりと根をおろしておる)。そのため、この新しい哀れな生物は、彼ら流にいえば〈神の世界への出現〉の瞬間、最初にこの有害な悪魔祓いの言葉を吸収してしまったのだ。
この時の悪魔祓いの言葉はこうだった。
「ああおまえさん、なんちゅうめちゃくちゃをやっちまっただ」
というわけでだな、坊や。この産婆の犯罪者的な不注意のせいで、この新たに出現した不運な生物は、あの奇妙な病気の素因を早々と体内に取り入れることになったのだ。
地球上に出現した早々この〈誇張した劇化〉という病気の素因をたたきこまれた三脳生物は、責任ある年齢に達するまでには書き方を覚え、何か書きたいなどと思いでもすれば、たちまち彼はこの奇妙な病気にかかり、偉ぶって紙の上で大ぼらをふき始める。あるいは地球流にいえば、あれやこれやの〈戯曲〉なるものを〈創作〉し始めるのだ。
彼らの作品の内容はといえば、普通は種々雑多な、起こったはずの出来事、あるいは将来起こるであろう出来事、さらには彼ら自身がもっている現代の〈非現実性〉を帯びた出来事などだ。
これに加えて、この特殊な病気に冒された身体に表れる症状には、7つの非常にはっきりとした特徴がある。
まず第一に、この奇妙な病気がある人間の中ですでに進行していて、その徴候が表れてくると、ある特殊な振動が彼のまわりに広がり、彼らの言葉によれば、ちょうど〈年老いた山羊の匂い〉のような影響をまわりに及ぼす。
第二に、その人間の内的機能が変化するため、彼の身体の外形は変化して、鼻はつんと上を向き、腕はいつも肘を張り、それに話す時も、ある独特な咳払いをしながらもったいぶって話すようになる。
第三に、このような人間は決まって、自然のものであれ人工のものであれ完全に無害な組成物、例えば〈ネズミ〉と呼ばれているものだとか、〈握りこぶし〉とか、〈劇場の舞台監督助手の妻〉〈彼の鼻の吹き出物〉〈自分の妻の左のスリッパ〉等々、多くの外部の組成物を恐れるようになる。
第四の特徴は、彼のまわりの同種の生物の心理を理解する能力を完全に失ってしまうことだ。
五番目は、心の中で、また表面に出して、自分に関係のないあらゆる人間、あらゆるものを批判すること。
六番目は、何か客観的なものを知覚するためのデータは、彼の中では他のいかなる地球上の三脳生物よりも衰退してしまっていること。
そして七番目、つまり最後の特徴は、彼の体内に〈痔疾〉と呼ばれるものができることで、ついでにいうと、これは彼がつつましやかに身につけている唯一のものだ。

そこで普通は次のようなことに相成る。もしこの病人におじさんがいて、しかもこのおじさんが何かの〈議会〉の議員であるとか、あるいは彼自身が〈かつての有力なビジネスマン〉の妻と懇意にしているとか、何らかの理由で責任ある存在になるまでの準備期間を、〈石鹸を使わずに滑り込む〉と呼ばれている特性を自動的に獲得するような環境や条件の下で過ごした等々、このような条件の一つでも満たしていれば、どういうわけか〈演出家〉と呼ばれている者が(彼は〈小羊の所有者〉とも呼ばれている)、彼の作品を取り上げ、さっき話した現代の俳優たちに、誇張した劇化という奇妙な病気にかかっているこの人間が自慢たらたら述べていることを寸分たがわぬように〈再現〉せよと命じるのだ。
そこでこの現代の俳優たちは、まず外部の者を入れずに自分たちだけでこの作品を再現してみる。そしてこの病人が書き、演出家が指示したものと寸分たがわぬようになるまで練習を重ねる。そしてついに彼らは、もはや自分の意識や感情を交えずに演じるようになり、いわゆる〈生きた自動機械〉へと完全に変身してしまう。そしてそうなった時に初めて、彼らの仲間の中でもまだ完全には生きた自動機械になっていない人間たち(つまり〈舞台監督助手〉という名をちょうだいしている者たち)に助けられながら、彼らの指示に従って練習したのと全く同じことを、ただし今度はこれらの現代の劇場に集まってきた普通の人間たちを前にして演じるのだ。
以上のようなことから生じるどうしようもなく有害な多くの結果は別にしても、少なくとも次のことは容易にわかるだろう。
すなわち、これらの劇場は当然のことながら、あのバビロンの知識人たちが、自分たちと同種の生物たちが受け取る知覚および彼らが示す連想的反応を意識的に再現するための形式として最初にこれを考案した時に胸に抱いていた高尚な目標に対しては、いかなるものも寄与できないということだ
にもかかわらず次のことは認めなくてはなるまい。つまり。もちろん偶然にだが、彼らはこれらの劇場や現代の俳優たちから、自分たちの通常の生存プロセスにとって〈悪くない結果〉を一つ手に入れた。
この〈悪くない結果〉がどんなものか理解できるように、まずもう一つの特殊性について説明しておこう。この特殊性は
イトクラノスの原理に従って生まれた生物の身体に固有のものだ。
この原理によると、このような生物の体内では、彼らが〈目覚めている状態〉と呼ぶ状態に必要なエネルギーの形成は、〈完全なる受動性〉、あるいはおまえのお気に入りたちの言い方を借りれば、〈睡眠中〉に体内で進行する連想の質に依存している。また逆のこともいえる。すなわち、この〈睡眠〉の〈生産性〉に必要なエネルギーは、逆にこの目覚めている状態の間に彼らの中で進行する連想的プロセスによって形成され、そしてこのプロセスは彼らの行動の質、あるいは強度によって左右されるのだ。
このことが地球の三脳生物にも当てはまるようになったのは、前にも一度話したが、大自然がこの
イトクラノス原理を、その時まで彼らに固有のものであった〈フラスニタムニアン〉原理にとってかえざるをえなくなった時以来のことだ。その時から彼らの生存プロセスには今言ったような特殊性、つまり彼ら流にいえば、もし〈よく眠れ〉ば目覚めもよく、逆に起きている時調子が悪ければ眠りも悪くなる、という特殊性が生じ、これがいまだに存続している。
そういうわけでだな、坊や。彼らの生存は近年とみに病的になってきているので、それまでは連想が正常に流れるのをどうにかこうにか助けていた自動的なテンポまで変化してしまい、その結果今では、眠りも悪いが起きた時にはなおいっそう悪いという状態になっておる。
それで、この現代の俳優を含む現代の劇場がなぜ彼らの眠りの質を向上させる上で有益なものになったかといえば、それは次のような状況があったからだ。
パートクドルグ義務を遂行することに対する欲求が彼らの大多数の体内から完全に消滅し、そして好むと好まざるとにかかわらず入ってくるショックから生じる種々の雑多な連想が、彼らの目覚めた状態の中で、すでに自動化されている〈過去の刻印〉と呼ばれるもの(その内容は〈遙か昔に受けた印象〉と呼ばれるものの無限の反芻なのだが)からのみ流れ出し始めるようになって以来、彼らの中では、三脳生物に必要不可欠なあらゆる種類の新しいショックを知覚するという本能的欲求さえ消滅し始め、今も引き続き消滅し続けている。すなわち、彼らの内部の独立した霊的部分から生じるか、もしくは外部から入ってくるそれに相呼応する知覚から生じる新しいショックは、三脳生物が意識的連想を、つまり人間の体内でのあらゆる種類の〈存在エネルギー〉の変容の強度がそれにかかっている連想を行うのに必要不可欠であるにもかかわらず、これを知覚しようとする本能的欲求はどんどん消滅しているのだ。
この三世紀の間に、彼らの生存プロセスそのものがひどい状態、つまり日常の生存において彼らの大多数の体内でこの〈対比的連想〉がもうほとんど現れないという状態になってしまった。この連想は普通、種々の新しい知覚のおかげで三脳生物の中で進行するのだが、彼ら自身の個人性を形成するデータはこの連想からしか結晶化できないのだ。
さてそこで、こんな具合に〈日常生活〉を送っているおまえのお気に入りたちが、この現代の劇場へ行って現代俳優たちの愚にもつかない巧妙な身のこなしを目で追い、その過程で、以前に知覚した、これも負けず劣らずくだらない馬鹿げた考えの様々な思い出が次々に生み出す〈ショック〉を受け取ると、この目覚めた状態の間に、望むと望まないとにかかわらず多少なりとも我慢できるような連想が湧いてきて、それで家に帰ると普段よりずっとよく眠れるというわけだ。
たしかにこの現代の劇場は、その中で行われることを含めて、今話したようにたまたまおまえのお気に入りたちがよく眠るためのすばらしい手段となりはしたが(といってもそれは〈その日〉だけのことだ)それでも客観的に見れば、この劇場が人間たちに、とりわけ成長しつつある世代に与える有害な影響は甚大なものだ。
彼らが劇場から受ける害の中で最大のものは、これが、三脳生物特有の欲求、つまり〈真の知覚に対する欲求〉と呼ばれるものをもつ可能性を根こそぎ破壊してしまう要因の一つであることだ
これがこんなにも有害な要因になったのには次のような事情がある。
彼らが劇場に行き、静かに座って、現代の俳優たちの、愚にもつかないものとはいえ様々な側面をもっている種々の〈巧妙な身振り〉や表現を見ていると、普通の目覚めた状態にあるにもかかわらず、彼らの中では、〈思考的〉なもの〈感情的〉なものを含めてあらゆる種類の連想が、ちょうど完全な受動性の状態、すなわち眠っている間に流れるのと全く同様に流れるようになる。
つまり彼らが以前に知覚し、一連の印象という形で自動化されてすでに定着しているショックを偶然刺激するようなショックを多量に受け取り、それを〈消化および生殖のための器官〉と呼ばれるものの機能に自動的に結びつけると、その結果、彼らの哀れなる意識的連想、すなわち彼らの受動的生存状態(つまりその間に活動的生存状態に必要な物質を変容して生み出さねばならない状態)に必要な物質を変容して生み出す多少とも適切なテンポが内部で生じるようすでに自動化されている、有るか無きかの意識的連想の流れすら妨害するものが彼らの体内に生まれてくる。
言いかえれば、たまたま劇場にやってくると、彼らはあの受動的な状態、つまり普通の目覚めた状態に必要な物質を変容して生み出すプロセスが何らかの形で自動化されて進行している状態ではなくなってしまう。それゆえ結果的には、これらの現代の劇場は、前にも言ったように、彼らの〈真の知覚に対する欲求〉を破壊するもう一つの悪しき要因になってしまったのだ。

彼らの現代芸術の有害性がもっている他の多くの側面の中でも、明らかに完全に看過されてはいるが、地球の三脳生物が意識的な〈個人的存在〉と呼ばれるものを獲得するに際して極めて有害なものの一つは、ほかでもない、現代芸術を代表する者たちが放つ放射線そのものだ。
この有害な放射線は次第に、彼らの芸術のあらゆる分野における代表者たちの宿命、もしくは固有の属性になってきているが、わしの入念な〈生理学的・化学的調査〉ではっきりしたことは、この放射線の中で最も有害なものは、現代の劇場で物真似をする現代芸術家、すなわち俳優たちが発する放射線だということだ。
この俳優たちから発する放射線の総体が他のおまえのお気に入りたちに与える害は、現代の文明でもとりわけ近年になってはっきり目につくようになってきた。たしかに、遙か昔から、普通の人間の中のある者たちがこの職業に就いてきた。しかし以前には、この職業に就いた者の体内で
ハスナムス特性を形成するあらゆる種類のデータが完全に結晶化するということはなかったし、それに以前のおまえのお気に入りたちは、明らかに本能的にこの職業人から発する悪しき影響力を感じ取り、それゆえ彼らに対しては注意深く、それ相応の態度で接して自分たちを守っておった。
すなわち以前の時代には、このような芸術家や俳優たちはどこでも、他の人間たちによって最下層の階級に追いやられ、軽蔑をこめて扱われていたのだ。現在でも多くの共同体、例えばアジア大陸の共同体では、他の人間と会った時にはほとんどいつでもするのが習慣となっている握手も、彼らとするのはよろしくないとされている。
それにまた、今言ったような共同体では現在でも、俳優たちと同じテーブルについて食事をするのは汚らわしいこととされている。
ところが、現在〈文化的生活〉と呼ばれているものの中心的な場所になっている大陸に生息する現代人たちは、これら現代俳優を内的な関係において自分たちと同じレベルに引き上げたばかりでなく、彼らの外観の真似までやるようになり、とりわけ現在ではこの模倣は極端なまでになっている。
今ではおまえのお気に入りたちはみな鼻髭や口髭を剃るが、このことはわしが今言ったことを証明するよい例だ。
つまり過去の時代には、職業俳優たちは通常の生存プロセスを営む間ずっと鼻髭と口髭を剃っていなくてはならなかったのだ。
彼らがこの男らしさと活力を〈表現するもの〉を剃らねばならなかった理由は、まず第一に、彼らはいつも他人の役を演じるために頻繁に容貌を変えねばならず、そのためには、それに適した〈塗料〉なるものを顔に塗るだけでなく、カツラやつけ髭をつけなければならなかったからだ。本物の髭があったらそんなものをつけるわけにはいかんからな。第二の理由は、以前の共同体の普通の住人は、俳優たちを汚らわしいもの、有害な影響を与えるものとみなし、それで、普通の生存プロセスでたまたま彼らに会ったり、何らかの形で接触しなくてはならない時などには、彼らが俳優であることを識別しそこなうことをひどく恐れた。それゆえ彼らはいたるところで厳しい法令を発布し、芸術家あるいは俳優の職に就いている者は、他の人間が見間違えるのを防ぐために、常に鼻髭と口髭を剃っておくよう命じたからだ。
俳優たちが鼻髭や口髭を剃る習慣が生まれた原因をおまえに説明しているうちに、わしは〈ティクリアミッシュ文明〉時代の三脳生物がもっていた〈公正の規準〉と呼ばれる非常に分別のある制度が毛を剃ることに言及していたのを思い出したが、こちらは頭に生える毛であった。
当時一つの法令が発布されて厳格に施行されていた。これによると、それ以前に定められた〈不道徳〉と〈犯罪〉に関する4つのカテゴリーのどれかに該当すると、その地区の長老たちの裁判にかけられ、判決を受けた取るに足りない犯罪者たちは(ついでにいうと、現在〈監獄〉と呼ばれるところはどこもたいていこの種の人間たちでいっぱいだ)ある一定期間、いつどこへ出かける時でも、彼らの頭の4つに区切られた部分の一つを剃っていなければならなかった。それだけでなく、このように有罪判決を受けた者はすべて、他人と会ったり話したりする時はいつでも頭を剥き出しにしておかねばならなかったのだ。
当時そこでは、女性の不道徳な行為に関しても、頭を剃るという同じ法律が存在していたことを話しておくのも面白いだろう。
当時存在していた女性に関する法令は、品行方正ゆえに尊敬を勝ちえたその地の七人の老婦人によって厳格に施行されていた。
女性の刑罰は4つの行為に対して定められていたが、これらの行為はいずれもその地では、女性にとってだらしなさと不道徳の最たるものと考えられていた。
具体的にいうと、もし近所の者がみな、その女性が家庭の義務に対して適切な敬意を払わず、これをきちんと遂行していないことに気づき、そして今言った七人の老婦人がこれを確認すると、法律に従って彼女は一定期間、唇を染めて人前に出なくてはならなかった。
また、彼女が自分の子供たちに接する時の母性的な衝動の表現がどんどん弱くなっているのに多くの女性が気づくと、同じ法律によってまわりの者は彼女を断罪し、同じく一定期間どこへ行くにも顔の左半分を白と赤に塗り分けていなければならなかった。
また彼女が、いわゆる〈妻の義務〉なるものの中心的なものを放棄しようとする、すなわち法的な夫を騙したり、もしくは騙そうともくろんだり、あるいは彼女の中で受胎した新しい存在を抹殺しようと試みたりすると、同じ訴訟手続きによって彼女は一定期間、いつでもどこでも、今度は顔全体を白と赤に塗り分けておかねばならなかった。」

ここまで来たところで、ベルゼバブの話はアフーンの言葉で中断させられた。
「尊師様、地球の芸術と、現在これに従事している三脳生物の代表者たちに関するあなたの説明、なかでもとりわけ現代の〈喜劇役者〉、あるいは俳優についてのお話を聞いておりますうちに、われらが親愛なるハセイン様の興味を引いたこの地球という惑星に私が最後に滞在した時に、私の身体の中に染みこんでしまった印象を活用して、ハセイン様に極めて実際的な助言をお授けしてはどうかと考えたのでございますが、いかがなものでしょうか?」

こう言ってからアフーンはいつもの目つきで、つまり長い間まばたき一つしないで、返事を待ちながらベルゼバブの顔を見つめた。しかしベルゼバブの顔にいつもの表情、つまり悲哀に満ちているような、それでいて親切で寛大な微笑みが浮かんでいるのを見ると、アフーンは許可も待たずに、まるで間違えたかのように今度はハセインの方を向くと、次のように話し始めた。
「実際ハセイン様、あなたご自身が将来地球に行って、興味をもたれた奇妙な三脳生物の間で暮らす羽目にならないと誰が断言できましょう。」

そしてまたもやベルゼバブの文体や口調を真似ながら続けた。
「だからこそ私は、そういった不測の事態に備えて、私が特に意図したわけでもないのに入ってきた印象、つまり地球の芸術の現代の代表者たちから生じたタイプと、彼らの表現活動の特殊性について私が受けた様々な印象の結果を、あなたにお話ししておこうと思うのです。
偽の後光で飾りたてられたこの現代芸術の大家と目されている人間たちは、実は現代文明に生きる他の三脳生物たちによって、とりわけこの数世紀の間に、今の地位にまつりあげられ、そして自分たちの外的な表現形態を真似されるだけでなく、いつでもどこでも分不相応な賞讃と激励を受けています。またこれら現代芸術の代表者たちの真の本質は、実際ほとんど非実在の瀬戸際まで来ております。それで彼らの心の中には、全く無意識のうちに、自分たちは他の人間とは違って、彼ら自ら言うところによれば〈より高次の序列〉に属しているという誤った確信が形成されており、その結果このタイプの人間の体内では、器官クンダバファーの特性から生じたものが他の三脳生物の体内でよりも遙かに活発に活動しているのです。
これらの哀れな三脳生物が営んでいる通常の生存をとりまく異常な状態はすでに確固たるものになっており、彼らの体内では、器官クンダバファーから生じた彼らのいわゆる〈こけおどし〉とか〈誇り〉〈自己愛〉〈虚栄心〉〈自己欺瞞〉〈自己陶酔〉〈妬み〉〈憎しみ〉〈傲慢〉等々が不可避的に結晶化し、そして彼らの精神全体の切り離せない一部になっているのです。
今並べあげた特性は、現代の〈芸術の代表者たち〉の中でも、現代の劇場の〈巧妙な身振りをする者たち〉の中でとりわけ顕著に、また強固に結晶化しています。その理由はといえば、いつも自分と同類の生物の役、それもその存在と生存プロセスにおける重要性が通例彼ら自身のそれよりも遙かに優れている人間たちの役ばかり演じているためなのです。また、今もお話ししましたように、彼らは事実ほとんど非実在も同然なので、とっくの昔に完全に自動化してしまった理性を働かせて、徐々に自分自身に関する偽りの観念をでっちあげてきたためでもあります。
このように、とっくの昔に完全に自動化した〈意識〉と、どうしようもなく〈馬鹿げた感情〉を働かせて、彼らは自分たちが現実の彼らよりも無限に優れていると感じているのです。
親愛なるハセイン様、ここで次のことを告白しておかなくてはなりません。あなたのお気に入りの惑星に最初に何度か滞在した時や、また最後の滞在の折もその初期には、いたるところであなたが興味をお持ちの三脳生物と様々な関係をもちました。しかしこの時は、自分たちには何の責任もない状況ゆえに限りなく不幸な運命を背負わされた彼らに対して、私の体内では本物の憐みの衝動は全く感じられませんでした。
ところが六度目の訪問も終わりに近づく頃、ある内的な姿勢をもつ者たちの集団が形成されました。現在芸術のほとんどあらゆる分野の代表者たちがもっているのがまさにこの姿勢なのです。この新たに生まれたタイプの人間たちは、他の三脳生物と同等の権利をもっているという前提に立って通常の生存プロセスに加わったのですが、彼らの内にある誇張された、異常ないわゆる〈自己賞讃〉がたまたま私の視野に入ってきた時、それは私の内部に憐みの衝動が生まれる一つのショックの役割を果たしたのです。そして彼らに向けられた憐みは次第に、あの哀れなあなたのお気に入りの三脳生物全体に対するものになっていったのです。
ではこれから、三脳生物一般、あるいは現代芸術の他の代表者たちはさておいて、この芸術家とか俳優とかいった称号を獲得した者たちにだけ注意を向けてみましょう。
彼らはただ一人の例外もなく、真の本質という点ではいわゆる非実在といわれるものも同然で、ということはつまり、本当は全くの空っぽなのに何かしら目に見えるものをまとっているにすぎない、という状態にあるのです。彼らはいつでもどこでも耳に快い賞讃の言葉、例えば〈天才〉とか〈才人〉とか〈天からの授かりもの〉とか、まだまだ似たような空語はいくらでもありますが、こういった言葉で繰り返しお互いを大声で呼び合っているうちに、徐々に次のようなとんでもない考えを抱くようになりました。すなわち、同種の生物の中でも彼らだけが〈神聖なる起源〉をもっており、彼らだけがほとんど〈神〉のような存在である、というのです。
そこで、私の極めて実践的な助言をよくお聞きになって、適当な時にあなたの身体の相応する部分でこれをよく咀嚼・消化して、実用に役立ててみて下さい。
この実践的助言というのはこういうことです。もしあなたが何らかの理由で、とりわけ近い将来に、あなたの興味を引いた地球という惑星の三脳生物の間に存在しなくてはならなくなったとしたら(近い将来と言いましたが、それはあなたが興味をお持ちのこの三脳生物の身体と、すでに定着してしまっている彼らの通常の生存の外的な状況とは絶えまなく退化しているからです)、そしてもし意識的な三脳生物にふさわしい何らかの仕事、つまりまわりの生物を幸福にするという目的を基盤にし、しかもその達成が部分的には彼ら自身にかかっている、そういった仕事を地球でやらなくてはならなくなったとしたら、その仕事が現代文明の中のどの共同体で行なわれることになろうと、もしあなたがそのために彼らのいわゆる〈サークル〉の中で現代のこのタイプの人間に会わなくてはならなくなった時には、常に注意して、彼らと友好関係を保つために必要なあらゆる手段をとることを忘れないようにしなくてはなりません。
彼らに対してどうしてそんなに注意深く対処しなくてはならないのかを、そしてまたこの地球上の生物の最近生まれたタイプのあらゆる側面を全体的によく理解していただくために、ここで明瞭な2つの事実を忘れずに話しておかなくてはなりません。
その一つは、例によって歪んで定着してしまった彼らの通常の生存状態のせいで、それにまた、現存するかの有名な芸術という〈幻想的にふくれあがった〉悪しき観念のせいで、芸術の代表者たちは次第に、前にも言ったように、他の三脳生物たちが先入観に染まった想像や観念ででっちあげた空想的な後光をおつむの上にくっつけるようになり、そのため自動的に分不相応の権威を身につけるようになりました。その結果、彼ら以外のあなたのお気に入りたちは、常に何事においても、彼らの意見はどんなものでも権威があり、議論の余地のないものだと考えるようになったということです。
第二の事実は、この最近出現した現代的タイプは、彼らが形成されていく過程で、全く無意識のうちに、偶然の外的状況次第で簡単に誰かの奴隷にもなれば、反対にその人の最大の敵にもなるのを許すような、彼らにふさわしい内的な存在を獲得したということです。
以上のようなわけで、私はあなたに、彼らの間に敵を作らないよう特に注意なさるように助言いたしたいのです。そうすれば、それほどのトラブルもなく仕事をやり遂げることができるでしょう。
さてハセイン様、私の助言の一番の〈
ツィムス〉は、もしあなたが本当に地球の生物の間で生存しなくてはならないとしたら、そして現代芸術の代表者たちと交渉をもつのならば、彼らに向かって真実を語ってはならないということを常に覚えておきなさい、ということです。
運命があなたにそんなことをさせませんように!
たとえどんな種類のものでも、真実を聞くと彼らはひどく怒り、彼ら同士の憎悪はほとんどいつもこの怒りから発するのです。
だからこういった地球上のタイプに向かっては常に、彼らの中に確実に結晶化している
器官クンダバファーの特性の諸結果、つまり前にも申しました〈妬み〉〈誇り〉〈自己愛〉〈虚栄心〉〈嘘をつくこと〉等々を〈くすぐる〉ようなことだけを言ってやらなければなりません。
これも滞在中に気づいたのですが、この哀れなあなたのお気に入りたちの精神に絶対に間違いなく作用するくすぐり方は次のようなものです。
芸術の代表者の一人の顔がワニに似ていると考えてみましょう。すると彼には、『あなたは天国の鳥の似姿のようだ』、と言ってやらなくてはなりません。
もし彼らの一人がコルクのように愚鈍だとしたら、彼には、『あなたはピタゴラスのような頭脳をもっていますね』、と言ってやりなさい。
また、もしある者の商売のやり方が明らかに〈超痴呆的〉であれば、『かの偉大なる抜け目ないルシファーでも、あなたほど上手くはやれなかったでしょう』と言いなさい。
またある者の顔に、地球上のいくつかの病気の徴候が表れていて、その病気で彼が日毎に腐敗していることに気づいたならば、びっくり仰天した表情をして、『あなたはどうしていつもそんなに〈クリームのかかったモモ〉みたいに新鮮に見えるのですか、どうか秘訣を教えて下さい』とか何とか聞くのです。
ただどんな場合でも一つのことだけは忘れないで下さい……決して真実を言ってはなりません。
あなたは、この惑星に生息する生物全般に対して今言ったような態度で接しなくてはなりませんが、とりわけ現代芸術の諸分野の代表者たちに対してはこうすることが絶対に必要です。」

これだけ言うとアフーンは、モスクワ近郊の職業仲人がお客さんの結婚式で見せるような、あるいはパリのファッション業界の女性経営者がいわゆる〈お上品なカフェ〉なるところで見せるわざとらしいてらいを見せながら、しっぽの乱れを直し始めた。
するとハセインは、いつもの真剣な、感謝に満ちた微笑みを浮かべながら言った。
「本当にありがとう、アフーン。おまえの助言が、ぼくらの大宇宙の中でも、どこから見ても不当に扱われているこの惑星に生息する三脳生物の精神の異常性に関して、いくつかの細かい点をはっきりさせてくれたことに感謝するよ。」

それから彼はベルゼバブの方に向いて言った。
「親切なお祖父様。どうかお話し下さい。いったい、あのバビロンの知識人たちの意図や努力が全く結実せず、また、一度は地球上で知られていた知識の断片がただ一つとしてこの奇妙な惑星の現代の三脳生物に伝わらなかったなどということが本当にありうるのでしょうか?」

孫の質問に対してベルゼバブは次のように答えた。
「坊や、宇宙に存在するすべてのものにとって非常に悲しいことだが、彼らの努力の結実はほとんど何一つ生き長らえず、そのため何一つ、現代のおまえのお気に入りたちの財産にはなっていないのだ。
前にも話したような方法で彼らが残そうとした情報は、全部合わせても、続く数世紀間の世代にしか伝わらなかった。
彼らの主要な特性、すなわち〈定期的な相互破壊のプロセス〉のために、〈バビロンの栄光〉の時代の直後に、〈
アファルカルナ〉と〈ソルジノーハ〉のそれぞれの分野で保持されていた、七重性の法則の中の合法則的な不正確さを解く鍵となるレゴミニズムが彼らの間から完全に消滅しただけでなく、前にも話したように、バビロンでは七重性の法則と呼ばれていた聖ヘプタパラパーシノクという宇宙法則の観念そのものが徐々に消滅してしまったのだ。
こうしてバビロニア時代の人間たちのあらゆる意識的な産物は徐々に破壊されていったが、それは部分的には時間による腐食のためであり、また部分的には〈相互破壊のプロセス〉のため、すなわち〈目に見える範囲にあるものはすべて破壊したいという欲求〉と呼ばれている彼らの精神病がかなり進行していたためだともいえる。
以上の2つの理由により、バビロニア時代の知識人たちが意識的に生み出した成果はほとんどすべて、徐々にこの不運な惑星上から消えていったが、その速度たるや、ほんの三世紀後にはほとんど痕跡さえ残らないというほどであった。
次のことも重要だ。今言った2つ目の理由のために、バビロニア時代には確立されていた新しい形態、つまり〈芸術の秘儀参入者〉と呼ばれていた人間たちを通して次の世代へ様々な知識の断片や情報を伝達するという形態は徐々に姿を消し、ついにはほとんど完全に消滅してしまった。
芸術の秘儀参入者になろうとする者の修練が消滅したことについては、わしは非常によく知っておる。というのも、わしがこの惑星を最終的に離れる直前に、別の目的で、細心の注意を払ってこれを調査したからだ。
これを明らかにする目的でわしは特別に、地球の女性の中からすばらしい〈
ティクルーニア〉を探し出し、彼女を通してこの調査を行ったのだ。
ティクルーニア〉は以前は〈ピュトーン〉と呼ばれていたが、現在では〈巫女〉と呼ばれている。
調査の結果、次のことが明らかになった。最近ではこの芸術の秘儀参入者である人間はたった四人しか残っていないが、しかしともかく彼らのいわゆる〈直系の直伝〉なるものによって古代芸術理解の鍵はずっと伝承されてきていること、そしてこの相続による伝承は、現代では非常に複雑な秘密の状況下で行われているということだ。
この四人の現代の秘儀参入者の一人はアメリカ大陸に住む〈赤色人〉と呼ばれる者たちの間に誕生した。もう一人はフィリピン諸島と呼ばれているところに住む者たちの間に、三人目はアジア大陸の〈ピアンジェ河の源〉と呼ばれる場所に、そして最後の四人目は〈エスキモー〉と呼ばれる者たちの間に誕生したのだ。
さっきわしは、バビロニア時代から三世紀後には、
アファルカルナとソルジノーハを意識的かつ自動的に再生したものは〈ほとんど〉完全に存在しなくなったと言ったが、なぜわざわざ〈ほとんど〉と言ったか、その理由を話してあげよう。
つまり、バビロニア時代の人間たちの意識的な手工芸品のうちの2つの分野が偶然好条件に恵まれ、そのうちのいくつかは部分的には意識的に、また部分的には自動的に、伝承の任にあたる者が世代から世代へと伝えていったのだ。その2つの分野のうちの一つは最近消滅してしまったが、もう一つのほうはほとんど変化せず、現代の人間たちの一部に伝わっている。
現代の人間たちに伝わったこの分野は〈神聖舞踏〉と呼ばれておる。
バビロニアの知識人たちの時代から生き延びてきたまさにこの分野のおかげで、現代の三脳生物の中でもほんのわずかの者たちが、ある種の意識的努力を通して、その中に隠されている、彼ら自身の存在に有益な情報を解読し、学ぶ可能性を得ることができ
たのだ。
最近消滅したもう一つの分野は、バビロニアの知識人たちが〈豊かなる色調の組み合わせ〉と呼んでいた知識の分野で、現代の人間たちはこれを〈絵画〉と呼んでおる。
この分野での世代間の伝達はほとんどいたるところで行われたが、時と共に次第に、これまたいたるところで消滅していった。ところが近年に至っても一箇所だけ、全く通常の速度で、意識的にも自動的にもこの伝承が行われているところがあるが、それは〈ペルシア〉と呼ばれる共同体だ。
ところがわしがこの惑星を離れる直前になって、現代〈ヨーロッパ文化〉の同業者たちからの影響がこのペルシアでも顕著になり始め、これに感化されたこの共同体のこの職業に従事する者たちが偉ぶって理屈をこね始めるようになると、この伝承も完全に停止してしまった。
しかし同時に次のことにも注意しなくてはならん。つまり、以上のことにもかかわらず、バビロニア時代から残っている制作物のかなりのものが現代文明の中に生存する人間たち、とりわけヨーロッパ大陸に生息する人間たちに伝わっている。しかし現代文明の中の人間たちに伝わっているこれらの制作物はオリジナルではなく、〈剽窃者〉と呼ばれる者に完全にはなりきれなかったそう遠くない祖先が残した半分腐食したコピーにすぎない。それでもそこには〈智恵の泉〉が隠されているのだが、ヨーロッパの人間たちはそんなことは夢にも思わず、またそれ相応の実質的な手段も講じないまま、こういった模造品をせっせと〈博物館〉なるものに詰めこんでおる。そこではこれらの古い模造品から、石膏だとかニカワだとかいった腐食や酸化を押し進めるものを使ってしょっちゅうそのまた模造品が作られるために、しだいに完全に破壊されるか、さもなければ部分的に駄目にされている。しかもその模倣者たちの目的はといえば、単に友人の前でいばったり、先生をだまくらかしたり、その他何らかの
ハスナムス的目標を満足させることだけなのだ。
しかし公平を期すために次のことも言っておかねばなるまい。ほんの時たま、現代文明の中に生存する人間たちの中に、たまたまオリジナルとして彼らに伝わってきた制作物、特にバビロンのレゴミニズム信奉者クラブのメンバーの手になるものの中や、あるいは代々伝承されている間に、様々な良心的職業人たち、つまり前に言ったように、剽窃することがまだ完全にはその特性になりきっていない者たち、それゆえ他人の作ったものを丹念に模倣してそれを自分の作品として提出したりなどしなかった者たちの手で作られた模造品の中に、何かが隠されているのではないか?と考える者もいた。そしてヨーロッパ文明に生まれたこれらの探求者のうちの何人かは、この隠されたものを極めて真剣に探求した結果、実際それらの中にある確固たる〈何か〉を見いだしたのだ。
例えば現代ヨーロッパ文明の初期にこういった者が一人いて、名をイグナチウスといい、以前は建築家であったが後に修道僧になった。彼はバビロニア時代から伝えられた、当時すでに〈古代〉芸術と呼ばれていたもののほとんど全分野の制作物の中に隠されていた知識や有益な情報を解読する可能性を獲得するところにまで到達した。
しかしこの修道僧イグナチウスは、この〈発見〉と呼ばれるものを彼と同類の人間たち、つまり二人のいわゆる同僚の修道僧と分かち合おうとし始めた矢先に(ちなみに彼は、後に有名になるある寺院のいわゆる〈礎石〉を据えるのを指揮する専門家として、その二人とともに大僧正から派遣されていたのだが)この二人の中で結晶化していた
器官クンダバファーの特性の諸結果の一つから生じたある取るに足りない理由、すなわち〈妬み〉と呼ばれるもののために、寝ている間に殺害され、その身体は、さきほどの寺院を建立することになっていた小さな島をとりかこむ水域に投げこまれたのだ。
このイグナチウスという修道僧はヨーロッパ大陸で生まれ、責任ある存在にふさわしい存在をもつよう育てられた。そして責任ある存在の年齢に達した時、自分の存在の目的とした職業、つまり〈建築業〉と呼ばれる職業に関する知識を身につけるべく、アフリカ大陸に向けて出発した。アフリカ大陸に〈真理の探求者たち〉という名で存在していた〈友愛団〉に修道僧として入団したのは、ほかならぬ彼だったのだ。後にこの友愛団がヨーロッパ大陸に移動して大きくなり、団員が〈ベネディクト会士〉と呼ばれるようになった時、彼自身はすでにこの友愛団の〈全権を有するブラザー〉になっていた。
さっき話した寺院は現在も存在していて、今ではどうやら〈モン・サン・ミシェル〉と呼ばれておるらしい。
ヨーロッパでは、このほかにもまだ何人かの探求者たちが、時おり、古代から伝わっている芸術の諸分野の作品における合法則的不正確さに気づいた。しかし彼らは、この不正確さを理解する鍵を見つけたかと思うと、まもなくその生存を停止してしまった。
ただヨーロッパ大陸ではもう一人このことに気づいた者がいて、これに対する興味をますます募らせて根気強く努力を続け、ついに芸術のほとんど全分野の作品を完全に解読するようになった。
この賢い三脳生物の名は〈レオナルド・ダ・ヴィンチ〉といった。
地球の現代芸術に関する話の結論として、この有名な芸術に取り憑かれている現代文明の人間たちのもう一つの独特な特性について話しておくのもいいだろう。
この独特な特性というのはこういうことだ。今話したような人間、つまり古代の種々の作品の中に込められたある〈
合法則的な非論理性〉に気づいた人間が、恐らくはその合法則的な非論理性を実際的な形で明確化するために、その分野を全く新たな形で始めようとすると、決まっていつも、同じ職業に就いているまわりの者たちがすぐに彼の追従者となり、何かしら似たようなことをやり始めるのだが、もちろんその目的も意味もわかってはいないのだ。
そして、まさに現代芸術の代表者たちのこの〈独特の〉精神ゆえに、一方では現在、芸術の〈諸運動〉なるものがおまえのお気に入りたちの間で次々に生まれているかと思えば、また一方では、前の世代が、たとえ〈形だけ〉とはいえどうにかこうにか正しく組織した運動がどんどん縮小している。
これは現代芸術の全分野の代表者たちの間で進行していることではあるが、どういうわけかこういった影響を一番受けやすいのは〈絵画〉と呼ばれている分野の仕事に従事している者たちだ。
そんなわけで、現在この職業に就いている者たちの間では、このようにして生まれたものすごい数の絵画の〈新運動〉が進行しており、しかもそれらの間には共通するものは何もない。絵画におけるこの種の新運動は、〈キュービズム〉〈未来主義〉〈統合主義〉〈イマジズム〉〈印象主義〉〈色彩主義〉〈フォルマリズム〉〈シュールレアリズム〉などの名で知られており、これ以外にも、同様に〈イズム〉で終わる似たような運動がごまんとある。」

ベルゼバブの話がここまで来た時、宇宙船カルナックの全乗客のひづめから突然〈何か青白く光るもの〉が、いわば放射し始めた。
ちょうどこの時、宇宙船カルナックは目的地、つまり
惑星レヴォズヴラデンドルに近づきつつあった。乗客の間に慌ただしい動きが始まったのは、彼らが下船の準備を始めたからである。
ベルゼバブとハセインとアフーンも話をやめ、急いで下船の準備を始めた。
乗客のひづめが青白く光ったのは、ある一定の割合で集中された遍在する
オキダノクの聖なる部分が、エンジン室から宇宙船の他の部分へ放射されたからである。

なんと言えばいいか。
もはや現代においては、「芸術を構成する諸要素」が全て失われていると考えると、その業界に携わる人たちは「必然的に哀れむべき運命」をたどらざるをえないということです。
私自身、「芸術」に込められている真の意味についてある時期から関心を持っていましたが、このような悲しい過程があったことを知り、ある種のショックを受けました。
今からでも遅くなければ復活を望みますが、厳しいでしょう。


第31章 ベルゼバブの惑星地球の六度目の、そして最後の地球滞在

2〈オルナタル〉(1〈オルナタル〉は地球で我々が1ヵ月と定義する時間経過とだいたい同じである)の後、星雲系間宇宙船カルナックが
惑星レヴォズヴラデンドルを後にして太陽系〈パンデツノク〉の惑星カラタスの方向へと落下し始めた時、ハセインはいつもの場所に腰を下ろしてベルゼバブにこう話しかけた。
「ねえ大好きなお祖父様、どうかいつものように、地球っていう惑星に生息している三脳生物のことをもっとお話ししてください」

ベルゼバブはそれに応えて、彼が六度目、つまり最後に惑星地球を訪れた時のことを話した。彼はこう始めた。
「六度目にあの惑星を訪れたのは、わしが完全に赦されて、あまねく照らし渡る至聖絶対太陽の直接の光さえほとんど届かぬところにある、あの遙か彼方の太陽系を立ち去る許可をいただくほんの少し前、すなわちわしが、宇宙の中心であり、わしの誕生の地であり、われらが《共通の単一存在なる永遠の主》の懐であるところへ戻る直前のことだった。
この時は思いがけず状況が変わったため、わしはかなり長い間、つまり我々の時間で一年弱、あるいは地球での時間計測法でいう300年以上も、あそこで、あの特殊な生物たちに混じって過ごさねばならなかった。
おまえが興味をもっているあの惑星の表面へこの最後の訪問をすることになったのは、そもそも次のような状況が原因だった。
五度目のあの惑星の訪問から帰った後も、わしは以前と同様おまえのお気に入りの三脳生物の生存をずっと観察していた。
彼らの間で、彼らの主要な特性、すなわち〈相互破壊〉のプロセスが進行し始めると、わしは特に注意深く観察した。
その期間中なぜそれほど注意深く観察したかというと、彼らの奇妙な精神、そう、ほとんど驚異的ともいうべき奇妙さを示している彼らの精神が、なぜあのように極めて恐ろしい欲求を周期的に表出するのか、その原因を疑問の余地なく明らかにしたかったからだ。
いつもより少しでも時間がある時は、わしは火星でいう一日中、あるいは一晩中、彼らがこのプロセスの中でとるあらゆる行為を目で追っていた。
こうして火星から特別に観察し、それに以前彼らの間に滞在していた時に行なった観察のおかげで、わしは、彼らが相互の生存破壊をいっそう効率よくするために用いるあらゆる方法、手段に関しては、ほぼ明確に理解するようになっていた。
さて坊や。ある時わしはいつものように、巨大な
テスコーアノを使って惑星火星から彼らのこのプロセスを見ていたのだが、その時突然、結果的にはわしが六度目の訪問をせざるをえなくなった原因となったものに気づいた。その時目にしたものはこうだ。彼らは自分たちのいるところから動かずに、何かを使ってあることをやる。すると敵側の人間がいるところで小さな煙がポッと上がり、たちまち彼らは完全に破壊されて、あるいは惑星体の一部が不具になるか永久に破壊されるかして、パタパタと倒れるのだ。
そんな相互破壊の方法はそれまで見たことがなかったし、その時にはまだ、自分たちと同種の生物の生存を破壊する手段として彼らがそのようなものを使える可能性について、対比的・論理的に説明できるだけのデータがわしの体内に結晶化していなかった。
相互の生存破壊を目的とする彼らのあらゆる方法や手段に関しては、わしはすでに確固たる論理的・対比的理解に達しておったから、いかなる偶発的な環境的要因が彼らの体内に衝動と刺激を生み出し、その結果彼らの本質が、全く何の理由もないのに自分と同種の生物の生存を破壊するという驚くべき能力をもつに至ったかは説明できた。
ところが今度初めて見た、相互の生存を破壊するためのこの新しい手段に関しては、それまでの論理的・心理学的説明は全く適用できなかった。
それまでわしは、彼らの精神に固有の、これほど完璧なまでに常軌を逸した性質は、ある時代のある人間が自分たちだけで獲得したといったものではないと考えていた。つまり、周期的に起こるこの恐るべき欲求は、長い長い年月にわたって徐々に獲得され、蓄積されたものであり、またもちろんそれは、過去の世代の人間たちが作り上げた異常な生存状態によるものでもあり、そしてこの欲求は、彼らの力ではどうにもならない外的状況ゆえにすでに完全に現代の三脳生物に固有のものとなっており、したがって彼らがこの欲求にとりつかれるのは必然的なことだと理解していたのだ
また実際にだな、坊や。こういったプロセスが始まると、初めのうちは彼らも、普通は本能的に、ひどく不自然な行為を行なうことは控えている。ところが次第にこのプロセスにまわりをスッポリ取り囲まれてくると、誰も彼も、自分と似た者の生存を破壊するというこの行為はいとも簡単に行なわれるものであり、しかも破壊される人間の数は常に増え続けているということを否応なしに目の当たりにし、そして納得するようになる。そうなると彼らはみな、本能的に自分が生存していることを感じて、自動的にそれを非常に大切なものと感じるようになる。そして同時に、自分の生存が失われる可能性はひとえに敵側のまだ破壊されていない人間の数にかかっているということを自分の目で見て確信するに至る。そうなると、彼らの想像の中では、〈臆病〉と呼ばれる衝動の本体がいっそうその機能を強め、おまけに、それでなくても十分に弱っている彼らの思考能力では分別ある熟慮などとても不可能なので、彼らは自己保存という極めて自然な感情から発して、敵側の人間たちの生存を可能な限り破壊することに全存在を傾け、そうすることによって自己の生存が守られる可能性を少しでも大きくしようとし始める。そしてこの自己保存という感情は次第に増幅して、しまいには彼らが言うところの〈獣性〉なる状態にまで行き着くのだ。
しかし今初めて見た、彼らが同種の生物の生存を破壊する為の新たな手段に対しては、ようやく辿り着いたこの論理的・対比的説明を適用することは不可能だった。なぜかというと、今回わしははっきり見たのだが、敵側は遙か彼方に陣取っていて、戦争をやっている人間で目に入るのは味方ばかり、そういうほぼ好ましい状況にありながら、彼らは全く冷酷無比に、言ってみれば単なる退屈から、〈あるもの〉を使って何かをやり、それでもって自分たちとよく似た生物の生存を破壊していたからだ。
それで、彼らが互いの生存を破壊し合うのに使うこの新たな手段を見てからというもの、わしの本質の中では、この奇妙な三脳生物の存在に固有のものとなったこの驚くべき不可思議さの真の原因を疑問の余地なく明瞭に理解したいという欲求がますます強まってきたのだ。
その時は惑星火星で特にこれといってやることもなかったので、わしはさっそく今やっている仕事を手早く整理してこの惑星に降下することに決めた。そしていかなる犠牲を払っても、ずっとわしを悩ましてきたこの問題を解明して、もうこれ以上われらが大宇宙のこの奇妙な現象について思い煩わなくてもいいようにしようと決心したのだ。
火星でいう数日後、わしはいつものように宇宙船オケイジョンで出発した。
今回我々はアジア大陸の〈アフガニスタン〉と呼ばれる地域の近くに降下することにした。なぜかというと、飛び立つ前に
テスコーアノで確認したのだが、ちょうどその頃この国で〈相互破壊のプロセスの転機〉が始まっていたからだ。
我々はこのアフガニスタンの近くに着陸し、近年おまえのお気に入りたちが生息するようになった場所から離れたところに宇宙船オケイジョンを停泊させることにした。
ところで、我々の宇宙船オケイジョンを停泊させる適当な場所をこの惑星の表面で見つけるのは近年特に難しくなっていた。それというのも、おまえのお気に入りたちはいわゆる〈海上運行〉の為の色々な装置を作り出してこれを船と呼んでいたが、この船が絶えず、主として大陸の近くだが、あちこち走りまわっていたからだ。
もちろん我々は宇宙船オケイジョンを彼らの視覚器官に対して不可視にすることもできたが、しかしその存在まで消してしまうことはできなかった。それに不可視にしてしまうと、彼らの船がいつぶつかってくるかわからないので、海上に停泊させておくことはできなかった。
そんなわけで我々は、今回は宇宙船を、彼らの船がまだ行くことができなかった〈北極〉と呼ばれるところに停泊させることにした。
我々がこの惑星の表面に降下している間に、アフガニスタンで進行していた相互破壊のプロセスは終わってしまった。それでもやはり、わしはこのアフガニスタンの近くに居を定めることにしたのだが、それは、当時このプロセスが最も頻繁に起こっていたのがアジア大陸の他ならぬこの地域だったからだ。
わしはこの惑星の表面での最後の滞在中に、わしの本質を絶えず悩ましていた疑問の原因に対する〈完全なる認識〉を何としてでも獲得する、言いかえれば、おまえのお気に入りの三脳生物の精神がこれほどの〈奇形〉になった原因をあらゆる側面から明らかにしなければならなかったので、前にも言ったが、以前のようにすぐには火星に戻らず、彼らの時間計測法でいうおよそ300年間おまえのお気に入りたちの間に滞在した。
さて、おまえを楽しませている地球の三脳生物の体内にひそむあらゆる原因からすでに生じていた結果がどんなものであるか、それを解明する話を始めるにあたって、わしの本質が、わしの中の〈私〉及び、わしの身体のすべての霊化された部分を促して、何をおいても次のことを強調しておくように強く勧めるのだ。つまりわしは、この惑星の表面に最後の滞在をする間に、おまえのお気に入りたちの、個々バラバラにとらえた際の個人としてもっている精神ばかりでなく、集団の部分としての個人の精神が、周囲の環境の様々な組み合わせや彼ら相互の反応などに応じて、何をどのように感受し、またどのように外的な表現を行なうのか、その詳細を真剣に研究し、実験によって解明しなければならなかったのだ。
このような実験を行なうためには、わしは今回、知識全般の中でも特に、我々が〈
サモノルトーリコ〉、〈ガソメトロノルトーリコ〉、〈サコーキノルトーリコ〉と呼んでいる各分野、つまりおまえのお気に入りたちがもっている類似の分野でいえば、〈医学〉、〈生理学〉、および〈催眠術〉と呼ばれるものの助けまで借りなければならなかった。
こうした実験による調査のおかげで、この六度目の滞在を始めてまもなく、わしは次のことをはっきりと突き止めた。すなわち、
彼らの精神が奇妙である原因の大半は、彼らの通常の意識、つまり彼らがいわゆる目が覚めている状態にある時にはこの意識だけを持つよう自分自身を自動化している、そのような意識にあるのではなく、むしろ彼らの変則的な通常の生存状態のために、次第に彼らの身体の奥深くに追いやられた意識、つまり本来は彼らの真の意識となるべきであったのに極めて原始的な状態のまま残っている意識、すなわち彼らの〈潜在意識〉と呼ばれるものの中にあるのだ
しかしこの潜在意識というのはほかでもない、彼らの精神全体の中の、わしが以前に話したある部分のことだ。覚えておるかな?
……これは非常に神聖なるアシアタ・シーマッシュが最初に気づいたのだが、つまり彼は、彼らの精神のその部分には、第四の聖なる衝動、すなわち〈客観的良心〉と呼ばれる衝動を生み出すデータがまだ衰退せずに残っていることを発見したのだ。
わしは一応の定住地としてアジア大陸中央部にある〈トルキスタン〉と呼ばれる地域を選び、そこから、わしが興味を抱いたプロセスが進行している地に出かけることはもちろん、その中断期や小康状態の時には、広く旅してほとんどすべての大陸を訪れ、その旅行中に、ほとんどのいわゆる〈民族〉に属する人間たちに出会った。
とはいえ、この旅行中わしは、アジア大陸の〈中国〉〈インド〉〈チベット〉と呼ばれる国々、そして近年最も広大になった共同体、つまり半アジア的、半ヨーロッパ的な〈ロシア〉と呼ばれる共同体以外には、どこにもあまり長くは滞在しなかった。
最初の頃わしは、様々な〈民族〉に属するすべての〈タイプ〉の人間とそれなりの関係を結ぶ可能性を高めるべく、今回自分自身に課した主たる目的のための観察や調査からいったん離れて、すべての時間を彼らの使う諸言語の習得にあてた。
坊や、たぶんおまえはまだ、やはりこの惑星だけに存在する途方もなく馬鹿げたことを知らんだろう。それはどういうことかというと、ここでもまた彼らの通常の生存における異常な外的状況のために、彼ら相互の〈対話関係〉のために用いられる言語、あるいは〈方言〉は、彼らが次第に分裂して形成していった独立した集団と同じ数だけあり、しかもその多様な言語の間には共通点は全くない。ところがわれらの大宇宙の三脳生物が生息している惑星ではどこでも、ただ一つの共通した、いわゆる〈音の表出による相互交渉〉があるだけなのだ。
そう……この〈多言語状態〉もまた、おまえを喜ばせているこの奇妙な三脳生物にしか見られない独特の性質の一つだ。
実際地球では、どんなちっぽけな陸地の上でも、いやそれどころか、そんな陸地の上で偶然分離した取るに足りない独立集団の中でさえ、この奇妙な生物たちは〈対話関係〉用の全く違った言語を形成してきたし、また、いまだにそうし続けているのだ。
そのため、現在地球上ではこんなことが起きる。この惑星のある地域に生息する者がたまたま同じ惑星の別の場所に行くと、そこの人間たちの言語を習得しないかぎり、そこの彼と同種の生物たちと交渉する可能性は全くないのだ。
当時わしは彼らの18の言語を完全に習得したが、そのわしでさえ、旅行の途中、ポケットにはいわゆる〈お金〉がいっぱい詰まっていたにも関わらず(普通これを出せば、彼らは喜び勇んで何でもおまえの好きなものをくれるのだが)馬にやるまぐさを手に入れることすら不可能なこともあった。
例えばこんなことも、そこでは起こりうる。この不幸な生物たちのある者がある町に生存していて、その町で使われている言語はすべて知っているが、ある時ある理由で、地球でいうところの50〈マイル〉(この距離は我々の1〈
クリントラーナ〉にほぼ相当する)ばかり離れた場所に行かなくてはならなくなったとする。するとこの哀れなる三脳生物は、自分の生存をどうにかこうにか確立していた場所からほんのわずか離れただけで(ここでもまた、以前に話した彼らの異常さのために、そしてもちろんまた、これら不幸な生物たちの体内では、本能的知覚全般のためのデータがはるか昔に衰えてしまっていることもあって)完全に無力になり、本当に必要なものを求めることはおろか、話しかけられた単語一つを理解することさえできなくなるのだ。
これら数多ある彼らの言語は、互いに共通するものを何ももっていないばかりか、そのうちのあるものは、今言った目的のために自然がこの生物の体内に特別に取りつけた〈声帯〉と呼ばれる器官の能力に全く適さないようにできあがっていた。そのため、この点に関しては彼らより遙かに大きな能力を持つこのわしでさえ、いくつかの単語は全く発音することができなかった。
しかし惑星地球の生物自身にもこの〈馬鹿馬鹿しさ〉はよくわかっているらしく、近年、まだわしがそこにいる間に、すでに〈確固たるものとなった〉様々な共同体の〈代表者〉が多数一堂に会して、共にこの難局を打開する方策を模索した。
このように一堂に会した当代の〈重要な〉共同体の代表者たちの根本的な目的は、すでに存在している言語の中から一つを選び出して、それをこの惑星全体に共通のものにすることであった。
しかしながら、例によって例のごとく、あらゆる見込みのある計画も常に失敗させる原因となるあの意見の相違が起こり、そのためこの真に賢明な意図からはいかなる結果も生じなかった。
なぜこのような〈意見の相違〉が起こったのかをもう少し詳しく話せば、これは彼らの間でしょっちゅう起こる〈意見の相違〉の典型的な例だから、きっとおまえの理解の助けになるだろう。
さて、このように一堂に会した現代の強大な共同体の代表者たちは、なぜかわからんが、この惑星の共通言語の選択の枠を、最初から現存する3つの言語に定めてしまった。すなわち〈古代ギリシア語〉と〈ラテン語〉、それから……現代の人間たちが新たに造り出した言語である〈エスペラント語〉だ。
このうち最初の言語は、徐々に形成されて、古代の共同体の人間たちが彼らの〈対話関係〉のために使用していたものだ。彼らは、前にも話したように、アジアの漁師たちの小さなグループから生まれ、後には強大な共同体となり、その共同体の人間たちは長い間〈科学の発明〉の専門家として活躍した。
この共同体の人間たち、すなわち古代ギリシア人からは、様々な科学だけでなく、彼らの言語も現代の人間たちに伝わってきた。
しかし彼らが惑星の共通言語にしようとした二番目の言語、つまり〈ラテン語〉は、前にも話したように、アジアの羊飼いたちの小さな集団から形成されたあの古代の強固な共同体の人間たちが使っていた言語だが、この羊飼いの集団の子孫たちは、後に次のような事態が生じる原因を生み出した。すなわち、後世のすべての人間の体内に、ある歪んだ機能が徐々に形成され、ついには決定的に根をおろして彼ら固有のものとなったが、この機能のせいで、彼らの中に生じる衝動、つまり進化に向けての奮闘という意味での衝動はすべて、その発生のそもそもの根本からすでに自動的に麻痺してしまったのだ。この機能を彼らは〈性的感受性〉と呼んでおる。
さて、これら現代の〈強大な〉共同体の代表者たちが一堂に会して、今言った言語のうちどれか一つを選ぼうとしたのだが、次のようなことを考えたためにどれにも決めることができなかった。
まずラテン語は、語彙の数において貧弱であると考えた。
実際、羊飼いたちは必要とするものも限られていたので、多くの語彙をもつ言語は生み出せなかった。たしかにラテン語は後には大きな共同体の言語になりはしたが、彼らは、乱痴気騒ぎに必要な特殊な語彙のほかは、この惑星の現代の人間たちが必要とするようなものは何一つ生み出さなかった。
次にギリシア語だが、これを生み出した昔の漁師たちは、あらゆる種類の空想的な〈科学〉を〈発明する〉際に、それに必要な単語もたくさん案出し、それがこの言語の中に残っていたので、語彙の豊富さゆえにこの惑星の普遍言語として使えたかもしれないのに、これら現代の強大な共同体の代表者たちは、またしても例の奇妙な精神から生じる不可思議な特性のために、これに決定することができなかった。
つまり肝心な点は、この惑星の共通言語を選ぶために集まった人間たちは全員、現代文明のこの時期に、強大、あるいは彼らの別の言い方によれば、〈偉大〉になった共同体の代表者たちだったということだ。
ところが、この古代ギリシア語は今も〈ギリシア〉と呼ばれる現代の小さな共同体の人間たちによって使われているが、彼らはその昔の〈偉大なるギリシア人〉の子孫であるにも関わらず、この惑星の共通言語を選ぶために集まった代表者たちがそれぞれ属する〈重要な共同体〉に比べると、所有する〈大砲〉や〈船〉の数が全く少なかったのだ。
そこで代表者の一人一人は恐らく次のようなことを考えたのだろう。
『とんでもない! 誰があんな取るに足りない共同体の人間たちが話している言語など使えるものか! あの共同体は、〈国際的な五時の会〉へ代表者を送りこむ権利の印である大砲さえもっていないではないか!』
もちろんこのような現代の人間たち、つまり重要な共同体の代表者となるような人間たちは、なぜ自分たちの惑星では、その表面の一部に生息する、あるいはあれこれの共同体を形成している彼らと同種の人間たちが一時的に〈重要〉あるいは〈偉大〉になるということが起きるのか、その本当の理由は何一つ知らないのだ。
彼らには、こういうことが起きるのは、その共同体の人間たちの中に何か特別な性質があるためではなく、彼らの太陽系全体の調和的運行との相互関係において、ある期間に、最も偉大なる
普遍的トロゴオートエゴクラティック・プロセスに必要なあの振動、すなわち彼らからの放射物か、あるいは彼らに生じる聖ラスコーアルノのプロセスから生じる振動が、この惑星の表面のどの部分により多く要求されるかということだけで決まるということなど、思いもよらないのだ
さて、集合した代表者たちが惑星の共通言語として提案した3つ目の言語、すなわち彼らがエスペラントと呼んでいる言語だが(実際これをめぐっては、彼らが〈口角泡を飛ばす〉という表現で特徴づけているいつもの論争さえ起こらなかった)理性もすっかり萎縮してしまっている彼ら自身でさえ、この言語はどうやってみても彼らの目的に使うことはできないと直ちに判断を下した。
この言語の発明者たちは、言語は研究室の中でちょいちょいと作り出せる彼らの現代科学のようなものだと考えたのだろう。実際彼らは、多少とも〈実用的な〉言語はすべて、何世紀という時間の経過の中で、いやそればかりか、多少とも正常な生存プロセスが進行している間にだけ形成されうるということなど、チラリとも考えなかったのだ
とはいえこのエスペラント語なる新発明は、我々の深く尊敬するムラー・ナスレッディンが雌鶏たちに話してやる面白い小話を作ることくらいには使えるかもしれん。
要するに、惑星の共通言語を確立するという有望な計画にとりかかりはしたものの、結局は彼らの〈馬鹿馬鹿しさの極み〉を何一つ変えることなく、すべては以前のまま、つまり、ちっぽけな〈半分死んだような陸地〉をもつ、このどちらかといえば取るに足りない小惑星は、われらが敬愛する師、ムラー・ナスレッディンいうところの〈千の舌をもつヒドラ〉のままで今日に至っているのだ。
さて坊や。こうしてわしは、今回の目標、つまりおまえを喜ばしておるこの惑星の三脳生物の体内に見られるこの奇妙な精神を生み出した原因をはっきりつかむという目標に向かって調査を始めたのだが、その際まず、彼らの体内の精神のいわゆる〈隠された細部〉を明らかにする必要が生じてきた。ちょうどその頃、つまりこの最後の滞在を始めた頃、予期せぬ大きな困難がもちあがった。それは何かというと、彼らの中にひそんでいる性質、すなわち彼らの潜在意識の中に見られる特性に光を当てるには、彼らからの意図的な助力、言いかえれば、時の流れと共に、彼らが目が覚めている状態にある時に所有することが常となったあの意識の助けがどうしても必要であることが判明したのだ。いや、そればかりか、そのためにはわしはあらゆるタイプの三脳生物、つまり近年彼ら全員がそのうちの一つに属するようになったすべてのタイプの者たちから、この自発的助力を受けなくてはならなかったのだ。
しかしまた、これもこの頃までには明らかになったのだが、彼らの体内では、〈誠実〉と呼ばれる衝動を生み出すすべてのデータがほとんど退化してしまっていた。しかもその退化たるや、もはや彼らは、他の人間たちに対してばかりか自分自身に対してさえ、たとえ誠実でありたいと思っても不可能であるほど酷いものだった。言いかえれば、彼らはもはや、自分の中の霊化された部分の一つでもって、他の部分を公正に批判し、判断するということができなくなっていたのだ
ここでわしは、これに続く特別な調査の結果、次のことが判明したことを言っておかねばならん。すなわち、自分自身に対して誠実である能力を生み出す、彼らの中に当然なくてはならないデータが退化した原因にはある一つの基盤があり、一方、他の人間たちに対して誠実である能力が退化した原因にはそれとは別の基盤があるということだ。
今言った2つのデータのうち、最初のものが退化してきた基盤は、彼らに共通した精神における整合性の乱れという事実に見いだすことができる。
それはつまりこういうことだ。彼らの間で六度目の滞在を始めた最初の頃、全般的に彼らの体内では、他の三脳生物すべてと同様、〈自責〉と呼ばれる衝動、つまり彼ら自身が〈良心の呵責〉と呼んでいる衝動がいまだに結晶化し続けていた。しかし一方では、彼らの通常の生存プロセスにおける表現行為は、内的なものも外的なものも、ますます三脳生物にふさわしからぬものになりはじめていたのだ。
その結果彼らの体内には、次第に頻繁にこの良心の呵責を表現したいという欲求が生じるようになる。すると、それによって引き起こされる感覚は(これは〈
パートクドルグ義務〉から生じる感覚とよく似ている)必ずや、三脳生物の身体に生得の〈否定的原理〉、すなわち〈自己沈静〉と呼ばれる原理を抑圧し、奴隷化するに至る。そのため彼らの体内では、その身体が内的、外的にいろいろなことを表現しようとする時(この表現は三センター生物の中に当然存在している、別々に独立して霊化された部位の中のどれか一つから自然に生じる刺激によって引き起こされる)その度毎に彼らにとっては不快なこの自責の感覚が生じるのだが、しかし最初は彼らの中の沈思黙考する部分の意図によって、後には彼ら自ら作り上げた習慣に従って、次第にこの〈自己批判〉は窒息させられるようになり、ついには停止してしまうのだ。そんなわけで、彼らの身体組織の中で常に生じては増大していくこの〈無能力〉ゆえに、またそれが絶えず繰り返され経験されるために、彼らの精神の全機能の調和は完全に混乱し、そのため次第に、われらが大宇宙のあらゆる三脳生物にとって間違いなく生得のものであったこのデータ、つまり少なくとも自分自身に対しては誠実さを発揮できる原動力となるデータは、彼らの体内からほとんど消滅してしまったのだ。
一方、彼らの体内から、彼らと同種の他の生物に対して誠実で〈あることができる〉原動力となるデータが消滅する基盤となったのは、前にも話したが、遙か昔に確立された彼らの間の異常な形態の相互関係、すなわち様々な〈カースト〉あるいは〈階級〉と呼ばれる相互区分に基づいた関係であった。
こういった有害な、様々な種類のカーストにお互いを押し込め合う習慣が彼らの間で生まれ、やがて確立されてくると、その頃から徐々に彼らの体内には、2つの正反対の独特な〈有機的特性〉と呼ばれるものが結晶化するようになった。そしてこの特性は次第に、彼らの通常の意識あるいは〈潜在意識〉のいずれにも関係なく外部に表現されるようになった。
この2つの特性というのは、彼らはいつも互いに対して、いわゆる〈傲慢〉な態度か〈卑屈な〉態度かのどちらかをとるということだ
これら2つの特性が表れている間は、彼らの中では相手とのいわゆる〈対等の間柄〉の上に立った関係はすべて麻痺させられ、そのため特に近年では、内的に誠実な関係ばかりか外的に通常の慣習的な関係までも、彼らの間では次のような形で結ばれるようになった。すなわち、もし誰かが、相手のカーストよりも高いとみなされるカーストに属しているとすれば、彼の体内に、この相手に対してはあらゆることにおいて、いわゆる〈傲慢さ〉あるいは〈軽蔑〉〈恩着せがましさ〉〈優越感を伴ったへりくだり〉などと呼ばれる衝動が常に生じるのはもう全く当たり前のことになっている。しかし一方、もし自分のカーストが相手のそれより低いと見れば、彼の体内では必ずや、いわゆる〈自己卑下〉〈偽りの謙遜〉〈追従〉〈おべっか〉〈卑屈〉、その他多くの似たような特殊な衝動が生じ、それらが一丸となって、彼の体内にも当然あるべき〈自己の個体性に対する認識〉と呼ばれるものを絶えず腐食していくのだ
こういった特性は彼らの身体に固有のものとなり、そのため徐々に彼らは、自分と同種の生物、それも自分と同じカーストに属する者に対してさえ誠実さを示す習慣を失い、そして自動的にその能力も失っていった。
こういった事情があったので、わしは今回おまえのお気に入りたちに混じって生存する間、地球に存在する職業のうちでも、ある程度誠実になれるような関係を自動的に結べる可能性のある職業に就くことにした。そうすれば、わしにとって絶対に必要な調査ができる可能性も大きくなるし、そのための材料も手に入れやすくなるからだ。

(中略)


第32章 催眠術

ベルゼバブは話を続けた。
「というわけで、この惑星地球での六度目の滞在は長いものにしようと思い、それでわしは医師という職業に就くことに決めた。そして実際になったわけだが、ただし大部分の者がなるような普通の医師ではなく、〈催眠術医〉と呼ばれているものになったのだ。
なぜそんな専門家になったのかというと、まず第一に、近年ではこのような専門的医師だけが、前に話した様々な〈階級〉や〈カースト〉すべてに自由に出入りできる権利を獲得しており、おまけに彼らは、非常なる信用と権威を享受していたために、普通の人間たちは彼らに対して誠実に振る舞い、おかげで彼らの、地球流にいえば、人間の〈内面の世界〉を覗くことができたからだ。
このような専門家になろうと決めた第二の理由は、わし個人の目的の達成と並行して、これら不幸な者たちの何人かに、本物の医学的援助を与える可能性を手に入れるためであった。
実際のところ坊や、すべての大陸で、また、属している階級に関係なくすべての人間たちの間で、近年この種の医師に対する需要は非常に大きくなってきていた。
わしはこの領域においては既に極めて広範な経験を有していた。それというのも、以前おまえのお気に入りたちの何人かの精神を探って、ある微妙な点を解明した時に、この種の医師が用いる方法を何度も使ったからだ。
忘れずに言っておかなくてはならんが、以前はおまえのお気に入りたちも、全宇宙のすべての三脳生物と同じく、いわゆる〈催眠状態〉に陥るのを可能にするような特殊な精神的特性など有してはいなかった。このような状態に入るのが彼ら特有のこととなったのは、体内の機能の調和が乱れたことから彼らの精神の中で様々なことが組み合わさったためだ。
この奇妙な精神的特性が生じたのはアトランティス消滅の直後のことで、その後〈ズースタット〉、すなわち彼らの〈意識〉の機能が2つに分裂し始めた。
そして互いに何の共通点もない2つの全く異なる意識、つまり一つは単に〈意識〉と呼ばれ、もう一つは(ようやく彼らも自分たちの中にこれを認めたのだが)〈潜在意識〉と呼ばれる2つの意識が彼らの中で徐々に形成されるようになって以来、この特性は彼ら全員の体内にしっかりと固定してしまった
これから説明することを明瞭に理解し、体内の適切な部分で肉化するならば、恐らくおまえは、おまえの興味を引いている惑星地球に生息するこの三脳生物の精神がこれほどまでに特異な現象となった理由のほとんど半分近くを理解できるだろう。
彼らの精神のこの特異性、すなわち〈催眠状態〉に陥ることは、前にも言ったように、この惑星の三脳生物だけに見られる固有の性質であり、だからもし彼らが存在していなければ、われらが大宇宙全体には〈催眠術〉という概念すら存在していないだろう。
これについての説明に入る前に、ここで次のことを強調しておいたほうがいいだろう。おまえの興味を引いている、とりわけ現代の三脳生物の大多数が送っている通常の目覚めた生存のほとんど全プロセスは、最近20世紀の間ずっと、彼ら固有のこの状態、すなわち〈催眠状態〉にあるにもかかわらず、彼ら自身は、この特異な性質をもったプロセスが彼らの中で加速度的に進行し、その結果が集中的に現れた時の状態だけをこの催眠状態という名で呼んでいるのだ。つまり彼らは、自分たちの通常の生存プロセスに最近定着したこの固有性の異常な現れに気づいていない、あるいは彼ら流の言い方をするならば、思い当たっていないのだ。その原因はいくつかあるが、まず第一に、彼らには正常な自己完成に向かう姿勢が全般的に欠如しているために、いわゆる〈広い視野〉と呼ばれるものがないからであり、第二には、
イトクラノス原理に従って誕生し、生存しているために、知覚したものを〈すぐに忘れる〉ことが生得の性質となっているからだ。しかし今言った彼らのこの生得の性質が〈加速度的・集中的に〉生じてくると、自分のものも他の人間のものも、あらゆる種類の異常な表現活動が極めて現実的なものになり、その結果、彼らの萎縮した理性でも見落としようのないほどはっきり知覚できるようになる。
しかし、たとえ彼らのうちの誰かが、偶然自分の、あるいは他の人間の表現行為の中に何か非論理的なものを認めたとしても、〈類型〉の法則に関する知識をもっていないがために、せいぜいそういった表現行為を、その人間の性格の特殊性のせいにしてしまうのが関の山だ。
彼らの精神にひそむこの〈異常な〉特性に最初に気づいたのは、マラルプレイシー国のゴブ市の知識人たちであった。そしてその時早くも彼らはこれを学問の一分野として真剣かつ詳細に研究し始め、これは次第に〈責任を伴わない人格の表出〉という名で惑星全体に広まっていった。
しかしその後、彼らの〈周期的な相互破壊のプロセス〉がまたしてもやってくると、当時はまだ比較的正常であった彼らの科学の中のこの詳細に研究された分野も、彼らの他のすべての良き達成物と同じく徐々に忘れ去られ、ついには完全に消滅してしまった。
そしてずっと何世紀も経た後にようやく、彼らの科学のこの分野は再び復興の兆しを見せ始めた。
しかしながら……この時期までには地球の知識人のほとんどはいわゆる〈新型〉の知識人になっており、そのため彼らはこの新たな復興をしっかり握りつぶしてしまったので、この可哀想な分野は発展するいとまもなく、たちまち彼らの共有のものであるいわゆる〈ゴミの山〉の中へ投げこまれてしまったのだ。
その経緯をもう少し詳しく話してみよう。
〈オーストリア・ハンガリー〉というところに、同時代の人間とは一風変わった一人の謙虚な知識人が誕生したが、名前をメスメルといった。ある実験の最中に彼は偶然、自分と同じ生物の意識の中にひそむ真の二重性にはっきりと気がついた。
彼はこれに非常な感銘を受け、この興味深い問題に没頭するようになった。
観察と研究を続けた結果、彼はその原因を突き止めることにほぼ成功した。しかしその後、ある詳細な点を解明するために実験を始めたまさにその時、例の〈新型〉知識人に特有の特性が彼に向かって噴出し始めた。
地球の新型知識人がもっているこの特性は、〈いびり殺し〉と呼ばれている。
この正直なオーストリア・ハンガリーの知識人は、当時の地球の新型知識人のほとんどが行なっていたのとは全く違ったふうに実験をやり始めたために、そこでの習慣に従って、実に用意周到に〈いびり殺された〉のだ。
この哀れなるメスメルをいびり殺したプロセスは実に効果的だったので、今では既にそれ自体の惰性で、地球の知識人の間で代々受け継がれていっておる。
例えば、現在この催眠術の問題に関して存在している本はすべて(またこういった本は何千とあるのだが)常に次のような書き出しで始まっておる。いわく、このメスメルはやたらに金を欲しがるごろつきであり、また一流のペテン師以外の何者でもなかったが、われらが〈正直〉かつ〈偉大なる〉知識人たちは直ちに彼の正体を見破り、彼が悪事を働くのを防いだのである、とな。
この奇妙な惑星の最近の知識人一人一人が、〈痴呆性〉という意味においてますます〈四角四面〉になればなるほど、彼らはますますメスメルを批判し、辱めるために、彼に関するありとあらゆる馬鹿げたことを言ったり書いたりするようになってきた。
そうすることで彼らは、この惑星の謙虚で正直な知識人、すなわち、もしいびり殺されてさえいなければ、あの科学、つまり彼らに絶対に必要な唯一の科学であり、彼らが
器官クンダバファーの特性が生み出す諸結果から自らを解放する恐らくは唯一の手段である科学を、必ずや復興したであろうまさにその人間を批判しているのだ。
ちなみに付け加えておくと、わしがこの惑星を永久に離れようとしていた時、メスメルに起こったのと全く同じことが繰り返された。この時は、フランスという共同体の人間たちの一人である正直で謙虚な知識人が、良心に従って忍耐強い努力を続けた後に、あの恐るべき病気(これが広くいたるところに見られるのもこの惑星の特徴だが)を治療する可能性に行き当たった。
この恐るべき病気は地球では〈癌〉と呼ばれている。
このフランス人もまた、自分の発見を詳細に解明するために地球の一般的な流儀とは違った実践的な実験をしたために、この時も同時代の知識人たちは彼に対して以前と同じ特性を発揮した。つまり彼を〈いびり殺した〉のだ。
以上の話を聞けば、たぶんおまえの体内にも、このことに関する〈疑いようのない確信〉という衝動を、これに該当する事態が起きればいつでも生み出せるデータが既に結晶化し始めていることだろう。この事というのはつまり、新型知識人、すなわち、地球上に作り上げられた異常な生存状態ゆえに、既に定着している事と同じ事をやらない同僚は全ていびり殺すという特性を植えつけられている知識人がいるばかりに(しかもそれだけが原因で)これから先もこの不幸なる惑星地球の三脳生物の体内では、この上なく神聖なるアシアタ・シーマッシュも大いに期待していた
聖〈アントコーアノ〉と呼ばれるものが進行することはまずないだろうということだ。
彼のこの〈本質を愛する期待〉について偶然知ったのは、彼の非常に神聖なる行為を調査していた時だった。
坊や、おまえはたぶんまだ、この
聖アントコーアノという宇宙プロセスがどんなものか知らんだろう。
聖アントコーアノというのは三セン夕ー生物の中の客観理性が完成していくプロセスに名付けられた名称で、このプロセスは単に〈時の流れ〉に従ってひとりでに進行する。
一般に我々の大宇宙の三脳生物が生息している惑星では、客観理性の完成は、彼ら個人の意識的努力と意図的苦悩があって初めて起こりうる。
この
聖アントコーアノは、ある惑星のすべての生物がすべての宇宙的真理を知っているという、そういう惑星でのみ起こりうるのだ。
そういった惑星では、ある生物が意識的努力によってある真理を知るに至り、それをその惑星の他の生物たちと分かち合う。そういうふうにしてその惑星では徐々にあらゆる宇宙的真理が、何の区別もなくすべての生物に知れ渡るようになるのだ。
われらが《すべてを予見する共通なる永遠の父》が意図的にお造りになったこの聖なるプロセスのおかげで、次のことを予見することができるようになった。それはすなわち、ある惑星の三脳生物の体内で、根源的な聖なる
宇宙法則トリアマジカムノのプロセスが進行中に、そこで得られる第三の聖なる力、つまり〈聖なる調和〉の力の余剰分が、ひとりでに彼らの中で、〈エゴアイトーラシアン意志〉と呼ばれるものを生み出すデータを結晶化するであろうということだ。
さてそこで……先ほど話した、おまえのお気に入りたちの体内に近年新しく定着した特性というのは、前にも言った彼らの
ズースタットの機能、あるいは彼ら流にいえば〈霊的部分〉の機能が、彼らが完全に受動的な状態にある間、すなわち〈睡眠〉中に彼らの身体の機能へとそのまま移行し、そのため彼らの惑星体の全機能は、睡眠中も、目覚めている時に特有のものとなった状態と同じ状態にとどまり続ける、ということだ。
この驚嘆すべき〈精神的特性〉から生じる様々な結果をはっきり理解するためには、何をおいてもまず、おまえのお気に入りたちの体内に生じた2つのことについて知っておかねばならん。
そのうちの一つは、現存する宇宙法則である〈自然の自己順応性〉によって彼らの体内に生じたものであり、2つ目は、もう何度も話したように、彼ら自身が作り上げた異常な生存状態から生じたものだ。
まず第一の事実だが、彼らの異常な生存のために彼らの中に〈2つのシステムの
ズースタット〉と呼ばれるもの、すなわち2つの独立した意識が形成され始めると、その時以来大自然は徐々にこの状態に順応し始め、ついには次のような状態を生み出した。すなわち、彼らがある一定の年齢に達すると、異なったいわゆる〈テンポ〉をもつ2つの〈インクリアザニクシャナス〉、つまり彼ら流にいえば異なる二種類の〈血液循環〉が彼らの体内で進行するようになった。
この一定の年齢に達すると、異なるテンポの2つの〈
インクリアザニクシャナス〉、つまり〈血液循環〉のどちらか一つが、彼らの体内で、今言った2つの意識の一方の機能を引き起こし始める。また逆のことも起こる。すなわち、ある一方の意識を集中的に働かせていると、それに呼応する血液循環を引き起こすのだ。
彼らの体内のこれら二種類の独立した血液循環の違いは、〈
テンポ・ダヴラクシェリアン循環〉と呼ばれるもの、あるいは地球の現代医学の表現に従えば、〈血管を満たすものの違い〉によって生じる。言いかえれば、目覚めている状態では、彼らの体内の〈血圧の重心〉は血管の全組織のある一部分に存在するのに対し、受動的な状態ではそれが別の部分に移るということだ。
次に第二の事実、つまりおまえのお気に入りたちの異常な生存状態から生じる事実だが、それはこういうことだ。彼らは自分たちの子孫が誕生したその瞬間から、この子孫たちをまわりの異常な環境に適応させるべく、あらゆる手段を使って意図的に彼らの〈
ロジックネスタリアン部位〉に、これもやはり彼らの異常な生存から生じた結果である人工的知覚のみから得られる印象をできるだけ沢山植えつけようとする。自分たちの子孫に対するこの有害な行為を彼らは〈教育〉と呼んでおる。その時以来、こうした人工的な知覚全体は徐々に彼らの体内で自らを他のものから分離させ、そしてそれ自体の独自の機能を確立する。この機能は惑星体の機能と連動してはいるが、それは惑星体が自動的な表現行為を行なうのに必要な最低限度の結びつきだ。そして彼らはこの人工的な知覚全体を、その愚直さゆえに自分たちの真の〈意識〉だと考えるようになる。しかし一方、真の意識を生み出すために大自然が彼らの中に植えつけた聖なるデータはどうかというと(ちなみにこの意識は、彼らが生得のものとして持っている特性、すなわち彼らの中に〈信頼〉〈希望〉〈愛〉〈良心〉という真正の聖なる衝動を生み出す特性とともに、彼らが責任ある生存への準備を始める最初の段階から所有しているべきものなのだが)、これらのデータも同じように隔離されて次第に孤立していき、そして〈教育〉にあたる責任ある生物の意図から全く離れて、もちろんその所有者自身からも完全に独立して徐々に進展し、やがてはいわゆる〈潜在意識〉とみなされるようになるのだ。この〈教育〉は、客観的見地からすれば彼らの子孫に甚大な害を与えているのであるが、彼らの愚直で主観的な理解力にとっては〈善行〉に映るのだ。そしてこの〈教育〉のせいで、彼らの体内に真の意識が形成されるよう大自然が植えつけた聖なるデータはすべて孤立し、彼らの全生存期間中、ほとんど原始の状態のままにとどまる。そして、外部世界を知覚するために彼らの体内に存在している6つの〈スケルナリッツ・イオニクス〉、あるいは彼らの用語を使うならば〈感覚器官〉(ついでにいうと、彼らはこれを5つと考えている)を通して絶えず不可避的に知覚されるあらゆる種類の印象はある部位に集められ、その機能が孤立していくに従って、次第に彼らの身体全体を支配するようになるのだ。
このように偶然知覚された〈印象〉が〈集められた部位〉はたしかに彼らの体内に見られるし、彼らもその働きに気づいてはいるものの、彼らの惑星体に固有の機能という点に関して、また彼らの体内に客観理性を獲得するという点に関しては、それは何の役割も果たしていない。
このように意図的、あるいは偶然に知覚された印象はすべていくつかの部位に集められ、いうなればそれらの部位を形成するのだが、これらの印象は、彼らが当然持っているべき真の意識のための対比的論理を生み出す材料としてのみ彼らの体内に存在していなくてはならない。ところが彼らは今では、こんなふうに知覚された印象から偶然に生じる結果を、その愚直さゆえに、自信をもって、いわゆる〈動物本能〉と呼ばれる取るに足りないものの単なる表れと考えているのだ。
おまえのお気に入りたち、
特に現代の彼らはかの有名なる教育を、少なくとも彼らの子孫の潜在意識に適合するように改案する必要があることなど、知りもしなければ考えてみたこともない。逆に彼らはいつも、どんなことにおいても、成長しつつある世代の者全員が、人工的に作られた異常なものからだけ印象を知覚するよう意図的に手助けしているのだ。そしてまさにこのために、彼らが責任ある存在の年齢に達すると、彼らの判断、及びそれから引き出す推論はすべて実に奇妙な具合に主観的になり、やはり彼らの中で生じる純粋な衝動とは何の繋がりも持たなくなるばかりか、宇宙全体に見られる合法則的現象とも一切関係をもたなくなってしまう。だが、この現象を理性で感じ取るのはあらゆる三脳生物にとって本来的なことであり、またこれを手段としてわれらが大宇宙全体のあらゆる三脳生物の間に結びつきが生まれるのだ。そしてこの宇宙のありとあらゆるものが存在する究極目的は、我々三脳生物が共同でこの汎宇宙的機能を果たすことなのだ。
彼らのこの独自の〈精神状態〉をもっと幅広く理解するためには、次のことを知っておかねばならんだろう。現在でも彼らは、真の理性の獲得に必要なあらゆるデータを具えて誕生してくる。それに誕生時には彼らの体内ではいまだ〈
ロジックネスタリアン成長〉は(これは後に彼らの体内で、今言った〈偽りの意識〉の孤立化した機能が集中し、獲得される原因となるものだが)全く起きていない。しかし時間が経つにつれ彼らも成長し、責任ある存在になるための準備を、自分自身で、あるいはいわゆる〈両親〉や〈先生方〉(つまりある人間が責任ある存在になるための準備の責任を負う責任ある人間たち)の意図的な指導のもとに行なうようになるが、この準備の責任を負っている人間どもは、さっきも言ったように、後には、周囲の異常な環境に呼応する衝動を生み出すデータとなるような、そんな印象だけをこの若者たちが取り入れ、定着させるのを意図的に援助し始めるようになる。そしてまさにこの時から、この人工的に形成された彼らの〈意識〉は次第に成長しながら、彼らの身体を支配し始めるのだ。
一方、別に集められたデータ、すなわち彼らの体内に存在し、彼らが潜在意識と呼ぶ真の意識を生み出すために彼らの中で霊化されているデータの総体は、対比的類推や批判のための〈
ロジックネスタリアン成長〉を全く遂げておらず、逆にその誕生の当初から、〈信頼〉〈愛〉〈希望〉〈良心〉と呼ばれる聖なる衝動を生み出す能力だけをもっているために、新たに知覚されたすべてのものを常に信じ、常に愛し、そして常にそれに希望を見いだすのだ。
さて坊や。催眠術師が彼らの血液循環のテンポを変えることによって、一時的に彼らの偽りの意識(これが今では彼らの身体の支配者なのだが)の座の活動を停止させると、彼らの真の意識を生む聖なるデータは、彼らが〈目覚めている〉間でも自由に彼らの身体の全機能と融合することができる。そしてもしその時に催眠術師が、その座の中に定着しているものと正反対の観念をそこに引き起こすデータが結晶化するのを適切に助け、そしてその観念が、彼らの体内の調和が乱れた部分にうまく働きかけるよう導くならば、その部分の血液循環の変化をさらに加速することができるのだ。
ティクリアミッシュ文明の時代、マラルプレイシー国の知識人たちは初めて、自分たちに共通する精神の中でこのようなことが起こる可能性を発見し、お互いを自由にそのような状態に引きずり込もうとあれこれやってみた。そしてまもなく、そのような状態は
ハンブレッドゾインと呼ばれるものの助けを借りて引き起こすことができることを突き止めた。現代文明の三脳生物たちもこのハンブレッドゾインという宇宙物質の本質を理解する一歩手前まで来ており、これを動物磁気と名づけている。
今している説明だけでなく、これから先の説明を理解するためにも、おまえはこの
ハンブレッドゾインについてもっと詳しく知っておかねばならん。そこで話を続ける前に、この宇宙物質について教えておく必要があるだろう。
ハンブレッドゾインとは他でもない、生物のケスジャン体の〈血液〉のことだ。その総体が血液と呼ばれている宇宙物質が生物の惑星体に栄養を与え、更新させているのとちょうど同じように、ハンブレッドゾインケスジャン体に養分を与え、完成へと導いている。
ここで言っておかねばならんが、一般に、三脳生物の、そしておまえのお気に入りたちの血液を構成しているものの質は、それ以前に〈完全に形成されている〉存在体の数に依存しておる。
三脳生物の体内の血液は、3つの個々に独立したいわゆる〈生成の全宇宙的源泉〉と呼ばれるものの変容から生じる物質によって構成されているといってよい。
自然が生物の惑星体を維持するために造ったこの存在血液を構成している物質は、その生物が形成され、生存している惑星の物質が変容することによって生じる。
ところがこの
ハンブレッドゾインと呼ばれる、生物のケスジャン体を維持するために造られた物質の総体は、その三脳生物が誕生し、生存している太陽系の他の惑星及び太陽それ自体の諸成分が変容することから得られるのだ。
最後に、血液の中でも、ほとんどあらゆるところで
聖ハンブレッドゾインと呼ばれ、ほんのいくつかの惑星でだけ〈聖アイエサカルダン〉と呼ばれている血液があるが、これは魂と呼ばれる生物の最高次の部分のために働くもので、われらが至聖絶対太陽からの直接の放射物から形成されている。
生物の惑星体の血液に必要な物質は、彼らの〈第一存在食物〉を通して、あるいはおまえのお気に入りたち流にいえば〈食物を通して〉彼らの中に入る。
しかし
高次存在体ケスジャンを形成し、完成させるのに必要な物質は、彼らのいう〈呼吸〉、及び彼らの皮膚のいわゆる〈気孔〉を通して彼らの体内に入る。
そして彼らの聖なる部分である最高次存在体、すなわち前にも言った彼らが魂と呼ぶものを形成するのに必要な聖なる宇宙物質は、彼らの体内でも我々の体内でと同様、霊化されたそれぞれに独立した部分すべてがはっきり認識した上で意図的に生み出す〈
アイエシリット-ラスニアン黙想〉と呼ばれるプロセスを通してのみ吸収し、変容させることができるのだ。
おまえのお気に入りたちの体内でこれら3つの独立した存在体が形成され、完成される素材となるこれらの宇宙物質についておまえが完全に理解できるのは、前にも約束したように、もっと先で話そうと思っている世界創造と世界存在に関する重要かつ根源的な宇宙法則全般についての説明を聞いた時になるだろう。しかしとりあえず、今話していることをもっとよく理解するためにも、おまえのお気に入りたちが自動的に取り入れている〈第二存在食物〉が彼らの体内で変化・生成していく過程についてもう少し詳しく説明しておかねばならんだろう。
器官クンダバファーが破壊された当初、彼らも、われらの大宇宙のあらゆる三脳生物と同じく、〈フーラスニタムニアン生存〉をし始め、この第二存在食物も正常に変容されていた。つまり第二存在食物に固有の基本的な成分(彼ら自身の惑星の変容から生じたものもあれば、彼らの太陽系の他の凝集体で生じた変容から彼らの大気圏に流れこんできたものもある)はすべて、彼らの体内にすでに存在しているある特定のデータに従って彼らの体内に吸収され、そしてその構成元素のあるものがその生物に使われずに余剰分となると、我々の場合と同様、自動的に彼らのまわりにいる彼らと同種の功徳を積んだ人間たちの所有物になっていた。
ところがその後、もう何度も話したように、彼らの大多数が三脳生物にふさわしくないような生存を始めると、大自然も彼らの
フーラスニタムニアン生存イトクラノスの原理に従った生存へと変更せざるをえなくなった。その時から次第に彼らの大多数の体内では、大自然の予見したこの確固たる結晶体は(この結晶体は第二存在食物の構成物の中でも最も重要な部分で、生物に吸収されると、高次存在体ケスジャンを形成し完成するための物質へと変容する)彼らの異常な生存ゆえに、意識的にせよ自動的にせよ、今言ったような目的で吸収されることは全くなくなってしまった。このような理由に加えて、他の凝集体で変容された物質は引き続き豊富にこの惑星の大気圏に流れこんできていたために、この不幸な惑星のおまえのお気に入りたちの間ではまたまた別の〈病気〉が生まれ、それが及ぼす害は今では実に大きなものになっておる。
つまりこういうことだ。あらかじめ定められた目的のためには完全に使い果たされなかったこれらの宇宙結晶体は、大気が移動するにつれて大気圏のある特定の層に集中し、そして時に応じて、ということはつまり、様々な外的な環境条件及びおまえのお気に入りたちの身体の内的状態(ついでに言っておくと、これは主として彼らの相互関係がいかなる形態をとるかによって決まってくる)に応じて彼らの体内に入っていく。その際これらの結晶体は、最も偉大なる
汎宇宙的トロゴオートエゴクラットの目的に仕える宇宙物質を変容するための(これも自然が予見した)諸器官の中に入っていく。つまりこれら、すなわちいくつかの宇宙結晶体は、ジャートクロムの合法則的なプロセスの必要に応じる〈基層〉に出会わず、そのためこれらは、その後自由に進展あるいは退縮を繰り返しながら、この惑星に固有の他の結晶体へと変化していく過程で、そしてその変化を完全に遂げる前に、他の偶発的な要因も手伝って、さっき言った新たに生まれた病気の特徴である独特の作用を彼らの惑星体に及ぼすのだ。
ここで次のことを言っておいたほうがいいだろう。このように独特の症状を引き起こすこの病気に、おまえのお気に入りたちは時代により、また彼らの惑星の表面上の場所によっても異なった名称をつけてきた。現代の人間たちもその例にもれず以前とは違った名称をつけ、その原因の説明に関しても様々な〈知ったかぶりの大ぼら〉を吹いておる。
この病気に付けられたものすごい数の名称の中でも、現在最も広く使われているのは〈流行性感冒〉〈インフルエンザ〉〈スペイン風邪〉〈デング熱〉などだ。
さて、生物たちが現在までずっと続けている第二種の食物の体内への摂取に関してだが、彼らが
フーラスニタムニアン原理に従って生存する可能性を失ってしまったために、この第二存在食物の構成物質のあるものは、現在に至るまでずっと、第一存在食物の変容を助け、そしてすでに使われた成分を惑星体から除去するという役目しか果たしていない。
さてこれから、おまえのお気に入りたちの独特の精神的特性について、そしてこの独特の精神的特性を利用して〈専門家の医師〉という資格で彼らに働きかけたあの頃のわしの活動について、もう少し詳しく話しておこう。
この〈催眠術〉、あるいは彼らのお好みの言い方によるならば彼らの〈科学〉のこの分野は、ほんの最近になって誕生し、公認されるようになったのだが、それにも関わらず、これが、それでなくても彼らの大多数の中では既に十分デタラメになっている精神にさらに大きな〈混乱〉を引き起こし、そして彼らの惑星体の機能をさらにいっそうかき乱すもう一つの非常に重大な要因となるには、それほどの時間はかからなかった。
わしはこの専門家、すなわち〈催眠術医〉になって以来、彼らのこの公認科学にも少しばかり興味をもつようになった。その後、様々な重大問題に関するいつもの研究、例えば非常に聖なるアシアタ・シーマッシュの活動の成果に関する調査をしているうちに、彼らの科学のこの分野に関わる問題に偶然行き当たったのだが、その時わしは、この〈誤解されている問題〉についても自分の理性に対してはっきりと解明したのだ。
彼らの現代科学におけるこのような分野を復興させた自動的な推進力(これは現代の人間たちにとってはごく普通のことになっているのだが)は極度に奇妙なもので、彼ら自身でさえ〈ピリリと辛い事実〉と言っているほどなので、この〈復興〉についてもう少し詳しく話してみるのも面白いだろう。
地球の現代の知識人たちは、彼らの科学のこの分野はブレイドという名のイギリスのある教授によって創始され、そしてフランスの教授シャルコーによって発展させられたと断言しておるが、これは事実とは全くかけ離れている。
ついでに言っておくと、これもこの問題に関する詳細な調査から明らかになったのだが、このブレイドなる人間はハスナムスの特性の紛れもない徴を有しており、またシャルコーのほうは、ママのかわいこちゃんの典型的な特性を具えていた。
地球上の、とりわけ現代に見られるこの種のタイプの人間たちは、新しいものを発見することなど絶対にできはしない。
それはともかく、この〈復興〉は実際には次のように起こったのだ。
ある町にペドリーニという名のイタリア人の大修道院長がいたが、彼はその町の女子修道院のいわゆる〈懺悔聴聞僧〉であった。
この大修道院長である懺悔聴聞僧のところへ、エフロシニアという名の一人の修道女がしばしば懺悔にやってきた。
この修道女が語ったところによると、彼女はしばしばある特殊な状態に陥り、そしてこの状態にある間に、彼女の置かれている環境では極めて珍しい表現行為を示したのだ。
そして懺悔の時この修道女は、時々私は紛れもなく〈悪魔のささやき〉の影響下に入るとこの大修道院長ペドリーニに訴えた。
彼女自身が話したこと、それに彼女に関して流布していた噂が大修道院長ペドリーニの興味を引き、彼はどうしてもこれを自分で解明してみたくなった。
ある懺悔の時、彼はあらゆる手を使ってこの修道女の内に率直さを喚起しようとしてみた。その結果彼は、この〈見習い修道女〉にはかつて〈恋人〉がいて、その恋人がある時彼女にとてもきれいな額縁に入れた彼の肖像画を贈ったということを突き止めた。そして修道女は、祈りを離れて〈休息する〉時間に、彼女のこの〈愛しい人〉の肖像画にうっとり眺め入ることを自分に許したのだが、彼女が思うには、悪魔のささやきが彼女の内部で起こるのはまさにこの〈休息〉時間だったのだ。
この修道女が率直に述べた内容すべてが大修道院長ペドリーニの興味をいっそうそそり、彼は何としてでもこの原因を突き止めようと決心した。そのために彼はまずこの修道女エフロシニアに、次の告解に来る時には必ず彼女の愛しい人の肖像画を額縁に入れたままもってくるように言った。
肖像画にはこれといって特別なところはなかったが、額縁のほうはたしかに珍しいもので、真珠や様々な色の石がちりばめられていた。
大修道院長と修道女が一緒に額縁の中の肖像画を調べているうちに、彼は修道女の中で何か変わったことが起こり始めたことに気づいた。
最初彼女は真っ青になり、それからしばらくの間いわば石と化したようになり、それからその場で、新婚の者たちの間でいわゆる〈初夜〉に行なわれるのと全く同じことを、正確かつ詳細に行ない始めたのだ。
これを目にした大修道院長ペドリーニは以前にも増していっそう、この異様な行動の原因をすべてはっきり解明したくなった。
しかし修道女のほうは、この特殊な状態が始まってから2時間後に回復すると、その間に彼女に起こったことは何一つ知りもしないし覚えてもいないということが明らかになった。
大修道院長ペドリーニも自分一人でこの現象を解明することはできなかったので、知人の〈ドクター・バンビーニ〉なる人物に助けを求めた。
大修道院長ぺドリーニからすべてを事細かに聞くと、ドクター・バンビーニもこれに非常に興味をもち、この時から二人はこの件の解明に没頭するようになった。
まず彼らは修道女エフロシニアを使って、この問題の解明に寄与すると思われる実験をあれこれやってみた。こういったいわゆる〈会〉を何度か開いた後、彼らは、この修道女がこのような特殊な状態に入るのは、彼女がかなり長い間、この肖像画の額縁の装飾に使ってあるきらきら光る石の一つ、すなわち〈ペルシアのトルコ石〉と呼ばれているものを凝視する時だけであることを突き止めた。
その後このペルシアのトルコ石を使って、他の人間たちにも同じ実験をやってみたところ、彼らは以下のことを疑いの余地なく確信するに至った。まず第一に、性別に関係なくほとんどすべての三脳生物は、きらきら輝く鮮やかな色の物体を長時間見つめていると、彼らの実験の最初の被験者に起こったのと同じような状態が彼らの中に引き起こされる。第二に、このような状態に入った被験者が示す表現行為は様々で、しかもそれは、たまたま彼らの中で支配的になっていた以前の経験、及びそのような経験の最中に偶然繋がりが出来上がった輝く物体に影響を受けるということだ。

共同体イタリアに属するこの二人の人間が行なったこれらの観察や推論や実験に関する情報が現代の〈新型〉知識人の間に広まると、彼らの多くはこれについて知ったかぶりの大ぼらを吹き始めた。そして、とうとうある時偶然(これは彼らにはいつも起こることだが)彼らは、自分たちと同類の者たちがこの状態にある時には、その者たちの中に既に定着している印象を急激に新しい印象に変えることが可能であることに気づき、すると彼らのうちのある者は、人間に固有のこの独特な精神的特性を治療の目的で使い始めるようになったのだ。
それ以来ずっと、この治療法は〈催眠療法〉と呼ばれ、この治療法を行なう者たちは〈催眠術医〉と呼ばれておる。
人間のこうした状態がいったい何であるのか、そしてなぜそれが起こるかという問題に関しては、現在に至るまで未解決のままで、彼らにはそれを答えることができないのだ。
あの時以来、この問題に関してはありとあらゆる説が現れ、何千冊という本が書かれてきた。おかげでこの不幸な惑星の普通の三脳生物の頭脳は、それでなくても十分デタラメになっているのに、さらにいっそう混乱をきたしてしまったのだ。
彼らの科学のこの分野は、あの古代ギリシアの漁師たち及び現代の共同体ドイツの人間たちの空想的な発明よりも、恐らくはさらにいっそう有害なものだろう。
彼らの科学のこの分野のおかげで、この不幸な惑星の普通の三脳生物の精神の中には、またまた新しいいくつかの〈
カルカーリ〉と呼ばれるもの、すなわち〈本質的奮闘〉が生まれ、そしてそれらは〈アノクリニズム〉〈ダーウィニズム〉〈人智学〉〈神智学〉、その他やはり〈イズム〉で終わる名前を冠して存在している様々な〈教え〉という形態をとって出現した。そのために、彼らが三脳生物にふさわしい存在として生存することを最低限助けていた彼らの体内の2つのデータまでもが、ついには彼らの中から完全に消滅してしまったのだ

つい最近まで彼らの中にあったこの2つの必要不可欠なデータというのは、彼らが〈家父長畏敬〉及び〈宗教性〉と呼んでいる衝動を彼らの体内に生み出すデータであった
彼らの現代科学のこの分野は、彼らの体内にさらに新しいいくつかの有害な
カルカーリが生ずる原因となったばかりでなく、彼らの大多数の精神のそれでなくても異常な働きをさらにいっそう混乱させる原因にもなった。しかし彼らにとっての大きな不幸は、この不調和が生じる遙か以前から、彼らの精神の働きは既に〈アルノクフーリアン不協和音〉と呼ばれる段階にまで達していたことだ。
次の話を聞けばおまえにもこのことがよく理解できるだろう。わしは後にもう一度催眠術医となって、主にヨーロッパと呼ばれる大陸及びその近隣の国々に滞在したのだが、そこで治療活動に当たっている間にわしが診た患者の約半数は、広範に広まった彼らのこの有害な科学のせいで病気になった者たちであった。
なぜこんなことになったのかというと、例の〈新型知識人ども〉がこれらの問題に関していろんな本を書いて、ありとあらゆる空想的な理論をでっちあげた。すると多くの普通の人間たちがこれを読み、そこに述べられている空想に夢中になって、お互いの中にこの催眠状態を引き起こそうとあれこれやり始めた。そしてその結果、彼らは自分で自分をわしの患者にしてしまったのだ。
わしの患者の中には、こういった本をたまたま読んで、自分の利己的な欲望をこの種の暗示によって満たそうとした夫の犠牲となった妻もいれば、同じような理由で無分別なことをする親をもつ子供たちもいたし、さらには自分の奥方の命令下にある、あるいは地球流にいえば〈尻にしかれている〉男たちもいた。
こんなことが起こったのもすべて、もとはといえば、これら〈哀れな新型知識人たち〉が、彼らに起こるこの悲惨な状態に関して様々なハスナムス的理論をでっちあげたからなのだ。
この催眠術の問題に関して現在流布している理論のうちで、真実にほんのわずかでも近いものなど一つもありはしない。
ついでに言っておくと、わしのこの不幸な惑星での滞在も終わりに近づいた頃、また新しい有害な手段が隆盛をきわめるようになり、催眠術という彼らの科学のこの分野が地球の人間たちの精神に対してそれまで行ない、今もまだ行なっているのと同じことをやり始めたのだ。
彼らはこの新しい有害な手段を〈精神分析〉と呼んでおる。
次のこともはっきり知っておかねばならん。ティクリアミッシュ文明期の人間たちが最初に彼らのこの精神的特性について明確に認識し、さらにはまもなく、この手段を使って、彼らの中に存在することがとりわけふさわしくないある種の特性をお互いの中で破壊することができることを発見した時以後、ある者をこの状態に引き入れるプロセスは神聖なものと考えられるようになり、寺院での集会の前にだけ執り行なわれるようになった。
ところが現代のおまえのお気に入りたちの体内には、この彼らの本質的な特性に対する〈悔恨〉という衝動など露ほども生じてはいないし、それに、彼らが意図的に引き起こす、それでいて相手の中には否応なく引き起こされる集中した表現行為を〈神聖な〉ものとも考えていない。それどころか彼らは、そのプロセス自体とそこから偶然に得られる結果とを、彼らの中にしっかりと根をおろしている
器管クンダバファーの特性の諸結果の中のいくつかを〈くすぐる〉ための手段として使い始めているのだ。
例えば〈結婚式〉とか〈洗礼〉とか〈聖人記念日〉などのような、既に定着している〈家父長的儀式〉に集まる時でさえ、そこでの大きな気晴らしの一つはお互いをこの状態に引き入れることなのだ。
彼らがこれ以外の方法、つまり共同体イタリアの人間たちである大修道院長ペドリーニとドクター・バンビーニが最初に発見した、きらきら輝く物体を見つめるという方法(これを使えばたしかに、これまで話したように、彼らのある者をこのような〈集中した状態〉に引きこむことができるのだが)以外の方法をまだ知らないのは不幸中の幸いだ。これから先も決して知ることがないよう願わずにはおられない。」

第33章 職業的催眠術師、ベルゼバブ

ベルゼバブはさらに話を続けた。
「職業的催眠術師としておまえのお気に入りたちの間に存在していた時、わしは彼らのあの特殊な状態、つまり現代の人間たちが〈催眠状態〉と呼んでいる状態を利用して、彼らの精神を実験的に解明してみた。
彼らをこの状態に引き入れるために、わしはまず、ティクリアミッシュ文明期の人間たちがお互いをこの状態に引き入れるのに使ったのと同じ手段、すなわちわし自身のハンブレッドゾインを使って彼らに働きかけるという方法を使ってみた。
しかしその後度々わしの体内には〈同類への愛〉と呼ばれる衝動が湧き起こるようになり、またわしの個人的な目的とは別に、極めて多数の三脳生物の体内に、彼ら自身のためにこの状態を引き起こさなくてはならなくなってきた。それにこの方法はわしの生存に非常に害があることがわかってきたので、わしは自分のハンブレッドゾインを使わないで同じ効果をあげる別の方法を作り出した。
わしの編み出した方法は、血管のある部分の血液の流れをある方法で妨げることによって、前に言った〈血管を満たすものの違い〉を急激に変化させるというもので、まもなくわしはこれの達人になった。
こうして血液の流れを妨げると、彼らの体内では、彼らの目覚めた状態における血液循環の既に自動化されているテンポはそのまま残るものの、同時に彼らの真の意識、つまり彼らが潜在意識と呼んでいるものも機能し始めるようになる。
わしのこの新しい方法はもちろん、おまえのお気に入りの惑星の人間たちが現在もなお使っている方法、すなわち催眠にかける人間にきらきら輝く物体を見つめさせるという方法よりも比較にならないほどいいということが判明した。
前にも話したように、きらきら輝く物体を見つめさせることによって彼らをそのような精神状態に引き入れることが可能であるのは否定できない。ただしこの方法を地球のすべての人間に適用できると考えるのは全くの見当外れだ。なぜかというと、輝く物体を見つめることによって、たしかに彼らの血液循環全体の中では〈血管を満たすもの〉に変化が生じるかもしれないが、しかしこれが生じる主な要因は、彼ら自身が意図的、あるいは無意識的に思考と感情を集中させるからにほかならないからだ。
今言ったことが彼らの中で生じるとすれば、それは彼らの強い期待からか、あるいは彼らが〈信頼〉という言葉で表現する彼らの中で進行しているプロセスからか、または何か近々起こることに対する恐怖の感覚から生じる感情からか、もしくは彼らの体内に既に内包されている、彼らが〈情熱〉と呼んでいる働き、例えば〈憎悪〉とか〈愛〉とか〈官能性〉、〈好奇心〉などといったものの働きから生じるのだ。
だから〈ヒステリー〉と呼ばれる人間たち、つまり〈思考〉と〈感情〉を集中させる能力を一時的あるいは永久に失ってしまった人間たちには、輝く物体を見つめさせることによって、彼らの血液循環の中に〈血管を満たすもの〉の違いを変化させることは不可能で、したがって彼らを催眠状態に引き入れることも不可能だ。
しかしわしが発明した方法、つまり〈血管〉そのものに働きかける方法を使えば、おまえの興味を引いている三脳生物の中のお望みの者ばかりか、地球に生息する多くの一脳及び二脳生物、例えば彼らが〈四足動物〉とか〈魚〉とか〈鳥〉とか呼んでいるものまでこの状態に引きこむことができるのだ。
今言ったように、同類への愛という衝動がわしの中に生じたからこそわしは、おまえのお気に入りたちを既に彼ら本来のものとなっていたこの状態に引き入れるための新たな方法を探し出したのだが、この衝動がわしの中に生じ、しだいに支配的になっていったのには次のような理由があった。わしがこの治療活動に当たっているうちに、あらゆるカーストに属する普通の三脳生物たちは、いたるところでわしに対して愛や尊敬を表し始め、まるで彼らを悪しき慣習から解放する手助けをするために天から遣わされた者のように思い始めた。つまり彼らはわしに対して、極めて真剣な、ほとんど本物の〈
オスコルニコー〉の衝動、すなわち彼らがいうところの〈感謝〉とか〈報恩〉といったものを示すようになったのだ。
わしに対するこの
オスコルニコー、あるいは感謝は、ただわしが救ってやった者たちやその近親の者たちからだけ示されたのではなく、わしと何らかの形で接触した者やわしのことを聞いただけの者たちからも示されたのだが、唯一の例外はあの医師という専門家たちだった。
それどころか彼らはわしを極端に嫌い、普通の人間たちの中に生じたわしに対する良い感情を何とかして損なわせてやろうとやっきになった。わしをそれほどまでに嫌った理由は、ほかでもない、わしが彼らの深刻な競争相手になったからだ。
厳密にいえば、たしかに彼らはわしを嫌う理由があった。というのも、ほんの数日間治療活動に当たっただけで、わしの毎日の診察には何百人という患者がやってきたし、その他にもわしに診てもらいたい者が何百人もおった。その間わしの競争相手たちはずっと彼らの有名なる診察室に座って、誰か変わった患者が〈はぐれた羊〉のようにふらふら迷いこんでくるのを苛々しながら待っていなくてはならなかったからだ。
なぜ彼らがそんなに苛々しながら迷える羊を待っていたかというと、彼らのところにやってきた羊たちのある者はいわゆる〈乳牛〉に変身し、おかげでこの医師どもは、地球では既に当たり前のことになっていたが、〈銭〉とか〈現なま〉とかいった言葉で表わされているものを、彼らから搾り取ることができたからだ。
とはいえ公平を期するために言っておかねばならんが、近年ではこの〈銭〉がないと生存するのはほとんど不可能で、現代の有名なる医師という三脳生物にとっては特にそうなのだ。
というわけでだな、坊や。今言ったように、わしはこの催眠術医という立場でアジア大陸の中央に位置するトルキスタンのあちこちの町で活動を始めた。
まずわしはトルキスタンの中でも、大きな共同体ロシアに属する人間たちがその地を征服して以来〈ロシア・トルキスタン〉と呼ばれるようになった地域と区別して、後に〈中国トルキスタン〉と呼ばれるようになった地域のある町に滞在した。
当時中国トルキスタンの町々では、わしのような医師が非常に強く求められていた。なぜかというと、この惑星のこの部分に生息している三脳生物の間では、この不幸な惑星の生物の体内に生じるのがもう当然のことになっていたいわゆる〈有機体的習慣〉の中でも最も有害なるものの2つが、当時は特に広まっていたからだ。
この有害な有機体的習慣の一つはその地で〈アヘンの吸引〉と呼ばれるもので、もう一つは〈アナシャをかむ〉ことだったが、この〈アナシャ〉は別名を〈ハシシ〉ともいった。
彼らはアヘンを、おまえも知っているようにケシという植物からとり、ハシシは〈チャクラ〉あるいは〈大麻〉と呼ばれる惑星上形成物から作っていた。
今も言ったように、当時わしは中国トルキスタンのあちこちの町に滞在して活動していたが、その後状況が変わって、むしろ口シア・トルキスタンの町にいるほうが都合がよくなってきた。
ロシア・トルキスタンの人間たちの間では、今言った〈有害な習慣〉、あるいは彼ら流にいえば〈悪習〉、つまりアヘンの吸引は極めて稀で、アナシャをかむことはさらに稀だったが、逆にそこではいわゆる〈ロシアのウォッカ〉の摂取が大盛況であった。
この有害な手段は主として〈ジャガイモ〉と呼ばれる惑星上形成物から作られた。
このウォッカを摂取することによって、不幸な三脳生物たちの精神は、〈アヘン〉や〈アナシャ〉を摂取した時と同様、完全に〈馬鹿みたい〉になり、それだけでなく、彼らの惑星体の他の重要な部分も徐々に、しかも完全に退化していくのだ。
ここでついでに言っておくと、ちょうどおまえのお気に入りたちの間で活動を始めた頃、わしは、彼らの精神の領域内でのわしの調査をやりやすくするためにある〈統計〉をとり始めたのだが、これはその後次第に、高次の段階の理性を有する非常に神聖なる宇宙個人のある者たちの興味を引くようになった。
さて当時、医師としてトルキスタンの町々に生息する人間たちの間に生存しておった時、特にその時期の最後の頃には、ひどく激しく働いたせいで、わしの惑星体のある機能の調子が悪くなってきた。そこでわしは、少なくともしばらくの間は何もしないでただ休めるようにするにはどうしたらいいか考え始めた。
もちろん惑星火星の家に帰ることもできたが、その時わしの前に、わしの私的・個人的な〈
ディムツォネーロ〉、つまりわしが自分自身に誓ったいわゆる〈本質的言葉〉に対する責任感が湧いてきた。
わしがこの六度目の降下に当たって自分に誓った本質的な言葉というのは、彼らの体内にこの極度に異常な精神が徐々に形成されるに至る原因となった事実を、一つ残らずはっきりさせるまで彼らの間にとどまるというものであった。
しかしこの時にはまだ、自分に課したこの本質的言葉は成就されていなかった。つまりこの問題を完全に解明するために必要なすべての詳細な情報を得るのに十分な時間が経っていなかったので、惑星火星への帰還は時期尚早であると考えたのだ。
しかしわしの惑星体に必要な休息を与える可能性を保持したままこのトルキスタンにとどまって生存を続けることはできなかった。なぜかというと、この惑星の表面のこの部分、すなわち中国トルキスタン、ロシア・トルキスタンの両方に生息している人間たちのほとんどすべての体内では、自分の知覚を通してか、あるいは他人の描写からか、ともかく既にわしの外観を認知するデータが結晶化しており、おまけにこの国の普通の人間たちはみな、彼ら自身、あるいは彼らの近親が陥っている悪習(わしはたまたま彼らをこの悪習から救ってやる実に比類なき専門家となったのだが)についてわしの話を聞きたがっていたからだ。
こんな状況から逃れるために、わしはトルキスタンが(この場所に関しては、楽しい思い出を呼び起こすデータが当時わしの体内に定着し、今も変わらずに残っている)この惑星での最後の滞在のこの時期にわしの定住の地として適さなくなったことの口実をあれこれ作り出し、それに基づいて行動を起こした。そしてそれ以後、かの〈有名な〉ヨーロッパの諸都市と、何からできているか誰も知らない〈黒い液体〉を出すカフェとが、トルキスタンの町々と、香りのよいおいしいお茶が飲める〈チャイハナ〉にとってかわったのだ。
しかしその前にわしはまず、アフリカ大陸の一部であるエジプトと呼ばれている国に行くことにした。
なぜこの国を選んだかというと、当時エジプトは休息には最良の場所だったからで、同じ目的で他のすべての大陸から、いわゆる〈物質的富〉というやつを所有している三脳生物たちがたくさんやってきていた。
到着するとすぐにわしは〈カイロ〉と呼ばれる都市に落ち着き、さっきも言った激しい精力的な労働をしてきたわしの惑星体が休息をとれるように外的な生存形態を整えた。
前にこう話したのを覚えておるかな。わしはこの惑星の表面に四度目に行った時に初めてこのエジプトを訪ねたのだが、その時の目的は、その地に生存していた我々の種族の者の助けを借りて、〈猿〉と呼ばれる偶然に誕生した〈奇形〉を収集することであった。さらにわしはこうも話したろう。わしはこの国で沢山の興味深い人工的建造物を見たが、その中にはとりわけわしの興味を引いた、宇宙凝集体を観察するための天文台もあった。この六度目の降下の時には、以前存在していた多くの興味深い建造物はほとんど影も形もなかった。
つまりすべて破壊されたのだが、部分的には彼ら自身の例の〈戦争〉とか〈革命〉とかいうやつのせいで破壊され、また一部は砂におおわれてしまったのだ。
こうした建造物を砂がおおったのは、部分的には前にも言ったものすごい強風の結果であり、また部分的には、後にエジプト人が〈
アルネポーシアン地震〉と呼ぶようになった惑星震動の結果でもあった。
この惑星震動が起こった時、〈キプロス〉と呼ばれる今を存在している島の北側に位置していた、当時〈シアポーラ〉と呼ばれていた島が、実に奇妙な具合に、地球でいう5年という時間をかけて徐々に惑星の中に陥没していった。そしてこのプロセスが続いている間、それをとりかこんでいる巨大な
サリアクーリアプニアン空間の中に並はずれたいわゆる〈干潮〉と〈満潮〉が起こり、その結果大量の砂がサリアクーリアップの下から陸地に上がり、既に話したような原因から生じた砂と混じり合ったのだ。
さて坊や。こうしてエジプトについて話をしている間に、いったい何がわしの中で徐々に湧き上がってきて、わしの全存在が何をはっきりと気づくに至ったか、おまえにわかるかな?
実はそれは、惑星地球に生息する三脳生物に関する話の中でわしが犯した許し難い過ちなのだ。
前にわしが、過去の世代の人間たちが達成したものは何一つとして後の世代の者たちに届かなかったと言ったのを覚えておるかな?
わしが間違えたのはまさにこの点なのだ。
わしはおまえの興味を引いたこの生物に関する話をしてきたわけだが、その間ただの一度もわしの連想の中には、わしがこの惑星の表面を永遠に離れるまさに前日に起こった出来事が浮かんでこなかった。そしてその出来事こそが、たしかにおまえのお気に入りの現代人たちにも、遙か昔の人間たちが達成したもののうちの何かが伝わっていることを証明しているのだ。
われらが《あまねく公正なる創造者にして全能なる永遠の主》のわしに対する恩赦、及びわしの最初の誕生の胸懐に帰還してもよいという彼の慈悲深い許可によってその時わしの中に生じた歓喜の放射が、わしがその時の印象を十分に強く吸収することを妨げたに違いない。なぜかというと、わしの存在全体のしかるべき部分には、一つの源泉から生じる様々な表現行為の結果生まれる連想が続いている間に、既に感受したことをその生物の中で反復させる〈完全に結晶化した〉データがあるからだ。
しかし今こうして現代のエジプトのことを話しているうちに、わしの〈視覚〉の前には、かつてはわしを喜ばせたこの惑星表面の大陸のこの部分の地域の画像が生き生きとよみがえってきた。
そしてそれにつれて、以前もっていたこの出来事のかすかな印象が徐々にわしの中で形をとり始め、やがて明瞭な認識へと変わり、そしてはっきり思い出されるようになったのだ。
痛ましい悲劇としか言いようがないこの出来事について話す前に、おまえがこれを多少ともはっきり理解できるように、もう一度アトランティス大陸の三脳生物たち、すなわちアカルダンという名の知識人協会を設立した者たちについて話しておかねばならん。

この協会の、あるメンバーは既に
聖なる遍在するオキダノクについてある程度の観念はもっていたが、さらに持続的な努力を続けることによって、彼らの大気及びある種の惑星上構成物から、その聖なる諸部分を別々に取り出す方法を発見した。その上さらに、これらの〈力を秘めた〉聖なる宇宙物質をある集中状態に保つことによって、その力を借りて彼らの科学的な解明実験を行なう方法まで見つけたのだ。
この偉大なる知識人協会のあるメンバーはさらに次のような発見をした。つまり遍在するオキダノクから抽出された第三部分、すなわち聖なる〈中和力〉ないしは〈調和力〉を使って、惑星上のあらゆる種類のいわゆる〈有機的〉形成物を、ある瞬間にその中に含まれているすべての活性元素を永遠に保持するような状態にする、言いかえれば将来不可避的に起こるいわゆる〈腐敗〉を防ぎ、完全に阻止する方法を発見したのだ
このようなことを実現可能にする知識は相続されて、このエジプトのある人間たち、すなわちアカルダンの学識深いメンバーたちの直接の子孫である秘儀を伝授された者たちに受け継がれていった。
さて、アトランティスが消失してから何世紀も後に、このエジプトの人間たちは、受け継いだ知識をもとにして、やはり
聖オキダノクの聖なる中和力を使って、彼らのある者の惑星体に聖ラスコーアルノが起こった後、つまり彼ら流にいうとその死後に、その惑星体を腐敗も変質もしない状態にして永遠に保存する方法を発見した。
そして実際、わしがこの惑星を六度目に訪れた時には、以前訪ねた時このエジプトに存在していた人間も物もすべて完全に消滅しており、それどころかそういったものがかつて存在していたという観念すら消え失せていた。
ところが彼らが今言った方法で処理した惑星体だけは全く無傷のまま残っており、現在もそこにある。
現代の人間たちはこれら残存する惑星体を〈ミイラ〉と呼んでおる。
エジプトの人間たちは実に簡単な方法を使って惑星体をミイラへと変容させた。
すなわち彼らは、指定された惑星体を約半月の間ヒマシ油と呼ばれるものの中に浸けておき、それからその体内に、適切な方法で溶解させた聖なる〈実体力〉を注入したのだ
さて坊や。これはわしがこの惑星を最終的に離れた後で受け取ったエテログラムで知ったのだが、現在までずっとそこに生存しているわれらが同族の一人が行なった研究と調査によって次のことが判明したそうだ。ある時、エジプトの人間たちの共同体と近隣の共同体との間で例の〈相互破壊〉のプロセスが始まり、ちょうどその時、エジプト人の、彼らが〈ファラオ〉と呼んでいる者の生存が終わりを遂げた。しかしこういった立派な人間の身体を永久に保存することを仕事にしていた者たちも、敵が迫ってきていたため、このファラオの惑星体を、保存に必要な期間、すなわち半月間もヒマシ油に浸けておいた後に処理することなどとてもできなかった。そこで彼らはこの身体をヒマシ油に浸け、それを完全に密閉した部屋に安置し、それからある方法で溶解させたあの聖なる実体力をこの部屋に注入して、望み通りの結果を得ようとしたのだ。
こうして確固たる存在をもつに至った聖なるものは、既に遙か昔にその本質の中に畏敬の念をもたなくなっていた三脳生物の間に、元のままの状態で半永久的にとどまり続けていたことだろう。ところが現代の人間たち、つまり〈無意識の冒涜者〉とでも呼びうる人間たちの体内に、ある犯罪者的な激情が生じ、それが過去の世代の人間たちの聖域までも略奪したいという欲求を呼びさました。そのため彼らはこの、本来は彼らにとって高く崇められた聖域となるはずであった部屋にまで掘って入りこみ、そしてあの神性を冒涜する行為を犯したのだ。わしが自分の間違いに全存在でもって気づく原因となったのはまさに彼らのこの行為なのだが、その間違いというのは、過去の時代の人間たちから現代文明の人間たちには何一つ伝わっていないと自信をもって断言したことだ。しかし現代のエジプトに起こったこの事件は、かつてアトランティス大陸に生存していた彼らの遠い祖先が達成したものが彼らにまで伝わったという一つの証拠なのだ。
遙か過去の時代の人間たちが達成した科学的偉業の中の一つの結果が現代の人間たちに伝わり、彼らの所有するところとなったのには次のような理由がある。
ハセインよ、たぶんおまえは、われらが大宇宙のあらゆる責任ある存在、それに、たとえその沈思黙考能力の程度はともあれ、そういった存在になるための準備期間の後半期にある者たちと同様、既に次のことを知っておるだろう。あらゆる生物、及び一般的に、〈比較的独立した〉大小様々の宇宙構成単位である惑星体は、
聖トリアマジカムノの三つの聖なる実体力、すなわち聖・肯定、聖・否定、聖・調和という実体力から成り立っていなければならず、また常にこれらの力によって適切な、バランスのとれた状態に保たれていなくてはならない。そしてもし何らかの理由で、ある身体に、これら3つの聖なる力のどれか一つの振動が過剰に入りこむと、その身体には絶対に間違いなく聖ラスコーアルノが起こる。すなわちそれまでの通常の生存が完全に破壊されるのだ。さてそこでだな、坊や。さっきも言ったように、現代のおまえのお気に入りたちの体内には、自分たちの祖先の聖域を略奪したいという犯罪者的な欲求が湧き起こり、さらにある者たちはこの犯罪者的な欲求を満たさんがために、密閉してあったたくさんの部屋をさっき言ったような方法でこじあけたものだから、これらの部屋に切り離された状態で閉じこめてあった聖・調和という聖なる実体力は、外の空間と混合する十分な時間がなかったために、彼らの体内に入りこみ、そして法則に従ってそれにふさわしい特性を発揮したのだ。(通称「ファラオの呪い」によってその略奪者が死んでしまった事が実際にあったようですが、真相はこれが原因で亡くなったのでしょう)
おまえのお気に入りの惑星の表面の陸地のこの部分に生息する三脳生物の精神が、どんなふうに、またどんな型に練り上げられていったかについては、今は話さないでおこう。
いつか適当な時が来たら、これについても説明してあげよう。今のところはとりあえず、中断していたもとの話に戻ることにしよう。
さて、今回のエジプトでの滞在計画の中には、いわゆる〈ピラミッド〉及び〈スフィンクス〉と呼ばれているものの方に向かって毎朝散歩することも含まれていた。
このピラミッドとスフィンクスは、最も偉大なるアカルダンの代々のメンバー、そしてこのエジプトの人間たちの偉大なる祖先によって建立された壮大な建造物(わしはこの惑星での四度目の滞在の時にそれを見たのだが)の中で唯一つ偶然に生き残った、哀れをさそうような遺跡であった。
わしはこのエジプトでは十分な休養をとることができなかった。というのも、いろいろな状況のために間もなくそこを去らねばならなくなったからだ。そんなにあわててエジプトを立ち去らねばならなくなったのは、厳密にいうと、前にも話したように、楽しい〈チャイハナ〉のある懐かしいトルキスタンの町々のかわりに、これも負けず劣らず有名な〈カフェ・レストラン〉(そこでは、前にも言ったように、香り高いお茶のかわりに、何でできているのかわけのわからない黒い液体が出されるのだが)のある、現代文明の中心的大陸であるかの有名なヨーロッパの諸都市を定住の地にせざるをえなくなったまさにあの理由のためであった。」

第34章 ロシア

(前半は、当時のロシアの有力者に頼まれてグルジェフが「ロシアの、ロシアウォッカによるアルコール中毒問題」に取り組んだことと、当時のツァー、つまり皇帝に謁見した流れと、ボルシェヴィズムについて等々)


この忘れ難い〈至福の拝謁〉の後まもなく、わしはセント・ペテルスブルグを離れてヨーロッパ大陸の別の地域に移り、その後はヨーロッパ大陸及び他の大陸に位置する国々の様々な都市を生存の中心地とするようになった。しかしその後も、用事で何度もこの共同体ロシアを訪れたが、時の流れのその期間に、彼らの間では巨大な相互破壊のプロセスが起こり、彼らがそれ以前に獲得したあらゆるものを破壊してしまっていた。そして前にも言ったように、彼らはそれを〈ボルシェヴィズム〉と呼んでおった。
覚えていると思うが、以前おまえに、この実に目を見はるべきプロセスの真の根本的原因について話してやると約束しておいたな。
さて、まず言っておかなくてはならないのは、この嘆かわしい現象は2つの独立した要因によって生じたということだ。そのうちの一つは
宇宙法則ソリオーネンシウスであり、もう一つは例によって、彼ら自身が築き上げた異常なる生存状態であった。
おまえがこの2つの要因をどちらもよく理解できるように、それぞれ別々に説明しようと思うが、まず
宇宙法則ソリオーネンシウスから始めよう。
まず次のことを知っておかねばならん。あらゆる三脳生物は、どの惑星に誕生しようと、どのような外形を与えられていようと、いつも期待に胸ふくらませて、ジリジリしながらこの法則の活動が表われるのを待っているのだが、それはどことなく、おまえのお気に入りたちが〈復活祭〉とか〈バイラム祭〉〈ザディック〉〈ラマダン〉〈カイアラーナ〉等々と呼ばれる祭りを待ち望む様子と似ている。
ただ一つ違うのは次の点だ。おまえのお気に入りたちがこういった祭りをじれったい思いで待ち望むのは、慣習的に彼らの間で、いつもより〈陽気〉になって自由に〈大酒を飲む〉ことが許されているからだ。ところが他の惑星の生物たちが
ソリオーネンシウスの働きを今か今かと待ちこがれているのは、その法則のおかげで彼らの中に、客観理性を獲得するという意味での進化に対する欲求がひとりでに増大してくるためなのだ。
この宇宙法則の活動を引き起こす原因はそれぞれの惑星によって違うが、常に〈汎宇宙的な調和運動〉と呼ばれるものから流れ出し、そしてそれに依存している。さらにおまえのお気に入りの惑星地球でしばしば〈諸原因の重心〉と呼ばれるものはその太陽系の太陽の〈周期的緊張〉であり、そしてその緊張はというと、〈
バレアオート〉という名で存在している近くの太陽系がこの太陽に及ぼす影響から生じているのだ。
では、なぜこの太陽系の中でこのような諸原因の重心が生じるかというと、その数ある〈凝集体〉の中に
ソルニという大きな彗星があり、それが落下の途中で汎宇宙的調和運動の、あるいくつかの知られている組み合わせに従って、時おり太陽バレアオートのすぐそばまで近づき、そのためこの太陽は自らの落下の進路を維持するためにはどうしても〈強度の緊張〉を引き起こさざるをえないからだ。この緊張は近隣の太陽系の太陽に緊張を誘発するが、その中にこの太陽系オルスも入っている。そして太陽系オルスがそれに固有の落下の進路を変えないでおこうと緊張する時に、自らの太陽系の中の全凝集体に緊張を誘発し、その中にこの惑星地球が含まれているというわけだ。
これらの惑星に生じた緊張は、その上に誕生し、生息しているすべての生物の身体にも影響を及ぼし、常に彼らの中に、自分たちの気づいていない願望や意図のほかに、〈
聖イアボリオーノザール〉と呼ばれる感情、あるいはおまえのお気に入りたち流にいえば宗教的という感情、つまり前にも言ったように、客観理性の獲得という意味での自己完成をよりすみやかに達成したいという願望、及びそれに対する努力の中に時おり現われるあの〈感情〉を引き起こすのだ。
面白いことに、この聖なる感情、あるいはやはり、ある汎宇宙的な生成力によって生じたこれと同種の感情がおまえのお気に入りたちの体内で進行し始めると、彼らはこれを彼らの有するおびただしい数の病気の一徴候と受け取り、例えばこの場合には、この感情を〈神経過敏〉と呼んでおる。
ここで次のことに注意しておく必要がある。われらが大宇宙のすべての三脳生物の体内に当然生じるべきこの衝動は、以前、つまり惑星地球の三脳生物の体内から
器官クンダバファーが除去された時から第二トランサパルニアン大変動までの間には、この地球の生物たちの大多数の体内でもほぼ正常に生まれ、実現されていたのだ。
しかしその後、彼ら自身が築き上げた通常の生存状態から発する数々の主要な害悪の中でも、とりわけ、地球のあらゆる三脳生物の体内で、前に話した自己沈静と呼ばれる〈悪しき内なる神〉が支配的に成り始めるや、
ソリオーネンシウスの活動の影響を受けて、すみやかな自己完成に対する願望や努力のかわりに、何か別のものが彼らの体内に生じるようになるが、彼らはそれを〈自由への欲求〉という言葉で呼んでいる。しかしこの欲求はせいぜい、つい最近の〈ボルシェヴィズム〉と同様の嘆かわしいプロセスが生じる原因となるのが関の山だ。
彼らがこの名高い自由というものをどういうふうに思い描いているかについてはもう少し後で話そうと思うが、今のところはこれだけ言っておこう。
ソリオーネンシウスによって彼らの中に生じた感情は、それまでは多少とも安定していた彼らの通常の外的な生存状態全体を何としても変えたいという欲求を彼らの中で増大させる。
この不運な惑星を襲った
第二トランサパルニアン大変動の後、つまり〈アトランティスの消滅後〉、宇宙法則ソリオーネンシウスの活動はおまえのお気に入りたちの体内で少なくとも40回は実現され、しかもその最初から、一回ごとに、彼らの大多数の体内に以前から根をおろしていたこの奇妙な〈自由への欲求〉のおかげで、この惑星の表面の、そこに存在している諸集団の総体が〈ロシア〉と呼ばれている部分で近年進行しているものと同じものが進行したのだ。
ここで非常に重要なのは次のことだ。もし彼らの潜在意識の中に損なわれずに残っているデータ、つまり良心という衝動を引き起こすデータが(このデータに最初に注意を向けたのはこの上なく聖なるアシアタ・シーマッシュであり、彼はこれを自分の使命を達成する上での頼みの綱としたのだが)彼らが目を覚ましている間に慣習的にもつようになった意識の機能に関与していたならば、このような恐ろしいプロセスそのものが惑星地球の三脳生物の間に起こるということは決してありえなかったのだ。
ただ良心という聖なる衝動を生み出すデータが彼らのこの意識の働きに関与しなかったがために、避けようもない他の宇宙法則の活動と同様、この法則
ソリオーネンシウスの活動も、このように異常な、そして彼らにとっては見るも無残な形態をとるに至ったのだ。
さて、第二の要因を生み出す原因となったものには実に様々なものがあるが、わしの見るところでは、この場合でもやはり根本的な原因は、彼らの有名なる〈カーストへの再分割〉にあると思う。つまり彼らの相互関係におけるこの再分割が彼らの間で確立されるや、アシアタ・シーマッシュの最も聖なる努力の結果が彼らの間にはっきりと根をおろしていた期間を除いて、その時以来ずっと存在してきたことこそが根本原因なのだ。
ただ次の点にだけは変化が見られる。つまり以前の世紀には、諸カーストへの分割はある一定の個人の意識と意図に従ってなされていたのに対し、現在では誰の意志や意識とも関係なく全く自動的に行なわれているという点だ。
さて坊や。ここで次のことを少し説明しておくと都合がよかろうと思う。それは何かというと、おまえのお気に入りたちがいかなる方法で、またどの程度まで、彼らの名高いカーストを自動的に区分し、そしてその後、どのようにして自分たちをこれらのカーストに再分割していったかということだ。
様々な偶然が積み重なって彼らの間に何らかの目立った集団が形成され、共同で生存を始めると、必ず彼らのうちの何人かが(彼らの体内ではどういうわけか
器官クンダバファーの特性の諸結果がそれ以前にしっかり結晶化しており、そうして結晶したもの全部が一体となって彼らの体内に〈ずる賢さ〉と呼ばれるものを誘発する衝動を生じさせ、それに加えて、これもどういうわけかちょうどそれと時を同じくして、様々な〈恐怖を引き起こす手段〉と呼ばれるもの、つまり彼らが〈武器〉と呼んでいるものが彼らの手に握られるようになる)すばやく自分たちを他の人間たちから区別し、自らを彼らの長とすることによっていわゆる〈支配階級〉なるものを構成するようになるのだ。
そしてさらに、惑星地球のすべての三脳生物の体内では、とりわけ近年、良心と呼ばれる聖なる衝動が彼らの全般的な意識の働きに関与しなくなり、その結果彼らの体内では意識的な努力をしようという欲求が全く消え失せている。そこで彼ら、つまり自分たちを他の者から切り離して支配階級を自認するようになった者たちは、今言った恐怖を引き起こす手段を存分に活用して、一人一人の人間が通常の生存においてどうしてもなさなければならない努力まで自分たちのために提供するよう、自分の集団の他の者たちに強制しているのだ。
おまけにこうした集団の他の者たちも、同じ理由からこの〈努力〉をなすことを、そう、他人のためにさえなすことを望まず、同時に支配階級のもっている例の恐怖を引き起こす手段をひどく恐れるあまり、支配階級の人間たちが否応なく要求してくる努力を、いうなれば〈互いの背中に転嫁〉しようとして、ありとあらゆるずる賢い手段を用いるようになったのだ。
その結果、どの集団に属していようと、人間たちは徐々に自分たちを区分し始め、狡猾さの能力の程度に応じて実に様々なカテゴリーに自分たちを分割するようになった。そして自らをこの種のカテゴリーに分割したことから、次の世代ではお互いがお互いをこの有名なるカーストに押し込めることによる再分割が始めったのだ。
こうしてお互いを実に様々なカーストに押し込んでいった結果、自然に、そして必然的に、彼ら一人一人の体内には、他のすべてのカーストに属する人間たちとの関係において、〈憎悪〉と呼ばれるデータが結晶化するようになった。このデータはわが大宇宙広しといえども他の生物の中には一度として生じたことがないもので、しかもこれはすべての者の体内に、三脳生物にとっては〈恥ずべき〉衝動、すなわち彼ら自身が〈羨み〉とか〈妬み〉、〈姦通〉と呼んでいる衝動や、その他様々な衝動を絶えず生み出している。
さて坊や。相互破壊という恐るべきプロセス、及び彼ら自身がすでに獲得しているものをすべて破壊するというプロセスは、部分的には次のことから生じてくる。すなわち、彼らの体内で
宇宙法則ソリオーネンシウスの活動が明瞭になる時期には、さっき話した自由への欲求に加えて、一方では、彼らの体内で既に生得のものとなってしまっているデータ、つまり権力所有者の前で絶えず〈臆病さ〉という衝動を生み出すデータの働きの活性度が減少し、また一方では、さっき言ったあの奇妙なデータ、つまりこの場合、他のカーストに属する人間たちに対する〈憎悪〉を呼びさますデータの働きの活性度が増大してくるということだ。
だからわしは前にこう言ったのだ。すなわち、おまえももうこれまでのわしの話全体から疑いの余地なく確信していることと思うが、この〈比類なく奇妙なデータ〉、つまり彼らの異常な生存状態から発して絶えずその働きを増大させつつあるこのデータから生じる結果全体を生み出しているそもそもの元凶であるこのカーストへの再分割は、今言った恐るべきプロセスが生じる主として第二の要因として作用している
この恐るべきプロセスはたいてい次のような順序で発生し、進行していく。
始めは常にこうだ。ある集団の一定数の人間たち、つまりその体内に、何らかの理由でそれ以前に、今言った他のカースト、とりわけ〈支配階級〉というカーストに属する連中に対して奇妙な衝動を生み出すデータが他の人間たちよりも強く結晶化していた者たちは、
ソリオーネンシウスの働きの影響を受けて、他の者たちよりもはっきりと現実を見て、感じるようになり、その結果、彼らの言い方を惜りれば〈騒ぎ立て〉始め、こうして生まれた〈騒ぎ立てる演説家たち〉は、まわりの者たちとの関係においてはたいてい、現在そこに存在しているような〈指導者〉と呼ばれる者になっていくのだ。
そしてさらに、一つにはこの大騒ぎのせいで、また一つには、やはりここでも
宇宙法則ソリオーネンシウスの活動(この活動は常に彼らすべての身体と結合してその体内で異常な反応を起こすのだが)のせいで、他の者たちも大騒ぎを始める。そして普通の人間たちの中のこの〈大騒ぎする者たち〉が、その共同体の権力所有者の何人かのいわゆる〈左半分の女々しい神経〉と呼ばれるものに対して過度に不協和音的な働きかけを始めると、権力所有者たちはある者に命じて、大騒ぎする者たちの中でもとりわけ声の大きい者たちのへそに、いわゆる〈スコットランドのクリーム〉なるものを塗りたくらせる(賄賂を贈るの意)。するとそこからありとあらゆるやり過ぎが始めり、しかもどんどんふくらんでいってついには絶頂に達するが、悲しいかな、結局いつも、それからは何一つ生まれてこないのだ。
こういった彼らのプロセスは、もしほんの少しでも次の世代の人間たちの生存を改善したのであれば、厳密に公平無私な観察者の観点からすれば、たぶんそれほど恐るべきものには見えなかったかもしれない。しかしわれらが大宇宙のあらゆる三脳生物にとって実に不幸なことに、最も大きな惨事は実は次のことなのだ。すなわち、この宇宙法則に従った〈至福に満ちた活動〉の表出が止み、このプロセスが終結点に達するやいなや、例によって例のお話がまた始めって、彼らの通常の生存は以前より〈もっと辛い〉ものになり、さらにこれと並行して、いわゆる彼らの〈生存の意味と目的に対する健全なる自覚〉と呼ばれるものも低下していく。
これが低下する主な原因は、わしが見るところでは次のことにあるようだ。つまりこういったプロセスの後、前支配者階級の指導的人間たちは別のカーストから出てきた者たちにとって替わられるのだが、これら別のカースト出身の人間たち、とりわけ現世代あるいは過去の世代の彼らの代表者たちは、このプロセス以前にはある種の表現行為、すなわちその中に、彼らのまわりにいてたしかに〈彼らと同種ではある〉が、理性という点ではまだ彼らの段階にまで達していない者たちの外的生存プロセス。及び、時には内的生存プロセスまでも指導する能力を含む表現行為と共通するものを、意識的にせよ無意識的にせよもっていなかったからなのだ。
このことを公平に見るためには次のことを認識しなくてはならん。以前の支配階級の三脳生物たちの体内では、彼らの潜在意識の中に存在している真の良心を生み出すデータは、彼らのいわゆる目覚めた意識の働きにはたしかに関与していなかったけれども、しかし少なくとも彼らは通常、支配するという慣習を生得的に受け継いでおり、しかもそれは自動的に代々良くなっていくのだ。
ところが新たに権力を獲得した者たちの体内では、前支配階級の者たちと同様に真の良心が欠如しているだけでなく、それに加えてある〈不思議な魔力〉がとりわけ荒々しく表出して実に恐るべき結果を引き起こす。この〈不思議な魔力〉というのは地球の三脳生物全般の体内に、とりわけ近年、
器官クンダバファーの特性の結果として結晶化してきたもので、〈虚栄心〉〈自尊心〉〈自惚れ〉〈自己愛〉等々と呼ばれているが、彼らはいまだにこういったものを十分に満足いくまで味わったことがないために、彼らの機能の中では特に新しいものなのだ。
こうして即席で権力所有者になったが故に、支配のための自動的な能力を生み出す遺伝的なデータさえ体内に全くもっていないこういった地球の人間たちには、われらが親愛なる師の次のような言葉がぴったり当てはまる。
『古い靴をひきずって歩くのに慣れているのに、洒落た新しい靴を履いて快く感じるような馬鹿にはこれまで会ったことがない』

実際にだな、坊や。惑星地球で
ソリオーネンシウスの活動が停止して、すでにいくらか確立していた〈比較的正常な〉生存がおまえのお気に入りたちの間で再び始めると、たいていその度にこの惑星では、〈新しく焼き上げられた権力所有者たち〉が跳ね回るようになり、そのおかげで〈ナメクジ〉とか〈カタツムリ〉〈シラミ〉〈オケラ〉などと呼ばれるものをはじめ、良いものは何でもかんでも壊してしまうこれと同種の沢山の寄生虫の出生率がますます増大するのだ。

ボルシェヴィズムについて話したついでに、この問題に関連して、彼らの実に滑稽で素朴な議論の一つを話しておこう。これは、もはや完全におまえのお気に入りたちに特有のものとなった生存の特殊性を示すもう一つのいい例になるだろう。
彼らのこの素朴さは、彼らの論理的・対比的沈思黙考能力が実に甚だしくお粗末なものになってしまった結果生じたのであろうが、具体的にいうとこういうことだ。つまり、地球では過去二世紀の間、彼ら同士の相互関係という意味においては、ただ一つの例外もなくすべての出来事は完全にひとりでに、つまり現代の人間の意識あるいは意図には全く左右されずに進行してきた。ところが彼らは常に、良いものも悪いものも含めて、こういった出来事から生じたすべての結果は、彼らのうちの誰かによって引き起こされたものであると、確信をもって、いや時には嫉妬心さえ抱いて、思いこんでいる
彼らの霊化された諸部分の総体の中に定着するようになったこの異常な特性は次のような原因から生じてきた。
まず第一に、彼らの体内からはある種のデータが完全に消滅してしまっているが、そのデータは一般的にいうと、生物の体内に〈未来の予感〉と呼ばれる特性を生み出すことができるものであった。だから、これが完全に消滅してしまったために、彼らは目の前に迫った出来事を予見する能力を全く奪われている
第二に、いわゆる〈視野〉も狭く〈記憶力も悪い〉ために、彼らは自分たちの惑星で遙か昔に起こったことを知らないばかりか、つい最近、いや昨日起こったことすら覚えていない
第三に、彼らは宇宙法則を全く知っておらず、そのためにこれまで話したような嘆かわしい出来事が彼らの間で生じるのだ
こういったことすべてが原因となって、現代のおまえのお気に入りたちは、彼らがボルシェヴィズムと呼んでいるこの恐るべきプロセスが彼らの惑星上で進行するのはこれが初めてであり、またこのすでに〈最愛のもの〉となった彼らの文明に似たようなものは彼ら以前には存在したことがなかったと全身でもって確信しており、いやそれどころか、彼らは、こういうことが起こるのもすべて、この惑星上の自分たちと同種の人間たちの理性が徐々に向上し、進化しているためにほかならないと信じこんでいるのだ

彼らの惑星で過去に何度も起こった同様のプロセスの問題に関する彼らの対比的な論議は、彼らの有する沈思黙考能力がいかに間が抜けて鈍感であるかを特徴的に示す絶好の例になるだろう。
あらゆる三脳生物が共有している常識に従えば、同様のプロセスは起こらなければならなかったし、それにわしはおまえのお気に入りたちの奇妙な精神に興味をもつようになって、あらゆる側面から彼らを観察することに専念したので、前にも言ったように、少なくとも40回以上は、わしが〈視野に入るあらゆるものの破壊〉のプロセスと呼ぶものをこの目で目撃した。
面白いことに、こういった恐るべきプロセスの約半分近くは、彼らが〈文化的生存〉と呼ぶものが集中しているところからそう遠く離れていないところで起こった。つまり彼らの惑星の表面のエジプトと名づけられている部分で起こったのだ。
なぜエジプトでばかりこの恐るべきプロセスがそうたびたび起こったのかというと、おまえの惑星の表面のこの部分は長期間にわたって汎宇宙的な調和運動との関連においていわゆる〈重心振動〉の位置に存在していたために、
宇宙法則ソリオーネンシウスの影響がたびたびその地に生息する三脳生物の身体に作用し、それで彼らの中にこれほど頻繁に異常を生み出したのだ。
このエジプトで起こった出来事に関する真のデータと、かの有名なる現代〈文明〉のほとんどすべての責任ある人間たちの概念や理解の中に定着している、つまり彼らの〈完成された理性〉なるものがかき集めてきたこれらの出来事に関するデータを比較対照してみると、彼らの責任ある生存期間に、彼らの〈論理的思考能力〉なるものがいかなる一般的データから形成され、成り立っているかが手にとるようにわかるばかりでなく、彼らのその使用方法、つまり既に彼らの通常の生存プロセスに最終的に根をおろしてしまったもので、彼ら自身は例の仰々しい調子で、成長しつつある世代の〈教育〉とか〈学校訓練〉とか呼んでいる使用法が、客観的意味においていかに有害なものであるかをわし自身も再確認できるし、おまえにもはっきりと認識させることができるだろう。
要点はこうだ。結果的に彼ら特有の奇妙な理性を生み出すことになる、実に種々雑多で他愛もない空想的な情報は数限りなくあったが、このエジプトの歴史も、やはりその中に含まれておった。
この空想的な歴史は(明らかに彼らの中の
ハスナムス個人になりたいという志願者の誰かが考え出したものだが)あらゆる教育機関においていわゆる〈必修課目〉というものにまでされており、そこではこの〈歴史〉は他の似たような〈馬鹿げたもの〉と共に、哀れなる未来の責任ある人間たちの、霊的知覚及び表現行為の機能を司る各凝集体、つまり彼らが〈脳〉と呼んでいるものの中に〈叩きこまれる〉のだ。そればかりか、彼らが責任ある年齢に達すると、強制によって〈オウムのように学んだこの空想的情報〉は、連想及び〈論理的・対比的思考活動〉の材料として働き始めるのだ。
だから坊や。現在この不運な惑星上で責任ある年齢に達しているすべての人間たちは、過去に自分たちの惑星で起こった出来事に関して正常な三脳生物なら当然もっているべき真の知識のかわりに、どんなことに関しても、ちょうど今言ったように、つまりエジプトに関して彼らの理性を使って反復黙考し、全存在でもって〈無意識的に〉信じこむようになった知識とちょうど同じような知識しかもっていないのだ。
この奇妙な惑星の、彼らに従えば既に責任を果たしうる存在となった三脳生物はすべて、たしかにあの教育と学校訓練のおかげで、その昔エジプトに存在していた人間たちの歴史を知っていると言ってもあながち間違いではない。
しかし今述べた、彼ら自身〈オウムのように学ぶ〉と呼んでいる情報の認知方法のおかげで、彼らがそれをどのように知り、またそれについてのいかなる概念化作用が彼らの霊化された3つの部分すべてから〈結果として生じる〉かについては、以下の説明を聞けばおまえもはっきり心に描いて理解することができるだろう。
彼らはほとんど全員、古代エジプトに24の王朝があったことを〈知っている〉。しかしもし誰かに、『なぜそんなに多くの王朝があったのか?』と聞いてみれば、彼らがそんなことについては考えたこともなかったことがはっきりするだろう。
さらに、もしこの質問に対する答えをあくまで要求されれば、彼、つまり古代エジプトには24の王朝があったということをその時まで全存在でもって知り、かつ確信していたその人間は(それももちろん誰かの助けを借りて彼が誠実になり、彼の思考活動の中を流れている連想を声に出して言わせることができたらの話だが)せいぜい次のような論理的思考活動の道筋を打ち明けるのが関の山だろう。
『古代エジプトには24の王朝があった……さて……このことは次のことを証明している。つまり、エジプト人の間には君主制国家組織が存在していたこと、〈王〉の地位は世襲によって父から子に伝えられたこと、そして慣例的に一つの世代の王たちは同じ姓をもたねばならなかったこと、そしてこの姓をもつすべての王が一つの王朝を構成したこと、それゆえに王朝の数は姓の数と同じだけあったのである。』

……実に〈わかりやすく〉、高貴なるムラー・ナスレッディンの〈ダブダブのズボンの接ぎ当て〉と同じくらい〈明瞭〉ではないか。
またもし現代〈文明〉のある人間が、なぜ古代エジプトでは王の姓はこれほど頻繁に変わったのかを自分の理性にはっきり説明しようと心底願い、その〈熱望〉をもち続けるとしても、やはり彼の思考活動はだいたい次のような順序で連想を続けるのが精一杯だろう。
『明らかに、その昔このエジプトでは、ファラオと呼ばれていた王たちは、しばしば統治に飽きてしまい、自らの権力を放棄した。そしてこの放棄は十中八九次のように、そしてほぼ次のような状況下で進行したのであろう。
〈ジョン・ジェフリー〉という名のあるファラオが平和に、完全に満足して生きており、全エジプトを統治していたと考えてみよう。
さて、ある時この王、つまりファラオであるジョン・ジェフリーは統治することに非常なる〈退屈〉を感じ、ある眠れぬ夜、自分の〈王の地位〉について考えた結果、まず最初に、望むと望まないとに関わらず人は統治することに飽きてくるものであり、しかも全般的にいってこの職業は極めて辛い〈職〉で、彼の個人的平安のためには有益でも安全でもないということに気づき、そして全存在でもってこれを認識したのである。
ファラオであるジョン・ジェフリーはこの認識にいたく感銘を受け、そこで過去の生存の経験を生かして、彼にとって実に迷惑千万なこの退屈から彼を解放してくれそうな〈誰か〉を何とか見つけ出し、そうしてくれるように〈説き伏せ〉ようと決心した。
この目的のために恐らく彼は、今のところはまだ平民である別のジョン・ジェフリーを招待し、実に丁重に大体次のようなことを話したらしい。
「わが尊敬する、比類なく親切なジョン・ジェフリーよ。わしは、唯一の親友であり、信頼をおくに足る臣下としてのおまえに率直に打ち明けよう。わしの統治しておるこの王国はもうわしにとってはあまりに退屈なものになってしまったが、たぶんそれはわしがひどく疲れてしまったからであろう。
わしが今この王国を譲り渡そうと考えている世継ぎであるかわいい息子は、ここだけの話だが、非常に頑強で健康そうに見えてはいるが、実はそうではないのだ。
子孫に対する愛では人後に落ちぬ父の一人として、おまえもわしがこれから言うことをきっとわかってくれると思う。つまり、わしは世継ぎである息子を非常に愛しているからこそ、わしと同じように統治をして疲れ果ててほしくないのだ。そこで、忠実なる臣下であり親しい友としてのおまえにこう申し出ることに決めたのだ。どうかわしと息子をこの統治から解放して、この高貴なる義務を引き受けてはくれまいか?」
このまだ平民であるジョン・ジェフリーは明らかに、第一に、その地の言い方によれば〈気のいいやつ〉であり、そして第二には大いに〈虚栄心〉のある〈ごろつき〉でもあったので、目に涙をため(「もし私が消えてなくならねばならないのでしたら、どうぞそうしてください」とでも言わんばかりに)肩をすくめながら承諾し、早くも次の日から統治を始めたのだ。
この第二のジョン・ジェフリーの姓は前の王とは違っていたので、まさにこの日からエジプトの王朝の数は一つ増えたのである。
というわけで、このエジプトでは沢山のファラオが統治に疲れ、しかも息子を愛していたので同じことをさせたがらず、そのため彼らはこのようにして自分の王国を放棄し、それでこれほど多くの王朝が〈積み重なった〉のである。』

実際はしかしながら、エジプトでの王朝の交替はこう簡単には進まなかった。しかも2つの王朝の合間には、それと比較すれば現代のボルシェヴィズムなど〈単なる児戯に等しい〉ようなものすごい混乱が生じたのだ。
この現代のボルシェヴィズムの全盛期に、わしはたまたま何度か、彼らのうちのある者が心底憤慨しているのをこの目で見たが、彼らは、もちろん個人的には彼らに関係のないある理由で、たまたまこのプロセスに関与しておらず、そのため外部から半意識的にこれを観察することができ、次第に自分たちと同類の個々の人間たちの行ないに対して、心からの怒りを募らせていった。言いかえれば、この恐るべきプロセスに彼らと同類の者たち、つまりその時かち今に至るまで〈ボルシェヴィキ〉と呼ばれている者たちが積極的に関与しているのを見て、全身全霊で怒りを感じるようになったのだ。
ついでにここで次のことを言っておいても差し支えないだろう。彼らのこの経験、つまり〈むなしく誠心誠意怒りを募らせる〉という言葉で見事に特徴づけられる彼らの経験もやはり、おまえを喜ばせておるこの不運なる三脳生物たち、とりわけ現代人の精神の不幸な特性の一つであることが次第にはっきりしてきた。
この身体的な異常があるばかりに、彼らの体内では、それでなくとも狂っていた彼らの惑星体及び〈ケスジャン体〉(もちろんこの第二の体が彼らの中に既に形成され、必要とされるいわゆる〈個人性〉を獲得していればの話だが)の多くの機能がさらにいっそう狂ってきたのだ。
彼らの精神のこの異常、つまり〈むなしく怒りを募らせること〉、あるいは彼ら流にいえば〈むなしく興奮すること〉が生じたのには、次のような原因もあった。すなわち、はるか昔に彼らの体内からは、三脳生物が当然もっているべき〈視野〉及び〈現実を真の光に照らして本能的に感じ取る能力〉が失われてしまったということだ
彼らの精神にこの2つの特性が欠如しているために、彼らは、先ほど話した恐るべきプロセスの原因は彼らと同種の個人には決してないこと、つまりこの不幸な惑星上のこのプロセスは2つの避け難い大きな原因から発しているということに気づきもしないのだ。
この2つの原因の一つはこういった個々人から全く独立している宇宙法則ソリオーネンシウスであり、第二の原因は、部分的には彼らの影響も受けているが、次のこと、すなわち、彼ら自身が築き上げた異常なる生存形態が生み出したすべてのもの(これらはいまだに彼らの体内で結晶化し続けているのだが)のために、〈良心〉という聖なる衝動を生み出すデータはおよそ彼らの目覚めた状態における機能には一切関与しないということで、その結果、第一の原因がこのような恐るべき形をとって現れるのだ。
今も言ったように、この汎惑星的な恐るべきプロセスが進行している間は、その原因は個々の人間には絶対にないということが彼らにはどうしてもわからないし、そんなことを考えてみることさえできない。つまり原因とみなされている人間たちはただ偶然そういった地位についているだけであり、そしてそういった地位についていること自体が、既に確立されている相互生存の形態ゆえに、ある役割を演じることを彼らに強要し、そしてそれを演じた結果、彼ら自身からは全く独立した合法則性に従って、彼らの行為はあれやこれやの形態をとって現われるにすぎないのだ

彼らの最近のこのプロセスの最中、つまりロシア・ボルシェヴィズムの最盛期に、この悲惨なプロセスの中で偶然いわば〈能動的な〉役割を演じることになった者たちが、よくいわれるように、他の普通の人間たちに誰でも彼でも容赦なく〈撃ち殺せ〉と命じたということを知った他の共同体の現代人たちは、非常に深く心をかき乱された。
おまえのお気に入りの不幸な者たちのこの恐るべきプロセスに関するこれから先の説明をいっそう明確にするために、わしは次のことを言っておかねばならん。つまりこのつい最近のプロセスは、この不運なる惑星の表面の非常に広大な地域に渡って現在に至るまで進行しているが、それでも近年おまえのお気に入りたちの数は非常に増えてきているということだ。だからもしこのつい最近のプロセスの進行中に破壊された現代の三脳生物の数を以前の同様のプロセスで破壊されたそれと比較するならば、実際この最近のプロセスは〈児戯〉に等しいものに思えてくるのだ。

現代のボルシェヴィズムを過去のプロセスと比較して今言ったことがおまえによく理解できるように、過去の歴史から、そうだな、さっき話したエジプトからいくつかの場面を取り上げて話してあげよう。
さっきも言ったように、エジプトのファラオあるいは王たちの王朝と王朝の交替期に、現代のボルシェヴィズムとよく似たプロセスがエジプトでも進行したのだが、その時、〈革命家たち〉の最高委員会はその国の全住民に向かって次のようなことを告知した。すなわち彼らの大小様々の地点、つまり彼らのいう〈町〉や〈村〉の長を選ぶ〈選挙〉が間もなく始まり、そしてその選挙は次のような原則に基づいて行なわれる。
つまり彼らの〈神聖なる〉容器の中に他人よりも沢山の〈クロアーン〉を入れる者が町や村の長として選出されるというのだ。クロアーンというのは当時エジプトで生け贄の捧げ物に付けられていた名称だ。
要点はこうだ。この国の人間たちが〈宗教〉と呼んでいるものに従えば、特別の場所で執り行われる〈宗教儀式〉の際、参列者一人一人の前に特別な〈粘土の容器〉を置くことが慣わしとなっていたが、それはそこの普通の人間たちが、あるお祈りを唱えるごとにその特別の容器に、その日特別に指定された野菜や果物を入れるためであった。
さて、こうした捧げ物として〈ふさわしい〉ものが当時クロアーンと呼ばれていた。この〈巧妙なやり口〉はまず間違いなく、当時の〈神政官たち〉が、地球流にいえば彼らに〈ごまをする者たち〉を富ましてやるための有効な一方法として編み出したものだろう。
今話した布告の中には次のような言明があった。選挙の際のクロアーンは〈追放者たち〉のでなくてはならない、とな。この〈追放者たち〉というのは当時その地の普通の人間たちが支配階級のカーストに属する人間たちを陰で呼ぶ時に使った言葉で、またこの支配階級という名称も、当時は、〈受動的半分〉や子供、老人まで含めてこのカーストに属する者全員を〈十把ひとからげ〉で呼ぶ時に使われていた。
この布告ではさらに次のように述べられていた。選挙の日に自分の聖なる容器の中に最も多くのクロアーンを入れていた者が全エジプトの長に指命され、その他の町や村でもやはりそこで最も多くのクロアーンを自分の聖なる容器に入れていた者が長に任命される、とな。
さて坊や。おまえも心にありありと思い描けるだろう。その日エジプト中で、みんなが自分の聖なる容器に、時の流れのその時期に支配階級に属していた者たちのを一番沢山入れようとしたために、いったいどんなことが起こったかということが。

これとは別の機会にわしは、やはりこのエジプトで、これに劣らず恐るべき場面を目撃した。
この恐るべき場面を明確に説明するためには、まず初めに次のことを話しておく必要がある。以前このエジプトでは、すべての大きな地点つまり〈町〉には大きな広場があり、そこではありとあらゆる種類の公開の、彼ら流にいえば〈宗教的〉及び〈軍事的〉儀式が執り行われ、その儀式の期間には多くの人間がエジプト中から集まってきた。
これらの人間たち、とりわけ当時弱いカーストに属していた者たちの群集は儀式を妨害したので、あるファラオが、この〈卑しい〉カーストに属する者たちが儀式の進行を邪魔しないように広場の周囲に縄を張るよう命令した。
しかし縄が張られても、群集の圧力に耐えきれずにしばしば切れてしまうことがすぐに明らかになった。そこでファラオは〈金属ロープ〉なるものを作るよう命じ、そしてその地で〈司祭〉と呼ばれていた者たちがこれを聖別し、〈聖なる大綱〉なる名前を与えた。
当時、公開の儀式のために広場に張られた聖なる大綱は、特にエジプトの大きな町々では途方もなく長いもので、時には1〈セントロティーノ〉、あるいはおまえの惑星の現代人たち流にいえば、10マイルにも達していた。
さて、その地でわしは、エジプトの普通の人間の大群がこの聖なる大綱の一つに、その時まで支配階級に属していた者たちを、性別や年齢に関係なく【ちょうどアジアのシシュリク(シシカバブ)のように】串刺しにするところを目撃したのだ。
おまけに、ほかではちょっと見られないこの〈串〉は、その日の夜、80頭の野牛に引きずられてナイル川に投げこまれたのだ。
わしはこれと同じような精神で加えられた似たような虐待を、この惑星の表面にわし自身が滞在していた時にも見たし、火星から大きなテスコーアノを通して見たこともある。

この果てしなく愚直な現代のおまえのお気に入りたちは、現代の〈ボルシェヴィキ〉たちがトム・ブラウンなる者を撃ち殺したことに心底憤慨した。
このような〈精神状態〉の支配下にあった以前の三脳生物の行為を現代のボルシェヴィキたちの行為と比べてみるなら、彼ら、つまり現代のボルシェヴィキたちは賞讃、あるいは感謝さえされてしかるべきだ。というのも、たしかに彼らの体内には(現代のすべての三脳生物と同様に)
器官クンダバファーの特性の様々な結果がどうしようもなく完全に結晶化してはいたが、それでも彼らは、宇宙法則ソリオーネンシウスの避けようのない影響下にあって完全に〈操り人形〉と化していた時期の真っ最中でさえ、例えば彼らの撃ち殺した人間の死体が少なくとも誰であるか見分けがつくような、つまり〈トム・ブラウン以外の誰でもない〉とわかるような、そんなやり方で殺したからだ。」

ここまで話すとベルゼバブは深いため息をつき、一点を見つめて集中し、深い物思いに沈んだ。
ハセインとアフーンは少し驚いたようであったが、同時に物悲しそうな表情を顔に浮かべ、いわば一瞬も目を離せないといった様子で何かを待ち受けるように彼を見つめた。
少し経ってからハセインは、初め不可解なしかめっつらをし、それからひどく申し訳なさそうな声で、まだ考えこんでいるベルゼバブにこう話しかけた。
「お祖父様、ねえお祖父様! ぼくにとってとりわけ大切なあなたが体内にもっておられる、長い生存中に学ばれた情報をどうか声に出して表してください。その情報は、ぼくの本質の中に生じたばかりの疑問を解明する材料になるでしょうし、それにまた、ぼくの身体の霊化された諸部分で論理的対比を行なうための能動的データがまだ全くない問題についても、おおまかな概念を与えてくれるのではないかと思うのです。
今言った疑問、つまりぼくの本質の中に生じ、それを解明しないことにはぼくの全存在がどうにもおさまらなくなってしまった疑問というのは次のことです。すなわち、もしこの惑星地球に生息する不幸な三脳生物が、彼らには全く関わりのない理由のために、彼らの責任ある生存期間中に神聖なる客観理性を獲得し、保持する可能性をもっていないのだとすれば、なぜ彼ら、つまりあれほど昔に誕生し、その種をこれほど長く存続させている三脳生物は、彼らの通常の生存が、〈利己的・個人的〉にも〈集団的・一般的〉にも、客観的現実という意味からいって多少とも容認できるような形で進行することを可能にするような慣習を、あれほど長い時間が流れたのだから、たとえ異常な状況下にあるとはいえ、なぜ彼らの通常の生存プロセスの中で徐々にでも形成することができなかったのか? またなぜ彼らはそれを可能にするようなちゃんとした〈本能的・自動的な習癖〉を自分たちの体内に獲得することができなかったのか?という疑問なのです。」

可哀想なハセインは、こう言うと、問いかけるような眼差しで彼の誕生の原因の原因を見つめた。
お気に入りの孫のこの質問に対して、ベルゼバブは次のように答えた。
「かわいい坊や。おまえの疑問はもっともだ。たしかに彼らが生存してきた長い年月の間には、他の惑星、つまりやはりその生存期間の一部を単に通常のプロセスの中で過ごす生物の誕生する他の惑星と同様、彼らの間でも多くの慣習や、いわゆる〈道徳的習慣〉と呼ばれるもの(時には彼らの通常の生存にとって非常に良い、有益なものもあった)が次第に形成され、場合によっては現在でもいくつかのクループの中では形成されておる。しかしまさにここに悪がひそんでおるのだ。つまりこのような良きものは代々受け継がれることによってさらにいっそう良くなるのだが、これとても、時の流れが唯一の原因となって彼らの通常の生存プロセスに定着してしまうと、まもなく完全に消滅してしまうか、もしくは方向を変えて、彼らのこのような幸運な達成物もひとりでに〈不幸な〉ものへと変容し、彼らにとって有害な小さな要因を沢山生み出すようになる。そしてこういったことすべての結果、彼らの精神のみならず本質そのものまでもが年々ますます〈薄弱〉になっているのだ。
もし彼らが、少なくともこれら、三脳生物であればもつ価値のある〈些細なもの〉を所有し、使っていたなら、それは彼らの利益になっていた、あるいは彼ら流にいえば、〈いずれにせよ何もないよりはマシだった〉ことだろう。
もちろん、もし少なくとも、彼ら自身が自分たちの生存プロセスに定着させたこれらのよき慣習や、既に自動化された〈道徳的習慣〉が生き延び、継承されて次代の生存形態に合うように変容させられていたなら、それだけでも、客観的意味における彼らの〈荒れ果てた〉生存も、外部の公平な観察者の目にはもう少し満足のいくものに映るようになっていたことだろう。
多少とも容認できる生存を彼らが送るために必要な、良き慣習と〈道徳的習慣〉という(共に時が生み出した)幸運な達成物が完全に破壊もしくは変化させられた原因は、いうまでもないことだが、例によって彼ら自身が築き上げた、彼らを取り巻く異常な生存形態にあるのだ
彼らを取り巻くこれら異常な状態から、今言った彼らの間に蔓延る害悪の根本的原因となったものが集中的に現れたが、その結果、そう遠くない昔にある特殊な性質が彼らの精神の中に生じた。彼らはこれを〈暗示感応性〉と呼んでおる。
比較的最近彼らの精神の中に定着したこの奇妙な特性ゆえに、彼らの体内の全機能は次第に変化し始め、その結果彼らはみな、特にここ数世紀の間に誕生し、責任ある存在になった人間たちは、ある特殊な宇宙形成物、つまりそれ自体と同種の他の形成物の影響を絶えず受けている場合に限って活動する力を持つという極めて特殊な宇宙形成物を自分たちの中に出現させ始めたのだ。
そして実際だな、坊や。おまえを楽しませておるこれらの三脳生物たちは現在、個々人をとっても大小様々なグループをとっても、一人の例外もなく他人に〈影響を与える〉か、あるいは他人の〈影響を受けている〉のだ。

彼らが長い年月をかけて獲得した彼らの通常の生存に有益な慣習や自動的習慣が、いかにしてその痕跡すら残さず消滅したのか、あるいは今言った彼らの精神の奇妙な特性のせいで悪いものに変化していったかを、より包括的に理解できるように、おまえの惑星の他のすべての人間たちが〈ロシア人〉と呼んでいる、ロシアと名づけられた共同体の大半を構成している人間たちを、彼らの慣習ともども例として取り上げてみよう。
現代のこの大共同体を形成する礎石となった人間たち、および彼らの後の世代は、長い年月の間アジアの諸共同体に属する人間たちと隣接して生存を続けてきた。これらアジアの諸共同体に属する人間たちは、様々な出来事のおかげで比較的かなり長期間そこに存在しており、その結果彼らの通常の生存プロセスにおいて(一般的に長期間生存していると起こることだが)非常に多くの良き慣習や〈道徳的習慣〉が次第に形成されて彼らの通常の生存プロセスに定着していった。ロシア人たちはこれらの、地球の生物としては非常に古い共同体に属する人間たちと出会い、時には友好的な相互関係を結ぶこともあったので、次第に彼らの有益な慣習や〈道徳的習慣〉を取り入れて自分たちの通常の生存プロセスの中で行なうようになった。
それでだな、坊や。前にも話したように、この惑星の三脳生物の中には奇妙な特性が生じ、ティクリアミッシュ文明の後には次第に彼らの精神全般の中に定着するようになり、しかもその定着の度合いは、彼ら自身が築き上げた通常の生存状態が劣悪化する一方であったためにかなり強いものであった。そして後のこの大共同体を構成する人間たちの体内では、この特殊な精神的特性はそもそもの初めから必然的に生得のものであった。こういったことすべてが要因となって、以前の世紀には彼らはみなこれらアジア共同体のどれかに属する人間たちの影響下にあり、そのため彼らの通常の生存は、いわゆる〈外的様式〉や〈精神的連想形態〉と呼ばれるものも含めてすべてこの影響の下で進行していた。
さて、この惑星地球の三脳生物の中でもアジア大陸のこの地域、つまり今も昔もロシアと呼ばれている地域に生息する三脳生物の体内では、〈
パートクドルグ義務〉が果たされることもついに全くなくなってしまい、その結果、彼らにとっては最も有害な精神の特性、すなわち〈暗示感応性〉が徐々に増大し始めた。それに加えて、この不運な惑星上にだけ存在する例の周期的な相互破壊という恐るべきプロセスから生じた環境の変化ゆえに、彼らがそれまで受けていた影響は消え去ったのだが、彼らは独立して存在する能力をもっていないがために新たな影響を求めざるをえなくなり、そこで今度はヨーロッパの諸共同体、主として〈フランス〉という名で存在している共同体の人間たちの影響を受けるようになったのだ。
こんなわけで、この共同体フランスの人間たちは、それと気づかず自動的に共同体ロシアの人間たちの精神に影響を与えるようになり、またロシア人はロシア人で、何でもかんでも共同体フランスの人間たちの真似をすることに一所懸命だったので、既に彼らの生存プロセスに定着していたすべての良き慣習や、彼らが半意識的あるいは機械的に古代アジアの共同体の人間たちから取り入れてほとんど生得のものとなっていた道徳的習慣も徐々に忘れ去られ、新しいもの、つまりフランスの慣習が取り入れられるようになったのだ。
古代アジアの共同体の人間たちから受け継がれ、共同体ロシアの人間たちに有益なものとなっていた慣習や機械的な道徳的習慣の中には、実際非常にいいものが数多くあった。
これら何千もの良い慣習や有益な習慣の中から、ここでは例として2つだけ取り上げてみよう。
一つは第一存在食物を摂った後で〈ケーヴァ〉と呼ばれるものを噛む習慣であり、もう一つは定期的に〈ハマム〉と呼ばれるところで自分自身を洗うという習慣だ。
ケーヴァというのはいろんな植物の根から作られる一種の樹脂で、これを食後に噛むと、どれほど長い間噛んでも分解せず、それどころか逆にいっそう弾力を増すのだ。
この樹脂も、古代のアジア共同体の一つに属する優秀なる理性をもったある人間によって発明されたものだ。
このケーヴァの効用は、これを噛むと、地球で〈唾液〉と呼ばれているものやその他いくつかの物質が彼らの中で多量に形成されるという点だ。これらの物質は、彼らの体内で第一存在食物が効率よく容易に変容するように、あるいは彼ら自身の言い方によれば、この食物が効率よく容易に〈消化・吸収〉されるように彼らの惑星体がうまく作り出したものだ。
食後にケーヴァを噛むおかげで彼らの歯も強くなり、口腔に残っていた第一存在食物のカスもきれいに取り去られる。彼らがケーヴァを噛むことは特にこの第二の目的のためにはどうしても必要だった。というのは、ケーヴァを噛むことによって口内に残ったカスは分解しなくなり、したがって彼らの口からあの不快な、とりわけ現代の三脳生物には当たり前のこととなったあの〈臭い〉が発散しなくなるからだ。
もうひとつの習慣、つまり彼らが〈ハマム〉と呼ぶ特別の部屋で身体を洗うという習慣も、やはりある古代アジア人によって発明されたものだ。
地球の人間たちの生存プロセスにとってこの習慣がどれほど必要なものであるかをよく理解するためには、まず次のことを知っておかねばならん。
外的形態の違いに関わらず、生物の惑星体の機能は、一般に自然によって次のように調整されている。すなわち、第二存在食物によって栄養を摂取するプロセス、つまりおまえのお気に入りたちが〈空気呼吸〉と呼んでいるプロセスが彼らの体内で進行する時、この栄養素は単に呼吸器官を通してだけでなく、彼らの皮膚に存在する〈毛穴〉と呼ばれるものを通しても取り入れられる。
しかし生物の皮膚のこれらの〈毛穴〉は、ただ新しい第二存在食物を取り入れるだけでなく、そのうちのいくつかは、この第二存在食物が変容して生じる、その生物の惑星体にはもはや必要なくなったこの食物の一部、つまりこの変容の結果生じた不純物を排出するという作業も行なっているのだ。
これら不要になった部分は、例えば大気の運動とか様々なものとの偶然の接触とかといった、その生物が存在している領域内で進行するプロセスから生じる要因によって、徐々にひとりでに蒸発することによって排出されなくてはならん。
ところが、おまえのお気に入りたちが〈服〉と呼ばれるもので彼ら自身をおおい隠すことを考案して以来、この服というやつは惑星体に不要となった第二存在食物の一部が正常に排出あるいは蒸発することを妨げるようになり、そのため、これら不要な物質は空間に蒸発することもできず、しかも後から後から出てくるので、徐々に凝縮し始め、皮膚の表面の毛穴に、何か〈油のようなもの〉の堆積物を形成するようになった。
その時以来これは、他の多くの要因とともに、この不運な惑星の上で数えきれない種々の病気が発生するのを助長するようになり、そしてこれらの病気すべてが、これら不幸な者たちの生存の長さが次第に短縮していく主な原因となっているのだ。
さて坊や。現代のおまえのお気に入りたちが〈遙かなる古代〉と呼んでいる時代に、やはりアジア大陸に誕生した〈アマムバクロートル〉という名の賢明な知識人が、周囲で生起する様々な出来事を意識的に観察していた時、皮膚の毛穴に溜まるこの〈油のようなもの〉が惑星体全体の全般的機能に悪しき影響を与えていることにはっきりと気づき、そこで彼はこれを解明し、少なくともこの害悪だけでも一掃しようとその方法を探し始めた。
このアマムバクロートルと、当時弟子となって彼を手伝い始めた何人かの知識人たちは、長い間調査・研究を続けた結果、確信をもって次のような結論に達した。彼らと同種の生物が服を着ないようになるのは不可能であり、それゆえ彼らのまわりの人間たちの精神の中に何らかの慣習を植えつけることによって、皮膚の毛穴の〈第二存在食物〉の残りカスを人工的に除去する方法を見つけねばならず、それは恐らく時とともに彼らにとってなくてはならないものとなり、彼らの習慣や慣習の中に定着するであろう、と。
そしてこの偉大なるアマムバクロートルを長とするアジアの知識人たちは、実験を重ねた結果この方法を発見し、これを実践に移したのだが、これが現在に至るまでその地に存在しているハマムの起源なのだ。
当時彼らは、細部まで考え抜かれた実験を続けていくうちに、他の多くの事と共に次のことを明らかにした。すなわち、普通に身体を洗うだけでは、たとえ熱い湯を使ったとしても、皮膚の毛穴からこの堆積物を除去することは不可能である。なぜかというと、惑星体の排泄物は皮膚の表面にではなく、毛穴の奥深くに溜まるからだ。
彼らはさらに解明実験を続けて次のことを明らかにした。皮膚の〈毛穴〉からこれらの堆積物を除去するのはゆっくり温めることによってのみ可能で、そうすることによってこの〈油のようなもの〉の堆積物を徐々に分解し、生物の皮膚の毛穴から除去することができる。
さて、彼らはこの目的のために、後にハマムと呼ばれるようになる特別の部屋を考案し、実際に作り上げた。その上彼らは、この部屋の意義と重要性とをこの大陸全体の人間たちの間に広め、そしてすべてのアジア人の精神の中に、彼らの生存プロセスにおいて所定の手順でこの部屋を使用することに対する欲求を植えつける術さえわきまえていたのだ。
さて、ほかでもない、定期的にハマムに行きたいというこの欲求こそが、既にアジア大陸の人間たちに生得のものになり、また後には共同体ロシアの人間たちに受け継がれたものなのだ。
おまえのお気に入りたちの皮膚の毛穴に溜まるこの〈油のようなもの〉については、さらに次のことを言っておく必要がある。
この物質、つまり〈油のようなもの〉は、われらが大宇宙に存在するすべてのものと同様、全く同じ状態にとどまっていることはできない。したがって毛穴の中のこの物質においても、大自然が要求する進展と退縮と呼ばれるプロセスが必然的に進行する。そしてこれらのプロセスが進行している間に、〈一時的な〉あるいは〈束の間の〉宇宙生成物と呼ばれるもの全体から、〈二次的〉活性元素と呼ばれるもの、つまり振動の惰性によって一時的に結晶化し、そして誰もが知っているように、生物の嗅覚器官に近づけると極めて〈不協和音的に〉知覚されるという特性を持つものが発散される。その結果この惑星地球上では、ハマムを使用しないおまえのお気に入りたちからは独特の〈
ラストロプーニロ〉、あるいは彼ら流にいえば〈臭い〉が発散しているが、これは彼ら自身でさえ〈はっきりいって極めて不快なもの〉と考えておる。
実際だな、坊や。いくつかの大陸、特にハマムに行く習慣がないヨーロッパ大陸では、そこの三脳生物からこの独特な〈
ラストロプーニロ〉、あるいは彼らが臭いと呼ぶものが発散されるために、非常に鋭い嗅覚をもった生物であるわしとしては実に生存しにくかったのだ。
皮膚の毛穴を特別にきれいにするということを一切しない彼らから発するこの不快な臭いは強烈だったから、わしは個々の人間がどの共同体に属しているかを何の困難もなく言い当てることができたし、それどころか彼ら個々人を臭いで判別することさえできた。
この独特の臭いの多様性は、この〈油のような排泄物〉の分解が皮膚の毛穴の中でどれくらいの間進行したかによって決定される。
幸いこの不快な臭いは彼らにはそれほど〈拷問のような苦しみ〉を与えないのだ。
なぜ彼らがあまり苦しまないかというと、彼らの嗅覚がほんのわずかしか発達していないためであり、それに加えて、いつもこの臭いの中で生存しているために慣れっこになってしまったためでもある。
というわけでだな、坊や。この習慣、つまり定期的に特別なハマムに行って自分自身を洗い清めるという習慣をロシア人はアジア人から取り入れた。しかし彼らがヨーロッパ人からの影響、それも前に言ったように大部分が共同体フランスの人間たちからの影響を受けるようになると、フランス人はハマムに行く習慣をもっていなかったために、彼らロシア人も次第にハマムを使うのをやめるようになり、こうして何世紀にも渡って彼らの間に根づいていたこの良き慣習も少しずつ消滅していったのだ。
以前は、ほとんどすべてのロシアの家庭にハマムがあった。しかしつい最近、彼らの主要生存地であるかつてのセント・ペテルスブルグに最後に滞在した時、そこには200万人以上のロシア人が生存していたにもかかわらず、ハマムはたった7つか8つしかなかった。それに加えて、当時でさえ既に、ハマムに行く者は〈召し使い〉とか〈労務者〉とか呼ばれる人間たちだけで、言いかえると、ハマム、あるいは彼らが時々〈浴場〉と呼ぶものに行く習慣がまだ完全には消滅していない遠隔の村からたまたまこの首都にやってきた者たちだけがハマムに行っておったのだ。
さて、この首都の人口の中心を占める者たちはいわゆる支配階級なるものを構成している人間たちであったが、彼らは近年全くハマムに行かなくなり、もしある〈変わり者〉が昔の習慣から時々そこへ行くとしても、彼は自分のカーストの者に絶対にそのことを知られないようにあらゆる手段を講じている。
『ねじ曲がった幸運よ彼を救いたまえ』、さもないとこの大胆な奴は〈ゴシップ〉の的になり、彼の輝かしい将来は必ずや〈台無し〉になってしまうだろう。
支配階級に属する人間たちの間では、今ではハマムに行くことはひどく〈下品〉で〈愚かな〉ことだと考えられている。ではなぜ下品で愚かかというと、彼らの惑星の現代における〈最も知的な〉人間たち(それは彼らの理解によればフランス人なのだが)はハマムに行かないという、ただそれだけのことなのだ。
この不幸な者たちはもちろん知らないが、当のフランス人たちは、例によって例の理由、つまり彼らの間に確立された異常な生存状態のために、つい2、30年前までは、ハマムに行かないばかりか、とりわけ彼らの中でもいわゆる〈インテリ〉と呼ばれておる者たちは、朝の洗顔さえしていなかった。というのも、当時の流行であった人工的な外観は一度駄目にしてしまうとやり直すのが非常に困難だったからだ。
さて、わしが取り上げた2つの良い習慣のもう一つのもの、つまり第一存在食物を摂った後でケーヴァを噛むという習慣だが、ほんの二世紀前にはまだこの共同体ロシアの人間たちはみなこの習慣を遂行することを身体的に必要としておった。しかし今、現代ロシア人の間ではこの習慣は全く存在しなくなってしまった。
ここで次のことにふれておかねばなるまい。わしがまだそこにいる間に、このケーヴァを噛む習慣は、〈アメリカ〉と呼ばれる大陸に住む人間たちの間にその目的も理解されないまま根をおろし始めた。そこではケーヴァ、あるいは彼らが〈チューインガム〉という名で呼ぶようになったものは非常に広く使用されており、そこの商業の大規模な製造部門にまでなっている。ここで面白いのは、アメリカのチューインガムの原料の主要部分はロシア、それも特に〈コーカサス〉と呼ばれる地域が輸出しているのに、この地域に住んでいる人間たちは、なぜ〈狂った〉アメリカ人が何の役にも立たないこんな根を輸入するのか、その理由さえ知ってはいないということだ。
もちろん彼らは誰一人、この〈何の役にも立たない〉根を輸入するアメリカ人は主観的な意味ではたしかに〈狂って〉はいるが、客観的な意味からいえば単にロシア人から、いわゆる〈白昼強盗〉を働いているにすぎないということなど思いもしないのだ。
さて坊や。ロシア人が何世紀にも渡って取り入れ、通常の生存プロセスにすでにしっかりと根づかせていた実に多くの良き慣習や道徳的習慣は、これとちょうど同じ具合に、この二世紀、つまりロシア人がヨーロッパ人の影響を受けるようになった過去二世紀の間に、徐々に消滅し始め、そのかわりに彼らの間には新しい慣習や道徳的習慣が形成されてきたが、現在彼らがもっているこのような習慣の中には、〈レディーの手にキスすること〉〈若いレディーに対してだけ礼儀正しくすること〉〈夫がいる前でその奥さんを左目で見ること〉等々がある。
ここでわしは遺憾の衝動を抱きつつ次のことを強調しておかねばならん。つまり現在これと同じことが、どこの大陸であれ、すべての共同体の人間たちの通常の生存プロセスで起こっているのだ。
さて坊や。これくらい話せば、おまえの存在の中に生じた疑問、つまりなぜおまえのお気に入りたちは、種の誕生以来これほど長い間存在しているにも関わらず、たとえ客観意識は欠如しているにせよ、自分たちの生存が多少とも我慢できる程度に進行するのを可能にするような自動的な慣習や〈本能的習慣〉を形成してこなかったのかという疑問を、ほぼ満足できる程度に解消できるのではないかな。
もう一度言っておこう。彼らの精神全体の中につい最近定着したこの特性のおかげで、今では彼らは常に、他人に影響を与えるか、もしくは他人から影響を受けるかのどちらかの状態であることが自然で、またいわば法則にかなった状態になっておる。
いずれの場合にせよ、この奇妙な特性は、彼ら自身の意識に関係なく、それどころか欲望すらなくても活動して何らかの結果を生み出すのだ。
これまで話したことを聞けば、つまり現代のロシア人はいつも何かの例に従ったり誰かを真似たりしているということを知れば、地球の三脳生物の体内で対比的・論理的思考活動のためのデータの機能がどれほど衰退しているかがはっきり理解できるだろう。
一般的にいって、他人の例に従うこと、あるいは他人を手本にすることは、宇宙のいたるところにいるすべての三脳生物の間では、全く理性的かつ不可避的に必要なことだとみなされ、認識されている。だからこの大共同体ロシアの三脳生物が共同体フランスの人間たちの例に倣ったこと自体は、極めて分別あることだとさえいえる。しかしなぜ良いものを手本にしないのだろう?
実際この不幸な者たちは、今言った彼らの精神の特殊な性質ゆえに、またそれに加えて、時おりでも
パートクドルグ義務を遂行するという慣習が彼らの体内から完全に消え去ってしまった結果彼らの中に最終的に定着した精神が有するこれ以外のいくつかの特異な性質ゆえに、いわゆる〈強迫観念に駆り立てられて他人を真似する者〉になり、悪いものを手本にするばかりか、自分たちのもっている良い慣習まで、ただそれが他のどこにも存在しないというだけの理由で放棄し始めたのだ。
例えば彼らはこんなふうには考えてみようともしない。つまり、フランス人は通常の生存状態をこれまでずっと異常な形で積み上げてきたために、今の例を使えば、時々ハマムで自分自身を洗ったり、第一存在食物を摂った後でケーヴァを噛むことの必要性にまだ気がついていないのだ、と。
逆に彼らは、手本としたフランス人の間に存在していないというだけの理由で既に手に入れた良い慣習を放棄している。これはもう正真正銘の〈七面鳥性〉以外の何ものでもない。
わしが今〈七面鳥性〉と呼んだ奇妙な特性はこの惑星に生息するほとんどすべての三脳生物に固有のものとなっているが、これから生じるものの〈表出〉が最も顕著に見られるのはヨーロッパ大陸に生息する三脳生物たちだ。
わしがこのことに気づき、そして理解するようになったのは、その後セント・ペテルスブルグを出てヨーロッパ大陸の様々な国を旅するようになってからのことだ。以前この大陸を旅した時には短期間しかいなかったが、今回は長くとどまったので、彼ら個々人の精神だけでなく、種々様々な状況下で多数集まった時の彼らの精神までも極めて詳細に観察し、研究する時間をもつことができた。
このヨーロッパ大陸に存在しているすべての共同体の外的な生存形態は、あの大共同体ロシアの人間たちの外的な生存形態とほとんど違うところはない。
この大陸に生息する様々なグループの人間たちの生存形態の間には違いが見られるが、それはある共同体が継続的に存在している期間の長短に応じて、良い慣習や〈本能的習慣〉が自動的に獲得され、その共同体の住民に固有のものとなる時間がどれほどあったかということから生じる違いにすぎない。
ここで次のことを言っておかねばならん。すなわち共同体の存続期間は、そこの住民が良き慣習や本能的習慣を獲得するという意味で非常に大きな役割を演じている。
しかし宇宙全体にいる、様々な理性の段階にあるすべての三脳生物にとって不幸なことに、多少なりとも組織化されている彼らのグループの存在は一般に短命であり、その原因はもちろん彼らのあの主要な特性、すなわち〈周期的な相互破壊〉にほかならない。
彼らのいずれかのグループの全般的生存プロセスの中で、彼らの自動的生存にとって有益な慣習が確立され始めるやいなや、突如としてこの恐るべきプロセスが起こり、そのため何世紀にも渡って獲得されてきた良い慣習や〈自動的習慣〉は完全に破壊されるか、もしくはそのグループの人間たちは、さっき話した特性があるばかりに、別の人間たちの影響、つまりこれが起こる前に影響を受けていた人間たちとは全く何の共通点もない人間たちの影響を受けるようになる。こうして何世紀もかけて獲得された慣習や道徳的習慣は短期間のうちに〈新しいもの〉にとってかわられるのだが、それらはほとんどの場合まだ未熟で、いってみれば〈ほんの一日〉しかもたないのだ。」

第35章 宇宙船カルナック、予定のコースを変更
する

ベルゼバブが近親の者への話をここまで進めた時、宇宙船の船長が彼と個人的に話したいという許可を求めてきた。
ベルゼバブが承諾すると、まもなく船長が入ってきて、うやうやしく挨拶をしてからこう言った。
「尊師様、この旅行が始まる時にかたじけなくもお言葉を下さいまして、帰途、聖なる
惑星パーガトリーに寄って、ご子息トーイランのご家族にお会いになるというようなことをほのめかされましたね。もし今でもその意志にお変わりがなければ、今すぐそうお命じください。と申しますのも、我々はまもなく太陽系カルミアンを通過しますが、これを通過してからすぐに左に方向を変えないと、ひどく遠回りをすることになりますので。」
するとベルゼバブはこう答えた。「船長、どうかそのようにお願いしたい。この聖なる惑星に立ち寄って都合の悪いことは何もないだろう。ここでかわいい息子のトーイランの家族に会えるという幸運がやってくるとは予期していなかった。」
船長が挨拶をして出ていこうとした時、急にベルゼバブは、何かを思い出したかのように、彼を引き止めてこう言った。
「船長、ちょっと待ちたまえ。できればもう一つ願いを聞いてもらいたいのだがな。」船長が戻ってきて定められた場所に腰をおろすと、ベルゼバブはこう続けた。
「わしの願いというのは、聖なる
惑星パーガトリーに寄った後、惑星デスカルディーノの表面に着陸するよう、我々の宇宙船カルナックのコースをとってほしいのだ。
なぜかというと、現在その惑星には、わしの最初の師である大サローノーリシャン、つまりわしの真の身体のすべての霊化された部分を生み出してくれたそもそもの原因である方が永住しておられるからだ。
要するに、わしが誕生した圏内に帰る前に、この機会を利用して、わしの真の存在を最初に創り出してくれた人の足元に、最初の時と同様にもう一度身を投げ出してみたいのだ。実をいうと今はその気持ちがいっそう強い。なぜかというと、今、わしにとって最後になるであろう会議から帰る途中だが、わしの身体の霊化された部分全体の機能が現在実に満足のいくものであることが、わしのみならず、わしが出会ったほとんどの個人の目に明らかになったので、その結果、大サローノーリシャンに対する感謝の衝動が体内に生じ、今も消しがたく残っているからだ。なあ船長よ。わしの願いが簡単なことでないのは十分承知しておる。というのも、わしは昔、あの恩寵深き赦免の後で惑星カラタスの誕生の地へ帰る途中、そこへ着く前にやはりこの
惑星デスカルディーノを訪ねたいと思い、そう願い出たのだが、その時、それを実行するのがいかに困難であるかをこの目で見たからだ。その時は宇宙船オムニプレゼントの船長がわしの願いを聞き入れて、この惑星の大気圏に方向を変えてくれたおかげで、母国に帰る前にデスカルディーノの表面に降り立ち、わしの真の生存を生み出してくれた大サローノーリシャンに挨拶をし、そして彼から、わしにとってはこの上なく貴重な〈創造者の祝福〉を頂くという幸せな機会をもつことができたのだ。」
ベルゼバブのこの要請に対し、宇宙船カルナックの船長はこう答えた。
「けっこうです、尊師様。どうすればあなたのご希望にそえるかよく考えてみましょう。その当時、宇宙船オムニプレゼントの船長がいかなる障害を克服されたのかは知りませんが、今度の場合、
聖なる惑星パーガトリーから惑星デスカルディーノヘの直接のルートには、ザルツマニーノと呼ばれる太陽系があり、その中には、汎宇宙的トロゴオートエゴクラティック・プロセスを進展させる目的で、ジルノトラーゴという物質を変容させ放射するために創られた多数の宇宙凝集体があります。それゆえ、我々の宇宙船カルナッグが、何にも妨害されずにまっすぐにこの太陽系の中を通り抜けることはほとんど不可能です。しかしともかく尊師様が述べられた希望を満たすべく全力を尽くしてみようと思います。」
こう言うと船長は立ち上がり、うやうやしく挨拶をして出ていった。
ベルゼバブが近親の者と一緒に坐っている場所から船長が出ていくと、ハセインは祖父のところにかけ寄っていつものように足元に坐り、ベルゼバブが惑星地球のあの大共同体のセント・ペテルスブルグと呼ばれる首都を離れた後どんなことが起こったか、続けて話してくれるよう、まるで、なだめすかすかのように頼んだ。

第36章 ドイツ人についてもう一言

ベルゼバブはこう話し始めた。
「セント・ペテルスブルグから、わしはまずスカンディナヴィアと呼ばれる国々に行き、そこを旅した後に、〈ドイツ〉と呼ばれる現代人のグループの一大中心地に落ち着いた。」
こう言うとベルゼバブは、善良そうな中にもいわゆるずるそうな様子が混じった微笑みを浮かべながら、ハセインのちぢれっ毛の頭を軽くたたいてこう続けた。
「さて坊や。わしは現代ヨーロッパのグループの三脳生物がもっている奇妙な精神についても、おまえにしっかりと理解してほしい。そこで今度は少しやり方を変えて、解説的な情報を細々と授けるのをやめて、おまえに一つの問題を出そう。つまりそれを解く過程で、おまえはまずヨーロッパ人のこのグループの精神の特性を徹底的に解明するだろうし、そればかりか、この過程そのものがおまえの思考活動にとって絶妙の鍛練になるだろう。
おまえのために特別に作った問題というのはこうだ。
現代ヨーロッパ人のこのグループの者たちは、彼らが〈父なる国〉と呼んでいる地域のいたるところである一つの無邪気な風習を守っているが、これについて能動的に黙想し、論理的データを引き出し、それを総動員してその理由の本質を明らかにせよ。
その風習というのは、お祭りか何か、あるいは単に〈酒盛り〉と呼ばれるものでもいいが、ともかく何かそんなことで彼らがある場所に集まると、必ず決まってある一つの歌を歌うということだ。この歌は彼ら自身が作った極めて独創性の高いもので、次のような歌詞から成っておる。   

馬鹿よ、白痴よ、
おまえは私の慰めだ。
阿呆よ、愚鈍よ、
おまえは私の喜びだ。

さて坊や。もしこの事実から何か引き出すことに成功すれば、われらが親愛なる師であるムラー・ナスレッディンの智恵の言葉をおまえの身体でしっかり把握することができるだろう。
その言葉とは、『最高の幸せは、愉快なことをやって、しかも有益なものを手に入れることにある。』

なぜこれがおまえにとって愉快かというと、おまえの能動的な思考活動にとって理想的な訓練になるからであり、また有益である理由は、地球に生息するおまえが興味をもっている三脳生物のうち、現代ヨーロッパ人のこのグループに属する者の精神の特異性を完全に理解するであろうからだ。
前に話したように、この現代グループの住民は、ありとあらゆる種類の〈科学〉を〈発明〉したという意味で古代ギリシア人に直接とってかわる者たちであるといえる。それにまた、おまえが課された問題から引き出す推論が、対比的・論理的に可能な推論と真っ向から対立するかもしれん。そんなこともあるので、2つの点に関してもう少し情報を与えておいた方がいいだろう。
まず第一の点は、この惑星は、無数の言語が存在することから〈千の舌をもつヒドラ〉と呼ばれているにもかかわらず、この歌の中のいくつかの単語は、他のいかなる言語にも相当する単語がないということだ。第二の点は、古代ギリシア人のように、それでなくてもすでに十分に〈衰弱〉しているいわゆる〈論理的思考〉と呼ばれるものをさらに衰弱させるような有害なものをあれこれ作り出すことが、このグループの住民たち固有の特性になりきってしまうと、今度は自分たちの言語のいわゆる〈文法規則〉なるものまで編み出し、これを使って彼らはいつでもどこでも〈意見の交換〉をする時は常に、否定の不変化詞を肯定語の後に置くようになった。例えば〈私は・これは・欲しく・ない〉というかわりに、〈私は・これが・欲しい・ない〉などと言い、こんな言い方を現在まで続けているのだ。
この文法規則のおかげで、意見交換の際、聞き手には初め肯定かと思われるような言葉が聞こえ、そのため彼の中ではある〈
ディアルドーキン〉、つまり彼ら流にいう〈経験〉が生じる。そしてその後で初めて、文法規則に従って一番最後に、かの有名な〈ない〉が発音されるというわけだ。その結果彼らの体内には、ゆっくりではあるが着実に、彼らに共通する精神の〈特異性〉を形成するものが蓄積されていくのだ。この事実を参考にすれば、おまえもわしの出した問題を解くことができるだろう。」

第37章 フランス

さらにベルゼバブは話を続けた。
「ドイツの後、わしは短期間ヨーロッパ大陸の〈イタリア〉と呼ばれる共同体の住民の間に滞在した。イタリアの後、わしは別の共同体に移ったが、そこの住民は、ロシア共同体の住民にとって、かの〈悪徳〉、つまり地球の三脳生物の異常な生存プロセスの中にずっと以前に根をおろした〈暗示感応性〉と呼ばれる〈悪徳〉を満足させるいわゆる〈源泉〉になった者たちであった。つまりわしは共同体フランスの住民たちの間に落ち着いたのだ。
そこでだな、坊や。これからわしはフランスの三脳生物の精神の特異な側面を話してやろうと思う。この話を聞けば、おまえを楽しませておる惑星地球の三脳生物の体内で、個人として公平無私に沈思黙考できるという意味ですべてのデータを結晶化する正常な能力が全般的にどれくらい衰退しているか、それにまた現在では、あらゆる現実に関して彼らの中で形成される主観的な本質意見が、彼ら一人一人が印象を通して直接現実を知覚することによって得るべき意見とどういう具合に正反対のものになるか、こういったことについてはっきり理解できるようになるだろう。
思うに、今言ったことをはっきりさせるためには、このフランス人を例にとるだけで十分だろう。
一番肝心な点は、現在、彼ら流にいえば〈文化的生活〉が集中しているヨーロッパ大陸および他のすべての大陸に生息しているすべてのグループの住民の間には、責任ある存在の形成期の初期から、このフランス人の個性を彼らなりに理解するためのデータが決まって結晶化するようになり、そしてそのデータは彼らの中に、このフランス人は、この惑星のあらゆる人間の中で、彼らの言葉を借りるならば、最も〈堕落し〉、〈みだら〉であるという、きわめて断定的な見方を生み出したという点だ。
早くもそれ以前、つまり共同体フランスを定住の地に選ぶ以前に、彼らに関するこの種の観念を生み出すデータはすでにわしの体内に形成されておった。
それというのも、この惑星の表面のほとんどすべての陸地に生息しているいかなるグループの住民のところに行って住んでみても、会話のたびにフランス人に関するこういった意見を聞かされていたからだ。
実は前にも話したとおり、以前にもこのフランス共同体には時々行っておったのだが、当時は彼らの精神の特異性には、ましてや他のほとんどすべての共同体の住民たちが彼らに対して抱いている意見などには、全く注意を払わなかった。
ところが今回は、この共同体のとある田舎町に落ち着くと、当然のことながらわしの身体は本能的に、この地方の三脳生物の行為から〈不道徳〉で〈堕落した〉印象を受け取ることを予期したのだが、実に驚いたことに、そのようなものは一切見られないことをはっきりと確認したのだ。
まもなくわしは彼らと付き合うようになり、友人も出来て、いくつかの家族とも親しくなったが、彼らに関するこのいわゆる〈自動的意見〉というやつを生み出すデータはわしの中で崩壊し始め、そればかりか、なぜこれほど現実とかけ離れた意見を生み出すデータが他の共同体の人間たちの体内で結晶化したのか、その原因を探るのに〈必要なデータ〉がわしの体内で結晶化し始めた。
これに対する興味は日ごとに強まっていったが、それというのも、彼らの間に滞在しているうちに、この共同体の住民は、最も堕落した不道徳な人間たちでないどころか、全く逆に、ヨーロッパ大陸の三脳生物の中では一番〈家父長的〉で、しかも〈ひかえめな〉人間たちであることが次第にはっきりしてきたからだ。
そこでわしは、現代の地球上のこの疑問を解明するために特別な観察を始め、必要な情報を集め始めた。
この田舎町にいる間は何一つはっきりさせることができなかったが、後に偶然フランス人の首都に行く機会があった時、その最初の日から徐々に、この誤解の根本的原因がわしの理性の中で明らかになっていった。
この原因の解明には、わしの公平無私な観察と考察に加えて、次のことが大いに役立った。
今も言ったようにわしはパリという名の首都に行ったのだが、ついでに言っておくと、この都市は今では、この惑星のすべての大陸に生息する現代の三脳生物の
ロジックネスタリアン結晶体の中では、ちょうどサムリオス、クールカライ、バビロンといった諸都市が当時の人間たちにとってそうであったように、彼らの想像上の文化の中心地としての地位を確立しておった。さて、そこに着くと、わしは駅からまっすぐにホテルに行ったが、このホテルはベルリンにいた時に友人から勧められたところであった。
そこで最初に気づいたことは、このホテルの従業員がみな外国人で、それもほとんど英語を話しているということであった。ところがその少し前に来た時には、この同じホテルの従業員はみなロシア語を話していたのだ。
この現代のサムリオスに着いた翌日、わしはこの共同体の首都に生存しているある友人の紹介を受けて、ペルシアと呼ばれる共同体から来ている人間に会った。
この新しく知己になったペルシア人は、その日の夕方、一緒に〈ブールヴァール・デ・キャプシーヌ〉と呼ばれるところに行って、当時有名だった〈グラン・カフェ〉にしばらく座ってみないか?と言った。
そこで我々はグラン・カフェに行って、パリでは普通のことだが、歩道の半分を占領している沢山のテーブルの一つに腰をおろした。
前にも言ったように、このカフェというのは、アジア大陸に住む人間たちにとってのチャイハナと同じ目的をヨーロッパ大陸の住民に対して果たしていた。唯一の違いは、〈アジア〉大陸のチャイハナではある赤っぽい飲物が出るのに対して、ヨーロッパ大陸でもたしかにこの種の店では飲料を出すのだが、第一にこの液体は真っ黒で、第二に、その店の所有者以外、それが何から作られているのか知らないということだった。
我々もこの〈コーヒー〉と呼ばれる黒い液体を飲み始めた。
ここでも気がついたのが、このグラン・カフェの従業員は(ここでは〈ウェイター〉と呼ばれていた)みな他のグループから来ており、そのほとんどは〈イタリア〉と呼ばれるヨーロッパの共同体の住民であった。
しかしおよそパリのこの地域、つまり〈パリの中の外国〉とでもいうべき地域では、すべてのビジネスは、現代のヨーロッパ大陸あるいは別の大陸の共同体の住民たちがそれぞれ専門でやっていた。
そんなわけで、我々はこの有名なグラン・カフェの椅子に座って、カフェの前の道を行き交う人間たち、つまり歩道の残りの半分をぶらついている人々を眺め始めた。
ぶらついている群集の中には、ヨーロッパ大陸や、他の大陸のほとんどすべてのグループの住民がいたが、当然のことながら当時豊かであった共同体から来た者が大半を占めていた。その中でも特に多かったのがアメリカ大陸の住民であった。
ここパリでは、アメリカ大陸の住民たちは近年ついに、大共同体ロシアの住民に(この共同体の〈死〉後)とってかわっていた。
そこをぶらついているのは主として支配階級に属する人間たちで、彼らはよくこの、彼ら流にいえば〈世界の首都〉に、〈楽しみを求めて〉やってくるのだ。
彼らの中にはビジネスマンも沢山いたが、彼らはいわゆる〈流行の商品〉、主に香水と婦人服を求めてパリに来ていた。
ブールヴァール・デ・キャプシーヌを歩いている群集の中には若者たちも沢山いたが、彼らは〈流行のダンス〉を習ったり、〈流行の帽子〉を作ったりするためにやってきていた。
我々は話しながら、いろいろな人間たちが混じり合った群集をじろじろ眺めていた。彼らの顔は長年の夢が実現した喜びに満ちあふれていた。と突然、新しい知己であるペルシア人が急に驚いたようにわしの方を向いて、通り過ぎていく一組のカップルを指して大声でこう言った。
『ほら、ごらんなさい! あれこそまさに正真正銘のフランス人です!』

その方を見ると、たしかにそのカップルは、わしがフランス共同体の田舎町で見た人々と非常によく似ていた。
彼らが人込みの中に消えてしまうと、我々はさっそく、なぜあの本物のフランス人カップルは、彼らの〈首都〉のこの地域にやってきたのか解明すべく話し始めた。
あれこれ推測してみた後、我々は次のように意見が一致した。つまりあのカップルは恐らく、本物のフランス人の住むパリのある地域に住んでいて、それがパーティか何かで親戚のところに行ったのだが、その親戚は、パリのフランス人が住んでいる地域の中でもちょうど彼らが住んでいるのと反対側に住んでいるのであろう、という結論に達したのだ。
明らかに彼らはこのパーティでかなり飲み、それで家に帰る時回り道はしたくなかったので直線ルートをとることに決めた。そしてこの直線ルートがグラン・カフェの前を通っていたというわけだ。
あの本物のフランス人がパリのこの地域に現れた理由は、たぶんそれだけだろう。
話をしながら、我々は再び、最近のファッションに身を包んでうろついている群集を眺め始めた。
彼らの大多数は最新のファッションで着飾ってはいたが、しかしどこから見てもその服は昨日か今日買ったばかりで、しかもよく観察して彼らの服と顔とを比べてみると、彼らの家庭での通常の生存プロセスでは、これほど豊かに着飾り、これほどいろいろな心配から解放された気分に浸れる機会は滅多にないということが、疑いの余地なく見てとれた。
〈土地の者〉が〈外国から来ているお姫様たち〉と呼んでいる者の中には、やはり外国から来たあらゆる種類の〈男女両性の専門家〉がいて、パリのこの地域にもう〈すっかり順応し〉、〈大挙して〉歩きまわっておった。彼らを見ながら、わしの新しい知人である若いペルシア人は、〈パリの案内人〉になってやるから、一緒に〈パリの悪名高き場所〉と呼ばれているところへ行って、フランスの〈堕落〉を見てみようと提案した。
わしもこれに同意し、まず最初にグラン・カフェの近くにある〈女郎屋〉と呼ばれるところに行ってみた。
そこでわしは、この〈高貴なる家〉の所有者はあるスペイン人であることを知った。
この家の数ある部屋は女性で一杯だった。〈ポーランド女〉〈ウィーン女〉〈イタリア女〉、それに〈黒人女〉も二人いた。
こんな場所では、本物のフランス人はどんな具合に出てくるのか見てみたかったが、聞いてみると、この家にはフランス女は一人もいないということだった。
女郎屋から我々はまたブールヴァールに戻り、歩きながら、ぶらついている様々な人間たちを観察した。
どの大通りに行ってもいたるところで、〈夜の探求〉の目的をあらわに示している多数の女性に出会った。
これらの女性はみな、これまで挙げた国やその他の国に属していた。つまりそこには〈スウェーデン人〉〈イギリス人〉〈ロシア人〉〈スペイン人〉〈モルダヴィア人〉等々がいたが、ここにも本物のフランス女性は1人もいなかった。
まもなくある胡散臭い顔つきの男性が我々に話しかけてきて、〈グランド・デューク〉なるものに行かないかと誘ってきた。
最初わしは〈旧帝制ロシアの皇子〉(グランド・デューク)の意味がわからなかったが、あれこれ聞くうちに、この奇妙な言葉はつい最近、つまり今は死に絶えてしまった〈帝制ロシア〉がその地で栄えておった時代以後、あるはっきりした意味をもつようになったことがわかった。
つまりこうだ。当時、この今は消滅したロシアの支配階級に属していた人間たちはこの〈世界の首都〉がいたく気に入っていて、しょっちゅう訪ねていた。そして彼らのほとんど全員が、もったいぶった見せびらかしのために、〈伯爵〉とか〈男爵〉とか〈王子〉等々、何らかの称号を持っているかのように言いふらしていたが、その際一番よく使われたのがこの〈旧帝制ロシアの皇子〉だったのだ。そして、彼らは全員必ず〈パリの中の外国〉のいかがわしい場所を〈訪問〉したので、職業ガイドたちは今やこの種の〈ツアー〉をトゥルネー・ド・グラン・デュック(英語でいうと〈グランド・デュークス・ツアー〉だが)と呼ぶようになったのだ。
そこで我々もガイドを雇って、現代のクールカライの夜の〈光景〉を見にくり出した。
我々はこういった〈いかがわしい巣窟〉をあれこれ訪ねてみた。〈ホモセクシュアル〉のカフェに行き、〈レズビアン〉のクラブを訪ね、その他ありとあらゆる〈異常行為〉が行われている〈悪の温床〉を訪問した。こういう場所は実は、この不幸な者たちの主要な〈文化の中心地〉には繰り返し現れる現象であった。
こういった評判のよくない場所を訪ねているうちに、我々はかの有名な〈モンマルトル〉と呼ばれる地域にやってきた。しかしそこは厳密にいえばモンマルトルそのものではなく、その名前の丘の麓の辺りで、そこにはありとあらゆる夜の〈いかがわしい店々〉が軒を連ねていたが、それらはみなフランス共同体の住民のためのものではなく、他の様々なグループから来た人間たち、つまり彼らのいう〈外国人〉だけのためのものだった。
これら多くの胡散臭い店々の他にも、これまた外国人用の夜のレストランが無数にあり、それらはみな一晩中開いていた。
この地域全体は夜になると活気づいてきた。昼の間は、彼ら流にいえば、ほとんど〈死んで〉いるも同然で、一人の外国人もやってはこなかった。
こういったレストランにはみな、いわゆる〈オープン・ステージ〉なるものがあり、そこで彼らは、この惑星上の他の部分に生存する他の共同体の住民がどうやら行なっているらしい〈びっくりするようなこと〉をいろいろやって見せるのだ。
アフリカ人の〈ベリーダンス〉もあれば、コーカサス人の〈剣の舞〉、それに〈白黒混血児〉の蛇踊り、まあ一口でいえば、その時〈目先の変わった流行の最先端〉と考えられるものは何でもやったのだ。
こうした〈モンマルトルの劇場〉での出し物は、あたかもこの惑星の他の大陸に生存する人間たちの間で実際に行なわれているかのように演じられていたが、実をいうと、いたるところに行って住み、その土地土地の人間の行動様式の特異性に非常な興味をもって観察し研究してきたこのわしでさえ、それらが行なわれているとされる土地では見たこともない代物であった。
近年このモンマルトルでは、いわゆる〈特別のロシア・レストラン〉なるものが多数開店していたが、こういった特別のロシア・レストランや他のレストランにいるいわゆる〈芸術家〉とか〈芸人〉とかいわれている者たちはみな、この大共同体ロシアの、しかもそのほとんどが以前の支配階級の出身だった。
次の点に注目しておくのもいいだろう。すなわち、つい最近モンマルトルの種々雑多な店の仲間に加わった現代の〈モンマルトルの劇場レストラン〉の〈芸術家〉や〈芸人〉たちの父祖たちは(もちろんいわゆる〈農民の汗〉というやつのおかげで)他の共同体の住民の個々人の威厳を鼻で笑い、侮蔑していたが、彼らの子供や孫はひどく腰が低くて、今では他の共同体のいわゆる〈金をごっそりもった人間ども〉の〈ハスナムス的気まぐれ〉を満たすいいエサになっておった。
こんな状況に関して、われらが賢者ムラー・ナスレッディンは、ここでも極めて含蓄のあることを言っておる。
すなわち、『もし父が、たとえ子供のソリでも乗りたいと言えば、息子は村の大ゾリを山の上まで引っぱり上げなくてはならん』
わしはこういったレストランの一つに新しく友人になったペルシア人と座っていたが、彼が同じくペルシア人の知人に呼ばれていってしまったので、シャンペンを前にして(普通モンマルトルのこの種のレストランではこれを注文することが義務づけられていた)一人ポツンと取り残された。」
ここでベルゼバブは深いため息をついて、それからまた話し始めた。
「おまえを楽しませている惑星地球の現代の三脳生物の間で過ごしたあの夜のモンマルトルのレストランのことを話しているうちに、当時経験した〈
サルピティムニアン経験〉がわしの中でどうしようもなくよみがえってきて、今この瞬間にも、わしの経験したことすべての記憶が体内の3つの霊化された部分すべての中で強力に、また繰り返し連想を呼びさましておる。それがあんまり強いので、今の話題からしばらく脱線せずにはおれなくなった。そうすれば、モンマルトルのこのげっそりするような環境に一人取り残されて、つまりわしのパリでの案内人になってくれた若いペルシア人が行ってしまった寂しさの中でわしの体内に生じた、実に悲しい、気の滅入るような考察を、おまえと分かち合うことができるかもしれん。
その時、わしの全生存期間のうちでもほんの二度目のことだが、わしの存在の中でこのサルピティムニアン経験のプロセスが生じたのだ。このプロセスはわしの体内にある反感を引き起こしたが、それは我々のいと高きこの上なく神聖なる宇宙個人の側の様々な予見不足と、それから生じるあらゆる客観的不幸に対するものだった。こういった不幸は、この惑星地球上のみならずわれらが大宇宙全体でも、かつても起こったし、たぶんこれからも起こり続けるのだろう。
実際、彼らが宇宙凝集体の調和のとれた運行を計算する際、
彗星コンドールがこの不幸な惑星地球に衝突することを予見できなかったなどということがありうるだろうか?
当然そうすべき者がこのことをちゃんと予見していたならば、その後次々に派生した不幸な出来事はすべて起こらずにすんだし、それに、この不幸な惑星上に誕生した最初の三脳生物の体内に、その後のすべての恐るべき結果を生み出す元凶となったあの有害な
器官クンダバファーを植えつける必要も生じなかったはずだ。
事実、後になって、ここでも彼らは、たとえ器官そのものを破壊しても、この器官の特性が生み出した諸結果が、人間特有の生存様式ゆえに将来彼らの子孫の体内に結晶化するかもしれないという可能性まで破壊したことにはならないということが、予見できなかったのだ

言いかえると、たとえその器官は破壊できても、〈ムドネル・イン〉を伴う根源的な宇宙法則ヘプタパラパーシノクは残る、つまり宇宙全体に存在するすべてのものと同様惑星地球の三脳生物にとっても存在する進展のプロセスという意味においてのそれはそのまま残るということが、またしても予見できなかったのだ。
三脳生物にとっては実に恐るべきこの状況が生まれたのは、とりわけこの第二の、
ほとんど犯罪的といってもいいような〈先見の明の欠如〉のせいなのだ。その状況というのは、彼らは一方では体内に、我々の大宇宙のあらゆる三脳生物と同様に、〈高次存在体〉を形成するあらゆる可能性を有しているにもかかわらず、他方では、器官クンダバファーが生み出し、すでに彼ら固有のものとなってしまった諸結果のせいで、彼らの中に形成されているこの高次の聖なる部分を、要求されている完成度にまで高めることがほとんど不可能になっているというものだ。しかも根源的、普遍的な宇宙の諸法則によれば、三脳生物の体内に形成されている〈高次存在部分〉のような形成体は惑星上で解体することはなく、また一方では生物の惑星体は惑星上で無限に生存することはできず、ある時が来ると不可避的に聖ラスコーアルノのプロセスが進行し始める。それゆえ、地球上の三脳生物の中に生じたこの哀れなる高次存在体は、否応なく、惑星上で様々な外的形態をとりつつ、永久に苦しみ続けなければならないのだ

モンマルトルのレストランに一人ポツンと座り、そこに集まっている現代のおまえのお気に入りたちを眺めながら、わしはこんなことに思いを巡らしていた。

この不幸な惑星の三脳生物の生存を観察し始めてから、何という長い時間が過ぎ去ったことだろう!
この長い年月の間に、
器官クンダバファーの特性が生んだ諸結果から彼らを解放するという特別の使命をおびて天から多くの聖なる個人が遣わされたが、ここでは何一つ変わっておらず、彼らの通常の生存プロセスはそっくり昔のままだ。
この間、つまり
彼らの暦でいう一万年近く前にこの惑星上に生存していた三脳生物と現代人との間には、いかなる違いも生じていない
ここにこうして座っている人間たちは、あのアトランティス大陸のサムリオス、当時のすべての三脳生物が〈理性の-完成に-よって-得られた-すべての-果実が-集結した-場所〉だと考えていたところ、つまり現代人が〈文化の大中心地〉と呼ぶ場所であったあのサムリオスの、これと似たようなレストラン、つまり当時彼らが〈サクローピアクス〉と呼んでいた場所に座っていた人間たちと、結局全く同じではないのか? 同じようにろくでもない事ばかりしているのではないか?
やがてアトランティスも消滅し、何世紀もの年月が経過した。そしてわしは、アジア大陸のティクリアミッシュと呼ばれる古代共同体の新しい文化の中心地であるクールカライという都市で、現代のレストランとよく似たカルターニの中で彼らの間に座っている時、これと同じ〈光景〉を見なかっただろうか?
今わしの前には、あごに外国人特有の巨大な髭をはやしたでっぷりした現代人が、二人の若い売春婦を連れて座っている……彼に〈カフィール人〉の服を着せたら、あのクールカライのカルターニで見たタイプの人間と全く同じではないだろうか?
向こうの左の方の別のテーブルには若い現代人が座っているが、彼はある共同体で起こっている混乱の原因について、妙なキイキイ声で、確信に満ちて、酒飲み友達に向かって弁じたてていた……彼の髪型を〈チャンバルダク風〉にしてやったら、当時〈山の中のクリアン人〉と呼ばれていた者とそっくり同じになってしまうのではなかろうか?
隅の方に座ってひとかどの紳士面している背の高い奴は、近くに旦那と一緒に座っている女性に色目を使っている……彼だって本物の〈ヴェローンク人〉そっくりではないか?
そして犬のように尻尾を足の間に巻いて給仕をしてまわっているウェイターども……こいつらはあの〈アスクライ奴隷〉そのものではないか?
それから何世紀も後になって訪ねたかの壮麗なる都市バビロン……あそこも同じではなかったか? バビロンの三脳生物たちも、アスクライ人やカフィール人、ヴェローンク人、クリアン人と同じではなかったのか?
要するに服装と国の名前が変わっただけなのだ
バビロニア時代には、彼らは〈アッシリア人〉〈ペルシア人〉〈スキタイ人〉〈アラビア人〉等々の名前で呼ばれていたというだけの話だ。
そう……再び何世紀も経ってから、わしはまたこうしてここ、現代の文化の中心地パリにいる。
そしてすべては全く変わっていない……叫び声、大騒ぎ、笑い声、罵り声……バビロン、クールカライ、いやそれどころか、彼らの最初の文化の中心地サムリオスの情景と全く同じだ。
今日の三センター生物たちも、この不幸な惑星の前の時代の三センター生物と同じように、ガヤガヤと寄り集まっては、三センター生物には全くふさわしくないやり方で時間を潰しているのではないのか?
わしがこの不幸な者どもを観察している間に、様々な文化の中心地に住んでいた者たちは跡形もなく消え去ったばかりか、彼らが生存していた陸地そのものまでが、完全に変形するか、あるいは例えばアトランティス大陸のように、この惑星の表面から消えてしまった。
サムリオスの後、彼らの二番目の中心地は〈グラボンツィ〉大陸に移った。そこに定住していた人間たちも同様に、アフリカ大陸から消滅してしまったではないか? 大陸そのものこそ消え失せなかったが、その中心地だった場所は今では砂に埋もれ、〈サハラ砂漠〉と呼ばれるものの他には何一つ残っていない。
またまた長い年月が経ち、ティクリアミッシュが中心となった。それが今は、〈赤い砂〉と呼ばれる砂漠以外、何が残っているだろう?
以前有名だった国がよしんば一千世代を経て生き残ったとしても、それはたかだか、かつてその国が栄えた場所からほど遠からぬ今では何もないところで、細々と余命を保っているにすぎない。
そしてまた長い時間が過ぎ去った。
わしは彼らの中心地バビロンを見た。しかし、この実に偉大であったバビロンの、いったい何が残っているであろう? 都市の一部であったいくつかの石と、以前は偉大であった人々の遺物がいくつか、それですべてだ。彼らはまだ存続してはいるが、現代人には取るに足りない存在とみなされておる。
では現代の文化の中心地、パリはいったいどうなるだろう? そしてそれをとりまく、現在力を有している人間たち、フランス人、ドイツ人、イギリス人、オランダ人、イタリア人、アメリカ人等々、彼らはどうだろう? 答えは未来の世紀が示してくれるだろう
しかしともあれ、一つのことだけははっきりしている。ここの三脳生物のある者の体内に生まれ、今も生まれ続けている哀れな〈高次存在体〉の萌芽は、前にも言ったように、ありとあらゆる異常な形態をとりながら〈苦しむ〉ことを余儀なくされている。
こんな状態が生まれたのは、最も高貴にしてこの上なく神聖なる汎宇宙的個人のある者の先見の明の欠如から生じた非法則的諸結果のためであり、そしてこのような異常な形態はこの有害なる惑星地球に特有のこととなったのだ

新しい友人である若いペルシア人が戻ってきた時にも、わしは本質まで深い悲しみに沈んで、このような考えに耽っていた。
我々はもう少しそのレストランにいたが、どうしようもなくやかましく、息が詰まりそうになってきたので、やはりモンマルトルにある別のレストランに行くことにした。
立ち上がって店を出ようとした時、近くのテーブルにいた連中が、新しい場所に行こうという我々の会話を聞いたらしく、話しかけてきて、我々が行くところへ一緒に行きたいから、しばらく彼らのテーブルに座って、彼らの友人が来るまで待ってくれないかと頼んだ。
新しく知り合いになったこの連中は、アメリカ大陸からやってきている人間たちであることがわかった。
このレストランの中はますます不快になり、酔っ払いの声もやかましくなってはいたが、ともかく彼らの友人を待つことにした。しかしレストランの向こうの隅の方で突然騒動がもちあがったので、我々はもうアメリカ人たちを待たずに出てきてしまった。
後でわかったのだが、隅の方で騒ぎが始まったのは、他人のグループに入りこんでいたある者が、その中の一人の頭をシャンペンのビンでぶん殴ったからなのだ。その理由というのは、殴られた方のやつが、ある政府の首相の健康を祝して乾杯することに同意せず、逆に〈トーゴールツキ・サルタン〉の健康のために祝杯を上げようと言ったからなのだ。
実は先ほどのアメリカ人のうちの一人が、友人を待たずに我々と一緒に別のレストランに移ってきた。
このアメリカの三脳生物をよく知ってみると、彼はなかなか陽気で、しかも観察眼があり、話すに足る人間であることがわかってきた。
新しい場所へ行く道すがら、そしてそこに着いてからも、彼はのべつ喋っては我々を笑わせた。それというのも、彼は行き交う人々や新しいレストランにいる人々の滑稽な点を見つけるのに実に鋭く、巧みであったからだ。
いろいろ聞いたところによると、このアメリカ人はここパリで流行の最先端のダンスを教える学校を経営しているということだった。
彼が自分の商売について話してくれたことから理解したところによると、彼の学校の生徒はすべてアメリカ人で、主として彼らのお気に入りのダンス、つまり〈フォックス・トロッ卜〉を習っているということだった。
このフォックス・トロットというダンスは純粋にアメリカ起源のもので、アメリカでは、そしてほとんどそこでだけ、ものすごい人気を博しているらしかった。
そんなわけで、みんなで新しいブランドのシャンペンをとり、この陽気なアメリカ人もしばらくお喋りをやめた時、わしは彼にこう聞いてみた。
『どうか教えていただきたいのだが、そのようなわけなら、どうしてあなたは学校をここパリでよりも、母国であるばかりか、この〈恩恵豊かな〉フォックス・トロット〈発祥〉の地であるアメリカで開かれないのですかな?』
『なんと、なんと!……』彼は心底驚いたように、大きな声を出した。『でも私には大勢家族がいるのですよ! 母国で学校を開こうものなら、私の家族は餓死するでしょうし、第一その前に、ニューヨークなんかじゃ、凍えるような北風から守ってくれるジメジメした部屋一つ借りることもできないでしょう。
しかしここパりでなら、ありがたいことに、フォックス・トロットを習いたい人は沢山いるし、しかも彼らは十分な金を払ってくれるんです。』
『どうもわかりませんなぁ』とわしは話に割って入った。
『あなたの生徒はみんな、あなたの国から来ている人だというし、それでいて母国では誰もあなたの学校へなど来ないだろうと言う。これはいったいどう理解したらよろしいのでしょう?』
『いや、それが肝心かなめの点ですよ。』と、この立派なアメリカ人は答えた。『こんなことになったそもそもの原因はですね、ほんの小さな精神的異常、つまり我が同胞の愚劣さを形成しているたくさんの異常の中の一つなんです。
大事なのは私の学校がパリに、あるいは母国アメリカの〈賢い〉人の言い方を借りれば、〈現代のバビロン〉にあるということなんです。
つまりこの現代のバビロンはアメリカ人の間で非常に人気があり、彼らはみんな、一度はこの世界の首都を訪れる義務があると考えているんです。
そこでアメリカ人は誰も彼も、たとえわずかずつでもせっせと貯金し、いつかは絶対ここへやってくるんです。
ところでぜひ知っておいてもらわないと困りますが、アメリカで貯金するのはそう簡単じゃないんです。アメリカではドルが道に散らばっている、なんて考えているのはヨーロッパの連中だけです。しかし実際は、繰り返しになりますが、そこに住んでいる者にとってはアメリカ・ドルは決して簡単には手に入りません。1セント1セントを自分の肉体をこき使って稼ぎ出さなくてはならないんです。
アメリカではヨーロッパのある国々のように、あれこれの儚い価値しか持たないもの、例えば名声とか声望とか才能とかいったものにはビター文払いません。
例えばここヨーロッパで、ある……そうですね、ある画家が、ある時偶然いい絵を描いたとしましょう。すると彼は有名になり、その後はどんなクズを生産しようと、人々はそのクズに、それがかの〈有名な〉画家の絵だからというだけの理由で常に大金を払います。
ところが母国アメリカでは、この点事情は全く違います。すべては現金のために行なわれ、しかも一作一作がそれ独自の尺度と規準でもって判断されるんです。名前、才能、天才、そういった類の商品は我々のところでは安く、それゆえアメリカでドルを稼ぐには大変な苦労を要するのです。
しかし私にとって幸いだったのは、我々アメリカ人は別の面で多くの弱点をもっているということで、その一つがこの〈ヨーロッパを見る〉ことに対する情熱なんです。
この情熱があるために、アメリカ人はみんな、時には必要不可欠のものまで切りつめたりして、大変な骨折りをしながら稼いだドルを少しずつ節約するのです。それというのもすべて、ヨーロッパを、そしてもちろん〈世界の首都〉……パリを訪れたいがためなんです。
そんなわけで、ここにはいわば〈船を沈めてしまうほどたくさんの〉同国人がいつもいるんです。これがまず第一の理由です。
第二の理由は、我々アメリカ人はもう一つの大きな弱点、つまり虚栄心をもっているので、まわりの者に、あの人はフィラデルフィアとかボストンなんてところじゃなくて、まさにこのパリでフォックス・トロットを習ったんだよと言われると、この虚栄心が何ともいえずくすぐられるんです。何といってもこのパリは、流行の最先端をいく珍しいものが誕生しては地球全体に広がっていく源で、しかもこのフォックス・トロットもまさに流行の最先端なので、〈パリのフォックス・トロット〉とくると、彼らにとってはもう文明の最終到達点のように思えるんです。
とまあこういうわけで、我々アメリカ人がこの2つのことに血道を上げているおかげで、下手くそなダンス教師であるこの私も、金離れのいいアメリカ人の生徒をいつも十分にとることができるんです。
たしかに彼らはドルではなくフランで払いますが、両替商にも儲けさせてやらなくては。彼らにも家族がいますからね』
以上の説明を聞いてから、わしはこう尋ねた。
『どうかもう少し教えてくださらんか? つまり、あなたの同国人たちはここパリに来て、そんなに長い間フォックス・トロットを習う以外何もしないのでしょうか?』
『フォックス・トロットだけですって?』と彼は答えた。『いえいえ、彼らは同時にパリや近郊を訪ねてまわり、時にはかなり遠くまで足を伸ばします。要するに彼らはその間、ヨーロッパを〈勉強〉しているんです。
彼らは家ではよく、〈学校教育の最後の仕上げをするために〉ヨーロッパを〈訪ね〉て〈勉強〉すると言っています。しかしあなただからはっきり言いますが、それは本物のイギリス人のふりをしている奴が馬鹿の一つ覚えのように繰り返している言葉に過ぎず、本当は私の同国人がパリやヨーロッパに来るのは、自分の虚栄心という弱みを満足させるというただそれだけのためなんです。
彼らが見てまわるのは、学識を深めたり物知りになったりするためではなくて、家に帰って知人と話をする時、オレはヨーロッパに行ってここもあそこも見たと自慢したいためだけなんです。
ここヨーロッパのしかるべきところにはどこでも、この目的のための〈ブック・アンド・サン〉なる名称の企業が支店を出していて、彼らのこの要求に実に上手く応えています。もちろんここパリにも支店があります。
そんなわけで、我が親愛なる同国人たちは羊の群れのように寄り集まって何十というグループを形成し、この〈ツーリスト〉の大集団は巨大な〈ブックのバス〉なるものに乗りこんで、連れていかれる所ならどこへでも大人しく行くんです。
このブックのバスには、〈運転手〉のそばに〈ブックの寝坊君〉と呼ばれる別の者が乗っています。
この有名なブックのバス旅行中、この〈寝坊君〉はその都度、パリや近郊の場所や、歴史的な、あるいは歴史に関わりのない〈名所〉の名前を弱々しい声で呟くのですが、それもブック自身が作った〈順路〉にそってオウムのように丸暗記しているのです。まあ要するに、これが我が親愛なる同胞がヨーロッパを〈勉強〉する方法なんです。
この〈寝坊君〉の声はひどくか弱く、まるで半分肺病患者のような様子をしていますが、それは十分に睡眠がとれず、いつも疲れているからなんです。それは恐らく次の事実で説明できるでしょう。すなわち彼らの多くは〈ブック・アンド・サン〉の他にも、夜の厳しい仕事に就いており、それというのも、パリで一家を支えていくのは並大抵のことではなく、〈ブック・アンド・サン〉からのわずかな収入では一家全員が生きていくことはできないからです。
我が親愛なる同胞たちは、この〈寝坊君〉がか弱い声で呟くことなどろくに聞いちゃいませんが、そんなことは大したことじゃありません。彼らにとっては、この寝坊君が囁き声で言おうがどんな声で言おうがみな同じことなんです。自分たちが見ているものが何なのか詳しく知りたいなんていう気持ちは元々全くないんですから。自分たちの見ているものが何であり、それがどういう意味をもっているのか、そんなことは彼らにはどうでもいいんです。彼らが欲しいのはただその場所へ行き、そしてすべてを見たという〈事実〉だけなんです。
彼らはこれで十分満足します。つまり旅行から帰って、〈何ら良心の呵責を感じず〉に、あそこもここも、いたるところに行ったと言うことができるからで、おまけに聞くほうも聞くほうで、話をしている者はどこの馬の骨とも知れない者ではなく、それどころかかのヨーロッパに行って、現代の〈教養ある〉人間ならみんな見ておかなくてはならない〈名所〉を全部見てきた大人物だ、などと思ってしまうんです。
ああ!………どうです? これでも我が同胞の〈愚鈍さ〉を食いものにしているのは私一人だとお考えですか?
私など何でしょう……ほんの小人物、たかだかダンスの教師にすぎません。
でも、前のレストランで私と一緒に座っていた太った男に気づきませんでしたか? そう……あれこそ本物の〈サメ〉です。アメリカではこういった手合いが、特に近年、〈続々誕生〉しています。
あの太った男はアメリカに帰化したイギリスのユダヤ人ですが、彼は財政的に非常にしっかりしたある有名なアメリカの会社の重要な出資者なんです。
この会社は沢山の支店をアメリカのみならずヨーロッパにももっていますが、前のレストランで私と一緒に座っていた太った男は、パリ支店の支店長の職を務めている男です。
この会社は、自国の住民の愚鈍さを食いものにして金儲けをするだけでなく、不幸なことには、そうすることによって自分の〈さもしさ〉をいっそう増大させてもいるのです。
彼らのこの〈ごたまぜ会社〉経営法はざっと次のような調子です。この会社のパリ支店は、アメリカ式の宣伝によって既に私の同胞の間では広く知られているので、彼らの多くは、ある種の人間(ついでにいうと、そのほとんどが我が同国人なのですが)に特有の虚栄心やその他の弱点ゆえに、いわゆる流行の服を常にこの支店に注文し、そしてこの支店は〈世界の首都から〉〈本物のフランス・モード〉を彼らに送り届けるという具合です。
これらすべては、〈三重帳簿〉と〈シャッヘルマッヘル会計法〉に基づく現代の商業ルールに則って〈実に公明正大に〉行なわれています。
アメリカの〈サメ〉が寄り集まって作ったこのアメリカ的に〈賢実な会社〉のいわゆる〈ビジネスの内情〉はというと、この〈サメども〉は、底なしのポケッ卜を膨らませるために誰彼かまわず金銭を巻き上げているんです。
さて、このパリ支店がアメリカの客からメールオーダーを受け取ったとします。するとこのメールオーダーは、ま・っ・す・ぐ・に・ドイツ支店に送られ、材料や労働力がパリよりもずっと安いこのドイツ支店は、〈パリ・ファッション〉のすべての規範に基づいて、アメリカからの〈注文〉をゆ・っ・く・り・と・た・の・し・み・な・が・ら・製作するのです。出来上がると彼らは涼しい顔をしてその上に〈パリ製〉のラベルを縫い付け、ハンブルグからの船で再びま・っ・す・ぐ・に・ニューヨーク支店に送り返します。そこから客は注文の品を受け取るわけですが、この女性客はもう嬉しいやら鼻が高いやら、さっそく翌日にはこの〈そんじょそこらのもの〉ではない、正真正銘の〈パリの服〉、つまり〈パリの最新流行〉に基づいてパリで作られた服を着て歩きまわるんです。
なかでも一番興味深いのは、誰一人この〈堅実な会社〉の〈委託販売業〉に対して腹を立てないことです。それどころかみんな、それは〈便利〉で〈簡単〉で〈役に立つ〉と思っているのです。この〈商売〉では、たしかに〈世界の首都〉の住人であるフランス人も〈儲けて〉はいますが……それはせいぜい、客とパリ支店との間で手紙をやりとりする際に払わなくてはならない郵便切手から上がる利益くらいのものです。
おわかりでしょう? こんなふうに誰もが満足し、誰もが喜び、いや利益さえ上げているんです。肝心なことは、一つの政治経済上の原理、つまり国際間の商品交換がなくては、国を成り立たせることはできないという原理が(これはすべての人が受け入れているわけではありませんが)正当化されることなんです。
しかし、かくいう私はどうでしょう?……私は一介のダンス教師にすぎません……。』

この陽気なアメリカ人はその先を続けようとしたが、その時レストランの隣室で大きな物音が起こり、そこにいる男女が死にそうな声を上げるのが聞こえてきた。立ち上がって通りに出てみて初めてわかったのだが、〈スペイン〉と呼ばれる共同体からやってきた女性が、〈ベルギー〉と呼ばれる共同体からやってきたこれも女性の顔に、〈硫酸〉を浴びせかけたのだ。なぜかというと、この後の方の女が、〈いつでもお申しつけください〉という言葉を刻みこんだタバコケースを、〈グルジア〉と呼ばれる共同体からやってきた男性に贈り物としてあげたのはいいが、この男性のパリでの生活はその時までずっと、初めのほうの女性によって支えられていたからだ。
通りに出た時にはもうひどく遅かった。実はもう夜明け前だったので、我々はこの面白いアメりカ人と別れてホテルに帰った。
有名なモンマルトルからホテルへの道すがら、わしは見たことや聞いたことを全部思い返してみた。するとその時初めて、なぜ、またどのようにして、フランス共同体の住民に関してこれほど現実にそぐわない意見が他の共同体の住民の間に形成されたのかがはっきり理解できた。
パリのその地域で見たり聞いたりしたことのおかげではっきりわかったのは、他の共伺体からフランスに来る者はまず、パリのこの地域か、あるいは他の同様の場所、つまりすべてが彼らと同類の外国人によって、彼らに適するように特別にしつらえてある場所にやってくるのだが、こういう状況を作り上げている当の外国人はもうずっと昔からここにいるので、新参者よりもずっと上手にその国の言葉が話せるということだ。
およそ現代人の中では沈思黙考する能力は衰退し、〈広い視野〉と呼ばれるものも欠如しているために、この新参者たちは見るもの、聞くもの、経験するものこれすべて〈フランスのもの〉だと思いこみ、後で自分の共同体に帰って他の者に話す時、パリのあの地域で経験したことを、あたかもフランス起源のもののように言い、フランス人すべてがそんなことをやっているかのように話すのだ。
こんなふうにして、フランス人に関する現実とは全くかけ離れた意見が、他の国の住民たちの間で徐々に形成されていったのだ。
さらにいえば、他の共同体の住民の特異な意識の中に、フランス共同体の住民に関するこのような意見が生まれたのには、もっと深い原因がある。そしてこちらのほうも、例によって彼らの精神の特異性に基づいている。この特異性を生み出した母胎は、ここでもやはり、彼らが作り上げて〈教育〉と呼んでいる悪しき慣習なのだ。
要するに子供の中では、彼ら流にいうと〈神の大地に誕生した〉最初の日から、自然は将来の責任ある三脳生物の基礎になるものを形成し始めるのに、まわりの者たちは、この有害なる〈教育〉を使って、自然がこの必要不可欠なものを形成するのを妨げるのだ。
それだけではない。この〈教育する〉という有害な慣習によって、彼らは新たに生まれた人間の〈
スヘツィートアリティヴィアン凝集体〉と呼ばれているもの、つまり彼らが〈脳〉と呼んでいるものの中に、おびただしい種類のはかない空想的な考えを詰めこむのだ。人間のこの脳は一般的にいって、様々な印象あるいは自覚的な意識が生み出したものを知覚し蓄積するためのものであり、そして新しく誕生した人間の脳はまだかなり純粋な最大限の知覚力を具えておる。
何といっても彼らにとっての最大の不幸は、彼らの大多数が責任ある存在になっているべき年齢まで、この有害なプロセスが続くということだ。
こういったことすべての結果、彼らに共通する精神に見られる特異性が広く行き渡ったのだが。その原因をもっと詳しくいうとこうなる。まず第一に、彼らの存在全体に具わっている能動的な表現活動の機能をほとんど全部合わせた全体的機能が、少しずつ、この誤った空想的な考えにしか反応しないように自らを適合させてしまったこと。そして第二に、彼ら一人一人の身体全体が、一般に生物が新たな知覚をもつために体内に具えている因子の関与を全く受けないで、外部からの新たな印象を受け入れることに徐々に慣れてしまった、つまり言いかえると、以前に体内に入りこみ、そこに定着してしまった誤った空想的観念だけに従って印象を知覚するようになってしまったということだ。
現代の三脳生物はついに、新しい印象を知覚する際でも、新しく見聞きしたものを全体的に把握したいという欲求そのものまでなくしてしまい、そのため新たに見聞きしたものは単にショックとしてしか作用せず、その結果彼らの中では、以前に植えつけられた情報が、この新たに見聞きしたものに応じて連想を引き起こしていくのだ。
またそれゆえに、現代のおまえのお気に入りたちが責任ある存在になった時、新たに見聞きしたものはすべて、彼らの本質的機能の側の努力とは一切かかわりなしに、自動的に知覚され、そしてさっきも言ったように、彼らの内部および外部に生じるすべてのことを感じ取って理解したいという欲求そのものも、全く呼びさまされないのだ

要するに一言でいえば、彼らは、かつて誰かが、意識的にか無意識的にか自分の中に押しこんだものでしごく満足しているということだ

さて坊や。おまえの惑星の三脳生物たちがフランスという名前のグループの住民に関して、なぜこれほど現実とかけ離れた意見を結晶化するに至ったかについてこれだけ話したのだから、後はおまえの中でおのずと明瞭になることを願っておこう。
それはともかくとして、このフランスの普通の住民にとって大変に不幸だったのは、他のグループの三脳生物たちが、彼らのいわゆる〈文化的な活動〉の場所として、この共同体の首都を選んだことだった。
とにかくわし個人としては、たとえその一部とはいえ彼らの首都が、現代のこの惑星の〈文化の中心地〉と考えられるようになったことに対して心底遺憾に思う。
にもかかわらずフランス共同体の住民の大多数は、意識こそしていないものの、客観的道徳の主要な基盤となる2つの衝動、つまり〈家父長制〉、すなわち家族への愛と、〈有機的廉恥心〉と呼ばれるものを生み出すデータをいまだに体内に保持しているが、このことは、彼らがきわめて異常な環境、すなわち何度も言うように、不幸なことに自分たちの首都がこの不運な惑星全体の現代の〈文化の中心地〉と考えられるようになり、また実際そうなったという異常な事態の中で日常生活を送っているという事実を考えてみるならば、実に驚嘆すべきことだ。
こういったことから、この惑星の現代における中心地では、既に遙か昔からの慣例通り、惑星中から押し寄せてきてはひしめき合っている人間たちは、その地で彼ら一人一人の内面を既に完全に支配している〈邪神〉に自らを全面的に委ねてしまっている。この〈邪神〉は今や彼らの理想となっているが、その理想は次の言葉で端的に表すことができる
『いかなる種類の努力に対しても、またいかなる本質からの切望に対しても、欲求が完全に消えてなくなる状態に達すること』
そしてこのフランスに来た者たちは、意識的にであれ無意識のうちにであれ、当然のことながら、この共同体の住民全体にそれ相当の悪影響を及ぼしているのだ。
フランスの普通の住民にとって、現代の〈文化の中心地〉が自分の共同体内にあるということがどれほど大きな不幸であるかは、坊や、この後日談を聞けばはっきり理解できるだろう。これをわしは、最近受け取ったおまえのお気に入りの惑星の三脳生物に関するエテログラムで知ったのだ。
まず言っておかなくてはならないのは、今話したように、自己の内部の〈邪神〉に完全に自己を明け渡してしまった人間どもが、惑星中からこの文化の中心地に群がり集まってくると、いろいろ悪いことをするが、とりわけ酷いのはこれだ。つまりやつらは、怠惰なくせに気まぐれだけは満足させたいために、〈新しい形のハスナムス的表現〉、つまり彼ら流にいえば〈ニュー・ファッション〉なるものをでっちあげ、あまつさえそれを惑星中にまき散らしているのだ。
このハスナムス的な活動、つまり〈ニュー・ファッション〉をでっちあげることは、以前の文明にも存在していて、ティクリアミッシュ文明では〈アディアト〉、バビロンの時代には〈ハイディア〉と呼ばれておった。
〈アディアト〉〈ハイディア〉〈ファッション〉、これらすべての本質はこうだ。つまり人間は、通常の生存における表現活動の新手法をいろいろと編み出すが、それはとりもなおさず、自分の現実の外見を変え、変装する方法にほかならない。
アディアト、ハイディア、ファッションは、我々の日常生活のあらゆる習慣と同じく、最初は、三脳生物の力ではどうしようもない外的な状態を緩和するために作り出され、徐々に彼らの日常生活に欠くことのできないものとなって、あらゆるところに広がっていった。しかしファッションという現代の習慣は、第一に、一時的なもので、現在と未来のハスナムスたちの個人的な取るに足りない、それでいて明らかに異常で、かつケチくさいほど利己的な目的を満足させるという役目を果たしているにすぎない。そして第二に、このファッションというやつは、彼らの異常な生存状態から生じる相対的理解に基づいた自動的な理性の産物以外の何ものでもない。
例えば約一世紀半前にこのパリで、何人かのハスナムス候補生が、出歩く時女性は髪を切っておかなくてはならないという習慣を〈でっちあげ〉、そしてこの悪しき考案は、既にでっちあげられていた手段に便乗して、またたくまに野火のように広がっていった。
しかし当時、フランス共同体の女性の間では、道徳と家父長制とに対する感情はいまだ非常に強かったために、彼女たちはこの悪しき考案に手を染めなかった。しかしイングランドやアメリカと呼ばれる共同体の女性たちはこれを取り入れ、さっそく髪を切り始めたのだ。
事はこれにとどまらない。これら2つの共同体の女性が自ら、大自然が宇宙物質とのある種の交換のために生み出した身体のこの部分を切り取ってしまうようになると、自然は当然これに対してそれ相応の結果を生み出し始めた。これはこの惑星で過去にも二度起こっているように、きっと何らかの形となって現れるだろう。過去の2例のうち一つは〈ウネアーノ〉の国、つまり今の〈カフリスタン〉で、いわゆる〈アマゾン〉と呼ばれる者たちを生み出し、2つ目は古代ギリシアで、〈女詩人サッフォーの宗教〉を生み出した。
先ほど言った2つの現代の共同体、すなわちイングランドとアメリカでは、女性の断髪は既に2つのものを生み出している。一つは〈婦人参政権論者〉であり、もう一つはいわゆる〈クリスチャン・サイエンス信奉者〉と〈神智学者〉だ。さらにこの女性の断髪という
ハスナムス的ファッションが世界的に広まると、わしのこれからの話でわかると思うが(これもエテログラムから知ったのだが)この哀れな女性に起こる病気、いわゆる〈婦人病〉と呼ばれているもの、つまりあらゆる種類の性器の炎症、例えば〈腟炎〉〈子宮炎〉〈卵巣炎〉、それに〈癌〉と呼ばれるものが、それに比例していたるところで増えていることが確認されておる。
それでだな、坊や。
ハスナムス的特性を具えた人間どもがこのパリで編み出した女性の断髪というファッションは、最初のうちはフランス共同体には定着しなかったが、他の国々から彼らの首都にハスナムス的特性を具えた者たちが集まってきて、この有害な考案を押しつけ続けたものだから、ついにはここにも根をおろしてしまった。というわけで、ここフランスでも女性は髪を切るようになり、今ではこの断髪は全盛だ。美容院では、もちろん主に彼らの首都パリでの話だが、このエテログラムによると、しばらく前にロシア共同体で住民が〈アメリカの小麦粉〉を受け取るために列を作ったのとちょうど同じように、列を作って順番を待たなくてはならない。髪を切ってもらうために女性たちが熱に浮かされたように美容院に殺到するというこの事態から、既に美容院と、この〈毛を刈られた小羊たち〉の父や夫や兄弟たちとの間で裁判沙汰までもちあがっており、いわゆる〈離婚〉も随分と起きている。
これも
エテログラムに述べてあることだが、面白いことに判事はそれぞれの裁判で、美容院に行った女性は既に16歳を越えており、それゆえこの国の法律によれば成年に達しているので、自由に行動することができるという理由に基づいて、美容師たちに無罪を言い渡したということだ。
しかしもちろんのことだが、もしフランスの判事たちが、いや、およそこの惑星の判事なら誰でも、宇宙には、偉大なるトロゴオートエゴクラットが宇宙物質を変容する際の手助けをするすべての形成物に関して、一つの例外もなく、あるはっきりとした法則が存在していることを知っていたならば、彼らはきっと、〈成年〉という言葉で理解している事柄についての意見を完全に変えていたに違いない。
つまり、
この確固たる宇宙法則によれば、これらの女性一人一人は(その中にはケスチャプマルトニアン女性も多数含まれているが)宇宙物質の変容にとってはあらゆる活性元素の源泉であり、そしてこの元素は、さらに宇宙生成物を生み出す際、偉大で神聖なる法則トリアマジカムノのプロセスにおいて、聖なる第二の力として融合に加わらなければならない。つまり彼女らは常に、いうなれば〈否定的〉あるいは〈受動的原理〉なのだ
そして、今話したこの特定の原理があるために、受動的原理として機能する活性元素を変容させるこれらの源泉は、独自の活動をする自由をもつことは決してできない。すなわち、聖トリアマジカムノの中で〈肯定的〉あるいは〈能動的原理〉として働かなくてはならない活性元素を変容させる源泉だけが、このような自由をもつことができるのだ。
以上の理由によって、受動的原理として機能するこれらの源泉は自分の活動に責任をもつことはできない、つまり彼らのいう〈成年〉に達することはできないのだ

フランスというグループの三脳生物についてこうやって話しているわけだが、彼らの性格描写を完全なものにするためにも、次のことを話しておかねばなるまい。つまりこのフランスにも支配階級の人間がいて、彼らも、ちょうどロシア共同体の権力者たちが有名なるウォッカの飲用を奨励し、またイングランド共同体の権力者たちがこれに劣らず有名な〈スポーツ〉を使って現在同じ効果を得ようとしているのと同様、自分の共同体の普通の住民の心をなごませるとても〈いい方法〉を考え出した。
フランス共同体の権力者たちは、たしかにこの〈いい方法〉を採用して自分たちの利己的な目的を達することができたのではあるが、しかしながらこの方法は、イングランドやロシア共同体の権力者たちには耳の痛い話だが、普通の住民の惑星体にはほとんどいかなる害も及ぼさなかった。
それだけではない。彼らはこの方法によって、意図したわけでもないのに、自分の共同体の普通の住民に益さえもたらし、それは現在も続いておる。その益というのは。様々な国からこの国の首都に集まってきた現在および未来のハスナムスたちが作り上げる〈ファッション〉に魅了されることから生じる悪影響を彼らから遠ざけ、一時的な救済を与えることだ。実際今では、フランスの普通の住民もこのファッションの奴隷となり、他の共同体の住民以上に堕落してしまっているのだからな。
この〈いい方法〉はそこでは〈市〉と呼ばれており、今ではこの市は順番に各地の町や村の中央広場で開かれているが、ほんの二世紀前にはこの同じ広場で、三脳生物たちはよく、いわゆる〈宗教的、道徳的問題〉というやつを討論しておった。
公平を期するために言っておかなくてはならないがな、坊や。このフランスの市というやつは、それはそれは陽気で楽しいところだ。
正直にいえば、このわしでさえそこに行って、何も考えずに2、3時間過ごしてみたいと思うほどだよ。
このフランスの市では、何でも〈安く〉て〈物がいい〉。
例えばほんの50サンチームも払えば、〈ブタ〉とか〈カメレオン〉とか〈クジラ〉とか呼ばれているものや、あるいはアメリカやその他の国々で作られた様々な新しい考案品に乗って、完全に〈目がまわる〉まで〈グルグル回る〉ことができるのだ。
こんなふうにして〈朦朧となった状態〉からあんまり早く回復して物足りなければ、もう数サンチーム払うだけで、たいていはその場で作ってくれるとても美味しいものを食べることもできる。
たしかにこういった美味しいものを食べると、彼らの胃はだな……つまりあの……その……いやいや、そんなもの、それを食べる喜びに比べたら何てことはない。
それにここに来た人々が、彼らのいわゆる〈運を試し〉たいと思えば、これまた数サンチームでその場で欲求を満たすことができる。この運試しにもありとあらゆる方法がある。というのも、この有名なフランスの市には惑星地球にあるギャンブルが全部そろっており、頭のいるものや楽しみだけのものなど、運任せの勝負事ならほとんど何でもあった。
つまり一言でいえば、〈モンテ・カルロのルーレット〉から〈スニップスナップスノーラム(トランプ遊び)〉に至るまで、何でもござれというわけだ。」
最近のいわゆる「先進国」では、「男女同権」が少なくとも表向きは常識になっているので、「自信あふれる最先端の女性達」がこの文章読めば(到底理解できるとは思わないが)発狂するような気がしなくもないけれど、能動的な仕事に不向きである性別という点に関しては、大いに参考にすべきだと思います。恐れ多いご意見ではございますが。(笑)

第38章 宗教

ベルゼバブはさらに続けた。
「ではこれからおまえに、あの不幸なおまえのお気に入りたちの精神が徐々に薄弱になってきた主な理由の一つである〈障害〉について少し話してみよう。この〈障害〉というのは、彼らが昔も今も持っている彼ら固有の〈
ハヴァトヴェルノーニ〉のことで、彼ら自身は、これが人間の体内で引き起こす作用と結果を総称して〈宗教性〉と呼んでおる。
客観的な意味からいえばこれは、この不運な惑星に住む彼らの精神の漸進的かつ自動的な〈矮小化〉を促進する〈極度に有害な〉ものだが、これほど有害な要因が生じたのは、またしてもあの、彼らにとって呪うべき
器官クンダバファーの特質の諸結果が彼らの中で結晶化し始め、そして外形を変えながらも、世代から世代へと受け継がれるようになって以来のことだ。
それで、一方ではこの結晶化のために、ある種の三脳生物の体内に
ハスナムス特性と呼ばれるものの最初の芽が現れ始めた頃、その結果としてこの種の人間たちは、利己的な目的を追い求める彼らに特有のことだが、自分たちと同類のまわりの人間たちを〈混乱〉させるために、あらゆる種類の幻想的な、いわゆる〈宗教的教え〉なるものも含めた種々の作り話をでっちあげ始めた。また一方では他の人間たちも、この同じ結晶化のために、これらの幻想的な宗教的教えを信じ始め、そして次第に〈健全な思考活動〉を停止してしまった。そしてこの時以後、これら奇妙な三脳生物の通常の生存プロセスの中に、互いにいかなる共通点も持たない沢山の〈ハヴァトヴェルノーニ〉、あるいは〈宗教〉が入りこむようになったのだ。
彼らが持つようになった
ハヴァトヴェルノーニ、あるいは宗教の数は極めて多く、また種々雑多であったが、それらの間には全くいかなる共通点もなかった。とはいえ、これらはすべて宗教的な教えに基づいており、そしてそれらの教えは、客観的な意味からいえば、〈有害な観念〉、つまり彼ら自身が〈善と悪〉と呼んでいる悪しき観念だけを土台として作られておった。厳密にいえば、この観念こそが彼らの全般的精神の漸進的〈薄弱化〉の主要な要因であり、またつい最近もこの観念は〈至福の〉〈高次存在体〉、彼ら流にいえば〈魂〉、つまり我々がまさに今向かっている聖なる惑星に住んでいる〈魂〉たちの間で大事件を引き起こす原因にもなったのだ。
この聖なる
惑星パーガトリーで最近起こった事件の経緯は、忘れずに細大もらさずおまえに話さねばならんだろう。というのは、第一に、これらの出来事は汎宇宙的な性格をもっており、またすべての比較的独立して形成された責任ある個人の一般的個体性と関連しているからであり、また第二には、おまえの〈系統樹〉の中の何人かのメンバーが、意図したわけではないが、これらの出来事の発生の原因となったからだ。
しかしこれについては、今の話が終わってから話すことにしよう。もちろんわしは、おまえの〈思考活動〉の発達に関連する十分な理由があってそうするのだ。この理由及びこの意図に関するわしの考えについては、適当な時期がきたら話すことにしよう。
とりあえず次のことを知っておきなさい。おまえを喜ばせている地球の三脳生物の間には、あらゆる種類の〈宗教教義〉がごまんとあったし、現在もある。そしてその教義の上に彼らの多くの〈宗教〉が成立しているのだが、その成立過程は普通次のようなものだ。

わしは以前、次のように話した。いと高き聖なる宇宙個人のある者の予測が不完全だったために、これらの聖なる個人が植えつけ、後になって取り除いた
器官クンダバファーが生み出したものの諸結果が、この不幸な三脳生物の体内で結晶化し始め、そのため、三脳生物なら当然もっているべき存在を正しく完成させることが彼らにとってほぼ不可能になったことがはっきりした時、われらが《無限の愛を注いで下さる共通なる父》は、慈悲深くも、時として彼らのうちのある者(その出生地には関係なく)の体内に聖なる個人の種をまいて下さったのだ。そのおかげでこれらの人間たちは(ちなみに彼らは完全に責任ある存在になっており、しかもこの惑星の三脳生物の一般的な生存プロセスにすでに定着していた状況の中で理性を獲得しつつあった)現実に目覚め、まわりの同類の者たちに、内在する理性を使って彼らの霊化された諸部分を正しく機能させるべきであり、またそうすることによって、器官クンダバファーの特性のすでに結晶化している諸結果を解体し、同時に彼らの中にある新たな結晶化を育む素地をも破壊しなければならないと説いたのだ。
それでだな、坊や。これら地球上の三脳生物に
聖ラスコーアルノが起こった後(あるいは彼ら流にいえば、彼らが死んだ時)彼らの体内にはこの聖なる個人の種が発芽した。そこで彼らの同時代人たちは、これらの聖なる個人が責任ある年齢に達してから指摘し、説いたことをすべて記憶し、かつ次代の人間に伝えるために、これらを全部ひとまとめにしてしまった。そしてこの〈ひとまとめにされたもの〉が普通、すべての宗教的教えの起源になっておる。
おまえのお気に入りたちの精神は、以上のような具合にして生まれた宗教的教えに関しても実に奇妙な反応を示す。つまり彼らは、そもそもの初めから、天から遣わされたこれら本物の聖なる個人が話し、説いたことを全部〈文字通り〉に受け取り、その中の一つ一つのことが、いかなる環境の下で、またどんな場合に話され、説かれたか?などを全く考慮に入れていないのだ。
そんなわけで、これらの宗教的教えの意味はそもそもの初めから歪められたのだが、これが世代から世代へと伝承されていく間に、さらに彼らは、自分たち、つまりこの奇妙な三脳生物の通常の生存に定着していた2つの要素をもちこんだ。その一つは、〈時の流れ〉のある一時期に支配階級と呼ばれるカーストに属していた人間たちが、これらの宗教的教えを、この不運な惑星に存在するものの中でも彼らにとって最も有害な〈質問〉、すなわち〈国家のための宗教か、それとも宗教のための国家か〉と称される〈質問〉と直ちに結びつけてしまったことだ。またこれと並行して彼らは、徐々にあらゆる手のこんだ策略をめぐらして、自分たちの利己的目的のために、すでにはっきりしていた事実を揉み消し始めた。2つ目の要素とはこういうことだ。普通の人間のうちのある者たちは、彼らの製造者の誤解ゆえに、誕生時から責任ある存在への形成期までの間に、〈精神病〉と〈寄生状態〉と呼ばれる固有の性質を体内に獲得した。その結果彼らは、いかなる義務であれ遂行する能力を生み出すデータを持ってもいないし、また持つこともできなくなった。そして、さっき話したような経緯で生まれた新たな宗教的教えの取るに足りない些細な点に関するいわば権威となり、天の意図により遣わされた真の聖なる個人が話し、また説いたことの全体を(これはどのみち彼らがいなくても当初から〈つつかれて〉いたのだが)、いうなれば、〈まるでカラスがジャッカルの死体をついばむようにつつき〉始めたのだ。
簡単にいえば、この奇妙な惑星の三脳生物の通常の生存プロセスにずっと以前から定着していたこの2つの要素、つまり支配階級というカーストに属する人間に生得の性質と、普通の人間のうちのある者に見られる精神病との結果、宗教の問題に関しては(いかなる教義の上に樹立されたものであろうと、それが成立するやいなや)、彼らは常にかの有名な〈宗派〉に分裂してしまった。そしてこれらの諸宗派はさらに小さな派に分裂していった。このため、宗教という見地からすればさして大きくもないこの惑星上では、いつの時代にも、言語に関してと全く同様のことが起こった。これに関してわれらが敬愛するムラー・ナスレッディンは、この惑星を〈干の舌をもつヒドラ〉と呼んだが、今の場合なら、彼はさしずめ〈変化に富んだ興をそそる快い刺激〉とでも言うだろう。
わしがこの特異な三脳生物の生存プロセスを観察しているうちに、彼らのうちのある者たちの体内に、天から聖なる個人の種子がまかれるということが何度も起こった。そしてそのほとんどの場合(唯一の例外は、この上なく聖なるアシアタ・シーマッシュ及び彼自身の最も偉大なる仕事から生まれたすべてのことだ)、彼らが完全に形成され、天が彼らに命じた伝道を成就した後で聖なる
ラスコーアルノのプロセスが彼らの中で完結すると、その直後に、あの宗教的教えなるものが、さきほど話したような具合に、この特異な生物たちの間で誕生し始めた。すなわちさっき話したように、彼らはまず、天の意志によって生まれたこれらの聖なる個人たちが詳細に指摘し、説いたことを、自分たちが覚えておくためばかりでなく、次の世代へ伝達するためにも、全部ひっくるめてひとまとめにしてしまい、おまけにそもそもの初めから、地球流にいえば、〈ここから少し、あそこから少し〉というふうにかき集めたものを一緒くたにぶち込んでしまったのだ。そして後に、このひとまとめにされたものが前述の2つの夕イプの人間たちの手に渡ると、彼らはこれを、さきほどの言い方を使うなら〈つつき〉始め、さらには、かの有名な宗派なるものに分裂しながら、早くも、何の根拠もなく新たに自分たちで考え出した宗教的教えを編み出し始めていた。その結果、おまえの惑星で生まれるものといえばいつも決まって、第一に〈虹〉の色の数ほどの宗教と、第二には〈相も変わらぬ同じお話〉だけなのだ。
ここ数十世紀の間におまえのお気に入りたちは、奇妙な、しかもてんでばらばらの宗教的教えを編み出した。これらすべての基礎になっているものは、前にも言ったような具合に誕生し、現在まで生き延びている、天の意志によって生まれた聖なる個人たちが彼らに与えた指示と教えの総体であった。
近年彼らは、奇妙な形でこれらの残存物から霊感を受け、萎縮した理性を使ってそこからアイディアを借用し、どんどん新しい宗教的教えを発明していった。今日まで存続している5つの宗教もこの残存物の総体に基礎を置いているが、その5つとは次のものだ。

⑴仏教
⑵ヘブライ教
⑶キリスト教
⑷モハメッド教
⑸ラマ教

最初のもの、つまり仏教については前に一度話しておいた。
二番目のヘブライ教は、聖モーゼという名で呼ばれている真の聖なる個人たちの一人の教えの上に成立したが、彼も天の意志によって生み出されたのだ。
この聖なる個人は、わしがこの惑星に四度目に行った少し後に、今日エジプトと呼ばれている国で生まれたある少年の身体の内部に顕現した。
今日おまえのお気に入りたちが〈聖モーゼ〉と呼んでいるこの聖なる個人は彼らのために多大のことを成し遂げ、彼らの生存にふさわしい的確な指示を沢山残したので、もし彼らがそれらを取り入れて正しく実践する気があったならば、実際、彼らにとって絶対的な悪である
器官クンダバファーの諸特性の結果はすべて徐々に解体され、さらには、新たな結晶化の素地となるものも破壊されてしまったことだろう。
しかし、我々の大宇宙全体に生存するほんのわずかでも理性をもったすべての生物にとって不幸だったことには、彼らは次第、この〈正常を愛する〉聖モーゼの助言や指示の中に(これはすでに彼ら固有の行為となっていたが)〈薬味〉と称するものを大量に投げ込み始めた。そのため、彼らが彼の言説から集めた、いうなれば全集積物の中には、この聖なる創始者その人でさえどんなに目をこらしても自分自身の言ったことは何一つ見いだせないほどになってしまったのだ。
聖モーゼと同時代のおまえのお気に入りたちは、まだ一世代も経ないうちに、自分たちの特殊な目的を遂げるためには、ほとんど全く根も葉もない教えを元の宗教的教えの中に挿入するのが有効だということをはっきり見抜いていた。これについては前に、アシュハーク大陸、つまり現在のアジア大陸にいた古代三脳生物たちの第二グループの中に、コヌジオンという名の、後に聖者になる王がいて、彼が自分の臣民をケシの種を噛むという悪癖から救うために、初めてこの種の根も葉もない〈宗教教義〉を作り上げた経緯を話した時に言っておいたな。
聖モーゼの後、今日のおまえのお気に入りたちがキリスト教と呼んでいる宗教の礎石を築いた聖なる個人が誕生した。
おまえのお気に入りたちが〈イエス・キリスト〉と呼んでいるこの聖なる個人は、聖モーゼが天の命により、エジプトの人間たちの中から選び出し、〈カナンの地〉と呼ばれるところに連れていった三脳生物の一民族に生まれた少年の体内に誕生した。
このイエスの後、またもやアジア大陸で、二人の聖なる個人が誕生したが、この二人の教えから、今日まで残っているさっき挙げた諸宗教のうちの2つが成立した。
この二人の聖なる個人のうち、一人は聖モハメッドで、彼はアラブと呼ばれている民族の中に生まれ、もう一人である聖ラマは、チベットと名づけられた国に住んでいる人間たちの間に生まれた。
今日、5つの宗教のうちの最初のもの、つまり仏教は、主として以前の〈ゲムチャニア〉であるインドや、それに中国や日本と呼ばれる国々に住む人間たちの間に広まっている。
二番目の宗教的教え、つまりヘブライ教の信徒は、今では惑星全体に散らばっておる。

ここでこのモーゼの教えの信奉者たちが惑星全体に散らばった理由を話しておくのも悪くはあるまい。この説明を聞けばおまえも、
器官クンダバファーの、ある奇妙な特性、すなわち〈妬み〉と呼ばれる感情を引き起こす特性を十分に理解できるだろうし、同時に、この器官そのものはどんなに小さなものであっても、それがもっている諸特性がいかにして極めて重大な結果を引き出すかも理解できるだろう。
要点はこうだ。主にこのモーゼの教えを信奉していた人間たちは、自分たちの共同体を実にうまく組織したので、当時の他の全共同体の人間たちの精神の中に、この共同体の人間たちに対する妬みと呼ばれる特性が結晶化し始めた。
この特性は彼らの中であまりに強く結晶化してしまったので、何十世紀も経って、この以前は強力だったヘブライ人の共同体がもはやその組織と力を失い、それどころか共同体そのものが消滅した時でさえ(このようなことは、法則に従っていかなる強大な共同体にも起こりうるのだが)他の共同体の人間たちがこの共同体の子孫に対してもっていた関係は破棄されるどころか、
彼らに対するこの妬みという感情は、彼らの大多数の中にさらに深く根をおろしてしまったのだ
第三の宗教、つまりイエス・キリストの教えの上に成立した宗教は、原初的な形態のままたちまち非常に広範に広まったので、この惑星の全三脳生物のほとんど三分の一がその信奉者になった。しかし、その後またもや彼らは、〈光り輝く愛〉という教えの上に成立しているこの宗教を徐々に〈むしり〉始め、そしてついに何か別のもの、これも〈光り輝くもの〉ではあるが、かの親愛なるムラー・ナスレッディンの言葉を借りるなら、〈カソアージィ〉というおとぎ話の中の〈光り輝くテラサカブーラ〉へと変えてしまったのだ。
実はこの偉大な宗教的教えの場合も、信奉者たちは取るに足りない外観上の違いから様々の宗派に分裂し、そしてこの教えの初期の信奉者たちのように自分たちを〈クリスチャン〉とは呼ばなくなり、そのかわりに〈オーソドックス〉とか、〈セヴロドックス〉〈イプシロドックス〉〈ハミロドックス〉等々、すべて〈ドックス〉で終わる様々な名称で呼び始めた。
そして彼らはこの真実と真理の教えに、様々な利己的、政治的理由から、他の既存の宗教的教えからとってきた断片を混ぜ始めたが、その断片たるや、イエスの教えとは何の共通性もないばかりか、なかにはこの神性を有する師の説く真理と真っ向から対立するものさえあった
彼らはこの中に聖モーゼの教えをごっそり投げこんだが、彼の教えはこの時までには既に完全に歪曲されてしまっていた。さらにずっと後、すなわち現代人たちが〈中世〉と呼んでいる時代になると、いわゆる〈教会の長老たち〉が、前に話したバビロンの〈学識ある〉人間たち、すなわち二元論者の学派に属していた者たちが作り上げた空想的教義を、ほとんど丸ごとこのキリスト教の中に押し込んだのだ。中世のこの〈教会の長老たち〉は、たぶん自分たちの〈店〉と助手たちの〈店〉のためにこの教義を押しこんだのだろう。というのも、かの有名な〈天国〉と〈地獄〉はそこで売られているからな
そんなわけで現在では、神聖なる師イエス・キリストの教え(その教えの中では、何よりもまず、生物たちのために苦しんでおられるわれらが《創造主》の、すべてを愛する力と、すべてを許す力とが顕示されている)のかわりに、われらが《創造主》は、この教えに従う者の魂をあざける、などということが説かれておる。」

「親愛なる親切なお祖父様、〈教会の長老たち〉というのは何ですか? どうか説明してください。」とハセインが尋ねた。

「人間たちは、どんな宗教的教えにおいても、最高位の職業的高僧になったものを〈教会の長老たち〉と呼んでおるのだ。」
そう簡単に答えてから、ベルゼバブは続けた。
「ついでにここで、イエス・キリストの教えを全く変えないで保持していた人間たちの小グループのことを話しておこう。彼らは代々これを伝承し、現在まで元のままの形で伝えておる。
このあまり大きくないグループは〈エッセネ友愛団〉と呼ばれている。この友愛団の人間たちは、この神聖なる師の教えを、
器官クンダバファーの特性の諸結果から自らを解き放つ絶好の手段として自分たちの生存に取り入れるのにまず成功し、次いでそれを代々伝承していくことにも成功したのだ。
さて、現存しておる四番目の大宗教についてだが、これはキリスト教の数世紀後に、希望に燃えた聖モハメッドの教えの上に樹立された。この宗教は、初め広範に広まり、もしこの奇妙な生物たちが、またしてもこれをごった煮の中にぶち込んででしまわなければ、おそらく最終的には彼らのすべての〈希望と調和の中心〉となっていただろう。
しかしこれの信奉者たちもまた、一方ではバビロンの二元論者たちの空想的な理論からとったものをこの中に混ぜこみながら、もう一方では、この宗教の〈教会の長老たち〉、ここでは〈シェイク・イスラミスト〉と呼ばれているが、彼ら自身が、いうなれば〈他界〉に存在しているあの悪名高き〈天国〉の祝福に関する多くのことをでっちあげ、そしてこれにつけ加えたのだ。しかもその祝福たるや、おそらくは
パーガトリーの長官であり全地域維持者である大天使ヘルクゲマティオスでさえ、たとえ意識的に想像しようとしても、思いつきもしなかったような代物なのだ。
この宗教の信奉者たちも、ご多分に漏れず、最初から多くの〈グループ〉や〈サブグループ〉に分裂したが(ちなみにこれは今日まで存続している)なおかつ彼らはみな、この宗教のそもそもの誕生時に形成された2つの独立した、いわゆる〈宗派〉のうちのどちらかに賛同しておる。
モハメッド教のこの2つの宗派は〈スンニ派〉と〈シーア派〉と呼ばれておる。
ここで非常に興味深いことがある。それは、この全く同一の宗教内の2つの独立した宗派に属する人間たちの精神の中に形成された互いに対する心理的憎悪は、彼らの度々の衝突から見ると、今では完全に彼らの属性になるまでに変容している、ということだ。
近年、ヨーロッパのいくつかの共同体の人間たちは、彼らを扇動することによって、この奇妙な機能の異常な変容を大いに助けたのだ。
彼らは、この全く同一の宗教内の2つの独立した宗派の信奉者たちの間の憎しみが増しこそすれ、決して和解しないように、今に至るまでずっと彼らを扇動し続けている。それというのも、もし彼らが和解でもすれば、すぐにもヨーロッパの諸共同体に最期がやってくるかもしれないからだ。
つまり要点は、その地域の普通の三脳生物の半数近くがこのモハメッド教の信奉者であり、それで、彼らの間にこの相互憎悪があるかぎり、ヨーロッパの諸共同体に対する〈相互破壊〉という意味では、彼らは何ら恐るべきものではないというわけだ。
そんなわけで、新しく誕生したこれら〈焼きたて〉の諸共同体は、スンニ派とシーア派の間で火花が飛びさえすればいつでも揉み手をして大喜びというわけだ。そうなれば彼らの家内安全が続くこと間違いなしだからな。
さて、五番目の教え、すなわち、これもわれらが《永遠なる主》から遣わされた真の使者である聖ラマの教えについてだが、この聖なる個人の教えは、ある三脳生物たちの間に広まったが、彼らは、地理的条件のためにこの不幸な惑星の他の三脳生物とはほとんど接触せず、その結果、他の地域に異常な形で定着した通常の生存状態からほとんど影響を受けなかった。たしかにこの教えの信奉者たちも間もなくその一部を変えたり台無しにしたりしたが、残りの部分はすぐにこの小さなグループの生存の中に多かれ少なかれ入りこみ、期待通りの結果を生みはじめた。そのため最高位の聖なる個人たちの間でも、聖ラマの聖なる仕事によって生み出された教えが、いつかは、この
メガロコスモスに存在するすべてのものにとってほとんど必要不可欠になっているものを実現してくれるのではないかという期待が生まれた。
しかしおまえのお気に入りたちはこんなささやかな期待にも応えようとはせず、大した考慮もなく、〈軍事遠征〉だとか〈アングロ・チベット〉戦争などによってこの可能性の芽を踏み潰してしまったのだ。
この〈軍事遠征〉についてはもう少し後で話そう。
これを話す気になったのは、実はわし自身たまたまこの痛ましい出来事を全部この目で見たからだ。
まず最初に言わねばならんことは、おまえのお気に入りの惑星では現在、さっき名前を挙げた中の、現存している2つの宗教の痕跡さえも最終的に〈揉み消す〉ことが(むろん〈やぶにらみの将軍〉の力を借りてだが)いかに切実に望まれているか、ということだ。これら2つの宗教は、たしかにもはやそれと認められないほど変えられてしまってはいるが、それでもここ数十世紀の間に、その地の三脳生物の通常の生存を、実にわずかではあるけれども、われらの大宇宙の他の相似した諸惑星に生息する三脳生物の通常の生存に近いものに変え、しかもそのうちの何人かは、その驚嘆すべきデタラメな生存を客観的に見て何とか耐えられるものにまで変えたのだ。
現存する5つの宗教はたしかに〈ここから少し、あそこから少し〉とかき集められたものではあるが、それでもやはり、われらが《永遠なる主》その人が遣わした真の使者たちの教えの上に成立したものであることに変わりはない。ここでわしは、この5つのうちの2つの偉大な宗教が最終的に〈もみ消される〉過程が現在どんなふうに進行しているか話してみよう。その2つとは、聖イエスの教えと、聖モハメッドの教えだ。
繰り返して言うが、この2つの偉大な宗教はどちらも、《永遠なる主》から遣わされた二人の真の使者の教えの〈ここから少し、あそこから少し〉とったものから成立しており、またたしかに三脳生物たちは、以前これら両方の教えを、ちょうどロシア人のシドールが羊を〈むしる〉ように〈むしって〉しまいはしたが、それでもなお、ある者は今日でもこれらの教えがあるために何かを信じ、何らかの希望を持ち、そしてそれによって自分たちのわびしい生存をかろうじて耐えうるものにしているのだ。
ところが現代の、極度に奇妙な三脳生物たちは、今やこれを完全に彼らの惑星の表面から拭い去ってしまおうとしている。
彼らの異常な精神のプロセス、すなわちこれら2つの偉大な宗教を最終的に抹殺しようとするプロセスは、実はわしが彼らの太陽系を去った後で始まったのだが、
惑星カラタスからの飛行の直前に受け取ったエテログラムにこの奇妙な惑星の生物のことが書いてあり、そのおかげでわしは事態がどうなったかを知ることができ、そして今、絶対の確信をもってこう言えるのだ。つまり、彼らはこの先もこの2つの宗教を骨抜きにするのを絶対にやめないし、それどころか大した苦労もなく、その痕跡さえも完全に消し去ってしまうだろう。
ところで、今言った
エテログラムには次のようなことが書いてあった。まず、おまえのお気に入りの惑星のエルサレムという都市に、特にユダヤ人の若者のための大学が開かれたこと、第二に、トルコという共同体で〈ダーヴィッシュの僧院〉が閉鎖され、男性は〈フェズ〉を、女性は〈ヤシュマック〉を着ることを禁ずる法令が発布されたことだ。
内容の前半、つまりエルサレムという都市にユダヤ人の青年たちのための大学が開かれるということを聞いて、次のことがはっきりした。つまり、このキリスト教にもついに最期がやってきたということだ。
しかしこのことをはっきり理解するためには、次のことを知っておかねばならん。そんなに昔のことではないが、ヨーロッパ大陸に存在する全共同体は(そこの住民のほとんどはこの宗教の信奉者だが)一致協力して、やはりこのエルサレムという都市にまつわるある理由で、他の諸宗教の信奉者たちに大きな戦争をふっかけ、そしてこの戦争を〈聖戦〉と呼んだ。
彼らがこの〈戦争〉あるいは〈聖戦〉をふっかけたのは、あの神聖なる師イエス・キリストがそこに住み、苦しみ、そして死んだ都市エルサレムを、完全にキリスト教徒だけのものにするためであった。そしてこの聖戦の間に、この大陸の男性の半分近くが完全に破壊されたのだ。
そして今や、このエルサレムに、彼らはユダヤ人青年のための現代的大学を開いたのだが、これはまず間違いなく、先ほどと同様、ヨーロッパの全キリスト教共同体の合意の上でのことだろう。
〈ユダヤ人〉と呼ばれているのは、その中から神聖なるイエスが誕生し、その中で生きた民族であると同時に、彼を苦しめ、十字架に磔にした民族でもある。
現世代の〈ユダヤ人〉はたしかにイエス・キリストの直接の敵ではないが、それでも彼ら一人一人は今でも、彼らの祖先の間に生まれ、そして全キリスト教徒から聖なる人格とみなされるようになったこのイエスは、単に熱烈な、しかし病んだ〈幻視者〉にすぎなかったと確信しておる。
この地球という惑星の現代人の間では、〈大学〉というのは、以前の人間たちが何百年も何千年もかけて獲得したものをすべて焼きつくす〈炉〉であり、この〈炉〉の上では美味しいひら豆スープが一日半ほどですばやく調理され、彼らの哀れな祖先たちが何世紀にもわたる意識的、無意識的な努力と労働によって手に入れたものすべてにとってかえられているのだ。
エルサレムにかの有名な大学なるものを開いたとは、しかもこともあろうにユダヤ人の若者たちのために。……これだけ聞けば、エルサレムがいずれどんな有様になるか、わしの存在全体がはっきりと確信するには十分だ。
わしの心の眼にははっきりと見える。そう遠くない未来に、あの神聖なるイエスの肉体が埋葬された場所が、現代の自動車の駐車場に変わっていくことが。つまりその場所は、現代人たちが浮かれ騒ぐのに必要不可欠な驚嘆すべき機械を停めておく場所に変わっていくだろう。
そればかりではない。この神聖を冒涜する人間どもは、自分たちの利己的、政治約目的のためにこの神聖なる師の教えを次第にねじ曲げてしまったばかりか、今やその記憶さえも抹殺し始めておる。
しかしまあ、辛抱しよう。おまえのお気に入りたちは遙か昔からずっとこんなことをやってきたのだからな。
ついでに言っておくと、現代文明と呼ばれているものにできることといえば、彼らが発明した、それでいてほかならぬ彼ら自身に有害なこの機械の走行スピードを上げることくらいだろう。
事実、つい最近受け取った、この不運な惑星の三脳生物のことが書いてある
エテログラムによれば、この機械のスピード〈記録〉は、既に時速325マイルにまで達したということだ。
もちろんこんな〈記録〉などは何にもなりはせん。今でさえ十分つまらない彼らの不幸な惑星は、こんな〈記録〉を生み出すことで、現実を視覚化する能力が衰退している彼らにとってさえ、完全にくだらないものになってしまうだろう。
なあ坊や。《創造主》が彼らと共にあられることを祈ろうではないか。
こんな〈機械〉でどんなスピードを出そうと、彼らが今のままであり続けるかぎり、彼ら自身ばかりか彼らの思考さえも、彼らの大気圏より遠くに行くことは決してないだろう。

さて、二番目の偉大な宗教、つまり、前にも話したが、希望に燃えた聖モハメッドの教えの〈ここから少し、あそこから少し〉かき集めてきたものの上に成長した宗教についてだが、この宗教は、誕生の当初から、ハスナムス特性をもつ人間たちの利己的、政治的目的にとりわけ利用されてきており、それゆえ全宗教の中でも最もひどく〈むしりとられ〉ている。
この地のいくつかの共同体の権力者たちは、自分たちのハスナムス的目的のために、徐々にこの聖なる教えの中に自分たちで作った〈薬味〉を混ぜ入れたので、その結果〈
ジェラコーリアン混合〉が生じたが、そこに隠されている秘密は、〈パン焼き職人〉とか〈シェフ〉とか呼ばれる現代の有名なヨーロッパ人たちみんなの羨望の的になった。
というわけでだな……。
この
エテログラムの内容の後半から判断するかぎりでは、この第二の偉大な宗教の完全な消滅のプロセスは、エテログラムに書いてあった法令、すなわちトルコという共同体の権力者たちが発布した法令のために、必然的に進行せざるをえないし、あるいは既に行くところまで行ってしまったのかもしれん。
つまり問題は、このトルコという共同体は、この宗教を奉じている人間たちの全共同体の中でも最大のものの一つだということだ。
まず次のことを言っておこう。モハメッド教の誕生の当初から、この共同体のある者たちはこの宗教の教えを原初的な形のまま非常にうまく取り入れ、そして次第に日常生活の中に組みこんでいった。
だから、その地の権力者たちの影響でこの宗教の教えは次第に変化していきはしたが、今言った者たちの間では、このモハメッドの教えは変化を被らずに代々受け継がれていったのだ。
それゆえ、もしこの奇妙な人間たちがいつの日にか突然大騒ぎをやめて落ち着けば、この宗教は必ずや再生し、希望に燃えた聖モハメッドがこれを創始した当初の目的を実現してくれるのではないかという希望が、かすかながらも今日まで残っておる。
それでだな、坊や。……今話しているある者たちはそこでは〈ダーヴィッシュ〉と呼ばれており、そして現在のトルコ共同体で出された法令は、実は彼らの僧院の閉鎖に関するものだったのだ。
トルコでこの〈ダーヴィッシズム〉を撲滅すれば、死に絶えつつあるその最後の火花まで完全に消え去ってしまうだろう。ただ、もしこれを、いわば灰の中に保持していれば、いつの日か、聖モハメッドが希望し、待ち望んでいた可能性の炉に再び火を入れることができるかもしれない。
エテログラムに書かれていたもう一つのこと、つまり同じトルコ共同体で発布されたもう一つの法令、すなわち〈男性〉が、かつては有名だったフェズを、また〈女性〉がヤシュマックを、それぞれ着用することを禁ずる法令についてだが、この革新の結末は、わしの描く未来の視覚像の中に極めてはっきり映し出されておる。
この革新によって、トルコの住民たちに、ロシアという巨大な共同体の住民たちが何でもかんでもヨーロッパのものを模倣しだした後に彼らに起こったことと、まるで同じことが起ころうとしているのは疑いの余地がない。
例えば次のことは覚えておいた方がいいだろう。
この大共同体ロシアの全住民の間には、ほんの一、二世紀前、つまりまだヨーロッパのものを真似し始める以前には、〈マーターダムリック〉と〈ナムスリック〉と呼ばれる、あるいは現在の呼び方でいえば、〈宗教的感情〉と〈家父長的感情〉という2つの存在機能が、いまだに広く行き渡っておった。
そして数世紀前に、この惑星全体の他の人間たちの間で、家族という基盤の中の道徳性と家父長制という点でこの共同体の住民が有名になったのは、まさにこれらの感情があったればこそであった

しかし彼らがヨーロッパのものを手当たり次第に模倣し始めるようになると、まだ彼らの中に残っていたこれらの感情は徐々に衰退し始め、そして今日では、この共同体の人間たちはほとんどみな、宗教性と家父長制という点から見れば、このような……つまりわれらが賢明なる師、ムラー・ナスレッディンが次のような感嘆の言葉で表現したようなものになってしまった。
『ああ……もう向こうへ行っちまえ!』
しかしロシアでこんなことが起こったそもそものきっかけは、ヤシュマックやフェズではない。ロシアではそんな頭飾りはもともと使われていなかった。
そうではなくて、ここでは男性の〈髭〉から事が始まったのだ。その地の男性の三脳生物にとって、〈髭〉は我々にとっての尻尾と同じもので、これはおまえも知っているように、我々男性に男らしさと活力を与えておる。
そこでまた、あの不幸なトルコ人たちの話に戻ろう。
ひとたび彼らが、自分たちのフェズをヨーロッパ人の〈山高帽子〉に変えることを計画して以来、残りのことはすべてごく自然にそれと同じ道筋をたどっている。
当然のことながら、これらトルコ人たちの精神も、ロシア共同体の住民たちの精神が衰退したのと同様に、まもなく衰退するだろう。
ロシア人とトルコ人の唯一の違いは、ロシア人にとっては、彼らの精神の変容の原因はただ一人の人間、すなわち皇帝だったのに対し、トルコ共同体では複数の人間がその原因になったということだ。
なぜ複数かというと、トルコ人たちは近年、何世紀にも渡って確立されてきた古い国家組織を新しいもの、つまりある特殊な〈共和制〉形態に変えてしまい、そのため、以前の国家組織が一人の指導者を生み出していたのに対して、複数の指導者を生み出すようになったからだ。
たとえもし以前の国家組織が悪いものだったとしても、その悪弊を埋め合わせるために、ただ一人の指導者が、自分の共同体だけを念頭に置いて種々の革新を導入していたのだ。しかもそれらはみな古くからの家父長制に基づくものであった。
しかし現在のトルコ共同体では指導者は複数で、しかもその一人一人が知ったかぶりの大ぼら吹きときているので、彼らはこの共同体の住民たちの精神が必要としているもの(それは既にはるか昔に結晶化している)や、これもまた既に確固たるものになっている彼らの道徳性の礎などには目もくれずに、この共同体全体に住む哀れな普通の人間たちに、自分たちの未熟さを押しつけているのだ。
さらに、次のような非常に興味深いことがある。以前のロシアの皇帝たちは、お付きの家父長的大官たちから〈お金〉と呼ばれるもの(これは農民たちの汗から搾り取ったものだが)を大量に与えられ、そして様々な統治法を学びにヨーロッパの諸共同体に送られた。そうすれば、帰国後、自分の共同体を上手く統治できるようになるだろうと考えたのだ。これと全く同様に、今日のトルコのうぶな指導者たちも、彼らの〈家父長的〉父親たちからごっそり〈お金〉を与えられ(ただしこの場合は〈カイヴァンサナンサクたち〉の汗から搾り取ったものだが)祖国の未来の幸福のために、これまた同様にヨーロッパ大陸に送られた。
そんなわけでだな、坊や。どちらの場合も、この2つの多くの住民をかかえる共同体の未来の指導者たちは、きわめて若くして、自分の責任なんぞ全く自覚しないうちにヨーロッパ大陸に行き、しかも今話したようなところからお金をもらっておったので、ヨーロッパ大陸の住民たちの生存はとても〈すばらしく、また有益な〉ものとして彼らの中に吸収され、そして結晶化した。そのため、帰国して多くの住民をかかえる自国の指導者になった時(このこと自体がその国の生存状態が異常な形で定着したことの結果だが)彼らは、ちょうどロシアの皇帝のように、自国の住民の生存も幸福なものにしようという目的をもたずにおれなかったが、悲しいかな、この幸福は彼らの萎縮した観念が生み出したものにすぎなかったのだ。
ところでこのトルコ共同体の現在の指導者たちは、ドイツという共同体に、〈軍国主義〉なるもの、すなわち相互破壊のプロセスを指揮する特別に優れた技能を学ぶ目的で送られたが、そこで沢山の素晴らしいものを見て、そして吸収した。
だからこそ、トルコ共同体の現代の指導者たちは長い間このドイツ共同体にとどまっていたのであり、彼らはそこでかなり長い間〈ユンカー〉と呼ばれておった。
彼らはこのドイツの中で、とりわけ首都ベルリンの〈ウンター・デン・リンデン〉と呼ばれる通りで、特に素晴らしいものを沢山見て吸収した。
トルコのこういった新たな指導者たちが、将来いかなる善行を住民のためにしてやるのか、今のところわからないが、ともあれ、既に一つだけは、祖国にとってこの上なく素晴らしい〈愛国的〉行為をしておる。
この愛国的行為の本質を完全に理解するためには、おまえはまず次のことを知っておかなくてはならん。このトルコ共同体の首都の、〈ガラタ〉と〈ペラ〉と呼ばれている地域の道や小路にいる〈特別の呼称〉をもった女性たちはみな、かつては別の共同体に属しておった。にもかかわらず、これらの女性は〈正真正銘のトルコ・リラ〉を稼いだり使ったりしていた。
しかし最近の革新のおかげでトルコ人たちは、まもなく、いかなる外部の共同体の女性も正真正銘の〈愛国的トルコ・リラ〉を自由に使うことはできなくなり、〈親愛なる同国人の女性〉だけがこれを使えるようになるというはっきりとした希望をもつようになったのだ。
だからわれらが高く尊敬するハジ・ナスレッディンは、理由もなく次のように言っているのではない。
『一番大事なのはたくさんお金をもつこと、そうすれば我々のナムスでさえキーキー音を立てるじゃろう』
また時には、トルコ語で次のように言っている。
『ドーニィニニシ パクマズリ ピシ ゲイアン ブルヌン ダー プサー エシャヒ ディシ』(日本語にするとこうなる。『世界的な規模で行なわれることは蜂蜜ケーキのようなものだ。それを食べたものは。ロバのように大きな歯を生やさなくてはならん』)

さてそれでは、約束通り、チベットの住民たちの間に現われた最後の聖なる個人、すなわち聖ラマの教えと、その教えが完全に消滅した原因について少し詳しく話してみよう。
この聖者の教えと説教はあまり広範には広まらなかったが、それは、彼が誕生し、不幸な三脳生物たちに、
器官クンダバファーの特性の諸結果から自分を解き放つために何をすべきかを教えたこの地域の特殊な地理的条件のためであった。
前にも言ったように、この地理的条件のために、この国の住民たちは他の共同体の住民の異常な生存形態にはほとんど接しなかった。その結果彼らのうちのある者たちには、この最後の聖なる個人の教えに対してすこぶる受容性があり、そのためこの教えは彼らの本質の中に入りこみ、しだいに実際の活動にも表れるようになった。
それでだな、坊や。このチベットと呼ばれる国では、住民たちは次第に、この聖ラマの教えが内的に実現化されている度合いと自己修練の欲求の程度とに応じて、いくつかのグループに分かれていった。そしてこれに相応する形で日常の生存も組織したので、彼らは(ここでもその特殊な条件、すなわち完全に孤立した環境にあるため、他の共同体の住民たちはこの国に近づけなかったことが幸いして)誰にも邪魔されずに、聖ラマの教えに従って、あの器官、つまり彼ら共通の不幸として、彼らの最初の祖先がむりやりもたされてしまったあの器官の特性の諸結果から自らを解放するための修練をつむ可能性を手に入れることができたのだ。
彼らのうちのある者たちは既にこのような解放を達成していたし、他の多くの者もこの達成への途上にあり、またそうでない者の多くも、いつの日にか、この達成へと通じる道に立ちたいと願っていた。
しかしこのチベットで、この方向での建設的な仕事に適した条件や環境が、最終的に正しい方向に決定的に転じたまさにその時、ある事件が起こり、そのために、この国の住民たちを抑圧していた不幸から彼らがいつの日にか自分たちを解放する可能性は完全に潰え去り、あるいは少なくとも、はるか先に延ばされてしまったのだ。
しかし何が起こったかを話す前に、おまえは次のことを知っておかなくてはならん。
ほんの数世紀前、おまえを楽しませているこの三脳生物の主要な特性、すなわち定期的な相互破壊のプロセスが、同一の大陸、つまり彼らが生息する大陸の別々の国の住民の間で度々進行していた。そして時たま、例外的に、異なる大陸の住民の間でこれが起こったとしても、それは隣接する大陸の境界の近くに住む人間たちの間でだけだった。これは、数世紀前にはまだ水の力を利用した移動が非常に困難だったからだ。
しかし現代人たちが、人工的に希薄化した水、つまり彼ら流にいえば〈蒸気の力〉を移動に使う可能性を偶然発見し、そしてその目的に合った機械を発明して以来、これらの人間たちは、今言ったプロセスを引き起こすために、別の大陸との国境地帯に、いや別の大陸そのものにまで侵入し始めた。
一つ前の世紀に、この奇妙な惑星の生物たちが別の大陸で特に好んだ場所の一つは、古代のゲムチャニア国、つまり現代人が〈インド〉と呼んでいる国だ。
前に一度こう言ったのを覚えておるかな。アシュハーク大陸、つまり現在のアジアにあるこのゲムチャニアに、アトランティス大陸の住民が、最初は真珠採取の目的で渡っていき、後には住みつくようになったが、その国に最初に定住したのはほかならぬ彼らであった。
さて坊や。この不幸な、以前のゲムチャニア、今の〈インド〉は、近年になっても、ヨーロッパ大陸の現代の住民のお気に入りの場所になったが、しかし今回彼らは、相互破壊のプロセスを進めるのに好都合な場所としてそこが気に入ったのだ。
彼らはその地へ渡り、そしてそこで、自分たち同士でも、その地の住民たちとの間でも、この相互破壊のプロセスを引き起こした。つまりヨーロッパのある共同体の住民が、やはりヨーロッパの他の共同体の住民の存在を破壊することに全力をあげるか、あるいは、同様のプロセスがその地の住民たちの間で、それもどちらか一方をヨーロッパ人が支援するという形で進行したのだ。
この不幸なゲムチャニアでの現地人同士の相互破壊のプロセスは、この1500年ないし1800年の間にはとりわけ頻繁に起こった。
そうなった原因は、第一に、同様の大きなプロセスの結果、以前にはただ2つの共同体に属していたここの住民たちは、実に多くの小さな共同体に分裂してしまったからであり、第二に、惑星地球のこの部分の住民の一般的な精神の中にこの特性の〈発作〉、つまり相互破壊への盲目的欲求を、同時にではなく、別々の時に引き起こすよラな独特の組み合わせが生じたからなのだ。
彼らの一般的な精神の中の新たな組み合わせは、この太陽系全体の調和運動に関する、予知できなかったほんのわずかな誤解から生じた。
この誤解については、またいつか詳しく話そう。
今のところは元の話に戻るとしよう。
インドという国によって占められている地球のこの部分は、自然の豊かさという点では近年も以前と変わっていない。
そのため、相互破壊のプロセスを引き起こすべくこの国にやってきたヨーロッパ人たちは、彼らの奇妙な精神からこの恐るべきプロセスを遂行したいという欲求が消え去ってからもこの地にとどまり、その後の同様のプロセスに備えて準備したり、あるいはまた、ヨーロッパ大陸に残っている彼らの家族の日常生活に必要な品物を、彼ら流にいえば〈稼いで〉送ってやったりしておった。
彼らはこういった種々の品物を物々交換で〈稼いだ〉のだが、彼らの交易品のほとんどは、〈銅のボタン〉とか〈手鏡〉〈ビーズ〉〈イヤリング〉〈ブレスレット〉等と呼ばれるものや、その他たくさんの似たようなピカピカの安物で、この国の住民たちもこういったものに非常に弱かったのだ。
この時代のごく初期からヨーロッパ大陸の住民たちは、様々な方法でゲムチャニアの住民たちから土地までも奪い取り、そしてそこに、ヨーロッパ大陸でと同様、出身共同体に従って別々のグループを作って住み始めた。
ヨーロッパの様々な共同体からやってきたこれらの人間たちは一種奇妙な相互関係をもち続けた。つまりヨーロッパのある共同体の住民たちは、当時も現在も、同じ大陸の他の共同体に属する住民たちに対してこの種の関係をもち続けている。もっとはっきりいえば、ここでもまた例の
器官クンダバファーの特性の諸結果ゆえに、既に彼らの内部で結晶化している感情を、特殊な機能をもつ形に自ら努めて変えていったのだ。これらは、〈羨望〉とか〈嫉妬〉とか〈サンドール〉(つまり他人の死や弱さを願うこと)等々と呼ばれておる。
そしてここゲムチャニアでも、ある共同体の住民たちは、彼らが〈政策〉と呼ぶ〈
ハスナムス的音楽〉を、他の共同体の住民たちに向かって力いっぱい演奏した。つまり彼らは互いに〈批判〉し合い、〈互いの地位をおとしめ〉たり、〈互いを打ち負かし〉たりし始めたのだ。その目的は、現地人たちの間で自分たちの共同体の〈威信〉を高めることであった。
このような〈政策〉を推し進める中で、ヨーロッパのある共同体の長官の一人は、他の諸共同体の住民たちに、自分の共同体の住民たちの権威と支配権を認めさせるにはどのように彼らの精神を操作すればよいか、その〈秘訣〉を何らかの方法で入手した。
その後、
この秘訣(それはつまり、〈クスヴァズネル〉、あるいは〈ある者を他の者に対立させるようそそのかす力〉と呼ばれている行動原理なのだが)を知った者たちは自分の共同体の他の長官たちにもこれを伝授し、そしてこれを彼らの〈政策〉の基盤に据えてからは、事実、この共同体の住民たちは、どこでもまたいかなることにおいても支配権を握るようになった
この共同体の住民の前長官たちも、この〈
クスヴァズネル〉という秘訣を思いついた当人も、とうの昔に消滅してはいたが、続く世代は、むろんこの〈秘訣〉を自動的に利用し続けながら徐々にゲムチャニアのほとんど全土を掌握したばかりでなく、惑星地球のこの部分に生息するすべての人間の本質そのものを彼らの影響下に置くようになった。
それから二世紀が経過したにもかかわらず、これから話そうと思う聖ラマの仕事を現代人たちが台無しにすることになるあの時代にも、すべては前と同じように続いていた。
今話したヨーロッパの共同体の近年の長官たちは、この成功に大いに気をよくして(彼らは運が良かっただけで、それもただただこの秘密の
クスヴァズネルのおかげなのだが)次にはすべての者を自分たちの影響下に置き、あらゆるものを掌握しようとして、次第に、それまではとても手に入らないと考えられていたものにまでその〈爪をといだ手〉を伸ばそうとし始めた。
すなわち彼らは、当時はとても入りこめないと思われていたチベットと呼ばれる隣国をも手に入れようと決心したのだ。それである日(彼らにとってはよき日であろうが、この惑星の他の全住民にとっては残念な日に)彼らは自分の共同体から多くの住民を召集し、さらにその地で征服した多くの小共同体からも人間をかき集め、その上、相互破壊プロセス用に〈現代ヨーロッパ文明〉が新たに生み出したものを考えつくかぎり集めて、当時まで接近不可能と考えられていたこの国に向かって静かに行進を始めた。
こういったあらゆる種類のヨーロッパの〈新発明〉の助けを借りても、この国への行軍はひどく困難なものとなり、彼らが〈ポンド〉と呼ぶものにおいてのみならず、〈事故死者〉と呼ぶものにおいても、莫大な犠牲を払わねばならなかった。
このあらゆる種類の地球上の三脳生物の寄り集まりが、静かに、しかし大変な困難を克服しつつ山を登りつつあった頃、チベットに住む人間たち自身はまだ、このヨーロッパ人たちが〈軍事遠征〉と呼んでいるものが自分たちに向かってなされつつあるなどとは夢にも思っていなかった。
彼らはこの暴徒たちがそこまでやってきた時に、やっとこのことを知ったのだ。
この高地に住む人々がこの異常な事態を知った途端、彼らはびっくり仰天し、狼狽した。それというのも、彼らは何世紀にも渡って、自分たちの住んでいる場所はいかなる者にも接近不可能で、他の共同体の住民たちは、たとえいかなる相互破壊プロセスの手段をもっているにせよ、どんな方法でも自分たちのところへやってくることはできないという考えに慣れきっていたからだ。
彼らはこのことを確信していたので、この時彼らの接近不可能な国に突入するためにいかなることが行なわれているか、それを見るためにちらりと下を覗いて見ることさえせず、それゆえ、前もってそれ相応の措直をとっていなかった。
そしてまさにこのことが、やがては、信仰に満ちあふれた聖なる個人、聖ラマの生み出したものをことごとく破壊することになる悲しい出来事を引き起こす元になったのだ。
まず最初に次のことを言っておかねばならん。この高地は、七人からなるある小グループの住む場所でもあったが、彼らは当初から定められていた規律に従って、聖ラマの最も秘められた教えと最後の助言を守っていた。
このグループを構成する七人は、
器官クンダバファーの特性の諸結果から自由になるべく聖ラマの教えに従って生きていたが、既にこの自己完成の最終段階に到達していた。
この〈七人グループ〉がこの事件を知った時、彼らはその中心人物を、この国の狼狽している首長たちと協議させるべく送り出した。そしてこの協議は、下界からの招かれざる客が到着したまさにその日に行なわれた。
この最初の協議会に集まったチベットの首長たちは、満場一致で、この招かれざる訪問者たちに、非常におだやかに、かつ丁重に、自分たちの国に帰るように、そして彼らチベット人と、誰にも害を加えたことのない彼らの平和な国をそっとしておいてくれるよう頼んでみることに決めた。
何日か経って、これら招かれざる客たちは帰ることに同意しないばかりか、こんなことを頼まれたためにかえって、もっと急いでこの国深く侵入してくることが明らかになった。これがわかった時、最初の協議会のメンバーたちは前よりいっそう狼狽し、二回目の協議会を開いて、この人間たちが、いわば〈招待状も持たずに他人の家に入る〉のをどうやって防ぐかを思案し始めた。
まるでワタリガラスのように他人の巣に侵入してきたやつらをこの国から追い払うための様々な手段が提案されたが、そのうちでただ一つ採択されたのは、この招かれざる〈自惚れ屋ども〉を最後の一人に至るまで完全に滅ぼすというものだった。
しかもだな、坊や。このことは実に簡単に実行できた。というのも、こんな国だから、何ら特別な方法をとらなくても、単に山の上から石を投げれば、一人の人間が谷を渡ってくる何千人もの人間を殺すことができた。その上、この国の住民は一人残らず自国の地形を自分の手のひらのように熟知していたから、これはなおさら簡単だった。
協議会が終わる頃には、チベッ卜の国の首長たちはみな非常に興奮していたので、もしあの小さな〈七人グループ〉の指導者が(さっき言ったように、彼は他のメンバーによってこの会議に送られていたのだが)この嵐のような会議に割って入らなかったならば、彼らは、大多数の支持を受けたこの提案を実行する決議を下していたに違いない。
この、後に聖者となった〈七人グループ〉の指導者は、この提案は実行に移してはならないことを会議の参加者たちに説得するために次のように言った。
『あらゆる生物の存在は、われらが《共通の創造主たる神》にとっては等しく貴重で愛おしいのです。それゆえ、あれだけたくさんの数の人間を殺してしまっては、それでなくとも地球上の我々の間に生きているすべての者の心労や悲しみを背負いすぎておられる《あの方》に、少なからぬ悲しみを与えることになりましょう』

この未来の聖者がチベットの首長の集まりで言ったことはすべて非常に説得力があったので、彼らは、侵入者に対していかなる対策も講じないどころか、誰一人彼らの進軍を邪魔しないような措置さえ講ずることに決めたのだ。
そんなわけで、下界からの招かれざる客は、どこでも全く抵抗を受けぬまま、おまえの惑星のいたるところで常に悪くなる一方の人間たちの生存状態からこの時まで隔離されていたこのユニークな国の中心部にまで入っていった。
さて、それからあることが起こったのだが、このことは、この不幸な国の現在と未来の住民にとってだけでなく、恐らくはこの不運な惑星全体に住む現在と未来の三脳生物全体にとっても、とてつもない惨禍を引き起こしたのだ。
要点だけいうと、全チベットの首長たちの会議の席上で次のような決定が下された。すなわち、抽選で選ばれた会議のメンバーがこの外国人たちが通るであろう地域に出かけていき、指導者たちが熟考の末に下した決定を前もってそこの住民に知らせ、何者も、いかなる状況下でも、この外国人たちの通行を邪魔してはならないことを説得するということだ。
そして、これら武装した外国人たちが通るであろう地域に派遣されたメンバーの一人に、この小さな〈七人グループ〉の指導者も選ばれたのだ。
この未来の聖者が、今言った目的である広い場所に到着した時、その近くで武装した外国人の大群が休息のために野営していた。ちょうどその時、この広い場所の道の上で、故意にか偶然にか、下界からの新参者の一人が撃った流れ弾が、この未来の聖者を〈その場で殺して〉しまったのだ。
こうして、ほとんど完成の域に達していた兄弟たちの小さなグループの指導者の生存は終わった。このグループの者たちは、事件の恐ろしさに打ちのめされながらも他にどうすることもできず、彼らの指導者であった者の遺体を家に運ぶべく、必要な手続きをとった。
指導者を失って後に残された六人の兄弟たちが経験したこの状況の真の恐ろしさをはっきり把握し、そしてその結果起こった悲惨な事態を十分に理解できるように、わしはまず、たとえ簡単にでも、このチベッ卜という名の国に生まれ、存続したこの小グループ(これは常に七人の三脳生物から成っていた)の歴史を話しておかなくてはならん。
このグループは、最後の聖なる個人、聖ラマが地球上に出現する遙か以前に結成され、それ以来ずっと存続していた。
これは当初から七人で構成されており、その七人は、これもわれらの《永遠なる主》が、地球の、とりわけこのゲムチャニア国の三脳生物に遣わされた使者である聖クリシュナトカルナから直接秘儀を伝授された者たちであった。
その後聖ブッダがこのゲムチャニアに現れ、彼は、聖クリシュナトカルナの教えはこの国の住民の精神の中ではいまだに廃れておらず、どんな人間でもこれを吸収すれば、この教えは
器官クンダバファーの特性の諸結果を破壊するのを大いに助けることを明らかにした。彼はそうすることで彼らの解放に力を貸したのだが、彼自身もまさにそのためにここに送られてきたのだ。聖ブッダは聖クリシュナトカルナの教え全体を自分自身の教えの基礎に据えることに決め、聖クリシュナトカルナ自身から秘儀参入を授けられた七人の人間に、彼らの存在の目的と必要性を説くと、彼らもこれを明瞭に理解した。そして彼らは、聖ブッダの教えは聖クリシュナトカルナの教えと本質的に矛盾しないばかりか、当時の人間たちの精神により完全に合致することを納得し、聖ブッダの信奉者になったのだ。
そしてその後、聖ラマが特にチベット国の住民たちのために出現した時、彼もまた、聖ブッダの教えの多くはこの国の住民に今でもぴったり適合するであろうことを発見した。ただしそれは、時の流れのために生じた外的な生存状態の変化に合わせて、いくつかのこまごました変化を彼らが受け入れさえすればの話だ。そこで彼もまた、自分の教えの基礎に、聖クリシュナトカルナが説き、聖ブッダが復活させた真理から生まれた多くの教えを据えた。その時、秘儀を伝授されたこの小グループの人間たちや、既にブッダの信奉者となっていた他のグループの者たちは、聖ラマの行なったつけ加えや教えの変更は、その当時の精神によりうまく適合することをはっきりと感じたので、聖ラマの信奉者になったのだ。

この小グループのメンバーの間には一つの規則があり、彼らはこれを厳格に守っていたが、これに従って、聖ラマがこのグループのメンバーに対して特別に指示したある秘密の教えが、その指導者だけを通して代々伝承されており、そしてこの指導者は、ある段階に達した六人を選んでこの秘密を伝授することができた。
まさに以上のような事情のために、既に功徳を得、近い将来の秘儀参入に備えていたこの小組織の六人のメンバーは、さっき話したように、彼らの指導者の死を聞いた時、恐ろしいほど動揺した。すなわち、当時ただ一人しかいなかったこの秘儀参入者の死によって、彼らが聖ラマの秘密の教えに参入する可能性は永久に失われてしまったからだ。
指導者の死があまりに突然であったために、〈
聖アルムズノシノー〉というプロセスを使って死んだ指導者の理性と連絡し、そうすることによって〈この秘密の教えを受ける〉という唯一残された可能性も(彼らはこの〈聖アルムズノシノー〉を実現させる可能性があることを知っているだけでなく、その実現に必要なすべてのデータも自分自身の中に持っていたにも関わらず)かなり疑わしいものになってきた。
坊や。おまえはたぶん、この聖なるプロセスについてはまだ何も知らんだろう。
このアルムズノシノーと呼ばれるプロセスを使うと、それまでに時間をかけて自分のケスジャン体を形成し、これを完全に機能させて、理性をある確固たる段階にまで引き上げた三脳生物は、意図的に、既に完全に死んだ人間のケスジャン体を形成、あるいは別の言い方をすれば〈物質化〉し、そしてそれを、この死んだ肉体が、以前の惑星体がもっていたある種の機能を再びある一定の時間働かせる可能性を獲得する程度の密度にまで凝集させることができるのだ
ただしこのプロセスは、ある特定の人間の
ケスジャン体にしか引き起こすことはできない。つまりこの人間は、生存中に、自らの高次存在体を完全な機能の段階にまで高め、その上、この存在体の理性は、聖なる〈ミロジノー〉と呼ばれる段階にまで引き上げられていなくてはならないのだ。
我々の大宇宙には、このプロセス、すなわち、既に死んだ人間の
ケスジャン体を意図的に形成するプロセスの他に、この上なく聖なる〈ジェリーメトリー〉と呼ばれる別のプロセスが存在している。
この、この上なく聖なるプロセスとは次のようなものだ。すなわち、最高次の体、つまり〈魂体〉がまず意図的に形成されると、その後で初めて、さっきの場合と同様、
聖アルムズノシノーが引き起こされるのだ。
もしこのような高次存在体が、この〈聖なる秘儀〉が行なわれる惑星圏から接触可能な圏内にまだいるのであれば、このどちらのプロセスでも生み出せる。
その上、ある人間が意図的、意識的に造り出した形成物は、これを生み出した人間たちが意識的に自分たちの聖なる〈
アイエサカルダン〉によってこのケスジャン体に栄養を与えているかぎりは存続し、また彼らと関係や連絡を保つこともできる。
だから、もしこの小さな〈七人グループ〉の残された六人のメンバーが、彼らの指導者の突然の死の可能性を予測して、まだ彼が生存している間にこのプロセスを完了しておいたならば、この死んだ指導者の理性と連絡をとるためにこの聖なるプロセス、
アルムズノシノーを使うことができたかもしれない。
この聖なるプロセス、すなわち
秘儀アルムズノシノーのための準備の本質を理解するには、〈ハンブレッドゾイン〉、つまりケスジャン体の〈血〉の2つの特性を知っておかねばならん。
ハンブレッドゾインの第一の特性は次のようなものだ。もしその一部が分離されて取り去られ、どんなところに、またどんなに遠くにまでもっていかれても、この部分と、この宇宙物質の本源的凝集体との間には〈糸のような繋がり〉が形成されている。この繋がりも同じ物質で形成されており、その密度と厚みは、この物質の根源的凝集体と切り離された部分との間の距離に比例して増減する。
ハンブレッドゾインの第二の特性は次のようなものだ。これが、この物質の根源的凝集体の中に入れられてこの本源的凝集体と混ぜ合わせられると、均一の密度、均一の分量でその体内のあらゆる部分に行き渡る。この凝集体がどこにあっても、またハンブレッドゾインが、偶然、あるいは意図的に、どれだけの分量を入れられても、全く同じことだ。
人間の
ケスジャン体はあるいくつかの物質で形成されているが、これらの物質のためにこの宇宙形成体は、惑星をとりまいている宇宙物質の塊、すなわち惑星大気圏と呼ばれているものよりも遙かに軽いものになっている。そのため人間のケスジャン体は、その人間の惑星体から切り離されると直ちに、〈テニクドア〉、あるいは時には〈引力の法則〉と呼ばれる宇宙法則に従ってある圏に昇っていくが、そこではケスジャン体のもっている重量はうまくバランスをとることができ、したがってそこは、このような宇宙生成物にふさわしい場所なのだ。以上すべてのことから、予備的な準備は次のようなものになる。すなわち、ある人間のケスジャン体に、その惑星体の死後、聖アルムズノシノーの秘儀を執り行なうためには、そのケスジャン体をもった人間がまだ惑星体として存在している間に、彼のハンブレッドゾインの一部を取り出し、それにふさわしい惑星上形成物の中に保存するか、もしくは、この〈儀式〉を執り行なおうとする人間たち自身の中に取り込んで、意図的に彼ら自身のケスジャン体ハンブレッドゾインと混ぜ合わせなくてはならない。
このようにしておくと、
秘儀アルムズノシノーを受ける予定の完成された三脳生物が惑星上での生存を終え、彼のケスジャン体が惑星体から離れても、ハンブレッドゾインの第一特性のおかげで、さっき話したように、このケスジャン体と、彼のハンブレッドゾインが前もって保存されている場所、もしくはこれを自分のケスジャン体の中に意図的に取り込んだ人間たちとの間に、ある繋がりが出来上がるのだ。
この問題に関するこれから先の話を明瞭にするために、ここで次のことを話しておかねばならん。今言った繋がりの一方の端は、それにふさわしい圏に昇っていった
ケスジャン体の中にあり、もう一方の端は、このケスジャン体ハンブレッドゾイン全体からとられたほんのわずかの分量が保存されている惑星上形成物の中か、もしくはこのケスジャン体ハンブレッドゾインを自分自身のケスジャン体ハンブレッドゾインと意図的に混ぜ合わせた人間たちの中にある。そしてこの繋がりは、ある限られた期間しか、つまり、この人間が誕生した惑星がその太陽の周囲を回るという定められた運動を完結するまでの期間しか存在できないのだ。
そしてその運動が新たな周期に入る時、この繋がりは完全に消滅してしまう。
それが消滅する理由はこうだ。あらゆる惑星をとりまいている大気圏では、根源的な聖なる宇宙法則
ヘプタパラパーシノクに従って、偉大なる宇宙的トロゴオートエゴクラットが必要とする宇宙物質の進展と退縮は、局部的な性格を持つ、ということはつまり、この太陽系〈それ自身の動き〉と呼ばれているものの領域内で進行するトロゴオートエゴクラット・プロセスだけのために再び進み始めるのだ。するとその結果、この運動の期間中たまたまこの大気圏内にあったすべての宇宙物質は、一つの例外もなく、なかでも特に今言った繋がりは、この大気圏になくてはならない宇宙物質へと直ちに変えられるのだ。
それでだな、坊や。以上の一連の運動が完結するまでの間であれば、惑星上の人間たち、すなわち、自分自身の中に他の
ケスジャン体のハンブレッドゾインを少量取り入れた人間、もしくはハンブレッドゾインの一部を保存している惑星上形成物を自由にできる人間は(もちろん彼らがそれを実行するのに必要なすべてのデー夕をもっていると仮定してだが)いつでもそのケスジャン体を、惑星の固体部分の圏内に呼び戻すことができ、それを彼らのハンブレッドゾインに相当する凝集体に染みこませることによって、既に完全に形成されている独立した宇宙構成体の理性と関係を結ぶことができるのだ。
この呼び戻し、あるいは時には〈物質化〉と呼ばれるものは、既に話したように、〈
ヴァリクリン〉と呼ばれるものを通して、すなわちある方法で自分のハンブレッドゾインをこの繋がりのもう一方の端に意識的に注入することによって引き起こすことができる。
このチベット人たち以前にも、この聖なるプロセス、
アルムズノシノーは別々の時代に何度か三脳生物によって引き起こされたし、これらの聖なるプロセスに関する知識を記録したレゴミニズムも存在していた。
このチベット人の小グループがこの聖なるプロセスに関する手続きを詳細にわたって知っていたのもこのレゴミニズムのおかげであり、当然彼らは、このプロセスのための特別な準備についても知っていた。
しかし今となっては、死んだ指導者の理性との繋がりを持とうとする試み以外には、すべての秘密の教えを学ぶ可能性は全く失われていたので、彼らは、準備がなされていないことを承知の上で、以前の指導者のケスジャン体に対する秘儀を執り行なうことに決めたのだ。そして、彼らがこの危険を冒したために、前に話した大きな不幸の原因が生じたのだ。
さらに調査を進めていくと、この大きな不幸は次のようにして起こったことが判明した。
まだ惑星体をもって存在していたこの六人の〈偉大なる秘儀参入者たち〉は、二人一組となり、交替で三日三晩とぎれることなく、以前の指導者の惑星体に対して
ヴァリクリン・プロセスを起こし始めた。すなわち、彼ち自身のハンブレッドゾインをこの身体に注入し始めたのだ。ところが、彼のケスジャン体とのつながりが前もって準備されていなかったものだから、彼らのハンブレッドゾインは行くべきところに行かずに、以前の指導者の惑星体の上にメチャクチャに溜まってしまった。そして不幸なことに、ちょうどその頃、聖なる活性元素オキダノクの再強化された混合物が彼らの地方の上空の大気圏内で活動していたために、あるいは彼ら流にいえば〈ものすごい雷雨〉があったために、これら2つの宇宙的〈結実〉、つまりいまだにある一つの宇宙現象から別のそれへの変容過程の途上にある宇宙的〈結実〉の間に、〈ソプリオノリアン接触〉というものが生じた。
そして、この不運な惑星上のこの狭い地域で起こったこの接触のために、〈
ノートゥーニチトーノ〉と呼ばれる宇宙現象が通常よりはるかに速いスピードで起こった。言いかえれば、周辺のすべての宇宙結晶体が突然、瞬間的にその最終段階に向かって展開し始めたのだ。ということはすなわち、彼らの近くにあったあらゆる惑星上の形成物は、たちまち根源物質エテロクリルノヘと変容してしまったのだ。
この
ソプリオノリアン接触(おまえの惑星地球では〈爆発〉と呼ばれておるが)はあまりにすさまじかったので、このノートゥーニチトーノが起こっている間に、この小グループの指導者の惑星体も、この秘儀を執り行なった六人の仲間たちの惑星体も含めて、すべてのものがエテロクリルノに変容してしまった。そればかりか、そこから1〈シマーナ〉の範囲内にある、あるいはおまえのお気に入りたちの言い方では〈一平方キロメートル〉内にあるすべての霊化された、あるいは単に凝集しているだけの惑星上形成物も、同様に変容してしまった。
破壊された形成物の中には、自然によって造られたものも人間の手になるものもあったが、そこには、これら六人の真に偉大な秘儀参入者たちの所有していた〈本〉と呼ばれるもの、また天が意図的にお遣わしになった三人の真に聖なる個人、すなわち聖クリシュナトカルナ、聖ブッダ、そして聖ラマに関するすべてのことを記憶にとどめておく手段の役を果たしていたものも含まれていた

さあ坊や。わしが前に、あの魔法のような軍事遠征の重要性を明らかにしようとして使った言葉の意味が、これでおまえにもはっきりしただろう。つまりわしは前に、この軍事遠征は、今話した国の住民にとってばかりでなく、恐らくは惑星全体のすべての三脳生物にとって大きな不幸であったと言っておいたな。
さて、そんなわけでだな、坊や。おまえにもはっきりしてきたと思うが、先ほど名前をあげた5つの宗教は、
器官クンダバファーの特性の諸結果から彼らが自由になるのを助けるために、天からこの三脳生物に遣わされた五人の真の聖者たちの教えに基づいて成立したもので、現在もこの惑星に残っている。しかしこの5つの宗教はみな、また例によって彼らが作り上げた異常な生存状態のために次第に変化しており、しまいには、健全な思考活動から見れば子供のおとぎ話のようなものに堕してしまうだろうが、それでもなおこの五宗教は、彼らのうちの何人かの内的な道徳的欲求の支えとなっており、だからこそ以前のある時代には、彼らの相互の生存は多少とも三脳生物にふさわしいものになっていたのだ
ところが今では、これらの宗教は最後の痕跡さえも最終的に破壊されてしまっているので、どんな結末を迎えるか予測するのは極めて難しい。
五宗教のうちの最後のもの、つまり真の使者、聖ラマの教えの上に成立した宗教は、あの魔術的な軍事遠征によって〈すさまじい音響とともに〉最終的に崩れ去ってしまった。
最後から二番目のもの、つまり聖モハメッドの教えの上に成立した宗教は、〈ドイツのユンカーたち〉の〈慈悲深い〉助けを得て、以前は有名であったフェズとヤシュマックを廃止することによって撲滅されつつある。
これより前に生まれた宗教、つまりイエス・キリストの教えの上に成立した宗教(この宗教と教えには最高位の個人たちも大きな希望を抱いていたのだが)の最終的消滅に関していえば、すでに不可思議さの頂点に登りつめている現代の三脳生物たちは、エルサレムの町に現代ユダヤ人青年のための大学を開くことによってこれを完膚なきまでに打ち壊しつつある。
聖モーゼの教えの上に成立した宗教は、長い間存続し、いまだに信奉者たちによって曲がりなりにも維持されているが、ただ彼らには〈抜け目なさ〉と呼ばれる〈有害な〉観念がまとわりついているために、この宗教の信奉者たちは他の共同体の住民たちから骨の髄まで嫌われており、それゆえ、遅かれ早かれ彼らはきっと〈すさまじい音響とともに〉〈これを打ち壊して〉しまうだろう。
そして最後のもの、つまり聖ブッダの教えの上に成立した宗教については、前にも話したように、彼らの悪名高い苦行(これは全くの誤解から生まれた考えに基づいたものだが)のために、そもそもの初めから彼らはこの教えを、彼ら流にいえば〈歪んだ知的遊戯〉の手段に変えてしまったのだ。
ついでに次のことも覚えておきなさい。初期には〈タングオリ〉が、その後は〈バラモン教徒〉〈シューエニスト〉等々がこの歪んだ知的遊戯に専念し、そして現代では、神智学者と呼ばれる者たちや、その他の〈にせ知識人たち〉がこれに従事しておるということをな。」

ここまで話すと、ベルゼバブはしばらく沈黙した。その間彼は集中して何かを思案しているようだったが、やがて話し始めた。
「今考えたのだが、ここでおまえに、聖なる
アルムズノシノーの秘儀(これは、おまえのお気に入りたちの間で受胎し、〈イエス・キリスト〉と名づけられた聖なる個人に関係している)に関連したある出来事を話しておけば非常に役に立つだろう。
現代のおまえのお気に入りたちは、この聖なる個人が彼らの間に誕生したことに関わるこの重要な出来事を〈イエス・キリストの死と復活〉という言葉で概念的に定義しておる。
この出来事は、おまえが聖なる
秘儀アルムズノシノーの意味と本質的な重要性を悟る上でのよい実例となるだろうし、それにわしが話したことの実例にもなるだろう。つまりそれは、天から意図的に遣わされた真の聖なる個人が彼らに説き、指摘したことを〈ここから・少し・あそこから・少し・取って・ひとまとめに・した〉断片の寄せ集めの意味さえも、彼らの精神に巣くう固有の奇妙な性質、すなわち〈偉ぶった大ぼら吹き〉のせいで、早くもこの聖なる個人が生きていた時代から実に甚だしく歪められ、そのため、彼らが宗教的教えと呼んでいるものから次代の人間たちに伝えられたものは、いわゆる〈子供のおとぎ話〉を作るのにふさわしいような情報だけだったということだ。
つまり要点は、この聖なる個人イエス・キリストが地球上の三脳生物の身体をまとって出現し、そして後ほどこの惑星固有の外的おおいから無理矢理切り離された時、地球上のある三脳生物たちによって、この聖なるプロセス〈
アルムズノシノー〉が彼のケスジャン体に対してなされたということだ。彼の惑星上での生存が暴力的に中断されたのを目にした彼らは、こうすることによって彼の聖なる理性と交信を続け、それによってある宇宙的真理に関する知識と、まだ彼が全部述べ終わっていなかった未来に向けての教えとを受け取る可能性を得ようとしたのだ。
この重大な出来事に関する情報は、この聖なるプロセスの執行に立ち会った者たちによって正確に記録され、しかもあるはっきりした目的のために、彼らのまわりの普通の人間たちにも意図的に述べ伝えられた。
いいかね、坊や。この時代はたまたま、前にも話したように、おまえを楽しませているこの三脳生物の奇妙な理性が〈とりわけ強く機能した〉時代、つまり、もうすでに長く彼ら固有のものとなっていた〈自分のまわりにいる者たちに過ちを犯させたい〉という欲求がとりわけ強かった時代であり、それゆえ彼らの多くが〈知識人〉(もちろん〈新型〉のだが)と呼ばれようとして必死になっておった。同様に、このプロセスを執行した者たちのまわりにもこの種の輩がたくさんおったので、彼らは疑いようのない事実、すなわちイエス・キリストは十字架にかけられ、死後埋葬されたという事実を伝えるために、これに加えて、とんでもない〈馬鹿話〉を、この聖なるプロセスを目撃した時の話や手記のほとんどの中に〈押し込み〉、さももっともらしく、イエス・キリストは十字架上での死と埋葬の後復活し、その後彼らと共に生存してあれこれ教え続け、そしてその後に初めて、彼は彼の惑星体をもったまま天国に昇っていった、などということを証明しようとしたのだ。
この、客観的見地からすれば〈犯罪者的な屁理屈のこねまわし〉の結果、すべてを愛するイエス・キリストのこの神聖にして独自に達成された救済の教えに対する心からの信仰は、次代の人間たちの中から完全に消え失せてしまったのだ。
書き記されているこの種の馬鹿話は、続く世代のある人間たちの中に次第に疑惑という衝動を生み出していったが、その疑惑は、わしが今話したことに関するものばかりでなく、天からある目的のために意図的に遣わされたこの聖なる個人の真の知識や的確な指示や説明までもひっくるめた全体に対する疑惑であった

こうして、今言った次代のある三脳生物が抱いた疑惑を生み出したデータは次第に結晶化していき、ついには彼らの身体の切り離せない一部となってしまった。そうなった主な理由は、彼らの生存プロセスが生得的にほとんど自動的に進んでいくとはいえ、それでも長い間には、すなわち何十世紀も経つうちには、彼らも次第にこの自動的な結晶化から、ある宇宙的真理を多少とも正しくまた本能的に感じ取るためのデータを手に入れていたからだ。つまり、もしある者に聖なる
ラスコーアルノのプロセスが起こったとすると、つまり彼ら流にいえば、〈もし誰かが死に〉、その上埋葬までされると、この者は二度と再び生存しないばかりか、もはや話しも教えもしないという疑う余地のない真理に徐々に気づいていったのだ。
そんなわけで、これらの三脳生物たち、つまり、ほんのかすかにではあるがいまだに健全な論理の法則に従って思考活動を続けていて、それゆえ、こんな非論理的で常軌を逸した筋の通らないことを全く受け入れなかった者たちは、聖なる個人イエス・キリストが教え説いた真理に対する信仰をついには完全に失ってしまった
残りの三脳生物たち、ということはつまり彼らの大多数は、普通それ相応の年齢で〈精神病者〉と呼ばれるものに変わってしまい(その原因も様々だが、主として、その生存のごく初期から〈
モアドールテン〉と呼ばれるものに専念するからそんなことが起こるのだ)そのため彼らは伝えられたこれらの〈突拍子もない馬鹿話〉を、論理的な思考活動など一切しないで全部そっくり、盲目的に、一語一句言葉通りに受け入れた。そしてまるでこの宗教的教えが、天からある目的のもとに遣わされた聖なる個人イエス・キリストに結びついた、あるいは関連した全〈真理〉の総体を表してでもいるかのように、これに対する特別に奇妙な一種の〈信仰〉が彼らの中で自動的に形成されていったのだ。
現代のおまえのお気に入りたちの間には今でもこの〈書き記された総体〉が残っていて、この聖なる個人の真の正確な経歴を記しているということになっているが、彼らはこれを〈聖書〉と呼んでおる。
この〈聖書〉には〈最後の晩餐〉と呼ばれる出来事が記されているが、これは実は、聖イエス・キリストのケスジャン体に偉大なる秘儀アルムズノシノーを執り行なうための準備以外の何ものでもなかったのだ
おもしろいことに、おまえのお気に入りたちが聖書と呼んでいる、〈ここから少し、あそこから少し〉かき集めて書き残されたものの総体の中にも、この〈最後の晩餐〉の時に、聖イエス・キリスト自身や、直接彼から秘儀を授けられた者たち、つまり例の聖書では〈弟子〉とか〈使徒〉とか呼ばれている者たちが口にした多くの言葉の切れ端や、時には話全部が正確に記されている。しかしおまえのお気に入りたち、とりわけ現代の人間たちは、常に何においてもそうするように、ただ〈字義通り〉にこれを解釈し、そこに込められた内的意味には気づきもしないのだ。
このような馬鹿げた〈字義通り〉の理解が彼らのなかで起こるのは、もちろんのこと、彼らが体内で
パートクドルグ義務を果たすのを完全にやめてしまったためだ。この義務は努力して遂行されるべきもので、そしてこの努力のみが、三脳生物の中に真に思考する能力を生むデータを結晶化させることができるのだ。
以上のような理由で、この場合も彼らは、次のようなことをほんのちょっと考えてみることすらできなかった。すなわち、
聖なる個人イエス・キリストが彼らの間に現れ、そしてこの現存する聖書が編纂された時代には、これらの編纂者と同類の人間たちは、ここで使われている多くの言葉を、それらが現在使われているような意味では使っていなかったということだつまり現代の人間たちは、この惑星の当時の人間たちの〈思考活動〉は正常な思考活動、すなわち一般的に三脳生物が当時行なってしかるべき思考活動にまだずっと近かったということ、それから当時はまだ、観念や思想の伝達は、〈ポドブニシルニアン〉と呼ばれる形で、あるいは別の言い方をすれば、〈隠喩的〉に行なわれておったということを考慮に入れていないのだ。
言いかえると、惑星地球の当時の三脳生物たちは、自分や他の人間たちに何らかの行為を説明するに当たって、彼らの間で以前起こった似たような行為に対する理解と関連付けたのだ

しかしこうした説明は現在では、〈
チャイノニジロンネス〉と呼ばれる原理に従っても行なわれてはいる。
現代の人間たちの間でこんなことが起こった理由は、例によって例のごとく、異常な形で定着した生存状態のために、彼らの思考活動はいわゆる〈感情の部位〉と呼ばれるもの、つまり彼らの言葉によれば〈感情センター〉の働きが一切関与しないまま進行するようになったからであり、しかもこれが主な原因となって、彼らの思考活動はついには自動化してしまったのだ。
そしてその時以来現在に至るまでずっと彼らは、おおよそでもいいから何かをはっきりさせたり、他の人間に説明したりできる力を手に入れるために、ほとんど意味のない名前をものにつけたり、壮大なものも卑小なものも含めた様々な観念に当てる多くの言葉を発明するよう機械的に強制されてきたし、今もその状態が続いている。そのため彼らの思考活動のプロセスは、さっきも言ったように、少しずつ
〈チャイノニジロンネス〉原理に従って進むようになってきた。
そして現代のおまえのお気に入りたちは、神性を有するイエス・キリストと同時代の人間の思考活動に訴えるように〈
シミルニシルニアン〉形式で書かれている文書を、今言ったような彼らの思考活動で解読し、理解しようとしておるのだ。

そこでだな、坊や。わしはおまえにあることを、つまり最高度に馬鹿げていて、客観的見地からすれば冒涜的でさえあることを話しておかねばならん。この話を聞けば、今もおまえのお気に入りたちの間に存在しているこの聖書が(ついでに言っておくと、これは彼らの一番最近の相互破壊のプロセスの後にとりわけ広まってきており、その中には、おまえも推測しているように。真実と真理以外ならお望みのものは何でもあるという代物だ)実は全く無価値なものであることが極めて明瞭に理解できるだろう。
この話とは、いわば原型のまま彼らに伝承されている現代の聖書に書かれているもので、この聖なる個人によって直接秘儀を伝授された者たち、つまり彼ら流にいえば彼の使徒たちの中でも最高の理知を具え、最も献身的であった者の話だ。
この献身的な、イエス・キリスト自身が秘儀を伝授した寵愛の使徒は〈ユダ〉と呼ばれていた。
これから真の知識を得ようと望んでいる者が現存する版の聖書を読めば、このユダという男は考えうる人間の中でも最も低劣で、良心などかけらもなく、二枚舌のとんでもない裏切り者だといった確信を抱き、おまけにその確信は彼の本質にまで染みこんでしまうだろう。
しかし実はこのユダこそ、イエス・キリストの身近にいた信奉者の中で最も信仰深く、献身的だったのみならず、彼の理性と知性があったからこそ、この聖なる個人の業は実を結ぶことができたのだ。この実は、たとえこれら不幸な三脳生物の器官クンダバファーの特性の諸結果を完全に破壊する基盤とはならなかったとしても、それでも、この20世紀間、彼らの大多数の荒涼たる生存に養分を与え、霊感の泉となり、少なくともわずかばかり耐えうるものにしてきたのだ
このユダの真の個人性と、彼が表現したことが未来においてもつであろう重要性がはっきり理解できるように、まず次のことを話しておこう。ある目的のために、地球の人間の惑星体をもって天から遣わされた聖なる個人イエス・キリストは、その目的にふさわしい生存状態を完全に整えた時、天が彼に与えた使命を遂行しようと決意し、そのための方法として、自分自身で12のタイプの人間を彼らの中から選び出し、特殊な覚醒を与えて準備させ、その人間たちを使って地球上の三脳生物の理性を目覚めさせるという方法をとることにした。
しかしながら、彼の聖なる行為の真っ最中に、彼とは無関係な周囲の状況は彼の意図が実現することを許さない方向に展開していった。すなわち、ある宇宙的真理を説明する時間も、未来のために必要な指導を与える時間も十分もてないままに、彼は自分の惑星上での生存が停止するのを受け入れることを強制されたのだ。
その時彼は、ある意図のもとに彼自身が秘儀を伝授しておいた12人の人間と共に、聖なる
秘儀アルムズノシノーの力に頼ることに決めた。彼らはみな、すでにこの聖なる秘儀を成就するためのデータを体内に得ていたので、その執行プロセスはよく知っていた。つまりまだ宇宙個人の状態にいた彼は、これを使えば、天から与えられた使命実現のための計画を成就すべく始めた準備を終えることができるかもしれないと考えたのだ。
それでだな、坊や。以上のような決心をして、この聖なる秘儀に必要な準備を始める用意をすべて整えた時、これは完全に不可能であることが判明した。遅すぎたのだ。彼らはみな〈衛兵〉と呼ばれる人間たちに取り囲まれており、逮捕とそれに付随するすべてのことが今にも起ころうとしていた。この時ユダは、つまり今は聖者になっており、その当時はイエス・キリストから切り離せない献身的な助力者であったにもかかわらず、おまえの惑星の奇妙な三脳生物たちの無邪気な無分別のために〈憎まれ〉、〈呪われ〉ているこのユダは、まさにこの時、進んで偉大なる客観的奉仕をしたのだ。後世のすべての三脳生物は彼のこの奉仕に深く感謝しなければならない
彼の行なった賢明でしかも極めて困難な、自分のことなど全く顧みない献身的な行為とは次のようなものであった。すなわち、聖なる
アルムズノシノーの成就に必要な予備的手続きを完了することは到底不可能なことを確認すると、使徒たちはみな自暴自棄になってしまったが、この時、今は聖者となっているユダは、座っていた場所から急に立ち上がり、急いでこう言ったのだ。
『君たちが邪魔されずにこの聖なる準備を完了できるように私が行って手はずを整えるから、すぐに仕事にかかってくれ』
こう言うと彼はイエス・キリストに近寄り、内密に少し話して彼の祝福を受けると、急いで立ち去った。
そこで他の者たちは、実際何の妨害も受けずに、聖なるプロセス、
アルムズノシノーの成就に必要な準備をすべて完了した。
ここではっきり理解しなければならんが、わしが今話したことの後で、おまえを魅了している地球上の三脳生物のうち、前に話した2つのタイプの者どもが、様々な利己的目的のためにすべての真理をひどく歪めてしまい、そのせいで、今は聖者となっているユダ(まさに彼のおかげで、この20世紀の間というもの、彼らの不毛な生存をやわらげる祝福された心の平安が生まれ、今も存続しているのだ)に関して、後世のすべての人間の体内に、前代未聞の不公平なイメージが結晶化してしまったのだ。
わしは個人的に思うのだが、ユダが彼らの聖書の中にこんな夕イプの人間として記されているとすれば、それは前に述べたいくつかのタイプに属する人間のうちの誰かが、ある目的でイエス・キリスト自身の重要性を矮小化するためにそうしたのではなかろうか?
つまり彼はあまりに単純で、予感したり予見したりできなかったので、一言でいえばあまりに不完全だったので、このユダと長い間ともに暮してよく知っていたにも関わらず、この自分の直接の弟子がとんでもない不信の徒であり、裏切り者であって、30個ばかりのくだらない銀と引きかえに自分を売り渡すであろうことを見抜けなかったのだ、というふうにこじつけたのだ。」

ベルゼバブの話がここまで進んだ時、突然、太陽系間宇宙船カルナックの彼を含めた全乗客は、その味覚器官にある特殊な、すっぱいような苦いような味を感じた。
これは彼らの宇宙船が目的地に、この場合は聖なる
惑星パーガトリーに近づいたことを示していた。
このすっぱいような苦いような味を彼らが感じたのは、目的地に近づいたことを全乗客に知らせるために、操縦室からある特殊な磁気流を放出したためであった。
それでベルゼバブは話を中断し、愛情あふれる眼差しで孫を見ながら言った。
「さて、これではどうやら、聖なる個人イエス・キリストについての話は中断しなくてはなるまい。しかし坊や。われらの愛する
カラタスの家に帰ったら、細大漏らさずしまいまでこの話をしてやるから、おまえのほうからわしにそう言って思い出させておくれ。
おまえのお気に入りたちの惑星体をまとって彼らの間に誕生したこの聖なる個人の全生涯は、おまえのお気に入りの惑星の諸グループの人間たちの間での彼の生存という点からいっても、また彼の凄惨な最期という点からいっても、この風変わりな三脳生物の奇妙な精神を自分の理性に深く理解させたいと思っているおまえにとっては、この上なく興味深いだろう。それにまた聖イエス・キリストの生涯のある部分、つまり彼らの時間計測法でいうところの12歳から28歳までの彼の生存期間を知ることはとりわけ興味深いし、また示唆に富んでいるだろう。」
ううん、そうですね。
まぁ、実際かなりセンシティブな問題でしょう。
この内容が全て真実であっても、普通の現代人には受け入れられないでしょうが。
私個人の印象としては、「宗教は異常なもの」という認識をもっていて、「いずれ全ての嘘を暴いてやろう」と思っていたのですが、実はそれは「様々な真実を後世に教え伝えるもの」であったということを知り、驚くとともに、現存している宗教組織に対する怒りと憎しみが生まれました。(もちろん一部の本物は例外ですが)
もし「それ」が機能していれば、現在の異常な人類世界ではなかったと思いますし、数々の不幸、主に相互殺戮の歴史も回避できたでしょう。
詳細はまた後でまとめます。


第39章 聖なる惑星〈パーガトリー〉
かなり難解な章ですが、今までの内容をある程度理解できていれば、おおよそは理解できる内容だと思います。
通称ビッグバンと呼ばれている宇宙創造の理由とその過程、関係性等々。
宇宙空間内における人間の位置や役割や可能性。
また図を交えてまとめていこうと思います。

ディオノスク後、宇宙船カルナックはこの聖なる惑星を離れ、最後の目的地を目指してさらに進み始めた。その目的地とは、ベルゼバブが誕生し、そしてその長い生存を終えるために帰還しようとしている惑星である。彼はその長い生存を、諸々の状況のために、我々の大宇宙の様々な宇宙凝集体の上で、またいつも彼個人にとって非常に苛酷な条件の下で送らねばならなかったが、それでも彼は、これを実に賞讃に値する態度で客観的に遂行してきたのである。
さて、宇宙船カルナックの進行速度が通常に戻った時、ベルゼバブの孫ハセインは再び彼の足元に座り、彼を見ながら言った。
「ぼくの大好きなお祖父様、トーリアンおじさんがぼくに話してくれましたが、われらが《共通のすべてを包みこむ単一存在にして独裁者である永遠の主》は、ぼくたちが今立ち寄ったあの聖なる惑星に頻繁に出現なさるそうですが、これはどうしてなのですか? どうか説明してください。」
この質問にベルゼバブは、いつもより長く考えこみ、そして普通以上に集中して、ゆっくりと次のように話した。
「そうだな……坊や。今度ばかりはおまえの質問に何から答え始めたらいいかわからんよ。というのも、わしの多くの仕事の中には、おまえに関するもの、つまりおまえの〈
オスキアーノ〉に関する仕事もあって、それは、おまえくらいの年齢の時に、この聖なる惑星について徹底的に知らせ、そして理解させておかなくてはならないというものだが、おまえの質問に答えると同時にわしのこの希望も満足させるにはどんなふうに話し始めたらいいかと思ってな。
それはともかく、何はさておいても次のことは知っておかなくてはならん。この
パーガトリーと呼ばれる聖なる惑星は、我々の大宇宙全体にとってはいわば心臓のようなもので、つまりこの宇宙に存在し機能しているあらゆるものが脈動して完全な結果を生み出した時、その結果がすべて集まってくる場所なのだ。
我らが《共通の父なる創造者にして永遠の主》が度々この聖なる惑星に出現されるのは、そこが、我々の大宇宙の様々な惑星で完成の域に達した、最高度に不運な〈高次存在体〉の生存場所であるからだ。
この聖なる惑星に住むという栄誉を授けられた〈高次存在体〉たちは、恐らく我々の大宇宙のすべてのものと同じくらい深く苦しんでおる。これをご覧になって、我らが《すべてを愛し、無限に慈悲深く、完全に公正なる創造者にして永遠なる主》は、これら不幸な〈高次存在体〉を助ける可能性が全くないので、せめて《彼御自身》がそこに現われることによって、必然的であるとはいえ口に出せないほどの苦悩を味わっている彼らを少しでも慰めることができたらと思われて、そんなにしばしばそこに出現されるのだ。
この惑星が本来の目的を達成し始めたのは、時の流れの中で、今存在している〈世界〉の〈創造〉の仕上げの過程が完了してからずっと後のことであった。
当初、現在この聖なる惑星に住んでいる〈高次存在体〉は、直接我々の至聖絶対太陽に行っておった。ところが後に、我々が〈
チョート・ゴッド・リタニカル期〉と呼んでいる全宇宙的大惨事が我々の大宇宙で起こり、そしてこの恐るべき全宇宙的大惨事以来、今この聖なる惑星に住んでいる同種の〈高次存在体〉は、われらが至聖絶対太陽と直接交わる可能性を失ってしまったのだ。
それゆえ、この〈
チョート・ゴッド・リタニカル期〉以後初めて、現在この聖なる惑星〈パーガトリー〉が果たしているような種類の汎宇宙的機能の必要性が生じてきたというわけだ。
まさにこの時から、この聖なる惑星の表面は全面的に整備され(〈高次存在体〉は既に、自分の意志でそこでの生存を取り消すことはできなくなっていたのであるが)彼らの生存にふさわしい場所へと改造されたのだ。」
そこまで言うとベルゼバブは少し考えこみ、それから少し微笑んで話を続けた。
「この聖なる惑星は、存在するすべてのものが機能して生じた結果が集まってくるセンターであるだけでなく、今では、我々の宇宙の全惑星の中でも最良の、最も豊かにして最も美しい惑星だ。
我々がそこにいた時、たぶんおまえも気づいたと思うが、そこでは、我々の大宇宙、あるいはおまえのお気に入りたち流にいえば〈空〉は、有名な比類なき〈
アルマコーニアン・トルコ石〉の放射線を思い出させるような放射線をいわば反射しており、それはいつでも見れるし、また感じられる。それに、そこの大気は〈素晴らしいサクルーアルニアン結晶〉のようにいつも純粋だ。
その上この惑星ではどこでも、すべての個人は、彼の存在全体であらゆるものを〈外的に〉〈
イスコルーニジナーンリーに〉、つまりおまえのお気に入りたち流にいえば〈天上的に喜ばしく〉感じるのだ。
博識家によれば、この聖なる惑星には鉱泉や淡水泉などの泉だけでも約一万あり、その清らかさと美しさでは、我々の宇宙のいかなる惑星の泉も比較にならないという。
またそこには、我々の宇宙のあらゆるところから姿も声も最も美しい鳥が集められ、これも博識家がいうには、1万2000種もいるという。
〈花〉や〈果実〉や〈いちご類〉、その他同種の惑星上形成物に関しては、とても言葉では言い表せないほどだ。もし言うとすれば、我々の大宇宙の全惑星からあらゆる〈植物相〉〈動物相〉〈フォスカリア〉が集められて、ここの環境に順応させられたとでもいえるだろう。
この聖なる惑星上にはいたるところに峡谷があり、そこには様々な〈内部形態〉をもった実に便利な洞窟があり(ある部分は自然そのものによって、またある部分は人工的に造られたものだが)入口からの眺めは実に素晴らしく、中に入ると天上的で平安な生存に必要なものはすべてそろっており、しかも宇宙の独立した個人(〈高次存在体〉もこれになることができる)の体内のいかなる部分にも、本質的な不安は全く存在していない。
成し遂げた功績が認められて、さらなる生存のために我々の大宇宙のいたるところからこの聖なる惑星にやってきたこれらの〈高次存在体〉が特に好んで住んでいるのが、まさにこういった洞窟の中なのだ。
今言ったものとは別に、便利さの点においてもスピードの点においても最高の、〈
エゴリオノプティ〉と呼ばれている、あるいは時には〈普遍的に存在するプラットフォーム〉と呼ばれるものもここにはある。
これらの
エゴリオノプティは、この聖なる惑星の大気圏内で、あらゆる方向に好きなスピードで、例えば我々の宇宙の第二等級の太陽が落下するほどのものすごいスピードででも自由に動くことができる。
この種の〈
エゴリオノプティ〉のシステムは、どうもあの有名な天使、今では大天使となっているヘルキッシオンが、特にこの聖なる惑星のために創案したもののようだ。」
これだけ言うと、ベルゼバブは突然またしても沈黙し、深く物思いに沈んだので、ハセインとアフーンは、驚くと同時に不審に思って彼を見た。
かなり経ってから、ベルゼバブは彼独特のやり方で頭を振り、ハセインの方を向いて言った。
「おまえの質問、すなわち『どうして我らの《永遠なる主》はそう度々出現することでこの惑星を喜ばせているのか?』という質問にどう答えようかと今考えていたのだが、前から何度か説明してやると約束していたことも同時に説明できるような形で答えるのが一番いいだろう。
つまりそれは、今ある我々の世界がそれによって維持され、またその上に存在している基本的な宇宙法則のことだ。この2つの質問は同時に考慮すべきで、そうして初めておまえは、この聖なる
惑星パーガトリーだけでなく、同時に、おまえがひどく興味を抱いている惑星地球に生息する三脳生物についても、完全かつ徹底的に理解するのに必要な、この問題の全側面をカバーする材料を手にすることができるのだ。
この聖なる惑星についてはおまえもいずれは知らなければならんから、ここでできるかぎり明瞭で詳しい説明をしておこうと思う。というのも、我々の宇宙のあらゆる責任ある三脳生物は、どこで、またどんな原因から誕生しようと、またどんな外的形態をとっていようと、最終的にはみなこの聖なる惑星に関するすべてのことを学ばなくてはならないからだ。
これを知らなくてはならんのは、我々が生存する理由と意味に合致した方向の生存に向かって奮闘するためだ。この奮闘は、いかなる原因からであれ、その体内に〈高次存在体〉を形成する芽が生じているすべての三脳生物の客観的運命なのだ。
そこでだな、坊や……。まずわしはもう一度、ずっと詳しく、なぜ我々の《永遠なる主》は、今現在存在している全世界を創造せざるをえなかったかを話しておかねばならん
原初、まだ何ものも存在せず、我々の宇宙全体は、宇宙的根源物質たる〈エテロクリルノ〉だけが充満する空っぽの果てしない空間であった。その頃、我々の至高にして至聖の絶対太陽は一人この空っぽの空間に存在していた。我々の《単一存在創造者》が《彼》の智天使と熾天使とともに、最も光輝ある存在の場としておられたのが、まさにこの、当時唯
一の宇宙凝集体であった絶対太陽の上だったのだ。
まさにこれと同時期に、我々の《創造者にして扶養者》は、現存する我々の〈
メガロコスモス〉、すなわち我々の世界をどうしても創造しなくてはならなくなった。
我々は智天使と熾天使の最も神聖なる聖歌の第三番から次のことを知ることができる。すなわち、われらの《全能の創造主》はかつて、この絶対太陽、つまり《彼》が《彼の》智天使と熾天使とともに住まわれていた場所が、ほとんど知覚できない程度にだが、それでもじわじわと容積的に縮小していることを確認なさったのだ。《彼御自身》が確認されたこの事実は《彼》には非常に深刻な事態と映ったので、《彼》はすぐさま、当時はまだ唯一の存在物であったこの宇宙凝集体を維持している全法則を再検討することに決められた。
これを再検討している間に、われらが《全能の創造主》は初めて、この絶対太陽の容積が減少している原因は、単に
ヘローパス、すなわち時の流れそのものにほかならないことを突き止められた。
そこでわれらの《永遠なる主》は考えこまれた。というのも、《彼》の神聖なる思案の結果、もしこの
ヘローパスが絶対太陽の容積をこのまま減少させ続けるならば、《彼の》存在の唯一の場は遅かれ早かれ、究極的には完全に破壊されてしまうということがはっきりしたからだ。
そんなわけでだな、坊や。このことを知った以上、われらの《永遠なる主》も、
ヘローパスによって我々の至聖絶対太陽が最終的に破壊されないよう、それ相応の方策をとらざるをえなくなった。
さらに、これもまた我々の智天使と熾天使の神聖なる聖歌(ただし今度は五番目の聖歌だが)から我々は次のことを知ることができる。すなわち、この神聖な確認の後、我らの《永遠なる主》は、無慈悲な
ヘローパスの合法則的要求に従って必然的に起こらざるをえない結末を何とか避けることはできないものかと、その可能性の探求に全力を傾けられた。そして神聖なる思案を重ねた結果、《彼》は、現存する〈メガロコスモス〉を創造することに決められたのだ。

我らの《永遠なる主》が無慈悲な
ヘローパスの悪しき活動からいかにして逃れようと決心されたか、そしてまたもちろん、いかにして究極的にそれを実現なさったか、こういったことをもっと明瞭に理解するためには、おまえはまず次のことを知っておかなければならん。すなわち、以前には、至聖絶対太陽は〈オートエゴクラット〉と呼ばれるシステムの基盤の上に維持され、存在していたということ、つまり、この宇宙凝集体の存在を維持していた内的な力は、外部からのいかなる力にも依存しないで、この原理に従って、独立して機能していたということ、そしてこの原理は2つの根源的な聖なる宇宙法則に基づいていたということだ。そして現在でも、我々のメガロコスモス全体は、原初から存在するこの2つの聖なる法則によって維持され、その基盤の上に存在している。この2つの法則は聖ヘプタパラパーシノク、及び聖トリアマジカムノと呼ばれている。
原初から存在するこの根源的な2つの聖なる法則については一度話したことがあると思うが、ここでもう少し詳しく説明しておこう。

この2つの法則の第一のもの、すなわち
ヘプタパラパーシノクに関しては、現在の客観的宇宙科学は次のように定式化している。
『法則に従って絶えず偏向し、そして最後にはまた合流する力の流れの進路』

この聖なる根源的宇宙法則は7つの偏向をもっている。あるいは7つの〈重心〉をもっていると言ってもいい。そして各々2つの偏向、あるいは〈重心〉の間の距離は、〈
聖ヘプタパラパーシノクのストッピンダー〉と呼ばれている。
この法則は、存在するすべてのものはもとより、新たに生成するものもすべて貫通して、常に7つのストッピンダーを伴ってプロセスを完結する。
根源的宇宙法則の第二のもの、つまり
聖トリアマジカムノについては、客観的宇宙科学は次のように定式化している。
『すでに誕生しているものから、〈
ハーネル・ミアツネル〉を通して新たなるものが生成する。その生成プロセスは以下のとおり。高次のものが低次のものと混合して中間のものを生み出す。その結果生まれたものは混合以前の低次のものにとって高次のものになるか、あるいは次に生まれる高次のものにとって低次のものになるかのどちらかになる』

前にも話したように、この聖なる
トリアマジカムノは3つの独立した力で構成されており、それは以下のように呼ばれている。
第一、〈サープ・オテオス〉
第二、〈サープ・スキロス〉
第三、〈サープ・アタノトス〉


客観的宇宙科学は
聖トリアマジカムノの3つの神聖な力をこう呼んでいる。
第一、〈肯定的力〉、あるいは〈推進力〉、あるいは単に〈プラスカ〉、
第二、〈否定的力〉、あるいは〈抵抗力〉、あるいは単に〈マイナスカ〉、
第三、〈融和的力〉、あるいは〈平衡力〉、あるいは〈中和力〉。

わしは主として〈世界創造〉と〈世界維持〉の根源的法則について説明しているのだが、ここでついでに次のことに注意しておくのも面白いだろう。すなわち、
器官クンダバファーの特性の諸結果がまだ彼らの体内で結晶化していなかった頃から、おまえを魅了しているこの惑星の三脳生物たちはすでに聖トリアマジカムノの3つの神聖な力に気づいていて、こう呼んでいた。
第一を〈父なる神〉、
第二を〈子なる神〉、
第三を〈聖霊なる神〉。

そしてその隠された意味を様々な形で表現し、しかも彼ら自身の個人性にこれが良き影響を与えてくれるようにとの願いをこめて、次のように祈っていた。
〈神聖なる喜びと、反抗と、
苦しみの源よ、
われらに汝の力を及ぼしたまえ〉

あるいは、
〈聖なる肯定よ、
聖なる否定よ、
聖なる融和よ、
我が存在のために
われらの中で受肉したまえ〉

あるいは、
〈聖なる神よ、
聖なる堅固なるものよ、
聖なる不死なるものよ、
われらに慈悲を垂れたまえ〉

坊や。この先もよく注意して聞きなさい。
前に言ったように、最初我々の至聖絶対太陽はこの2つの聖なる根源的法則の助けを借りて維持されていた。しかし、次第にこの根源的法則は外部からのいかなる力の助けも借りずに独立して機能するようになり、そしてこのシステムはいまだに単に〈
オートエゴクラット〉と呼ばれていた。
そこで、われらが《すべてを維持する永遠なる主》は、この聖なる根源的法則の両方が機能するシステムの原理を変えることにした。つまり《彼》は、その独立した機能を、外部から来る力に依存させるようにしようと決心したのだ。
というわけで、その時まで至聖絶対太陽の存在を維持していた力を機能させるこの新たなシステムのために、この絶対太陽以外のところにそれにふさわしい源泉が必要になった。つまり、今言ったような力がそこで生起し、そしてそこからこの力が流れ出して至聖絶対太陽の中に流れこむような源泉が必要になったのだ。その結果、我らが《全能の永遠なる主》は、様々な規模のコスモスと、比較的独立した宇宙形成体を含む現存するわれらの
メガロコスモスを創造せざるをえなくなった。そしてこの時以後、絶対太陽の存在を維持するシステムはトロゴオートエゴクラッ卜と呼ばれるようになったのだ。
当時まだ唯一の宇宙凝集体であり、《彼御自身》の最も光輝ある存在の唯一の居住地であったものを維持している原理を変えることに決めた我らの《共通なる父にして普遍の永遠なる主》は、まず最初に2つの聖なる根源的法則の機能するプロセス自体を変えることにし、こうして
聖ヘプタパラパーシノクの法則を大幅に変更した。
この
聖ヘプタパラパーシノクの機能の変更とは次のようなものだ。すなわち《彼》はストッピンダーのうちの3つの中で、その時までストッピンダーの中にあった〈本来的機能〉と呼ばれるものを変更した。つまり、あるストッピンターの中では合法則的な連続性を引きのばし、別のストッピンダーではそれを短くし、また別のストッピンダーではその調和をくずしたのだ。
もっと詳しくいうと、自動的に近くから流れこんでくるありとあらゆる力を受け取る(それはこの機能のために必要なのだが)のに〈必要な固有の性質〉を付与するために、《彼》は三番目と四番目の偏向の間のストッピンダーを引きのばしたのだ。
聖ヘプタパラパーシノクのこのストッピンダーは、今でも〈機械的に合致するムドネル・イン〉と呼ばれているものである。
《彼》が短くしたストッピンダーは、最後の偏向と、
ヘプタパラパーシノクの全プロセスの新たなサイクルの始まりとの間にあるものだ。この短縮は、プロセスの新たなサイクルが始まるのを促すことを目的としたもので、こうすることによって《彼》は、この七番目のストッピンダーの機能が、このストッピンダーを通して外部から流れこんでくる力にのみ依存するように、言いかえるならば、この聖なる根源的法則の全プロセスがその中を流れている宇宙凝集体の活動が生み出すものから得られる力にのみ依存するようあらかじめ定めたのだ。
聖ヘプタパラパーシノクのこのストッピンダーは、今も〈意図的に生み出されたムドネル・イン〉と呼ばれているものである。
先に挙げた〈本来的機能〉が変えられた3つのストッピンダーのうちの最後のもの、すなわち調和がくずされたストッピンダーは、全体の連続性から見れば五番目のもので、これは〈
ハーネル・アオート〉と呼ばれている。そしてそこに生じた不調和は、今話した2つのストッピンダーの変化から自然に帰結したものだ。
この本能的機能の不調和は、
聖ヘプタパラパーシノクの完結したプロセス全体とのいわば不均衡から生じたものであるが、これは具体的にいうと次のようになる。
この聖なる法則の完結プロセスは、このプロセスが進行中に〈外部で生じた振動〉の充満した状態の中を進むならば、その全機能はただ外的な結果を生み出すだけだ。
しかし、もしこの同じプロセスが、〈外部で生じた振動〉の全くない絶対的な静寂の中を進むとすれば、その機能の活動の結果はすべて、そのプロセスがその中で完結する凝集体の中にとどまり、この結果が外部に明らかになるのは、この凝集体と直接に接触した時だけなのだ。
ところが、もしそれが機能している間、今言ったような2つの正反対の状態がどちらもなかったとしたら、このプロセスの活動の結果は、通常、外的なものと内的なものとに分裂する。
そしてこの時点から、聖なる根源的法則
ヘプタパラパーシノクのこれらのストッピンダーが今言ったような形で本来的機能を変化させられた状態のまま、この実現のプロセスは最大のものから最小のものにいたるあらゆる宇宙凝集体において進行し始めるのだ。
坊や。もう一度言っておくから、この2つの聖なる根源的宇宙法則に関するすべてのことを全力を注いで理解してみなさい。というのも、これらの聖なる法則に関する知識、なかでも
聖ヘプタパラパーシノクの特性についての知識は、今後、世界創造と世界存在の二次的、三次的法則を十分理解する上で大いに助けになるからだ。同様に、これらの聖なる法則に関することをすべて知っていると、一般的には次のようなことが生ずる。すなわち、三脳生物は(いかなる外的形態をとっていようと関係なく)自分の力ではどうにもできない状態、つまり個人的に好ましいものも好ましくないものも含めて彼らのまわりに生じるすべての宇宙的要因にとりかこまれた状態の中で、生存の意味を熟考できる力を獲得し、それによって、しばしば起こる〈個人的衝突〉と呼ばれるものを自分たちの中で明瞭に理解し、融和させるためのデータを手に入れるのだ。この〈個人的衝突〉というのは、一般的には、三脳生物の中で、あらゆる宇宙法則のプロセスから生じる具体的な結果と、彼らの〈健全なる論理〉と呼ばれるものによって予測、あるいは極めてはっきり予期された結果との間の不一致から生じるものだ。ともかくそういうわけで、自分自身の存在の本質的意味を正しく認識することによって、彼らはこの汎宇宙的な実現プロセスにおける自分の真の位置を認識できるようになるのだ。
要約すれば、彼らがこの聖なる根源的法則を新しい角度から全面的に理解するならば、三脳生物の体内に聖なる特性を生み出すのに必要なデータが結晶化するようになる。この特性は正常な三脳生物ならみな必ずもっていなくてはならないもので、〈
セモーニラノース〉という名で存在している。おまえのお気に入りたちもこれに似た概念をもっているが、彼らはそれを〈公平無私〉と呼んでいる。
そういうわけでだな、坊や。われらが《共通なる父にして万能の創造主》は、初めに聖なる根源的法則の機能を変えておいてから、これらの法則の働きを至聖絶対太陽から宇宙空間に導き入れ、その結果〈絶対太陽の放射物〉と呼ばれるものが生まれたのだ。それは今では〈
テオマートマロゴス〉あるいは〈言葉なる神〉と呼ばれている。これから説明するいくつかの点をはっきりさせるために、次のことを言っておかなくてはならん。それは、現存する世界の創造プロセスにおいては、われらの《永遠なる主》の神聖なる〈意志力〉は最初の時だけ関与したということだ。
その後の創造は、彼自身の神聖なる意志力とはかかわりなく、この変えられた2つの根源的宇宙法則に従って自らの力で自動的に進んでいった。
その創造のプロセスの進行は次のようなものであった。
聖ヘプタパラパーシノクの五番目のストッピンダーの新たな特性によって、絶対太陽からの放射物は、宇宙空間のある特定の一点で、根源的宇宙物質エテロクリルノに働きかけるようになった。そしてそこから、2つの聖なる根源的法則のもつ以前の特性と新たな特性との合体によって、ある特定の凝集体が形成され始めた。
さらに、これらの要因と、これらの特定の凝集体の中にすでに生じ始めていた
ヘプタパラパーシノクトリアマジカムノの2つの法則(これらは相互に影響を及ぼし合っている)とによりて、そこに存在しなくてはならないすべてのものがこれらの凝集体の中に徐々に結晶化し始め、そして以上のことすべての結果、今我々が〈第二等級の太陽〉と呼んでいる大凝集体が生まれて、現在まで存続している。
新たに生起したこれらの太陽が完全に出現し、それらの中で2つの根源的法則の機能が最終的に定着した時、至聖絶対太陽と同様、これらの太陽の中でも、それ自身が生み出したものが変容し始め、そして放射され始めた。それは至聖絶対太陽からの放射物と一体となって、聖なる法則
トリアマジカムノの汎宇宙的根源的プロセスが実現する要因となった。
これはつまりこういうことだ。この上なく聖なる
テオマートマロゴスは、聖トリアマジカムノの第三の聖なる力として自らを顕現した。そして新たに生まれた第二等級の太陽の中の、ある任意の一つの太陽が生み出したものが第一の聖なる力として働き、そして新たに生まれた第二等級の太陽の中の他のすべての太陽が生み出すものが、前述の一つの太陽との関係において、この聖なる法則の第二の聖なる力として働くのだ。
このようにして宇宙空間の中に成立した汎宇宙的
聖トリアマジカムノのプロセスのおかげで、様々な〈密度〉と呼ばれるものをもつ結晶体が根源物質エテロクリルノから生じて、次第に第二等級の太陽のまわりに形成され始め、これらが新たに生まれた太陽のまわりに集まることによって、新たな凝集体が形成され始め、その結果さらに新たな太陽が生じる。これが第三等級の太陽だ。
これら第三等級の凝集体は、現在惑星と呼ばれている宇宙凝集体にほかならない。
根源的な
聖ヘプタパラパーシノクの第一外周サイクルのプロセスのまさにこの時点で、つまり第三等級の太陽あるいは惑星の形成が終わった時点で、聖ヘプタパラパーシノクの、変更された第五の偏向(これは前にも言ったようにハーネル・アオートと呼ばれている)ゆえに、プロセスを完結するために最初に加えられた勢いはその活力を半分失って、その後の機能においては、その力のわずか半分しか外部へ表われなくなってしまう。残りの半分はそれ自身のために、つまりそれ自身の機能のために使われてしまい、その結果、この最後の大きな形成物、すなわち第三等級の太陽あるいは惑星の上に、〈すでに誕生しているものと似たようなもの〉が生まれ始める。
そしてこれ以後、根源的な
聖ヘプタパラパーシノクの第五ストッピンダーのこの二番目の特性に呼応してこの新たな生成物をとりまいている状況がいたるところで整い、そのためこの後は、聖ヘプタパラパーシノクの最初の外周サイクルは新たな生成物を生み出すのを停止し、その活動はすべて永久にこのサイクルがそれ以前に生み出したものの中でのみ行なわれるようになる。そしてその中で、それ固有の永続的な変容プロセス、すなわち〈進展〉と〈退縮〉と呼ばれるプロセスが進行し始めるのだ。
その後、〈
リツヴルツィ〉、あるいは〈同種のものの集合〉と呼ばれる第二等級の宇宙法則に従って、〈すでに誕生しているものと似たようなもの〉と前に呼んだ〈比較的独立した〉新たな形成物から、別の、これも〈比較的独立した〉形成物がこれらの惑星の上で集合し始めた。
そして
聖ヘプタパラパーシノクに本来具わっている〈進展〉と〈退縮〉のプロセスがあるために、それ固有の本来的な特性をもったあらゆる種類の宇宙物質(客観科学はこれを〈活性元素〉と呼んでいる)が、最大のものから最小のものまで含むあらゆる宇宙凝集体の中で、結晶化したり解体したりし始めた。
そしてこの〈活性元素〉の〈進展〉と〈退縮〉は、相互に食物を供給し合い、互いの存在を養い合うことによって、宇宙に生存しているありとあらゆるものの存在の
トロゴオートエゴクラティック原理を実現させ、そのことによって、前述の汎宇宙的プロセス〈イラニラヌマンジ〉、つまり客観科学が〈汎宇宙的な物質交替〉と呼んでいるプロセスを生み出すのだ。
そういうわけでだな、坊や。
宇宙に生存するあらゆるものの相互扶養というこの新たなシステムのおかげで(このシステムには至聖絶対太陽自身も関わっているのだが)均衡が生まれ、そのため現在では、我らの最も偉大なる至聖絶対太陽が予知できないようなことを無慈悲なヘローパスが引き起こす可能性はもはや完全に消えてしまった。それゆえ、われらが《全能の単一存在である永遠なる主》が《自らの》永遠の居住地の完全性に関して抱かれた神聖なる不安も、完全に消滅してしまったというわけだ
ここで話しておく必要があるが、この最も広範にわたる神聖なる仕事が成就した時、我らが勝ち誇った智天使と熾天使は初めて、新たに生まれたものすべてに名前を与え、それが現在まで残っているのだ。〈比較的独立した凝集体〉全体を彼らは〈コスモス〉という言葉で表し、そしてこれらの〈諸コスモス〉の誕生の順序を区別するために、この〈コスモス〉という名称に、それ相応の名称をつけ加えた。
すなわち彼らは、至聖根源的絶対太陽そのものを〈
プロトコスモス〉と名づけた。
そして、新たに生まれた〈第二等級の太陽〉と、それから派生したものを全部ひっくるめて〈
デフテロコスモス〉と呼んだ。
次に、〈第三等級の太陽〉、すなわち我々が現在〈惑星〉と呼んでいるものを〈
トリトコスモス〉と呼んだ。
そして、これらの惑星上の最小の〈比較的独立した形成体〉を(これは
聖ヘプタパラパーシノクの第五ストッピンダーの新たな特性によって生まれ、また全体の相似物としては最小のものだが)彼らは〈ミクロコスモス〉と呼んだ。そして最後に、この〈ミクロコスモス〉の形成物であり、〈類似物の相互誘引〉と呼ばれる第二等級の宇宙法則によって凝集した惑星上の凝集体を〈テタートコスモス〉と名付けたのだ。
そして、現存する我々の世界を構成するこれらすべてのコスモスは、〈
メガロコスモス〉と呼ばれるようになった。
同時に我らが智天使は、様々な規模のコスモスから発する放射物や放射線にも名前をつけたが、これも現在まで残っている。最も偉大なる宇宙的
トロゴオートエゴクラットのプロセスはこの放射物を通して進展するのだ。
⑴至聖絶対太陽からの放射物は、前にも言ったように、〈
テオマートマロゴス〉、あるいは〈言葉なる神〉と呼ばれた。
⑵第二等級の各太陽からの放射物は〈
メンテキトゾイン〉と呼ばれ、
⑶各惑星からの放射物は〈
ダイナマウムゾイン〉と呼ばれ、
ミクロコスモスから放射されるものは〈フォトインゾイン〉と呼ばれ、
⑸〈
テタートコスモス〉から発する放射物は〈ハンブレッドゾイン〉と呼ばれ、
⑹任意の太陽系の全惑星の放射物は〈
アストロルオルシゾイン〉と呼ばれ、
⑺〈新たに生まれた第二等級の太陽〉全体からの放射物は〈
ポロロテオパール〉と呼ばれた。
そして、大きいものも小さいものもひっくるめて、あらゆる宇宙的源泉から発するもの全部を彼らは〈
汎宇宙的アンサンバルイアザール〉と呼んだのである。
面白いことに、現在の客観科学もこの〈
汎宇宙的アンサンバルイアザール〉を定義しているが、それは、〈あらゆるものから発し、再びあらゆるものへと入っていくすべてのもの〉というものだ。
それから、これらの根源的な聖なる法則の進展的、退縮的プロセスによって、無数のコスモスのそれぞれの中に誕生した〈一時的に独立した結晶物〉と彼らが呼んでいるものにも、すべて別々の名称が与えられた。
これら多くのコスモスの中で結晶化した膨大な数の〈重心〉をわしはいちいち列挙しようとは思わない。そのかわりにただ、各々のコスモスの中で結晶化したもので、しかもこれからのわしの説明に直接関係するいくつかの特定の〈重心的役割を果たす活性元素〉、すなわち
テタートコスモスの中で結晶化したもので、〈一時的に独立した重心〉をもつものだけを挙げておこう。テタートコスモスの中の、それぞれ独立して誕生したものには次のような名称が与えられた。
⑴プロトエハリー
⑵デフテロエハリー
⑶トリトエハリー
⑷テタートエハリー
⑸ピアンジョエハリー
⑹エキシオエハリー
⑺リザルザリオン


さてそこで、坊や。以上のことを説明しておけば、もとの問題、つまり、なぜ、またいかにして、〈高次存在体〉が、あるいはおまえのお気に入りたちが魂と呼ぶものが我らの宇宙に誕生したのか、そしてなぜ我らの《単一存在にして普遍なる父》はその神聖なる注意をとりわけこの宇宙生成物に向けたのか?という問題に戻ってもいいだろう。
要点はこうだ。様々な規模をもつすべてのコスモスの中で〈汎宇宙的調和均衝〉が秩序正しく作り出され、そしてこれが定着すると、各
テタートコスモスの中に、すなわち惑星の表面に(これらの惑星の表面の状況は、これらテタートコスモスに内在するあるデータと偶然にも呼応するようになり、そのためテタートコスモスは一定期間、〈セクルアーノ〉と呼ばれるものなしで、つまり持続的な〈個々の緊張〉を伴わないで存在できるようになったのだが)誕生した〈ミクロコスモスの・集合から・成る・比較的・独立した・形成物〉の中に、その惑星の表面上を独立して自動的に移動する可能性が生まれたのだ。
さてそこで、われらが《共通の父なる永遠の主》が、各
テタートコスモスが自動的に移動するのを確認した時、初めて《彼》の中に、世界拡大を執行する際の助けとしてこれを利用しようという神聖なる考えが生まれたのだ。
この時から《彼》は、これらのコスモスのために、〈
オクルアルノ〉と呼ばれる不可避的なもの(つまり聖ヘプタパラパーシノクの完結プロセスの定期的な反復)が達成されるようにあらゆる準備を整え始めた。ただしこれは、いくつかのテタートコスモスの身体の機能がある種の変化を遂げているという条件の下で、汎宇宙的な新しい物質交替のために変容されねばならない結晶体に加えて、活性元素、すなわち、〈独自の理性〉を獲得するというそれ本来の可能性を帯びた新たな独立した形成物をテタートコスモス自身の中で生み出す活性元素をも、変容して結晶化するという形で達成されなくてはならない。
この考えがちょうどその時我らの《永遠なる主》の中に初めて浮かんだということは、聖歌の言葉の中にも見てとることができる。現在あらゆる儀式で使われるこの聖歌で、我らの智天使と熾天使は、我らの《永遠なる主》の驚嘆すべき御業を誉め讃えている。
これがいかにして実現されたかをさらに述べる前に、次のことを話しておかなくてはなるまい。前に話した汎宇宙的
イラニラヌマンジの機能は次のようにして調和をとっている。つまり、様々なコスモスの中での変容から生じた結果はすべて、〈振動の質の等級〉と呼ばれるものに従ってそれ相応の位置に集まり、そしてこれらの集合体は宇宙のあらゆるところを動きまわって、惑星形成物や惑星上形成物の中のそれに呼応する部分に入りこみ、そしてそれが自由に凝集するための一時的な場所として、大気圏と呼ばれるものをもつようになる。われらのメガロコスモスの全惑星はこの大気圏に取り囲まれていて、またこれらの集合体は、汎宇宙的イラニラヌマンジを維持するためにこの大気圏の中で接触し合うのだ。
そういうわけで、この
テタートコスモスに関する神聖なる配慮の結果は次のようなことになった。すなわち、これらのテタートコスモスが最も偉大なる宇宙的トロゴオートエゴクラットの器官として働いている間、テタートコスモスを通して変容した宇宙物質、つまりこの上なく偉大なる汎宇宙的聖トロゴオートエゴクラットの必要を満たすためのものであると同時に、テタートコスモスが生存する過程で消費する物質を補給するためのものでもある宇宙物質が(その組成は、これらのテタートコスモスが誕生した惑星そのものの変容から生まれる宇宙結晶体だけで成り立っているのであるが)今述べた大気圏が有する条件のおかげで、高次の宇宙的源泉から生じてくるものに似た、したがって当然、いわゆる〈より大きな活性度をもつ〉振動から構成されている生成物をテタートコスモスの存在内に生み出す可能性が生じたのだ。
さて、こうして生み出された宇宙生成物から、全く同じ形状のものがこれら
テタートコスモスの存在内に形成され始めたが、この形成はまず最初に宇宙物質メンテキトゾインから、すなわち太陽と、その太陽系、つまりそれらのテタートコスモスが誕生した太陽系の中の惑星とによって変容し、そして前述の太陽とか惑星といった宇宙凝集体の放射物を通してすべての惑星に到達する宇宙物質から始まった。
このようにして、あるいくつかの
テタートコスモスの生存体は、もともとは、全く異なった2つの宇宙的源泉から生じた2つの独立した形成物によって構成され始め、そして、ちょうど一方が他方の中に内包されるような具合に、共存するようになった。
それでだな、坊や。以前に形成されたいくつかの
テタートコスモスと同じ形状のものが完全に形成され、それにふさわしい機能を持ち始めると、その時からこれらはテタートコスモスとは呼ばれなくなり、かわりに〈生物〉と呼ばれるようになった。それは当時は〈二つの性質をもつ〉という意味であった。そしてこの第二次の形成から生まれたものだけが〈ケスジャン体〉と呼ばれるようになったのだ。
さて、この〈二つの性質をもつ形成体〉の新たにできた部分の中で、本来これに付随すべきものがすべて形成され、またこの種の宇宙生成物が当然もっているべき全機能が最終的に作動し始めると、これらの新たな形成体は、ここでも第一次の形成の場合と全く同じ基盤の上で、また同時にその機能がある種の変化を受けた状態で、この上なく聖なる
テオマートマロゴスから直接生まれた宇宙物質を自らの中に取り込み、同化吸収し始めた。そして第三種の類似の体が彼らの中で形成され始めるのだが、これが生物の〈高次の聖なる部分〉であり、現在我々はこれを〈高次存在体〉と呼んでおる。
さらに進んで、彼らの〈高次存在体〉が最終的に形成され、それに付随する機能もすべて獲得され、そして、これが大事な点だが、〈客観理性〉と呼ばれる聖なる機能が生じるためのデータが彼らの中で結晶可能となった時、このデータはまさにこの宇宙生成物の中でだけ結晶化できるようになり、そして
ラスコーアルノ(死)と呼ばれるものがこれらの〈テタートコスモス〉あるいは〈生物〉に起こった時、すなわちこれら多種多様な性質をもった〈三位一体〉の形成物がお互いから切り離された時、まさにこの時に、この〈高次存在部分〉は、現存するすべてのものの源泉中の源泉、すなわち至聖絶対太陽と合体する可能性を得て、我らが《すべてを包含する永遠なる主》が望んでおられる目的を達成しはじめるのだ
さてここで、この最初の聖なる
ラスコーアルノがどのような経緯でこれら最初のテタートコスモスに起こったのか、また現在〈三脳生物〉と呼ばれているものたちにどんなふうに起こるのかをもっと詳しく話さねばなるまい。
まず惑星の上で、〈第二存在体〉すなわち
ケスジャン体が、〈第三存在体〉と共に〈すべての基本となる惑星体〉から離脱し、この惑星体を惑星上に置き去りにして、一緒になって、宇宙物質が(この物質の集合体からケスジャン体は生まれるのだが)凝集している圏へと上昇していく。そしてそこで初めて、一定の時間の後、最も重要かつ最後の聖なるラスコーアルノがこの2つの性質をもつ生成物に起こり、その後〈高次存在部分〉は、本当にそれ自身の独立した理性を具えた一個の独立した個体となるのだ。これ以前、すなわちチョート・ゴッド・リタニカル期以前には、この聖なる宇宙形成体は、聖ラスコーアルノのこの第二プロセスが完結した後に初めて、われらの至聖絶対太陽の存在体と融合するにふさわしいと考えられるか、もしくは、このような独立した聖なる個人を必要としている他の宇宙凝集体へ行くかのどちらかであった。
そして、聖なる
ラスコーアルノの最終プロセスが近づいてきた時に、もしこれらの宇宙生成物が、理性の聖なる尺度の上で必要とされる段階にまで達していなかったならば、この高次存在部分は、その理性を要求されている段階に高めるまでこの圏内にとどまらなくてはならなかったのだ。
ここで次のことを話さずに先に進むことはできないだろう。それは、天が予知できなかった様々な新しい宇宙プロセスの結果、すでに生まれてはいるがいまだに必要とされる段階にまで理性を高めていない高次存在部分が抱くに至った客観的な恐怖のことだ。
要点はこうだ。第二等級の種々の宇宙法則によれば、〈
ケスジャン体〉はこの圏内にあまり長くは存在できず、一定の時間が経つと、存在のこの第二の部分は、その中に存在する高次存在部分が必要とされる理性の段階にこの時までに達しているかいないかに関係なく、解体せざるをえない。しかもこの高次存在部分は、理性を必要な段階にまで高めないかぎり、常に何らかのケスジャン的生成物に依存せざるをえないという事実があるために、次のようなことが起こる。すなわち、第二の聖ラスコーアルノの直後に、今言ったような、いまだに完成の域に達していない高次存在体は、〈テクゲクドネル〉、あるいは〈自分自身にふさわしい二つの性質をもつ、自己と類似した生成物の探求〉と呼ばれる状態に入り、その結果、この2つの性質をもつ別の生成物の高次存在部分が、必要とされる段階にまで理性を高め、そして聖ラスコーアルノの最後のプロセスが起こって、しかもその中のケスジャン体の急速な解体がまだはっきりと感じられない間に、この高次存在体はすばやく他のケスジャン体に入りこみ、さらなる完成に向かってその中で生存を続けるかもしれない。そして生起したすべての高次存在体は遅かれ早かれ必然的にこの完成に至らなくてはならないのだ。
以上のような理由で、最初の
聖ラスコーアルノの後に高次存在体が入っていく圏内では、〈魂の外的部分のオキブクハレヴニアン交換〉、あるいは〈以前のケスジャン体の交換〉と呼ばれるプロセスが進行する。
ここで次のことを話しておいてもいいだろう。すなわち、おまえのお気に入りたちも、この〈
オキブクハレヴニアン交換〉に関してはいわば同様の概念をもっていて、それに対して非常に気の利いた言葉を発明している。それは〈霊魂の再生〉または〈輪廻〉というものだ。近年この問題に関して生み出されて広く知られるようになった学問の一分野も徐々に変化し、現在では、小さなものとはいえ、彼らにとっては有害な要素の一つになっている。こういった有害な諸要素が一団となって、それでなくても十分に奇妙な彼らの理性を、さらにいっそう、我らが親愛なるムラー・ナスレッディンならば〈シュールームールームニアン〉と呼ぶようなものに徐々に近づけているのだ。
彼らの〈学問〉のこの空想的な分野、つまり現在心霊学と呼ばれている分野の理論によれば、彼らは、一人一人がこの高次存在体、つまり彼ら流にいえば魂をすでにもっており、しかもこの魂は常に輪廻を続けている、すなわち、今わしが話した〈オキブクハレヴニアン交換〉と同様のことがいつも起こっていると考えているようだ
当然のことだが、もしこの哀れなやつらが次のこと、すなわちこの高次存在体は(もしこれが、非常に稀にではあるが彼らの内に実際生まれたとすればの話だが)最初のラスコーアルノの後、あるいは彼ら流にいえばその生物の死後、〈テニクドア〉、あるいは〈重力の法則〉と呼ばれる第二等級の宇宙法則に従って彼らの惑星の表面から直ちに上昇するということを知っていさえすれば、それにまた、魂をもっていると空想しているがために彼らの中で生じるかに見える種々の現象に対して、彼らの〈学問〉のこの分野が与える説明や証明は、彼らの無為な幻想の所産にすぎないことを理解しさえすれば、彼らはこの学問が述べていることはすべて、ムラー・ナスレッディンのいう〈駄弁〉にほかならないことをすぐに認識するだろう
さて、初めの2つの低次存在体、つまり惑星体と
ケスジャン体についてもう少し話しておこう。最初の聖なるラスコーアルノの後、ミクロコスモスから、つまりこの惑星上で変容した結晶体から成るこの惑星体は、この惑星上で〈再トーノトルトーア〉と呼ばれる第二等級の宇宙法則に従って徐々に解体・崩壊し、それを生み出した母体である原初の物質に還っていく。
第二存在体、つまり
トリトコスモスの他の凝集体やある太陽系の太陽それ自体の放射物から形成されているケスジャン体は、第二の聖ラスコーアルノのプロセスの後、今言った圏内に進入するが、これも次第に解体し、これを構成している結晶体はバラバラになって、これを生み出した原初の圏の中に還っていく。
しかしながら、
聖テオマートマロゴスから直接この太陽系、つまりその圏内で生物が誕生し、生存する太陽系に入ってきた結晶体で形成されている高次存在体は、決して解体することはない。しかしながらこの〈高次の部分〉は、要求されている理性の段階にまで自己を高めないかぎり、その太陽系内にとどまらなければならない。ここでいう理性とは、〈イランキペーク〉と呼ばれる同種の宇宙形成物、すなわちケスジャン的生成物から独立して存在できると同時に、宇宙における外的な要因から生じるいわゆる〈苦痛を伴う〉影響力にも全く従属していない、前述のこの上なく聖なる物質を材料とする形成物を生み出す理性のことなのだ。
というわけでだな、坊や。前にも話したが、これらの宇宙生成物が、聖なる理性の尺度において必要とされる段階にまで理性を高めると、彼らはまず、我らが《永遠なる創造主》があらかじめ定めた役割を遂行するために絶対太陽に連れていかれるのだ。ここで次のことを話しておく必要がある。個人性の段階の決定に関して、我々の智天使と熾天使は、まず最初に、今でも存続している聖なる〈理性の決定者〉を設定し、これを使って理性の段階、もっと正確にいえば、大小含めたあらゆる宇宙凝集体の〈自覚の総体〉を決定した。そしてこれによって、理性の段階を測るだけでなく、〈彼らの・存在の・意味と・目的を・正当化する・位階〉と呼ばれるもの、またさらには、われらの偉大なる大宇宙に存在するすべてのものとの関連における各個人の役割までもが決定されるのだ。
この〈純粋理性〉の聖なる決定者とは、実は一種のものさしで、つまり均等な部分に分割された一本の線なのだ。この線の一方の端はいかなる理性も全く存在しない絶対的な〈固定的静寂〉とされており、他方の端には、絶対的理性、すなわちわれらの《無比なる永遠の創造主》の理性が置かれている。
ここでおまえに、あらゆる三脳生物の体内に存在している、理性を発現させる種々の源泉について話しておいてもいいだろう。
どこで誕生し、またいかなる外形をとっていようと、一般的にすべての三脳生物の中では、三種類の互いに独立した思考活動をするためのデータが結晶化できる。そしてこの活動が生み出す結果の総体が彼の理性の段階を表すのだ。
これら三種の理性を生み出すデータは、どれだけの高次存在部分が彼らの中で(〈
パートクドルグ義務〉を通して)形成され、完成されたかに従って彼らの体内に結晶化し、そして彼らの存在全体を構成するのだ。
第一種、すなわち最高次の存在理性は〈純粋な〉、あるいは客観的な理性で、これは高次存在体をもつ存在にのみ、すなわち、その中でこの高次の部分がすでに生まれ、しかも完成の域にまで達した三脳生物の身体にのみふさわしいものなのだ。そしてその時初めて、これは生物の存在全体の中の〈個々の・機能を・引き起こす・重心〉と呼ばれるものになるのだ。
第二種の存在理性は(これは〈
オキアータアイトクサ〉と名づけられているが)第二存在体であるケスジャン体が完全に形成され、それが独立して機能している三脳生物の体内に生じる。
第三種の存在理性は、あらゆる生物の体内はもとより、すべての惑星上形成物の体内においても進行する自動的機能の働き以外の何ものでもない。つまりこれは、外部から絶えまなく入ってくるショックが、それ以前に偶然受けた印象によって結晶化したデータを習慣的に剌激して引き起こす反応なのだ。
さて坊や。当時彼らの高次の部分が、最初の
テタートコスモスの存在体の中のみならず、後に〈生物〉と名付けられるものの体内においても、いかにして形成され完成されたかについてもっと詳しく話す前に、次のことについてもう少し話しておかねばなるまい。我々カラタス星に生まれた生物も、地球と呼ばれる惑星に誕生した生物も共に、テタートコスモスから直接に変容して生まれた初期の生物がそうであったような〈ポローメデクティック〉生物ではもはやない。つまり我々はもはや、ポローメデクティックと呼ばれている、あるいは今でも〈モノエニティック〉と呼ばれている生物ではなく、〈ケスチャプマルトニアン〉と呼ばれる、ほとんど半生物のような生物なのだ。そのため現時点では、聖ヘプタパラパーシノクの完結プロセスは、我々の中、あるいはおまえのお気に入りの地球の三脳生物たちの中では、以前と全く同じようには進展しない。そして我々がケスチャプマルトニアン生物である理由は、聖ヘプタパラパーシノクの最後の基本的ストッピンダーが(これは現在、メガロコスモスのほとんどの生物が聖〈アシャギプロトエハリー〉と呼んでいるものだが)メガロコスモスの大多数の惑星とは違って、我々の誕生した惑星の中心にではなく、そのまわりを回る諸衛星のそれぞれの中心にあるからだ。我々の惑星カラタスの衛星は、我々の太陽系の〈プルノクパイオク〉と呼ばれている小惑星であり、地球の衛星は、以前それから分離した、今では月とアヌリオスと呼ばれている2つの惑星だ。
以上のようなことがあるために、種の存続のための
聖ヘプタパラパーシノクの完結プロセスは、以前テタートコスモスにおいてそうであったのとは違って、一つの生物を通してではなく、違った性をもつ2つの生物を通して進行するようになった。我々はこの2つを〈アクタヴス〉と〈パッサヴス〉と呼び、惑星地球では〈男〉と〈女〉と呼ばれている。
それどころか、われらの偉大なる
メガロコスモスには、三脳生物の種の存続のために、聖なる法則ヘプタパラパーシノクのプロセスが3つの独立した個人を通して進行する惑星さえある。おまえもこの珍しい惑星についていくらか詳しく知っておいてもいいだろう。
この惑星は〈
プロトコスモス〉系に属するモディクテオと呼ばれている惑星だ。
この惑星に誕生した生物は、われらの偉大なる
メガロコスモ
の全惑星に誕生した生物と同様三脳で、また外観も我々と大体似ている。それに彼らは、我々の大宇宙の無数の外的形態をもつすべての三脳生物のうちでも、最も理想的かつ完全であり、他の生物たちもそう考えている。現存するすべての天使、大天使、それにわれらの《共通なる父である永遠なる主》に最も近い聖なる個人の大半は、他ならぬこの素晴らしい惑星で誕生しているのだ。
汎宇宙的トロゴオートエゴクラティック・プロセスに必要とされる宇宙物質の変容は、この惑星上でも、我々の身体や、おまえのお気に入りの地球上に生息する三脳生物の体内で起こるのと全く同じ原理に基づいて、つまり聖なる法則ヘプタパラパーシノクに従って起こる。しかし唯一違う点は、彼らの種の存続のために、この聖なる法則は三種の生物を通してこのプロセスを完遂するという点だ。そのためこの生物は〈トリアクルコムニアン〉と呼ばれるようになった。そして、ちょうど我々の間では別々の性の生物がアクタヴスパッサヴスと呼ばれ、おまえのお気に入りの惑星では男と女と呼ばれているように、この惑星モディクテオでは、別々の性の生物はそれぞれ〈マルトナ〉〈スピルナ〉〈オキナ〉と呼ばれている。外見上は彼らはみな同じだが、内部の構造からいえば非常に異なっている。
彼らの種の存続のプロセスは次のように進行する。
別々の性をもつこの3つの生物は、ある特殊な行為を通して〈
聖エルモーアルノ〉、あるいはおまえのお気に入りたちが〈受胎〉と呼んでいるものを同時に成し遂げ、ある一定期間、この聖エルモーアルノ、あるいは〈受胎〉の状態で、互いに離れて全く別々に存在する。しかしその間も、個々の生物は極めて明確な知覚力をもち、また意識的に行動しながら存在するのだ。
その後、受胎の結果が現われる時、つまりおまえのお気に入りたち流にいえば、誕生の時が近づくと、この3つの珍しい生物すべてに、互いに対する
〈アクロノアティスティチアン〉欲求と呼ばれるものが顕著になる。つまりおまえのお気に入りたちの言葉を使えば、〈肉体的、有機的誘引〉なるものが現われてくる。そしてこの現われ、つまり誕生の時が近づくにつれて、彼らはますます近く寄りそい、そしてついには、ほとんど一体になってしまう。このようにして、一種独特の方法で全く同時に彼らは出産を実現させるのだ。
つまり、このようにして出産を実現させる間に、前もって受胎したこれら3つのものは互いに融合し合うわけで、こんなふうにして我々の
メガロコスモスに、このような珍しい構造をもつ新たな三脳生物が出現するのだ。
この種の三脳生物は我々の
メガロコスモスでは理想的だ。なぜかというと、彼らは誕生のそもそもの初めからすべての体を具えているからだ。
彼らが今話した3つの体を全部具えて生まれてくるのは、これを生み出すもの、すなわち
マルトナスピルナオキナが、この3つの体のうちの一つをそれぞれ別々に受胎するからで、彼らはその特別な相関関係をもった生存様式によって、聖ヘプタパラパーシノクが彼らの中にそれぞれの体を完成させるのを助け、そしてその後の出現の時に、他の体と融合して一体となるのだ。
ところでだな、坊や。この比類なく素晴らしい惑星に誕生した生物は、我々の
メガロコスモスの他の普通の惑星に誕生する三脳生物と違って、高次存在体を形成する際、我らの《創造主》がそれを完成するための手段として作り出した要素、すなわち現在我々が〈意識的努力〉と〈意図的苦悩〉と呼んでいる要素の助けを借りる必要が全くないのだ。
さて、これから、生物全般において宇宙物質が変容するプロセスをもっと詳しく説明するために、おまえのお気に入りたちの身体を例に取り上げてみることにしよう。
我々や、おまえのお気に入りたちの身体の中で種の存続のために起こる物質変容のプロセスは、生物へと変容した最初の
テタートコスモスの中で進行するのと全く同様に進行するわけではないが、それでもやはりこれを例として取り上げることにしよう。なぜかというと、最も偉大なる汎宇宙的トロゴオートエゴクラットが必要としている宇宙物質の変容プロセス自体は、地球の三脳生物の身体の中でも、最初のテタートコスモスの中でと全く同様に進行するからだ。それに、これを例にとれば、おまえは同時に彼らの精神の奇妙な特性に関する詳細な知識を得られようし、また彼らが自分たちの義務をどう考えているか、つまり、自分たちの腹に至福を与えるために、合法則的な、しかも未来を見越して全メガロコスモスの幸福のために創造されたものをすべてぶち壊しているその彼らが、汎宇宙的なイラニラヌマンジのプロセスに仕えるという意味での義務を一般的にどのように理解し、考えているのかについても、知ることができるだろう。
宇宙物質の変容に関するこれらの特性(これがあるために、現在では別種の生物は別々に種を存続させているのだが)に関しては、今のところ次のことだけ言っておこう。つまり、それを生み出す原因は、聖なる
アシャギプロトエハリーが、すなわち汎宇宙的アンサンバルイアザールの中の最後のストッピンダーが生み出す宇宙物質が、どこに集中するかによって異なるということだ。
坊や。繰り返し言っておくがな。
おまえのお気に入りたちは、現在の者たちも含めてみな、我々や、メガロコスモスの他のすべての三脳生物と同様、偉大なる宇宙的トロゴオートエゴクラットの器官なのだ。その点では以前のテタートコスモスも同じで、また現在宇宙のいたるところに存在している生物と同様、今地球に存在している生物の最初の祖先もこれらのテタートコスモスから生まれたのだ。そしてこの地球の三脳生物の個々の個体を通して、聖ヘプタパラパーシノクの7つのストッピンダーすべてに生じた宇宙物質は変容することができ、また彼らはみな、現在の者たちも含めて、最も偉大なる宇宙的トロゴオートエゴクラットの器官としての働きとは別に、彼らを通して変容した宇宙物質から、彼らの体内で2つの高次存在体を形成し、完成させるのに適したあるものを吸収する能力をもつことができる。なぜかというと、この惑星に生まれた三脳生物はみな、我々の宇宙全体に住むすべての三脳生物同様、自らの中に、全メガロコスモスとの完全なる類似性を有しているからだ。
我々の
大メガロコスモスと彼らとの違いはただ大きさだけなのだ
ここでおまえは、現代のおまえのお気に入りたちがどこからか取ってきて、実にしばしば使っている概念について知っておかなくてはならんが、わし自身、彼らがこれを本能的にか、感情的にか、あるいは機械的に取り扱っているのか知らないのだ。しかしともかく、彼らはこの概念をこのように表現しておる。
いわく、『我々は神の似姿である』
この哀れな生物は、宇宙の真理に関して彼らが知っているすべてのことの中で、この表現が唯一の真実のものであるということに全く気づいておらん。
たしかに彼ら一人一人は神の似姿だ。ただしその神は、彼らの萎縮した視覚能力が生み出したあの〈神〉ではなくて真の神であり、我々は今でも時々その言葉で我々の共通なる
メガロコスモスを指すことがある
彼らはみな、最も細かい部分に至るまで、もちろん縮小した形でだが、われらの
メガロコスモスと完全に相似しておる。そして彼ら一人一人の中にはあらゆる機能が具わっており、そしてそれらが、宇宙的に調和したイラニラヌマンジ、つまり〈物質交替〉をメガロコスモスの中で実現させ、結果として一個の全一体としてのメガロコスモスの中に存在するあらゆるものを養っているのだ。
彼らの『我々は神の似姿である』という表現は、いわゆる〈知覚可能な論理〉、あるいは今でも時々〈
エイムノフニアン思考活動〉と呼ばれているものが、彼らの中ですでにどの程度歪められているかをさらに説明する上で格好の材料になる。
真理に合致しているこの表現は、たしかに彼らの間に存在してはいるのだが、その正確な意味についての思慮となると(これは短い言葉で表わされた定式全般についていえることだが)この表現から彼らが内的に視覚化し、本質的に理解していることを全存在をかけて積極的かつ真剣に述べたいといかに望んだとしても、その奇妙な近視眼的頭脳ゆえに、次のようなことを言うのが精一杯なのだ。
『よろしい……もし我々が〈神の似姿〉であるとしたら……それはその……つまり……〈神〉は我々のようで、我々とよく似た姿かたちをしておられるということである。……それから、我々の〈神〉は、我々と同じ鼻髭、口髭、鼻をもっておられ、服装も我々と同じである。彼は間違いなく我々と同じ服装をしておられる。なぜかというと、彼は我々と同じく慎み深さを好まれるからだ。彼がアダムとイヴを楽園から追放なさったのも故なしとしない。なぜならば、彼らは慎み深さを失い、服で自分をおおい始めたからである』

特に近年になると、この生物のある者たちの間では、この
エイムノフニアン思考活動、あるいは知覚可能な論理はひどく歪んでしまい、彼らの〈神〉を視覚化する場合でも、彼の有名な髭をとかしつけるくしがベストの左ポケットから覗いているといった具合なのだ。
彼らの〈神〉に関するこういったとてつもなく奇妙な
エイムノフニアン思考活動は、主としてあの〈学識ある〉者たち、つまり、覚えておるだろう、前に話した、バビロンの町に集まって集団で〈神〉に関するろくでもない戯言をあれこれ作り出したあの連中の、ハスナムス的表現から発しておるのだ。彼らの戯言は、後になると偶然この不運な惑星全体に広まっていった。それにまた、この時期は、三脳生物に固有の努力という意味において、この三脳生物たちがとりわけ〈セルゼルヌアルノ〉に、すなわち特別〈受動的に〉生存し始めた時期と偶然一致しており、そのため彼らは、この有害極まりない作りごとを完全に受け入れ、すっかり自分のものとしてしまったのだ。
そしてその後、この作りごとが遺産として代々伝承されていくうちに、次第に何とも化け物じみた〈
ロジックネスタリアン物質〉へと結晶化し始め、その結果、このように異常に歪められたエイムノフニアン思考活動が作動するようになったのだ。
彼らが〈神〉は長い髭をはやしていると思い描くのは、例のバビロンの〈知識人たち〉の有害な創案の一つに、彼らの神はいわば大きな髭をたくわえた高齢の老人のようである、というのがあったからだ。
しかしこの〈神〉の容貌に関しては、おまえのお気に入りたちはもっと極端までいった。つまり彼らは、彼らの名高い〈神〉を〈老いたユダヤ人〉そっくりにしてしまったのだ。それというのも、彼らの萎縮した頭脳では、聖なる人物はみなこの人種から生まれるとしか考えられなかったからだ。
それはともかくとしてだな、ハセイン。おまえのお気に入りたちは、一人一人みな、その全存在において、あらゆる点でわれらの
メガロコスモスと全く相似している。
前に一度話したが、彼らの頭の中には、我々と同様に、それにふさわしい宇宙物質の凝集体が備えつけられており、その機能は、我らのこの上なく聖なる
プロトコスモスメガロコスモス全体のために果たしている機能や目的と完全に一致している。
彼らの頭の中に備えつけられたこの凝集体を彼らは〈頭脳〉と呼んでいる。そしてこの凝集体の中の〈
オカニアキ〉あるいは〈原形質体〉と呼ばれるもの、つまり地球の知識人たちが〈脳細胞〉と呼んでいるものの一つ一つは、彼ら一人一人の全存在のために、我らの大宇宙のいたるところにいる三脳生物、つまりすでに至聖絶対太陽、あるいはプロトコスモスと結合している三脳生物が有する〈高次完成体〉が現在果たしているのと同じ目的を果たしているのだ。
その存在にふさわしい客観理性の段階に達している三脳生物の高次の部分が
プロトコスモスに到達すると、それらはオカニアキ、あるいは〈脳細胞〉の機能を正確に果たすようになる。前にも言ったように、この機能があるゆえに、われらの《単一存在にして共通の父である永遠なる主》は、現存する世界の創造に際して、将来世界を拡大する指揮をとる《彼》の助力者として、テタートコスモスの中に独立した個人性を獲得したこれら高次存在を使うことを、有り難くもお決めくださったのだ。
さらに、彼らの〈脊柱〉と呼ばれるものの中には、〈脊髄〉と呼ばれる別の凝集体が置かれている。その中には否定の源泉と呼ばれる当のものがあって、それは、頭脳との関連における機能においては、
メガロコスモスの〈第二等級の新たに生まれた太陽〉がこの上なく聖なるプロトコスモスとの関連において果たすのと同様の機能を果たしている。
ここでしっかり把握しておかなくてはならんが、以前地球では、おまえのお気に入りたちはこの脊髄という部分の特殊な機能に関してあることを知っており、そればかりか、脊髄の適切な部分に働きかける種々の〈機械的手段〉を用いてさえいた。ところが時が経つうちに、彼ちのいう〈精神状態〉にある種の不調和が生じ、この種の知識に関する情報は徐々に〈蒸発〉していった。そのため現代のおまえのお気に入りたちは、この脊髄の中に何らかの特殊な凝集体があることは知っているが、いかなる機能のために大自然がこれを生み出したかについては、むろん何一つ知ってはいない。それで多くの場合彼らは、これらを単に脊髄の〈脳結節〉と呼んでいる。
というわけで、この上なく聖なる
プロトコスモスが表わす様々な種類の肯定に対して、個々の〈第二等級の太陽〉が様々な種類の否定の源泉になっているのと全く同様に、脊髄の個々の脳結節は、脳が表わす様々な種類の肯定に対して、否定の源泉となっているのだ。そして最後に、メガロコスモスにおけると同様、この上なく聖なるプロトコスモスの〈肯定〉と、新たに創造された〈太陽〉の様々な種類の〈否定〉とから生じた根源的プロセスである聖ヘプタパラバーシノクの流れから得られたすべての結果が、それ以後、すでに存在するもの、新たに誕生するものを含めたすべてのものの〈調和原理〉として働き始めた。だから彼らの中にも、脳の肯定と脊髄の様々な種類の否定とから得られたすべての結果が凝集するにふさわしい場所がある。これらの諸結果は、後になると、彼ら一人一人の全存在の機能の調節原理、あるいは調和原理として働くようになるのだ。
地球の三脳生物の体内で調節原理、あるいは調和原理として働くこの凝集体の据えられた位置については、次のことに留意しなくてはならん。おまえを魅了しているこの惑星地球の三脳生物たちも、初めのうちは、我々と同様、この第三の凝集体を、一つの独立した脳という形で、彼らが〈胸〉と呼んでいる部分に所有しておった。
しかし彼らの通常の生存プロセスが極めて急激に悪化し始めた頃から、
汎宇宙的トロゴオートエゴクラティック・プロセスから生じる諸原因によって、自然は、彼らの脳の機能自体は損なわないまま、この脳の位置を変更することを余儀なくされた。
すなわち自然は、それまで一箇所に位置していたこの器官を、徐々に細分化して身体全体に分散させたのだが、その主要な部分は〈みぞおち〉と呼ばれる位置に残した。この部位にある小さな器官の統合体を、彼らは現在〈太陽叢〉、あるいは〈交感神経系結節複合体〉と呼んでいる。
そして現時点では、身体全体に分散されたこれらの神経結節の中に、脳と脊髄からそれぞれ発した肯定と否定の表現活動から得られた結果がすべて蓄積されており、そしてこれらの結果は、身体全体に散らばった〈神経結節〉の中に固着し、後には、脳と脊髄の間の〈肯定と否定〉のさらに進んだプロセスにおける中和原理となるが、それはちょうど、
プロトコスモスの肯定と、新たに誕生したすべての太陽の様々な種類の否定のプロセスにおいて、メガロコスモスで誕生するあらゆるものの総体が中和的力になるのと全く同様である。
というわけで、地球の三脳生物も我々と同様に、根源的で汎宇宙的な
トリアマジカムノの3つの力がもっている質をすべて具えた、最も偉大なるトロゴオートエゴクラットが必要とする宇宙物質を変容するための装置であるばかりではなく、自らも様々な独立した生成物から成る3つの異なる源泉から変容に要する物質を吸収しているがゆえに、自分の生存を維持するに必要な物質とともに、彼らの高次存在体を形成し、完成させるための物質を蓄積する可能性もすべてもっているのだ。
というわけで、変容のために3つの源泉から彼らの身体に入る物質は、我々にとってと同様、三種の食物ということになる。
まず最初の物質は、〈
アシャギプロトエハリー〉から、つまり根源的なる聖ヘプタパラパーシノクの最後のストッピンダーから、この上なく聖なるプロトコスモスに向かう進展の上昇過程を引き返す途上で、彼らの惑星の力を借りて、惑星上のそれ相応の高次の形成物の中に送りこまれ、そしてさらなる変容を遂げるために彼らの体内に入るのだが、これが〈第一存在食物〉、すなわち彼らの通常の〈食物〉と〈飲料〉なのだ。
しかし第二の源泉からとられた物質は、彼らの太陽と、その太陽系の全惑星の変容から得られたもので、これがこの太陽系の全惑星の放射物を通してこの惑星の大気圏に入り、それが再び、ちょうど我々の体内に入るように、さらなる進展に向かう変容のために〈第二存在食物〉として彼らの体内に入るが、これを彼らは〈空気〉と呼び、これを呼吸している。そしてこの空気に含まれた種々の物質は、彼らの〈第二存在体〉の形成とその維持のために働いているのだ。
そして最後に、第一の源泉からとられた物質は、我々にとってと同様彼らにとっても第三種の存在食物であり、これは高次存在体そのものの形成と完成に役立つのだ。
さてさて、彼らの通常の生存プロセスの中で、彼ら自身が定着させた異常な状態から生じ、現に今でもそこから生じている悲しむべき事態が哀れなおまえのお気に入りたちの間に起こったのは、まさにこの聖なる宇宙物質との関連においてだった。
たしかにこの高次存在食物を構成している物質は、現在に至るまで彼らの中に入り続けてはいるが。それは、とりわけ現代では、彼らの自覚的意図とは全く切り離されて単に自動的に彼らの中に入るだけであり、また量的にいっても、
汎宇宙的トロゴオートエゴクラティックな調和という目的と、自然が要求する種の存続という目的にとって彼らの中で必要な変容が要求するだけの量しか入らない。
彼らの通常の生存の異常な状態が最終的に定着した時、その結果として、彼らの本質からは、完成へと向かう本能的な向上心も意志的な向上心も消えてしまい、同時に、宇宙物質を意識的に吸収しようという欲求ばかりか、高次存在食物の存在と意義についての知識や理解そのものまで、彼らの中から消え去ってしまった。
現在ではすでにおまえのお気に入りたちは、食物といえばただ一つ、第一存在食物しか知らなくなっているが、そうなった第一の理由は、彼らの意図とは無関係にこれについてどうしても知らずにはおれないからであり、第二には、彼らがこれを利用するプロセスはすでに有害なものになっていて、彼らの他の弱点と同様、彼らの中で確固たる位置を占めているからだ。これらの弱点は、彼らにとっては実に有害な器官である
クンダバファーの諸特性の結果として徐々に結晶化したものである。
現在に至るまで、彼らの中の誰一人として次のことに気づいた者はいない。それは、この第一存在食物は、彼らの粗雑な惑星体(これは否定の源泉なのだが)の生存を維持するためにだけ必要な物質であるということ、そのため、この第一存在食物は彼らの身体の高次の部分に寄与できるものはほとんど何ももっていないということだ
これらの高次の宇宙物質は、すでに話したように、彼らの種の存続のためと、
汎宇宙的アンサンバルイアザールの全体的調和の維持のために、彼らの中である一定量が変容されなくてはならないのだが、現時点ではおまえのお気に入りたちはこのことで彼らの内なる自己沈静という神をわずらわせる必要は全くない。というのもこれは、前に言ったように、彼らの自覚的意図がなくても全く自然に行われるからだ。
しかし面白いことに、ずっと昔、つまりおまえの惑星に生息する三脳生物の中で
器官クンダバファーの機能が完全に停止した直後に、彼らも今話した2つの高次存在食物に気づき、自覚的な意図をもってこれらを用い始めた。そしてアトランティス大陸の最後の時代の人間であった者たちは、これらの高次存在食物を吸収するプロセスこそ彼らの生存の主要な目的であると考えるようになったのだ。
当時のアトランティス大陸の人間たちは第二存在食物を〈アマルロース〉と呼んだが、これは〈月を助けるもの〉という意味だ。また第三存在食物は〈聖アマルホーダン〉と呼んだが、これは〈神を助けるもの〉という意味であった
おまえのお気に入りたちがこれらの聖なる宇宙物質を吸収する必要性を自覚していないことに関連して、ある非常に重大な、そして彼らにとっては悲しむべき結果を彼ら自身が生み出していることを指摘しておこう。
すなわち彼らは、高次存在部分の誕生と生存に必要なこれら特定の宇宙物質を意識的に吸収するのをやめたのだが、それだけでなく、彼らの身体からは、完成に向かう努力ばかりか、〈意識的に瞑想的であること〉と呼ばれるものの可能性さえも消え去ってしまったのだ。そしてこれこそが、これら聖なる宇宙物質を同化吸収する上での主要な因子であった。以上のような事情から、この時以来自然は徐々に、必要な量のこれらの物質が間違いなく彼らの中に入って同化吸収されるように、彼ら一人一人のために、その生存中に、われらの
大メガロコスモスのいかなる三脳生物にも普通は起こらないような〈予期せぬこと〉が起こるように手配せざるをえなくなったのだ。
不幸なことに、自然はこの異常な事態に自らを適応させざるをえなくなり、そのためこの予期せぬことのおかげで、彼らの中である種の強烈な経験と活発な熟慮とが彼ら自身の意図とは別に自動的に進行するようになり、そしてこの〈活発な熟慮〉のおかけで、高次存在食物の中の聖なる粒子が変容し同化吸収されるという必要なプロセスが彼らの中で自動的に進む可能性が生まれたのだ。
さて坊や。これらの宇宙物質が、最も偉大なる
汎宇宙的トロゴオートエゴクラットの今言ったような器官(おまえのお気に入りたちもすべてこの中に入っているが)を使って変容していくプロセスについてだが、この変容は、我々や、メガロコスモスの中の大小すべてのコスモス全般の中でと同様に、あの2つの主要なる根源的宇宙法則、すなわち聖ヘプタパラパーシノク聖トリアマジカムノに厳密に従って起こる。
わしはこれから、第一存在食物として三脳生物の中に入る宇宙物質が、
汎宇宙的トロゴオートクラティック・プロセスのために、また同時に(もし彼らがこのプロセスに対してある特定の態度をもっていれば)彼ら自身の高次の部分の形成と完成のために、どんな具合に変容するかを話そうと思うが、その前にまず、このプロセスをはっきり理解するには、おまえは次のことを心に留めておかねばならん。つまり我々のメガロコスモスには、あらゆる種類のトロゴオートクラティック・プロセスから生じた結果として非常に多くの独立した〈活性元素〉があり、それは種々の独自の特性をもっていて、これが新たなものの形成に力を貸すのだ。
根源的、汎宇宙的な
聖ヘプタパラパーシノクの7つのストッピンダーから発生した様々な特性をもつ何百という〈活性元素〉は、どこにあろうと、元々どのストッピンダーから生じたのかに応じて、〈振動の類似性〉と呼ばれるものに従って7つの〈オクタパナトサクニアン等級〉と呼ばれるものに分けられ、そして集められる。このようにメガロコスモスの中の大小すべての凝集体は、一つの例外もなく、7つの独立した等級に属するこれらの活性元素から形成されており、またこれらは、前にも話したように、独自の特性をもっている。
これらの活性元素の独自の特性、およびそれらの〈活性度の均衡〉と呼ばれるものの実現には、まず第一に、彼らの誕生時に
聖ヘプタパラパーシノクの第五のストッピンダーがいかなる形で機能していたか、第二に、これに関わる活性元素が、ある個人の意識的な意図によって生まれたのか、それとも〈類似物の誘引と融合〉と呼ばれる第二等級の法則に従って単に自動的に生じたのか、ということが大きく関わってくる。
この何百という活性元素は、7つの別々な〈
オクタパナトサクニアン等級〉に属していて、また7つの異なった独自の特性を(その中でも〈活性力〉と〈分解力〉という特性が極めて重要なのだが)もっている。これらの元素がすべて寄り集まって根源的な汎宇宙的アンサンバルイアザールを構成しており、そしてこれから最も偉大なる宇宙的トロゴオートエゴクラット、すなわち、無慈悲なヘローパスの合法則的な活動からの真の救世主が生み出されるのだ。
次のことも話しておかねばならん。第二等級の宇宙法則である類似物の誘引と融合があるために、宇宙のいたるところで見られる
エテロクリルノのあらゆる種類の凝集体は、最初は次のような具合に出現する。
根源的な〈
汎宇宙的アンサンバルイアザール〉の7つのストッピンダーのそれぞれの領域にすでにあるエテロクリルノの粒子がもし何らかの理由でぶつかり合うと、あらゆる種類の〈結晶体〉を生み出すが、これらはまだ独自の特性はもっていない。ところがさらに進んで、エテロクリルノのこれらの粒子が、〈ハーネルミアツネル〉というプロセスが進行している状況下に何らかの理由で置かれると、これらは融合して一つになり、そしてそれらのもっている〈複合的振動〉と呼ばれるものによって、あるはっきりとした独自の特性を具えた活性元素へと変容するのだ。
そして、その後もし、すでに独自の特性を具えたこれら一定の活性元素が、他の状況を生み出している別の〈
ハーネルミアツネル〉のプロセスの中に入っていくならば、これらは再び、同じ〈振動の類似性〉の法則に従って融合し、そして別の特性を獲得し、その結果、別の〈オクタパナトサクニアン等級〉に属する活性元素へと変容し……という具合に続いていく。
以上のような理由で、我々の
メガロコスモスにはこれほど多くの独自の特性をもった活性元素が存在しているのだ。
坊や。もしおまえがここで、第一存在食物として彼らの中に入りこんだ宇宙物質が彼らの器官を通して変容していく連続的なプロセスを十分に把握したならば、おまえは同時に、他の高次の存在食物の進展と退縮のプロセスとともに、聖なる法則
ヘプタパラパーシノクの主な特性に関するすべてのことも大体理解したことになる。
これらの進展していく活性元素が、根源的、汎宇宙的な
聖ヘプタパラパーシノクの最後のストッピンダーから戻りつつ上昇する途中で、彼らの惑星体の器官の中に第一存在食物として入っていくならば、これらは早くも口のところで、第二等級の法則ハーネルミアツネルのプロセスの助けを借りて、ということはつまり、この生物の体内ですでに進展して存在・ヘプタパラパーシノクの次のストッピンダーに相応する振動を手に入れている活性元素と〈振動の類似性〉によって混じり合い、融合することによって徐々に変化し始め、そして次には、この生物の胃の中で、〈プロトエハリー〉と呼ばれるある種の活性元素に変わっていく。この〈プロトエハリー〉は、振動においては、根源的、汎宇宙的なヘプタパラパーシノクの上昇中の第四のストッピンダーに相応する。
ここから、この
プロトエハリーの〈重心振動〉をもつ総体は(ここでもハーネルミアツネルのプロセスのおかげで)〈腸管〉と呼ばれるもの全体を通って徐々に進んでいき、その結果ついにそれに適合する振動を獲得する。そして今度は〈十二指腸〉と呼ばれるものの中で〈デフテロエハリー〉に完全に変容する。
さらに進んで、この〈
デフテロエハリー〉という特定の物質の一部は、惑星体そのものの要求を満たすと同時に、新たに入ってきた食物に関してその箇所で生じるハーネルミアツネルを助けるようになる。他の部分は、これも局部的なハーネルミアツネルのプロセスを介して独自の進展を続け、ついにはさらに高次の物質に変容する。この物質は〈トリトエハリー〉と呼ばれている。
この宇宙物質の総体は、これと振動が一致する〈器官〉の中で一時的に結晶化するが、この物質が生物の体内で凝集する中心となる場所は〈肝臓〉と呼ばれている。
聖ヘプタパラパーシノクの低次の〈ムドネル・イン〉、すなわち〈機械的に合致するムドネル・イン〉と呼ばれるものが位置しているのはアンサンバルイアザールのまさにこの場所であり、それゆえトリトエハリーという物質は、〈ハーネルミアツネル〉のプロセスによってはこれ以上独立して進展できないのだ。
さて、根源的、汎宇宙的な聖なる法則
ヘプタパラパーシノクの全般的機能の中で今言った変化が起こったために、〈トリトエハリー〉と名付けられた物質の総体は、この場合、外部から入ってくる力の助けを借りてのみこの状態から先に進むことができる。
そのためこの場合には、〈
プロトエハリー〉という物質の総体がさらに進展できるよう生物の体内に外部からの助けを導入しなければ、この総体だけでなく、この物質に至るまでに結晶化したアンサンバルイアザールのすべての重心も、それらが進展を開始したもとの宇宙凝集体へと常に逆戻りしてしまうのだ。
この外部から入ってくる助けをうまく利用するために、ここで大自然は実に賢明にこの生物の内部組織を次のように改造した。すなわち、第二の存在体である
ケスジャン体を形成し、養うために生物の身体が取り入れなくてはならない物質、つまりおまえのお気に入りたちが空気と呼んでおる宇宙物質の総体が、この第一存在食物がさらに進展するために必要な外部からの助けとしても同時に機能するように改造したのだ。
この第二存在食物、あるいは空気を構成している活性元素は鼻を通って生物の体内に入り、局部的な種々の
ハーネルミアツネルのプロセスの協力を得て徐々に進展し、そして今度は〈肺〉と呼ばれるものの中でプロトエハリーに変容するのだが、ただしここでは〈アストラルノモニアン・プロトエハリー〉と呼ばれるものに変わる。
それ自身進展するために体内に入ったこの〈
アストラルノモニアン・プロトエハリー〉という物質は、聖ヘプタパラパーシノクによれば、いまだにハーネルミアツネルのプロセスだけでその重心から進展していく可能性を秘めており、そのためこれは、すでに聖・存在・ヘプタパラパーシノクの第三ストッピンダーまで進んできている第一存在食物の物質の総体と混じり合ってさらに進展する。こうすることで、第一存在食物の物質が低次の〈機械的に合致するムドネル・イン〉を通過して別の物質、〈テタートエハリー〉に変容するのを助け、また〈アストラルノモニアン・プロトエハリー〉自体は〈アストラルノモニアン・デフテロエハリー〉と呼ばれるものに変容していく。
ここで、
オートエゴクラットトロゴオートエゴクラットの違い、つまり絶対太陽の存在を維持するかつてのシステムであったオートエゴクラティック・システムと、メガロコスモスの誕生後にそれが変化してできたトロゴオートエゴクラティックと呼ばれるシステムとの違いが十分理解できるように別の例を引いておこう。
もしこれらの物質が〈存在器官〉を通っていく過程で、その中のストッピンダーのあるものがまだ変化していない
聖ヘプタパラパーシノクの法則に従って、ということはすなわち、現存するメガロコスモスが誕生する以前に機能していたこの法則に従って変容するならば、さきほど言ったようないくつかの〈器官宇宙〉に入っていって局部的に進展していく第一存在食物を構成している宇宙物質は、いかなる妨害も受けず、また外部からのいかなる助けも借りずにハーネルミアツネルのプロセスのみによって上昇し、他のより高次の活性元素へと変容するはずだ。ところが今では、この根源的な聖なる法則が他のものに依存して機能するようになってしまったために、これら変化したストッピンダーの中では、進展も退縮も〈外部で生じた〉力に常に依存しなくてはならなくなったのだ。
今の場合でいうと、宇宙結晶体がより高次の結晶体へと完全に変容するための外部で生じた助力とは第二存在食物であり、これは全く違った誕生の起源をもっており、それゆえ全く違った宇宙生成物をもたらすはずだ。
第二存在食物と第三存在食物の物質が生物の中でどのように変容していくかについては後で詳しく説明するが、今のところは、生物の中のこれら高次の宇宙物質も、第一存在食物の物質と全く同じ原理に則って変容するということだけを覚えておきなさい。
それでは、この第一存在食物の物質が
聖ヘプタパラパーシノクに従って〈存在器官〉の中でどのような変容をたどるかをさらに詳しく見てみよう。
さっき話したように、通常の第一存在食物は生物の中で徐々に変容して〈
テタートエハリー〉と呼ばれるある特定の物質になる。これは生物の中で、もちろんおまえのお気に入りたちの中でも同様だが、主として〈大脳半球〉と呼ばれる2つのものの両方に集中する。
さらに進んで、大脳の両半球から出る
テタートエハリーの一部は変化しないままその生物の身体の維持に使われるが、他の部分はそれ自体の内に、独立して進展していくあらゆる可能性を秘めており、外部からの助けを全く借りないで進展を続ける。そしてすでにその生物の中で形成されている高次の物質とハーネルミアツネルのプロセスを通して再び融合し、徐々に変容して、〈ピアンジョエハリー〉と呼ばれるさらに高次の存在活性元素へと変わっていく。
この物質が生物の中で集中する中心となる場所は、〈
シアヌーリナム〉と呼ばれているが、おまえのお気に入りたちは自分たちの惑星体のこの部分を〈小脳〉と呼んでいて、これも頭部に位置しておる。
生物の体内のこの物質こそが、
聖ヘプタパラパーシノクの五番目の偏向に応じて、三脳生物の身体の表現行為において、同種の結果ではなく、〈互いに相対立する〉結果を自由に生み出す可能性をもっているのだ。
だからこそこの存在物質に関しては、これが彼らの存在全体にとって望ましくない結果を生み出さないように、彼ら自身、くれぐれも用心に用心を重ねなくてはならないのだ。
小脳から出るこの特定の物質の一部も同様に惑星体そのものの維持を助ける。しかし別の部分は、脊柱と胸部の〈神経結節〉を独特の方法で通り抜け、男性生物の中では〈睾丸〉と呼ばれる部分に集中し、女性生物の中では、おまえのお気に入りたちのほとんどが〈卵巣〉と呼んでいる部分に集中するが、この2つの部分は、生物の体内で、彼らの最も聖なる所有物である〈
エキシオエハリー〉が集中する場所だ。今話した一連の特殊なプロセスは〈トルンルヴァ〉と呼ばれていることを覚えておきなさい。
生物の体内に入ってきた宇宙物質の目的は進展することにある。言いかえれば、それらは根源的、汎宇宙的な〈物質交替〉における低次の
ムドネル・インを通過する可能性を求めて存在器官の中に入ってきたのだが、これらが変容して宇宙物質のある特定の完成体になるのは、今話したプロセスを経て初めて可能なのだ。この変容はあらゆる生物のもつ宿命であり、地球に生息する現代の三脳生物も例外ではない。つまりこの変容は、彼らの存在の意味と目的を自動的に正当化するために起こるのであり、そしてこの宇宙物質の完成体はどこでも〈エキシオエハリー〉と呼ばれている。
それでだな、坊や。これまでに話したいろいろな存在器官の中で進展した結果得られた第一存在食物の完成体は、その振動からいって、
存在・ヘプタパラパーシノクの最後のストッピンダーと一致し、そしてこのストッピンダーの特殊な性質に従って、ヘプタパラパーシノクの法則の〈意図的に生み出された高次のムドネル・イン〉に入っていく。しかしこれがそこで完全に変容して新たな高次の物質になり、一段階上の活性度をもつ振動に相応する振動、つまり汎宇宙的な聖ヘプタパラパーシノクの基本的なプロセスにおける五番目のストッピンダーに相当する振動を獲得するためには、どうしても外部からのある助力を必要とするのだが、この助力は、前に何度か〈パートクドルグ義務〉という言葉で表現したいくつかの要因によってのみ三脳生物の体内で生み出すことができるのだ。これらの要因は、テタートコスモスの中のあるいくつかのものが、汎宇宙的イラニラヌマンジの目的に仕えた最終結果として、拡大された世界を治める際の助力者になることができるよう、われらが《共通なる父にして創造者たる永遠の主》があらかじめ定めることに同意したものであり、また同時にこれらの要因は、高次存在体を形成し、完成するのに必要な宇宙物質を同化吸収するための唯一可能な手段として現在まで機能しているが、現在我々はこれを、〈意識的努力〉及び〈意図的苦悩〉と呼んでいる。
ここで次の点を強調しておいたほうがいいだろう。おまえのお気に入りたちの体内で形成され、その結果常にそこに存在している特定の宇宙物質の中で彼らがよく知っているのはこの〈
エキシオエハリー〉だけで、彼らはこれを〈精子〉と呼び、これを巧みに使って実に様々な〈手練手管〉を弄しておる。
しかも彼らはこの特定の物質の完成体の中でも、〈精子〉と名づけた〈男性〉の生物の体内に形成されるものだけを尊重し、〈女性〉の生物の体内に生じる同種の〈物質の最終的生成物〉の完成体は、言語道断にも軽蔑せんばかりに無視しているのだ。
すべての生物の体内で、第一存在食物の最終結果として常に必ず生じる物質のこの完成体は、後に彼らが体内で〈
パートクドルグ義務〉を果たすのをやめ、その結果、聖ヘプタパラパーシノクに従って、この宇宙物質の完成体が完全に進展してより高次の活性元素になるために必要な外部からの助力を受け取らなくなると、これらの物質がそこから進展を始めたもとの結晶体へと退縮し始める。そしてこの退縮プロセスは、彼らが〈病気〉と呼んでいるものが彼らの体内に無数に発生する母胎となるものを生み出す要因として働き始め、そうすることによって一方では、彼らが以前に確立していた本質的個人性を〈不完全なものにする〉とともに、もう一方では彼らの平均的な生存期間を縮め始めたのだ。
そして惑星地球に住むおまえのお気に入りたち、とりわけ現代の彼らは、自己完成のためであろうと、また彼らの体外に同種の新たな生物を生み出すためであろうと、全く無意識的にしかこの
エキシオエハリーという物質を使っていない。
それゆえ、彼らの体内でこのように形成された聖なる宇宙物質は、ただ単に彼らの意識や個人的な欲求に一切左右されずに最も偉大なる宇宙的
トロゴオートエゴクラットの目的のために使われるか、ないしは彼らと同種の新たな生物を知らず知らずのうちに受胎するために使われるかのどちらかなのだ。だから、このように2つの別々の性の生物がもっている聖なる物質の混合から生じた生物は、彼らが意図的に求めたものではない悲惨な結実でしかなく、またこの別々の性の生物は、今言った機能を満足させる間に彼らの内部に聖トリアマジカムノの2つの正反対の力を生み出すが、実はこの機能こそ、かの古代口ーマ人の遺産のおかげで現代の三脳生物たちの主たる悪徳となっているのだ。
そして残念ながら次のことも言っておかなくてはならん。今話した腐敗した遺産は彼らの体内に完全に根をおろしており、それゆえこれは、彼ら、とりわけ現代のおまえのお気に入りたちにとっては、ある衝動、つまり時おり彼らの中で三脳生物にふさわしい表現活動から生まれ、そして〈存在への渇望〉と呼ばれるものを呼びさます衝動を根こそぎ破壊してしまう〈自動的に作動する〉手段になってしまったのだ。
もう一度言うが、おまえのお気に入りたち、とりわけ現代の者たちは、彼らの体内に不可避的に形成されるこの聖なる物質を、〈高次の部分〉の形成と完成、及び自然自らが予見した彼らの義務、つまり種の存続という義務の遂行のために意識的に使うのをやめてしまった。しかしそれはまだしも、たとえこの種の存続という義務がたまたま偶然に遂行されたとしても、彼らはすでにそれを大きな不運と考えるようになっておる。なぜかというと、それが必然的に生み出す諸々の事情の結果、彼らの本質の中に固着している様々な形態をもつ無数の悪徳を満足させることがある一定期間妨害されるからだ。
だからこんな場合彼ら、とりわけ現代の者たちは、このような偶然の、また彼らの側からいえば不本意な、大自然が予見している聖なる表現行為が成就されるのを何とか妨げようとあらゆる手を尽くしておる。
ここ数世紀の間、彼らの中でも、あらゆる種類の
ハスナムス的特性を生むデータが体内でとりわけ強く結晶化している者たちの多くは、このように偶然に達成される聖なる成就を闇に葬るのを助ける専門家にさえなっており、しかもなんと彼らはそこでは〈天使を創る者〉と呼ばれているのだ。
ところが、おまえのお気に入りたちが自分たちの主要な悪徳に変えてしまったこの〈行為〉は、我々の大宇宙のいかなる性質をもった生物にとっても、あらゆる神聖な儀式の中でも最も聖なるものと考えられている。
この惑星に生息している多くの二脳及び一脳の生物、たとえば〈ハイエナ〉〈ネコ〉〈オオカミ〉〈ライオン〉〈トラ〉〈イヌ〉〈バグーシ〉〈カエル〉と呼ばれているものやその他多くのこういった生物(彼らはそのいわゆる〈合法則的身体〉の中に〈対比的論理〉を使う能力を生み出すデータを全くもっていないのだが)でさえもが、もちろん本能的にではあるが、現在も引き続きこの行為を聖なるものと感じていて、この聖なる儀式のために大自然があらかじめ定めた期間内にのみこれを行なっておる。この期間とはすなわち、彼らがその上で誕生し生存しているこの宇宙凝集体が新たな完結に向かって動き始める期間、つまりすべての三脳生物が〈
セルーアザールの聖なる儀式のディオノスクス〉と呼んでいる期間、そしておまえのお気に入りの惑星では〈春〉と呼ばれている期間のことだ。
坊や。たぶんおまえはこの〈偉大なる
セルーアザールの聖なる儀式〉については何も知らないのではないかな?」とベルゼバブは孫に尋ねた。
孫のハセインはこれに次のように答えた。
「はい、お祖父様。それについてはまだ詳しくは知りません。ぼくが知っているのは、この
ディオノスクスはぼくたちの惑星カラタスでは、〈神を助けるディオノスクス〉と呼ばれて非常に神聖な期間と考えられていること、それから、ぼくたちは〈アクタヴス〉も〈パッサヴス〉もみんな、この期間の前の聖なる日の終わる頃から早くもこの非常に聖なる日々、つまりディオノスクスに備えていること、それから、この聖なる儀式の始まる前の1〈ルーニアス〉の間、老いも若きも第一存在食物を摂るのをひかえ、そしていろんな儀式を行なって、ぼくたちが生存していることに対する精神的な感謝を我らが《共通なる創造主》に捧げるということくらいです。
それからもう一つ、この厳粛な
ディオノスクスの最後の2つは、ぼくたちの間では〈家族を最初に生み出した者を誉め讃えるためのディオノスクス〉と呼ばれていることも知っています。
だからこそ、お祖父様。毎年この
ディオノスクスが来ると、ぼくたちはみんなあなたのことだけを思い出しては語り合い、そして一人一人が全存在をかけて心からの願いを、つまり、あなたの運命がいつもあなたに味方して、あなたの理性を、必要とされる聖なる段階により早く、また容易に高めるのを助けるような生存状態を生み出しますように、そして、それを高めることによって、あなたの重荷となっている現在の〈通常の生存〉を一刻も早く終わらせることができますように、という願いを表明しているのです。」
この最後の言葉を厳粛に言うと、ハセインは返事を終えた。
「よくわかったよ、坊や」とベルゼバブは言った。「この〈
セルーアザールの聖なる儀式〉については、なつかしいカラタスに帰ってから話すことにしよう。
その時はもっと詳しく、どこで、またどのように
エキシオエハリーという物質を使って種の存続のためにセルーアザールの聖なる儀式が行われるか、またどんな時、どんな具合に二種類のエキシオエハリーが混合して結実を生み出すのかを話してあげよう。この二種類のうちの一つは、我々のカラタスでは〈アクタヴス〉、地球では〈男性〉と呼ばれている〈存在器官〉の中で肯定的動因に変容し、もう一つは、カラタスでは〈パッサヴス〉、地球では〈女性〉と呼ばれている〈存在器官〉の中で否定的動因へと変容する。
さて、ではこれから〈高次完成存在体〉、つまり〈魂〉について、それもわしがこれまでずっと説明してきたこの聖なる
惑星パーガトリーにやってきた〈魂〉について話をしよう。
それで……そもそもの初めから、つまり、この高次存在部分が生物の中で誕生し、必要とされる客観理性の聖なる段階まで高まると、言いかえると、生物の中に入ってきた第二存在食物のおかげで
聖ヘプタパラパーシノクの低次のムドネル・インに従ってケスジャン体が形成され、また第三存在食物のおかげで同じ聖なる法則の高次のムドネル・インに従って最高次存在体が形成され、完成された時、そしてこのように完成された高次存在部分が低次存在部分から分離した時、これら高次存在部分はこの上なく聖なる根源と直ちに結合するにふさわしいとみなされ、そしてあらかじめ定められた神聖なる目的を果たし始める。
これは、前にも言ったと思うが、現在
〈チョート・ゴッド・リタニカル〉期と呼ばれている恐るべき宇宙的事件が起こるまで続いた。
この汎宇宙的な不幸が起こるまでは、ある
テタートコスモスの中で誕生し、そしてその第一世代の間に完成に達したすべての高次存在体は、直ちにこの上なく聖なるプロトコスモスそのものと結合していたが、それというのも、これらの存在体は、これに完全にふさわしい結果をすでに生み出していたからだ。
つまり要点はこうだ。今話した恐るべき宇宙的事件以前には、至聖絶対太陽から放出される
聖テオマートマロゴスは、いまだに外部で誕生した独自の特性をもつものが全く混じっていない純粋な状態にあり、そしてこの聖テオマートマロゴスが聖なる結晶体が誕生した惑星の圏内に入ってきて、この結晶体の変容の結果、高次存在体が存在器官を通して形成され、完成されると、その時これらの高次存在体は、至聖絶対太陽の圏内で必要とされる生存条件にふさわしい生存体を受け取る、ということが起こっていたのだ。
しかしその後、さっき言った汎宇宙的不幸が起きると、そのせいで
聖テオマートマロゴスは、外部で生まれた独自の特性をもつものと混じり合って至聖絶対太陽から流出し始めた。その時以降これらの聖なる宇宙生成物は、至聖第一源泉の圏内で必要とされる生存条件に適合する可能性を失ってしまったのだ。
聖テオマートマロゴスが外部で生まれたものと混じり合い始めたのは、次のような予見できなかったことが起こったためだ。
すなわち、一つ一つの〈完成された高次存在体〉が独立した個人となり、それ独自の
聖トリアマジカムノの法則を獲得すると、それは至聖絶対太陽と、規模は小さいが同様の放射を始める。そしてこの完成され独立した聖なる個人が至聖絶対太陽にたくさん呼び集められると、これら聖なる個人の放射物と至聖絶対太陽の大気圏との間に〈ジェネオトリアマジカムニアン接触〉と呼ばれるものが成立し、その結果、さっき話したような、〈完成された高次存在部分〉にとっては恐るべき不幸が引き起こされたのだ。
以上の結果、〈
ジェネオトリアマジカムニアン接触〉から生まれたものの活動は、すぐに、至聖絶対太陽そのものがすでに行なっていた活動と調和するようになり、そしてこの時から聖テオマートマロゴスの流出は変化し始めたが、にも関わらずこの接触の結果必然的に生じたものは、ある一定期間のうちに、多くの太陽系の調和のとれた運行を変えて、その中のいくつかの惑星の内的な機能を乱してしまった。そしてまさにこの時、クラーフォーゴと呼ばれる太陽系から、あのよく知られている惑星が分離した。この惑星は現在良心の呵責と呼ばれていて、空間に孤立し、極めて例外的な特性をもっている。
この
ジェネオトリアマジカムニアン接触は次のような原因から生じた。至聖絶対太陽の大気圏内で、前にも言ったように、様々な原因による特異な振動が高次存在体から発生し、それが至聖絶対太陽の放射物と結合してメガロコスモスのあらゆるところに浸透し、高次存在体を体内でずっと生み出し続けている生物が生息している惑星にまで到着した。するとこの特異な振動は聖テオマートマロゴスとともに変容し、結晶化して、これらの生物の体内での〈高次の部分〉の形成に参与するようになった。
そしてこの時からこれらの聖なる生成物は彼らの体内である特殊な特性をもち始めたのだが、これは次のようなことから起こった。この生物、つまり今言った聖なる生成物が形成された生物の体内で、他の部分のある活動の結果が、これら高次の部分を構成しているものの中に入ってきてこれに同化吸収され、非常に特異な結果を引き起こした。これは後に〈魂・の・体・の・罪〉と呼ばれるようになり、今でもそう呼ばれている。
そしてこれら様々な結果が原因となって、次のような事態を引き起こした。つまり、これらの宇宙形成物は、たとえその完成への過程で、そこに到達することを要求されている客観理性の段階に達していたとしても、彼らの身体はこの上なく聖なる
プロトコスモスの圏内での生存条件に適さなくなってしまっており、そしてこの時以来これらの宇宙形成物は、プロトコスモスと結合するにふさわしいものとみなされる可能性を失ってしまったのだ。
さてそこで、理性の点では完成に達し、〈独立した宇宙的聖なる個人〉になりはしたが、生存体は必ずしもそれにふさわしいものになっていないというこれら高次存在体が陥っている抜き差しならない状況が最初に明らかになった時、無限の公正さと慈悲をお持ちの我らが《すべてを愛する創造主》は、すぐにこの予見できなかった悲しむべき現象を解決すべく、あらゆる手を打たれ始めた。
これらの聖なる個人がこのようにどうしようもない悲しむべき状況に陥ったのには次のような理由がある。つまり体内にさきほど話した〈罪〉をもつがゆえに、彼らはあらゆるものの第一源泉の胸懐と融合する可能性を全く失ってしまったのだが、その一方で彼らは、理性の聖なる段階に達していたので〈
テテツェンダー〉と呼ばれる第二等級の宇宙法則の支配下に入っており、そのために普通の惑星に自由に生存する可能性までも同時に失ってしまったのだ。
《彼》は様々な神聖なる方法を講じられたが、その後で次のような命令を出された。すなわちそれは、我々の
大メガロコスモスの中でも最良の惑星を探し出し、特にその表面を整備して、理性を完成させたこれらの高次存在体がこの先自由に生存できるようにし、そうすることによって、彼らが体内の望ましくない要素から自己を純化する可能性を得られるようにせよ、というものであった。
そしてその時以来、この聖なる惑星は
パーガトリーという名で呼ばれるようになり、《彼》御自身の要望によって、われらの全地域維持者である大天使ヘルクゲマティオスによって組織立てられ、統治されている。このヘルクゲマティオスは、世界の創造後初めて聖アンクラッドを授けられた者だ。ということはつまり、いかなる本性をもっているかには関係なく、独立した個人が獲得することのできる唯一の理性の段階に最初に達した者だということで、しかもこの段階は、われらの《永遠なる主》の絶対理性からほんの三段階しか隔たっていないのだ。
おまえも自分で見たからわかると思うが、この聖なる惑星は実際すべての面で最良のものであり、またこの惑星上にあるものはすべて、前にも言ったように、個々の独立した個人が常に〈
イスクロルニツィナノンリー〉に、すなわち〈美しくまた喜びをもって〉知覚しているような種類のものではあるが、それにも関わらずここに生存している完成された高次存在体にとってはこういったことは取るに足りないことである。なぜかというと、彼らはいつも、彼らの個人性とは何の関係もない原因から生じて彼らの体内に入りこんでいたあの望ましからざる要素を排除して自己を純化するという厳しい仕事に没頭しきっているからだ。
これらの高次存在体は、理性に関しては通常の高次の宇宙個人が到達しうる上限にまで達してはいたが、この聖なる惑星で不本意な生存を送っている彼らの体内には、たった一つのデータしか存在していない。そしてそのデータが時おり希望という衝動、つまりいつかは彼らも自己を純化して、われらの大メガロコスモスに生存するありとあらゆるものの幸福のためにわれらの《全能かつ完全に公正である共通の父なる永遠の主》が実現して下さっている〈偉大さ〉と融合し、その一部になるという幸せを得られるかもしれないという希望を生み出しているのだ
おもしろいことに、われらの
大メガロコスモスのすべての惑星に誕生する三脳生物はほとんどみな、この聖なる惑星パーガトリーのことを知っているか、あるいは本能的にその存在を感じ取っているが、このことを知らないのはおまえのお気に入りの惑星の三脳生物だけ、もっと正確にいえば、アトランティス大陸が滅亡へと向かいつつある時以後に生まれた者たちだけだ。
外形の違いに関わりなく、我々の
メガロコスモスのすべての三脳生物は、ほんのわずかでも自己認識を得るとすぐに、あの偉大さの一小部分になるという幸福にあずかるために(遅かれ早かれあの偉大さに溶けこむのは、すでに誕生しているすべての本質の運命であるが)意識的あるいは本能的にこの聖なる惑星に行くことを夢見るようになる。さらにより大きな自己認識を得た三脳生物は、この夢を叶えるために、その通常の生存中に自らの惑星体に困難を課し、それから生ずる様々な不快さを、常に心から、それどころか喜びさえもって受け入れている。それというのも、このような生物は次のことをよく理解し、また本能的に感じているからだ。つまり、彼らのもっている聖なる宇宙法則トリアマジカムノの中では、彼らの低次存在体はある種の否定的表現行為の源泉として不可欠のもので、またもちろんのこと、そうであるからこそ肯定的な部分に対して常に否定的な力として働かなくてはならないし、また働くであろう。すなわち、彼らの低次存在体の働きは必ず、義務として、高次存在部分が彼らに要求するものに対立していなければならないのだ。
言いかえるならば、惑星体のもつあらゆる欲求は、形成され完成されるべき高次の神聖な部分にとっては望ましくないものと考えられ、したがって、われらの
大メガロコスモスのすべての三センター生物は常に自分の惑星体に対して情容赦のない闘いを挑んでおり、その結果、彼らの中のこの闘いから生じる〈ディスピューテクリアルニアン摩擦〉と呼ばれるものから聖なる結晶体が彼らの中で形成され、そしてこれから、高次の神聖なる存在部分が誕生し、そして完成されるのだ。
こうした不断の闘いの中で均衡をとり、調和をはかる動因が彼らの第二存在体であるが、これは彼ら個人のもつ
トリアマジカムノの法則の中では中和的源泉である。だからこの第二存在部分はいつも彼らの機械的な表現活動には無関心で、また彼らの表現活動がいかに活発であろうとも、この部分は常に、第二等級の宇宙法則〈ウルデクプリファータ〉に従って、先に述べた2つの対立する部分のうちのどちらかより強い欲求をもっている方と結合する傾向がある。
前にも話したように、最初、つまりアトランティス大陸が消滅する以前には、おまえの惑星の三脳生物たちもこの聖なる
パーガトリーのことをおおよそ理解しており、それに関するレゴミニズムさえいくつか存在していた。しかもこの大陸が消滅した後でさえ、この聖なる惑星パーガトリーに関するレゴミニズムの一部は偶然生き残った当時の知識人たちの手によって消失を免れ、代々伝承されるようになった。しかしその後、この奇妙な三脳生物の精神に〈ひけらかし〉という言葉で象徴される特異な病気が発生すると、彼らは伝承されてきたこの部分的な情報を使って偉ぶった大ぼらを吹き始め、そのため次代の人間たちの精神の中に、聖なる惑星パーガトリーに関するこの真正なる部分的情報からあるデータが形成されるようになり、ついには根をおろしてしまった。このデータが生み出した説明と理解は、高い尊敬を受けている比類なきわれらがムラー・ナスレッディンの次の言葉で見事に定義されている。それは次のような子音から成っている。
〈チュルクルタ・ズールト!〉
この惑星の真正の秘儀参入者たちによって代々伝承されていったこの聖なる惑星に関するレゴミニズムは、つい近年まで、つまり〈バビロニア時代〉と呼ばれている時代まで変化を被らずに伝えられてきた。ところがここで、前にも話したが、このバビロンで〈新たに形成された〉知識人たち、つまり三脳生物にふさわしからぬ種々の固有性をもった生物たちが、わしが〈精神の攪乱〉と呼んでいるものを引き起こし、これがすべての人々を虜にしたために、このレゴミニズムは徐々に歪曲され、ついには完全に、いわば〈枯れ〉始めてしまった。
つまり要点はこうだ。現代の人間たちの大部分が、彼らの言い方を借りれば〈ロンドンのプー・プー・クレ〉が手袋を変えるようにすぐに彼らの理想を変えるのとは違って、その時代の秘儀参入者たちはそう簡単には理想をひるがえしはしなかった。つまり、それくらい彼らはまだ比較的正常で責任感のある生物であったのだ。しかしこの事実にもかかわらず、この時期に、自分たちが魂をもっているかどうか? そしてそれが不死であるかどうか?をいかなる犠牲を払っても知りたいという精神病が蔓延し、この奇妙な三脳生物すべてを虜にしてしまった。この精神病はあまりに強力だったので、彼らの精神の内部のこの不健康な欲求は真の秘儀参入者の精神にまでも影響を与えて惑わし、そしてこの精神病に感化された彼らは、聖なる
惑星パーガトリーに関するレゴミニズムの中に次のような〈カボール・チョーボール〉を混入して次の世代に手渡した。それはあまりにひどいものだったので、それまで愉快な感情を表していたわれらがルシファーの尻尾さえも、いわゆる〈タンゴ〉色(深いオレンジ色と思われる)に変わったほどだ。
わしの意見では、地球上の当時の秘儀参入者たちの精神に混乱が起こったのは、主としてバビロニアの二元論者たちの実に美しい理論のためであり、この理論によれば、いわばどこか別の世界に〈天国〉と〈地獄〉が存在するということだった。
わしの見るところでは、今言ったこの2つの言葉、つまり天国と地獄が後世のあらゆる〈駄弁〉の原因となったのだ。
大事なことは、聖なる
惑星パーガトリーに関するレゴミニズムの中でもこの天国と地獄という語が使われているということだ。
この2つの語が聖なる惑星に関するレゴミニズムからとられたものか、それとも偶然の一致で入りこんだのかはわからない。
聖なる
惑星パーガトリーに関するレゴミニズムの中ではこの2つの語は次のような概念を表している。つまり天国という語はこの聖なる惑星の荘厳さと豊かさとを表し、地獄という語は、そこに住む高次存在体が実際体験した内的状態、すなわち絶えまない苦悩と悲しみと意気消沈とを表している。
レゴミニズムの中には、こんな状態が生じた原因についてもっと詳しい説明がある。つまり、これらの高次存在体あるいは魂は、口にできないほどの意識的な苦しみを伴った努力の後についにこの聖なる惑星に辿り着き、存在するありとあらゆるものの実体をあるがままに見てその意味と重要性を理解し、そして何よりも我らが《共通の父である永遠なる主御自身》を間近に、しかもしばしば見ることによって次のことに気づいた。すなわち自分たちの中にいまだに望ましくない要素があるために、われらの
メガロコスモス全体に幸福をもたらそうとする《彼の》最も聖なる仕事を成就する手助けをすることができないでいるということに気づいたのだ。
というわけで、明らかにこの2つの言葉が原因となって、かわいそうな当時の秘儀参入者たちは広汎な精神病に影響され、未来の
ハスナムスであるこれらのバビロニア人たちがその幻想的なまでに美しい理論の中で述べているのは自分たちの言っているのと同じことであり、単により詳しく述べているにすぎないと想像してしまったのだ。そこで彼らは半ば意識的に、この聖なる惑星に関するレゴミニズムの中にこの空想的な理論の一部を挿入し、そのためこのレゴミニズムは、代々受け継がれていくうちにこの空想が付け加えられた形で知られるようになった。われらが親愛なるムラー・ナスレッディンはこの空想を一語で表現している。すなわち〈クマルカナトナシャッヘルマッヘル〉とな。
坊や。今わしが話したことからおまえも、〈彼岸に関する問題〉と呼ばれているものについて現在この惑星にいる彼らがどんなふうに考え、理解しているか大体判断できただろう。いや全くの話、おまえのお気に入りの変わり者たちがこの彼岸に関する問題なるものについて抱いている考えや理解を我々のメンドリたちが聞いたら、めちゃくちゃに笑い出して、おまえのお気に入りたちがいわゆるヒマシ油なるものを飲んだ時と同じことが起きるだろうよ。
今わしが使った表現、つまりメンドリの笑いとヒマシ油という表現の意味をもっとよく感じ取って認識し、同時に妖精のように明瞭につかむためには、このいつに変わらぬおまえのお気に入りたちのずる賢いひけらかしから生じた別の結果についても話しておかねばなるまい。それは〈
エキシオエハリー〉の問題に関するもので、これは、前に話した根源的な聖なる宇宙法則ヘプタパラパーシノクのいくつかの特性を具体的な例を挙げて説明するのにも格好の材料になるからますます都合がいい。
アトランティス大陸の消滅後、この
エキシオエハリーの起源と意味に関するある知識も生き残り、そして代々伝承されるようになった。
さてそこで、大体彼らがいうところの30世紀か35世紀くらい昔に大きな相互破壊のプロセスがあったが、その後(このような恐るべき行き過ぎの後では大抵いつも起こることだが)彼らの大多数は再び現実を直視することが多くなり、自分たちの通常の生存状態に満足できなくなってきた。その時、彼らの中でもとりわけ強く生存の空しさを感じ、この空虚感を何とか埋める可能性を探し始めた者たちに、
エキシオエハリーの意味に関する知識のうちの散逸を免れた断片が元通りの形で伝わったのだ。
この断片的とはいえ信頼できる情報の中には、彼らの体内で形成される〈
エキシオエハリー〉という物質、つまり精子を使って自己を完成させることができるということが極めて説得力をもって記されてあった。しかし彼らに伝えられたこの情報の中には、残念なことに、そのためには何をどうすればよいかについては何も記されていなかった。
そこで彼らのうちのある者たちは、彼らの体内に必然的に形成されるこの物質を使って自己完成に向かって努力するためには何をする必要があるのかを何とか解明しようと、ねばり強い探求を始めた。
真剣に熟考した結果、彼らは最初このような確信を抱いた。すなわち、彼らの体内で形成されるこの精子と呼ばれる物質を通常の方法で放出するのを自制すれば、この自己完成は恐らくおのずから実現されるであろう、と。そこで彼らの幾人かは団結し、このような節制が本当に思ったような結果をもたらすかどうかを実践の上で確認するために共同生活を始めた。
しかし、おまえのお気に入りの惑星の生物の中でこの問題に最初に関心をもったこれらの者たちは、このことをはっきりさせようといかに頑張ってもいかなる結果も得ることはできなかった。そして次の世代になって、長期にわたる意識的観察と集中的かつ能動的な思考活動を経た後に初めて、究極的、絶対的に次のことを理解するようになった。つまりこれは、
パートクドルグ義務をうまずたゆまず遂行していって初めて可能になる、と。そしてこの世代と続く二世代のうち、これを実現しようと真剣に努めた者たちは実際に期待していた結果を手に入れたのだ。
しかし、この問題に最初に関心をもった者たちから四世代目になると早くも、自らの本質における確信からではなく、既にこの時までに地球の三脳生物固有のものとなっていた〈模倣〉と呼ばれる特性によってこの道に従った者たちが、同様の共同生活を始めて似たようなことをするようになった。
そんなわけで、その時以来今日に至るまで、この追従者たちは別々にグループを組織し、いや時には様々な名称を冠した堅固な宗派を作り上げ、この〈節制〉を目的の基礎に据えて社会から隔絶した共同生活を送っている。そしてこの状態が機械的に連綿と続いているのだ。
彼らが隔絶して共同生活を営んでいる場所は〈僧院〉と呼ばれ、これらの宗派に属している個々人は〈修道僧〉と呼ばれている。
現在ではこういった〈僧院〉は非常にたくさんあり、そこに入っている無数の〈修道僧たち〉は実際極めて厳格に、体内に形成されるエキシオエハリー、あるいは精子を通常の方法で放出することを自制している。しかし当然のことながらこの節制からはいかなる現実的な結果も得られない。なぜかというと、これらの不幸な〈現代の〉修道僧たちは、彼らの体内に形成されるエキシオエハリーという物質を使って自己を完成させることはたしかに可能ではあるが、実はこれは、第二と第三の存在食物が意図的に摂取され、体内で意識的に消化されて初めて可能なのであり、しかもこのことは、体内のすべての部分が聖なるパートクドルグ義務、すなわち〈意識的努力〉と〈意図的苦悩〉を遂行することに前もって意識的に慣れ親しんでいて初めて可能なのだ、ということに全く思い至らないからだ
とはいえ、これらの修道僧が全く何の現実的結果も得ていないと言い切ってしまうのは不当だ。というのは、彼らの中には2つの別種の〈現実的結果〉を得た者もいるからだ。
なぜ現代の禁欲的修道僧の中に今言った2つの種類の結果を得た者がいるのか、その理由を理解できるようにもう一度繰り返し言っておこう。もし我らの
メガロコスモスに存在する大小すべてのものが、根源的な聖なる宇宙法則ヘプタパラパーシノクに従って進展するプロセスの途上で、聖ヘプタパラパーシノクの2つの〈ムドネル・イン〉を通過する時に、外部から入ってくるその場にふさわしい助力を受け取らないなら、その進展が始まったもとの状態に退縮し始める。
全く同じことがこの禁欲的修道僧の体内に形成される宇宙物質にも起こる。
つまりだな、坊や。この地球の〈修道僧たち〉、とりわけ現代の彼らは、第一存在食物を摂ることから彼らの中に絶えず必然的に形成されるこれらの物質がさらに進展するのを、意図的に援助するということをしない。言いかえれば、意図的に、いや機械的にでさえ彼らの体内で〈
パートクドルグ義務〉を全く遂行していないのだ。それに加えて彼らは、自然によってあらかじめ定められた正常な方法でこの物質を体内から排出しもしない。その結果、この物質は彼らの体内で退縮し始め、そしてこのエキシオエハリー、あるいは精子の退縮の過程で普通彼らの体内に形成される多くの一時的な物質の中に、生物の惑星体の全般的機能に対して二種類の働きかけをする特性をもった、ある特定の一時的物質が生じる。
この特定の物質の働きのうち第一のものは、〈
カラツィアグ〉と呼ばれるもの、あるいは彼らが〈脂肪〉と呼んでいるものの余剰分を蓄積するのを促進すること。そして2つ目の働きは、〈ボイゾニオーノスキリアン振動〉と呼ばれるものを生じさせ、そしてそれが惑星体全体に拡散するのを促進することだ。
そのため、まず第一の働きの結果、地球のこの禁欲的修道僧たちは異常に、彼ら流にいえば太ってきて、時には実際ものすごい量の脂肪をたっぷり蓄積した見本のような僧を見ることもある。その太りようは、この同じ脂肪を惑星体の中で増やすために彼らが意図的に太らせている生物、すなわち〈ブタ〉と呼ばれる生物でさえ顔負けするほどだ。
一方、第二の働きの結果、禁欲的修道僧たちは、反対に、彼ら流にいえば〈痩せこけ〉、そして彼らを貫通する〈
ボイゾニオーノスキリアン振動〉の働きは、主として彼らの精神全般において明らかになる。すなわち彼らの精神ははっきり二元的となり、自己を引き裂いて正反対の方向に自らを表現するようになる。外に向かう表現は目に見え、また見せるためのもので、まわりの誰もがこれに気づくが、内に向かうものは隠されていて、地球の普通の人間たち、とりわけ現代の人間はこれを探知したり知覚したりすることが全くできない。言いかえるならば、外的な目に見える表現からすれば、この〈ボイゾニオーノスキリアン修道僧たち〉は、おまえのお気に入りたちの言い方を借りれば極めて〈頑固な迷信家〉のように見えるが、しかし他の者には見せない隠された内的表現という見地からすれば、彼らはおまえのお気に入りたちが〈老練な冷笑家〉と呼んでいるようなものに見えるのだ。
なぜ禁欲的修道僧のある者には、
エキシオエハリーの退縮的プロセスから脂肪が蓄積されるかわりに〈ボイゾニオーノスキリアン振動〉が生まれるのか、これについては、〈カトリック修道僧〉と呼ばれている者たちが編み出した実に精緻な理論まで存在している。彼らは何世紀か前に、これが起こるのは、これらの〈痩せた修道僧〉がその生存の初期にあることに熱狂的に従事し、その結果、普通その若い生物たちの顔に〈吹出物〉(これはここでは医学的にさえ知られている)ができるからであるということを実に詳しく証明したのだ。
現代の修道僧たちの間に見られるこの種の自制の意味を十分理解するには、わしが彼らの間に最後に滞在した時に確信した次のことをつけ加えるだけで十分だろう。つまり、まさにこの
エキシオエハリーの退縮プロセスから生じる諸結果のために、この不幸な禁欲的修道僧の体内の器官クンダバファーの諸特性から生じる様々な結果が彼らの体内に定着するのがいちじるしく促進され、その結果、その働きは前よりもっと活発になったということだ。」
ここまで話した時、宇宙船の召使いがやってきてベルゼバブに〈
レイトーチャンブロス〉を渡したので、彼はそれを耳にあてて内容を聴き始めた。
第二章終