ベルゼバブの孫への話(第3章分) 著者G.I.Gurdjieff

このページでは、第3章についてまとめていきます。
用語集
アイエイオイウオア…生物が、絶対太陽あるいは他の太陽から発する放射物に直接ふれた時に生じる〈良心の呵責〉。聖トリアマジカムノの三源泉の一つの結果から生じた部分が、同じ法則の別の源泉が生み出したものから生じる部分の以前の活動に対して〈反抗〉し、〈批判〉する時に生じるプロセス。
アイエサカルダン…あるいくつかの惑星でのハンブレッドゾインの呼称。
アカルダン協会…アトランティス大陸に、ベルカルタッシを中心に創設された知識人の集団。人間が正常な生存をしていないことを認識し、それを可能にする能力を獲得することを目的とした。
アシャギプロトエハリー…ヘプタパラパーシノク、あるいはアンサンバルイアザールの最後のストッピンダー。
アシュハーク…現在のアジア大陸。
アスコキン…月とアヌリオスを維持するために、地球上に生存する生物が死ぬ時に生み出すよう自然が定めた振動。
アヌリオス…地球に生じた最初の大異変の際に、月とともに地球から分離した二つの塊の一つ。現代の人間には知られていない。アトランティス大陸の最後の時代の人間たちはこれを、〈安眠を絶対に許さないもの〉という意味である〈キメスパイ〉と呼んだ。
アファルカルナ…人間が手で作り出し、自分たちの日常生活で実際に使うさまざまなもの。グルジェフのいう〈客観芸術〉の重要な分野。
アブルストドニス…ヘルクドニスとともに、三脳生物のケスジャン体と魂体を形成し、完成させる聖なる物質。
アラ・アタパン…ヘプタパラパーシノクの法則を解明するために、中国のチョーン・キル・テズとチョーン・トロ・ペルの双子の兄弟が作った実験装置。
アルムアーノ…性交の最後に起こるプロセス。
アルムズノシノー…体内にケスジャン体を形成し、これを完全に機能させて理性をある確固たる段階にまで引き上げた人間は、死者の体内にケスジャン体を生み出し、これをある密度にまで高めて、死者の肉体が生前もっていた機能を死後一定の時間働かせることができる。こうして行なわれる生者と死者の交信プロセス。
アンサパルニアン・オクターヴ…太陽系内部の、七つの宇宙物質(活性元素)から構成されているオクターヴ。
アンサンバルイアザール…あらゆる宇宙源泉から発する放射物。客観科学の定義によれば、〈あらゆるものから発し、再びあらゆるものへと入っていくすべてのもの〉。宇宙的トロゴオートエゴクラットを実現させるもの。
アントコーアノ…三脳生物の客観理性が、〈時の流れ〉に従ってひとりでに完成していくプロセス。その惑星上のすべての生物がすべての宇宙的真理を知っている場合にのみ起こりうる。
アンドロペラスティ…ホモセクシュアル。
イアボリオーノザール…宗教的感情。客観理性の獲得という意味での自己完成をよりすみやかに達成したいという願望、およびそれに向かう努力の中に時おり現われる感情。
イクリルタズカクラ…人間の脳の中を流れている連想によってある時体内に引き起こされた衝動や刺激を、一定の限界内に抑制する能力を人間に与える特性。人間が奇妙な精神をもつに至った一因は、この特性の欠如にある。
イトクラノス…大自然が生物を創造する際の第二原理。一脳および二脳生物を創造する時に適用されるが、現在では地球の三脳生物はこの原理に従って創造されるようになっている。
イラニラヌマンジ…汎宇宙的な物質交替システム。一種の食物連鎖を形成することによって、トロゴオートエゴクラティック原理を実現させるプロセス。
イルノソパルノ…根源的宇宙法則、聖ヘプタパラパーシノクと聖トリアマジカムノが、宇宙凝集体の中で歪められ、その表面でそれぞれが独立して活動する状態。
インクリアザニクシャナス…血液循環。
インコザルノ…真空では存在できない身体。
インスティンクト・テレベルニアン理性…現代の人間がもっている、外部からそれ相応のショックが与えられた時だけ機能する理性。
インパルサクリ…オキダノタが生物の体内に入ってジャートクロムのプロセスが始まる時、オキダノクの根源的部分が、その時生物の体内に存在している知覚作用の中の、〈同種の振動〉に従ってこれと呼応するものと融合し、脳に凝集するプロセス。
ヴァリクリン…アルムズノシノーの儀式において、自分のハンブレッドゾインを、交信をもちたい相手の身体に意識的に注入すること。
ヴィエトロ・イエツネル…外面的なはかないものだけを基盤にして物事を見、評価すること。
ヴィブローチョニタンコ…〈悔恨〉という感覚。
エイムノフニアン思考活動…知覚可能な論理(的思考)。
エキシオエハリー…テタートコスモスの中で誕生する〈重心的役割を果たす活性元素〉の第六のものであり、また最も聖なるもの。第一存在食物が変容する際、男性では睾丸、女性では卵巣に集中する。人間はテタートコスモスが生み出す活性元素のうち、これしか知らない。
エゴプラスティクーリ…霊的視覚化。客観理性を得るのに必要な全データを完全に把握し、肉化しようとする努力および能力。
エテログラム…電報に似たもの。耳にあてて聴く。
エテロクリルノ…宇宙的根源物質。
エルモーアルノ…種の存続のためにエキシオエハリーを放出する聖なるプロセス、およびそれに伴う受胎。
エレキルポマグティスツェン…遍在するオキダノクの二つの部分から成る統合体。
オキアータアイトクサ…ケスジャン体が完全に形成され、機能している三脳生物の体内に生じる第二種の存在理性。
オキダノク…宇宙に遍在する活性元素。聖テオマートマロゴスの三つの独立した力が一つに融合することによって誕生する。あらゆる生成物の形成にかかわり、ほとんどの宇宙現象の根源的な原因である。
オキプクハレヴニアン交換…以前のケスジャン体の交換。地球流にいえば、霊魂の再生または輪廻。
オクタトラルニアン生成物…イラニラヌマンジのプロセスが進行中に誕生する植物の第二類。その植物が誕生した惑星、その太陽、およびその太陽系の他の惑星によって変容した物質から生じる活性元素がこれを通して変容する。
オスキアーノ…教育。
オスキアノツネル…指導者、教師。
オスコルニコー…感謝、報恩の気持ち。
オーナストラルニアン生成物…イラニラヌマンジのプロセスが進行中に誕生する植物の第一類。その植物が誕生した惑星によって変容した物質から生じる活性元素がこれを通して変容する。
オブレキオーネリシュ…十二宮図。
オルーエステスノクニアン視覚…宇宙の全色調の三分の二、384万3200の色調を識別する視覚。
オルス…地球が属する太陽系。
カシレイトレール…羊皮紙に似ているが、ただし野牛の皮を使ったもの。
カラタス…ベルゼバブが生まれた銀河系宇宙の惑星。
カルターニ…ティクリアミッシュ時代のレストラン。
クスヴァズネル…ある者を他の者に対立させるようそそのかす力。
グラボンツィ…現在のアフリカ大陸。
クールカライ…ティクリアミッシュの首都。
クレントナルニアン回転…惑星の自転。
クレントナルニアン位置…惑星が自転する際に、太陽あるいは他の惑星に対してとる位置。
クンダバファー…遥か古代に、人間に自らの生存の真の理由を認識させないために、神聖個人たちが人間の体内に植えつけた器官。この器官が働くために、人間は現実を逆さまに知覚するようになり、また、外部から入ってくる印象が彼らの体内であるデータとなって結晶化し、それが彼らの内部に快楽とか愉快とかいった感覚を引き起こす要因を生み出す。この器官は後にやはり神聖個人によって人間の体内から除去されたが、その特性の諸結果だけはいまだに残り、人間の生を異常なものにしている。
ケスジャン体…パートクドルグ義務の遂行を通して、人間の体内に生まれる第二の体。聖なる物質アブルストドニスとヘルクドニスによって形成されるこの体は、肉体より高次ではあるが、第三の体である魂体あるいは高次存在体よりも低次で、肉体が消滅すると、その惑星の大気圏内に上昇するが、一定の時間が経つとそこで解体する。現代人はこれをアストラル体と呼んでいる。ペルシア語で〈魂の器〉の意。
ケスチャプマルトニアン生物…新しい生命を誕生させるためには二つの独立した性の体内で作られるエキシオエハリーが融合することが絶対に必要な三脳生物。
ケルコールノナルニアン実現…〈順応することによって必要な振動の総量を獲得する〉プロセス。
ゴブ…マラルプレイシーの首都。
コルカプティルニアン思考テープ…ある出来事に関する物質化された観念(テレオギノーラ)が一連の流れをもってつながったもの。
コルヒディアス…現在のカスピ海。
サクローピアクス…アトランティス時代のレストラン。
サムリオス…アトランティス大陸の首都。
サリアクーリアップ…水。
自己沈静…パートクドルグ義務を遂行しなくなった結果生じる、良心の呵責を全く感じない状態。白昼夢にふけるのと同様に、現実から完全に遊離した状態。
シャット・チャイ・メルニス…古代中国科学の一分野。ヘプタパラパーシノクに関する真の知識の断片。
ジャートクロム…オキダノクの特性の一つ。融合体としてのオキダノクが、新しく生まれた宇宙構成単位の中に入ると、オキダノクを生み出した三つの根源的な源泉へと分散し、そのそれぞれが独立して、この宇宙構成単位の中で、各源泉に呼応する三つの独立した凝集体を生み出すプロセス。これが聖トリアマジカムノの発現の基盤となる。
シルクリニアメン…〈機械的な苦しみ〉を伴う〈不機嫌な〉状態。
ジルリクナー…地球でいう医者。
進展(evolution)…退縮とともに、グルジェフの宇宙論の基本概念。グルジェフはこの語を、通常の意味とはほとんど正反対の意味で使っているようで、すなわち、中心からの展開・多様化ではなく、根源(絶対太陽、《永遠なる主》)への帰還プロセスを意味している.もっとも、通常の意味に付随する、内的組織の複雑化あるいは高次の次元への進化という含みはそのまま残している。
ズースタット…意識、あるいは〈霊的部分〉の機能。
ストッピンダー…意識、あるいは〈霊的部分〉の機能。 および二つの重心間の距離。
スヘツィートアリティヴィアン凝集体…人間の脳。
ソーニアト…割礼。
ソリオーネンシウス…惑星間に生じた緊張が各惑星に緊張を誘発し、それが惑星上の生物に影響を与えるという宇宙法則。この法則のおかげで、通常の惑星の生物の体内には、客観理性を獲得するという意味での進化に対する欲求が生まれるのに対し、惑星地球の人間の体内には、安定した生存状態を何としても変えたいという欲求、すなわち〈自由への欲求〉が生じる。
ソルジノーハ…何世紀にもわたって社会的にも家庭内にも定着した、世代から世代へと自動的に受け継がれているさまざまな儀式や作法。グルジェフのいう〈客観芸術〉の重要な分野。
退縮(involution)…進展とともに、グルジェフの宇宙論の基本概念。進展と同じく、通常の語義とはほとんど逆に、中心(絶対太陽、《永遠なる主)からの放出・展開・多様化を意味する。
チャイノニジロンネス…自分や他の人間に行為、思想、観念等を伝達するにあたって、以前彼らの間で起こった同種の行為に対する理解に関連づけて説明する方法。
チョート・ゴッド・リタニカル期…宇宙的大惨事。これ以後、高次存在体は至聖絶対太陽と直接交わる可能性を失ってしまい、そのためその居住地として聖なる惑星パーガトリーが作られた。
ティクリアミッシュ…アシュハーク(アジア)大陸に存在した文化の中心地。地球を襲った三度目の不幸である大嵐でマラルプレイシーともども地中に埋没し、南に移住したその住民は今のペルシアに、北に移住した者はキルキスチェリに定住した。グルジェフはこの文明を、アトランティスと並んで人間が生み出した最高の文明とみなし、J・G・ベネットはこれをシュメール文明と同一視している。
ディムツォネーロ…自分に誓った〈本質的言葉〉。
テオマートマロゴス…二つの根源的宇宙法則、トリアマジカムノとヘプタパラパーシノクの働きを至聖絶対太陽から宇宙空間に導き入れた結果生まれた、絶対太陽の放射物。〈言葉なる神〉とも呼ばれる。
テスコーアノ…望遠鏡。
テタートエハリー…テタートコスモスの中で誕生する〈重心的役割を果たす活性元素〉の第四のもの。第一存在食物が変容する際、大脳半球に集中する。
テタートコスモス…ミクロコスモスの形成物で、〈類似物の相互誘引〉と呼ばれる第二等級の宇宙法則によって凝集した惑星上の凝集体。あるいは、〈ミクロコスモスの・集合から・成る・比較的・独立した・形成物〉。人間を含む全生物と考えられる。
テニクドア…重力の法則。
デフテロエハリー…テタートコスモスの中で誕生する〈重心的役割を果たす活性元素〉の第二のもの。第一存在食物が変容する際、十二指腸の中で生じる。
デフテロコスモス…第二等級の太陽、およびそれからの派生物。
テレオギノーラ…物質化された観念、思考。体内で高次存在体を完成させ、それが有する理性を聖〈マルトフォタイ〉の段階にまで高めた者のみがこれを生み出せる。これはいったん生じると、それが生まれた惑星の大気圏内に永久に存在する。
トランサパルニアン大変動(震動)
第一大変動…彗星コンドールが地球に衝突し、その結果、地球から二つの大きな破片が分離し、空間に飛び散った。その一つが月、もう一つはアヌリオスである。
第二大変動…地殻の大変動の結果、アトランティス大陸が惑星中に陥没し、それとともに、それまでに生み出された全文明やよき慣習も失われてしまった。
第三大変動…大地殻変動のために、それまで肥沃であった陸地が砂におおわれ、砂漠化してしまった。
トリアマジカムノ…世界創造と世界維持に関する二つの根源的宇宙法則の第二のもの。〈聖・肯定〉〈聖・否定〉〈聖・調和〉の三つの独立した力から成る。常に結果の中に流れこんで次に生じる結果の原因となり、また、その中に隠れていて見ることも感じることもできない特性から生じる、三つの独立した、しかも全く相反する特徴を具えた発現力によって常に作用する法則。ギリシア語で、「私は三つを一緒にする」の意。
トリトエハリー…テタートコスモスの中で誕生する〈重心的役割を果たす活性元素〉の第三のもの。第一存在食物が変容する際、肝臓の中で生じる。
トリトコスモス…第三等級の太陽、すなわち惑星。
卜ーリノーリノ…自らが誕生した惑星のいかなる圏内においても解体されないという特性。
トルンルヴァ…ヘプタパラパーシノクに従って第一存在食物が変容するプロセス。
トロゴオートエゴクラット、トロゴオートエゴクラティック・プロセス…至聖絶対太陽を維持する、汎宇宙的エネルギー変容システム、あるいは相互扶養システム。
ナルー・オスニアン衝動…人間がもつ利己主義的心理および欲求。七つの側面をもつ。
ニリオーノシアン世界音…チョーン・キル・テズとチョーン・トロ・ペルが、活性元素の比振動と比重を明らかにするために採用した標準単位。
ハヴァトヴェルノーニ…宗教。
パーガトリー…大宇宙全体の心臓のような存在である聖なる惑星。宇宙に生存する三脳生物が、生存中に自らの存在を完成の域にまで高めた結果生じる彼らの高次存在体が、それぞれ誕生した惑星上での肉体を伴った生存を終えた後にここに住むことを許される。
ハスナムス…惑星体だけから成る者たちのみならず、体内にすでに高次存在体が形成されているのに、どういうわけか〈客観的良心〉という聖なる衝動を生み出すデータがいまだ結晶化していない者たちをも含む三脳生物の、すでに〈凝り固まってしまった〉身体。
パートクドルグ義務…意識的努力と意図的苦悩。人間の体内に高次存在体を形成するのに必要な宇宙物質を同化吸収する唯一可能な手段。
ハーネル・アオート…ヘプタパラパーシノクの五番目のストッピンダーの調和が乱されたもの。
ハーネル・ミアツネル…高次のものが低次のものと融合して中間のものを生み出すプロセス.その結果生まれたものは、混合以前の低次のものにとって高次のものになるか、あるいは次に生まれる高次のものにとって低次のものとなる。
パパヴェルーン…ケシ。
パリジラハトナティオーズ…オキダノクの第三部分。
パールランド…現在のインド亜大陸。
ハンジアーノ…キング・トー・トズが作り出した装置、ラヴ・メルツ・ノクのすべての弦の協和音の総体。
パンデツノク…北極星を太陽とする太陽系。ベルゼバブは、パンデツノクで起こった重大事件を処理する会議に出席するため、惑星カラクスからパンデツノクの惑星レヴォツヴラデンドルヘ向かう。
ハンブレッドゾイン…生物のケスジャン体の〈血液〉。その生物が誕生し、生存している太陽系の他の惑星および太陽それ自体の諸成分が変容することから得られる。
ピアンジョエハリー…テタートコスモスの中で誕生する〈重心的役割を果たす活性元素〉の第五のもの。第一存在食物が変容する際、小脳に集中する。
フーラスニタムニアン原理…大宇宙の全三脳生物の正常な生存を司る第一原理。この原理に従って生存する生物の根源的目的は、トロゴオートエゴタラティック・プロセスに必要な宇宙物質を体内で変容することである。
フリアンクツァナラーリ…現在のコーカサス。
プロスフォラ…パン。
フロディストマティキュールズ…脳神経節を含む脳の中の部分。
プロトエハリー…テタートコスモスの中で誕生する〈重心的役割を果たす活性元素〉の第一のもの。第一存在食物が変容する際、胃の中で生じる。
プロトコスモス…至聖絶対太陽。
ヘプタパラパーシノク…グルジェフの宇宙論の根幹を成す「世界創造」と「世界維持」を司る二大法則の一つ。七の法則あるいは七重性の法則とも呼ばれ、『奇蹟を求めて』の中ではオクターヴの法則とも呼ばれている。客観的宇宙科学はこれを、「法則に従って絶えず偏向し、そして最後にはまた合流する力の流れの進路」と定義している。ある根源的力によって始まった動きあるいは活動は、一定の時間が経過すると必然的にその進路を変更するが、その進路変更は厳密にこの法則に従って起きる。それゆえこの法則および第二の宇宙法則トリアマジカムノを理解すれば、宇宙の全現象が解明できるのみならず、その一部である人間という現象の全側面も理解できるという。
ヘルクドニス…アブルストドニスとともに、三脳生物のケスジャン体と魂体を形成し、完成させる聖なる物質。
ヘローパス…時の流れ。
ポドブニシルニアン…思想の隠喩的伝達形態。
ボビン・カンデルノスト…生物の脳の中にある一種のスプリングで、これが形成される時にその生物が一生の間にもつことのできる経験の総量が決定される。つまりこれが巻き戻る期間だけその生物は生存できる。
ポローメデクティアン生成物…イラニラヌマンジのプロセスが進行中に誕生する植物の第三類。その植物が誕生した惑星を含む太陽系のみならず、メガロコスモスの他の太陽系に属する種々の宇宙凝集体の物質の変容から生じる活性元素がこれを通して変容する。
ポローメデクティック生物…テタートコスモスから直接変容して生まれた初期の生物。
マラルプレイシー…アシュハーク大陸に存在した文化の中心地。地球を襲った三度目の不幸である大嵐でティクリアミッシュともども埋没し、東に移住した住民は今の中国に、西に移住した者は今のヨーロッパに定住した。
ミクロコスモス…惑星上の最小の〈比較的独立した形成物〉。
ムドネル・イン
①機械的に合致するムドネル・イン…ヘプタパラパーシノクの中の三番目と四番目の偏向の間で引きのばされたストッピンダー。
②意図的に生み出されたムドネル・イン…ヘプタパラパーシノクの中の最後(七番目)の偏向と、このプロセスの新たなサイクルとの間で短縮されたストッピンダー。
ムラー・ナスレッディン…「ムラー」とは、イスラーム教国での律法学者に対する敬称。ナスレッディンは、数々の格言や金言を残した伝説上の賢者とされているが、本書ではほぼグルジェフの代弁者と考えて間違いなかろう。
メガロコスモス…現存する世界を構成するすべてのコスモスの総称。
メンテキトゾイン…第二等級の各太陽からの放射物。
モアドールテン…オナニズム。
ラヴ・メルツ・ノク…キング・トー・トズが、自分が生み出した〈振動の進展と退縮〉という理論を立証するために作った装置。
ラスコーアルノ…死という聖なるプロセス。
ラストロプーニロ…匂い、臭い。
ラハラフル…土星の科学者ゴルナホール・ハルハルクが作ったオキダノクを解明するための実験装置。フルハハルフツァハ、ライフチャカン(クルフルルヒヒルヒ)、ソルーフノラフーナはその主要部分の名称。
リツヴルツィ…〈同種のものの集合〉を意味する第二等級の宇宙法則。
レイトーチャンブロス…特殊な金属板にエテログラムの本文が録音されたもので、耳にあてて聴く。
レゴミニズム…秘儀参入者を通して過去の出来事に関する情報を代々伝える方法。
レストリアル…オクターヴ内の重心音、あるいは全音。
ロジックネスタリアン…思考(知性)センターの、あるいはそれにかかわる、という意味だと思われる。
惑星体…肉体。


第40章 ベルゼバブ、人間たちがいかにして根源的宇宙法則ヘプタパラパーシノクを学び、そして再び忘却したかを語る

ベルゼバブが手渡された〈
レイトーチャンブロス〉の内容を聴き終わった時、孫のハセインは再び彼の方を向いてこう言った。
「ぼくの大好きな大好きなお祖父様。ぼくの論理的な力ではどうしても理解できないことが一つあるんですが、どうかそのことをもっと詳しく説明して下さい。
聖なる
惑星パーガトリーの説明を始める時、あなたはぼくに、話すことを何一つ聞き逃さずにとらえることと、ぼくの〈能動的思考活動〉を常に強く緊張させておくようお命じになりました。そうすれば、2つの根源的な聖なる宇宙法則のあらゆる点に関する詳細な概念を形成するための適切なデータがぼくの中で完全に結晶化するだろう、とおっしゃいました。そこでぼくは、あなたの説明の間中ずっとそうしようと努め、おかげでこれらの宇宙法則に関してはかなりのことが明らかになったので、誰かに説明さえできるかもしれません。
とにかくぼくは、
聖なる法則トリアマジカムノについては、3つの聖なる独立した力の特性も含めてかなりよく理解できたし、ぼく個人の本質も極めて満足のいく程度にこれを認識しました。しかし聖なる法則ヘプタパラパーシノクに関しては、ぼくにはあまり重要でないと思われるいくつかの細部はたしかにまだぼくの理性に明らかになってはいませんが、もう少し頑張って熟考すれば、これらも同じくらいよく理解できるのではないかと思っています。
とはいえ、これらの聖なる法則を一所懸命同化吸収しようとしていた時、ぼくははっきりと、これらの法則は非常に複雑で、全体的にいって〈完全な理解〉は難しいと感じました。と、その時突然、この惑星地球に誕生し生存している三脳生物が、ただ単にこれらの聖なる宇宙法則を理解できただけでなく、まわりの宇宙生成物の中にそれらを発見できたということを思い出して非常に驚愕し、その驚きは今でも続いているし、また強い興味もかき立てられました。なぜそんなに驚いたのかというと、ぼくはあなたのお話から、
第ニトランサパルニアン大変動以来、新たに誕生した彼らが責任ある存在になった時には、広く行き渡っている異常なオスキアーノのために、ただ〈自動的な理性〉しか持たなくなっているという印象を強く受けたからです。
そしてぼく自身これらの聖なる宇宙法則を理解しようとした時、彼らのそんな理性でこれらを理解するのは到底不可能だということをぼくの全本質でもって確信したのです。」
こう言うと、ハセインは問いかけるような熱っぽい眼差しで祖父を見つめた。
少し考えてからベルゼバブは話し始めた。
「よくわかった、坊や。おまえの中で極めて自然に湧き上がってきたその困惑が消えるように説明してみよう。
前にも一度話したように、おまえが今言った時期以来、この惑星の三脳生物はほとんどすべて、異常な形で定着した通常の生存状態のために単なる自動的理性しかもたなくなったのはたしかではあるが、時として彼らのある者は偶然、彼らに共通のこの運命を逃れて、この惑星では普通になってしまった自動的理性ではなく、我らが偉大なる
メガロコスモスのすべての三センター生物がもっているのと同じ真の客観〈理性〉を自分の内に形成するようになってきた。
たしかに特に近年では、このような例外は非常に稀になってきてはいるが、それでもないわけではない。
このような例外がどんなふうに起こるかを大まかにでも理解するには、まず次のことを知っておかねばならん。
器官クンダバファーの特性の諸結果が彼らの中で結晶化し始めて以来、彼らが責任ある存在として生存する期間中、自動的理性をもつことは当然のこととなったが、それにもかかわらず現在に至るまでずっと、彼らの誕生時および形成期の初期から責任ある存在へと完全に形成されていく期間を通じて、彼らの体内には常にそれ相応のデータが結晶化するあらゆる可能性の芽が存在しており、そのデータが後に、責任ある存在として生存していく間に客観理性を誕生させ、機能させる。この客観理性は、性質や外形には関係なくすべての三脳生物の体内にあるべきもので、本質的には、いわば〈神性の本質そのものの代表〉ともいうべきもの以外の何ものでもない。
おまえの質問、とりわけ
オスキアーノヘの言及から察するところ、おまえ自身も客観的な意味における彼らの大きな不幸に気づいているようだが、それは厳密にいうと次のようになる。彼らは実際、誕生時には今言ったような可能性をもっているのに、母の子宮から離れたまさにその日から、すでに責任ある年齢に達している彼らのまわりの生物が営んでいる通常の生存プロセスの異常性のために、ある有害な手段の執拗な影響の下に置かれるようになるが、この手段は、前にも話したように、彼ら自身が自分たちのために創案したもので、ある種のオスキアーノ、つまり彼らが〈教育〉と呼んでいるものの一部なのだ。
その結果、客観理性を生み出すのに必要なものすべてを自由に形成する可能性は、このようにしてこの不幸な、いわば〈いまだあらゆることに無邪気な〉新たに誕生した生物たちの中で、〈準備期〉と呼ばれる期間中に徐々に衰退し、ついには消滅してしまう。そしてその結果、これらの新たに誕生した生物たちが後に責任ある存在になった時、彼らは、いわばその〈本質の重心〉において、彼らが当然もっているべき客観理性の所有者ではなく、機械的に知覚された人工的なまやかしの印象をごっそりためこんだ奇妙な生物になってしまうのだ。これらの印象の総体は、彼らの霊化された個々の部分が位置している部位とは何の共通性ももってはいないが、彼らの身体の各機能とはそれぞれ繋がりをもっている。以上のことの結果、彼らの生存の全プロセスが機械的に進むだけでなく、彼らの惑星体のほとんど全機能が、単に偶然機械的に知覚された外部の印象に依存するようになったのだ。
非常に稀なケースだが、おまえのお気に入りたちの何人かが、責任ある年齢に達した時に責任ある三脳生物にふさわしい真の純粋理性をもっていることもある。こういったことが起こるのは、だいたい次のような場合だ。たとえば母の子宮から離れて新たに誕生した生物が、どういうわけかあらゆる種類の異常性、つまりこの不運な惑星に生息する三脳生物の外的な生存プロセス全体に満ちあふれている異常性にふれもせず、またそれから自動的に有害な影響を受けもしないような環境に生まれ落ち、その後の形成プロセスをそこで送るとしよう。このような場合には、彼の中にある純粋理性を獲得する可能性を秘めた萌芽がこの形成期間中に根まで腐ってしまうということはない。それだけではなく、時には、今言ったような比較的正常な状態の中に誕生した三脳生物がその後の形成を完結する際、責任ある存在への準備期間に彼の指導にあたった者が、以前に、もちろんこれも偶然にではあるが、同様の形で完全に形成されていて、しかも
パートクドルグ義務を常に果たしているために、〈良心〉という神聖なる衝動を生み出すデータ(これは潜在意識の中にそっくり残っている)が目覚めた意識の働きの中に参与しているような人間である場合もある。
その場合、今言ったような状態でやっと準備期に達したばかりのこの新しい生物に関して彼が引き受けた責任の重要性を存在全体で気づいているこの指導者は、良心に従って公平無私な観点から、その場その場にふさわしい印象を知覚するための様々な〈内的および外的要因〉と呼ばれるものを
オスキアーノ用に作り出す仕事に着手する。これはこの新しい生物の体内にある種のデータを結晶化させるためで、このデータの総体のみが、〈スヴリプルーノリアン〉の力、あるいは地球のおまえのお気に入りたち流にいえば〈必然的に受け継いだ情熱によって外部と自己同一化したり影響されたりしない能力〉を、責任ある年齢に達した三脳生物に与えることができる。そしてまた、これらのデータから生物の体内に生み出されたこの衝動のみが、彼のまわりの宇宙生成物の中に現れるあらゆる真実の現象を自由かつ偏見なく見抜く力を、彼が獲得するのを助けることができるのだ。
ここで次のことを繰り返しておいたほうがいいだろう。我々の
メガロコスモスの中の三脳生物が誕生し生存しているほとんどすべての惑星でよく口にされる文句があるが、それはこういうふうに定式化されておる。
『われらが《共通なる父である永遠の主》こそすべての三センター生物の唯一の創造者である』
しかしながら、準備的な生存期間中に彼の本質を本当に創造するのは、彼の〈
オスキアノツナー〉、つまりおまえのお気に入りたちが指導者とか教師とか呼んでいる者なのだ。
そんなわけで、前世紀にはまだ時々こんなことも起こった。つまり、ある一人の人間が今言ったような具合に責任ある年齢に達した時、外的な知覚に対して完全に準備ができていて、そして偶然にまわりの宇宙生成物の中のある合法則的な特性を発見してそれを詳細にあらゆる角度から研究し始める。そして長く根気強い努力の結果ついに何らかの真理に到達し、そしてまわりにいる自分と同類の人間たちをこの真理に導く、といったことだ。
さて坊や。これから、いかにしてこの奇妙な三脳生物たちが最初にこの根源的宇宙法則、
聖ヘプタパラパーシノクに気づき、そしてこれら昔の三脳生物たちが完全に認識したこの法則の詳細に関するすべての情報がいかにして生まれ、またこれが代々受け継がれていくうちに、この惑星、つまり彼らがこの情報を認識することを可能にしてくれた惑星の後世の三脳生物たちがどんな具合にこれを自分たちの所有物にしたかということ、それから同時に、彼らの例の奇妙な精神ゆえに、このことからいついかなる結果が生じたかについて話すから、よく聴いておきなさい。
このことに関しては、彼らがこの聖なる法則を認識したことを明らかにするだけでなく、これを次第に忘却していったことについても歴史的経緯を追いながらできるだけ詳しく話したいと思う。それというのも、これに関する知識があれば、まず第一に、さっきおまえが言ったこの聖なる法則の〈あまり重要でない細部〉を(むろんおまえはこの法則をまだ完全にはおまえの理性の中で実体化させていないのだが)明らかにするのに大いに役立つからであり、また第二に、この説明から次のことがわかるようになると思うからだ。つまり現代でもおまえのお気に入りたちの中では、時々とはいえ、たしかに真の知識人たちの圏内から今話したような責任感のある人間たちが現れてきている。だから、他の三脳生物たちが多少なりとも正常に生存していると仮定するならば、これらの人間の公平無私かつ謙虚な意識的努力によって、この不運な惑星にも真の客観的智恵が生まれて徐々に成長し、その結果、われらの偉大なる
メガロコスモスの他のすべての惑星に住む三脳生物たちがとっくの昔から当然のこととして亨受している幸福を、彼らも手に入れることができるかもしれない。
その昔、この惑星の三脳生物たちが体内に
器官クンダバファーをもっていた頃には、地球の人間たちが宇宙の真理について何か学びうるなどということはもちろん論外だった。
しかし後世になって、彼らが体内に宿していたこの悪しき器官の機能が止められ、その結果彼らの精神が自由になり、いわば彼ら自身のものになって〈個〉となった時、まさにこの時から、彼らの〈比較的健全な〉思考活動に関するありとあらゆるお話が始まったのだ。
おまえが興味をもっている三脳生物たちが、その身体でこの根源的宇宙法則
聖ヘプタパラパーシノクを最初に知覚し、認識したのはアトランティス大陸においてであった。前にも話したから覚えているだろうが、その頃彼らのうちの何人かが、自分の中で何か〈適切でないもの〉が働いていることを理解し、さらに、自分たちはこの何か〈適切でないもの〉を除去して当然あるべき姿になる可能性を有していることを発見した。〈時の流れ〉のまさにこの時点から、彼らのある者は自分の体内の、健全な思考活動から見れば〈異常な働き〉であるものを観察し、この異常の原因を探ってそれを除去する可能性をいろいろと模索し始めた。また当時は、真の学問の様々な分野がすでに高いレベルに到達していたが、そういった時代に、この、当時の言い方を借りれば〈理性の機能のうち最も必要とされるもの〉に非常な関心をもった人間たちの中に、テオファニーという名の三脳生物がいた。そして彼こそは、真の学問のこの分野が後世になって発展するための理性的な礎を築いた人間なのだ。
これは後に偶然知ったことだが、このテオファニーはある時、当時〈パテトゥック〉と呼ばれていた植物の煎じ汁と松ヤニ、それに当時〈ケユオニアン山羊〉と呼ばれてよく知られていた動物の乳から採ったクリームとを混ぜたものを乾かすために大理石の板の上に注いでいた。これが乾いて固くなると樹脂ができるが、これは当時食後に噛むものとしてよく使われていた。ところが彼はこの時初めて、
この混合液を大理石の上に注ぐと、注ぎ方や量には関係なく、冷えた後には必ず7つの平らな表面をもつ物体が得られることに気がついた
全く予期していなかったこの発見にテオファニーはひどく驚き、それと同時に、自分には未知のこの合法則性の根本原因を自分の理性に明らかにしたいという強い欲求が体内に湧き上がってきた。そこで彼はこの時以後、意識的な目的をもって同じことを繰り返しやり始めた。
この探究を始めてまだ間もない頃、彼の発見に関する初期の様々な実験を共同でやっていた、やはり当時の知識人である友人たちもこれに興味を抱くようになり、以後この探究を一緒に続けていくようになった。
さて、緻密な研究を長期間続けた結果、おまえの惑星のこの三脳生物のグループはまず次のことに気づき、ついには確固たる確信をもつに至った。それは、彼らの器官が様々な形として知覚する一時的な外的形態をもって顕現してくる彼らのまわりのほとんどすべての宇宙生成物は、常に7つの独立した側面をもっているということだ
おまえの惑星のこの学識ある三脳生物のグループの意識的努力の結果、ほぼ正常といえる学問の分野がアトランティス大陸に誕生し、〈
タザローリノーノ〉という名称を与えられて徐々に成長し始めたが、これは〈あらゆる現象は七つの側面をもつ〉という意味であった。
しかしこの大陸が消滅し、この真の学問の分野から何一つ後世に伝わらなかったために、この惑星の人間たちはその後長い間、この聖なる宇宙法則については再び完全に無知になってしまった。
学問のこの分野は明らかにアトランティス大陸では非常に広く知られており、そのためこの大陸の知識人たちは、後世に手つかずのまま伝えたいと思う知識については普通これをレゴミニズムの中に入れるのに、この分野に関してはそうする必要はないと考えたようだ。
もし学問のこの分野に関するレゴミニズムが存在していれば、アトランティス人たちが獲得した他の知識と同様、この大陸の消滅後にたまたま生き残った人間たちを通して、この知識に関しても何らかのものが伝えられたことであろう。
聖ヘプタパラパーシノクに関する知識は長い年月を経た後で初めて再び知られるようになったが、それは二人の偉大な知識人〈チョーン・キル・テズ〉と〈チョーン・トロ・ペル〉の兄弟のおかげであり、この二人は後に聖者となり、今では、ついこの前我々が訪れた聖なる惑星パーガトリーに住んでいる。
前にこう話したな。アジア大陸にマラルプレイシーという国があって、そこにコヌジオンという名の王がいた。彼はこの惑星の様々な自然現象を観察するためにアトランティスからこの地に移り住んだ
アカルダン協会の知識人たちの子孫で、その彼が〈グルグリアン〉という名の花の種を噛むという悪習から国民を救うためにある〈賢い話〉を作り出したという話をしたが、覚えておるかな。
さて、このコヌジオン王に孫が生まれ、彼の後を継いでやはり王となってこのグループの人間たちを統治したが、この孫に二人の男の子、それも双子が誕生し、上の子は〈チョーン・キル・テズ〉、下の子は〈チョーン・トロ・ペル〉と呼ばれた。当時この
マラルプレイシーでは〈チョーン〉というのは王子を意味していた。
偉大なる知識人集団の主要なメンバーの一人の直接の子孫ということで、この二人の兄弟の環境はその〈準備的年齢〉にふさわしく整えられ、また一方では、彼ら自身、この惑星で新たに誕生した三脳生物はみなもっている遺伝的な生得の資質、すなわち〈
パートクドルグ義務〉を遂行する力を生み出すデータを結晶化させる資質を衰退させないよう努めた。それに加えて、彼らの誕生の原因の〈肯定的源泉〉、つまり彼らのいわゆる父が、彼らがその将来の責任ある生存を学問の領域で送るようあらかじめ定め、そしてその準備のためにあらゆる手段を講じた。こうしたことのおかげで、彼らは責任ある年齢に達した時には早くも、われらの偉大なるメガロコスモスのすべての惑星上の、同じ目的を選び取った三脳生物、つまり〈虚栄心に満ちた〉〈自尊心の強い〉、そして〈自己愛的な〉弱点と呼ばれるものを満足させるため(とりわけ地球の現代人の中でこれと同じ領域を選んだ者たちがやっているのはまさにこれなのだが)ではなく、より高次の存在を獲得するために研究を行なう三脳生物とほとんど同等の者になっていたのだ。
最初彼らは、地球流にいえば〈医学専門家〉になり、その後、学問全般を身につけた。
彼らは準備的年齢の時期と責任ある年齢の初期を
マラルプレイシーのゴブという町で送ったが、この惑星の表面のこの部分が徐々に砂に埋もれてきたので、彼らも多くの避難民とともに東へ移った。
後に偉大な知識人となるこの双子の兄弟を含んだマラルプレイシーからの避難民たちは、マラルプレイシー東部の高地を横断して巨大な水域の岸辺に定住した。
その後彼らは一つの固定したグループを形成し、それは現在まで存続しておるが、このグループは、彼らが住んでいる国とともに今では〈中国〉と呼ばれている
さて、この中国と呼ばれる新たな定住地で、この二人の兄弟はアトランティス大陸消滅後初めて根源的宇宙法則
聖ヘプタパラパーシノクを発見し、はっきりと認識したのだ。
彼らがこの発見をするそもそものきっかけとなったのは、現在〈
パパヴェルーン〉、あるいはケシと呼ばれている地上の形成物の中にある宇宙物質の総体であるが、これは非常に興味深く、好奇心をそそられることだ。前にも話したとおり、ほかでもないこのケシの種を噛む風習が広まったために、彼らの曾祖父である偉大なるコヌジオン王はその昔あの〈宗教的教え〉を編み出したのだからな。
この二人の偉大なる知識人は明らかに、彼らの曾祖父である偉大なるコヌジオン王から、まわりの同種の生物に対する義務をよく認識し、考慮する能力に加えて、この産出物に対する興味と情熱も遺伝によって受け継いでいたが、この産出物はそれまでもずっと、おまえのお気に入りたちにとっては、それでなくても衰弱している彼らの精神を決定的な衰退へと追いやる無数の有害な元凶の一つであった。
どうしてこんなに小さな地上の形成物、つまりさっき言った
パパヴェルーン、あるいはケシが、この二人の偉大なる知識人がこの最も深遠なる宇宙法則を発見する原因となったのかをもっとよく理解するためには、まず次のことを知っておかなくてはならん。それはつまり、すべての惑星では、〈イラニラヌマンジ〉のプロセスが進行中に、あらゆる地上や地中の形成物、とりわけ〈植物〉と呼ばれる形成物の中に三種類の形成物が生じるということだ。
第一類に属する形成物は〈
オーナストラルニアン生成物〉と呼ばれ、第二類に属するものは〈オクタトラルニアン生成物〉、第三類に属するものは〈ポローメデクティアン生成物〉と呼ばれている。
オーナストラルニアン生成物の進展プロセス、あるいは退縮プロセスを通して、ある種の宇宙結晶体あるいは〈活性元素〉が変容するが、これらの元素は、その惑星、つまり今言ったような種類の地上及び地中の形成物が汎宇宙的イラニラヌマンジを進めるために形成されている惑星そのものによって変容させられた物質からのみ生じてくる。
オクタトラルニアン生成物を通しては、今言ったもののほかに、太陽自体およびその太陽系の他の惑星によって変容した物質から生じる活性元素が変容する。
そして第三類の生成物、つまり
ポローメデクティアンを通しては、今言った二種類のもののほかに、我々のメガロコスモスの他の〈太陽系〉に属する種々の宇宙凝集体の物質の変容から生じる活性元素も変容する。
今話した、おまえの惑星で
パパヴェルーンと呼ばれている地上の植物形成体はポローメデクティアン生成物の類に属しており、これを通して他のすべての宇宙的〈重心凝集体〉の〈変容の結果の総体〉と呼ばれるもの(これは〈あらゆる種類の宇宙凝集体からの放射物の無辺際の拡散〉と呼ばれる汎宇宙的プロセスを通しておまえの惑星の大気圏に入ってくる)が進展したり退縮したりする。
さてそれでだな、坊や。この二人の偉大なる知識人チョーン・キル・テズとチョーン・トロ・ペルは、いまだ新生まもないこの中国での定住地を多少なりとも整備すると、彼らには何の責任もないこの出来事で中断されていた
パートクドルグ義務、つまり責任ある存在として彼らが選んだ職業、すなわち〈医学〉と呼ばれる分野での〈科学的研究〉におけるこの義務を再び意識的に遂行しはじめた。
こうして彼らはさっき言った宇宙物質の総体を研究し始めたのだが、この宇宙物質が例の
ポローメデクティアン植物から採取できることは彼ら以前のおまえのお気に入りたちも知っており、これをアヘンと名づけていた。そしてこのグループの人間たちは通常の会話ではこれを〈夢を生み出すもの〉と呼んでいた。彼らだけでなく当時の三脳生物の多くは、この植物のある種のものを体内に摂取するとあらゆる痛みが一時的に消えることに気づいていた。そこで彼らはこの現象から出発してアヘンの研究を続けていった。
彼らはまずアヘンのあらゆる特性の働きを解明しようとした。それはたぶん、彼らのまわりの同じような避難民の間に非常に広範に広まっていたある特殊な〈精神病〉を、その特性を利用して根絶するか、あるいは少しでも治癒する可能性があるかどうかを調べるためだったのだろう。
研究を続けていくうちに、彼らはまず、アヘンは7つの独自の特性をもつ独立した結晶体から成っていることに気づいた。
さらに詳しく調べていくと、この〈全一体〉を構成している7つの独立した結晶体一つ一つは、またそれぞれ独自の特性をもつ7つのはっきりした結晶体からできており、さらにまたその一つ一つが7つの結晶体からできているという具合に、ほとんど無限に続いていることをはっきり突き止めた。
この発見に彼らはひどく驚くと同時に興味をもち、それで彼らはそれまで取り組んでいた問題をすべて脇に押しやって、それからは忍耐強く、彼らが最初の発見者となったこの驚嘆すべき事実の研究に没頭した。そしてついに、アトランティス大陸が存在していた時期も含めて、彼らの前にも後にもおまえの惑星の三脳生物の誰一人として獲得できなかった結果を手に入れたのだ。今では聖チョーン・キル・テズ及び聖チョーン・トロ・ペルになっているこの偉大なる知識人がこの惑星上での生存を終えて何世紀も経った後、わしは偶然ある調査の途中で彼らの活動の経歴を詳しく知る機会を得た。それによると彼らは、現在アヘンと名づけられている宇宙物質の総体が7つの〈多様で独自の特性をもつ活性元素〉の一連の混合体から成っているということを疑いの余地なく確信し、それ以来、彼らのまわりで生起する他の多くの〈宇宙生成物〉、あるいは地球の言葉を使えば〈現象〉を、同じ目的をもって研究するようになった。しかし
研究を続けていくうちに、彼らは研究対象を3つ、すなわちこのアヘンと、〈白光〉と呼ばれているもの、それに〈音〉と呼ばれているものに限定することにした
宇宙プロセスが今言った3つの様態として顕現する結果を研究していくうちに、彼らは次のことを完全に明らかにし、疑問の余地なく確信するに至った。すなわちそれは、これらが生起し、外的に顕現する原因に関しては、これら3つの結果には何ら共通する点はないけれども、内部の構成と機能という点では、最も子細な点に至るまで全く同じであるということだ。
要約すれば、アトランティス大陸消滅後、いまだ若い中国の双子の兄弟が、この惑星では二番目に、次のことを極めて明確に認識した。つまりそれは、外面的には独立している一つ一つの現象も、一つの単位として考えれば、その現われ全体としては独立した7つの二次的単位から成り、それ独自の特性をもっていること、またこの独立した二次的単位も7つの三次的単位から成っており、この関係は無限に続いていくこと、そしてまた、この一次的、二次的、三次的……単位一つ一つの中では、相互関係と相互影響とのプロセスはどんな子細な点においても均等に、最小限の点に至るまで続いていき、そして同等の結果を生み出すということだ。
ところで彼らは、この研究を進めていく上でまず、得られた結果全体の一次的な7つの独立した側面及び二次的、三次的派生物に名称をつけて明確化した。
最初の7つの基本的側面は次のように名づけられた。
(1)エルティ・ピカン・オン
(2)オリ・ピカン・オン
(3)サミ・ピカン・オン
(4)オクティ・ピカン・オン
(5)クーティ・ピカン・オン
(6)エブシ・ピカン・オン
(7)シヴィディ・ピカン・オン

二次的側面は次のとおり。
(1)エルティ・ノーラ・チャカ
(2)オリ・ソーラ・チャカ
(3)サミ・ノーラ・チャコー
(4)オクティ・ノーラ・チャカ
(5)クーティ・ノーラ・チャカ
(6)エプシ・ノーラ・チャカ
(7)シヴィディ・ノーラ・チャコー

そしてこれらの名称がさっき話した宇宙的プロセスの3つの結果のどれに対応しているかを明確にするために、彼らは各名称の後に次のような語をつけ加えた。
すなわち、音の微妙な差異を明確にするために、彼らはその振動数に留意して、これらに〈
アリル〉という語をつけ加えた。
また、〈白光〉という複合体の特殊性を明確に示すためには、〈
ナール・クラ・ノーラ〉という語をつけ加えた。
そしてアヘンと呼ばれている
ポローメデクティアン産出物の活性元素を明確に示すためには、その元素のいわゆる〈比重〉と呼ばれているものの数値だけをつけ加えた。
また比振動と比重を明確にするために、この二人の偉大なる知識人は標準単位として音の振動の単位を採用し、これを〈
ニリオーノシアン世界音〉と名づけた。
この当時の地球の二人の偉大なる知識人がつけた
ニリオーノシアン世界音という名称の意味については、もう少し後で話してあげよう。しかしとりあえず、この問題に関するこれから先の説明をはっきり理解するために次のことを知っておきなさい。多くの惑星では真の科学者は、比重や比振動を対比的に計算するための標準単位として、この上なく聖なるテオマートマロゴスの中の、客観科学が立証したあの部分、すなわち聖トリアマジカムノの3つの聖なる力がもっているいわゆる〈活性度〉と呼ばれるものをいまだ完全に保っている部分を採用している。ところがおまえのお気に入りの惑星では、いつの時代にも生まれている新型の科学者だけでなく真の科学者たちまでもが、今日に至るまで、今言ったのと同じ目的のために、標準単位として〈水素原子〉と呼ばれるものを採用している。つまり彼らが知るに至ったある生成物全体の多様な特性をもった各部分の比重、たとえば彼らの生存をとりかこんでいる圏内に当然存在しているべき多くのものの中から彼らが知るに至った種々の活性元素などの比重を対比的に計算する上で、あるわけのわからない理由からこの水素原子が最小で分割不可能なものと考え、これを単位として使っているのだ。
ここで見過ごしてはならないのは、おまえのお気に入りたちの中のこの哀れな科学者たちは、もしこの水素原子が彼らの惑星の圏内では事実最小で分割不可能であるとしても、だからといって他の太陽系の内部、いや彼らの太陽系の中の他のある惑星の圏内でさえ分割不可能であるとは限らないなどとは、考えたことすらないということだ
ここでついでに次のことも覚えておきなさい。彼らが水素と呼んでいるのは、7つの宇宙物質、つまりそれらが全体となって、その特定の太陽系のために宇宙物質の〈
内的アンサパルニアン・オクターヴ〉と呼ばれるものを生み出す7つの宇宙物質のうちの一つであり、その中の個々のオクターヴは基本的な〈汎宇宙的アンサパルニアン・オクターヴ〉の七分の一の独立した部分なのだ。
このように内的に独立した
アンサパルニアン・オクターヴは、あのなつかしい我々のカラタスが属している太陽系にも同様に存在しているが、我々はこの7つの質を異にする宇宙物質を次のように呼んでいる。
(1)プラネクラブ-これを彼らは水素と呼んでいる。
(2)アリロノファラブ
(3)クリルノモルニファラブ
(4)タルコプラファラブ
(5)クリトファルモノファラブ
(6)シリオーノリファラブ
(7)クラナノイズファラブ

おまえのお気に入りの惑星ではこれまで、様々な時代の真の科学者たちが、彼ら自身の太陽系の内的な
アンサパルニアン・オクターヴを構成しているこれら7つの異なった特性をもつ比較的独立した結晶体、あるいは彼らの言い方によれば活性元素をいろいろな名称で呼んできたが、現代のいわゆる学識ある化学者たち、つまりすでに〈第一級の新型知識人〉になっている者たちはこう呼んでいる。 
(1)水素
(2)フッ素
(3)塩素
(4)臭素
(5)ヨウ素

最後の2つの結晶体に名称をつけていないのは、それらが先祖から伝わっていないためだが、それどころか現在では、自分たちの惑星にこの2つの宇宙物質、つまり彼らの生存に絶対必要な要素であるこの2つの宇宙物質が存在していることさえ忘れ去っている
彼らの惑星の圏内ならどこでもふれたり手に入れたりできるこの2つの宇宙物質は、ほんの二世紀前までは、〈
ハイドロ・オーミアク〉及び〈ペトロカーマク〉という名称で、当時〈錬金術師〉と呼ばれていた〈科学的な人間たち〉には知られておった。ところが現代の〈漫画的科学者たち〉は彼らを〈オカルト山師〉などと呼んで、単に〈人間の純真さを食いものにする連中〉と考えておる。
以上のようなわけで、今では聖者となっているこの二人の偉大なる知識人、つまりチョーン・キル・テズとチョーン・トロ・ペルの双子の兄弟は、アトランティス消滅後初めてこの知識の礎を新たに築いたのだ。彼らはただこの〈特殊な情報全体〉の基礎を新たに築いただけでなく、前に話した偉大なる法則の中にある合法則的な3つの主たる特性のうちの2つ、すなわち
ムドネル・インのうちの2つを初めて発見した。そして当時彼らは真の知識のこの支脈、つまりアトランティス大陸で〈あらゆる現象がもつ七面性〉と呼ばれていたものと同種の支脈を〈九重性〉の法則と呼んだが、その理由は、この偉大なる法則の7つの明瞭に〈異なる顕現〉(彼らはこれを〈ドークザコ〉と呼んだ)に、彼らが初めて発見して〈ソーアンソー・トーラビゾ〉と名づけた2つの特性をつけ加えたからだ。ちなみにこの名称は、〈全体の連続的な流れの中で必ずなくてはならない間隙的側面〉という意味だ。彼らがこの法則にどうしてこんな名称をつけたのかというと、彼らが詳細な研究を進めていく過程で調査したあらゆる宇宙的な〈一時的結果〉の中では、彼らが最初に発見したこの特性が、この偉大な法則のプロセスのある時点で常に必ず同じように働いていることを全く疑問の余地なく確信したからだ。
この二人の偉大な中国の知識人はこのことを解明するためにあらゆる〈化学的〉〈物理的〉〈機械的〉実験を行ない、そして徐々に非常に複雑で最高度に啓発的な実験装置を開発し、これを〈
アラ・アタパン〉と呼んだ。
この装置
アラ・アタパンを使って、彼らは自分たちにも他の人間たちにも次のことをはっきり証明した。すなわち、宇宙プロセスの中のこれら3つの〈一時的結果〉、つまり地球ではアヘンと呼ばれているポローメデクティアン産出物と白光と音の中には全く同じ特性がある。すなわち、外面的には全く異なるこれら3つの宇宙現象の中には、全く同じ〈形成的構造〉と呼ばれるものがあるということだ。別の言い方をすれば、それらの中には全く同じ〈相互作用的合法則性〉があり、これら外面的には明らかに異なる独立した顕現の中で、この〈相互作用的合法則性〉はそれ自体の中で作用するのと全く同じ作用を互いに対して及ぼし合う。あるいはもう一度言いかえるなら、ある一つの結果のドークザコは、この宇宙的結果全体の7つの側面の一つであるそのドークザコ自体の中で作用するのと全く同様に、別の結果の中のそれに対応するドークザコに作用を及ぼすということだ。わしはこの偉大な兄弟が生存していた時代から何世紀も後に、彼らが実験を行なったこの装置をこの目で見てその構造を詳しく知ることができた。
この注目すべき実験装置
アラ・アタパンの構造を個人的に詳しく知ることができたのは、もとはといえばわしの本質友人ゴルナホール・ハルハルクに関連したある偶然の事情があったからだ。この話はきっとおまえの興味を引くだろうし、それにおまえの教育のためにも非常に役に立つだろうから、少し詳しくこの話をしてみようと思う。
この驚嘆すべき装置
アラ・アタパンは、ゴルナホール・ハルハルクのおかげでメガロコスモス中のほとんどの真の科学者たちに知れ渡るようになったが、わしはこの装置を次のような偶然の事情から個人的に徹底的に研究することになった。
わしが土星の本質友人ゴルナホール・ハルハルクのところに滞在していた時、彼はすでにこの装置のことをどこかで聞いていて、それでわしに、また惑星地球に行く機会があればこの実験装置を一つ彼にもち帰ってくれないかと頼んだのだ。
それでわしは次におまえのお気に入りの惑星を訪れた時、この装置を一つ調達し、都合がいい時に土星のゴルナホール・ハルハルクに送れるように火星にもち帰った。
ところが我々の宇宙船オケイジョンはこの時に限ってなかなか土星に行く機会がなく、それでこの装置
アラ・アタパンは火星のわしの家に置いたままになっておったので、当然ながらわしの視覚器官の自動的知覚圏内にしばしば入ってきた。そこでわしは、能動的な思考活動を休息させている間にこれを注意深く調べてみて、ついにはその構造と作用を細部に至るまで知るようになった。
この有名な実験装置
アラ・アタパンは3つの独立した部分からできている。
前面部分は〈
ルーソチェパーナ〉と呼ばれ、中央部分は〈ジェンドヴォク〉、そして後ろの部分は〈リアンク・ポコルタルツ〉と呼ばれていた。
そして3つの部分の一つ一つは、またそれぞれに独立したいくつかの特別の部分からできていた。
ルーソチェパーナと名づけられた第一の部分には特殊な円錐形のパイプがあり、その二方の端は広くなっていて、実験が行なわれる部屋のただ一つの窓の枠に完全に密着させて取りつけてあった。もう一方の端には小さな割れ目のような開口部があり、そこには〈集積用円盤〉と呼ばれるものがついていて、窓から入ってきた〈日光〉の光線と呼ばれるものがここを通り抜ける際に変容して、おまえのお気に入りたちが〈凝集白光〉と呼ぶものに変わるようになっていた。
この凝集白光は次に、ある特殊な形の水晶体を通過して7つの〈色彩光線〉に分割され、〈
ピリンジェル〉と呼ばれる象牙製の小さな板に当たる。
この
ピリンジェルという板は、それに色彩光線が当たると光線が再び別の形で凝集して、第二の、これも特殊な形の水晶体を通過し、〈ポロリシュブールダ〉と呼ばれるやはり象牙でできたもっと大きな板に当たるように作られ、調整してある。
この
ポロリシュブールダの向かい側には特殊な構造をした小さな装置があり、それがある一定の方向に傾けてあるために、この7つの色彩光線のうちどれでも好きなものを、ポロリシュブールダからさらに先の〈リアンク・ポコルタルツ〉と呼ばれるアラ・アタパンの第三部分へと向けることができる。
ここでついでにこのことも知っておいていいだろう。
アラ・アタパンという装置のこの部分にある第一の水晶体の構造に関する知識は、現代のおまえのお気に入りたちにも伝わっていて、彼らはこの水晶体を〈プリズム〉と呼んでおる。
地球の現代の知識人たちも、このプリズムを通して白光から7つの色彩光線を発見し、これを手がかりにして他の宇宙現象も解明できないものかと夢想した。
しかしもちろんのこと、そんな夢想やその他様々な彼らの〈科学的感興〉からは何も生まれるわけはない。理由は簡単だ。
彼らはプリズムを通して白光から〈否定的色彩光線〉と呼ばれるものだけを手に入れたのであり、この白光の一時的変化に関連する宇宙現象を理解するためには、〈肯定的色彩光線〉と呼ばれるものをどうしても見つけなければならないからだ
ところが現代のおまえのお気に入りたちは、プリズムと呼んでいる子供のおもちゃを使って発見した色彩光線を、偉大な科学者たちが発見した〈肯定的光線〉と全く同じものだと想像しておる。おまけに彼らは無邪気にも、白光から得られる彼らが〈スペクトル〉と名づけたものが、光線がその本源から発する際の順序を示していると考えているのだ。
まあこの場合、おまえのお気に入りたちの中の哀れな新型科学者たちについては、彼ら自身がよく使う言葉を使って次のように言うしかないだろう-『くたばっちまえ』。
実際、我らの聖なる個人たちが、現代のおまえのお気に入りたちを〈奇形〉としか呼ばないのも全く無理からぬことだ。
そんなわけで、この二人の偉大なる知識人は2つの水晶体を使って白光から肯定的色彩光線を手に入れ、そして
ルーソチェパーナの一部であるポロリシュブールダ板を使って、この驚くべき装置の第三の、そして主たる部分であるリアンク・ポコルタルツにどの色彩光線でも照射できるようにしたのだ。
しかしこの第三の部分はありふれた三脚でできていて、その上には、これも象牙製の、ある形状で重なり合った2つの玉が取りつけてあり、上の玉が下の玉よりずっと大きかった。
下の小さい玉は、そこから肯定的色彩光線がやってくる
ルーソチェパーナと向き合っている。この玉の表面に特殊な形のくぼみが作られていて、実験中はそこにアヘンと呼ばれるポローメデクティアン産出物全体か、あるいは実験に必要なその中の活性元素の一つが入れられる。
一方上の玉には、
ルーソチェパーナに対して平行に中心を通る穴が貫通しており、それにもう一つ、この大きな穴に直角に小さな穴が中心まであけられているが、この穴はルーソチェパーナのすぐ向かい側にある。
この中心までくり抜かれた第二の穴は、色彩光線が直接
ルーソチェパーナから来るか、あるいは下の小さな玉のくぼみに反射してくるか、どちらでも望み通りにできるように作ってある。
大きな玉を貫通している穴は、特殊な形状に作られた〈竹〉と呼ばれるものがその中を自由に移動できるようになっている。
この竹は実験が行なわれるずっと前から、完全な闇の中か、あるいはおまえのお気に入りの惑星の地中にある〈粘土〉と呼ばれる物質のある種のものから得られる〈
シムカラッシュ〉を燃やす時に生じるオレンジ色の光の中で、たくさんまとめて特殊な液体に漬けておかれる。ちなみに今言った粘土は普通、〈マンゾリン〉、あるいはおまえのお気に入りたちが〈ナフサ油〉と呼んでいるものからできている〈サルーニロヴィアン酸〉が堆積している近くに埋まっている。
竹を漬けておく液体の構成分は次のとおりだ。
(1)当時〈
アメルサマルスカナパ〉と呼ばれていた鳥の卵の白身
(2)〈
チルトーナク〉と呼ばれる植物の汁
(3)〈
ケズマラル〉という名の四足生物の排泄物
(4)特別に調合されたいわゆる〈水銀アマルガム〉

この液体が竹に完全に染みこんだら、次にこれらの竹は、今言ったような準備を施されていないもっと大きな竹に一つ一つ挿入され、そして両端が密閉される。
この作業ももちろん、完全な闇かもしくは
シムカラッシュのオレンジ色の光の中で行なわれる。
液体を染みこませた竹が実験に必要になると、液体に漬けていない大きな竹の一端が
リアンク・ポコルタルツの大きな玉を貫通している穴に特殊な方法で差し込まれ、そして細い棒の先に取りつけられた小さなかぎ針で開封される。またこの同じかぎ針で液体の染みこんだ竹を望みのスピードで動かすこともできる。
さて、竹に染みこんでいるこの液体の働きのおかげで、
ルーソチェパーナから直接やってくるか、あるいは下の小さい玉のくぼみに反射してやってくる色彩光線が当たる竹の部分は一瞬のうちに、そして永久に、そこに当たる光線と同じ色に染まる。
液体の染みこんだこれらの竹のうち、大きい竹でおおわれていない部分は、そこに音が当たるとその音の振動に相応する色に染まるが、この振動は、この装置の中央にある〈
ジェンドヴォク〉と呼ばれる部分に位置している弦と呼ばれるものからやってくる。
この
ジェンドヴォクは、〈マンモス〉の牙でできた特殊な形の非常に堅固な枠の上に、様々な長さや太さの弦がたくさん張ってあり、これちの弦のあるものは〈山羊の腸〉と呼ばれるものをねじって作ってあり、また別のものは様々な外形の生物の尻尾の毛から作られていた。」
「大好きなお祖父様、マンモスっていったい何ですか?」とハセインが尋ねた。
「マンモスというのは二脳生物で、初めのうちはおまえのお気に入りの惑星にたくさん生息しており、どんな脳組織をもつ他の生物よりも大きな外形をしておった。
しかしこの種の生物もやはり、地球から分離して現在は月と呼ばれている大きな塊の引き起こした結果の犠牲となったのだ。この月は今ではこの太陽系オルスの中の、わしに言わせれば〈成り上がり惑星〉で、おまえのお気に入りの不幸な惑星に及ぶ諸悪の根源になっておる。
つまりこういうことだ。この小さな成り上がり惑星に大気圏が形成されて徐々に安定してくると、惑星地球の大気圏に巨大な風が巻き起こり、そのため地球の表面のいくつかの部分は(それについてはすでに話したが覚えておるかな)砂に埋もれてしまった。さらにこの時期には、この大気圏内の〈北〉極圏、〈南〉極圏と呼ばれる地域に雪が降り続き、北極、南極の陸地の表面はすべてこの降雪でおおわれてしまったのだ
マンモスという生物はかつてはおまえのお気に入りの惑星の表面の今言った地域に生息していたが、この地球流にいえば前代未聞の〈吹雪〉で彼らも雪に埋もれてしまい、それ以来この種の生物は地球には二度と再び現われなかった。
面白いことに現在では、以前雪でおおわれ、その後〈
カシマン〉、すなわち一般に陸地部分の〈土壌〉と呼ばれるものを形成している物質でおおわれていたくぼみから、よく保存されたマンモスの惑星体が時々見つかるのだ。
マンモスの惑星体がこれほど長期間これほどよく保存されていた理由は、雪の上にすぐ
カシマンがおおいかぶさり、そのため〈イソリアズソクランネス〉の状態、つまりおまえのお気に入りたち流にいえば密閉状態が生じ、その中のマンモスの惑星体は、地球流にいえば一度も〈腐敗〉さらされなかった。つまり一般に惑星体を形成している活性元素が、完全にはその原初の形態にまで退縮しなかったからだ。
そういうわけでだな、坊や。今説明した
アラ・アタパンという驚くべき装置は、先ほど話した宇宙プロセスの3つの〈一時的結果〉が内的な顕現において似たような現われ方をするということだけでなく、それらが同じ要素から形成されていることも証明してみせたのだ。
この装置を使うと、次のことをはっきりと確信できるようになった。すなわちそれは、外面的には何ら関係がないように見えるが実は共通する宇宙プロセスから生じた3つの一時的結果のそれぞれの中では、全く同種の、〈ある一つのものから他のものを生み出し、一つの共通する機能を形成する相互作用〉と呼ばれるものが進行しており、また
ヘプタパラパーシノクの法則の進展的、退縮的特殊性の見地からすれば、一つの機能の中の中間的な各段階の働きが、別の機能における中間的な各段階の働きに影響を及ぼすだけでなく、それらの集合体を構成している振動の性質の特殊性を考慮に入れるならば、これらの一時的な宇宙的結果は完全な類似性を有している、ということだ。
外面的には何の共通もない3つの一時的結果が内的な相互関係においては完全な類似性を有しているということは、以下のようにして証明された。
例えば、アヘンのある活性元素にある色彩光線を照射すると別の活性元素に変容するが、この元素が新たに得た振動は照射された色彩光線の振動と一致している。
色彩光線のかわりに、
ジェンドヴォクの弦の音の振動を同じ活性元素に当てても同じ結果が得られる。
さらに、ある色彩光線をアヘンのある活性元素の中を通過させると、通過中にこの光線は別の色彩、つまりこの活性元素の振動に相応する振動をもつ色彩に変化する。あるいは
ジェンドヴォクの弦からある瞬間に発する〈音の振動波〉と呼ばれるものの中をある色彩光線が通過すると、通過中にこの弦の振動に呼応する色彩に変化する。
あるいは、ある色彩光線と、弦から発するある音の振動の両方を、
ポローメデクティアン産出物を構成しているもののうち、この色彩光線と音の振動の総和よりも振動数の少ないアヘンの活性元素に当ててやると、この活性元素は今言った2つの源泉から生じた振動数の和に正確に一致する振動数をもつアヘンに変容する。このほか、例はいくらでもある。
この比類ない実験装置は同様に、ある生成物の高次の振動は常に他の〈一時的宇宙生成物〉の低次の振動を誘導することも明らかにした。 
さて坊や。これだけ話しておけば、次の情報を与えてもよいだろう。これを聞けば、おまえの思考活動の中で、あの偉大な科学者であり聖者である双子の兄弟のねばり強く公平無私で意識的な努力の結果が、この中国でいかなる一般的形式へと練り上げられていったかを理解するためのデータだけでなく、地球の不幸な三脳生物の体内で理性がどの程度継続的に衰弱してきたかを理解するためのデータも結晶化するかもしれない。
さてこうして、このまだ新生まもない中国において、偉大なる科学者である双子の兄弟の力で、真の科学の一独立部門、つまり以前に生存していた三脳生物の〈完成された理性によって完全に知覚されていた特殊な問題に関する情報の総和〉すなわちこの場合には、当時〈九重性〉の法則と呼ばれていた根源的宇宙法則、
聖ヘプタパラパーシノクに関する部門が確立したのだが、おまえの興味を引いている三脳生物の生存をわしが観察したところによると、これはこの生物の歴史上二度目のことであった。そしてこの偉大な双子の兄弟の聖ラスコーアルノ以後二、三世紀の間は、科学のこの部門はほぼ正常に形を変えないで代々受け継がれたばかりか、当時の真の知識人であった彼らの信奉者たちのおかげでさらに〈詳細に研究され〉、普通の人間の知覚力でも理解しうるものになっていった。
このようなことが可能となった主な理由は、アトランティス大陸の知識人たちが創案した伝承技術、つまり真の秘儀参入者だけがこのような知識を次代の人間に伝えるという慣習がいまだに守られていたからだ。
そうだ、坊や。次のことも忘れないように明言しておかねばならん。もしおまえを魅了している不幸な三脳生物が実際その生存プロセスの中で、たとえ機械的にでも、このはるか昔に確立された方法を続けておれば、いまだ〈比較的正常〉であった祖先の理性が完全に認識した真の知識の総和も無傷のまま残り、現代のおまえのお気に入りたちの所有物となっていたかもしれない。それに、彼らにとって呪われた器官である
クンダバファーの生み出すものの完全なる犠牲になるまいと絶えず努力を続けている者たちも、すでに彼らにとっては克服するのがほとんど不可能になっている〈内的葛藤〉と呼ばれるものを和らげるためにこの知識を利用することもできたであろうに。
この期間、つまりさっき言った二、三世紀の間に、彼らの偉大なる祖先が意識的努力と意図的苦悩を通して生み出したこの祝福が徐々に歪曲され、ついにはほとんど完全に破壊されてしまったことは、われらの
大メガロコスモスの中の多少とも意識的で〈比較的独立した〉個人たちにとって大いに残念なことであるし、またこの不幸な惑星の次代の三脳生物にとっても大きな不幸であった。
このことには2つの原因があった。
第一の原因は、彼ら自身が作り上げた異常な外的生存状態のために、彼らのうちのある者は特殊な〈肉体的・精神的欲求〉をもったまま責任ある存在になっていくということだ。この欲求を彼らの言葉でいうと次のようになるだろう。〈彼らと同種のまわりの人間たちから学があると見られたいというどうにもならない欲求〉。そしてこの〈精神的・肉体的欲求〉は彼らの中に、〈ずる賢い知ったかぶりの大ぼら吹き〉と呼ばれる、これまで何度も話した奇妙な特性を生み出したのだ。
ところで坊や。わしが〈新型知識人〉という言葉を使う時には、おまえのお気に入りたちの中でも、今言った特殊性を有している知識人を指していることをよく覚えておきなさい。
もう一つの原因は、この当時彼らとは無関係に、主として
ソリオーネンシウスの法則の働きによって汎宇宙的プロセスから生じたある外的状況のために、彼らの中で〈知覚〉および〈予知〉と呼ばれる衝動を生み出すよう結晶化しているデータが真の秘儀参入者たちの体内で弱体化しはじめ、そのためこの秘儀参入者たちは今説明したような新型知識人に、彼らだけが知っている真の知識の総体の一部(この中にはこれまで話してきた真の知識の総体も含まれていた)を伝授しはじめ、そのためこの時以来、当時すでに秘儀参入者の大多数の所有物となっていた真の知識のこの部門は徐々にねじ曲げられ、ついにはほとんど完全に忘れ去られてしまったのだ。
今わしは、この祝福がついにほとんど完全に破壊されたと言った時に、わざわざ〈ほとんど〉という言葉を使ったが、それはなぜかというと、客観的意味において重要な真の情報の総体のうちのいくつかの断片は、今話している時代が過ぎ去って再び比較的正常な生存プロセスが彼らの間に定着した時、もう一度〈真の〉秘儀参入者たちだけの手で次代へと受け継がれていくようになり、このように代々伝承されて、非常にわずかな数とはいえ、現代のおまえのお気に入りたちにまで変化をこうむらずに伝わっているからだ。
ところが、はるか昔の偉大な祖先が手に入れ、完全に認識していた真の知識全体のうち、現代のおまえのお気に入りたちのほとんど全員に伝わり、そして彼らの所有物となったのは、実用的ではあるが重要性の低い断片だけで、こういった断片は自動的に彼らに伝わり、この新生まもない中国でも、前に話した混乱期に、普通の人間の大多数の間に広まったのだ。
現代のおまえのお気に入りたちの大多数に自動的に伝わってきたこれらあまり重要でない断片には、次のようなものが含まれていた。一つはアヘンと名づけられた
ポローメデクティアン産出物からある独立した活性元素を分離させる方法。次に〈色彩の混合の法則〉と呼ばれているもの。第三に〈音の七音階〉と呼ばれているもの。
古代中国の三脳生物が理性によって獲得し、現代のおまえのお気に入りたちまで伝わっている今挙げた3つの断片のうち、最初のものについては次のことを話しておかなくてはなるまい。その地でアヘンと呼ばれていた産出物のある構成部分が、人間たちの異常な精神全般にある快い作用を及ぼすという特性をもっていたために、彼らはこれをずっと使用してきていた。そのためこのアヘンからある独立した活性元素を取り出す多くの方法が代々伝えられ、現代のおまえのお気に入りたちにまで伝わってきておる。
そして現在でも彼らはアヘンから多くの部分を抽出し、彼らの中で結晶化している器官
クンダバファーの特性の諸結果を満足させるためにいつも貪るようにこれを服用している。
この
ポローメデクティアン産出物を構成しているものから彼らが抽出した諸部分には、もちろんのこと他の名称もつけられておる。
現代の〈漫画的な学識ある化学者〉の一人であるメンデレーエフとかいう人間は、ご苦労なことに、現在手に入る活性元素の名前を全部集め、いわば〈原子量〉に従って分類までしておる。
彼の分類は現実とはかけ離れておるが、それでも彼の原子量を使えば、この将来中国と呼ばれることになる地に現われた例の二人の偉大なる知識人が当時作り上げた分類をおおまかに復元することが可能になる。
この偉大な兄弟はアヘンには400近くの活性元素が含まれていることを知っていたが、現代の〈地球の化学者たち〉に伝わっているのは、このうちたった42の活性元素を抽出する方法だけだ。この42の活性元素には以下のような名前がつけてある。
(1)モルヒネ
(2)プロトピン
(3)ラントピン
(4)ポルフィロクシン
(5)アヘンあるいはニコチン
(6)パラモルヒネあるいはテバイン
(7)フォルミンあるいは偽フォルミン
(8)メタモルヒネ
(9)グノスコピン
(10)オイロピン
(11)アトロピン
(12)ピロチン
(13)デフテロピン
(14)ティクトゥーチン
(15)コロチン
(16)カイヴァチン
(17)ズーチン
(18)トロロピン
(19)ローダニン
(20)ローダノシン
(21)ポドトリン
(22)アルカトジン
(23)トキトジン
(24)リクトノジン
(25)マカニディン
(26)ポポヴェリン
(27)クリントニン
(28)コドミン
(29)コロモニン
(30)コイロノニン
(31)カタルニン
(32)ハイドロカタルニン
(33)オピアニン(メコニン)
(34)メコノイオジン
(35)ピストトリン
(36)フィクトノジン
(37)コデイン
(38)ナルツェイン
(39)偽コデイン
(40)ミクロバライン
(41)ミクロテバイン
(42)メサイン

最後にこの惑星を訪ねた時、ドイツ共同体の現代の知識人たちが、アヘンからこれとは別の独立した活性元素を分離する方法を発見したというのを聞いた。
しかしこれを聞く前からすでにわしは、この共同体の現代の〈科学者たち〉は、まず第一にほとんど空想にばかりふけっていること、第二に、ちょうど古代ギリシア人のように、未来の世代に有益なことは何一つ準備していないということを確信しておった。だからわしはこの、まあいってみれば新しい、彼らのいう〈科学的達成〉には全く興味をもたなかったので、この新しい活性元素の名前は知らない。
次に、古代中国の例の二人の知識人の理性が獲得した実用的結果のうち、現代の人間にまで伝わっている二番目の断片、すなわち〈色彩の混合の法則〉に関する知識についてだが、これに関する情報は途切れることなく代々ずっと継承されてきた。しかし年々その内容はひどく歪曲されてきて、つい二世紀前に完全に忘れ去られてしまった。
現在でもこの法則に関する情報は、〈ペルシア人〉と呼ばれるグループに属す三脳生物のうちのわずかの者たちには伝えられ、知られてはいるが、しかし現代〈ヨーロッパ絵画〉と呼ばれているものの影響が機械的にかのグループの中でどんどん広まっているので、やはりわれらが敬愛する師の言われるように、この情報もすみやかにかつ完全に〈蒸発〉してしまうことを予期しなければなるまい。
次にこの同じ古代中国人から伝わってきた〈音の七音階〉だが、これについてはできるだけ詳しく話しておかねばならん。なぜかというと、まず第一に、この情報を得ればおまえも振動の法則をもっとよく理解でき、そしてこの法則が理解できれば
聖ヘプタパラパーシノクのあらゆる特殊性も理解できるからだ。第二の理由は、おまえを魅了しておる三脳生物が通常の生存において日常的に使用するために意図的に作り出したものの中から、わしは〈ピアノ〉と呼ばれる〈音響製造器〉を一台家にもち帰ったからだ。このピアノには振動を生み出す〈弦〉が張られていて、これらの〈弦〉は、あの偉大な双子の兄弟が作り出した有名な実験装置アラ・アタパンの第二の特別な部分であるジェンドヴォクと同じように配列することもできる。この装置については、なつかしいカラタスに帰ってから、〈振動が相互に混合するプロセスの連続性〉と呼ばれるものを実演してみせながら説明してあげよう。おまえもこの実演付きの説明を聞けば、われらの大メガロコスモスではいかにして、またどんな順序で最も偉大なるトロゴオートエゴクラットが進行し、またどんな具合に大小の宇宙凝集体が誕生するのかを、おおまかにではあるがもっと容易に理解できるだろう。
この古代の真の知識の〈実用的結果〉の断片がどのようにして生き残り、現代のおまえのお気に入りたちまで自動的に伝わってきたかということに関連して、わしはまずこの振動の法則をもっと正確に説明しようと思う。この法則はあの偉大な兄弟たちによって初めて〈音の七つの重心振動〉として定式化された。
前にも話したように、初めのうちは、真の情報の総体あるいは〈真の知識〉の断片が本当の秘儀参入者だけを通して代々伝えられていたが、そのうちに、そこに込められた正確な意味全体が変化を受ける一方、次代の後継者たちの中の真の知識人たちのおかげでより〈詳細なものにされ〉、地球の普通の三脳生物の知覚力でも手の届くものになった。聖者となったこの兄弟の
聖ラスコーアルノから一世紀半後、彼らの後継者の中にキンダ・トー・トズという名の真の知識人が生まれた。彼はアラ・アタパンの中央部分であるジェンドヴォクの構造原理を基礎にして、〈振動の進展と退縮〉という名の非常に精緻な理論を作り上げた。この理論を立証するために、彼は〈ラヴ・メルツ・ノク〉と呼ばれる特別な装置を創案するが、これは後には我らの大メガロコスモスのほとんどすべての知識人たちの間に知れ渡るようになった。
この
ラヴ・メルツ・ノクという装置はアラ・アタパンの中央部分と同様、非常に堅固な枠に、地球上の様々な四足生物の腸や尻尾の毛で作ったおびただしい数の弦を張って作られていた。
弦の一端は枠の一方に取りつけられ、別の端は枠の反対側に差し込まれた杭に取りつけてあった。
これらの杭は〈杭穴〉と呼ばれるものの中で自由に回転できるように差し込んであり、またそれに巻きつけられた弦も必要な振動数を出すために自由に張ったりゆるめたりできるようにしてありた。
ラヴ・メルツ・ノクに張られた沢山の弦のうち49本は白く塗ってあり、それらの弦の一本一本の振動の総体、つまりそれらの振動から得られるある一定の音は〈オクターヴの重心〉と呼ばれていたが、この音は現在おまえのお気に入りたちが〈全音〉と呼んでいるものに相当する。
この〈重心音〉あるいは全音を生む各7本の弦は、昔も今も〈オクターヴ〉と呼ばれている。
こういうふうに
ラヴ・メルツ・ノクには全音の7つのオクターヴが張られており、すべての弦の協和音の総体は〈聖ハンジアーノ〉と呼ばれるものを生み出すが、これはあの二人の偉大な兄弟がその存在をうすうす感づいていたものであるばかりか、前に話した、彼らが当時〈ニリオーノシアン世界音〉と名づけていたものと偶然にもほとんど完全に一致していた。ラヴ・メルツ・ノクの弦の各オクターヴはある振動を生み出すが、この振動の総体は、偉大な双子の兄弟の計算によれば、宇宙物質、つまり7つの各々独立した源泉から発し、〈根源的、汎宇宙的アンサパルニアン・オクターヴ〉の7つの重心の一つを構成しているすべての宇宙物質の振動の総体と一致していた。
この中国の知識人キング・トー・トズは、
ラヴ・メルツ・ノクの白い弦を一本一本調整して平均的な振動数が出るようにしたが、この振動数は、偉大な兄弟の計算によれば、ある物質の全総体の7つの重心のうちの一つである物質の中にあるはずのもので、またそのもとの物質の全総体も物質の根源的宇宙オクターヴの7つの重心のうちの一つなのだ。
ラヴ・メルツ・ノクではオクターヴ内の各全音だけでなく各オクターヴにも名前がついていた。
最も高いオクターヴは〈アラチアプルニッシュ〉と呼ばれ、以下次のとおりだ。
2番目に高いものは〈エルタロールディアパン〉
3番目に高いものは〈エロールディアパン〉
4番目に高いものは〈チョロールトディアパン〉
5番目に高いものは〈ピアンジアパン〉
6番目に高いものは〈ヴェツェロールディアパン〉
7番目に高いものは〈オクテロールディアパン〉

また〈重心弦〉自体は白く塗られていて、どのオクターヴ内でも同じ名前で呼ばれているが、ただしその上にそれぞれのオクターヴの名前をつけて呼ばれる。
つまりこれらの全音は次のように呼ばれている。
最も高いものは〈アダシュタナス〉
2番目に高いものは〈エヴァトナス〉
3番目に高いものは〈ゴヴォルクタニス〉
4番目に高いものは〈マイキタニス〉
5番目に高いものは〈ミドタニス〉
6番目に高いものは〈ルーコタニス〉
7番目に高いものは〈ソニタニス〉

地球の現代の人間たちはこの全音を、〈ド〉〈シ〉〈ラ〉〈ソ〉〈ファ〉〈ミ〉〈レ〉と呼んでおる。
ところで坊や。聖者となったこの二人の兄弟の偉大さがもっとはっきりわかるように次のことを指摘しておこう。彼らの行なった計算と、この計算の結果はっきりした音の〈振動の活性度〉と呼ばれるもの(これは彼らの推測によれば物質の宇宙における源泉の活性度と呼応している)の質とは、ほとんど正確に現実と一致していたのだ
さらに知識人キング・トー・トズは
ラヴ・メルツ・ノクの各オクターヴ内の白い弦と弦の間、つまり全音の間のある一定の場所に5本の弦を張り、これを黒く塗った。
この黒い弦を彼は〈
デミサクサクサ〉と名づけたが、これは地球の人間たちの言葉で〈半音〉と呼ばれるものに相当していた。しかし彼は、聖者チョーン・キル・テズとチョーン・トロ・ペルの指示に従って、ラヴ・メルツ・ノクのこの〈半音弦〉を、聖ヘプタパラパーシノクによれば音の振動が独立して進展ないし退縮する可能性のない全音の間には張らず、この場所を〈ギャップ〉と呼んだが、この名称をつけたのはこの兄弟が最初であった。そしてこの知識人キング・トー・トズは、オクターヴの中のこれらのギャップがあるはずの全音の間の場所に、〈馬〉と呼ばれる生物のしっぽの毛でできた特別の弦を張った。
この馬の毛の弦が発する振動は常に均一ではなく、それでキング・トー・トズはこの振動を〈混沌〉と名づけた。
この弦から発する振動数は他の弦と違って張り具合には左右されず、これとは別の、主として3つの原因によって変化した。これらの原因はすべてまわりの宇宙生成物から生じるものであるが、その一つは
ラヴ・メルツ・ノクの別の弦から発してこれらの生成物のまわりに浸透した振動の働き、2つ目はある瞬間の〈大気の温度〉と呼ばれるものの状態、そして第三に、いかなる脳の形態をもったものであれ、すぐ近くに存在している生物から発する放射物である。
ラヴ・メルツ・ノクの1オクターヴ内の白と黒と毛の弦の間には、さらに〈ねじった腸〉でできた14本の弦が張ってあり、これらは赤く塗ってあって〈ケーソーケスチョール〉と呼ばれていた。もし地球の現代人たちがこれから生じる音を聞けば、彼らは恐らくこれを〈四分音〉と呼ぶことだろう。
さらにこれらの〈四分音〉の弦のうち、毛の弦の両側に張ってあるものは、締めたりゆるめたりすることによっていつでも自由に振動を変えられるようになっており、そのためこれから発する振動を調整して、毛の弦から生じる頻繁に変化する振動と耳の中で混ぜ合わせることができるようになっていた。
なぜこんなふうに作ってあるかというと、この毛の弦の振動が頻繁に変化するために(この振動の質は、すでに言ったように、大気の温度とか近くにいる生物の放射物とかその他多くの要因に左右されるのであるが)〈赤い弦〉の振動は、もし毛の弦から発する振動と混ざり合わないと、近くにいる生物にひどく〈不協和音的に有害な〉作用を及ぼし、ついにはそれを完全に破壊しかねないという特性を有しているからなのだ。
しかしこの赤い弦の張り具合を頻繁に変え、これから発する振動を
ラヴ・メルツ・ノク全体から生じる振動と混ぜ合わせてやれば、この振動は無害になる。つまりこうすることによって、ラヴ・メルツ・ノク全体から生じる振動はこれを聞く生物にとって〈調和した調べ〉と呼ばれるものになり、いかなる害も及ぼさなくなるのだ。
さてそこでだな、坊や。昔の良心的知識人キング・トー・トズが作ったこの装置
ラヴ・メルツ・ノクと彼の精緻な理論とは、あの比類なき装置アラ・アタパン及びあの兄弟が認識した真の情報の総体と同じ運命を辿ることになった。
つまり、さっき言った、ずる賢い知ったかぶりの大ぼら吹きという生まれつきの性質を具えた新型の人間が引き続きどんどん生まれてきたために、この情報の総体はこの時から変化し始め、その真の意味と重要性は徐々に忘れ去られていったのだ。
それでは、
ラヴ・メルツ・ノクアラ・アタパンの一部であるジェンドヴォクの弦の張り方の基本的原理がどうして自動的に現代の人間たちに伝わったのかというと、それには次のような理由がある。 
さっき話した〈混乱期〉の困難も薄れ、まだ〈比較的正常〉だった地球の三脳生物の理性が達成した偉大な功績から生き残ったいくつかの断片が、彼らの通常の生存プロセスの中ですでに確立していた方法で、すなわちすでに十分に功績を積んで秘儀的知識を授けられた者たちだけを通して次代に伝えるという方法によって再び伝達され始めた頃、こういった者たちの中に、今言ったような固有の性質を具えた責任ある存在になっていく者がますます増えていった。ちょうどその頃、やはり〈新型の科学者〉で、これも中国で生まれたチャイ・ヨーという名の三脳生物が責任ある存在になり、そして次第に広く受け入れられつつあったこの〈音の七音階〉の知識を実際の使用に適用する上での功労者となった。そしてこれが代々伝えられて、現代のおまえのお気に入りたちまで自動的に伝わってきたというわけだ。
責任ある存在になった当初から、このチャイ・ヨーは彼独自のある功績によって〈第一級秘儀参入者〉と呼ばれるものの候補者となるよう定められており、そのため真の秘儀参入者たちは彼に気づかれないように彼に援助を与えた。つまり真の秘儀参入者たちは、過去に彼らの惑星で本当に起こった様々な出来事に関するあらゆる情報を得るために、長い間慣習として定着していたこのような援助をしなければならないのであった。
それに後の詳しい調査でわかったことだが、彼はなかなか偉くなって、あの偉大な装置
ラヴ・メルツ・ノクの構造まで詳細に教えるに値する者とみなされるようになった。
このいわば〈理想的にできあがった新型科学者〉の最初の一人、ということはつまり〈偉ぶってひけらかすという固有性が完全に形成されている〉人間であったこのチャイ・ヨーは、彼のまわりの同じような人間たちが彼を〈科学者〉とみなすようしむけるというその目的だけのために、偉大な装置
ラヴ・メルツ・ノクの詳細に関して、今話した方法で得た情報をもとに作り上げた自分の新説を〈偉ぶってひけらかした〉ばかりか(その際にも振動の法則に関することは一切何一つ〈肯定も否定も〉しなかったのだが)自分自身で単純化した〈音声製造器〉まで製造し、これを〈キング〉と名づけたのだ。
単純化というのはつまり、彼は
ラヴ・メルツ・ノクの赤と毛の弦には全く何の考慮も払わず、白と黒の弦だけを基礎にして、いやそればかりか弦の数もニオクターヴ分だけにして自分の音声製造器を作り上げた。この際彼は、ある1オクターヴ全体を中心に置き、上昇、下降とも連続させるために、半オクターヴを隣の高いほうのオクターヴに、そして残りの半オクターヴを先行する低いほうのオグターヴに置いて2オクターヴとしたのだ。
チャイ・ヨーが〈偉ぶってひけらかす〉ために作り上げた新説は長続きしなかったが、彼の作った音声製造器キングは構造が単純なために広く一般に使われるようになっていった。しかもそれを操作して得られる結果は、器官クンダバファーの特性の諸結果のせいで彼らの体内に結晶化している多くのデータをいわば〈くすぐる〉のに非常に満足のいく効果を生み出したので、この器械は代々自動的に受け継がれていくようになった。
この音声製造器の外形や枠組みの構造、またそれに張ってある弦やその名称は後世の人間たちによって何度も変えられ、ついに現代のおまえのお気に入りたちは〈クラヴィシンバル〉〈クラヴィコード〉〈オルガン〉〈グランドピアノ〉〈アップライトピアノ〉〈ハーモニウム〉等々といった白痴じみた複雑さをもつ重々しい音声製造器を生み出したのだが、
その力は〈子供のおもちゃ〉並みにまで、お話にならないほど退化してしまっておる。しかしそれでも〈重心音の交替〉と呼ばれる基本原理だけは、あの聖者となった兄弟チョーン・キル・テズとチョーン・トロ・ペルがジェンドヴォク、つまり彼らが生み出した比類なき実験装置アラ・アタパンの中央部分で作り出したものと変わらずに今も残っている。
だからこそ坊や。このチャイ・ヨーが単純化し、現代のおまえのお気に入りたちに伝わって、彼らがさっき列挙した音声製造器に使っておるこの原理は(これは現在では〈音のオクターヴの中国式七分割〉と呼ばれている)前にも言ったように、最も偉大なる
トロゴオートエゴグラットのプロセスの中で、〈他のものから生じる振動の流れ〉と呼ばれるものから様々な〈密度〉と〈活性度〉をもつ宇宙物質がどのように生まれてくるか、そしてそれらの物質が結合したり分離したりしながらどのようにして様々な〈比較的独立した〉凝集体を形成し、汎宇宙的イラニラヌマンジを実現するのかを、いうなれば〈実際的・対比的に研究〉し、おおまかに理解する上で今でも助けになるかもしれん。
前に約束したとおり、あのなつかしいカラタスに帰ってから、ピアノという現代の音声製造器の調律の重要性を実際に見せながら説明すれば、おまえもこれについてもっとはっきり理解できるだろう。このピアノは他のものと一緒におまえのお気に入りの惑星の表面からもち帰ったのだが、その目的は、おまえの興味を引いている三脳生物の奇妙な精神、特にこのピアノが彼らのまわりに生み出す様々な活性度をもつ振動に関連したその特性の一つを解明するためで、実は地球ではそのための時間が十分になかったので、ひとつ家にもち帰って暇な時に実験しながら解明しようと思ったのだ。
それとは別に、おまえのお気に入りたちの奇妙な精神に関して、わしが地球に最後に滞在した時に確認したことをつけ加えておこう。おまえのお気に入りの惑星の現代の三脳生物は、あの〈中国式七分割〉を基礎にしてすべての〈音声製造器〉を作り出し、ほとんど毎日それらを操作した結果生じるものを知覚しているにもかかわらず、彼らの誰一人として、客観的に見てそうあるべきようにはそれからちっとも霊感を受けておらず、それどころか、そんな状態に対する悔恨の情など全くないばかりか、むしろ満足という衝動さえ伴って、彼らのあの呪われた
器官クンダバファーの特性の諸結果から結晶化したデータの影響下で、彼らの体内のすべての霊化された器官から生じる連想の流れを意図的に強めさえしておる。おまえもピアノを使っての実演を経験すれば必ず、〈他のものから得られ、そして調和的に流れていく重心振動〉と呼ばれるものについておおよその概念化ができるだけでなく、おまえのお気に入りたちの体内では、すべての三脳生物の体内で当然結晶化しているはずのデータ、すなわちその総体が〈本能のすばやさ〉と呼ばれているものの本質的な働きがどの程度まで弱まっているかを確認して、改めて驚愕という衝動を呼びさまされることだろう。
というわけでだな、坊や。一つには、おまえの興味を引いている三脳生物が健全な思考活動が行なえるように体内で結晶化しているデータの働きの質が確実に低下し続けているために、また一つには、責任ある存在の中であの新しい〈型〉の、つまり新たに形成された知識人が常に増え続けているために、この不幸な惑星の現代の三脳生物の祖先がその理性で完全に認識したこの詳細な〈情報の総体〉(この認識は宇宙のあらゆるところにいる通常の三脳生物の間ではほとんど前例のないものであり、またこの〈情報の総体〉はすでに徐々に変化し始めてはいたが)つまり今ではすでにこの情報の総体が生まれた当の惑星にいる生物を除いては、われらの
大メガロコスモスのすべての惑星の普通の三脳生物の幸福に役立てられている真の情報の総体のうち、この不幸な惑星の現代の三脳生物に最終的に伝えられたものは、われらが常に敬愛するムラー・ナスレッディンが次のような言葉で表わしているものだけなのだ。
『われらが創造主よ、狼の歯を私の大好きな野牛の角とは違ったように創って下さった汝に栄光あれ。おかげでわしは親愛なる妻にすばらしいくしをいくつか作ってやれます』
現代のおまえのお気に入りたちは、伝承されてきた〈オクターヴの中国式七分割〉に特別の敬意を払いながら、前にも言ったように通常の生存プロセスで広くこれを使っているが、実はその分割は、われらの大メガロコスモスに生存するありとあらゆるものを維持している音の原理に則って特別に創造され、構築されたものであるということには全く気づいていない
アジア大陸に存在するいくつかの小グループのほんのわずかの三脳生物だけが、この〈全音を中国式に七つの確固たる重心に分割すること〉の隠された意味を本能的に感じ取り、彼らが聖なるものと考える表現行為の時にだけこれを実際に再現させたのだが、これを別にすれば、近年のおまえのお気に入りの惑星に誕生したほとんどすべての三脳生物の体内では、この分割に込められた思想と意味の重要性を認識するためのデータは完全に結晶化を停止してしまっている、とあからさまに言ってしまってよいかもしれん。しかし実をいうと、おまえのお気に入りの惑星の表面の他のすべての大陸と同様、このアジア大陸に生息する現代の三脳生物もすでにあらゆる本能的感情を喪失してしまっており、一人の例外もなくみなこれを三脳生物にはふさわしくない低次の目的を満足させるためにだけ使っているのだ。
しかしながら、おまえのお気に入りの惑星に生息する三脳生物が聖なる法則
ヘプタパラパーシノクを認識してきた歴史、とりわけ現代の人間たちに関してわしが話したことの中で一番興味深いのは次のことだ。ありとあらゆるものを含む膨大な量の〈特殊情報の総体〉、あるいは彼ら流にいえば〈科学的知識の様々な分野〉が現在再び彼らの間に生まれ、そして彼らはそれぞれの分野でいわば〈丸暗記〉を始めたわけだが、にもかかわらず、最も重要で、おおまかにではあれともかく現実を認識する可能性を与えてくれる分野である〈振動の法則〉に関するものは、全く何一つないのだ。まあもちろん、比較的最近誕生し、現代の〈学識ある物理学者〉や〈学識ある音楽家〉が〈真剣に〉研究し、いうなれば〈知り尽くしている〉かの有名なる〈音の理論〉と呼ばれるものをこの分野に入れるなら話は別だがな。
おまえが現代のおまえのお気に入りたちの本質をいわば〈明瞭に照らし出せる〉ように、わしは今言った現代の地球の〈哀れな科学者たち〉が〈音の振動〉に関していったいいかなる理論を研究し、そして知っているのかを詳しく説明するつもりだが、これはまた、おまえのお気に入りのある者たちの間で広まっているこの分野における種々の誤解は彼らにきわめて特徴的な原因から生じているということを考慮に入れるなら、ますます有益な説明となるだろう。つまりこれは、彼らが〈精密科学〉と呼んでいるものの現代におけるそれぞれ独立した分野の意味と客観的な重要性を理解し、評価する上でまたとない材料になると思うのだ。
しかしそれを話す前に、わしの本質は、現在地球に住む三脳生物、すなわち彼らに固有の〈
パートクドルグ義務〉をねばり強く続けたおかげでついに理性のあの段階に到達し、そしてその際、振動の法則に関する真の情報のデータも必然的に体内に獲得しているはずの三脳生物たちの運命に対して、心から哀悼の意を表わすことを、もう一度わが全身体に要求しておる。
わしはちょうど今、ある連想によってこのことを遺憾の衝動とともに思い出したのだ。なぜかというと、彼らのところに最後に滞在していた時、わしは何度かある三脳生物たちに会ったのだが、彼らは、いわゆる〈精神的完成度〉からいえば、間違いなくこの振動の法則に関する真の情報を体内に吸収し、自分のものにしているはずなのに、わしはその場で、彼らはそのような情報をどこからも吸収しようがないことをはっきり理解したからだ。
たしかに、現在彼らの間にはそのような〈情報の総体〉、あるいは彼らの言葉を借りれば〈振動の理論〉なるものが存在している。ところが今話した、この情報を必要としている不幸な現代の人間たちにとって、彼らの希望や努力にもかかわらず、得られるものといえば種々雑多な誤謬
(考え・知識などの誤り)や矛盾ばかりで、彼らの探求をわずかでも満足させるものは全く手に入らないのだ。
さて坊や。彼らのこのような誤解のそもそもの起源は、〈振動の法則〉に関する情報の様々な断片が2つの別々の源泉、すなわち古代中国人と古代ギリシア人から伝わってきたことにある。この古代ギリシア人についてはすでに話したので覚えていると思うが、彼らの共同体ははるか昔、アジアとヨーロッパの両大陸の間にアジアの漁民たちによって建設された。彼らは悪天候の時の退屈をまぎらすために種々の〈科学〉を発明したが、その中にこの〈音の振動に関する科学〉も入っていた。
彼らのこの科学も後には代々受け継がれ、中国人の科学とほとんど同時に現代の人間たちに届いたのだ。
後々の誤解はここから生じた。古代中国人から伝えられた情報では、〈振動の全オクターヴ〉は7つの〈
レストリアル〉を含んでいる。つまりオクターヴは7つの〈重心音〉から成っている。ところがギリシア人からの情報では、〈振動の全オクターヴ〉は5つの〈レストリアル〉を含む。すなわちオクターヴは5つの重心、あるいは5つの全音から成っているのだ。
さてそこで、近年のおまえのお気に入りたちの体内では、〈論理的思考〉のために結晶化しているあらゆる種類のデータがいうなれば〈めちゃくちゃに〉働き始め、そのため、全く異なった源泉から彼らに伝わってきたこの2つの情報も彼らの〈萎縮した〉論理的思考活動によれば同様に正しいものに見えたのだ。その結果、ちょうどパンケーキを焼くように、彼らの華々しい科学のあらゆる独立した分野を焼き上げ始めた現代文明の人間たちは、数年のうちに〈にっちもさっちもいかない〉と呼ばれる状態に陥ってしまい、そのためこの2つの相矛盾する理論のどちらを正しいものとして受け入れて彼らの〈公式科学〉の分野の一つに組みこめばいいのか、どうしても決めることができなくなったのだ。
今でも彼らが時々使う言葉を借りれば、さんざん〈唾を飛ばした〉後、彼らはついに、誰も腹を立てないですむように、と同時にこの分野を彼らの科学に入れるために、この古代から伝わってきた互いに何の関連もない2つの理論をまとめあげることに決定した。それからほんの少し後、彼らの中のガイドロポー口という名の者が、この誤解、つまりなぜ一方の理論ではオクターヴは7つの〈全音〉に分割されているのにもう一つでは5つの〈全音〉に分割されているのか? またなぜ、そしていかにしてこんなに重大な矛盾が起こったのかを説明するために、非常に長大な〈数学的〉説明を考え出した。この数学的説明は現代文明のあらゆる代表者たちを完全に納得させたので、今では彼らはいかなる良心の呵責も感じずに、振動に関するあらゆる知ったかぶりの屁理屈を、この親切なガイドロポーロの〈数学的証明〉をもとにしてでっちあげている始末だ。
この数学的説明には次のような考えが含まれていた。
すなわち、この親切なガイドロポーロは、彼だけが知っていたある方法で中国の7つの全音すべての振動数を数え、それから次のように説明した。中国の〈七音階のオクターヴ〉では、〈ミ〉と〈シ〉と呼ばれている全音は実は全音ではなくて半音である。というのは、それらのもつ振動数は、ギリシア人のオクターヴ分割法によれば、中国人の全音〈レ〉と〈ファ〉、それに〈シ〉と〈ド〉の間にくるギリシア人の半音が出す振動数と大体一致するからである。
彼はさらに次のような推測を行なった。すなわち、中国人にとっては音声の
レストリアル、つまり音声の〈重心〉をこれらの半音の上に置くのが明らかに便利だったのであり、それゆえ彼らはオクターヴを、ギリシア人がやったように5つの全音に分割するかわりに7つに分割したのだ、云々。
さっきも言ったように、現代の新型科学者たちはみんなガイドロポーロ氏のこの説明を聞くとすっかり安心し、そして彼らの公式科学のこの分野にもラベルを貼ってしまった。
こうして、今では〈振動の法則に関する理論〉と名づけられたこの分野は、われらが賢明なる師ムラー・ナスレッディンの言葉を借りれば、〈のうのうと〉他の分野の間におさまっておる。
この件に関してわしは、われらが常に敬愛するムラー・ナスレッディンが次のような言葉で表現した含蓄ある言葉を今でも覚えているが、どうしても大きな声で言わずにはおれん。
『こりゃ……おまえ、クールフーリスタニアン・パンタローネ(おいぼれ)よ、おまえの野良仕事の手伝いをさせるにはラバでもウサギでも同じことじゃろう。どちらも四本足ではないか』
現代のおまえのお気に入りたちは、現在自分たちが手にしているオクターヴを全音に分割する2つの方法、つまり中国式、ギリシア式と呼んでいる2つの方法が全く別々の2つの原因から生まれたことになどむろん気づくはずもない。中国式分割のほうは、地球上では前にも後にも例を見ない偉大なる学識をもった双子の兄弟が、
ヘプタパラパーシノクの法則を完全に認識した結果生まれたものだ。一方ギリシア式分割は、当時、つまり〈五音のギリシア式オクターヴ〉が作られた時代のギリシア人たちの声の中にあった〈声のレストリアル〉と呼ばれるものを基盤にして生まれたのだ。
この声のレストリアルは(これは今でも時には〈声の軽やかな響き〉と呼ばれる)おまえのお気に入りたちの間で現在に至るまで形成され続けており、そしてそれとほとんど同じ数だけ、これらのレストリアルが分割されて組みこまれる独立したグループがある。なぜそうなるかというと、この声の軽やかな響きは一般的にいって、彼ら自身には自由にならない外的・内的な環境、例えば地理的、遺伝的、宗教的な環境、さらには〈栄養の質〉とか〈相互に与え合う影響の質〉等々も含めた環境によって彼らの中に形成されるからだ
現代のおまえのお気に入りたちにはむろん理解できないことではあるが、この古代ギリシア人たちがその昔どれほど頑張ったとしても、いやむしろ、いうなれば〈どれほど良心的な態度でこの事柄に取り組んだとしても〉、その願いとは裏腹に、音をオクターヴに分割する際に5つ以上あるいは以下の全音を見つけることはできなかったのだ。なぜかというと、今話したように、彼ら自身に起因するものではない内外の諸環境が重なった結果、彼らは自分たちの声の5つの
レストリアルだけで彼らの聖歌を詠唱できるようになったからだ。
レストリアル〉、あるいは生物の声の重心音は一般的なもので、次のような音を指す。すなわち生物の適切な器官が様々な音を出す時、その生物はその体内に固着した特性と全体的な機能に従って(この特性というのは遺伝および後天的に獲得した能力の両方の結果であるが)自由かつ容易に、長い間、しかも同じ体内の他の機能にいかなる緊張も引き起こさずにこの音を発する。つまり言いかえると、彼らの発声の結果生じたテンポが、同じ体内の他の諸機能、つまり彼らの全般的な生存の内的・外的条件に応じて定着したテンポをもつ諸機能と完全に調和した時に、このレストリアルが生じるということだ。
その地方地方の特徴をもった様々な条件や蓄積された遺伝的特質などに基づいて、地理上のほとんどあらゆる場所に住んでいる諸グループの人間たちは、様々な〈声の
レストリアル〉、あるいは重心音を形成してきた。だからおまえのお気に入りの惑星のいろいろな場所に住む人間たちが、オクターヴを全音に分割するのに極めて違った方法を生み出したのも当然のことなのだ。
現在おまえのお気に入りたちの中には、オクターヴの中の重心音を再生する際、5つや7つの重心音どころか、13、いや17の全音を使って再生する力をもっているグループもある。
今話したことをはっきりさせるには、アジア大陸に住むある小さなグループの人間たちがいい例になるだろう。わし個人は彼らが歌うのを聴くのが大好きなのだが、彼らは3つの
レストリアルを発声するデータしかもっていないにもかかわらず、聖歌を詠唱する時、生理学的には40の明確に区別された音を発声することができる。
彼らの詠唱はこれはもう実にすばらしく、しかもたとえ彼らがどんなに元気いっぱい歌っても、彼らの間では、今言った彼らの3つの〈身体的
レストリアル〉のうちのどれか一つの上でだけ、静謐かつ持続的な音の振動が再生されるのだ。
彼らの生理学的な特徴というのは、この小さなグループの人間たちはどれだけの数の音を発声しても必ず、遺伝的にもっている3つの
レストリアルだけから成る彼らの声のオクターヴ全体で〈不変の振動の総体〉と呼ばれるものを生み出し、しかも彼らのレストリアルは、発声中ずっと、ある一人の人間の体内に〈集中化〉と呼ばれるものとこだまとを呼びさます特性をもっているということだ。このことがはっきりしたのは、わしが彼らの詠唱に興味をもち、現代のおまえのお気に入りたちの間では非常に珍しいこの特徴を調べた結果であるが、これを調べるにあたって、わしは3つの特別ないわゆる〈音叉〉と呼ばれるものを注文し、これと、それからすでにもっていた極めて敏感な〈振動計〉と呼ばれるもの(これはわしの本質友人であるゴルナホール・ハルハルクがわしのために作ってくれたものだ)をいくつか使って調査した。
中国式のオクターヴ分割法では、この特性のことは全く考慮に入れられていない。
中国式の〈オクターヴの七つの全音への小分割〉の基盤になっているもの、いやそれのみならず、九重性の法則に関連する知識の特別の分野全体を成す全情報の基礎は、あの偉大な双子の兄弟の意識的努力と意図的苦悩の結実なのであり、そしてまさにそれゆえに彼らの高次の体は至福にあずかり、今では、ついこの前われわれが幸運にも訪ねることができたあの聖なる惑星に住んでいるのだ。
しかし当時の中国のことはともかくとして、今のところは残念ながら、おまえのお気に入りの惑星の表面から運んできたピアノという現代の音声製造器を使って、あらゆる源泉から発して汎宇宙的〈
アンサンバルイアザール〉を生み出す振動の法則をおまえに十分に説明するのは無理だろう。というのも、これを理想的に説明するには、あの偉大な双子の兄弟の弟子で、彼自身偉大さにおいてはいささかも劣らない中国の知識人キング・トー・トズが作った驚嘆すべきラヴ・メルツ・ノクが最適だからだ。
キング・トー・トズはこの
ラヴ・メルツ・ノクという驚異的な〈解明装置〉の中に、あの偉大な兄弟が行なった適切な計算に従って、宇宙の中のある惑星からプロトコスモスに至る連続した源泉の数と同じ数だけの弦を振動を生み出すために張り、これらを調弦したのだが、これらの源泉の中では、トロゴオートエゴクラティック・プロセスが進行している間、宇宙物質の振動が法則に従って変化しながら適当に混じり合い、そこから先のすべてのものを生み出していくのだ。
しかしだな。坊や。たしかにおまえのお気に入りの惑星の表面からもち帰ったこのピアノという音声製造器は現代のおまえのお気に入りたちの典型的な発明品ではあるが、それでも前に話したように、これに張られている全音および半音の弦の基本的な調律は変化していないので、これらの弦をうまく使って連続的に振動を混ぜ合わせれば、少なくとも物質の基本的かつ汎宇宙的なオクターヴ、つまり7つの源泉の基本的な総体の一つから生じる振動がもっている法則だけは実験的に示してやることができるかもしれん。もしこれができれば、おまえも、他のすべての源泉から生じて相互に作用を及ぼし合う振動を全部はっきりと認識できるかもしれん。なぜかというと、前にも言ったように、様々なスケールをもつコスモスはすべて、またそれらの中の7つの独立した部分も同様に、
メガロコスモスとほとんど完全に相似しており、またそれら一つ一つの中でも、メガロコスモスの中でと同様、振動の7つの源泉は相互に作用し合っている。だからその中のどれか一つの重心における振動の法則を理解すれば、すべての重心における振動の法則も大体理解することができる。もちろんそれらのスケールの違いを考慮に入れればの話だがな。
もう一度言っておこう。もしピアノの弦が正しく調律されていて、適切な弦で適切な振動を生み出すならば、その結果生じる振動の混合は、適切な宇宙源泉が
聖ヘプタパラパーシノクに従って生み出した物質の振動の合法則的な総体とほぼ正確に、数学的にも一致する。
このピアノでは、あるオクターヴの中のそれぞれの全音と半音の振動は、
聖ヘプタパラパーシノクの法則に従って段階的に一つのものから次のものへと移行し、そしてこのことは宇宙のどこにおいても常に全く同様に起こるために、これらの振動は相互に助け合って進展あるいは退縮していくのだ。
ところで、ここにとてもおもしろいことがある。それは、もしこれら地球の偉大な知識人たちが行なった計算と、そこから出てきた数値とがほぼ正確なものであったとしたら、それは彼らが計算に使った標準単位が、たまたま
メガロコスモス全体で使われている単位、すなわち最も聖なる物質テオマートマロゴスの小粒子であったことのおかげである。つまりその小粒子には、恐らく今でもまだそれ特有の活性力が十分に具わっているからなのだ。  
さて、それではここで約束通り、前にふれた〈
ニリオーノシアン世界音〉について説明してあげよう。
ニリオーノシアン世界音〉の出す振動は、はるか古代から現在に至るまで、中国のほんの少数の人間たちによって、彼らの音声製造器の〈ド〉音の〈絶対振動〉として使われている。
おまえのお気に入りの惑星で、この音の存在が確認されてきた歴史は次のようなものだ。
この音は最初、アトランティス大陸にあった
アカルダン協会の学識高いメンバーの一人によって発見された。彼はあの偉大な双子の兄弟の祖先で、前にも話したので覚えていると思うが、マラルプレイシー国の最初の定住者たちと出会い、後には彼らの首長に選出された者だ。
当時
アカルダン協会に属していた彼は、自分の惑星の上およびその圏外で起こる様々な宇宙現象を観察していたが、そのうちこの国のある場所、つまりゴブ市が誕生した場所の近くで、大気圏内にある気象上の変動があった後、年に2回、ある特殊な音が決まって発生し、しかもかなり長い間聞こえることを発見した。
そこで彼は、〈天体〉の観測に必要とされる(と地球ではいわれている)高台をその場所に作ったが、その理由は、これを観測しながら同時に、最初は全く理解できなかったこの〈宇宙現象〉を観察し、調査したいと思ったからだ。
後世になって、後には聖者となった二人の偉大な兄弟は、聖なる
宇宙法則ヘプタパラパーシノクを研究し始めた時にはすでにこの宇宙現象を知っていたため、彼らもこの同じ場所で研究を始め、そしてまさにその場所でこの奇妙な音の特性と性質を解明することに成功したのだ。そして彼らはこの音を彼らのあらゆる計算の単位にした。
このピアノでは、外部で生まれた振動は様々なショックや震えを通してやってくるが、それも大部分は、空中での慣性振動と呼ばれるもの、つまり通常は、すでに話した自然の振動によって大気圏内に形成される振動からやってくる。
ここで、
聖ヘプタパラパーシノクの第五のストッピンダーが生み出されることに関連して、外面的には何の共通性もない2つのプロセスの間に類似性を認めることが必要だ。つまり第一存在食物がピアンジェハリーに変化するまでは活性力を獲得できないのと同様に、このピアノにおいても、ある弦の振動は、それ以前に生み出されて先行している、〈ソ〉の振動の総体の重心から始まる振動と融合するまでは、それ相応の活性力を獲得できないのだ。
聖なる法則
ヘプタパラパーシノクのもつこの特性は、この場合、つまりピアノに関しては完全に明らかだが、それは次のような独特な事実があるためだ。すなわち、〈ミ〉と〈シ〉の振動が完全に密閉された部屋で生み出された場合、これらの振動は直ちに停止するか、さもなければ〈ミ〉と〈シ〉の音は、それらを生み出すべく加えられた第一のショックから生じる慣性があるために退縮し、すぐに、つまり〈ミ〉音が〈ド〉音に、〈シ〉音が下の〈ファ〉音に達するとすぐに止まってしまう。
さて、おまえのお気に入りたちが有している、音のオクターヴを7つのトーンに小分割するやり方に関してこれまで説明したことの結論として、次のことをもう一度強調しておかねばなるまい。つまり、もしこの知識に関して何かが彼らにまで伝わっているとしても、本質的なものはすべて忘れ去られてしまっており、そしてそれは常に同じ理由、つまり彼らの存在から
パートクドルグ義務を遂行するという習慣が消滅しているためだ。そしてこの消滅こそは、三脳生物にふさわしい思考活動が彼らの中で徐々に衰退してしまった原因なのだ。」
ここまで話すと、ベルゼバブは孫の鼻の頭に視線を定めたまま再び深く考えこんだ。
かなり長い沈黙の後で彼はこう言った。
「そうだ、坊や。わしはどうしても、この振動の法則に関して地球で行なわれたある実験をこの目で見た時のことを詳しく話しておかなくてはならん。これを特に詳しく話す理由は2つある。
一つは、わしはすでに、この第一の根源的な
聖なる法則ヘプタパラパーシノクについてかなりおまえに話してきたということだ。だから、もしおまえが何らかの理由でこの法則の特性をはっきり理解できていないとすれば非常に残念なのだ。それでわしは、この実験に関して何一つ包み隠さずおまえに話すことを一種の義務のように感じておる。そうすればきっとおまえも、これに関する完全な理解を得ることができるだろう。
この実験について細大もらさず話したいもう一つの理由は、自ら獲得した宇宙振動に関する知識を使ってこれを行なった地球の生物が、長期間の地球滞在中にわしの本性を見抜いた唯一の存在だったからだ。」

第41章 ボカラのダーヴィッシュ、ハジ・アスヴァッツ・トローヴ
ここでの話は『注目すべき人々との出会い』のヴィトヴィツカヤの章に出てくる話を思い起こします。
そこではエッセネ派の修道僧たちの実験で、ある呪文などを使って植物を半時間で成長させたと記されています。
実際にここで記されているとおり、ボカラのダービッシュ、ハジ・アスヴァッツ・トローヴの実験のことだったのかもしれません。

わしがこの現代の地球の三脳生物と知り合いになった話は、おまえにとっても非常に興味深く、ためになると思うから、できるかぎり詳しく話してあげよう。わしが見たのは彼が行なった実験なのだが、彼のおかげで、まず間違いなく、根源的な
聖なる法則ヘプタパラパーシノクに関する知識も再び地球上に定着し、知識に飢えている通常の現代の人間たちも含めて誰にでも近づけるものになるだろう。
彼に初めて会ったのは、わしがこの太陽系を最終的に離れる、地球暦でいうところの3年前だった。
アジア大陸の〈ボカラ〉と呼ばれる地方を旅していた時、わしは偶然、その地方に住むグループに属するある三脳生物と親しくなった。彼の職業はその地では〈ダーヴィッシュ〉と呼ばれ、彼の名は〈ハジ・ゼフィール・ボガ・エディン〉といった。
彼は、そこでの言い方によれば〈高尚な事柄〉に熱狂するという傾向をもつ、典型的な現代の地球の三脳生物であった。こういった連中は、どんな場合であろうがお構いなく誰かれとなくつかまえては、それが誰であるのかという本質的な認識もないまま、機械的にこの種の事柄について話し始めるのだが、彼もわしと会うといつでも嬉々としてこういった事柄について話すのだった。
ある日我々は、その地では〈
シャット・チャイ・メルニス〉と名づけられていた〈古代中国科学〉について話し始めた。
この科学というのはほかでもない、あの中国の偉大な双子の兄弟を初めとする古代の真の科学者たちが発見し、〈九重性の法則に関する真の知識の総体〉と呼んでいた
聖ヘプタパラパーシノクに関する真の知識の総体の断片であった。
前にも話したように、この知識のある断片は損なわれずに残り、ほんの少数の秘儀参入者たちによって代々受け継がれていた。
ここではっきり言っておかなくてはならないが、こんなふうに偶然損なわれずに残り、限られた数の秘儀参入者によって代々伝承されてきた断片がもし現代の〈科学者たち〉の手に渡らないならば、それはおまえのお気に入りの惑星の未来の三脳生物にとってこの上ない幸運となるだろう。
なぜそれが幸運かというと、もしこの真の知識が残存している断片が現代の〈科学者たち〉の手に落ちると、彼らはまず間違いなく、彼ら特有の知ったかぶりの大ぼら吹きによって、この断片に込められている意味からありとあらゆる〈科学的ごった煮〉をでっちあげてしまい、そのせいで、それさえなければまだかすかに他のすべての三脳生物の中でくすぶり続けるであろう理性さえも完全にかき消されてしまうからであり、それに加えて、彼らの祖先の偉大な達成物の最後の名残も、この不幸な惑星の表面から完全にぬぐい去られてしまうからだ。
さてそこでだな、坊や。わしがこのダーヴィッシュ、ハジ・ゼフィール・ボガ・エディンと古代中国の科学
シャット・チャイ・メルニスについて話していた時、彼は、この古代中国科学の偉大な権威である友人のダーヴィッシュのところへ行って話をしてみようと言いだした。
彼の話では、この友人は人里離れた〈高地ボカラ〉に住んでいて、この科学に関するある実験に専念しているということであった。
わしはその時たまたま滞在していたその町では特に何もすることがなかったし、それに彼の友人が住んでいるという山地の自然は以前から見たいと思っていたので、すぐに同意し、翌日にはもう出発した。
我々はその町を出てから三日間歩き続けた。
高地ボカラの山地をかなり登ったところにある小さな峡谷で、ようやく我々は足を止めた。
〈ボカラ〉のこの部分が〈高地〉と呼ばれているのは、ここが非常に険しい山の中で、区別上〈低地ボカラ〉と呼ばれている地域よりはるかに高度が高いからだ。
この峡谷で、我が友ハジ・ゼフィール・ボガ・エディンは小さな石板を動かすのを手伝ってくれと言った。これを脇にどけると、その下に小さな穴が見え、その端から2本の鉄の棒が突き出していた。
彼はこの2本の棒をくっつけて耳をすました。
するとまもなくこの棒から音が聞こえてきた。そして驚いたことに、ハジ・ゼフィール・ボガ・エディンはわしの知らない言葉でこの穴の中に向かって何事かを言ったのだ。
彼が喋るのをやめると、我々は石板をもとの位置に戻し、そして旅を続けた。
かなりの距離を歩いてから我々はある岩の前で立ち止まったが、ハジ・ゼフィール・ボガ・エディンは非常に緊張して何かを待っているようだった。と突然、そこにあった巨大な岩が動き、洞窟らしきものへと続く門が口をあけた。
その洞窟に入って進み始めた時、わしはその中がガスと電気で交互に照らされているのに気がついた。
この明かりにはすっかり驚き、いくつか聞いてみたいこともあったのだが、非常に真剣に注意を集中しているわしの連れを妨害するのはやめることにした。
そこからまたかなりの距離を歩いた時、ある曲がり角で地球の別の三脳生物が我々を迎えに近づいてくるのが見えた。彼はその地方の慣例的な挨拶をしてから我々をさらに先に導いた。どうやら彼が、わしの連れのダーヴィッシュの友人であるようだった。
地球での基準からすれば彼はすでにかなりの高齢で、その上、その地方に住んでいる者たちに比べるとかなり背が高かったので、ひどく痩せているように見えた。
彼の名はハジ・アスヴァッツ・トローヴといった。
話しながら彼は我々を洞窟の中の小さく仕切られたところへ連れていった。そこで我々は床をおおっているフェルトの上に座り、話をしながら、この老人が隣接する仕切りの向こうからもってきた土器に入っている、冷えたボカラ風〈シラ・プラヴ〉と呼ばれるものを食べ始めた。
食事をしながら、わしの連れは、わしがこの科学
シャット・チャイ・メルニスに非常に興味をもっていること、そしてわしがどんなことをよく知っているか、それにこれまでどんな議論をしてきたかを手短に彼に話した。
その後、このダーヴィッシュ、ハジ・アスヴァッツ・トローヴ自身がわしに質問してきたのでそれに答えたが、もちろんのこと、自分の本性を明かすようなことは一切言わなかった。それはもうわしの習性になっていたのだ。
この点に関してわしは、この惑星上では実に巧みに話せるようになっていたので、おまえのお気に人りたちはいつもわしを彼らと同類の科学者だと思っていた。
これに続く会話でわかったのだが、この尊敬に値するハジ・アスヴァッツ・トローヴはもう長い間この知識に興味をもっていて、過去10年間は実践的な研究のみに没頭していた。
同時にわかったことは、この研究を通して彼は、もはや地球の三脳生物が手に入れることが難しくなっているような結果を獲得していたということだ。
このことがはっきりわかった時、わしはひどく驚き、どうしてこんなことが起こったのかどうしても知りたくなった。というのも、わしはもう前から、地球の三脳生物の理性の中ではこの知識は遙か昔に消え去っており、この尊敬すべきハジにしても、これについて耳にする機会はそんなに多くはなかっただろうから、彼の興味も、普通の三脳生物の中で通常起こるのと同様、徐々に形成されたものに違いないと考えたからだ。
実際だな、坊や。おまえを魅了しているこれら三脳生物の特性は、目で見るものや耳で聞くものにだけ興味を引かれるということで、おまけに何かに興味をもつと、その興味が、彼らの中で必要とされる他のすべてのものを抑えつけてしまい、そのため、ある時たまたま彼らの興味を引いているものこそ〈世界を動かしている〉原動力そのものだと思いこんでしまうのだ。
今わしが置かれているような状況にぜひとも必要な関係が、わしと、わしに共感を示したダーヴィッシュ、ハジ・アスヴァッツ・トローヴの間に生まれた時、もっとわかりやすくいえば、現代の人間たちが彼ら同士で関係をもつ、それもとりわけ初対面の際に行なう、すでに完全に彼ら特有のものとなっている〈仮面〉を被るということをせずに、多少なりとも正常に話をするようになった時、わしは、もちろんそれ相応の丁重な作法で、どうして、またどのようにして彼が真の知識のこの分野に興味を持つようになったのか尋ねてみた。
ここでおまえも次のことを知っておいたほうがいいだろう。つまり一般的にいって、おまえのお気に入りの惑星の表面のいかなる部分でも、この奇妙な三脳生物の通常の生存プロセスの中で、彼らは徐々に実に特殊な外面的関係の形態を作り上げ、それを代々受け継いでいるのだ。
彼らの間に見られる種々の相互関係の形態は、我々の大宇宙のあらゆる生物の中に、形態や場所の違いには関わりなく等しく具わっていなくてはならない能力、つまり自分が関係をもつ相手の人間の内的な感情を知覚する能力がほとんど衰えてしまった後にできあがったものだ。
現在彼らの間で、良きものであれ悪しきものであれ何らかの関係ができあがる時には、それは完全に外的に計算された表現行為、なかでもとりわけ〈親しみやすさ〉と呼ばれるものに基づいているが、この〈親しみやすさ〉というのは空虚な言葉で、〈自分と同類のもの〉と直接ふれ合う時にあらゆる生物の体内に生じる〈内部の優しい衝動の結果〉と呼ばれるものは、そこにはほんの一かけらも含まれていないのだ。
とはいえ現在でも、ある者が他の者に好意をもつことはある。しかしながら、もしその好意を抱いた者が、何らかの理由で、通常好ましくないと考えられている言葉で自己を表現してしまえばすべてはおしまいだ。なぜかというと、その言葉を聞いた人間の霊化された各部位では、連想によって必ず、この言葉を吐いた者は(本当は心の中では彼に対して好意を抱いているにもかかわらず)いつでもどこでも、ありとあらゆる〈邪悪〉と呼ばれることを彼に対して行なうためにだけ存在しているのだという確信を体内に生み出すデータが結晶化してしまうからだ。
とりわけ最近では、〈言葉による表現〉をあれこれ知っておくことが、友人を作り、〈敵〉を作らないために非常に重要になってきている。
この奇妙な三脳生物の異常な生存は、単に彼ら自身の精神を毒しているだけでなく、その反響によって徐々に、地球に生存するほとんどすべての一脳及び二脳の生物を毒している。
おまえの興味を引いている奇妙な三脳生物が、現在に至るまで長い間頻繁に接触し、関係をもってきた地球の一脳及び二脳の生物の体内には、さっき言ったような内的な存在衝動を生み出すデータはまだ形成されていない。
しかしそれらとは別の形態をもつある種の一脳及び二脳の生物、たとえば〈虎〉〈ライオン〉〈熊〉〈ハイエナ〉〈蛇〉〈ユビムスビ〉〈サソリ〉などと名づけられた生物の体内では、いまだにこのデータが形成されているが、おまえのお気に入りの二足生物たちはこれらの生物といかなる接触も関係ももってこなかったし、現在ももっていない。にもかかわらず、おまえのお気に入りたちの通常の生存状態があまりに異常であるために、これらの生物の体内に、非常に奇妙であるばかりか、極めて興味深い一つの特性が生み出された。それはつまり、先に挙げた虎、ライオン、熊、ハイエナ、蛇、ユビムスビ、サソリなどの生物は、彼らの面前に現れた他の生物が内部で感じている恐怖感を自分たちに対する敵意と感じ、そこで彼らから被る〈危害〉を避けるために逆に彼らを破壊しようとする、という特性にほかならない。なぜこんなことが起こったかというと、例の異常な生存状態のせいで、おまえのお気に入りたちが次第に頭のてっぺんから足の先までいわゆる〈臆病〉になってしまい、それと同時に、これらの生物の生存を破壊したいという欲求がこれまた頭のてっぺんから足の先まで彼らの中に叩き込まれてきたからだ。そんなわけで、〈最高度に〉臆病になってしまった彼らが、これらの生物の生存を破壊しようとしたり、あるいはこれらの生物に(三脳生物にとって不幸なことであるのみならず、我々にとっても実に残念なことだが、これらの生物は現在、肉体的にだけでなく、その他の達成物という点でも三脳生物より遙かに強くなってしまっている)たまたま出くわしたりすると、彼らの言い方を借りるならば、〈おしっこをちびりそうになるほど〉に〈怖がる〉のだ。
それと同時に、彼らが遺伝的に受け継いできた、この惑星に生息する他の生物の生存を破壊したいという欲求ゆえに、こんな場合彼らは、全存在をあげて、これら他の形態をもった生物の生存を破壊しようと智恵を絞るのだ。
その結果、おまえのお気に入りたちの身体から発する固有の放射物を受けて、今列挙したような生物の体内には(さっき話した、すべての生物に対して〈本能的に敬意と共感を示す〉という衝動を生み出すために当然彼らの中に存在しているべきデータと並んで)ある特殊な作用をもつデータが形成されたのだが、おかげで彼らは、他の生物、とりわけおまえのお気に入りたちの体内に生じる臆病風を自分たちに対する〈脅威〉と感じてしまうのだ。
だから、こういった一脳及び二脳の生物がおまえのお気に入りたちに出会うと必ず、自己の生存に対する危険から逃れたいがために、おまえのお気に入りたちの生存を破壊しようとするのだ。
おまえの惑星でも当初は、外形や脳組織の違いにもかかわらず、すべての生物は平和と協調のうちに生存していた。今でも時々、おまえのお気に入りたちの中のある者が自己完成に向かって進むと、彼はまず第一に、すべての生物、いわゆる〈すべての呼吸する被造物〉は、われらが《共通なる父である創造主》に等しく近く、また愛されていることを、霊化されたすべての部分で知覚できる段階に達する。さらに進んで、自己の中でパートクドルグ義務を完全に遂行すると、別の外形をもつ生物に対する臆病という衝動を生み出すデータを自分の中で完全に撲滅することができ、その結果、これら異なる外形をもつ生物は、現代のおまえのお気に入りたちの中のこの自己完成に至った者の生存を破壊しようとしないばかりか、はるかに大きな客観的可能性をもつ生物に対するように、彼にあらゆる敬意と奉仕を尽くしさえするのだ。
手短にいうと、以上のことに加えて、おまえのお気に入りたちの異常な生存から生じる様々な要因が絡まり合って、彼らが互いに関係をもつ際に用いるいろいろな形の、彼ら流にいえば〈心地よい言葉〉が生み出され、さっき言ったように、それぞれの地方で独自の形態をもつに至ったのだ。
今度わしが会った三脳生物ハジ・アスヴァッツ・トローヴがわしに対して親密で好意的な態度をとったのは、主としてわしが彼の親しい友人の知り合いだったからだ。
ところで、この惑星の表面のこの部分に住んでいる三脳生物たちは、いまだに真の友人関係というものをもっている唯一の集団であることを言っておかなくてはならん。
彼らの間では、他の諸惑星に住む三脳生物と同様、またこの惑星でも初期にはそうであったように、友人だけでなく、友人の近親や友人たちも同様に友人とみなされ、扱われていた。
今回わしは、このダーヴィッシュ、ハジ・アスヴァッツ・トローヴの親友であるハジ・ゼフィール・ボガ・エディンの友人として彼に会ったので、彼はすぐにわしを非常に親密な態度でもてなしてくれたのだ。
わしはこの関係をもっといいものにしたいと思ったが、それというのも、彼がどのようにしてこの知識に興味をもち、地球上では空前の科学的成果を達成したのか是非知りたかったからだ。そこでわしは会話の中で、この地方特有の様々な心地よい言葉をどんどん使ってみた。
我々の会話は、その地で
シャット・チャイ・メルニスと呼ばれていた知識のことに完全に集中し、そのうち振動一般の特性と意味が話題になった。たまたま話が音のオクターヴに及んだ時、ハジ・アスヴァッツ・トローヴは次のように言った。すなわち、音のオクターヴは単に、比較的独立した全体的表出の7つの側面をもっているだけでなく、それら比較的独立した表出の中のどの一つの振動も、それの発生時も表出時も同様に同一の法則に従うと言ったのだ
振動の法則に関して彼は次のように続けた。
『私は音の振動の法則を通して
シャット・チャイ・メルニスに興味をもつようになり、その結果、残りの人生すべてをこの知識の研究に捧げるようになったのです。』
しばらく考えこんでから彼はまた続けた。
『実は私は、あるダーヴィッシュの教団に入る前はかなり裕福で、またある種の工作が好きで、〈サヤズ〉〈タール〉〈キアマンチャ〉〈ジンバル〉等々と呼ばれているような種類の弦楽器を作っていました。
それで、今言った教団に入ってからも、主にそこのダーヴィッシュたちのために、自由な時間はすべてこういった楽器作りにあてていました。
そして次のようなことがあってから、振動の法則にさらに深く興味を抱くようになったのです。
あるとき我々の僧院の院長が私を呼んでこう言いました。
「ハジよ、わしがまだ普通のダーヴィッシュだった頃にいた僧院では、ある種の秘儀が執り行われるたびに、ダーヴィッシュの楽師たちは聖歌のメロディを演奏したが、それを聴くといつでも我々ダーヴィッシュはみな、その時に演奏された聖歌の聖句から引き起こされるある特殊な感覚を経験した。
ところが、わしはここにすでに長くいて、注意深く観察を続けておるが、あれと同じ聖歌から我々の同胞が何らかの影響を受けているのをついぞ見たことがない。
いったいこれはどういうことだろう? 何が原因なのだろう?
最近ではこの原因を見つけるのがわしの目標になっているが、おまえを呼んだのは他でもない、アマチュアとはいえ楽器作りに長じている者として、おまえがこの興味深い問題を解明する手助けをしてくれないかと考えたからじゃ。」
そこで我々はこの問題をあらゆる角度から考察してみました。
相当に熟考した結果、この原因はすべて、音の振動の本性そのものの中にあるのではないか?という結論に達しました。なぜそういう結論に達したかというと、話を進めていくうちに次のことが判明したからです。つまり、我々の院長が普通のダーヴィッシュだった時にいた僧院では、太鼓と弦楽器で聖歌を演奏していたのに対し、我々の僧院では吹奏楽器だけで同じ聖なるメロディを演奏していたのです。
そこで我々は、この僧院でも直ちに吹奏楽器を弦楽器に取り替えることに決めました。しかしそこで非常に深刻な問題が起こってきました。それは、我々のダーヴィッシュの中に弦楽器演奏の専門家が十分にいないということです。
そこで我々の院長は少し考えてから次のように言われました。
「ハジよ、おまえは弦楽器の専門家として、ひとつ次のような弦楽器が作れないものか試してくれないか。つまり専門家でなくても、単なる機械的動作、例えば回すとか叩くとか押すとかいった単純な動作で必要なメロディを生み出せるようなそんな弦楽器じゃ。」
院長のこの提案に私は非常に興味をもち、喜んでそれを引き受けることにしました。
そう決心すると私は立ち上がり、彼から祝福を受けて家に帰りました。
家に帰ると、私は座りこんで長時間じっくり考えてみました。その結果私は、友人のダーヴィッシュのケルバライ・アジス・ヌアランの助けを借りて、普通のジンバルに小さなハンマーを取りつけ、それで打つことによって必要な音を生み出そうと考えました。
そこでその晩、私は友人のダーヴィッシュ、ケルバライ・アジス・ヌアランのところへ行きました。
この友人は、仲間や友人たちからはどちらかというと変わり者だと思われていましたが、それでも彼らはみな彼を尊敬し、高く買っていました。それというのも、彼はとても感受性豊かで、学識も深く、誰もが否でも応でも真剣に考えざるをえないような問題をよく話していたからです。
ダーヴィッシュヘの参入を許される前は、彼は本物の専門家、つまり時計職人でした。
それで彼はこの僧院でも、暇さえあればこの大好きな工作に没頭していました。
ところで、このケルバライ・アジス・ヌアランは最近〈頓狂な考え〉にとりつかれていました。それは、いかなるバネも使わずに正確に時を示す機械仕掛けの時計を作ろうというものでした。
この頓狂な考えを、彼は次のように非常に簡潔に説明してくれました。
「この地球上では静止しているものなんか一つもない。なぜって地球自体が動いているからだ。地球上で静止しているのは重力だけで、それも、その重力の及ぶ全空間の半分の中でだけ静止しているんだ。ぼくは時計の中の様々なレバーの間に完全な均衝状態を作り出して、それらが地球の動きのテンポから必然的に生じる力によって動き、そして時計の針の動きに必要な力と正確に連動するようにしたいんだ。」
この変わり者の友人に私のやりたいことを話して助力を求めると、彼もたちまちこれに興味を示し、あらゆる助力を惜しまないと約束してくれました。
そして我々は早速翌日から一緒に仕事を始めました。
共同作業の結果、私の創案した機械仕掛けの楽器の骨格ができあがりました。私は各々の弦を張る場所に一定の間隔をおいて印をつけ、友人は小さなハンマーを動かす装置を作る仕事を続けました。
そしてちょうど私が弦を張り終え、調弦を始めた時に、私の興味はさらにふくらんで、現在に至るまで続けている振動の法則の実験へと私を駆り立てたのです。
この興味はこんな具合に生じてきました。
まず最初に次のことを言っておかねばなりません。私はすでにこの作業の前から、体積と密度が同じ弦の長さを半分にすれば、その振動数はもとの弦のそれの倍になるということをよく知っていました。そこでこの原理に従って、弦の〈駒〉と呼ばれるものを何とか工夫してジンバルに取りつけ、それから中国の絶対音〈ド〉の振動を生み出しながら(もちろん〈ペランバルサシダーン〉、あるいはヨーロッパ流にいえば〈音叉〉を使ってですが)八分の一音で作られている古代の聖なるメロディを弾けるように調律しました。
この調律をしている時、初めて私は次の原理、すなわち弦の振動数はその長さに反比例し、常にというわけではないが、時には〈混合した調和的協和音〉と呼ばれているものと一致するという原理を発見したのです
この発見は私の興味を大いに刺激し、それからというもの、私はジンバルのほうは完全に放り出してこの研究に全力を傾けたのです。
たまたま私の友人もこれにいたく興味を覚えたので、共同でこの驚くべき事実の究明にあたりました。
数日後、私と友人は我々の本来の仕事を怠っていることに気づき、それからは時間の半分をこのジンバルを仕上げる仕事に使い、残りの半分をこの研究にあてることにしました。
まもなく我々は、両方の仕事をお互いの邪魔にならないようにうまく進めていけるようになりました。
我々の創案した機械仕掛けのジンバルはまもなく完成しました。実に満足のいく出来ばえで、〈新式のギリシア風手動オルガン〉ともいうべきものになりましたが、違いといえば、四分の一音が出ることと、サイズが少し大きいということでした。
このジンバルを回すと小さなハンマーがしかるべき弦を叩きます。つまり平たくした葦の束にくぼみをつけておき、ジンバルが回転している間、小さなハンマーがそこを打ってしかるべき弦を振動させるのです。
それぞれに異なる聖なるメロディのために、我々は平たくした葦を固くつなぎ合わせた別々の束を用意しておき、曲に応じてそれを替えられるようにしました。
最終的にこの独創的ジンバルを院長に手渡した時、我々がとりわけ興味を引かれたことを彼に話しますと、彼はその問題に専念できるよう、しばらくの間僧院を離れる許しを与えてくれたばかりか、僧院の財源からかなりの額の金まで与えてくださったのです。
それで我々はここに移ってきて、仲間からも人々からも遠く離れて暮らし始めました。
友人と私は常に平和と協調のうちに暮らしていましたが、つい最近私は、このかけがえのない、そして決して忘れることのできない友人を永久に失ってしまいました。
それは悔やんでも悔やみきれないような状況で起こりました。
何週間か前、彼はいろいろな道具や材料を手に入れるためにアム・ダリア河畔にあるXという町におりていきました。
その帰路、ちょうどその頃そこで起こっていたロシア軍とイギリス・アフガン軍の間の撃ち合いの〈流れ弾〉が彼に当たったのです。私はその惨事を、ちょうどそこを通りかかった友人のサルト人からすぐに知らされました。
数日後、私は彼の死体をここまで運び、あそこに埋葬してやりました。』
そう言いながら彼は、洞窟の隅にある奇妙な尖起物を指さした。
ここまで話すと、ハジ・アスヴァッツ・トローヴは立ち上がり、明らかに彼の友人の魂の冥福を祈る姿勢をとりつつ、頭を動かして我々に後についてくるよう促した。
彼について我々は再び洞窟の主要通路に出た。そこでこの地球の尊者は、例の突起物の前に立って何かを押した。すると大きな岩が2つに分かれ、その向こうに洞窟の別の部分に続く入口が現れた。
今度我々が通されたこの部分は、自然自身の造形に加えて、人工的に、現代のおまえのお気に入りたちの理性から見れば実に独創的に作られていたので、なるべく詳しくその造りを説明してみよう。
まず壁、天井、そして床までが、何層にもなった非常に厚いフェルトでおおわれている。後で説明されたところによれば、これは偶然に自然とよく似た造りになったもので、その目的は、他の部分や外部からどんなかすかな振動も、例えば何かの動きや衣ずれ、足を引きずる音、さらには近くにいる大小様々な〈生物〉の呼吸から生じる振動さえも完全に閉め出すことだ。
この一風変わった部屋の中には奇妙な形の〈実験器具〉がいくつか置いてあったが、その中にはわしがおまえのお気に入りの惑星の表面からもち帰った音声製造器、つまりおまえのお気に入りたちがグランド・ピアノと呼んでいる現代の地球の音声製造器も一台あった。
このグランド・ピアノは上のふたがあけてあり、見えている一本一本の弦の下にはそれぞれに一つずつ小さな装置が取りつけてあったが、それは〈様々なものから発する振動の活性度〉を測るもので、〈振動計〉と呼ばれていた。
この振動計がずらりと並んだところを見た時、わしの体内の驚愕の衝動は高まって、ムラー・ナスレッディンいうところの、〈満腹のお腹が張り裂ける〉ほどにまでなってしまった。
実はこの驚きの衝動は、最初にこの洞窟の通路に入って、ガスと電気の明かりを見た時からずっと高まってきていたのだ。
その時からわしは、いったいこれはどこからどうやってもちこんだものやらと思っておった。
わしはもう前から、この奇妙な三脳生物どもは、宇宙形成物からのある源泉を利用して、彼らのいう〈明かり〉を生み出す方法を再び発見していたことは承知していたが、しかしそれは非常に複雑な機器を用いて初めて生み出せるものであり、しかもそういった機器は彼らがたくさん集団で住んでいる場所にしかないこともよく知っておった。
それが突然、こんなあらゆる集団から離れた、しかも、とりわけ現代の人間たちの間ではそんな可能性がとてもあろうとは思えぬようなところに、その明かりが出現したのだ。
そこへもってきて、先ほど話した〈振動の活性度〉を測る振動計を見たのだから、わしの驚きの衝動は頂点に達してしまった。
この時点の地球上には、振動を計測できる装置などはどこにも存在していないことをよく知っていたので、わしの驚きはいやが上にも高まった。現代文明とやらを形成している人間どもからこれほど離れた荒涼たる山中に住んでいるこの尊敬に値する老人は、これらの機器をいったいどこから手に入れたのだろうか、と。
このように好奇心は非常に強くなってはいたが、わしはあえてその説明を尊敬すべきハジ・アスヴァッツ・トローヴに求めなかった。というのも、そのような本題からそれる質問をして、せっかくうまい具合に進んでいた話の腰を折っては元も子もなくなると思い、ひとつ会話から、わしの興味をとらえた問題を解明しようと思ったからだ。
洞窟のこの部分にはわしの知らない機器がまだたくさんあった。その中の一つはとりわけ変わった装置で、それには〈マスク〉と呼ばれるものがいくつか取りつけてあり、そこから牛の喉の管から作られたパイプのようなものが突き出していて、それが洞窟の天井あたりまで伸びていた。
これも後で知ったのだが、実験中この部屋にいる人間が呼吸するための空気はこのパイプを通って外部から入ってくる。つまりこの部屋は完全に密閉されていたのだ。実験の間彼らは、この変わった装置に付属しているマスクを顔につけるのだ。
洞窟の中のこの部分に我々がみな座ると、尊敬すべきハジ・アスヴァッツ・トローヴはこんなことを言った。研究を進めながら、彼と友人のダーヴィッシュ、ケルバライ・アジス・ヌアランは、過去の真剣な科学者たちが生み出した、振動に関する地球上に現存する理論はすべて完全に研究した、と。
続けて彼はこう言った。
『我々はアッシリアの偉大なるマルナッシュの理論、それからアラビアの有名なセルネー・アヴァズ、ギリシアの哲学者ピタゴラスの理論、それにもちろん中国人の理論は全部研究しました。
そして我々は、古代の賢者たちが実験に使ったのと全く同じ装置を作り、さらに我々の新しい装置を作ってそれに加えました。それが現在私が実験に主として使っているものです
ピタゴラスはこの装置を使って実験したのですが、当時それは〈モノコード〉と呼ばれていました。しかし私はそれに変更を加え、これを〈ピブロショー〉と呼んでいます。』
こう言ってから彼は片手で床の上の何かを押し、もう一方の手で非常に変わった形の装置を指さし、それも同じく手を加えた〈モノコード〉だと言った。
彼が指さした装置は2メートルほどのボードでできていて、その前半分は、ちょうど〈ギター〉と呼ばれる音声製造器の首の部分のように、〈フレット〉と呼ばれる部分に分かれており、その上に一本だけ弦が張ってあった。
このボードの残りの半分には、ちょうどあのグランド・ピアノのように非常にたくさんの振動計がつながれていて、その指示針がボードの前面のフレッ卜のちょうど上にくるようになっていた。このボードの後ろ半分にはたくさんの小さなガラスや金属のパイプが網状につながれていて、そこから音が出るようになっていたが、この音は、普通の、あるいは人工的に圧縮もしくは希薄化された空気の動きや流れから生じる振動によって生まれるようになっていた。そしてこの音の振動を測るのにも、弦から生じる振動を測るのに使われているのと同じ振動計が使われていた。
尊敬すべきハジ・アスヴァッツ・トローヴは何か言いかけたが、ちょうどその時、洞窟の別の部分から、ウズベク人の少年がお茶の道具と緑茶をのせて運んできた。
少年が我々の前に盆を置いてさがると、尊敬すべきハジはお茶をつぎ、我々の方を向きながら冗談っぽく次のように言ったが、それはこの地方ではこんな場合によく言われることであった。
『この自然の贈り物がその栄光をますます高めんことを心より祈りつつ、飲もうではありませんか!』
それから彼はこう続けた。
『私を内部で支えている力がだんだん弱ってくるように感じますので、全身に生気を与えてくれるものを適量飲まなくてはなりません。そうすれば次に飲む時まで元気でおれるでしょう。』
そう言うとにっこり笑ってお茶を飲み始めた。彼が飲んでいる間に、わしはずっと頭を悩ましていた質問をしてみようと思った。
そこでまず次のように尋ねた。
『尊敬すべきハジよ! これまで私は、地球上にはどこにも、振動を正確に計測できる装置があるとは思ってもいませんでした。ところがここで私はまさにその装置を目の前にしています。これはいったいどう理解したらいいのでしょう。あなたはどこからこれらのものを手に入れたのですか?』
この質問に、尊敬すべきハジ・アスヴァッツ・トローヴは次のように答えた。
『これらの装置はみな、友人の故ケルバライ・アジス・ヌアランの手になるものです。そして私が振動の法則に関して得た知識は、主としてこれらの装置のおかげなのです。
実際、偉大なるティクリアミッシュの全盛期には、地上にもこの種の装置は種々ありましたが、今では一つもありません。
もっとも現在ヨーロッパには、〈サイレン〉と呼ばれる、振動が測定できるとされている装置がありますが、このいわばまあ〈子供だまし〉をこの種の装置だと考えれば話は別です。私自身、この実験を始めた頃には〈サイレン〉をもっていました。
このサイレンというのは、二世紀前にゼーベックという名の学識ある医者が発明し、前世紀の中頃に、コグナール・デ・ラ・トゥールなる者によっていわば完成されました。
この子供だましの構造はこうなっています。圧縮された空気がパイプから吹き出し、いくつかの小さな穴があいた回転する円盤に吹きつけられます。穴の一つ一つは空気の通るパイプと全く同じ大きさに作られており、そのため、この円盤が回転すると、パイプから出てくる空気は交互に通り抜けたり塞がれたりします。
そこでこの円盤を速く回すと、穴の中に連続的なショックが生じ、そしてこれが均等な高さの音を生み出し、それで、時計の機械装置を使って記録された回転数に円盤の穴の数を乗じたものが、ある時間内に生じる音の振動数だというわけです。
しかしヨーロッパ人には残念なことですが、このサイレンの最初の発明者もこれを完成した者も、
音はただ真正の振動からだけでなく、単純な空気の流れからも生じるということを全然知らなかったのです。彼らのサイレンは空気の流れだけから音を発し、自然な振動からは音を生じなかったのですから、このサイレンの計測値から正確な振動数を決定するなど全く論外です……。
音は2つの源泉、すなわち自然な世界振動そのものと、単なる空気の流れから生じますが、これは実に納得のいく、そして興味深い事実です。私はこれを実演によって示してさしあげましょう。』
こう言うと尊敬すべきハジは立ち上がり、洞窟の別の部分から花を活けた壺をもってきてこの部屋の中央に置き、それから有名なピタゴラスのモノコードの前に座った。
それから我々の方を向いてこう言った。
『これからこの組み合わされたパイプを使って5つの音を出します。あなた方はこの壺の花を注意深く見て、それと同時に時計を見ながらこの音がどれくらい続くかに注意し、そして振動計の針が示す数値も覚えておいてください。』
そして彼がふいごを使ってパイプに空気を送りこむと、五音からなる単調なメロディが流れ始めた。
この単調なメロディは10分間続いたが、その間に我々は振動計の針がさした数値を記憶し、そしてこの5つの音は我々の聴覚器官に明瞭に刻みこまれた。
ハジがこの単調な音楽を停止した時も、つぼの花は前と同じ状態だった。
次にハジはモノコードからグランド・ピアノという音声製造器に移り、再び我々の注意を振動計へと促してから、鍵盤を連続的に押し始めた。すると前と同じ五音の単調なメロディが流れ始めた。
そしてこの時も振動計の針は同じ数値を指し示した。
5分も経っただろうか。ハジのうなずきに促されて壺の花を見ると、明らかに枯れ始めていた。それから10分後に尊敬すべきハジが音楽を停止すると、壺の中には枯れ衰えた茎だけが残っていた。
それからハジは我々の近くに座って話し始めた。
『これは私の長年の研究の結果わかったことであると同時に、シャット・チャイ・メルニスの科学が述べていることでもあるのですが、世界には二種類の振動が存在しています。すなわち、いわゆる〈創造的振動〉と〈惰性的振動〉です
実験の結果明らかになったところによれば、この創造的振動を生むのに最適な弦は、ある種の金属かまたは山羊の腸から作られたものです。
他の材料から作った弦はこの特性をもっていません。そのような弦から発する振動、そしてまた空気の流れから生じる振動は純粋に惰性的な振動です。この場合音は、弦から生じる惰性の機械的な勢いと、そこから生じる空気摩擦が生み出す振動から生じるのです
。』

ハジ・アスヴァッツ・トローヴはさらに続けた。
『初めのうち我々はこのヴィブロショーだけを使って実験していたのですが、ある時友人のケルバライ・アジス・ヌアランがボカラのXという町に用事で出かけた時、たまたまグランド・ピアノが競売に出されていました。その地を去ったロシア人の将校が他のものと一緒に売りに出していたのです。私の友人はこのピアノに張られている弦が我々の実験に必要な金属でできていることに気づいて、これを買い、それからひどく苦労してこの山の中に運び上げたのです。
このグランド・ピアノをここに据えつけると、我々は、古代中国の科学
シャット・チャイ・メルニスに示されている振動の法則に正確に従って弦を調律しました。
厳密に調律するために、我々は古代中国の〈ド〉音を正確に再現したのはもちろんのこと、この中国科学が勧めているとおりに、この場所の地理的条件、つまり気圧とか室内の形態や容積、平均気温、そればかりか室外の平均気温まで考慮に入れ、その上、実験中、室内に人体放射物を発する何人の人間がいるかまで考えたのです。
このようにして厳密に調律すると、このグランド・ピアノから発する振動はその瞬間から、あの偉大な科学で述べられている特性をすぐに発揮し始めました

ではこれから、振動の法則に関して人間が手に入れた知識と、このグランド・ピアノから出る振動とで、何がなしうるかをお見せしましょう。』
こう言うと彼はまた立ち上がった。
今度は彼は、洞窟の別の部分から封筒と紙と鉛筆をもってきた。
その紙に彼は何か書きつけ、それを封筒に入れ、部屋の天井の中央にあるフックに取りつけた。それからまたグランド・ピアノに座り、一言も言わずに前と同じようにある鍵盤を叩いて単調なメロディを出した。
しかし今回このメロディの中では、グランド・ピアノの一番下のオクターヴの2つの音が均等に、そして継続的に繰り返された。
しばらくしてわしは、このメロディが友人のハジ・ボガ・エディンにとってじっと座っておれないほど不快なものであることに気がついた。というのも彼が落ち着きなく左足をさわり始めたからだ。
しばらくすると彼は左足をさすり始めた。彼のしかめっつらからすると、どうやら間違いなく彼の左足は痛んでいるようだった。
尊敬すべきハジ・アスヴァッツ・トローヴはそんなことにはお構いなく同じ鍵盤を打ち続けた。
ようやく演奏を終えると、彼は我々の方に向き直り、わしに話しかけた。
『私の友人の友人よ、どうぞ立ってフックから封筒を外し、中に書いてあることを読んでください。』
そこでわしは立ち上がり、封筒を取って中をあけると次のように読んだ。
『グランド・ピアノから発する振動で、あなた方二人の左足のひざから1インチ下、そして足の中央から半インチ左のところに〈おでき〉と呼ばれるものができるでしょう』
わしが読み終わると、尊敬すべきハジは我々の左足のその箇所を出すよう頼んだ。
我々が足を出すと、ダーヴィッシュのボガ・エディンの左足のまさにその場所には正真正銘のおできができていた。しかしわしの足には何一つできていないのを見た時の尊敬すべきハジ・アスヴァッツ・トローヴの驚きようは尋常ではなかった。
そこに何もできていないのを確かめると、彼は若者のようなすばやさで座っていた場所から飛び上がり、ひどく興奮して大声をあげた。
『こんなはずはない!』
それから狂人のような目つきでわしの左足を穴があくほど見つめた。
そんなふうにして5分が過ぎた。今だから告白するが、わしが実際に地球上で途方に暮れたのはこの時が初めてで、とっさにはうまい言い逃れを見つけることができなかった。
ようやく彼はわしの目の前まで来て何か言おうとしたが、ちょうどその時、興奮のために足が激しく震えだし、それで彼は床に座り、わしにも座るように合図した。
わしが座ると、彼はとても悲しそうな目つきでわしを見つめ、わしの内部にまで達するような口調でこう言った。
『私の友人の友人よ! 私は若い時非常に裕福でした。干頭を下らないラクダのキャラバンを10以上所有しており、それが常に広大なアジアのいたるところを旅していました。
私のハーレムは、それを知る人には地上で最も豊かで最上のものだと考えられており、その他すべてのものも同様でした。要するに私は、通常の生活が与えてくれるものはすべてあり余るほどもっていたのです。
しかし次第に私は、こういったものすべてにうんざりしてきました。そしてある夜、ベッドに入った時、翌日も同じことが繰り返され、この同じうんざりするような〈重荷〉を引きずっていかなくてはならないと思うと、恐怖で身体が震えてきました。
ついに私は、そんな内的状態のまま生きていくことに耐えられなくなりました。
そしてある日、通常の生活の空虚さがとりわけ強く感じられた時に初めて、自殺してこんな生活にケリをつけようという考えが浮かんだのです。それから数日間というもの、私は非常に冷静にこのことを考え続け、その結果、断固としてこれを実行しようと決心しました。
そして最後の晩、この決意を実行する場所に選んでおいた部屋に入った時、突如私は、私の生命を創造し、形成する原因の半分を担った人を最後に一目見ておかなかったことを思い出しました。
つまり私は、当時まだ生きていた母のことを思い出したのです。その思い出が私の中ですべてを逆戻りさせてしまいました。
私の死を、しかもそんな死に方をしたということを知って悲しんでいる母の様子が、突然ありありと心に浮かんできたのです。
そして私はまざまざと、あの優しい老母が、諦めたようなため息をつきながら、どうしようもない苦悩に一人打ちひしがれている様子を思い浮かべました。すると私の中に深い憐みの情が湧き起こり、それがあまりに大きかったために、すすり泣きで息が止まりそうになりました。
まさにその時、私は全存在でもって、母が私にとっていかなる意味をもっているのか、そして彼女に対してなんと消し難い感情が私の中にあるのかを悟ったのです。
その時以来、母は私の生の源泉になりました。
これ以後は、昼でも夜でもどんな時であろうと、彼女の愛しい顔を思い出すとたちまち私の中に新しい力が生まれ、そして生きようとする欲求と、彼女が快適に生きるためにはいかなることでもしようという気持ちとがいよいよ強くなったのです。
そんな状態で10年が過ぎた頃、ある無慈悲な病気が私から母を奪い去り、私はまた一人ぼっちになりました。
彼女が死んでからというもの、私の中の空虚感は日増しに重くのしかかってくるようになりました。』
ちょうどこの時、尊敬すべきハジ・アスヴァッツ・トローヴの目がたまたまダーヴィッシュのボガ・エディンの上に止まった。すると彼は再びはね起きてボガ・エディンにこう言った。
『我が友よ! 我々の友情に免じてこの老人を許してください。グランド・ピアノのいまいましい振動で君の足が痛んでいるのをすっかり忘れていました。』
こう言うと彼はまたグランド・ピアノの前に座って弾き始めたが、今度は二音だけで、一つは高いほうのオクターヴ、もう一つは低いほうのオタターヴの音で、これをずっと交互に繰り返し弾いた。そして弾きながら叫ぶようにこう言った
『今度は、グランド・ピアノの良いことをもたらす音から生じる振動で、私の昔からの誠実な友人の痛みを止めましょう。』
すると実際、5分も経たないうちにボガ・エディンの顔は再び晴れ晴れとなり、その時まで彼の左足で光彩を放っていた巨大なおできは跡かたもなく消えてしまった。
ハジ・アスヴァッツ・トローヴはそれからまた我々のそばに座り、外面的には全く冷静なまま話を続けた。
『私の愛しい母の死後4日目に、私はたまたま部屋の中に座って、いったい自分はこれからどうなるのだろうと半ば絶望的に考えていました。
ちょうどその時、外の通りの私の窓の近くで、托鉢のダーヴィッシュが聖歌を詠唱し始めました。
窓から覗いてみると、歌っているダーヴィッシュは老人で、非常に温和な顔をしていました。突然私は彼の助言を求めようと決心して、すぐに召使いを呼びにやりました。
彼が入ってきて、普通に挨拶をして〈ミンダリ〉の上に座ると、私は何一つ包み隠さずに自分の魂の状態を彼に話しました。
私が話し終えると、托鉢のダーヴィッシュはしばらく沈思黙考していましたが、やがて私を見つめ、立ち上がりながらこう言いました。
「あなたには出口は一つしかありません。宗教に全身全霊を捧げなさい。」
こう言うと、何やらお祈りを唱えながら家を出ていき、もう帰ってはきませんでした。彼が出ていくと私はまた考えてみました。
熟考の結果、どこかの、ただし母国ではなくどこか遠いところで〈ダーヴィッシュ教団〉に入って二度と出てくるまいとその日のうちに決心したのです。
翌日から私は財産を親戚や貧民たちに分け与え始め、2週間後には祖国を永久に去ってこのボカラにやってきました。
ボカラに着くと、数あるダーヴィッシュ教団の中から一つ選んで入団しましたが、私が選んだのは生活様式の厳格さで知られている教団でした。
しかし残念なことに、この教団のダーヴッシュたちにはすぐに幻滅したので、別の教団に移りました。しかしそこでもまた同じことが起こり、ついに私は今の僧院の教団に入りました。すでにお話ししたように、そこの院長が機械仕掛けの弦楽器を作る課題を私に与えたのです。
そうしてその後は、これもお話ししたとおり、振動の法則の科学に没頭して今日に至っています。
しかし今日この科学は、母が(彼女の愛は長い間、私の空虚で退屈な生活を支える唯一の温かい拠り所だったのですが)死ぬ前日に初めて経験したのと同じ内的状態を私に味わわせてくれました。
今日まで私は、医者が、あなたのお母さんは一日以上はもちません、と言った時のことを思い出すたびに、身体が震えるのを止めることができませんでした。
そんな恐ろしい心理状態で私に浮かんだ最初の疑問は、これからどうやって生きていこうか?というものでした。
その後どんなことが起こったかは、もう大体お話ししました。
一言でいえば、振動の科学に没頭するにつれて、徐々に私は新たな聖性を見いだしていったのです。
この科学は私にとって母のかわりになりました。そして時が経つにつれて、この科学は母と同じように私に希望を与え、真実で誠実であることがわかってきました。今日まで私は、実にこの科学の真理のみによって生き、生気を与えられてきたのです。
振動の法則に関して私が発見した真理は、今日までただの一度として期待した結果を生まないことはありませんでした。
しかし今日初めて、自信をもって予期していた結果が現われなかったのです。
このことが私にとってとりわけ重要であるのは、今日私は手に入れたい結果を得るために、つまりあのおできがあなた方の身体の他のどこにでもなくまさにあの場所にできるように、いつにもまして厳密に振動を計算したからなのです。
ところが未曾有のことが起こりました。ただ単に望んだ場所にできなかっただけでなく、あなたの身体のどこにも全くできなかったのです。
これまで母のかわりを務めてくれていたこの科学は、今日初めて私を裏切ったのです。現在の私の悲しみは口にすべくもありません。
今日のうちはまだ、私はこのどうしようもなく大きな悲しみに耐えることもできましょうが、明日はいったいどうなるでしょう。想像さえつきません。
もし今日私がこの悲しみに耐えうるとすれば、それはひとえに古代の偉大な予言者〈イッシ・ノーラ〉の言葉のおかげです。
彼はこう言いました。「人間は、死の苦しみのうちにある時だけはその行動に責任はない」
この科学、私の神であり第二の母であったこの科学がもし今日私を裏切ったのだとしたら、それも明らかに〈死の苦しみ〉を味わっていることでしょう。
死の苦しみの次には必ず死がやってくることは私もよく知っています。
私の友人の友人よ、今日あなたははからずも、母の死の前日に、あなたのお母さんは一日以上はもつまいと私に告げた医者の役割をまさに果たしたのです。
ちょうどあの時と同じように、今日あなたは私に新しいニュースをもたらしました。すなわち、私の新しい暖炉も明日には消えてしまうということを。
医者が間近に迫った母の死を告げてから、母が実際に死ぬまでの間に味わったあの恐ろしい感覚と感情とが私の中でよみがえりつつあります。
あの時、恐ろしい感覚と感情の最中にも、母はひょっとして助かるのではないかというかすかな希望がありました。そして今この瞬間にも、同様の希望が私の中でゆらめいています。
ああ、友人の友人よ! こうして私の心情をすっかり吐露したのですから、あなたもどうか説明してください。いったいいかなる超自然的な力が働いて、これまでは必ずできていたおできがあなたの左足にはできなかったのですか?
おできは絶対にできるという信念は、ずっと以前から私の中では〈トークローニアン石〉のように堅固になっていました。
なぜそんなに確固不動のものになったかというと、ほとんどこの40年というもの、私は日夜たゆまず世界の振動の大法則を研究してきたために、その法則の意味と顕在化に関する理解は、いわば私の第二の天性となってしまったからなのです。』
それだけ言うと、この恐らくは地球最後の大賢者は待ち望むような表情でわしの目を覗きこんだ。
坊や。この時のわしの気持ちが想像できるかね。いったいどんな返答ができるというのだ。
これで二度目だが、この地球人のためにわしは全く抜き差しならない羽目に陥ってしまった。
この時は、わしには珍しいことだが、この地球の三脳生物に対する〈ヒクジナパール〉が、あるいはおまえのお気に入りたちの言葉を使えば、〈憐み〉が湧いてきた。何といっても、わしのせいでこんなに苦しんでいるのだからな。
なぜこんな気持ちになったのかというと、もしわしが本当のことを話せば、彼はただ落ち着くだけでなく、わしの左足におできができなかったことは、彼の崇拝する科学の真理と正確さをいっそう強く証明することになるということは明白だったからだ。
ここでの出来事はベルゼバブがカラタスへの帰還に出発する3年前くらいだと書かれていますが、おそらくはグルジェフが真理の探究を終える3年前という意味なのかな?と思いました。
そして、ここでの物語はその探求中での出来事だと思うのですが、おできがグルジェフにできなかった理由は、グルジェフがすでに何らかの特性を獲得、もしくはいわゆる高次の体を析出していたからだと思います。
そのことについての知識をこの大賢者には話せるが、まだ人間としては未熟な段階にとどまっているボガ・エディン氏には話せないという意味で困っているのだと推測します。

道徳的にいってもわしは、彼にわしの正体を打ち明ける権利をもっていた。というのも、達成した叡智によって彼はすでに〈カルマヌイオール〉、つまり我々がこの惑星で包み隠さず真実を話すことを天が禁じていない三脳生物になっておったからだ。
しかしこの時にはどうしてもそうすることはできなかった。いまだ地球上の普通の三脳生物にとどまっているハジ・ボガ・エディンが同席していたからだ。つまり我々はずっと以前から、いかなる場合にも地球の三脳生物に真実を言うことは天から禁じられており、そうしないことを仲間にも誓約していたのだ。
我々の種族に対するこの禁制は、かの非常に聖なるアシアタ・シーマッシュの創始したものと思われる。
我々にこの禁制が課せられた主な理由は、おまえのお気に入りの惑星の三脳生物たちに〈存在についての知識〉をもたせる必要があったからだ。
情報というものは、たとえそれが真実のものであっても、一般的にいって生物には〈知的な知識〉しか与えない。しかもこの知的な知識というやつは、前にも話したように、存在についての知識を獲得する可能性を減ずる働きしかしないのだ。
おまえのお気に入りの惑星のかわいそうな三脳生物たちが、器官クンダバファーの特性から生じる諸結果から完全に自由になるための残された唯一の手段は、まさにこの存在についての知識であり、そしてそれゆえに、地球の生物に関するこのような命令が我々に下されたのだ。
そういうわけでだな、坊や。このボガ・エディンがいる以上わしはどうしても地球の貴重な賢者ハジ・アスヴァッツ・トローヴに、彼の失敗の本当の理由を話してやる決心がつかなかったのだ。
しかし二人ともわしの返答を待っていたので、ともかくわしは何か話さねばならなかった。そこでわしはハジ・アスヴァッツ・トローヴに次のことだけ言った。
『尊敬すべきハジ・アスヴァッツ・トローヴよ! もし私の返答をもう少し後に延ばしていただけたら、私は、私の誕生の原因となったものに誓って、きっとあなたを十分に満足させる返答をするつもりです。そうすればあなたはきっと、あなたの愛する科学は、あらゆる科学の中で最も真実のものであり、またあなた自身、今は聖者となっているあの偉大なる科学者チョーン・キル・テズとチョーン・トロ・ペル以来、地球が生んだ最も偉大な科学者であることを納得なさるでしょう。』
こうわしが答えると、尊敬すべきハジ・アスヴァッツ・トローヴは、人間の心臓のある場所に右手を当てた。この動作はこの地方では、〈私はいかなる疑いも抱かずに信じ、希望する〉ということを意味していた。それから彼は、何事もなかったかのようにボガ・エディンの方を向いて、また
シャット・チャイ・メルニスの科学について話し始めた。
先ほどのきまりの悪さを一掃するために、わしは彼に、様々な色の絹を細く束ねてつり下げてある壁のくぼみを指さしてこう言った。
『尊敬すべきハジよ! あのくぼみにあるのはいったい何ですか?』
これを聞くと彼は、あの色のついたものも振動の実験に使うのだと言い、さらにこう続けた。
最近私は、物質のどの色が、どの程度まで、人間や動物に有害な振動を発するかを明らかにしました。もしお望みであれば、この非常に興味深い実験もお目にかけましょう。』
こう言うと彼はまた立ち上がって近くの部屋へ行き、少年に手伝わせて3匹の四足生物、つまり彼らが〈犬〉〈羊〉〈山羊〉と呼んでいる動物を連れて入ってきた。それと一緒に彼は、腕輪に似た奇妙な形の機器をいくつかもってきた。
彼はこの特殊な腕輪の一つをボガ・エディンの腕に、別の一つを自分の腕にはめ、そうしながらわしにこう言った。
『あなたにはこれをはめません……むろん十分な理由があってのことです』
それから彼は、この同じ奇妙な首輪のようにも見える装置を、さっき言った山羊と羊と犬の首に取りつけ、そしてこの装置についている振動計を指さしながら、我々に、それぞれ外形の異なる生物につけてあるこれらの振動計の針がさしている数値を覚えておくか、あるいは書き留めておくように言った。
そこで我々は5つの振動計の数値を読んで、少年が渡してくれた〈ブロックノート〉、つまり地球で〈メモ帳〉と呼ばれているものに書き留めた。
それからアスヴァッツ・トローヴはまたフェルトの上に座って話し始めた。
『どんな形態のものであれ、すべての〈生命体〉は独自の振動の〈総量〉をもっていますが、これは、その特定の生命体の諸器官から発する振動の全体量に相当します。そしてこの総量は、同じ生命体の中でも時によって異なり、また同様に、様々な源泉から発した振動が、その源泉ないしは器官によってどれだけ強く変容させられたかによっても違ってきます。
さて、このように様々な源泉から発した種々雑多な振動は、その生命体全体の境界内の、その生命体が一般にもっている独自の〈振動の総体〉と呼ばれるものの中で常に融合します。
友人のボガ・エディンと私自身を例にとってみましょう。ごらんなさい……。』
そう言って彼は、自分の腕につけている振動計の針を見せながら話を続けた。
『私は普通これくらいの振動をもち、友人のボガ・エディンはそれよりずっとたくさんもっています。
これは彼が私よりずっと若く、彼の器官のいくつかが私よりずっと強く機能しているためで、その〈結果〉として彼の振動は私のよりも強いのです。
犬と羊と山羊の振動計の針を見てごらんなさい。犬の振動の総量は羊の三倍、そして山羊の半分で、振動の全総体の振動数からいえば、この犬は私や友人とほとんど変わりません。
このことは是非言っておかなくてはなりませんが、人間、とりわけ現代人の中には、身体のもつ独自の振動の総体の振動数が、この犬の身体が発する振動数より少ない人間がたくさんいるのです。
どうしてこんなことが起こるかといえば、このような人間たちの中では、たとえばある機能、つまりこの独自の振動のほとんどの量を決定する感情機能がもうほぼ完全に衰退しているからであり、そのために、彼らの振動の総量は犬のそれにも劣っているのです。』
こう言うと、尊敬すべきハジ・アスヴァッツ・トローヴはまた立ち上がり、様々な色のものが置いてある場所へ行った。
それから彼は、このいわゆる〈ボカラの絹〉と呼ばれるものでできている様々な色の布を次々に広げていった。彼はそれらのうち、ある一色に染めてあるいくつかの布を、特別に作られたローラーを使ってこの部屋の壁や天井だけでなく床にまで張り、その結果、その部屋の内部全体がその一色の布でおおわれてしまった。
そして布を違う色のものに変えるたびに、そこにいるすべての〈生命体〉の振動数は変化した
布を使った実験が終わると、この現代の大科学者は先に立って我々についてくるように言い、この部屋を出てもとの中央通路に戻り、そこから脇に続いている小さな通路に入っていった。
我々の後からは、あの首輪状の装置をつけた山羊と羊と犬がついてきた。
かなり長く歩いた末、我々はこの地下の空間の中でも最も重要な部分にやってきた。
尊敬すべきハジ・アスヴァッツ・トローヴはここでもあるくぼみのところに行き、ひどく奇妙な色の物体がうず高く積み上げてある場所を指さしてこう言った。
『あの物質は〈チャルタンドル〉という植物の繊維を特殊な方法で編んだもので、その植物自体の色が表れています。
このチャルタンドルという植物は地球上の形成物の中では非常に珍しいもので、これのもっている色には、近くの源泉から発する振動を変化させる力がありますが、それ自体は他の振動から全く何の影響も受けないのです。
そういう特性をもっているので、私はある実験、つまり色から発するものではなく、他の源泉から生じる振動に関する実験をするために、わざわざこの植物を取りよせ、これを使って、この地下空間全体をおおういわば大きな〈テント〉のようなものを作り、そしてそれを、どんな形にでもなり、どの方向へでも動かせるようにしたのです。
さて私はこれから、この風変わりなテントを使ってある実験、すなわち私が〈建築学的〉と呼んでいる実験を行います。この建築学的実験は、どのような室内構成が、どの程度まで、人間や動物に害を及ぼすのかをはっきり示してくれるでしょう。
この建築学的実験によって私は次のことを確信するに至りました。すなわち、ある場所の大きさや全体的な内部構成が人間や動物に甚大な影響を及ぼすというだけにとどまらず、あらゆる内部構成物、つまり〈カーブ〉〈角度〉〈突起物〉や壁の〈ひび割れ〉、その他多くのものが、その場所の大気の中を伝わっていく振動に変化を及ぼし、そこにいる人間や動物から発する振動を必ず良いほうか悪いほうに変えてしまうということです。』
彼がこの大きなテントを使って実験を始めると、わしは、まわりのいろいろな原因で変化していた振動が、地球上の一脳及び二脳の生物に対してよりも、おまえを魅了している三脳生物の身体のほうにより強く働きかけることに気がついた。
これはもちろん、彼らの通常の内的及び外的な生存状態の異常性から生じたものだ。
この建築学的実験の後、彼は我々をもっと小さい部屋に連れていき、そこでもまた様々な実験を見せてくれた。これら一連の実験によって、いろいろな原因から発する振動のうちどれが、またどの程度、おまえのお気に入りたちの独自の振動の総体に働きかけるのかを容易に見てとることができた。
これらの実験で、彼らと同種の生物や(これには様々なタイプがあるが)あるいは二脳や一脳の生物の放射物から形成される振動が生み出す結果も明らかに示され、また彼らの声やその他多くの原因となる動きから生じる振動も明らかになった。
このほかにも彼はいくつか実験をしながら説明してくれたが、それらは、とりわけ近年になって人間たちが大量に、まるで意図的にそうしているかのように生み出しているもの、すなわち彼らが〈芸術作品〉と呼んでいるものが地球の現代人に与える害をはっきり証明していた。
この〈芸術作品〉の中には、彼らの有名な音楽はもちろんのこと、〈絵画〉や〈彫像〉も含まれていた。
この賢者が見せてくれた実験全体から明らかになったことは、地球の現代の三脳生物にとって最も有害な振動は、〈医療〉と呼ばれているものが彼らの中に生み出す振動であるということだ

このようにしてわしはこの真の知識人の地下住居に4日間滞在し、それからまたボガ・エディンと一緒にボカラの町に戻った。これが彼との最初の出会いだ。
この4日間に、彼は今話した以上に〈振動の法則〉に関する実験や説明をしてくれたが、個人的には、彼が最後にしてくれた説明、つまり、なぜ、またどのようにして、いかなる現代人のグループからも遠く離れた荒地の地下の住居にガスと電気を引いたのかという説明が一番興味深かった。
その説明の途中、あることをわかりやすく話してくれている時、わしに非常な共感を示してくれたこの三脳生物は、突然どうしても抑えきれずに本当に心からの涙を流してしまった。わしはそれにひどく感動し、いまだに忘れることができないのだ。
彼の話の中で明らかにされたいくつかのデータに関する情報は、おまえがこれから生きていき、〈主観的運命〉と呼ばれているものの結果、すなわち、比較的独立した個人が無数に誕生し、共存している我々の
大メガロコスモスの中で生じる結果に直面し、これを解明する上での良い材料となることだろう。
複数の個人が共同で生存していると、各個人の生存プロセスの中で、運命がその個人にとって絶対的に不公平なものになるということがしばしば起こるが、しかしその個人と共存している他のすべての者は、客観的な意味でいえば、そこから公平な果実をたくさん手に入れているのだ。だからこそわしはこれについてできるだけ詳しく、できれば一語も変えないで彼の言葉をおまえに伝えておきたいのだ。
以前の三脳生物、つまり彼らの祖先が獲得した理性は完全に消滅してしまったわけではないということが確信できたのは、この地下の住居を離れる直前であった。たとえこの奇妙な惑星の後世の生物たちが、祖先が発見した宇宙的真理を咀嚼して自分のものにすることをやめたとしても、またたとえ、彼らの異常な生存状態のために、発見された真理がどこにおいても当然なすべき発展をしなかったとしても、それでもなおかつその真理はあの不思議な地下の王国に自動的に集積されており、後世の三脳生物がこれをさらに磨いて完成させる日を待っているのだ。
そこでわしが、彼の地下の王国のガスと電気の照明のことを尋ねると、彼はこう言った。
『この2種類の照明の源泉は全く異なっていて、それぞれ別の経緯で生じたのです。
ガス照明はそもそもの初めからここにあり、私と友人のケルバライ・アジス・ヌアランの創案で今のようにしつらえたのです。
電気照明のほうはつい最近つけたばかりで、これを創案したのはまだ若いヨーロッパ人の友人です。
2種類の照明をここに導入したいきさつは別々に話したほうがいいでしょう。
ガス照明のほうからお話ししましょう。
我々が最初ここに移ってきた時、ここから遠くないところに〈聖なる洞窟〉と呼ばれる聖地があり、トルキスタン中から〈巡礼〉や〈崇拝者〉たちが押しかけていました。
この聖地に関して一般に信じられているところによれば、かつてそこに有名な〈ヘライラズ〉が住んでいて、後には〈生きたまま〉天国に召されたということでした。この信仰は、この洞窟内に実際に〈不滅の火〉があるという事実によって支えられていました。
さてそこで、友人の友人よ!
私も友人のケルバライ・アジス・ヌアランも、この通俗信仰が本物だとは信じられなかったので、この不思議な現象の真の原因を探ってみることにしました。
当時は物質的にも経済的にも十分な余裕があり、また誰にも邪魔されずにこの現象を調査できる状況にありましたので、我々は早速真相の解明に乗り出しました。
そこでわかったことは、洞窟からほど遠からぬところに地下水脈があって、その水がいくつかの鉱石から成るある媒質を洗っており、そしてこの媒質が水に働きかける全作用の結果可燃性のガスが分離し、それがたまたま生じた岩の割れ目を通してその洞窟の中に吹き出していたということです。
そして何らかの原因でこのガスに火がついたのですが、まさにこれが不滅の火の正体だったのです。
私と友人はこの正体を完全に突き止め、同時にこのガスの源が我々の洞窟から遠くないことを知ると、人工的な通路を作ってこのガスを我々の洞窟に引きこむことにしました。
その時以来、我々が埋めた粘土のパイプを通ってガスがこの洞窟の中央部に入ってくるようになり、そこから今度は竹を使って必要な部分に送ることにしたのです。
さて次は電気照明ですが、それは次のような経緯でここに入ってきました。
我々がこの洞窟に落ち着いてしばらくして、私の非常に古い友人を通して一人のダービッシュが私を訪ねてきましたが、彼はまだとても若いヨーロッパ人の旅行者で、私が興味をもっていた振動の法則の常に変わらぬ作用に関してさらに知りたくて、私との面会を求めてきたのです。我々はすぐに親友になりました。それというのも、彼はまず真理の探究に非常に真剣で、またとても親切で、〈一人の例外もなくすべての他人の弱さに敏感〉であったからです。
彼は振動の法則全般を研究していましたが、その中心は、人間の中に様々な病気を生み出す原因となる〈振動の法則〉でした。
これを研究している間に、彼は特に人々の体内に生じる〈癌〉という名の病気の原因と、この有害な形成物を取り除く可能性を解明しました。
彼はそれを発見すると同時に、実践においてもある成果をあげました。つまり、ある生活様式と準備とによって、人間は誰でも意識的に体内の振動を精妙なものにすることができるが、それを利用すれば、つまりその振動をこの恐るべき病気に冒されている人々に一定の方法で一定の時間継統的に当ててやれば、これを完全に除去することができるということを実践によって示したのです。
その後彼はここを離れ、それ以来長い間会わなかったのですが、それぞれお互いの消息は知っていました。
私が聞いたところでは、この友人はここを離れてまもなく同国人と結婚し、その後ずっと、ここアジアでの言い方によれば、〈家族愛と相互の道徳的援助〉に包まれて暮らしているということでした。
私は彼が発見した方法、つまり先ほど話した呪いを人々から除去する治療法がその後どうなったかに特に興味がありました。というのは、この病気を生み出すデータを結晶化させる要因である振動を生み出す原因は、近年私がその究明にとりわけ関心を抱いている振動の原因と非常に密接な関わりがあったからです。
彼がこの病気を簡単に治せる一般的な治療法をまだ見つけていないことは知っていましたが、私のところにたびたび届く信用できる報告によると、彼は、誰にでも実践できるという方法ではないが、ともかく最初に発見した例の方法でこの病気にかかった人々を治療しており、そしてこの実践で彼は常に、人間に対するこの恐るべき天罰を完全に駆除しているということでした。
これまでに受け取った確実な情報によると、彼はこれまで数十のケースを完治させたということでした。
しかしその後約十年間、我々のどちらにもどうしようもない理由で、この若いヨーロッパ人の消息は途絶えていました。
私は彼の存在をほぼ完全に忘れかけていたのですが、そんなある時、私がいつも以上に仕事に没頭していると、我々しか知らない秘密の合図が聞こえてきました。私が誰か尋ねると、すぐに彼とわかる声で返事が返ってきて、この地下住居の入口をあけてくれと言ってきました。
いうまでもないことですが、我々は、この再会と、そして二人の愛する〈振動の法則〉の科学について意見を交換できることを喜び合いました。
再会の興奮もおさまり、彼がラクダに積んで運んできてくれた荷物をすべて解くと(ちなみにこの荷物の中には、現代ヨーロッパの有名なもの、たとえば〈レントゲン装置〉と呼ばれるもの、50あまりの〈ブンゼン電池の極板〉、いくつかの〈蓄電池〉、それに様々な種類の〈電気ワイヤ〉の束などが入っていました)我々は静かに話し始めましたが、彼の話を聞いて私は非常な悲しみに襲われました。
その何年か前、高次の世界法則の関係で周囲の環境と状況が変化し、その結果、地球のどこにも人間が安心して住むことのできる場所がほとんどなくなり、明日の保証さえ危うくなってきました。ちょうどそうした時に、彼は愛する妻にあの恐るべき病気が、つまりその治療法を発見することが彼の人生最大の目的であったまさにその病気が発生していることに突然気づいたのです。
彼がこの時この病気の発生をとりわけ恐れたのは、今言った周囲の状況の変化のために、この恐るべき病気を除去するための治療法、つまり彼自身が発見し、その時までは彼にしかできなかった治療法を施す可能性が完全に失われていたからです。
この恐るべき発見の後、何とか気を取り直すと、彼はその時唯一可能な決断を行いました。すなわち、適当な時期がやってくるまで辛抱強く待ち、その間、この恐るべき病気の進行が可能なかぎり遅くなるような環境を妻に作ってやるということです。
2年が経つ間に周囲の状況は好転してきました。そして私の友人はやっと、この恐るべき病気に対する、彼だけが知っている治療を施す準備をすることができるようになりました。
ちょうどその準備を始めた頃、彼にとっては実に不運なある日に、彼はあるヨーロッパの大都市で、デモ隊に突きとばされたために〈自動車〉にひかれ、一命は取りとめたもののひどい重傷を負ってしまったのです。
この負傷のために、彼自身の生命が数ヵ月間〈生死の境〉をさまよったばかりでなく、妻の通常の生活を意識的かつ意図的に導くこともできなくなり、それどころか、彼が負傷している間、彼女は自分のことも顧みず彼につきっきりで看病したために、この恐るべき病気は急激に進行してしまったのです。
そんなわけで、やっと意識を取り戻した時、妻の病気の進行がすでにその最終段階に達しているのを知って私の友人は驚愕しました。
いったい彼に何ができたでしょう。……彼の被った傷のために、妻のこの恐るべき病気を根絶するのに必要な準備、つまりこの治療に必要な質の振動を彼の内部で生み出すことが不可能になったのですから。
以上のような経過から見てもはや他に道はないと悟った彼は、現代ヨーロッパ医学の代表者たちがそれを使えば間違いなくこの病気は治せると主張している治療法を施すことに決めました。
すなわちX線と呼ばれているものに頼ることにしたのです。
そしてこのX線による治療が始まりました。
この治療の間に彼が気づいたことは、彼の妻の体内のこの病気の主要な〈凝固〉、あるいは〈重心〉はたしかに〈衰えて〉きてはいるが、同時に全く同種の〈凝固〉が、今度は別の部分にでき始めているということでした。
数ヵ月のうちに何度か、ヨーロッパで〈集中治療〉と呼ばれているものを繰り返した結果、同種の凝固が全く別の場所に新たに現れました。三番目のものです。
こうしたことを行ってみた結果、ある悲しい日に、この病人の余命はいくばくもないことがわかったのです。この恐るべき事実を知って、私の友人は現代ヨーロッパ医学のこういった知ったかぶりの屁理屈をすべて放棄し、自分の状態をも顧みず、自分の中で必要な振動を強烈にし、それで病人の身体を満たしたのです。
ここでの文章は、おそらくグルジェフの妻が癌に冒され、グルジェフの生み出す振動でそれを除去するつもりだったのに、グルジェフ自身の自動車事故のためにそれができず、X線治療を施したが余計に悪くなり、グルジェフの特殊なパワーで延命させることはできたが癌を克服することができなかった話を埋め込んでいるのだと思います。『魁偉の残像』である程度その時の経緯が記されています。

彼個人としてはほとんど克服し難いような困難にもかかわらず、彼は妻の生命を2年近くも延ばすことに成功しました。しかしながらついには彼女もこの恐るべき病気のために死んでしまいました。
注意すべき点は、この病気の最終段階、つまり彼がすでにヨーロッパ医学の知ったかぶりのガラクタ治療法をやめていた時期に、妻の体内にさらに3つの新たな凝固が発見されたことです。
この悲しみから多少なりとも回復して、再び深遠なる世界法則の研究という大好きな仕事に専念し始めた頃、私の友人は、どうしてX線による治療中に、それ以前の長年にわたる観察では見たことのない、通常この病気では生じないとされている凝固が妻の体内に現われたのか?に強く興味をもつようになりました。
しかし彼の興味を引いたこの問題はかなり複雑で、当時彼が住んでいた場所の周囲の状況ではその解明は不可能であることが判明したので、私のところに来て、私の助力を得ながら実験によってこれを究明しようと決心したのです。そういうわけで、彼は実験に必要な材料をすべてもってきたのです。翌日、私はこの地下住居の一部を彼が使えるようにしてやり、それから何頭かの〈サルカムールスキアン〉山羊と呼ばれるものを始め、その他彼の実験に必要なものはすべて整えてやりました。
準備として彼はまず、ブンゼン元素を使ってレントゲン装置を作動させました。
そして到着後3日目にはすでに、その後我々の洞窟にともることになる電燈の礎石が築かれていました。
もう少し詳しくお話ししましょう。我々が振動計を使ってある実験をしながら、レントゲン装置のX線を生み出す電流の振動を算出していた時、ブンゼン元素を使って得られる電流の振動数は常に増減することに気づきました。そして電流が流れている間の解明実験で一番大事なのは一定時間内の振動数がいくらかということであり、それでこの種の電流は我々が解明したい問題には全く役に立たないことがわかったのです。
これが判明すると、私の若い友人はひどく落胆しました。直ちに実験をやめて考えこんでしまったのです。
それから2日間というもの、彼は食事の間もずっと考えこんでいました。
3日目も終わろうとする頃、我々はいつも食事をとる場所に一緒に歩いていっていました。洞窟の中央部分を流れている地下水流にかかっている橋を渡っている時、急に彼は立ち止まり、額を叩いて「わかったぞ!」と叫びました。
翌日彼は早速何人かのタジク人を雇い、近くにあるもう使われていない古い鉱山から、運べるかぎりの大きな〈鉱石〉の〈塊〉を3種類運びこんで、地下水流の底に一定の順序で並べました。
鉱石を並べ終えると、彼は電極と呼ばれるものを2つ使って、この水流と、彼がもってきたわずかに充電してある蓄電池とを接続しました。すると、かの有名な〈アンペア〉と呼ばれる電流がこの蓄電池に流れこみ始めたのです。
そうして24時間後、このようにして得た電流を振動計で測りながら蓄電池に集め終わった時、たしかにアンペア数は十分ではないが、この電流から得られる振動数は、振動計を通っている間ずっと一定で均質であることがわかりました。
この一風変わった方法で得た電流の力を増幅するために、彼は様々な材料で、すなわち山羊の皮やある種の〈粘土〉、それに〈亜鉛鉱石〉を砕いたものや〈松やに〉を使って〈コンデンサー〉を作り、こうして、彼がもってきたレントゲン装置に必要なアンペア数とボルト数をもつ電流が得られたのです。
この風変わりな電流を使って、我々は最終的に次のことを明らかにしました。
つまり、
あの恐ろしい病気を治療するのに、この現代的な装置を人体全体に使用すると、たしかに凝固の中心部分は衰退するが、逆にそれが他の腺に〈転移〉するのを促進し、その新しい場所で根づいてさらに大きくなるのを助けるということです
というわけで、友人の友人よ! 私の若い友人はこの結果に満足し、この問題に対する興味を失ってしまいました。それで、ヨーロッパに帰っていく時、彼はこの装置を我々に残していってくれたのです。この装置には忘れないように外から燃料を加えてやる必要もなく、その後我々は徐々に洞窟内の必要な場所に電燈を取りつけていったのです。
この奇妙な源泉から得られるエネルギーでは、洞窟内の全電燈をともすには十分ではありませんが、あちこちにスイッチをつけて必要な時にだけエネルギーを使うようにすれば、エネルギーは無駄にならずに次第に蓄電池の中にたまっていき、時にはいろいろな家事に使えるくらい十分な量になるのです。』
ベルゼバブがここまで話した時、宇宙船カルナックの乗客はみんな口の中に何か甘酸っぱいようなものを味わった。
これはつまりカルナックがある惑星、つまり予定外の寄港地に近づいていることを示していた。
それは
デスカルディーノという惑星だった。
そこでベルゼバブは話をやめ、アフーンとハセインと三人で、
デスカルディーノに降りる準備をしに〈チシャーズ〉に入っていった。

付記-この章に書かれている考えに興味をおもちになった方は、『アヘン常用者』という題で書く予定にしている本を忘れずに読まれることをお勧めする。ただし、もちろんのことながら、その本の完成は、フランスのアルマニャックとカイザリアのバストゥーマが十分あるかどうかにかかっている。著者より

第42章 ベルゼバブ、アメリカに行く

ここはアメリカについての章になります。一通り当時のアメリカの印象の解説し、その後アメリカ人に対して、消化器官について特に注意を促しています。
続いて生殖器官に注意を促しており、その内容は特に興味深い内容になっております。


(中略)
さて次にだな、坊や。アメリカ大陸に現在いる人間の体内で、第二番目の根源的機能、すなわち性機能が次第に調和を失ってきた原因に関する話をしてあげるから、注意して聞きなさい。
彼らのこの機能の不調和の原因には様々なものがあるが、わしの意見では、最も根源的なものは生殖器官を清潔にしておくことを怠っていることであり、この怠慢は〈彼らの本質の中で生じ、すでに彼らの本性と融合してしまっている〉のだ。
ヨーロッパ大陸の人間たちと同様、彼らが自分の顔に注意を払い、〈顔の化粧品〉と呼ばれるものをせっせと塗りたくるのは、今言った器官を無視するのと表裏一体のことなのだ。ところが多少とも意識的な三脳生物は、この器官を可能なかぎり清潔に保つことを要求されている。
しかしながら彼らだけを責めることはできない。というのは、この点に関しては、ヨーロッパ大陸の人間たちの日常生活での習慣こそ最も誤ったものだからだ。
つまり、比較的新しく誕生したこの大きなグループは、ほぼ完全にヨーロッパ大陸の大小様々のグループから成立し、また現在も引き続きそこから人間の供給を受けている。
その結果、この新しくできた大グループを構成する三脳生物の大多数は、彼ら自身がヨーロッパ大陸からの移民ではないにせよ、彼らの父親か祖父は移民であり、アメリカ大陸に移住する時ヨーロッパの習慣をもってきた。その中に、彼らの生殖器官を不潔にするような習慣も混じっていたのだ。
だから坊や。これからアメリカ人の性の問題について話すことはみんな、ヨーロッパ大陸の人間にも当てはまるのだ。
ヨーロッパ大陸とアメリカ大陸に生息する現代の三脳生物の不潔さがいかなる結果を生み出したかは、わしの統計にはっきりと示されておる。
例えば〈性病〉と呼ばれるものを考えてみよう。この病気はヨーロッパ大陸とアメリカ大陸では恐ろしく広まっているので、この病気に何らかの形でかかっていない人間に出会うことはほとんどない。
この実に奇妙な、それに何とも興味深いデータについてもう少し知っておいても悪くはないだろう。わしの統計には、アメリカとヨーロッパの人間が、アジア大陸の人間に比べてどのくらい多くこの病気にかかっているかが数値で示されている。
アジア大陸の古くからの共同体の人間はほとんど性病にかかっていないのに対し、ヨーロッパとアメリカ大陸の人間の間では、この病気は伝染病のように広まっている。
普通〈クラップ〉と呼ばれているもの、つまり科学者が〈淋病〉と呼んでいるものを例にとってみよう。ヨーロッパとアメリカ大陸の人間は、男性も女性も、進行状況こそ様々だが、みなこの病気にかかっている。しかしアジア大陸では、ヨーロッパ大陸の人間と頻繁に接触する国境地帯の人間の間にだけこの病気が見られる。
今話したことのよい例が、ペルシアという名のグループに属している人間たちで、このグループはアジア大陸のかなり大きな範囲に広がっている。
この比較的大きな地域の中央部、東部、南部、西部に生息している人間たちの間にはこの病気は全く見られない。
しかし北部地帯、とりわけロシアと呼ばれる半ヨーロッパ的、半アジア的な大共同体と直接接している〈アゼルバイジャン〉と呼ばれる地域では、この病気にかかっている人間の割合はロシアに近づくにしたがって高くなっておる。
全く同じことがアジア大陸の東部の国々でも起こっている。つまりこの病気の感染率はヨーロッパ大陸の人間との接触が頻繁なところほど高くなっている。例えばインドと呼ばれる国、または中国の一部、とりわけヨーロッパのイングランド共同体の人間と接触のある場所では、この病気は近年急速に広まっている。
つまり要約すれば、アジア大陸の人間の間にこの病気を広めている立役者は、北西部では大共同体ロシアの人間であり、また東部ではイングランド共同体の人間なのだ。
この病気に限らず、他の多くの疫病が、今言った地域を除くアジア大陸に見られないのは、わしの意見では、この大陸の住民の大部分が、やはり祖先から受け継いだ良い慣習を日常生活の中で守っているからだ。
こういった慣習は宗教を通して彼らの日常生活の中に深く根づいているので、現在では、屁理屈を言わずにそれを機械的に守ってさえいれば、この不幸な惑星上で、異常な生存状態のためにできあがってしまった、また現に生まれつつある害悪からほぼ間違いなく身を守れるのだ。
アジア大陸のほとんどのグループの住民たちは、例えば〈ソーニアト〉と〈アブデスト〉と呼ばれている慣習を守っているかぎり、性病やいかなる〈性的倒錯〉をも免れることができる。
初めのほうの慣習、つまりソーニアト、あるいは〈割礼〉とも呼ばれている慣習は、責任ある年齢に達した多くのアジア人を性病から守るばかりでなく、ヨーロッパやアメリカ大陸の子供たちや青年がふけっている〈オナニズム〉という名称で知られている〈悪弊〉に染まることも防いでくれる。
現在アジア大陸に生息するグループの多くでは、この慣習に従って、彼らの〈結実〉、つまり子供たちが一定の年齢に達するとある儀式を執り行い、男の子の場合であれば〈ペニス〉の〈繋帯〉と〈包皮〉と呼ばれる部分を切除する。
そして現在、もちろん機械的にではあるがこの慣習を遵守しているおまえのお気に入りたちの子供は、彼らの生存プロセスにもう完全に組みこまれてしまった害悪の必然的な結果からほぼ完全に守られているのだ。
わしの統計によれば、例えばこの〈割礼〉の慣習を遵守している三脳生物の子供たちの間には、今言った〈子供のオナニズム〉という〈悪弊〉はほとんど見られない。ところがこの慣習を守っていない人間たちの子供や若者たちは、例外なくこの性的倒錯に陥っておる。
さっき言った2つ目の慣習、つまりアブデストは、アジア大陸ではグループによって様々な名称で呼ばれているが、これは要するに、いわゆる〈トイレット〉に行った後には必ず性器を洗浄するというものだ。
主としてこの第二の慣習のおかげで、アジア大陸に生息する人間のほとんどは種々の性病や性的倒錯を免れているのだ。」
ここまで話すとベルゼバブは考えこみ、かなり間をおいてからこう言った。
「こんな話をしているうちに、ある非常におもしろい会話を思い出した。それはわしがフランスに滞在している時にある若い気の合った三脳生物と交したものだ。これまで話したことをおまえがもっとよく理解するには、この会話を細大もらさずおまえに話してやるのが一番いいだろう。この会話はきっと、ただアブデスト、あるいは洗浄という慣習の意味だけでなく、おまえのお気に入りたちの奇妙な精神に関する様々な疑問にも光を当ててくれるだろう。
これから話そうと思う会話をした相手というのは、ほれ、前に話したから覚えておるだろう。わしがアメリカ大陸に発つ前にたまたま滞在したパリで、わしらの共通の知人の紹介で〈ガイド〉役を務めてくれた若いペルシア人だ。
ある日わしはパリ市街のあるカフェで、つまりいつものグラン・カフェでこの若いペルシア人を待っておった。
彼がやってくると、彼の目からして、彼ら流にいえば、いつもよりもっと〈酔っ払っている〉ことに気がついた。彼はいつも、十分以上に〈アルコール飲料〉を摂っていたが、ある時たまたま一緒にパリのモンマルトルというところのレストランに入ると、そこではシャンペンを注文しなければいけないことになっていた。わしはこのシャンペンというやつは好きでもないし飲みもしなかったが、彼は一人大喜びで飲んだ。
彼は大酒飲みであるばかりか、いわゆる天下一品の〈女たらし〉でもあった。
女性の中でもいわゆる〈美人〉なるものを目にするやたちまち、彼の全身、いや息づかいまでも突如として変わってしまうのだ。
この時は彼がいつもより酔っ払っているのに気づいたので、彼がわしの席についてコーヒーと〈食前酒〉と呼ばれるものを注文した時、こう聞いてみた。
『若い友人よ、どうか教えてくれないか。どうして君はいつもこんな〈毒〉を飲むんだね?』
この質問に彼はこう答えた。
『そうだね、ドクター。そのわけは、まず第一に、もうこれを飲みつけているのでやめると苦痛を感じるんです。それに、私はアルコールを飲んでいる時だけ、ここでみんながやっている猥褻なことを落ち着いて傍観できるんですよ』
彼は手を振りまわしながらこうもつけ加えた。
『私がこの、あなたに言わせれば毒を飲むようになったのはですね、ある不幸な偶然によって私の人生の星の巡り合わせが悪くなり、その結果このおぞましいヨーロッパにやってきて長期間住まねばならなくなったからなんです。
そもそもこんなものを飲み始めたのは、ここでは誰も彼もが飲むし、おまけに飲まないものは〈女性〉だとか、〈女の子〉〈お人形ちゃん〉〈かわいこちゃん〉〈弱虫〉〈間抜け〉なんていう嘲笑的な名前で呼ばれるからです。誰だって仕事上の知人にこんな無礼な名で呼ばれたくはないでしょう。だから飲むようになったんです。
いや、それだけじゃありません。初めてヨーロッパに来た時、ここでは道徳とか家父長制などの点で、私が生まれ育った生活環境とはまるで違っていたんです。そういったことを見たり感じたりしているうちに、苦痛にも似た恥辱の感覚と、何ともいえないいたたまれなさを感じるようになってきました。そんな頃、アルコールを飲むとこんな憂鬱な気持ちが薄らいでそういった状況を静観できるようになり、そればかりか、私の性格や見方とは正反対のこの異常な生活に喜んで飛びこみたいとさえ思うようになったんです。
そんなわけで、こんな不快な感覚が生ずるたびにアルコールを飲むようになり、おまけにそんな自分を正当化さえし始めました。こんなふうにして徐々に、あなたがいみじくも毒と呼んだものに馴染むようになったんです。』
見るからに悲しげな面持ちでこう話すと、彼は言葉を切って〈タムバック〉と混ぜたタバコを吸った。そこでわしはいいチャンスとばかりにこう聞いてみた。
『そうか、なるほど……ではわしも多少なりとも、弁解の余地のない飲酒についての君の弁明を理解して、君の立場に立ったということにしよう。しかしだな、君のもう一つの、そう、わしの目からすれば同じく弁解の余地のない悪徳、つまり〈女によだれをたらす〉ことについてはどう弁明するつもりかね?
実際君は、髪の長い人がスカートをはいているとすぐに後を追いまわしているじゃないか。』
これを聞くと、彼は深いため息をついてからこう話し始めた。
『この癖も、どうも今話したことに原因の一部があるように思えるんですが、でも私のこの弱点は、別のとても興味深い心理学的原因から説明できるのではないかと思うのです。』
ここでわしは彼に、もちろん君の話は聞きたいが、外は湿っぽくなってきたので、グラン・カフェのレストランにまず入らないかと言った。
レストランで席につき、〈有名なシャンペン〉を注文してから彼は話し続けた。
『ねえ、ドクター、あなたがペルシアで我々と一緒に住んでいた時、きっと我々ペルシア人特有の、女性に対する男性の態度を観察する機会があったのではないでしょうか?
つまり、我々ペルシア人の間では、男性は女性に対して、いうなれば2つのはっきりした〈生理的態度〉をもっていて、これに従えば我々男性にとって女性は、無意識的にではありますが、2つのはっきり違ったカテゴリーに分けられるのです。
女性に対する第一の態度は、現在の、あるいは未来の母親に対するものであり、第二は雌としての女性に対するものです。この2つの独立した態度と本能的な感情を生み出すデータを生来具えている我々ペルシアの男性のこの特性は、つい最近、つまり約二世紀半くらい前から形成され始めたのです。
私の〈ムラーおじさん〉がしてくれた説明によると(このおじさんはみんなに〈昔流のムラー〉と陰口をたたかれているんですが)明らかにある高次の世界法則から生じた原因によって、地球上のあちこちで人々は戦争を始め、とりわけアジアにいる我々は通常よりもずっと激しい戦争をするようになったんです。それと同時に敬虔な感情も目に見えて衰退し、全く失ってしまう人間も出てきました。
ちょうどその時期に、ある精神病が広まり、これにかかった者は最終的には狂気に陥るか、あるいは自殺してしまいました。
そこでアジア大陸の様々なグループの賢者たちは、当時の医学を代表する人々の助けを借りて(ついでですが、当時の医学は現代医学などよりもはるかに優秀でした)人類を襲ったこの不幸の原因を懸命に探究しました。
長期間偏見をもたずに調査した結果、彼らは次のことを突き止めました。まず第一に、この病気にかかっている者はすべて、何らかの理由で、潜在意識の中にただの一度も、誰にも、また何に対しても信頼という衝動が生じたことがないということ。第二に、定期的に女性と正常な交渉をもっている男性はこの病気に全くかかっていないということです。
彼らの出した結論がアジア大陸に広まると、それぞれのグループの統治者や首長は色めきたちました。それというのも、彼らの統轄している正規軍はほとんどすべて男性だけで構成されており、またそれ以上に、絶えまない戦争のために彼らは家族と普通に暮らすことが許されなかったからです。
当時アジアの各国は健康で強力な軍隊をもちたいと望んでいたので、彼らは否応なく休戦を結ばざるをえなくなり、ある場所、つまり当時〈キルマントーシアン・カナート〉と呼ばれていた地域の首都に、首長自ら出かけるか、あるいは代表を送り、共同で新たに起こった難局を乗り越えようとしました。
真剣な討議や考察を繰り返した結果、諸グループの統治者や代表者、それにもちろん当時の医学の代表者も次の点で意見の一致を見ました。すなわち、この新たな難局を乗り切るには、ちょうど現在のヨーロッパ大陸のように、売春制度と呼ばれるものを作り上げるだけでよい、そしてそのためには、権力者たちが慎重にその発達を促し、成功に至るよう協力するだけでよい、というんです。
当時の統治者はほとんどみな、アジア大陸の全住民の代表者が出したこの結論に全面的に賛成し、そしてすぐさま、何ら良心の呵責を感じることもなく、あらゆる女性に(実際には自分たちの娘だけは別ですが)普通の人間の本性にとっては〈吐き気がするほどおぞましい〉この職業に就くことを奨励したばかりか、これこそが人間のする最も思慮ある行為だとでもいわんばかりに、まるで恩恵でも施すかのような気持ちで、この汚らわしい目的のために喜んでどこへでも行くという女性には、階級や宗教にかかわりなくあらゆる援助を惜しまなかったんです。
この問題にふれたところでちょっと寄り道をして、現代文明が生んだこのおぞましい悪弊の原因について、ムラーおじさんが話してくれた考えを(私の意見では非常に興味深くて鋭い見方だと思うんですが)お話ししたいと思います。
それはちょうどラマダンの期間中で、我々はいつものように、地区のムラーが食事時間を告げるのを待ちながら話をしていましたが、たまたま話題がこの人類の〈悪弊〉だったんです。おじさんはこう言いました。
「いいかい、おまえ、この種の女性を責めたり軽蔑したりするのは間違っているし、それに不公平じゃよ。
彼女たちのほとんどは、個人的にはその悲しい運命に対していかなる責任もない。むしろ責められるべきは、彼女らの両親や夫や保護者たちじゃ。
なぜ両親や夫や保護者こそが責められ、軽蔑されねばならんかというと、彼らは、彼女らが大人になる準備期間中に、つまり自分自身の良識をもつ前に、彼女たちの中に怠惰と呼ばれる特性が芽ばえるのを許したからじゃ。
たしかにこの年齢では、彼女らはまだ単に機械的に怠惰であるにすぎないし、若い人たちはそれを克服するためにものすごい努力をする必要もないし、またそれゆえ、自分自身の良識をもった時には、この怠惰に完全に支配されてしまわないようにすることもできる。しかしそれにもかかわらず、女性の精神構造という点に関していえば、我々が自分の意志でどうこうできるものではない。つまり、世界法則から生じてきた結果によれば、何かを始める時、何か良いことをしようとする時には必ず能動的原理がこれに参与しなくてはならないのじゃ。
現代文明の中にいる人間たちは、〈平等の権利〉とか〈機会均等〉とかいったキャッチ・フレーズをつけた〈女性の平等の権利〉に関する様々な考えをもっており、これはすでに地球上に広く流布している。これらの考えは正常な生活を送っている人間の理解の仕方としてはひどく単純で、それゆえ現代人の大多数は無意識のうちにこれを受け入れている。そういった背景の中で見てみると、まだ完全に育ちきっていない将来の母親たる女性たちは、一方では、能動的原理の合法的、かつ必要不可欠な源泉、例えば両親とか保護者、または結婚した時点から彼女の責任をとることになる夫といった存在がまわりにいないために、またもう一方では、この過渡的な年齢としては当然の旺盛な想像力や熱狂(これは良識を発達させるためのデータの形成を目的とする法則に従って自然があらかじめ定めておいたものであるが)にとらわれているために、彼女らは、まさにこの未成年の期間中に、この自動的な怠惰というやつを、いわば自分たちの本性に徐々に吸収し、その後もこの怠惰は、漸進的に増大する必要不可欠な性質として彼女らの本性の中に居すわり続けるのじゃ。
このような性質をもっている女性は、当然のことながら真の母親たる女性の義務を果たすことを嫌い、それに売春婦になれば何もしないで大きな快楽が味わえるということもあって、彼女の性質の中でも、また彼女特有の〈受動的意識〉の中でも、雌たる女性になりたいという抑えがたい欲求がしだいに形成されていくのじゃ。
しかし、すべての女性が当然もっている、〈恥辱〉という衝動を生み出すデータが彼らの本能の中でそう突然に、しかも一挙に消滅するはずもなく、またいくらそうしたいと頭では思っても、自分の国で売春婦になることに耐えられる者は一人もおらず、その結果、彼女らはみな、本能的、半意識的に故国から逃れることを望むわけじゃが、そうして移り住んだ外国において初めて彼女らは、いかなる内的苦痛も感じず、また何の苦労もしないで、どの点から見ても彼女らにとって個人的に楽しいこの職業に没頭することができるのじゃ。
わしが思うに、現在地球全体に広まっているこの不幸の原因は、ほかならぬ現代の男たち、つまり今話したのと全く同じ理由から、売春婦予備軍である若い婦人たちが抱くのと同様の〈楽しいことしかやりたくないというどうしようもない生理的欲求〉と呼ばれるものをもっている男たちであり、現代人たちの間のこの〈潰瘍にも似た悪弊〉から生じる犯罪的な欲求を満たす形式の一つは、この場合、このような婦人を誘惑し、故郷を離れて他国へ行く援助をすることなのじゃ。
これはすでに多くの分別ある人々が気づいていることじゃが、同じ病気の犠牲者であるこれらの男性と女性は、普通意識的にも本能的にもお互いを求め合い、探し始める。この場合彼らは古くからの格言の正しさを証明しておる、『漁師は遠くから別の漁師を見分ける』とな。」
そんなわけでですね、ドクター。私のおじさんが看破したこのような理由で、数年も経つと多くの売春婦がいろんな国から我らがペルシアにやってきたのです。
前にお話ししたように、ペルシアの婦人は、どんな宗教に属していようと関係なく、何世紀にもわたって家系の中に連綿と続いている道徳や家父長制に対する本能的な態度を身につけていたので、こういった外国の女性と交わることができず、その結果、前に言ったような二種類の女性が生まれたのです。
さて、こういった外国からの女性の大部分はペルシア内で我々に混じって自由に住むことができ、市場やその他の公共の場所にも自由に出入りしていました。そのため彼女らはしばしば我々ペルシア人の男性から好奇の目で見られるようになり、そのうちに、この男性の側に、もちろん無意識のうちにではありますが、それまでにもっていた女性を母親と見る態度とは別の、つまり単に雌として見る態度が徐々に芽生えていったのです。
女性に対してこのようにはっきりとした二重の態度をもつことから生じる特性は世代から世代へと受け継がれ、ついには我々の中に深く根づいてしまい、そのため現在では、この国の男性は、ちらりと見ただけで、人間を羊や犬やロバから見分けるのと同じくらいたやすくこの二種類の女性を見分けるのです。いや、それだけではありません。我々の中には、この2つのカテゴリーを見間違うのを本能的に防ぐ何かができあがっているのです。
私自身、遠くからでも、どちらの女性が歩いているかを間違いなく見分けることができます。いったいどうやって見分けるのか、歩き方かそれとも何か別のことでか、誓って言いますが、実際自分でも説明できないのです。それでもとにかく、お話ししたように、どちらの女性も同じようなヴェールをかぶっているにもかかわらず、私には見分けることができ、しかも一度も間違ったことがないのです。
正常なペルシアの男性なら誰でも(正常というのは、タムバックやアルコールやアヘンなどの影響下にない時という意味で、残念ながら近年では、これらを常習するものがますます増えていますが)どの女性が〈母親たる女性〉で、どの女性が〈雌たる女性〉すなわち売春婦であるかを間違いなく言い当てることができます。
我々正常なペルシア人にとっては、母親たる女性は、彼女の宗教や家族、あるいは彼女との個人的な関係などとはかかわりなく、ちょうど自分の姉のような存在ですが、第二のカテゴリーに属する女性は、単なる動物にすぎず、我々のうちに決まって嫌悪感を引き起こすのです。
女性に対してこういう関係をもつのは、ほとんど本能的といってもいいほど強い我々の特性で、我々の意識からは完全に独立しています。
例えば、ある地域で一番若くて美しい娘が何らかの理由で同じ地区の青年とべッドを共にすることになったと考えてみましょう。このペルシア人の男は、繰り返して言いますが、もしアヘンやアルコールの影響下になければ、いかにそういう欲求があったとしても、彼女を女として扱うことは生理的にできないのです。
彼は彼女を妹のように扱うでしょう。それに、もし万一彼女が彼に肉体的に働きかけたとしても、彼は彼女が〈不浄な力にとりつかれている〉と考えていっそう憐み、その状態から彼女を救い出すために全力を傾けることでしょう。
ところがこの同じペルシア人の男は、正常な状態にあれば、第二のカテゴリーの女性、つまり売春婦を、雌たる女性として扱うでしょう。といっても、それはいわゆる女として扱うことではないのです。なぜかというと、彼女がどれほど若く美しくても、先に挙げたような有害な中毒性物質を体内に取り入れていないかぎり、彼は彼女に対してどうしようもない生理的嫌悪感を感じるからです。
そんなわけでですね、ドクター。私は20歳になるまで、普通の正常なペルシア人と同じく、こういった道徳や伝統の下で生きてきたのです。
20歳の時に遺産を相続して、ペルシアの乾燥果物をヨーロッパに輸出する大きな会社の共同経営者になりました。
そして私にはどうにもならない様々な事情で、輸入先のヨーロッパ諸国の総支店長という地位につかざるをえなくなったのです。
前にもお話ししたように、最初はロシアへ行き、それからドイツ、イタリア、その他の国々に移り、最後にここフランスに移り住んで、もう7年になります。
しかしこれらの諸外国で生活してみて、若い時に故国で見て感じたような2つのタイプの女性、つまり母親たる女性と売春婦たる女性の間に、いかなるはっきりした区別も見つけることはできませんでした。
どこに行っても女性に対する態度は完全に頭脳的、つまり考え抜かれたもので、肉体的なものは全くありませんでした。
例えば、ある夫は、妻がどれほど不実であろうと、実際に自分でそれを見るか聞くかしないかぎり決してそのことを知りはしないのです。
しかし我々ペルシア人の間では、夫は見たり噂を聞いたりしないでも、妻が忠実であるかどうかを本能的に感じ取ることができ、また女性にも同じことがいえます。つまり妻のほうも、夫の不実を感じ取ることができるのです。
我々のこの特殊な本能的感覚については、近年ヨーロッパ大陸から科学者がやってきてあれこれと真剣に調査をやっていました。
私が偶然知ったところでは、彼らは次のような結論に達したようです。すなわち、一般に〈一妻多夫〉や〈一夫多妻〉、つまりその土地に根をおろした道徳によって〈一人以上の妻〉や〈一人以上の夫〉をもつことが許されているところでは、人々は、男としてあるいは女としてもつ人間関係において、ある奇妙な〈精神的、肉体的〉な特殊性をもつに至っている、というのです。
この特殊性は我々ペルシア人の中にもあるのですが。それは、ご存じのように、モハメッド教の信者である我々は一夫多妻の制度、つまり法律によって男性は7人まで妻をもつことを許されているからです。
我々ペルシア人の精神的、肉体的特殊性というのは、つまり、合法的な妻の中には、夫が別の合法的な妻と何をしようと、不実という感情は決して湧いてこないということです。
つまり妻たちがこういった感情をもつのは、夫が全く見知らぬ女性と関係をもった時だけなのです。
ドクター、私はここヨーロッパに住み、夫と妻の間に起こっていることを見た今になって初めて、我々の一夫多妻という制度はなんと分別のある、そして男性にとっても女性にとってもなんと有益な制度であったことかと改めて感嘆しているのです。
一人の妻しか許さないキリスト教が支配的であるここヨーロッパでは、男性は一人の妻しかもっていません。それに対して我々は数人の妻をもつことが許されています。しかしながら、ペルシアの男性の妻に対する誠実さと良心は、ヨーロッパ人が一般に一人の妻と家族とに対してもっている誠実さや良心とは比較になりません。
ちょっと見まわしてここでどんなことが起こっているか見てごらんなさい。
グラン・カフェをちょっと見てみると、いつもここにいる職業売春婦や〈男妾〉は別にしても、いつも大勢の男女が小さなテーブルで楽しそうに話しています。
こういった男女を見ると、あなたは、彼らは結婚していて、パリ見物か何か家族の用事でここに来ていると思うでしょう。
ところが実をいえば、このグラン・カフェで楽しそうに談笑し、そろそろどこかのホテルに行こうとしている男女の中には、たとえ書類の上ではそれぞれに合法的な夫であり妻であったとしても、法律上の夫婦はただの一組もいないのです。
ここにいる男性や女性の〈法律上の半身〉は今ごろ地方の家に残って、自分の〈法律上の夫〉あるいは〈法律上の妻〉のことをとってもよく思い、友人にもそう話していることでしょう。彼あるいは彼女は家族のための〈大事な〉買物のために、あるいは家族にとってとても重要な人に会いに、あるいは何かそういったことのために、世界の首都パリに行っているんですよ、とか何とかね。
ところが、あにはからんや、この渡り鳥さんたちは、ここにやってくるために一年も前から術策をめぐらして、この旅行がどうしても必要であることを〈法律上の半身〉に納得させるためにあらゆる話をでっちあげてきたのです。そして今ここに来て、自分たちと同類の嘘つきや策謀家たちに囲まれて、〈婚礼の祝歌〉の名の下に、その栄光を讃えつつ、偉大なる現代文明が生み出した美術の助けを借りながら、家に残っている〈法律上の半身〉を、可能なかぎり最大の〈極上の角〉で飾り立てているのです。
ヨーロッパでは家族生活の秩序がきちんとできあがっているために、すでにこんなことが起こっています。つまり、もしあなたが男性と女性が一緒にいるところを見て、彼らが楽しそうに話していて、顔には微笑みが浮かんでいるのに気がつけば、彼らはこれからまず間違いなく(まだそうしていなければの話ですが)きわめて効果的に彼らの法律上の半身に非常に大きくて美しい角をつけるでしょう。
そんなわけで、ここにいるちょっとずる賢い男性も、家では〈非常に高潔〉な〈家父〉と考えられているかもしれません。
ここで彼のまわりに座っている者たちにとっては、この〈高潔〉な〈家父〉が同時に(もちろん彼の懐が許せばの話ですが)好きなだけ愛人をもっているかもしれないなんてことは、全くどうでもいいのです。それどころか彼らは普通、一人も〈愛人〉をもてないようなやつよりは彼のような男性のほうを尊敬するのです。
ここにいる経済力のある〈高潔な夫〉たちは、一人の法律上の妻の外に7人、いや時には7人の7倍の〈非合法的な妻〉をもっているのです。
一方、ヨーロッパの夫で、一人の合法的な妻の外に非合法の妻を養う経済力のない者は、ほとんど四六時中いわゆる〈よだれをたらし〉ている、つまり、日毎夜毎、出会う女性という女性をすべて凝視し、いわば〈目でむさぼり食う〉のです。
要するに、彼らは思考や感情の中で、一人の法律上の妻を数えきれないくらい何度も裏切っているのです。我がペルシアでは、男性はたしかに7人まで合法的に妻をもつことができますが、彼の思考と感情はすべて、夜も昼も、いかにしたら彼の法律上の妻たちの内的、外的な生活をよくしてやれるかということにかかりっきりなのです。一方妻のほうはといえば、こちらも昼となく夜となく、全身全霊で夫が人生の義務を果たすのを助けているのです。
ここヨーロッパでも夫婦が互いに対してもっている内的な関係は同じです。つまり夫の内的生活の大部分は一人の合法的な妻に対して不実であり、同様に妻のほうの内的生活も、結婚の最初の日からずっと家族の外にさまよい出ているのです。
一般的にいって、ヨーロッパの妻たちにとって夫は、彼女の内的生活から見れば、結婚するとすぐにいわゆる〈自分の所有物〉になってしまいます。
初夜の後、自分が彼を所有したことを確信すると、彼女は〈あるもの〉を追求することに全内的生活を捧げるようになります。その〈あるもの〉とは、現代の様々な良心のかけらもない作家たちがますます大量に発明するかの有名な〈教育〉のおかげで、ヨーロッパのすべての女性の中に子供の頃から徐々にできあがってきた定義しようのない一つの〈理想〉なのです。
ヨーロッパ諸国に滞在している間に私は、ここの女性の存在の中には、我がペルシアの女性とは違って、〈生理的廉恥心〉と呼ばれるもの、あるいは少なくともそれに対する性向を常に保ち続けておく〈何か〉が全く形成されていないことに気づきました。私の意見では、いわゆる〈妻の義務〉と呼ばれているものはこの感覚の中にこそ根をもっているし、またこれこそが、女性を不道徳な行為から遠ざける本能的な助けにもなっているのです。
まさにそれゆえに、ここの女性は、機会さえあれば、苦痛や良心の呵責を感じることもなく、いともたやすく法律上の夫を裏切ることができるのです。
私に言わせれば、この廉恥心が欠如しているために、ここヨーロッパでは母親としての女性と売春婦としての女性を区別する線が徐々に消えていって、女性のこの2つのカテゴリーはもうすでに混じり合ってしまったのです。その結果、現在ここの男性は、頭でも感情でも、ペルシア人なら誰でもやるように、女性を2つのカテゴリーに分けるということを全くしないのです。
現在ここでは、女性の行為を自分の目で見た時にだけ、母親としての女性と雌としての女性を区別できるのです。
ヨーロッパの家族生活には、一夫多妻制という有益な制度がないために、存在する必要の全くない不快なことや不都合なことがたくさんあります。私の意見では、統計が示すように、女性が男性よりもはるかに多いという単純な理由だけからでも、ずっと昔にこの制度はヨーロッパに紹介されているべきだったのです。
というわけでですね、ドクター。私の第二の悪徳の基本的な原因は、こことは全く正反対の道徳をもつ伝統の中に生まれ育った私が、男性の中の動物的情熱がとりわけ強い年齢でここに来たことなのです。それに加えて不都合だったことは、私がここに非常に若くしてやってきたということ、そしてここでの基準によればハンサムだということ、それに本物の南方タイプに属しているということ、主としてこういったことから、彼女らの目に私は新しい独自のタイプの男性と映り、そこで彼女らはしょっちゅう私を追いかけまわすようになったのです。
実際彼女らは私を、まるで〈猛獣〉狩りをするように追いかけまわします。
私が彼女たちの狩りにうってつけの猛獣であるのは、ただ単に本物の南方人で独特のタイプだからというだけでなく、ペルシアの母親としての女性たちと接触のあった幼い時から私の中に植えつけられた特性、つまり女性に対して親切で丁重であるという特性にもよるのです。
私がここに来て女性に会い始めた頃には、もちろん私のほうは無意識に、彼女らに対しても親切で丁重な態度をとっていました。
ここで女性たちに会い、最初はただ話をしているうちに(たいていは現代文明や、それと比較したペルシアの、いわば後進性といったことが話題でしたが)私は、当時すでにかなりの量を摂るようになっていたアルコールの力で、初めて堕落しました。つまり、やがては一家の主となるであろうこの私が、悪を犯してしまったのです。
当初私はこのことでひどい良心の呵責に苦しみましたが、そのうち、周囲の状況やアルコールの作用などで再び罪を犯してしまいました。そしてその後は、すべてがいわば雪ダルマが転がるように堕落していき、ついには堕ちるところまで堕ちて、ご覧のようなおそろしく不潔な動物になり果ててしまいました。
今でも、たまにアルコールから完全に自由になった時は決まって、こんな自分に対して私の全身が道徳的な憤りを感じて我ながら胸が悪くなります。そんな時には、急いで前以上にアルコールを飲んで自分を忘れ、この苦しみを紛らわせようとするのです。
さっき言ったようなヨーロッパの国々でこのような無様な生活を送った後、私はこのパリに落ち着きました。このパリという都市には、自分の法律上の半身に〈角〉を生やさせようという明らかな意図をもって、ヨーロッパ各地や他の大陸から女性がやってきます。私はここパリで、あの2つの人間の悪徳、つまりアルコールと、あなたのおっしゃる女の尻を追いまわすという悪徳にどっぷりつかってしまい、健全に理性を働かせることもないまま右往左往しています。そして今や私にとってこの2つの悪徳を満たすことは空腹を満たすこと以上に必要なことなのです。
以上が私の現在までの経歴です。今後どうなるかわかりませんし、また知りたいとも思いません。
それどころかこれまでずっと、全力を挙げて将来のことを考えないようにしてきたのです。』
ここまで話すと彼は、深いため息をついて頭をガックリと落とした。そこでわしはこう聞いてみた。
『では聞かせてくれないかね。君のような〈女たらし〉が追いまわす女性がよく悩んでいるひどい病気があるだろう。君は本当にあの病気にかかるのが怖くないのかね?』
この質問を受けると彼はまた深いため息をつき、しばらく間をおいてから次のような話をしてくれた。
『尊敬するドクター! 最近私もこのことについてはよく考えるんです。それどころか私にとって非常に興味ある問題で、ある意味では、これに興味があるからこそ、私の内的な〈汚らわしい生活〉も、これまでのことはあったにせよ、多少ともマシなものになっているんです。
あなたは医者だから、私がどんなふうに、またなぜこの問題に数年前からそんなに興味をもっているか、そして、比較的正常な状態で真剣に観察し研究した結果いかなる結論にたどり着いたかに、きっと興味をもたれると思います。
5年ほど前に私は絶望のどん底に落ちて、もういくらアルコールを飲んでも精神状態はさっぱり落ち着きませんでした。
私はよく知人や友人に会っていたのですが、そんな折も折、彼らが例の不潔な病気のことを話し、この病気はいとも簡単にうつると言うのです。
その後私は自分のことをよく考えるようになり、少しずつではありますが、まるでヒステリーの女性のように健康のことを気に病み始めました。
私は考えました。あれほどいつも酔っ払っていて、そんな病気持ちの女性としょっちゅう接触をもっていたのだから、たとえ何らかの理由でその病気の症状がその時までは出ていないにせよ、まず間違いなくそういった病気の一つにかかっている、と。
そこで私は、かかっているであろう病気の初期の症状を知るためにいろいろな専門家を訪ねました。
訪ねた専門家たちは私の中にいかなる症状も認めませんでしたが、それでも私は、一つには健康のことを気に病んでいたため、また一つには常識からいってもこの恐ろしい病気の一つにかかっているのは間違いないという理由で、この診断に疑いをもっていました。
疑いが高じて、ついに私はいかなる犠牲を払ってもここパリで、ヨーロッパ中で最も権威のある専門家に診てもらうことにしました。経済的にはそうするだけの余裕がありました。なぜかというと、世界大戦のために交通はいたるところで寸断され、日常必需品はすべて高騰しましたが、我々の会社はあちこちに大量の乾燥果物のストックをもっていたのでその年にはかなりの収益があり、そのかなりの部分が私の取り分となったからです。
さて、これらヨーロッパの名士方を訪ねますと、彼らはさんざん〈詳細な〉検査や彼らだけが知っている〈化学分析〉なるものをやったあげく、異口同音に、私の肉体にはいかなる性病の徴候もないと断言したのです。
彼らの言葉で健康に対する私の根深い焦燥感は消えましたが、今度はこの問題を解明したいという好奇心と探究心が非常に強く湧き上がってきて、それからというもの、それは私の中で一種の〈固定観念〉になり、それにとりつかれてしまったのです。
同時にその時以来、この病気に関するあらゆることを真剣に観察し、研究することによって、〈私の汚らわしい生活〉と呼んでいたものが活性化され、その意味も正当化されるようになりました。
人生のこの時期には、私は常時、つまり完全に酔っ払っている時も半分酔っ払っている時も、また素面(しらふ)の時も、自分の内的な〈私〉全体でもってこれについての観察と研究を重ねました。
それと並行して根気強く、この病気に関する本でヨーロッパにあるもの、とりわけフランス語とドイツ語で書かれたものはほとんど読みました。
これはわりとたやすくできました。というのも、おわかりのように、私はフランスの本物のインテリもかくやと思うくらいフランス語を自由自在に使えるからです。ドイツ語のほうもかなりうまくなりました。ドイツにもかなり長く住んでいて、暇な時には何もすることがなかったのでいつもドイツ語やドイツ文学を研究していたからです。
そんなわけで、この性病の問題に興味をもつと、これについて現代文明がもっている知識を十分身につけることができました。
文献の中には性病感染について何百という理論や仮説が出ていましたが、なぜ、またどのようにしてある人はこれに感染し、ある人は感染しないのかについては、納得のいくはっきりした説明は一つとしてありませんでした。それで私はまもなく、現在ヨーロッパにある知識ではこの疑問は解明できないことを確信するに至りました。
ここには分厚い〈科学書〉がたくさんありますが、多少とも正常な者がその内容を読んでみると、これは人間の病気の専門家ではなくて、いわゆる〈知ったかぶりの馬鹿者〉が書いたものであることがすぐにわかります。こんな本はもちろん論外としても、あまたある文献から私が得た印象は、要するに人々は不潔なために性病にかかるということです。
このように推断を下すと、次に、それまで私が感染しなかったのは、私のいかなる清潔さのためなのかを突き止めることに注意を向けました。
私は慎重にこう考えました。
私はヨーロッパ人よりも特に清潔な服を着ているわけではない。毎朝手と顔を洗うがこれも他の人々と同様だ。週に一回はトルコ式の風呂に行くが、これもまあ人並みだろう。こんなふうにあれこれ考えてみた末、結局私は他人とちっとも変わらないことに気づきました。しかしそれでも、あの汚らわしい生活からすれば、私は他の人以上に感染する可能性があったという事実は残ります。
そこで私は、完全に納得していた動かし難い2つのことだけを手掛かりに考えてみました。その2つとはまず、その種の女性と関係をもった者は遅かれ早かれこれに感染する。第二は清潔さだけがこの感染を防ぐことができる、ということです。
そんなふうにして一週間考えてみました。と、突然私は、ここヨーロッパでは知人に用心深く隠していたある習慣を思い出しました。つまり我々がペルシアでアブデストと呼んでいる習慣です。
このアブデストというのは、ここでの概念でいえば沐浴にあたるもので、ペルシアでは広く行われている習慣です。
厳密にいえば、モハメッド教の信者はみなこの習慣に従わなければならないのですが、なかでもシーア派の信者は特に厳格にこれを行っています。そしてペルシアの住人はほとんどがシーア派の信者なので、そこでは他のどこよりも広くこの習慣が行き渡っているのです。
この習慣は、シーア派の信者はみな、男女を問わず、〈便所〉に行った後には必ず性器を洗うというものです。そのためどの家庭でもそれに必要な道具をもっていて、最も重要なものと考えられています。これは特殊な〈イブルク〉と呼ばれる容器でできています。裕福な家庭ほどこの容器をたくさんもっていなければなりません。というのは、新しい客が来るたびに必ず新しいものと取り替えなければならないからです。
私自身も幼少の頃からこの習慣に親しみ、完全に日常生活の一部になっていたので、そんな習慣がないここヨーロッパに来てからも、この沐浴をせずには一日も暮らせないのです。
例えば、便所に行った後身体のある部分を冷水で洗わないことよりも、酒色にふけった後で顔を洗わないでいることのほうが容易なのです。
現在ヨーロッパに住んでいると、この習慣のために私は多くの不便を忍ばなくてはならないだけでなく、簡単に手に入る近代的な便利なものもいくつか諦めなくてはなりません。
例えばここパリで、私の経済力からすればあらゆる近代設備の整った最高級ホテルで暮らすことも楽にできます。ところがこの習慣のためにそうできないばかりか、〈市の中心〉や私がほとんど毎日行かなくてはならない場所からも遠いところにある小汚ないホテルに住まわざるをえないのです。
今住んでいるホテルには、この私にとっては非常に重要な設備の他には何一つ便利なものはありません。つまりこのホテルは古いので、アメリカ人の発明した新しい現代的なやつではなくて古いタイプの便所がついているのですが、まさにこの古いタイプのものこそ私の習慣には一番便利なのです。
私がフランスに住みつくようになったのも半ば意識的だったといえるかもしれません。というのも、この国では、特に田舎では、この古いタイプの便所がペルシアと同じようにどこにでもあるからです。
ヨーロッパの他の国には、彼らが〈アジア式〉と呼ぶこの夕イプのものはほとんどありません。ほとんどどこでも磨きあげた快適な〈安楽椅子〉のついたアメリカ式にとってかわっていますが、私はこの〈安楽椅子〉の上では、せいぜい休みながら『デカメロン』という本を読んだりするくらいです。
そんなわけでですね、ドクター。突然この習慣を思い出した時、私はたちまち一点の疑念もなく理解しました。つまり、これまであの汚らわしい病気を免れてこられたのは、性器を冷水で頻繁に洗うからにほかならないということを。』
ここまで話すと、わしと気の合うこの若いペルシア人は両手を上に伸ばし、全身全霊をこめて大声でこう言った。
『我々のためにこのすばらしい習慣を生み出してくれた人々に永遠に祝福あれ!』
彼は長いこと黙りこんだまま、近くに座って、婦人服はイギリスかアメリカかどちらがよいかという話をちょうどしていたアメリカ人のグループを物思わしげに見ていたが、突然わしの方を向くとこう言った。
『深く尊敬申し上げる気高いドクター! あなたの知己を得て以来、私はあなたが非常に高い教育を受け、また広く読書されていることを確信していました。
このところ何年かある問題に興味をもっているのですが、それは比較的素面でいる時に私を襲ってきて気持ちを乱すのです。それでこの問題が解決できるように、どうかあなたの貴重な意見をお聞かせ願えないでしょうか?
つまり、ここヨーロッパで人々が信奉している宗教は世界の人口の半分近くの信者をもっているわけですが、私自身ここに住んでみて、我々モハメッド教を信じている者の間にはあれほどたくさんある良い習慣に、ここではただの一つもお目にかかったことがありません。いったい何が悪いのでしょう? 原因は何なのでしょうか? あの偉大な宗教の教祖は、信者が日常行うべき良い儀式を一つも定めなかったのでしょうか……?』
坊や。この若いペルシア人とは知り合ってからずっと気が合っていたので、このお願いを断るわけにはいかなかった。そこでわしは、もちろんわしの正体を気づかれないような形で、この質問に答えることにした。
わしはこう言った。
『世界の半分が奉じている宗教と君が言っているのは恐らく〈キリスト教〉のことだと思うが、この宗教にはモハメッド教のような良い習慣がないというんだね。
本当にないんだろうか? いやいや、全く逆だ。この宗教には、今日の他のどんな宗教よりも良い習慣がたくさんある。このキリスト教の基礎になっている古代の宗教的教えほど、日常生活における良い規律をたくさん記している教えはほかにはない。
しかしこの偉大な宗教の信奉者たち、とりわけ中世の〈教会教父〉と呼ばれた者たちが、この宗教をまるで〈青ひげ〉がその妻を扱うように扱った、つまりこの宗教の美と魅力を取り払ってもの笑いの種に変えてしまったのだ。しかしこれは全く別の話だ。
一般的にいえば、君は次のことを知っておかなくてはならん。それは、歴史が証明しているように、純粋理性の完成という点で同じ地点に達した人間たちが興し、現在まで存続している偉大な真の宗教はみな、同じ真理に基づいているということだ。これらの宗教に見られる違いは、細目や儀式と呼ばれるものの遵守のために彼らが定めた特定の規律にある。そしてこの違いは、偉大な宗祖たちが、その特定の時代に生きる人々の精神的な完成度に応じて慎重に作り出した規律の結果生まれたものなのだ。それぞれの宗教が土台としている新たな教理の根底には常に教義が見いだされるが、これはそれ以前の宗教からとったもので、すでに人々の生活の中にしっかりと根をおろしてい

この場合、昔の人々から伝えられてきた言葉が全く正しいことがわかる。つまり〈
日の下に新しきものなし〉だ。
今言ったように、これらの宗教的な教えの中で新しいのは、偉大な宗祖たちがその時代の人々の精神的完成度に合わせて意識的に作り上げた細部だけだ。そんなわけで、キリスト教が土台としておる教理の根底にも、以前に存在していたユダヤ教と呼ばれる偉大な教え(この教えの信奉者の数もかつては、いわば〈世界〉の半分に達していたが)がほぼそっくり残っているのだ。
キリスト教の偉大なる創始者たちは、ユダヤ教の教理を土台に使いながら、外的な細部だけをイエス・キリストと同時代の人々の精神の発達段階に合わせて変更し、そうすることによって彼らの幸福に必要なものをすべて効率よく提供した。
彼らはいわば魂と身体の両方の必要に応える準備をし、平和で幸福な生活に必要な規律まで作り出した。その上これらはすべて、はるか後世の人々にも適合するように実に周到に作られている。
もしこの宗教の教理が変化しないでいたならば、われらがムラー・ナスレッディンいうところの、〈目を垂木で突かれて初めてパチクリする〉ような現代人にも、この宗教は適合していたかもしれない。
このキリスト教の創設期には、イエス・キリストの同時代人の必要に応じて日常生活のために特別に作られた規律の他にも、多くのすばらしい習慣が取り入れられたが、それらはみなユダヤ教の信奉者たちの生活に根をおろしているものであった。
君たちモハメッド教徒の間に存続している良い習慣も、実をいえばこのユダヤ教から伝承されたものなのだ。例えば君が挙げた〈ソーニアト〉、つまり割礼という習慣を取り上げてみよう。この習慣は当初はキリスト教にも受け継がれていて、その頃の信奉者はみなこれを義務として厳格に遂行しなければならなかった。しかしその後突然、しかも非常に速やかに、この習慣はキリスト教から完全に姿を消してしまった
なあ若い友よ、もしお望みとあれば、この習慣の起源を詳しく話してあげよう。そうすれば君は、人々の正常な生活と健康にこれほど良い習慣がなぜユダヤ教に取り入れられ、またなぜこのユダヤ教を基盤としたキリスト教もちゃんとこれを受け継いで、信奉者の日常生活に導入したかが理解できるだろう。
君たちがソーニアトと呼ぶこの習慣は、最初は大モーゼによって創案され、ユダヤ教の教理に入れられた。
なぜ大モーゼがこの習慣をユダヤの民の宗教に取り入れたかについては、わしは非常に古いカルデア人の文献から知ることができた。
その文献によると、ユダヤの民の指導者であった大モーゼが、この民をエジプトから脱出させてカナンの地に連れ帰った時、その道中で彼は、天から彼に託された人々の中の若者や子供たちの間に、当時〈モアドールテン〉と呼ばれた、つまり現代人が〈オナニズム〉と呼ぶ病気が広く蔓延していることを発見した。
さらにこの文献がいうには、これを発見して大モーゼはひどく困惑し、それからというもの、この悪弊の原因と、これを根絶する何らかの方法を見つけるために非常に注意深く彼らを観察し始めた。
この探究の結果、この比類ない賢者は後に『トーカ・テス・ナロール・パン』という題名の書物を著すが、これは現代語でいうと〈我が思索の精髄〉という意味だ。
この注目すべき書物の内容についても、わしは偶然ある機会に知ることができた。
モアドールテンという病気の説明の冒頭にはこうあった。
「大自然は人間の有機体を高度に完成させ、その一つ一つの器官はあらゆる外的な偶発事に対処できる能力を具えている。したがって、もしある器官が体内で不正確に機能するなら、それは常に、そのような状態を日常生活の中で生み出したその人自身に責任がある」
また子供たちの間にモアドールテンが現れた原因については、この比類なき書物の第6章、第11節で次のように書いている。
人間の身体が産出し、老廃物として絶えまなく排出している物質の中に、〈クルナボ〉と呼ばれている物質がある。
一般にこの物質は、生殖器官の機能に必要なある物質を中和させる目的で人間の体内で生産されており、この物質は、両方の性の人間の体内で、誕生の当初から、つまり幼児期から、この器官の働きに加わっている。
大自然は、この物質が役目を終えると、その残滓が、少年の場合には彼の身体の〈トールクトティノ〉と〈サルヌオニーノ〉の間、また少女の場合は〈カルトタクニアン丘〉の間から排泄されるようにした。
少年の身体の中で〈生殖器官〉と呼ばれるものの先端の部分、つまりこの比類ない書物の中で〈トールクトティノ〉と〈サルヌオニーノ〉と名づけられていた部分は、現代医学では〈陰茎亀頭〉ならびに〈陰茎包皮〉と呼ばれておる。そして〈カルトタクニアン丘〉というのは、少女のいわゆる〈クリトリス〉をおおっている〈大陰唇〉と〈小陰唇〉、あるいは俗語で〈大小の猥褻な唇〉と呼ばれるものに相当する。
〈クルナボ〉という独立した物質に関しては現代医学は何も知らず、したがって名称もつけようがない。
地球の現代医学は、クルナボを含む諸物質の混合体に名称をつけているにすぎない。
この混合体は〈スメグマ〉と呼ばれ、様々ないわゆる〈腺〉から分泌される全く異質な諸物質から成っている。例えば〈脂肪〉腺、〈バルトリン氏〉腺、〈ターペリアン〉腺、〈ノルニオルニアン〉腺等々だ。
これら老廃物の分離と揮発は、大自然の恩寵に従って、その時大気中で起こる様々な偶発的接触や動きなどを媒介として、今言った場所でなされなくてはならない。
しかし、これは自然も予見できなかったことだが、人間は衣服を発明し、そのためこれらの物質の分離と揮発が妨げられるようになった。その結果、このクルナボはその場所に長くとどめおかれることになり、それが発汗を促すようになった。それにこの物質は一般に、大気中のみならず、子供たちが直接ふれる様々なものを含む〈個人的空間〉と呼ばれるものの中にも生息しているいわゆる〈バクテリア〉なるものの繁殖に絶好の媒体であったために、子供の身体のこの部分でいわゆる〈かゆみ〉というプロセスが発生したのだ。
かゆいために子供たちは、最初は無意識のうちにこの場所をこすったりかいたりし始める。しかしこの部分には、聖なるプロセスである
アルムアーノ、つまり通常、成人が性交と呼ばれるものを終結した時点で起きるプロセスが完了するのに必要なある特殊な感覚を彼らがもてるよう自然が作り出した神経の末端が全部集まっていた。そのため、大自然の恩寵によって将来の性機能の準備が子供たちのこの器官の中で進行している期間中は特に、こすったりかいたりすると彼らはある独特の快感を覚えるようになった。そんなわけで、この動作から同じ快感が得られることを本能的に感じ取って、べつにかゆくもないのに意図的にこの部分をこすり始めたのだ。地球の〈モアドールテニスト〉はこんなふうにしてどんどん増えていった。
大モーゼがこの悪弊を根絶するためにとった方法については、前に言った『トーカ・テス・ナロール・パン』という書物からではなく、これも同様に非常に古いパピルスの内容から知ることができた。
このパピルスの内容によれば、大モーゼは、『トーカ・テス・ナロール・パン』の中でこの問題に対して示した考えを、2つの宗教儀式を人々に行わせることによって実行に移したことがはっきり見てとれる。その一つは〈シク・ネル・チョーン〉、もう一つは〈ツェル・プッツ・カン〉と呼ばれるものだ。
聖なる〈シク・ネル・チョーン〉は特に少年のために、聖なる〈ツェル・プッツ・カン〉は少女のために作り出され、子供たちは両性ともみなこれを行うことを義務づけられた。
例えば〈シク・ネル・チョーン〉という儀式は、君たちのソーニアトと同じものだ。つまり少年の〈ヴォジアーノ〉、あるいは〈陰茎小帯〉と呼ばれるものを切ることによって、亀頭の部分とそれを包みこんでいる皮とが切断され、それによってこの皮、つまり通常〈陰茎包皮〉と呼ばれるものが自由に動かせるようになる。
ある資料によると大モーゼは医学の非常なる権威だったそうだが、古代からの伝承、それに我々自身の常識に照らして考えてみても、彼がこういった手段をとることによって、この部分に蓄積される物質全体が、偶然いろいろなものにふれることで自然に除去され、その結果、先述の有害なるかゆみを起こす要因が消滅することを願っていたのは間違いないだろう。大モーゼが医学の分野で該博な知識をもっていたことに関しては、様々な歴史的資料が次の点で一致している。すなわち、彼はエジプト滞在中にその地の高僧の弟子として医学知識を吸収したが、この知識はアトランティス大陸の彼らの祖先、なかでも、地球上に出現した最初にして最後の真の知識人たちであった、当時
アカルダンと呼ばれたグループのメンバーたちから伝承されたものだというのだ。
当時大モーゼが作り出した習慣が生んだ良い結果は、現在まで目に見える形で続いている。
例えば割礼という習慣を見てみよう。わしは診察医としてもちょっとしたもので、人の顔をちらりと見るだけで、彼の身体のどこが調子が悪いのか言い当てることができるが、そのわしが自信をもってこう言うことができる。つまり、子供の恐るべき病気であるこのオナニズムは、今言った儀式を執り行なっている者たちの子供たちの間ではまず見ることはないが、この習慣を遵守していない親たちの子供は、ほとんどみなこの悪弊に染まっている。
これに関する唯一の例外は、言葉の十全な意味で本当に蒙の啓けた親たち、つまり自分の子供の将来の正常な思考活動は、一にかかって彼らが子供の時代あるいは青年時代にこの病気にかかったかどうかによるということをはっきりと理解している両親が育てる子供たちだ。
このような蒙の啓けた両親は、子供たちが成年に達する前に、〈
オーアモンヴァノシニアン・プロセス〉と呼ばれるものの絶頂感がただの一度でも彼らのいわゆる〈神経組織〉の中で起こると、彼らは大人になって正常な精神活動を行う十分な可能性をもつことは決してないということをよく知っている。それゆえこれら蒙の啓けた親たちは、常に、この点に関して子供を教育することを第一の主要な義務と考えているのだ。
彼らはこの点で現代のほとんどの両親とは違っている。つまり彼らは、子供の教育というものは、〈モアドールテニストの精神病者〉が作った詩をできるだけたくさん覚えることを強制したり、知人の前で〈きちんとかかとをそろえる〉ことを教えこんだりすることではないと考えているが、残念ながら現代人の考え方では、教育とはまさにそういうことをやることなのだ。
そういうわけでだね、ひどく堕落してはいるが気の合う友人よ。
大モーゼは衣服が生み出したこの悪弊を解消するためにこの2つの儀式を作り出して、ユダヤ人の日常生活に導入した。そのおかげで、自分が排出した物質の有害な作用からこの器官を守るために自然が生み出し、その結果この悪習を引き起こす原因となったものは消滅した。そしてこの2つの儀式は、ユダヤ教信奉者のみならず、この有益な儀式を取り入れた人々の間にも代々伝承されていった。ところが、〈偉大なるソロモン王の死〉の後、何らかの原因で、〈ツェル・プッツ・カン〉という儀式はユダヤ教信奉者たちの間でさえ執り行なわれなくなり、〈シク・ネル・チョーン〉という儀式だけが引き続き執行されて、現代のこの民族に伝わっているのだ。
この習慣は多くの古代ユダヤの慣習とともにキリスト教信奉者にも伝わり、彼らも最初は日常生活の中で厳格にこれを守っておった。ところがすぐに、この慣習そのものも、それを作り出した原因にまつわる情報も、この、その当時はまだ新しい宗教であったキリスト教の信奉者たちの間から急速に消えていったのだ。
そう……ねえ君。もし神聖なるイエス・キリストの教えがその原形に忠実に実行されてさえいれば、その教えを土台にして前例がないほど見事に築き上げられたこの宗教は、単に現存の宗教の中で最良のものであるばかりか、将来誕生し存在するかもしれないあらゆる宗教を含めても最良のものになっていたことだろう。
一夫多妻制を別にすれば、モハメッド教にあるものでユダヤ教やキリスト教の教えにないものは一つもない。
一夫多妻制は、有名なアラビア学者ナソーラン・エル・アオールの科学的な推論を基にしてできたのだが、これが日常生活一般に取り入れられたのは、キリスト教の成立期以後のことだ。
君たちの宗教はずっと後になって興るのだが、その偉大なる宗祖たちは、日常におけるある特定の慣習に重点を置くことによって、意図的にこの宗教の内容を限定した。
彼らがそうしたのは、当時はキリスト教の衰退が顕著で、それに、普通の人々が深く考える能力を失っていた、つまり一言でいえば、真の宗教がもつ詳細な教えに示されている真理を理解する能力が消え失せているのが明らかな時期だったからだ。
モハメッド教の偉大なる宗祖たちはこのことに気づいていたので、一方で教えそのものを簡略化すると同時に、もう一方ではある特定の慣習の遵守を強調することにした。そうすれば、すでに深く考える能力を失い、そのため真理を意識的に理解する可能性も失ってしまったこの新しい教えの信奉者たちも、多少ともましな生活を少なくとも機械的には送れるのではないかと考えたのだ

それでちょうどこの時期に彼らは、君が言ったソーニアトとかアブデストとか一夫多妻制とかいった慣習を確立してこれを強調した。これらが現に良い結果をもたらしていることは今でも見ることができる。
例えば君自身正しく見抜いているように、割礼と沐浴のおかげで、この宗教の信奉者の中にはオナニズムも性病もほとんど見られない。それにまた一夫多妻制のおかげで、この信奉者たちは、家族生活の基盤を、いうなれば精神的、有機体的に互いに維持し合っているのが見られるが、これはキリスト教信奉者の間ではほとんど完全に消えてしまっている。
キリスト教の創始者たちは、信奉者たちが健康を保持し、幸福な生活に必要な道徳の基礎を維持するために、彼らの日常生活の中に様々の有益な慣習を取り入れたが、その中で現在まで残っているものといえば、ただ一つ、定期的な断食、つまり一年のある一定の期間にある特定の食物を摂るのをひかえるという慣習だけだ。
しかもただ一つ残ったこの慣習にしても、すでにこの宗教の信奉者の日常生活から完全に消え去っているか、もしくはそのやり方が年々あまりにも大きく変化しているので、断食をする者はそれから何のショックも得ることはない。まさにこのショックのためにこそ〈断食〉というものが発案されたのにもかかわらずだ。
キリスト教の慣習のうちでも、この断食というプロセスに現在起こりつつある変化は非常に特徴的で、全般的に〈よきキリスト教の慣習〉というものすべてがいかにして徐々に変化を被り、ついには完全に消滅してしまったかを理解する上での絶好の例になるだろう。
一番いい例は、ロシアの〈正教徒〉と呼ばれる者たちが行っている断食だ。
このロシアの正教徒たちは、彼らの宗教をほとんどそっくり、いわゆるギリシア正教徒から受け継いだのだが、その際、多くのキリスト教の慣習とともにこの〈断食〉という慣習も取り入れた。
何百万ものロシア正教徒のほとんどは今なお、現在彼らのもっている〈正教教典〉と呼ばれるものに則って、いうなれば〈厳格に〉断食を続けている。
しかし彼らの断食のやり方たるや、われらの親愛なるムラー・ナスレッディンの次のような言葉を思い出させるようなものだ。
『彼らがわしをナイチンゲールと呼んでいるかぎりは、たとえわしがロバのように鳴いても同じことじゃろう』
ロシアの正教徒たちの断食というのは、要するにこういった類のものだ。
彼らがキリスト教、いやそれどころか正教徒と呼ばれているかぎり、たとえ断食から何のショックも受けなくても全く同じことではないか、というわけだ。
今言ったように、ロシア正教徒たちは現在でも、あの〈教典〉に指示されているとおり、厳格に断食の季節や時を守っている。
しかし断食期間中に食べるべきもの、あるいは食べてはいけないものについては、〈前皇帝ヴィルヘルムのちぢれっ毛の犬の左手〉がまさにこの問題の中に隠されている。
そんなに前のことではないが、当のロシアで、ある本物のロシア正教徒がわしにある話をしてくれたのだが、君もこれを聞けば、現在のロシア正教徒がどんなふうに断食をしているかがわかるだろう。
わしはある商用でこのロシア人とよく会い、そのうち親しくなって、ある時彼を家に訪ねた。
彼はまわりの者から、とても熱心なキリスト教徒であると同時に、その家族の立派な父長だとみなされていた。彼はいわゆる〈旧信徒〉(old believers)の末裔であった。』
坊や。おまえも知っていると思うが、このロシアという大きなグループを構成している人間たちの一部は、他の者たちから旧信徒と呼ばれていた。
旧信徒というのはある種のロシア正教徒たちにつけられた名称で、彼らの祖先は何世紀か前に、ある者がロシア正教徒に対して定めた新たな規則を受け入れるのを拒み、それ以前に別の者たちが定めた旧い規則に忠実に従った者たちだ。そしてそれからほんの一、二世紀後には、彼らの間でしばしば起こるのと同様の〈宗教上の分裂〉が起こったのだ。
さて、わしは若いペルシア人にこう続けた。
『それで、わしはこのロシアの立派な旧信徒のところで夕食をごちそうになったのだが、そこには何人かの正教徒も同席していた。その時彼はわしにこう言った。
「ねえ、ご老人」
ところで、言っておかなくてはならんが、このグループの人間たちの間では、本物のロシアン・ウォッカを2杯飲んだ後では、知人を愛称で呼ぶのが慣わしになっていた。つまり「ねえ、ご老人」とか、「我がザポーポーンチク」とか、「太鼓腹の伊達男」とか「この茶色のつぼ野郎」等々といった具合だ。
そこでこの立派な本物の正教徒は、わしに「ねえ、ご老人」とのたもうてからこう始めた。
「ご心配なく、ご老人。もうすぐ四旬節になるから、そうなれば本物のロシア料理をたくさん食べられますよ。実をいうと、ロシアでは我々は、〈肉食〉の期間中はほとんど同じものばかり食べています。しかし断食の間は、特に四旬節の間は話は別ですよ。
最高にうまいものにお目にかからない日は一日もありゃしません。
いいですか、ご老人。
私はつい先日、これについて実に興味深い〈発見〉をしたんです。
私の新発見は、昔のコペルニクスとかいう変人の発見なんかとは比べものになりません。あいつは何でも、泥酔して地面に横になっていた時、地球がぐるぐる回っていると感じたというじゃありませんか。
ああ、何たるすばらしき発見!
われらが母なるモスクワだけでも、そんな発見なら毎日何干とされていますよ。
いやいや……私の発見は本物で、全くもって示唆に富んでいて実質的なんです。
私の発見とはこうです。四旬節の間、あれやこれやのすばらしいごちそうが食べられるのは、ひとえにシェフやコックのおかげだと考えたり信じこんでいたりしたとは、我々はまあなんとおめでたい馬鹿や白痴どもだろうということです。
私のまわりにいる者にとっては特に祝福すべきあの日、つまりわれらが偉大なるドゥーニアーシャが、〈カレイのレバー入りグロムウェル・フィッシュ・スープ〉に入れるパイの層の中についにうまい具合に第二の層を入れることに成功した日に、私は我々が非常に大きな過ちを犯していたことを全身全霊で理解したのです。
つまり我々が四旬節の間にあれほど種々様々なおいしいごちそうが食べられるのは、ひとえにあの祝福を受けた魚のおかげなのです。最初は私一人がこれを理解していたのですが、そのうち家族みんなにも納得させました。
断食の期間中、とりわけ四旬節には、次のようなものが頻繁に訪れてくれて我々の家庭は幸福に満ちあふれます。
この上なく高貴なる〈チョウザメ〉や
尊敬すべき〈小チョウザメ〉や
珍重されている〈乾燥チョウザメ〉や
忘れがたい〈カレイ〉や
栄えある〈サケ〉殿下や
音楽のような〈白チョウザメ〉や
天上的に柔らかい〈サバ〉や
永遠に怒っている〈カワカマス〉や
いつも気取っている〈マス類の小魚〉や
生き生きと跳びはねている〈マス〉や
美そのものである〈トリオシュカ〉や
誇り高き〈シャマイ〉や
得がたい人格である〈タイ〉、
そしてその他の恩人および保護者たち。

我々に善と至福を与えてくれるこれらの名前だけでも、我々にとっては神からの偉大な贈り物なんです。
こういった名前を聞くだけで我々の心は躍ります。
これらの名前は単なる名前ではなく、真の音楽なんです。実際これらの祝福を受けた魚の名前の響きを、あまたいるベートーヴェン風あるいはショパン風、あるいはその他流行に乗ったとるにたりない作曲家たちの音楽の響きなどと比べることができるでしょうか。
これら栄光ある創造物の名を耳にするたびに、我々の中には至福が生じ、血管や神経をかけめぐるのです。
ああ、栄えある魚よ! われらが創造主が最初に創られたものよ! われらに慈悲を垂れ、これら〈肉の日〉にも我らをお支えください。アーメン。」
祈りを終えると、この有徳のロシア正教徒は本物の特級ウォッカを入れた巨大なグラスを飲み干し、近くにあった〈ヴィーナスとプシケ〉の小さな像をほれぼれと眺めた。
実際のところだな、友人よ。ほとんどすべてのロシア正教徒は、断食に関する考え方や態度においてはこれと似たようなものだ。
ギリシア正教徒から取り入れた〈キリスト教徒の断食〉期間中、彼らはみんな魚の肉を食べる。
彼らの間では魚の肉を食べることは〈罪〉とは考えられていない。そこで彼らは断食用料理として喜んで魚を食べるのだ。
個人的にただ一つわからないことがあった。それは、このロシアの〈哀れむべき正教徒〉は、キりスト教徒の断食中、とりわけ四旬節の期間中に魚の肉は食べてもよいという考えを、いったいどこから取ってきたのか?ということだ。
なぜこれが不可解であったかというと、彼らがこの宗教を取り入れる母体となった正教徒たち、すなわちギリシア人たちは、昔も現在も断食の期間中は一切魚の肉を食べないからだ。
たしかに現在のギリシア人は四旬節の間に一日だけ魚を食べる。しかしそれも、神聖なるイエス・キリストと関係する日を記念して、正教徒の教典に従って食べている。
魚の肉を摂ることを許すような断食をしていては、断食を行う者にいかなるショックも与えないばかりか、神聖なるイエス・キリストご自身が意図され、教えられたことと正反対の結果を生んでしまう。キリスト教の偉大なる創始者たちは、彼の教えのためにこの習慣を作り出したというのにだ。
若い友よ、わしが今話したことを確認するためにも、わしがかつて偶然古代ユダヤのエッセネ派の文書の中で読んだ、キリスト教徒の断食に関する部分を話してあげよう。
この古代ユダヤのエッセネ派の文書の中には、イエス・キリストの教えに従う者のために作られた慣習、つまり一年のある時期に断食するという慣習は、彼の死後かなり経ってから、すなわち彼の誕生後214年経って正式に制定されたと書いてある。
断食という慣習を制定し、キリスト教に導入したのは、大ケルヌアニアン公会議という秘密会議であった。
この秘密のケルヌアニアン公会議は、当時はまだ新しかったイエス・キリストの教えに従うすべての人々が集まって、死海のほとりのケルヌークという場所で開かれた。それでこの会議はキリスト教史ではケルヌアニアン公会議として知られているのだ。
なぜこれが秘密裡に開かれたかというと、当時イエス・キリストの教えに従う者は、どこでも権力者によって厳格に罰せられていたからだ。
権力者たちが彼らを罰したのはなぜかというと、もし人々がこの教えに従って生きるようになれば、彼ら自身、つまり権力者たちも平和に生きられるのに、そうなると自分たちの力を誇示する衝動が消えてしまい、そのため、彼らの内部にいる〈自己愛〉という名の神をくすぐるきっかけが得られなくなるからだ
ちょうどこのケルヌアニアン公会議の期間中に、あるメンバーが、イエス・キリストの教えに従う者は、ある特定の日にある特定の食物を摂るのをひかえるべきだという規則を最初に主張した。
この断食が制定されたそもそもの原因は、ケルヌアニアン公会議における当時の有名な二人の学者、つまり偉大なるヘルトーナーノと、これも偉大なるギリシアの哲学者ヴェッゲンディアディとの間の論争であった。
偉大なるヘルトーナーノは、イエス・キリストの教えに従う者のうち、紅海沿岸に定住した人々の代表であり、一方哲学者ヴェッゲンディアディはギリシアの中でこの教えに従う者を代表していた。
哲学者ヴェッゲンディアディの学識は彼の国内でだけ有名であったが、ヘルトーナーノの名は地球全体に知れ渡っていた。彼は人間の内部組織の法則に関する最大の権威であり、また同時に、当時錬金術と呼ばれていた科学(これはもちろん現代人が考えているような錬金術的科学ではないし、彼らが同じ言葉で表しているものとも全く違うものだが)の権威でもあると考えられていた。
この偉大なるヘルトーナーノとヴェッゲンディアディの論争は次のようなことからもちあがった。
哲学者ヴェッゲンディアディはどうやら二日かけて、イエスの教えに従う者に、肉を摂る目的で動物を殺すのは最も重い罪であり、またそのようにして得た肉は健康に非常に有害だ、等々の観念をもたせることが絶対に必要だということを力説したようだ
哲学者ヴェッゲンディアディが話した後、他の代表が何人か演壇に登り、彼の論に対して賛成意見や反対意見を述べた。
この文書によると、最後に偉大なるヘルトーナーノが節度ある威厳をもってゆっくりと演壇に登り、彼独特の話し方で、おだやかに、しかも明瞭に話した。
この文書によれば、彼はこの時こう話したとされている。
「私はここでキリストにおける我らの同胞、哲学者ヴェッゲンディアディが提出された証言や論述に対して全面的な賛意を示すものであります。
私はむしろ彼の言われたことにつけ加えて、こう言いたいと思います。つまり、
自分の腹をふくらませるためだけに他の生物の生命を奪うことは、醜悪なことの中でも最も醜悪であり、実に人間だけがそのようなことができるのです
もし私自身がこの問題に長年興味をもって思いをめぐらし、あるはっきりとした、しかし全く別の結論に達していなかったならば、キリストにおけるわれらが同胞ヴェッゲンディアディがこれだけ言われた今となっては、私は一瞬もためらわず皆さんに、明日といわず今日すぐに、我々全員が後ろも見ないで急いで故郷に帰り、広場で聴衆に向かって大声で次のように言うよう懇願したことでしょう。
『みんな、今すぐ肉を食べるのをやめなさい! そしてこれからも一切食べないように! こんなことをしていては、ただ神の命に反するばかりか、あなた方自身病気になってしまいますぞ!』
しかしご覧のとおり、私は今そうしてはいません。なぜかというと、先ほども申しましたように、この問題についての長年の根気強い研究の結果、私は全く違った結論に達したからです。
私の達した確たる結論に関して言えるのは次のことだけです。すべての人がただ一つの宗教を奉じるということは地球上ではありえません。したがって、これから先も常にキリスト教以外の宗教も存在するでしょう。そしてこれら他の宗教の信奉者たちが肉を摂ることをひかえると確信することはできません。
もし今、ある時期に地球上のすべての人間が肉を摂るのをやめるということを確信できないのであれば、この肉の摂取に関して我々は、別のもっと実際的な方法をとらなくてはなりません。
なぜかというと、
もし人類の一部が肉を摂取し、別の者たちは摂取しないとすれば、私の実験的な研究の結果から考えて、最も大きな災厄、実際これより悪いことは何もないような災厄が、肉を摂らない人々に降りかかるからです。
つまり、私の詳細な実験が示すところによれば、肉を摂らない人々がこれを摂る人々と共に生活すると、肉を摂らない人々の中では〈権力意志〉と呼ばれるものが形成されなくなるのです。
私の実験が証明したことは、肉を摂らなければ人々の肉体的健康は増進するが、それにもかかわらず、もし彼らが肉を摂る人たちと混じって生活していれば、彼らの有機体の状態は時には良くなるかもしれないが、精神状態のほうは、必然的に悪化します。
だから、肉を断った人々が何らかの良い結果を得るためには、常に完全に孤立して生活しなければなりません。
絶えず肉や、〈エクノク〉と呼ばれる元素を含む食品を摂っている人間は、有機体の状態には何の変化も現われませんが、それでも特に彼らの精神、時には大ざっぱに人間の〈性格〉という言葉で表わされる彼らの精神の主要な特徴は、積極性と道徳性という点では元の面影も留めないほど悪い方向に徐々に変わっていくのです

ここで次のことを言っておかなくてはなりません。私はこれらの推論を長期間の実験から引き出したのですが、この実験ができたのは二人の慈悲深い人たち、つまり裕福な羊飼いのアラ・エク・リナクと彼の財力、それに我々みんなが尊敬している科学者エル・コーナ・ナサおよび彼が発明した注目すべき装置〈アロストデソク〉のおかげなのです。
私はこの注目すべき装置アロストデソクを使い、善良なる羊飼いアラ・エク・リナクが提供してくれた数千人の人間を実験台にして、彼らの有機体の全般的状態を数年間にわたって毎日記録することができました。
われらが創造主が彼の羊を殖やしめたまわんことを!
さてそこで、この実験による研究から私は、肉を食料として摂り続けることは人間によくないこと、しかし一方、一部の人間だけがこれを断ってもこれまた良い結果は生まれないことをはっきりと理解しました。それからというもの、私は、大多数の人々の幸福のために何をなすべきかを見つけることに没頭しました。
その研究を始めるにあたって、私は2つの絶対的な命題を立てました。一つは、何世紀もの間食料として肉を摂ることに慣れてきた人々には、彼らの弱い意志をもってしては、自分たちの許し難い傾向を克服するために肉の摂取をやめるということは決してできないであろうということ。2つ目は、たとえ人々が肉を摂らないと決め、その決定を一定期間守り、肉を食べる習慣をなくしたとしても、それでもなお彼らは、肉が完全に嫌いになるほどの長期間これを食べないでいることは決してできないであろうということです。なぜできないかというと、地球上ではこれからも決して、すべての人が一つの宗教を奉じたり、あるいは一つの政府を形成したりすることはないでしょうが、しかしそのような状態にならなくては、すべての者に及ぶ暗示的な影響、あるいは禁止、刑罰、その他いかなる種類の強制的な影響も存在することはできず、しかもそれがあって初めて人間は、つまり一般的にいって、実例から刺激を受けたり、嫉妬によって奮起したり、あるいは磁力的な影響を受けたりするという特性をもつ人間は、ひとたび下した決定を永久に守る可能性をもつことができるからです
以上の2点を、私は一片の疑いもさしはさまず確信しておりましたが、それでもなおかつ、この2点をその後の研究の土台として、人々が直面しているこの不幸な状況から何とか逃れる道はないものかと辛抱強く探究を続けました。
この後私はさらに大きな規模で研究を続けましたが、これももちろん羊飼いアラ・エク・リナクの無尽蔵の富と、賢明なるエル・コーナ・ナサのすばらしい装置の助けを借りて行ったのです。
この最近の研究の結果明らかになったことは、一般的にいって、エクノクという物質を体内に絶えず摂り入れていれば、人々の精神はたしかに衰退するが、しかしこの物質は一年のある一定の時期にだけとりわけ有害になるということです。
そこでですね、キリストにおけるわが同胞よ……これまで話したことと、それに丸一年間毎日人々に行なった実験を観察した結果はっきりわかったこと、つまりエクノクという物質の有害な作用の強度は、一年のある時期には弱まるということを考えあわせますと、私は次のような個人的意見を、自信をもって述べることができます。すなわち、イエス・キリストの教えに従う者たちの間に、エクノクを構成物質に含んでいる食物を少なくとも一年のある期間だけは摂らないという慣習が広まり、確固としたものになるならば、そしてもしそれが私の想像通りに実行されるならば、人々はきっとある程度の恩恵を受けるでしょう

数々の錬金術的な研究の結果、エクノクという物質は、地球上に生息するすべての有機体を形成しているものの中に例外なく入っているし、そればかりでなく、地球の様々の圏、例えば地球の内部とか水の中、それに大気圏などにも存在していることが判明しました。
この物質は、有機体を形成する準備段階にあるもの、例えば様々な生物の妊娠中の雌のへその緒の中の液体とか、ミルクや卵、キャビアなどの中にも存在しています……。」

偉大なるヘルトーナーノが述べたこの考えを聞いて、ケルヌアニアン公会議に出席していた者はみなひどく驚き、また興奮した。その騒動のためにヘルトーナーノは話を続けることができなくなり、そこで話を中断して演壇を降りざるをえなかった。
この文書がさらに述べているところによると、この日の会議の終了時に、偉大なるヘルトーナーノの助けを借りて、エクノクという物質がとりわけ有害な作用を人々に及ぼす時期を定め、それからイエス・キリストの教えに従う者たちの間に、一年のその時期に断食をする慣習を、つまり有害な物質エクノクを含む食物を一年の一定期間摂らないようにする慣習を広く行き渡らせることを、ケルヌアニアン公会議の出席者全員の賛成をもって決定したのだ
ここのところでユダヤのエッセネ派の文書は終わっている。
以上のことからわかるように、この慣習を定めた者たちは、この宗教の信奉者はある定められた期間には、彼らの健康、なかんずく精神にとって非常に有害な物質を含む食品を絶つべきだと考えていたようだ。
ところが、自らこの宗教の敬虔な信奉者だと思いこんでいるロシアの哀れむべき正教徒たちは、たしかに断食はするが、しかし断食期間中にも魚の肉は食べている。すなわち、偉大なるヘルトーナーノの研究によれば有害な物質エクノクを含むとされている有機体を彼らは食べておるのだ。深い叡知に富んだ健康によいこの慣習は、まさにこの物質から彼らを守るために作られたというのに。』

ここまで話したところでだな、坊や。わしはこの気の合う若いペルシア人との会話を切り上げた。
深い叡知をもっていた昔の祖先から伝えられてきたよき慣習を、現代人が破壊したりねじ曲げたりしていることについては、われらが比類なきムラー・ナスレッディンも実に適切な、含蓄のあることを言っている。
『ああ、人間よ、人間よ! なぜおまえたちは人間なのじゃ。もしおまえたちが人間でさえなければ、おまえたちはもっと賢くなれるじゃろうに』
アメリカのアンクル・サムのお気に入りの言葉も、同じ考えをうまい具合に言い表しておる。
よくいわれることだが、アメリカのアンクル・サムが何かのことで、いつもより少しばかりたくさんジンをきこしめすと、飲む手を休めてはこう言うのだ。
『何一つうまくいっていない時、その時だけすべてはうまくいっているんだ』
しかしこんな場合、わしなら一言こう言うだろう。
『邪悪な月だ』
とにかくだな、坊や。はるかな昔から現代のおまえのお気に入りたちに伝えられ、現存しているある種の慣習は、あるいくつかの共同体の人間たちの日常生活にとってすばらしくよくできたものであることは、はっきり言っておかなくてはならん。
こういった慣習がなぜそんなにいいかというと、これらを生み出し、人間の生存プロセスに導入したのは、残念ながら現代人にはもはや誰一人として達成できないほど高度に理性を完成させた三脳生物であったからだ

現代の群れ集う人間たちが作り出せる慣習といえば、せいぜい自分たちの精神の質をいっそう悪化させるようなものだけだ
例えば彼らはつい最近、〈フォックス・トロット〉と呼ばれるダンスを時も所も選ばず踊るという慣習を作り出した。
今ではこのフォックス・トロットはいたるところで、夜となく昼となく大流行しておるが、これにふけっておるのは、まだ自分の誕生と生存の意味と目的に気づき始めてもいない、若くてまだ形成を終えていない人間たちだけではなく、生存期間の長さという点で、我々の師の言葉を借りれば、〈片足ばかりか両足とも棺桶に突っこんでいる〉ことが顔にありありと見えている(これは正常で多少とも分別のある三脳生物ならすぐに見てとれることだが)者たちまでもがこれにうつつを抜かしておる。しかし肝心な点は、このフォックス・トロットを踊っている間に経験するプロセスは、大モーゼが〈モアドールテン〉と呼んだあの子供の病気の期間中に経験するものと全く同じであるということだ。
大モーゼが生存期間の半分をその根絶に費やしたこの子供の病気を、おまえのお気に入りの現代の責任ある年齢に達した人間たちは、ほとんど故意に復活させ、子供たちや大人の大部分にばかりか、老人たちの間にも広めたのだ。
一方アジア大陸の様々な共同体に属する人間たちの間には、日常生活に有用な慣習が、この惑星の古代三脳生物から伝わり、その多くは今なお存在しておる。
現存しておる慣習のいくつかは、最初見た時には奇妙なほど馬鹿げていて野蛮に見えるかもしれないが、その内的な意味を公平な目で注意深く調べてみると、なんとうまい具合に、これを守る人々に道徳的あるいは衛生的な恩恵がもたらされるように作られているかがわかるだろう。
一例として、見たところ最も無意味に見える慣習を取り上げてみよう。これはペルシアとアフガニスタンの間に住んでいる〈コレニアン・ルーア〉または〈コレニアン・ジプシー〉と呼ばれるアジア人の一族に見られる慣習で、他の人間たちはこれを〈ジプシーの自己燻蒸消毒〉と呼んでいる。
この見たところ馬鹿げた慣習がもたらすものは、沐浴あるいはアブデストというペルシアの慣習がもたらすものと全く同じだ。このジプシーの一族は地球上に存在する種族の中で最下層で、最も不潔だと考えられている。また実際彼らはひどく不潔で、衣服にはシラミと呼ばれる虫がいつもウヨウヨしている。
ところで彼らの〈自己燻蒸消毒〉という慣習は、この虫を殺すためのものだ。
この一族の男性はたしかに恐ろしく不潔ではあるが、彼らの間には性病は存在していない。いやそればかりか、そのような病気にかかりうることなど知りもしないし聞いたこともないのだ。
わしの意見では、これは全くもって彼らの慣習のおかげで、この慣習はその地に昔住んでいた知恵のある人間たちがその時代の人々の幸福のために作り出し、その後代々受け継がれて、たまたまこの不潔なコレニアン・ジプシーの一族の人間たちに伝わったものだ。
この自己燻蒸消毒という儀式のために、ジプシーのどの家族も〈アテシュカイニ〉と呼ばれるものをもっているが、これは特殊な形をした丸椅子で、神聖なものと考えられている。彼らはこの神聖な丸椅子を使ってこの儀式を執り行うのだ。
各家族は〈タンドール〉と呼ばれるものも持っていて、これは地面に掘られた特殊な穴で、アジア大陸各地のほとんどの家に見られる、普通パンを焼いたり料理をしたりするための炉のようなものだ。
アジアではこのタンドールの中で、主として〈ケージアク〉と呼ばれるものを燃やすが、これは四足生物の排泄物から作った燃料だ。
この儀式では、ジプシーの家族が夕方家に帰ると、まず服を全部脱いでそれをこのタンドールの中で振る。
タンドールの中はほとんどいつも熱いが、それというのも、排泄物はとてもゆっくり燃えてケージアクのまわりに灰が生じるので、非常に長い間炎が燃えるからだ。
ついでにおもしろい話をしておこう。ジプシーがタンドールの中で服を振ると、非常に興味深い現象が起きる。すなわち、彼らの服から這い出してきたシラミが火の中に落ち、燃える前に破裂して大小様々の破裂音を出し、それが驚くばかりの〈交響楽〉を生み出すのだ。
このシラミの破裂音を聞いた者は、ほど遠からぬところで何十丁ものマシンガンと呼ばれるものが火を吹いているという印象を受けることもある。
さて、この〈立派なジプシーたち〉は、これもいずれ劣らぬ立派な服を振ってから神聖なる儀式を進めていく。
まず彼らは厳粛に、儀礼をつくして神聖な家族の丸椅子をタンドールの中に降ろし、それから年齢に従って順番にタンドールの中に入り、丸椅子の上に立つのだ。
神聖なる丸椅子は木の板に四本の鉄の足をつけただけの簡単なものではあるが、これを使うと彼らは、熱い灰に足をつけないでタンドールの中に立つことができる。
家族の一人がこの神聖な丸椅子の上に立っている間、家族の他の者は聖歌を歌う。その間、丸椅子の上に立っている者はゆっくりと厳粛に膝を折って身をかがめ、それから立ち上がり、同時に祈りを唱える。この慣習によると、彼は自分の性器全体がタンドールで暖まるまでこれを続けなくてはならない。
これと非常によく似ていて、見たところ同じように馬鹿げているもう一つの慣習は、〈トーソーリイ・クルド〉と呼ばれる小部族の間で行われているもので、彼らはアララット山から遠くないトランスコーカサスに住んでいる。
この部族はコレニアン・ジプシーの部族のように不潔ではない。それどころか、毎日アラス川で水浴びし、それに彼らは主に羊飼いなのでだいたいにおいて新鮮な空気の中で生活しているため、この部族の人間たちは非常に清潔であるだけでなく、この大アジアに住むほとんどの小部族の人間たちに特有の一種独特の匂いを発散するということもない。
この部族の家族はそれぞれ〈小屋〉と呼ばれるものをもっていて、これは住居として、また客の接待にも使われる。つまり訪問という慣習は、この部族の家族間では非常に広まっているのだ。
小屋の前の部分の隅には通常〈聖なるムングル〉と呼ばれるものがあり、これは木炭や、今言ったケージアクを絶えず燃やしている炉だ。このムングルの近くには、〈クツルノツ〉と呼ばれる小さな木の箱がつり下げてあり、その中には常にある植物の根が入れてある。
彼らの〈自己燻蒸消毒の儀式〉は次のようなものだ。家族も客もみな、男女を問わず、小屋の主要部分に入る前にこの聖ムングルに入らなければならない。それは、彼らの言葉によれば、彼らが一所懸命仕事をしている時に彼らをとりまいている悪霊の影響を浄めるためなのだ。
この浄化は次のような具合に行われる。
小屋に入る人は、つり下がっている箱からいくつか根を取って火の中に投じる。そしてそれが燃えて発する煙で性器を燻蒸消毒するのだ。
この浄化をした後で初めて彼らは主室に入ることができる。こうしないと、悪い影響が家にもちこまれるだけでなく、この悪影響が積み重なって、その家の人間がとてもひどい病気にかかると彼らは言い張るのだ。
ムングルは普通最高級の〈ジェジム〉、つまりクルド人だけが作る特殊な織物で隠されている。
もう一度言うがな、坊や。アジア大陸には現在でもこれと似たような多くの慣習が残っておる。
わしは個人的にこういった、一見すると奇妙で野蛮な慣習を何百と見てきたが、そこに隠されている意味を真剣かつ公平に調べてみると、常に同じ目的をもっていることがわかる。
その目的というのは、種々の病気を感染させる有害な媒体を根絶することか、あるいは道徳的廉恥心を強めることだ
ところがヨーロッパ大陸では、衛生上の目的、あるいは大衆にも道徳性を植えつける目的で特別に作られた慣習というものには、ただの一度もお目にかかったことがない。
もちろんヨーロッパ大陸にも慣習はある。いや実は何千とある。しかしそれらはみな、人間同士がお互いを喜ばせるためや、あるいは物事の本当の状態を隠すため、つまり自分の望ましくない外観(もちろん自分の主観的理解からそう思うだけなのだが)を隠したり、自分の内的な意味の欠如をおおい隠すために作り出されたものなのだ。
ここの慣習は年ごとに、累進的に人間の人格や心の〈二重性〉を増大させておる。
しかし一番悪いのは次の点だ。現在ヨーロッパでは、成長しつつある世代の〈
オスキアノツネル〉、つまり子供たちの教育は、現存する無数の慣習を単に取り入れてそれに従うだけになってきており、しかもその慣習たるや、不道徳しか生み出さないような代物だ。その結果、何十世紀という時間をかけて彼らの中に結晶化してきた、彼らの言葉によれば、単なる〈動物としての〉ではなく、〈神の似姿としての〉存在というものに対するデータが年々崩壊していき、それと同時に、彼らの精神はすでに、われらの敬愛する師が次のような言葉で表わしているものになりつつある。
『彼の中には彼自身以外はすべてある』
実際のところだな、坊や。よき家父長的な慣習がないことと、悪名高き〈教育〉のために、この大陸の現代人たちはすでに〈自動機械〉と呼ばれるもの、つまり機械仕掛けの生きた人形に完全になりきっている。
現在彼らはみんな動きまわったり、自分を外に向かって表現したりはできるが、それもただ、準備的な年代に機械的に受け取り、彼らの中に内在するようになったいわゆる印象の〈ボタン〉のうち、それ相応のものが偶然押された時にだけそういうことができるのだ。
だからこのボタンが押されないかぎり、これらの人間は、再びわれらが尊敬するムラー・ナスレッディンの言葉を借りれば、単なる〈潰された肉の塊〉にすぎない。
ここで忘れないように言っておかなくてはならないが、現代文明の中に住む人間たちがこんな状態になった最大の原因の一つは、前にも話したオナニズムだ。この病気は近年ほとんど伝染病のようなものになっているが、これは逆にいえば、彼らの子供たちへの教育の結果でもある。つまり、彼らの指導者たちの間に定着し、いわばみんなの意識の分かち難い一部となってしまったある邪悪な観念、すなわち、〈性に関する問題を子供たちに話すのは絶対に不適切である〉というとんでもない観念の結果なのだ。
もう一度強調しておこう。彼らの理性があまりに素朴であるために、彼らはこの観念をもてあそび、誰一人その真の意味を考えようともせず、ただいわゆる〈上品〉とか〈下品〉とかいう問題として扱おうとする。この態度こそが、この顕著な、いわば〈精神的機械性〉ともいうべきものに彼らが陥った最大の原因なのだ。それどころか、彼らが〈教育〉と呼んでいるある特定のものの見方の中には、彼らのいう〈上品〉及び〈下品〉ということを子供たちにどう教えるべきかを説明し、はっきりと定めている部分さえある。
おまえのお気に入りの惑星の表面での最後の滞在も終わりに近づく頃から、わしは地球上のこの厄介な問題を観察の対象にし、詳細に研究しなくてはならなくなった。
そこで、現代の子供の教育が地球上でどんな結果に陥っているかがおおまかにわかるように、ある出来事を話してあげよう。この出来事は、わしがそれ以後、この誤って理解されている問題に特別な興味をもつようになったそもそものきっかけなのだ。
これから話す〈物語〉はロシアという大共同体で起こったことではあるが、彼らの現代文明における子供の教育全般に関する非常に特徴的な一つの典型ということができる。
なぜこれが特徴的かというと、この大共同体ロシアの責任ある人間たち、とりわけ上層の〈支配階級〉と呼ばれる人間たちは、ヨーロッパ大陸やアメリカ大陸に生息する現代の責任ある人間たちが子供たちを教育すると全く同じやり方で彼らの子供を教育するからだ。
地球における子供の教育という問題を特に詳しく知りたいという衝動をわしの中に生み出したこの出来事を話す前に、その直前に起こったことで、これまた彼らの教育の意味を見事に示してくれた出来事を(これはまた同時に、この問題について徐々にわしの関心が増していく中での、いわば〈つなぎ〉の役割を果たしたのだが)まず話しておこう。
わしはたまたまある時、この共同体の首都、セント・ペテルスプルグという町に数カ月滞在した。
滞在中、わしはある老夫婦と知り合いになった。
夫は〈上院議員〉と呼ばれる人間で、妻のほうは〈上流夫人〉であり、またいくつかの〈福祉施設〉のパトロンでもあった。
わしはよく彼らの家を訪ねてこの上院議員とチェスをやったものだ。これはこの地のいわゆる〈尊敬される人々〉の間ではよくあることだった。
この老夫婦には何人かの娘がいた。
上のほうの娘はみな片付いていた、ということはつまり結婚していた。そして一番下の12歳の娘だけが家に残っていた。
この老夫婦にはもう年上の娘たちの面倒を見る必要はなかった。
そこで彼らは、当時の観念でいう最上の教育を一番下の娘に受けさせることに決め、そのために彼女を特殊な〈寄宿学校〉、つまり〈学院〉と呼ばれる高等教育機関に入れた。
それでこの一番下の娘は日曜日と休日にだけ家に帰り、父と母は週一回決められた日に寄宿学校まで彼女に会いに行っていた。
わしは休日には大抵彼らと一緒に過ごしていたので、まだ汚されていないこの可愛らしい娘にも会っていたし、時には近くの〈公園〉と呼ばれる場所に一緒に散歩に行ったりもした。
散歩しながら我々は冗談を言ったり、あるいは彼女が授業のことや新しい場所の印象を話したりした。
こうして会って話しているうちに、我々の間にある絆、何かしら友情のようなものが徐々に芽生えていった。
彼女は知覚するのも表現するのもとても早かった。おまえのお気に入りたちならさしずめ〈機敏で思慮深い〉少女とでも呼んだことだろう。
ある時、知り合いになったこの上院議員は、当時でいう〈視察〉を命じられてシベリアのどこか遠くの方に派遣された。
彼は〈肝臓障害〉と呼ばれるものに悩まされていて不断の注意が必要であったので、彼の妻も随行することにした。しかし彼らは一緒に行くわけにはいかなかった。というのも、そうなると一番下の娘を学院に訪ねたり、休日の間まで迎えたりする者がいなくなってしまうからだ。
そこである朝この両親、つまりわしの知り合いになった老夫婦はわしのアパートに来て、彼らの不在中、彼らの家に住んで、毎週学院に娘を訪ね、休日には家に連れて帰ってくれないかと頼んだのだ。
わしはもちろんすぐにこの申し出に応じ、その後まもなく上院議員とその妻がシベリアに出発すると、わしは彼らの娘の面倒を見るという義務を忠実に遂行し始めた。この娘はこの頃にはもうわしのペットになっていたのだ。
そこでわしは、子供の教育のために特に作られたこの教育機関を訪ねたのだが、最初からある奇妙なことに気がついた。そしてこのことが、現代のおまえのお気に入りたちが自分たちで生み出したあの〈害毒〉が彼らに及ぼす影響を観察し、研究してみようという気を起こさせる一要因になったのだ。
わしが初めてこの、彼らがいうところの〈お上品な学校〉を訪ねた日には、応接室には他にもたくさん両親や保護者が来ていて、子供たちや、彼らが後見人になっている者たちと面会していた。
今着いたばかりの親や保護者もいれば、すでに子供や養子と話している者、あるいは子供が入ってくるのを待っている者もいたが、ともかくみんなの注意はその学校の生徒が入ってくるドアに向けられていた。わしも応接室に入ると、監督にあたっていた女性に誰に会いに来たかを告げて、椅子に座り、偶然養育することになった娘が入ってくるのを待った。待ちながらあたりを見まわしてみると、この〈お上品な学校〉の生徒はみな同じ服を着て、同じように髪を2つのおさげに編み、その先にリボンをつけて背中にたらしていた。
わしが目を見張ったのはこの一風変わったリボンとおさげだ。ある生徒はリボンを背中にただたらしているだけだが、他の者は、背中にたらしたリボンの端をある形に結んでいた。
次の休日にわしはこの娘を家に連れて帰り、サモワールと呼ばれるものでいれたお茶を飲みながら、こう聞いてみた。
『ソーニャ、教えてくれないかね。君の学校の生徒は、服やなんかは全部同じなのに、どうしておさげの先だけはあんなに違うんだね?』
すると彼女はさっと顔を赤らめ、質問には答えないで、思いつめるような様子でじっとお茶を見つめていた。しばらくしてようやく、神経質そうにこう答えた。
『それは私たちの間ではそんなに単純なことではないの。これは私たちの学校では大きな秘密なんだけど、あなたはお友達だし、それにこの秘密を他の人に漏らしたりしないと確信してるから、あなたにだけは教えてあげるわ。』
それから彼女は腹蔵なく話してくれた。
『リボンの結び方は、お互いに誰だかわかるように、つまりどのクラブに属しているかがわかるように生徒が考えて作り出したものなの。こうしておけば、先生やクラスの担任、それにこの学校の生徒以外にはこの秘密はわからないでしょ。私たちの学校の生徒は2つのカテゴリーに分かれているの。つまり一方は通称〈男性クラブ〉に、もう一方は通称〈女性クラブ〉に属していて、それがリボンの結び方でわかるようになってるの。』
それから彼女は、この2つのクラブはどう違うのかを詳しく話してくれた。
『新入生は普通、まず女性クラブに入れられるの。その後、もし先生に対して不敵な態度をとったり、あるいは全体としてとても活発であることがわかれば、全生徒の同意を得て彼女は男性クラブのメンバーになり、その時から2本のおさげの端を結ぶっていうわけ。
私たちは普通、空いた教室や寮で会合を開くんだけど、でもトイレで開くことのほうが多いわ。
男性クラブのメンバーは普通、次のような特権をもってるの。まず彼女たちは、女性クラブのメンバーの中からお望みの子を好きなだけ選び出して命令する権利があるの。選ばれた子は、自分を選んだ男性クラブのメンバーの望むことは何でも叶える義務があって、例えば朝彼女のベッドを整えたり、授業のノートを写したり、家から送ってきたものを分け与えたり、その他何でもして、彼女のこの寄宿学校での生活を楽にするために全力を尽くさなければならないの。
この2つのクラブの主な活動は、生徒の誰かがもってきた禁書になっている本を読むことなの。私たちはみんなで出し合ったお金でとても珍しい本を買って読むのよ。例えば有名な女性詩人サッフォーの教えが全部詳しく説明してあるようなものをね。』
サッフォーというのはだな、坊や。あるギリシアの女流詩人の名前で、彼女はおまえのお気に入りの惑星上で最初に、ギリシア・ローマの女性たちだけでなく、現代文明に生きる女性たちのためにも、〈真の幸福への道〉を発見したのだ。
この〈女性の幸福〉の偉大なる創始者は〈レスボス〉という島に住んでおった。この島の名前から、この注目すべき女性の教えを生存中に理解し、また実現する力を具えるようになった女性の総称が生まれた。つまり現在彼女らは〈レスビアン〉と呼ばれているのだ。
わしが面倒を見ることになったこの娘は、偶然とはいえ、おまえのお気に入りの惑星の女性の心理の精妙さに関してわしを啓発してくれたのだが、彼女はさらにこう説明してくれた。つまりこの学校の生徒のうち、男性クラブのメンバーはみな、共通の自由時間を共に過ごすパートナーを好きなだけ選ぶことができた。そしてもちろんこれも、女性詩人サッフォーの教えに完全に則って行われたのだ。

わしは数多くの観察の中からたった一つの事実を話したのだが、この話からだけでも、これほどあからさまに醜悪なことは、もし子供たちに〈性の問題〉を話すのは極めて〈下品〉であるという観念がこれほど広まっていなければ起こりえないということは、おまえにもはっきりとわかるだろう。
そもそも〈上品さ〉という観念は、〈中世〉と呼ばれる時代の人間たちから伝承されて現代文明にまで伝わってきた。
中世のハスナムス候補生たちは、神聖なる師イエス・キリストの教えの真の意味を消滅させる上で中心的役割を果たしたのだが、ここでもまた〈育ちの良さ〉などというとんでもないものをでっちあげて、一つの規制として日常生活の中に押しこんだ。このとんでもないでっちあげは大多数の者の精神の中に強く固着してしまい、そのため彼らの中で一つの有機的な組織となって、遺伝によって代々伝えられた。そのため今では、すでに意志が完全に薄弱になってしまっている現代人たちは、どんなにそうしようと思ってもこのような異常な精神的固着、つまりこの場合は〈性の問題〉について子供たちに話すのは下品だという観念を、克服することができなくなってしまったのだ

何ですって? 子供に〈性〉の話をするですって? でもそんなこと下品じゃなくって? というわけだ。
現代文明に生きる今の人間たちは、〈ハスナムス個人〉の候補生たちが、先ほど言った〈育ちの良さ〉という呼称のもとにでっちあげた、あるいは現在でっちあげつつある手引書に書いてあることしか子供たちに教えようとしない。
こういった手引書には、〈性の問題〉について話すのはひどく下品で、子供に対しては〈不道徳〉でさえあると書いてあるらしく、そのため現代人たちは、自分の大好きな息子や娘が堕落するのを目の当たりにしながら、前にも言ったように、どんなに頭でそう望んでも、こうした犯罪的な慣習の害や罪について、どうしても子供たちに率直に説明してやることができないのだ。
そんなわけでだな、坊や。知人の上院議員とその妻がシベリアから帰ってきて、わしのペットである彼らの一番下の娘の面倒を見る義務からわしを解放してくれたちょうどその頃、前に言った出来事、つまり彼らにとっても有害なこの地球の現代の問題を詳しく観察し、研究するきっかけとなった出来事が起こったのだ。
この悲しい出来事はセント・ペテルスブルグの別の教育機関で起こった。この学校の女性の校長が、かの有名な〈上品さ〉という規則に反する行いをした生徒を見つけ、彼女をひどく厳しく、おまけに公正を欠くやり方で叱責したものだから、その子と彼女の友人、つまり将来正常な女性となり母となる資質を具えた二人の成長しつつある少女は、首をつってしまったのだ。
この事件を調べていくと次のようなことが判明した。
この教育機関の生徒の中にエリザベスという少女がいたが、彼女は、この現代〈教育〉を受けさせたいという両親によって、遠方から首都にあるこの特別高等教育機関に連れてこられたのだ。
13歳のエリザベスは、セント・ペテルスブルグのこの寄宿学校で、彼女と同じく未成熟なメアリーという少女と大の仲良しになった。
同じ年のある〈春の休日〉、別の呼び方によれば〈メイデー〉という日に、この高等教育機関の全生徒は慣習に従って郊外へ遠足に出かけた。そこでこの二人の〈心からの親友〉はたまたま別のグループに入り、少し離れて歩くことになった。
郊外に出るとエリザベスは偶然〈牛〉と呼ばれる〈四足生物〉を見たが、何だかとにかく、心からの親友であるメアリーにどうしてもこのかわいらしい四足生物を見せたくて、それで『メアリー! メアリー! 牛がいるわよ!』と叫んでしまった。彼女が〈牛〉という言葉を口にするやいなや、いわゆる〈女性教師〉たちがみんなエリザベスをとりかこみ、猛烈な説教をあびせかけた。
『いったいよくも〈牛〉なんて言葉を口に出せたものね』『いやしくもちゃんとした躾を受けた人ならあんな四足生物に興味を引かれるはずはありません。うちのような〈お上品な学校〉の生徒ならなおさらのことよ』等々。
女性教師たちがこうやってかわいそうなエリザベスを責めたてている間に、生徒もみんな集まってきて、そのうち女性校長自らお出ましになって話を聞くと、今度は彼女がエリザベスを叱責し始めた。
『恥を知りなさい! こんなに下品だと考えられている言葉を口にするなんて!』
とうとうエリザベスはこらえきれなくなって、涙ながらにこう尋ねた。
『じゃあ、その実際牛である四足生物をどう呼んだらよかったんですか?』
女校長いわく、『あなたがあの動物を呼ぶ時に使った言葉は、人間のクズが使うものです。でもあなたはこの学校にいるのですから人間のクズではありません。だから下品なものを呼ぶ時は常に耳に下品に響かないような言葉を選ばなくてはなりません。
あの下品な動物を見て、友達にも見てほしいと思った時は、例えば「メアリー、ごらんなさい。ビーフステーキが歩いていくわ」とか、「メアリー、あっちをごらんなさい。お腹が減っている時に食べたらとってもおいしいものが歩いていくわ」とか何とか言わなくてはなりません。』
友達がみんないる前でこのように〈叱責〉を受けたために、かわいそうなエリザベスはひどく苛立ち、抑えきれなくなって思いきり叫んだ。
『何よ、この性悪なオールドミス! しましまお化け! 地獄の餓鬼ども! あるものをその本当の名前で呼んだからってすぐに私の生血を吸ったりして! 百万遍呪われっちまえっ!!!』
ここまで言うと彼女は、彼ら流にいえば〈卒倒〉し、これに続いて今度は女校長が、それから何人かの〈クラス担任〉や〈女性教師〉が卒倒したのだ。
この〈お上品な学校〉の〈クラス担任〉や〈女性教師〉のうちで卒倒しなかった者たちは、ベルディチェフの町から来た〈ユダヤ女たち〉が市場でねぎり倒している時にしか聞けないような大騒ぎを引き起こした。
その結果、卒倒した〈クラス担任〉や〈女性教師〉が回復した時、野原の中のその場で、女校長が議長になって〈教員会議〉なるものを開いた。そしてその場で、町に帰るとすぐにエリザベスの父に電報を打って学校に来させ、彼女が放校になったこと、その上、ロシア帝国内の同様の学校にはどこにも入る権利がなくなったことを知らせることを決定した。
その同じ日、生徒がみんな家に帰らされてから一時間後、この学校のいわゆる〈用務員〉の一人が偶然〈まき小屋〉の中で、まだ未熟で成長しつつある未来の母親が二人、梁に結びつけたロープで首をつっているのを発見した。
メアリーのポケットから発見された遺書には次のように書いてあった。
『大好きなエリザベスと同じように、私もあなた方のような空っぽの人たちともうこれ以上一緒に生きたくはありません。私も彼女と一緒にもっといい世界に行きます』
わしはこの事件に非常に興味をもったので、もちろん内密にだが、この悲しい話に登場する人物の心理をあらゆる角度から精神分析学的に調べてみた。わしが部分的に解明したことは、哀れなエリザベスが猛烈な暴言を吐いた時、彼女の心理の中には〈混沌〉と呼ばれるものがあったということだ。
実際の話、この悲惨な事件が起こるまではお父さんの大きな地所に住んでいて、その事件の日にセント・ペテルスブルグ近郊の野原で感じたのと同じような自然の豊かさをいつも見、感じてきたこの13歳の、まだ自意識ももっていない少女の心理の中に〈混沌〉が生じなかったとしたら、むしろそのほうが驚きだろう。
彼女はこのセント・ペテルスブルグという息の詰まるような騒々しい都市に連れてこられ、それから長い間、その場しのぎの箱の中に閉じこめられておった。ところがその日、突然彼女は自分が新しい環境にいることに気づき、新しい印象を受けるたびに昔の楽しかった感覚の思い出が呼びさまされたのだ。
おまえのお気に入りの惑星で〈早春〉と呼ばれている時期には、時として感嘆しないでいることが難しいほど魅惑的な風景が現れる。
例えばこんな景色を想像してみなさい。遠くの牧場には牛が寝そべり、すぐ近くの足もとにはアネモネが恥ずかしそうに土から顔をのぞかせている。耳の近くを小鳥が飛んでいき、右の方からは全く知らない鳥のさえずりが聞こえ、左の方からはこれも全然知らない花の香りがただよってきて嗅覚をくすぐる。
要するに、こういった瞬間、人間の中には、とりわけエリザベスのように、息の詰まるような都市で長い間抑圧されて生活してきた後でこんなふうに忘れかけていた印象がどっと押し寄せてきた場合にはなおさらのことだが、自然な歓喜に呼びさまされた心理的連想が、見るもの聞くものすべての外的なものから生じるのだ。
エリザベスはそれを特別に強く感じたにちがいない。というのも、前にも言ったように、彼女はこの学校に入る前にはお父さんの農園で、すでに極度に常軌を逸していた都市の虚栄から遠く離れて暮らしていたからだ。
そのために、新たに受けた一つ一つの印象が、自然に昔の子供の頃の楽しい出来事と結びついた思い出を呼びさましたのだ。
だからおまえにも容易に想像できるだろう。彼女が故郷の農場で見慣れていた〈牛〉と呼ばれる四足生物が突然現われた時(子供たちはこの生物がとても好きで、時にはこっそり食卓からパンをもっていって食べさせたりする)この未成熟で感受性の強い少女の連想は刺激され、こうしてこの子はすでに定着してしまった異常な生存状態に汚されていない幸福という感情に心底満たされたので、この刺激を受けるとたちまちこの幸福を、少し離れたところにいる心からの親友と分かち合いたいと思い、それでその子に可愛らしい牛を見てごらんと叫んだのだ。
そこでおまえに聞くが、この実際牛である四足生物を、彼女はいったいどう呼べばよかったと思う?
本当に、この〈高い評価を受けている高等教育機関〉の〈敬愛されている〉女校長が言ったように、〈ビーフステーキ〉と呼ぶべきだったのかな? 実際この学校は、彼らの野蛮なシステムに従って特別に〈子供を教育する〉ために存在しているのだが、これは現在でも彼らにとっては不幸なことだ。

さてさて坊や。わしはおまえの興味を引いた北アメリカ大陸に生息する三脳生物のことを話すつもりであったが、横道にそれて、この奇妙な惑星のすべての大陸に生存している三脳生物全般についてかなり詳しく話したようだな。しかし別に不満に思うことはない。こういった話からおまえは、彼らの奇妙な精神を理解する上で多くのことを学べたのだからな。
さて、一般に三脳生物がもっている正常な存在に少しでも近い存在を獲得する可能性を彼らが失っているという点に関して、現代のアメリカ大陸の大きなグループを構成している人間の〈堕落度〉と呼ばれるものがどれほどであるかについて、こんな話をしてやろう。これは彼らにとってはなぐさめになるものだ。つまりわしの意見では、この可能性がいまだ完全に失われていない人間の割合は、彼らが最も高いのだ。
この新しいグループを構成しているのはヨーロッパ大陸で誕生した三脳生物であり、今も彼らはそこから移り住んできているが、このヨーロッパ大陸では、今言った可能性をもった人間は、特に最近では、われらが賢明なる師ムラー・ナスレッディンがこういう時に使う言葉を借りるなら、〈強力な電気アーク燈を使って入念に探さなければ見つからない〉ほどになっておるのに、もう一度言うが、それに対してこの大きなグループでは、その可能性をもつ人間の比率が高いのだ。
こんなことが起こった原因は恐らく次のようなことだろう。つまり、ヨーロッパ大陸からここに移住してきた、あるいは現在も移住し続けている人間たちは主として〈単純な人間〉と呼ばれている者たちであり、彼らは〈支配階級〉に属するヨーロッパ人の、いうなれば〈遺伝的子孫〉ではないからだ。この〈支配階級〉に属する人間たちは、遺伝によって何世紀にもわたってハスナムス的特性の偏向を代々受け継いでいるので、今では〈内的ないばりちらし〉と呼ばれるものがあまりにも大きくなり、そのせいで、三脳生物にふさわしい存在になるために共に努力すべく一般大衆と交わるということがどうしてもできないのだ。
この大陸に生息する三脳生物の中には〈支配階級の子孫〉はほとんどおらず、また一般大衆というのはそれ自体、〈われらの兄弟〉がいまだにその中で生存できる培養基であり、その中では、まわりの人間が生み出す放射物、つまり人間一人一人の〈独自の自然な内的力〉と呼ばれるものに有害な作用を及ぼす局所的な放射物の影響にさらされることもない。だからこそわしは彼らの間で暮らした時、望み通りの休養をとることができたのだ。
さて坊や。すでにこの惑星に以前に何度も出現した有害な慣習を、この大きな新しい現代のグループが様々に改変し革新したことの意味についてかなり長く説明してきたが、客観的な意味からいえば、こういった改変はもうすでに、彼ら自身に有害になっているだけでなく、他の大陸に生息する三脳生物にまで害を及ぼすようになっている。そこでわしが思うには、ここでいわゆる〈最後の弦〉をかき鳴らして、おまえに、わしがニューヨークの彼らの間に滞在していた最後の日の思考活動の中で始まり、そしてこの大陸を離れて東方へ向かう汽船の上で終結した考察を理解させることが絶対に必要になってきておるようだ。
その日わしは、〈コロンバス・サークル〉と呼ばれるところにある〈チャイルズ〉という名の奇妙なカフェに座って、ヨーロッパ大陸からこの大陸までわしに随行してきた人間たちを待っていた。彼らと一緒に汽船が出航する埠頭まで行くことになっていたのだ。さてそこに座ってわしは窓から、この都市に住む様々な人間たちが行きかうのを眺めていた。彼らは自動的な知覚によればたしかに外見的に区別できるのではあるが(それももちろん、近年他の大陸の人間たちよりもはるかにしっかりと定着してしまった慣習、すなわち例によって例のごとき有害なる発明である〈ファッション〉と呼ばれる慣習の〈奴隷〉となっているおかげで何とか区別できるのだが)それにもかかわらず、どういうわけか彼らは、その中身という点からするとひどく似たりよったりに見えた。
彼らを観察しながらわしは、ちょうどその前の日に下した最終的な推論のことを考えた。その推論というのは、
ヘローパスの流れの現時点で、この全般的に奇妙なこれら三脳生物が惑星上で共通に送っている通常の生存プロセスにおいて、長期にわたって確立された彼らの奇妙な精神の全総体の特徴を強烈に表現する源泉、つまり最も聖なる個人の一人がかつて〈異常性の新たな原因を生み出す周期的、根本的な源泉〉という言葉で特徴づけたものは、まさにこの新しいグループの人間たちによって代表されているのではないかというものだ。
この連想のそもそもの発端であり、またそれに続く今回の能動的な熟考を促すショックともなったものは、次のような偶然の発見であった。それはつまり、彼ら一人一人の〈独自の外観の総体〉と呼ばれるものを構成しているものはみな(例えば衣服とか仕草とか作法とか、その他集団生活の通常のプロセスで、あらゆる三脳生物が獲得するすでに定着した慣習はみな)他の大陸に住む様々な独立したグループの人間たちの間に存在しているものの正確な模倣の寄せ集めにすぎないということ、言いかえると、他のグループの自由な人間たち、すなわち通常の生存プロセスが与えてくれるものはすべて経験し、その結果すべてに失望した人間たちが、自分たちと同種の人間たちが行なうに値しないものとみなしたようなものばかりを模倣しているにすぎないという発見であった
これを偶然に発見したわしはひどく驚いてしまった。なぜかというと、わしはいろいろな事情で次のことを知り、その時までには完全に確信していたからだ。それは、現在この惑星ではどこでも、新しくできた共同体も高度な段階に達している共同体も含めたほとんどすべてのグループが、この極めて最近形成されたグループの人間が作り変えたものをみな完全に模倣し、熱狂的に自分たちの日常生活に取り入れているということであり、しかもそればかりか、前にも言ったように、他の独立したグループの自由な人間たちにとっては非常に悲しいことではあるが、この新しいグループの人間たちの外的な表現行為や、そういった表現行為を生み出している〈内的な主観的意味〉さえも、これら他のグループの普通の人間たちの体内に定着し、固有のものになってしまったものだけで構成されているということだ。
こんな予期せぬ発見をした結果、わしの中には、地球上のこの不調和を生み出した論理的な原因を明らかにしたいという好奇心の衝動が非常に強く湧き上がってきた。その日わしは一日中、チャイルズに座って、ヨーロッパ大陸からわしについてきた人間たちがやってくるのを待っている間はもちろん、〈タクシー〉に乗っている間も船に乗りこんでからも、この疑問を解こうと一所懸命熟考した。もちろんまわりの者の目には、周囲で起こっていることを機械的に観察しているように見えるようにしたがな。この点で彼らと似ているように見せかけ、いわゆる目立たないように、あるいは彼らの別の言い方によれば〈目を射抜かない〉ように、外面的には機械的な観察者らしく見せかける能力においては、わしはこの地球で理想的な、つまり彼らのいう〈芸術的〉達人の域に達しておった。
わしはデッキに座り、蒸気船が束に動いていくにつれてこの大陸の沿岸のきらめく灯が次第にかすかになっていくのを見つめながら、様々な事柄を熟考し、論理的に比較してみた。その結果わしは、なぜ、またどのようにして、この不運な惑星にこのような不調和が生じたのかをほぼ完全に解明することができた。
この考察の一番最初にわしは、こんな不調和が生じるのを可能にした様々な事実を列挙してみたが、しかしそのうちから、原因というよりはむしろ結果として必然的に起こったことを次々に除外していくと(こんな場合はいつもそうするのだが)最後に一つのことがはっきりしてきた。それは最初は大して重要なことには思えないが、実はこのわしでさえ驚いてしまうようなことで、つまりそれこそがこれまでもずっと、そして今でもこの異常の原因であることがわかったのだ。
つまりわかったこととはこうだ。これまで何度も話した彼らの有名な〈教育〉のせいで、どのような独立したグループに属していようと、彼ら一人一人が責任ある生存をするための準備をする年代に、彼らの体内に、ある断固とした確信を生むデータとなるものが必然的に生じてくるが、その確信というのは、その惑星では、自分たち以前の時代の、自分たちと同種の人間たちの中には、現代人が到達し、現在もなおその完成度を高めているような、そんな理性の高みにまで達した者は一人もいない、というものだ。
この点に考えを集中し、わしが以前彼らを観察していた頃に意識的に、あるいは偶然自動的に知覚したものも含めて、この問題に関する以前の印象を思い出してみると、わしは徐々に次のことを確信するようになった。それはすなわち、おまえのお気に入りたち、とりわけ過去30世紀の人間たちは、彼らが責任ある存在として生存しているうちに、
彼らが現代の〈文明〉と呼んでいるものは、この惑星に三脳生物が誕生すると同時に発生した理性の発達の直接の延長線上に花開いたものに他ならないということを心底確信するようになったということだ
現代のどのグループの人間でも、この誤った確信を生み出す新たなデータが、まだ準備的な年齢のうちに彼らの中で形成されるため、もし彼らが、その時代には価値あるものと考えられているものを偶然所有するようになり、そのおかげで何らかの権威を手に入れ、それと同時に、過去の人間たちが抱いていたある考えを(それは実は何度も存在したことがあるのだが)これも同じく偶然に見つけると、それをさも自分で考え出したかのように言いふらすようになる。すると他のグループの人間たちは、これも間違った教育のせいで、責任ある三脳生物なら当然もっているべきデータ、つまり〈本能的に現実を感じ取る能力〉と〈広い視野〉と呼ばれているものを生み出すデータが体内に欠如しているために、まず第一に、その考えがこの惑星上に生まれたのはこれが最初だと信じ、第二に、この〈価値あるもの〉を所有している者たちがこれを実際に役立てればすばらしいことになると信じてしまう。そして彼らは直ちに良いものも悪いものもごちゃまぜにして、すでに存在しているもの、自分たちの日常生活に根をおろしたあらゆるものと真っ向から矛盾しようとおかまいなく、ただ今日価値があると考えられているものを手に入れるのに夢中になって、何でもかんでも模倣し始めるのだ
その時わしは、もうずっと前に一度、この惑星の表面に五度目に滞在していた時、つまりバビロンという都市がこの奇妙な三脳生物の文化の中心と考えられていた時代に、この問題について極めて真剣に考えたことがあるのを思い出した。当時わしは、何かこれとよく似た疑問を抱いたので、この風変わりな三脳生物の精神の不思議な特徴を〈論理的に分析〉しなければならなかったのだ。
当時わしは次のように考えた。
つまり過去にできあがった異常な生存状態のせいで、この惑星に彼ら以前に存在していた三脳生物の生存プロセスにどんなことが起こったかについての正確な情報は全く彼らに伝わっていないのだが、このことを考えあわせれば、彼らが今述べたように考えるのも納得できないことはない。しかしそれでは、彼らの中の誰一人として(つい最近まで彼らは〈比較考察的論理〉のプロセスと似たものを時々もつこともあったのだが)次のように単純な、彼ら流にいえばほとんど〈子供じみた考え〉さえも思考活動の中で生み出さなかったという事実を、いったいどう考えたらよいのだろう。
すなわちそれは、もし彼らが言うように、あるいは確信しているように、彼らの惑星がすでに非常に長期間存在しており、そしてそこに自分たちとよく似た同種の生物が(つまり思考活動のできる生物が)彼ら以前に無数に誕生し、存在してきたのであるならば、それら無数の人間の中から少なくとも何人かは、ちょうど今アメリカ人たちがいろいろなもの、たとえば〈便所〉の中の〈快適なシート〉とか保存食品等々を発明し、それを他の人間たちが無批判に、いやそれどころか喜んで模倣しているのと同じように、同時代の人間たちの幸福のために様々な便利なものを発明することのできた人間がいたのではないか?という考えだ。
これに思い至らなかったというのはどうにも言い訳できないほど思慮のないことであり、さらにこのことは、彼ら自身が古代の賢者と呼ぶ者の存在を認めていること、さらにはこれら賢者が説いた客観的真理に関して彼らが受け継いでいる膨大な量の種々雑多な情報を否定していないということを考え合わせると、いよいよもって不可思議になる。ついでにいうと、現代のおまえのお気に入りたちのある者は、良心の呵責もなく、まるでこれらの情報を自分が考え出したことであるかのように言いふらし、しかもそれを自分の利己的な目的のために最大限悪用している。おまけに、そんな知ったかぶりの大ぼらを吹いていると、彼らの子孫は遅かれ早かれ間違いなく完全に滅亡してしまうということなど露ほども疑ってはいないのだ

こういう誤った確信を彼らの中に生み出す彼らの思考活動の特異性は(これはどんな〈論理的分析〉をもって理解しようとしても非常に複雑なものだが)わしがアトランティス大陸に滞在していた最後の頃に始めた観察の中でも、常に、彼らが集団で生存するプロセスで起こる多少とも主要な出来事のうち、彼らにとって望ましくないことのほとんどすべての〈重心的な原因〉であった。
この奇妙な思考活動の結果生まれた誤った確信と、それに加えて、彼らが責任ある年齢に達すると必ず現れる、〈羨み〉〈貪欲〉〈嫉妬〉と呼ばれる器官クンダバファーの特性の諸結果が彼らの感情機能全体に及ぼす影響とのせいで、いつも次のようなことが起こっている。つまり、あるグループの人間たちがその時代に望ましいと考えられているものを所有するようになると(それもほとんどの場合、彼らの日常生活に根をおろした有害な慣習、すなわち彼らが〈たゆまぬ進歩〉などと呼んでおる態度からそういうことが起こるのだが)どの大陸に住んでいようと関係なく、他のすべてのグループの人間たちの間には、この噂、つまりあるグループがいいものを手に入れたという噂が広まり、するとたちまちのうちに彼らの体内には同じものを持ちたいという欲求が湧き起こる。そしてその瞬間から彼らの中には、第一に彼らを模倣しなければいけないという気持ちと、第二には、その時代によきものと考えられているものを手に入れることができるからには、そのグループの人間たちはまさに正しく生存しているに違いないという〈テコでも動かぬ確信〉が生じるのだ。
これに関連して、おまえのお気に入りたちの思考活動の奇妙さに関するいわゆる〈痛快なこと〉が一つあるが、それは彼らに〈羨み〉〈貪欲〉〈嫉妬〉などを起こさせるものを他の人間たちが所有するに至った真の原因を、たとえ大ざっぱにでも理解するために必要な〈熟考〉と呼ばれるプロセスが、彼らの思考活動の中に全く起こらないということだ。
そういうわけでだな、坊や。この惑星の過去の時代の三脳生物が、意識的努力と意図的苦悩の結果獲得し、所有したものに比べれば、この新しいグループ
(アメリカ人)の人間たちが手に入れたものは、内的な要素からいっても外的な表われからいっても、他の独立したグループの現代の人間たちがもっているものの中でも悪いものばかりで、それ以外には何一つもってはいない。それにもかかわらず、どのグループの人間たちも、彼らが発案したものなら何でもかんでもせっせと模倣しておるが、その理由はただ一つ、近年彼らが偶然所有するようになったものは、客観的な見地からすれば実に卑しむべきものなのに、これら不幸な者たちの日常生活の中に根を張った異常な状態のせいでひどくいいものに見えてしまうためなのだ。
いわばすでに身についてしまった悪を将来正す可能性がどの程度あるかという点からいえば、
たまたま権威をもつに至ったこの現代のグループの人間たちが発案した有害なものの中でも最も有害なものは、馬鹿高い建物の中で生存時間の大部分を過ごすという彼らが作り上げた習慣だ
彼らのこの発案がどれほど有害であるかがはっきりわかるように、まずこの話をしてやろう。
現在〈スポーツ〉という名で存在している〈有害な手段〉について前に話した時にこんなことを言ったのを覚えておるかな?
おまえのお気に入りたちの生存期間も、当初は
フラスニタムニアンであった。つまり彼らは、彼らの中でケスジャン体が完全に形成され、それが必要とされている理性の段階に高まるまで生存しなくてはならなかった。ところが後になって、通常の生存がひどく異常な状態になってくると、大自然もイトクラノスの原理に則って、すなわち、周囲の諸原因が生み出したものに従って彼らの身体を形成し、それに見合った生存プロセスを生み出さざるをえなくなったのだ。
その時以来ずっと、これら諸原因の一つは彼らの〈第二存在食物〉の〈振動密度〉、すなわち彼ら流にいえば、〈彼らが呼吸する空気の凝縮度〉であった。
要するに、生物が第二食物として摂っているこの宇宙形成物も、第二の根源的な汎宇宙的法則である
聖トリアマジカムノに従って構成され、3つの異質な宇宙物質から作られているということだ。
その一つは、この宇宙生成物がその圏内に生存する生物の〈第二食物〉となっている太陽系の太陽からの放射物だ。
2つ目は、この食物を摂っている生物の生存する惑星そのものの上で変容した物質だ。
そして3つ目は、この太陽系の中の他の諸惑星を通して変容し、そこからの放射物を介してこの惑星に届く物質だ。
さて、生物が正常に誕生し、生存するのに必要なこれらの物質、すなわちその惑星自体によって変容されて
聖トリアマジカムノの第二の聖なる力として機能する物質の融合プロセスは、それに必要とされるある一定の比率をもって進行する。ただしこれは惑星の表面からある一定の範囲内に存在する大気圏内に限られる。なぜかというとテニクドアと呼ばれる第二等級の宇宙法則、あるいはおまえのお気に入りたちの呼び方によれば、〈重力の法則〉なるもののために、これらの物質は大気圏のある一定の高さを超えることができないからだ。
ここまで話せばおまえは、わしが今光を当てているこの問題から生じてくるすべてのものを自分で把握して、彼らのこの発案の意味に関する意見を生み出すデータを自分で生み出せるだろう。
さて坊や。〈フォックス・トロットを踊るようにドルを追いかける〉〈クリスチャン・サイエンス〉なるものの信奉者については、これで十分におまえの好奇心を満たしてやったと思うがどうだ。
客観的公正の名において、次のことは是非つけ加えておかねばなるまい。すなわち、彼ら
(アメリカ人)の将来がどんなものになろうと、ともかくわしが彼らの間に滞在していた時には内的な休養をとる可能性があった。そして、このことに対してわしは彼らに心からの感謝の意を表したいと思う。
わしの後継者たるおまえよ。おまえにはわしが長い生存期間中に得たものをすべて遺産として伝えてきたし、またこれからも伝えるつもりだが(とはいえもちろん、おまえ自身が良心的に生存し、《森羅万象の父にして維持者であるわれらが永遠なる主》に慎み深く仕えることによってそれを受けるに値する者になるという条件つきだが)そのおまえにわしはこう命ずる。もしおまえが何らかの理由でこの地球という惑星に行くことがあれば、必ずニューヨークという都市に行って、あるいはもしその時この町がもはや存在していないならば、せめてそれがあった場所に行って、大きな声でこう言ってほしい。
『この場所で、私の愛するお祖父様であり、そして公正なる師であるベルゼバブはしばらくの間楽しい時を過ごしたのだ』
おまえには、祖先が引き受けはしたが何らかの理由で果たすことができなかった義務を引き継いで果たすという責務がある。その後継者としてのおまえにもう一度命ずるが、わし自身とても興味を覚えたものの、いまだ機が熟さずに解明することができなかった問題に特に注意を払い、これを解明すべく努めなさい。すなわち、彼らの子孫の間で(もちろんその時もまだ子孫が誕生していればの話だが)当時広くはやった〈病気〉、つまりオナンソンというスターの一人が〈書きたい病〉と呼んでいた〈病気〉が、いかなる〈有害な形〉に変化していったかをしかと確かめてほしいのだ
実際だな、坊や。わしもそこにいる間は、かなり多くの者と多少とも親しい付き合いをしたが、ほとんどすべての者が、すでに本を書いているか、あるいは執筆中か、そうでなければすぐにでも書こうと意欲満々であるかのいずれかであることに気がついた。
今言ったように、この特異な〈病気〉は当時、老若男女を問わずこの大陸のほとんどすべての人間の間で流行っていたが、何かの理由で、なかでもとりわけ責任ある年代の初期にある者、つまり彼らが〈若者〉と呼ぶ者たち、その中でもまた特に顔にたくさんニキビのある者たちがこれに〈伝染〉しておった。
これに関連して次のことも言っておかなくてはなるまい。おまえの興味を引いているこの奇妙な生物が共有する精神だけに固有の特異性、つまり彼らの長い間の集団生存の中で培われてきた特異性は、次の言葉で言い表すことができる。
『たまたま偶然その時代の話題となったことに興味が集中すること』
ここでも同じく、〈ずる賢い者〉、つまり〈自分と同種のまわりの者を過ちに導くかもしれないようなことを本能的にさしひかえる〉と呼ばれる衝動を生み出すデータが衰えてしまっている者たちは、種々のいわゆる〈学校〉なるものを組織して手当たり次第に〈手引き書〉なるものを作り、その中で、どんな順序で言葉を配列すれば読者に受ける文章が作れるかを詳細に説き明かしておる。
そのため、こういった〈学校〉に行っている者や〈手引き書〉を読んでいる者たちは、存在という点においても、また現実についての情報という点においても、まさにわれらの師ムラー・ナスレッディンの言葉、すなわち〈耐えがたい振動を発散する虚無〉という言葉がぴったり当てはまるタイプなのだが、その彼らは、今言った指導に従って知ったかぶりの大ぼらを吹きはじめる。さらにいくつかの原因が重なって、つまりまず第一に、この新しいグループの人間たちの通常の生存状態に様々な異常が定着しているために、一般に読むという習慣はすでに以前から彼らの有機体的欲求となっていること、また第二には、どんな文章でもとにかく全部読み通しさえすればその内容がつかめるということもあって、この大陸の人間たちはみんな、あらゆる種類の、彼らのいう〈誇大な〉タイトルに引かれて息つく間もなく読み続けるということ、こういったことが原因となって、それでなくてもすでに〈薄められている〉彼らの思考活動は、ますます〈薄まっていく〉一方なのだ。
その時まで彼らの子孫が生存を続けているかどうかについてわしははっきりしたことは言わなかったが、それはなぜかというと、この奇妙な三脳生物の通常の生存プロセスに関してずっと以前に一度気づいたのと全く同じ特異性、すなわち、この生物の女性の惑星体に新しい型が誕生した結果生まれた異常な特異性に気がつき、これと並行して行なった特殊な観察の結果、この特異性から生ずるものをつぶさに確認したからだ。
この異常な事態が発生したのはアトランティス大陸が消滅する前のことで、当時有名だった〈
バラカニラ〉と呼ばれる島に(この島はアトランティスの西に位置していたが、アトランティスと同じ時にこの惑星の内部に飲み込まれてしまった)様々な大グループからやってきた三脳生物が集まって小グループを形成し、孤立して生存するようになったのだが、今言った事態はこのグループの生存プロセスの中で発生したのだ。実はこの小グループの一族は存続できなかったのだが、それはこの一族の女性の惑星体の形成におけるこの奇妙な特異性のためで、このような形で民族の存続が途切れることを、アカルダン協会の学識あるメンバーたちは〈デズソープセントジロソー〉と呼んだ。
この異常な特異性というのは、この民族が完全に途絶えてしまう数世紀前に、彼らの女性たちの骨盤と呼ばれるものが徐々に狭まってきたということだ。
狭まるスピードはどんどん上がって、この民族が完全に途絶える二世紀前にはすでに彼らの間では、予期せぬ受胎が起こり、そしていわば〈むやみやたらに〉成長したこの胎児を、その地での言い方によれば〈神の世界〉へと引き出すために、〈
シトリック〉と呼ばれる方法、つまり今日帝王切開と呼ばれている方法が用いられるようになっていたのだ。」
ベルゼバブがここまで話した時、宇宙船カルナック全体に行き渡っているエーテルに〈逆流〉あるいは〈攪乱〉と呼ばれるものが生じた。これはつまりカルナックの乗員が〈
ジャムジャムパル〉、つまり船の〈食堂〉に集まって定期的に第二と第一の存在食物を摂る合図であった。
そこでベルゼバブ、ハセイン、アフーンは会話を中断し、急いで
ジャムジャムパルヘと向かった。

第43章 人間が周期的に起こす相互破壊のプロセスに関するベルゼバブの概説、あるいは戦争についてのベルゼバブの見解

ベルゼバブとハセインとアフーンが〈
ジャムジャムパル〉から帰ってもとの場所に座ると、ハセインはまたベルゼバブの方を向いてこう言った。
「ねえ、お祖父様! 地球という惑星の三脳生物の生存プロセスに起こった様々なエピソードをあなたが詳しく話してくださったおかげで、彼らの精神が驚くほど奇妙であることについてははっきりした概念が生まれ、十分納得がいくように理解することができました。しかしそれにもかかわらず、つまり彼らの奇妙な精神を考慮に入れてもなお、どうしても理解できない、非論理的に思える問題が一つあるのです。私の思いはいつもこのわけのわからない問題に帰っていき、
ジャムジャムパルで聖餐を行なっている時も頭にこびりついて離れませんでした。
あなたの説明から、この三脳生物の生存プロセスに関して、はっきり理解できたのは次のことです。とりわけ
第三トランサパルニアン大変動の後、彼らは責任ある生存期間全体を通じて、主として完全に自動的な理性をもつようになった。しかしこの自動的な理性を使っても彼らはかなり頻繁かつ慎重に思考できるので、彼らの惑星上の自然の法則に関しては、多少なりとも正確なものをいろいろと発見し、それを利用して何かを発明するということまでやっている。
同時にこれと並行して、彼ら固有の特異性、すなわち周期的に互いの生存を破壊し合うことに没頭したいという欲求についての言及が、あなたのお話全体をまるで赤い糸のように貫いて走っています。
親愛なるお祖父様、ぼくがどうしても理解できないのは、彼らはこんなにも長期間生存しているにもかかわらず、自分たちのこの特異性の恐ろしさにどうしてまだ気づかないのか?ということなんです。
本当に彼らは、自分たちの行なうこのプロセスが、宇宙全体に存在しうる恐るべきことの中でも最も戦慄的なものだということに一度も気づいたことはないのですか? その恐ろしさに気づき、そしてそれを根絶する方法を見つけるために考えを巡らしたことは本当にないのですか?
お祖父様、どうしてこんなことがありうるのでしょう? 彼らの奇妙な精神全体を構成しているもののうち、いったいどの要素がこの特異性の原因になっているのですか? どうか教えてください。」
こう言うと再びハセインは、知りたいという欲求に目を輝かせて祖父を見た。
孫のこの要求に対して、ベルゼバブは〈申し訳なさそうな微笑〉とでもいったものを浮かべて彼をじっと見つめ、それから深いため息をつくとこう言った。
「ああ……かわいい坊や……
この特異性とそれから出てくる結果はすべて、彼らのあらゆる異常性と、いわゆる〈めちゃくちゃな論理〉の原因になっておる」
そして少し間を置いてからこう続けた。
「よろしい。前に一度約束したように、この問題がもっと明瞭になるように詳しく説明してあげよう。
その場合、もちろんのこと、おまえの能動的な思考活動が発達するように、わしの個人的な意見は述べずに、そのかわり、おまえがこの問題と論理的に対決し、その結果、この事柄に関するおまえ自身の意見を生み出すためのデータを結晶化するのに必要な材料が得られるように話すつもりだ。
ところでおまえは、彼らはいったい本当に自分たちのその傾向、明らかに恐るべきもので、全く彼らに固有のものであるその傾向について一度も考えたことがないのか?と尋ねたね。
もちろん彼らはこれに気づいているし、考えてもいる……
現に彼らの多くは実に頻繁にこれについて考え、その理性の自動性にもかかわらず、自分たちのこの特異性、つまり周期的に相互破壊を行なうという傾向は想像を絶する恐怖であり、どんな言葉でも表せないほどぞっとするものであることを十分に理解しておる。
それでいて残念なことに、これら三脳生物の熟考からはいかなる意味も生まれたためしがない。
それが意味をなさないのは、孤立した人間たちがそれぞれバラバラにこの問題を考えるためであると同時に、いつものことながら、統一した行動をとるための全惑星的な組織が欠如しているためでもある。だから、たとえもしこれら個々バラバラの人間たちがこの問題を熟考し、この恐怖に関して何か意味あることを発見したとしても、その発見は広まることはなく、他の人間たちの意識の中にまで入っていくことはないのだ。それに加えて、これらの人間たちがこれに似た問題について〈真剣に熟考する〉ことにはひどく物悲しいところがある。よく言っておくが、彼らの生存状態が異常な形で定着したために、彼ら一人一人の、地球でいうところの〈覚醒した精神〉は、責任ある存在となったそもそもの初めから徐々に変化し、ついには、彼らが〈真剣に考え〉、真実の光の中で物事を見ることができるのは、彼らの胃が第一存在食物でいっぱいになり、そのため胃の中のいわゆる〈遊走神経〉が働くことができない時、つまり彼ら流にいえば、〈完全に満腹〉の状態の時だけになってしまっておる。しかもおまけに、すでに彼らに固有のものとなり、その身体全体の支配的な要素となっている、三脳生物にはふさわしくない彼らのすべての欲求も、まさにそういった状態の時にだけ満たされるのだ。
誤って定着した状態のために、すべての人間が今言ったような満足を得る可能性をもっているわけではなく、またこれ以外の多くの理由で、彼らのほとんどは、どんなに望んでも、真剣に考えることも現実を見、感じることもできないのだ。それゆえこの惑星では、〈真剣に考える〉ことと〈現実を感じること〉は、すでにはるか以前から非常に稀な贅沢であり、ほとんどの者には接近不可能なことになっている。
そこではある一定の者たち、つまり〈重要人物〉とか権力者とか呼ばれている者たちだけが、欲求を腹いっぱいに満足させる可能性をもっているのだが、実をいえば、今話している悪を根絶するために、あるいは少なくともこれをある程度減少させるために何かできるのは、その地位ゆえに、まさにこの恐るべき人間たちだけなのだ
しかし自分の欲求を満たす可能性をもっているこれら〈重要人物〉や権力者たちは、今言った目的のために何かできるかもしれないのに、全く別の理由のために実際は何一つしようとはしない。
その根本的な原因は、彼らの通常の生存プロセスに根をおろしたある一つの有害な手段から生じてくるのだが、彼らはこの手段を〈教育〉と呼んでおる。
この有害な手段はすべての若者に、彼らがまだ準備段階にある時に適用されるが、なかでもとりわけ、将来ほぼ間違いなく権力者になるであろう若者たちにはいたるところで適用されている。
さてそんなわけで、ほぼ間違いなく権力者になるこれらの若者たちは、責任ある年齢になり、責任ある義務を担うようになっても、もちろん〈論理的考察〉と呼ばれるものをするための土台など全くもっていない。なぜかというと、彼らは、大自然があらかじめ用意してくれた時間を、有意義で責任ある生存の土台を自分たちの中に築くという目的のためだけに使わず、逆に、あの栄光ある彼らの教育の結果全体から生じる特質を伸ばすことに浪費しているからである。一般的にいってこの教育というやつは、どうやったら自分を〈自己沈静〉と呼ばれるものにすっかり身をまかせられるかを指導してくれるのだ
この異常な教育のせいで、彼らが実際に役立つことを考察したり実行したりするのを可能にしてくれるようなものは何一つ彼らの体内に結晶化せず、そればかりか、この異常な教育のために、あの偉大なる天使、今ではもう大天使となっている
ルーイソスが作り出した、彼らにとっては呪われた器官であるクンダバファーの特性の様々な結果が次第に彼らの体内に形成され、有機的機能の一部となってしまい、しかも遺伝によって代々受け継がれて、今ではこれら不幸な者たちの精神の中に確固として結晶化しておる。
彼らの中に形成されたこの器官の諸結果は、現在では〈エゴイズム〉〈偏見〉〈虚栄心〉〈自己愛〉等々の名称で呼ばれている。
こういった権力者や重要人物に対して、われらが賢明なるムラー・ナスレッディンはおもしろい定義を下している。それはこういうものだ。
『こういった連中の重要度は、ただ彼らのもっているウオノメの数にだけ比例しておる』
そんなわけでだな、坊や……
おまえの惑星のこういった三脳生物、とりわけ現代の、たらふく食えて、他の欲求もすべて十分に満たす手段ももっており、しかも彼らの惑星にはびこるこの顕著な悪に対して何らかの戦いを挑める者たち、こういった連中がたらふく食い、他の欲求も満たして、さて、当地でいうところの〈腹ごなし〉に〈柔らかい英国の寝椅子〉なるものに寝そべる。こんな時間は真剣な考察にうってつけなのに、彼らはこの絶好の状態を活用しようとはせず、ただあの悪しき自己沈静に浸りきるのだ。
宇宙のすべての三脳生物は思考活動のプロセスをもたないで生存することはできず、当然おまえのお気に入りの惑星の三脳生物も例外ではない。同時におまえのお気に入りたちは、彼らの内なる〈邪神・自己沈静〉に好きなだけ浸れる可能性を持ちたいという欲求も持っている。それが為に彼らは徐々に、非常に効率的に、自分自身が一切存在努力をしなくてすむような完全に自動的な一種の思考に自分を慣らしてしまったのだ。
公平を期すために言っておかなくてはならないが、彼らはこの点では完璧の域に達しておる。そして今では、彼らの思考は身体のいかなる部分とも意図的な関わりを持つことなく、あちらこちらを彷徨っておる。
例えば、この地球の重要人物や権力者たちがたらふく食って満ち足りて、例の寝椅子に寝そべると、彼らの連想的思考は(これは必然的に流れるべきものだが)胃と性器の反射運動からショックを受けて、彼らの言葉によれば、〈心が満ち足りるように〉好き放題あちこちを彷徨うのだが、それは全く自由気ままなもので、まるで彼らの思考が〈夕闇の中、パリのキャプシーヌ大通りをぶらついている〉かのような有様だ。
おまえの惑星のこういった権力者たちが柔らかい寝椅子に寝そべると、次のような考えがとりとめもなくひとりでに湧いてくる。
例えば、『知り合いのジョン・スミスが何日か前に、おれの〈好きな〉女性を右目ではなく左目で見ていたが、あれにどうやって復讐してやろうか』などという考えが浮かんでくる。
あるいは、この〈腹ごなしをしている〉地球の権力者もしくは重要人物はこんなことを考える。『どうして昨日のレースでおれの馬は予想通り一着にならなかったんだろう』
あるいは、『どうしてあんな価値もない株が市場で毎日値上がりしているんだろう』。
あるいはこんなことまで考える。『もしおれが、ハエの骨から象牙を作るためにハエを養殖する新しい方法を考案したジョン・スミスだったら、それから上がる利益であれもするしこれもするだろう。かいば桶の中の犬のようなあのいじわるの阿呆のように、自分も食べないが他人にも食べさせないなんてことは絶対にしやしない』等々、まあこれと似たようなことを考えるのだ。
ただし時には、地球のある権力者や重要人物が、突然、胃や性器の反射運動の影響を受けずに、特に地球上の例の恐るべき問題に関連したあれこれの問題を真剣に、極めて真剣に考えはじめるということもないことはない。
しかしこういった権力者の真剣な考察というやつは、ほとんどの場合、次のような外部からの偶発的な原因によって極めて自動的に起こる。例えば、今話題にしている彼らが引き起こすプロセスのうち、最も近年のものが進行している最中に、彼に非常に身近な者がその生存を暴力によって停止させられたとか、あるいは誰かが彼をひどく傷つけたとか、あるいは誰かにとても親切にしてもらうとか、全く予期していなかったようなものをもらうとかして感情を動かされた時、あるいは自分の生存の最期が近づいてくるのを心底感じたりした時などにだけ起こるのだ。
そしてこんな場合、つまり権力をもつ者が自分の惑星で生じるこの顕著な悪について真剣に考えるようになると、決まって彼らはこれに猛烈に熱中し、おまけに、そんな状態に陥るから当然ながら、この増大しつつある悪を根絶するために必要なことはすべて、いかなる犠牲を払ってでも遂行することを誓うのだ。
ところがまさにここに問題がひそんでいる。というのも、この真剣に熱中していた連中の胃が空っぽになったり、あるいは今言ったような外部からの影響で生じた印象が少しばかり薄らぐや、たちまち彼らは以前の誓いを忘れ、いやそれどころか、彼ら自身が、共同体の間でこういったプロセスが起こる原因となるようなことを、意識的にであれ無意識的にであれ、再びやるようになるからだ。
一般的にいって、これら権力者や重要人物たちは、大自然が予知している時間を立派な責任ある存在になるために使おうとはしない。主としてそれゆえに、彼らが責任ある存在として生存している間も、それもいわゆる目覚めた状態においてさえ、常に様々な連想が彼らの体内に自動的に流れ続け、その結果、彼ら自身何の個人的な意図もなく、あるいは時には半意図的に、次の相互破壊プロセスが早く起こるようなことをあれこれやるばかりか、そのプロセスができるだけ大規模なものになればいいとさえ願ったりするのだ
彼らの異常な精神の中ではなぜこんなとんでもないことが起こるのかというと、彼らはこのプロセスから、彼ら個人、あるいは近親の者の利己的な利益を引き出そうと思っているからだ。つまり彼らの退化した思考活動によれば、このプロセスの規模が大きければ大きいほど、自分やまわりの者が手に入れる利益も大きくなるように思えるのだ
とはいえ坊や。ほんの時たまにだが、おまえのお気に入りたちの中のある権力者や重要人物が寄り集まり、この邪悪な中でも最も邪悪な彼らの特性を根絶しうる方法を協力して見つけ出し、これを実行に移すことを目的として特別な協会を設立するということもある。
ちょうどわしがあの太陽系を永久に離れようとしていた時にも、おまえのお気に入りの惑星ではまたしてもそのような協会を設立しようということがやかましく議論されており、どうやら彼らはその新しい協会を〈国際連盟〉と名づけようとしているらしかった。
〈またしても〉と言ったのは、彼らはもうそれまでに何度も似たような協会を設立していたが、それらはみな結局のところいつも同じように奇妙な形で、つまり〈死の苦しみ〉を全く味わうことなく消滅してしまったからだ。
わしはこの種の協会が最初にできた時のことをはっきり覚えておる。それはティクリアミッシュ国のサモニクスという町で、当時この国はこの奇妙な三脳生物のいる惑星全体の文化の中心地と考えられておった。
アジア大陸のほとんどの共同体の、普通の人間たちの間から出てきた重要人物たちは、この時初めて、〈相互破壊のプロセス〉の原因となるようなことはアジアの共同体の間では一切起こらないようにしようという合意に達すべく、ある場所に集まった。
この協会は次のようなモットーを掲げていた。すなわち、『神は人間の血が流されないところにおられる』。
ところがそこに集まった通常の重要人物や権力者たちは、みな利己的で虚栄心に満ちた目的をもっていたために、すぐに仲間割れして、何一つ達成しないままそれぞれの国に帰っていった。
ティクリアミッシュが存在していた頃から数えて数世紀後、同じアジア大陸に似たような協会が、今度は〈モンゴルプランズーラ〉という国に出現した。
この会のモットーは、『互いに愛し合いなさい。そうすれば神はあなたを愛してくださるでしょう』というものであった。
しかしこの協会も同じ理由から、何ら効果的な結果を生み出さないまま、同じような形で消えてしまった。
その後再び彼らは同様の協会を作ったが、今回は現在エジプトと呼ばれている国で、この協会は次のようなモットーの下に設立された。
『もしあなたがノミを造り出せるようになれば、その時には人間を殺すという大それたことをあえてやってもよろしい』
さらにその後、同様の協会が〈ペルシア〉という国に誕生して次のようなモットーを掲げた。
『人間はみな神聖である。しかしもしただの一人でも暴力によって他人に殺されるなら、すべての者は無同然になる』
この最後のものの設立はつい最近、つまり彼らの数え方でほんの四、五世紀前のことで、この似たような協会は、これもアジア大陸の、どうやら〈モスロポリス〉と呼ばれていた町に設立されたようだが、誕生時にはこの協会は〈地球はすべての生物に等しく開放されている〉と呼ばれていた。
しかしまもなくメンバーの間に論争が起こって協会の名称は変更され、その存在を終える時には〈地球は人間だけのものでなくてはならない〉と呼ばれていた。
この最後の協会、すなわち〈地球はすべての生物に等しく開放されている〉という協会のメンバーは、何か効果的なものを達成できたかもしれない。というのも、まず彼らは、目標を支える土台として実現可能なプログラムを据えており、また彼らはみな、一人の例外もなく年老いた高貴な人間たちであり、ということはつまり、この惑星に生存している間に多大の経験を積み、その結果、この惑星上の生存が一般に与えてくれるものすべてに幻滅していたからだ。
そのため彼らは、同種の協会がすべて挫折する原因となった利己的で虚栄心に満ちた特性をそれほどにはもっていなかった。
それにもまして、この協会が何か有効なものを生み出せたのではないかと考える大きな理由は、その中にただの一人の権力者もいなかったことだ。というのも、権力者という連中はみな利己的な虚栄心を満足させるという目的をもっており、そのため彼らは、たまたまメンバーになった汎惑星的な性格の協会がそれまで達成していたものをことごとく、遅かれ早かれ、ムラー・ナスレッディンのかの有名なブタどもにくれてやり(それもただくれてやるのではなく、〈音楽の伴奏つき〉なのだが)そしてそのブタどもは、いわゆる〈客間の作法〉などおかまいなしに、それを全部むさぼり食ってしまうのだ。
これら地球の権力者や重要人物、とりわけ現代のそういった連中は、時には、つまり自分や自分と同じ階級の人間たちがかなりの個人的利益を期待できそうなこの種の国内の結社については、妨害しないこともある。
このような協会の仕事からは、階級の区別なくこの惑星のすべての住民にとって良い結果が得られることもあったが、協会の仕事が困難に突き当たると、あるいはいわゆる難題がもち上がると、地球の権力者たちはたちまちこの仕事が嫌になってしまい、その結果、このことが口にされたり、あるいは連想で思い出したりすると、彼らの顔にはさっと殉教者の表情が現れるのだ。
〈地球はすべての生物に等しく開放されている〉と呼ばれた協会のメンバーは、このとてつもない惑星をほとんど常に支配している条件の中で、この目的のためにできるかぎりのことをやったが、しかし結局のところ彼らの努力からは、やはり以前と同様いかなる成果も得られなかった。その理由についてはもう少し後で詳しく話してやろう。というのは、この協会、すなわち彼らに植えつけられた最も邪悪な特性を根絶しようと、あるいは少なくとも弱めようという目的でおまえのお気に入りたちが結成したこの協会に関する情報は、やはりおまえが彼らの精神全般の奇妙さを解明する上で示唆に富むものであると同時に、この恐るべき相互破壊のプロセスが彼らの間で進行する主要かつ客観的な原因をある程度理解する上で役に立つ材料を提供してくれるからだ。
さて、ちょっと前に話した現代の協会、すなわち彼らの惑星のこの恐るべきプロセスを完全に廃止する方法を協力して見つけ、それにふさわしい手段を実行するという目的のために三脳生物が設立した、国際連盟と呼ばれるであろう(あるいはすでにそう呼ばれている)協会について、もしわしの率直な意見が聞きたいのであれば、わしは確信をもってこう言おう。今回もまた何一つ効果的なものは生まれはせんだろう。そう言うのには2つの理由がある。
第一の理由はわしの話の最後にはっきりするだろう。第二の理由は、この特性が惑星地球の三脳生物の中に、いわばその〈血と肉〉にまで染みこんでいるからだ。
この惑星の前の時代の人間たちは、責任ある存在になる過程で、自らの存在に関しては、少なくともいわゆる〈自己想起〉と呼ばれるものができるようになっていたが、その彼らでさえ何一つ成し遂げることはできなかった。だからましてや、この現代の協会の人間たちがもっているような理性で、あるいは存在という点に関しては、われらが敬愛するムラー・ナスレッディンが、『ほら、ほら、見てごらん。この子はもうパパとママが見分けられるんだよ!』という言葉で表現している程度の段階にしか達していない彼らが、何か効果的なことをしたり、発案したり実現したりできるわけがないだろう。しかし同時に次のことも言っておかねばなるまい。この現代の協会のメンバー、あるいは将来メンバーになる現代の重要人物や権力者たちは、個人的には、この新たなでっちあげによって、〈最も目を見張るべき〉、そして〈最も有効な〉成果を手に入れたのだ。どういうことかというと、彼らはこの〈公的な協会〉のおかげで、彼らをいわゆる〈支配している女性〉、つまりこれら現代の権力者たちにとっては〈妻〉であったり〈愛人〉あるいは〈義母〉であったり、あるいはある大きな店の〈助手〉であったりする、こういった女性をごまかす格好の口実をもう一つ手に入れたということだ。
つまり彼らは、この新しい公的な協会のおかげで、自分と同類の重要人物や権力者の友人たちと平安のうちに時を過ごす機会を獲得したのだ。言いかえれば、この重要な公的協会の目的といかにも関係ありそうな行事を公務ということでわざと〈五時〉に設定し、そうすることで彼らの〈支配女性〉の黙りこくった恐ろしげな眼差しや監視から逃れて時を過ごすことができるというわけだ。
権力者たちのこの種の協会は大抵、巨大な相互破壊プロセスが最終段階に入った頃に結成される。そしてほとんどの場合、次のような形で誕生する。
権力者たちの多くは、一番最近の相互破壊プロセスで個人的にきわめて〈重大なる損失〉を被り、その〈出来事の惰性〉が彼らの体内ではいまだ止まっておらず、そのため彼らの精神の全体的な作用の中にある一定の組み合わせが生じる。つまり彼らの潜在意識の中にひそんでいる、〈良心〉と呼ばれる衝動を生み出すデータが、おのずと彼らの〈自動的意識〉の働き(これははるか昔から彼らの習癖になっているが)に関与するようになる。
言いかえれぱ、あの最も聖なるアシアタ・シーマッシュが、この不幸な惑星のすべての三脳生物がもつことを夢みたその組み合わせが彼らの精神全体の中に生まれるのだ。
そういうわけでだな、坊や。今言ったことから、こういう権力者たちが寄り集まって彼ら自身がもっているこの恐るべき特性について盛んに議論を始めると、彼らは次第にこれをほぼ正しい光の下で見るようになり、その結果、彼らの惑星で進行しているこのぞっとするような恐怖を根絶するためにできるかぎりのことをしたいという、本当に心からの欲求が生じるのだ。
そこで、もしこういったいわば〈良心を回復した〉権力者たちが偶然何人か集まり、長期間相互に影響を及ぼし合って、ほぼ正しい光の下で現実を見、感じるようになれば、彼らはこの心からの欲求を実現するための様々な可能性を協力して探し始めるのだ。
この種の協会はみな、大抵こんな具合に始まったのだ。
これらの権力者たちはもしかしたら何らかの良い結果をもたらすかもしれない。しかし実はここに落とし穴が待ちかまえている。つまり大抵の場合、別の重要人物や権力者たちがまもなくこの協会に加わり、口出しを始めるのだ。
彼らがこの協会に参加して仕事に携わるのは、良心が咎めるからではない。いやいや、とんでもない。彼らは、例によって異常に形成された通常の生存状態に従って、重要人物あるいは権力者であるからには当然すべての〈重要な〉協会のメンバーでなくてはならないという、ただそれだけの理由で加わるのだ。
一般的にいって、こういった重要人物ないしは権力者がこれらの協会に参加して仕事を始めるとたちまち、虚栄に満ちた利己的な目的のために、〈良心を取り戻した〉人間たちが成し遂げてきたことをすべて、いわば〈煙突から煙が消えていくように〉台無しにし、そればかりかすぐに、これも彼ら流にいえば、〈これらの協会の創始者たちが始めたことを徹底的に邪魔〉し始めるのだ。
そんなわけで、惑星全体の幸福のために作られたこれらの協会はたちまち消滅してしまう。しかも、前に言ったように、〈死の苦しみ〉もなしに死滅してしまうのだ。
重要人物たちが実に効果的に成し遂げたこうした結果を、われらの尊敬するムラー・ナスレッディンはいみじくもこう言い表しておる。
『過去の経験は我々に、カラバキアのロバは絶対にナイチンゲールのようには歌わないし、また本物のシューシューニアン・アザミをガツガツ食べるのをやめることも決してないということを教えておる』
ついでにこのことも知っておいていいだろう。わしはこの地球という惑星を長年注意深く観察してきたが、大衆が幸福に生存できる手段を協力して作ろうという目的で結成されたこういった協会には(この種の協会は今も時おり偶発的に生まれるが)前にも言ったように、自己完成という目的をもって忍耐強い努力を重ねた結果多少とも客観理性を達成した人間は、ただの一人も加わった試しがないのだ
最後の滞在の時に観察してみた結果、客観理性をもった人間たちがこういった協会に加わらないのは次のような理由からだということが判明した。
要するに、どんな協会でも、それに加わるには必ず重要人物でなくてはならず、またそういう人間だけが、これも例によって異常な生存状態のために、多額の金をもっているか、あるいは他の人間たちの間でいわゆる〈有名〉になっている。
特に近年では、あの聖なる機能、つまり〈良心〉というものが完全に欠如している者たちだけが有名になり重要人物になる。そして、人間の中のこの聖なる機能は、一般的にいって常に、客観理性を表すものすべて、及び客観理性そのものと関連しており、それゆえ当然、この客観理性をもった三脳生物は常に良心も持っており、その結果、良心をもった人間は決して〈重要〉人物にはならないのだ

そういうわけで、
純粋理性をもった人間には、重要人物や権力者たちが作った協会に加わる可能性は全くないし、これからも絶対にないだろう
地球で起こっているこの問題について、我らが敬愛するムラー・ナスレッディンはかつてこう言ったことがある。
『罰の中で最高のものはこれじゃ。尻尾を引っぱればたてがみがひっかかるし、たてがみを引っぱると尻尾がひっかかる』
過去のことはともかくとして、前に言ったように、おまえのお気に入りたちは現在再び、器官クンダバファーの特性の諸結果と同じように強く固着し、彼ら固有のものとなっているこの恐るべき特性を根絶する方策を見つけようとしておる。
そしてもちろん、現在の協会、国際連盟のメンバーも、昔の人間たちがやったのと同じように、あらゆる種類の規則や契約を作ってこれを根絶しようと頑張っておるが、わしの見るところでは、このやり方で何か〈効果的〉なものを達成するのは今では完全に不可能だ。
現代のおまえのお気に入りたちが考案したこういったものから何かましなものが、いや何かすごいものさえ出てくるかもしれないが、しかしそれは、彼らが必然的に生み出す新聞とか応接間の会話とか、それにもちろん、〈相場詐欺師〉と呼ばれる連中のあれやこれやの
ハスナムス的手練手管などに役立つにすぎない。
この恐るべき悪に関する現状はこうだ。つまり、すでに彼らの血と肉の中に染みこんでいるこのおぞましい特性をこの惑星の表面から完全に根絶することは、ただ彼らの哀れな理性にとって無意味な仕事だというだけでなく、全般的にいってほとんど不可能になっている。
とはいえ坊や。たしかに彼ら、つまり現代の汎惑星的協会である国際連盟に加わっている人間たちには、責任ある年齢に達した三脳生物なら当然もっているべき公平無私な理性は欠如してはいるが、それでももし彼らが自分たちの力量の範囲内でこの問題を解決することに専念するならば、自分たちが定めた目標に対して何らかの積極的な成果を達成することもできなくはないだろう。
しかしわしは彼らのいわゆる〈やり方〉を知っておるから、これからも彼らは自分たちに理解できる範囲内の問題に専念することはないと、確信をもって言うことができる。
つまり彼らは、この相互破壊のプロセスを直ちに、そして永久に停止させるというとてつもない目標に向かってあらゆることをやろうとし、現にやるだろう。
実際、もし彼らが全存在をもってこのプロセスのもつ客観的な恐怖の全貌をはっきりと認識し、一致団結して彼らの惑星からこの悪を一掃しようと心底望むならば、彼らは否が応でもこの問題の核心にふれざるをえず、そうなれば、何百世紀という時を経て自分たちの精神に刻みこまれたこの固有性は、数十年くらいの時間で消滅することなどありえないということを理解するだろう。
もしこのことを理解すれば、彼らもこういった方向で同時代人の幸福を達成しようなどとはせずに、未来の世代の人間たちだけを念頭に置いて方向を定め、それに向かって自分たちの注意と力と可能性とを使おうとするだろう。
例えば、偉そうな大ぼらを吹いて、このプロセスを直ちに完全に停止させるなどという大それた目標に向かって、彼ら流にいえば〈ドン・キホーテ的に〉突進するかわりに、彼らの通常の生存プロセスに固着した2つの美徳の観念に対する確信を根絶することに専念するだろう。その2つとは、まずこのプロセスに加わったある特定の人間を〈英雄〉などと呼んで賞揚し、いわゆる〈勲章〉なるものを贈って名誉を与えることであり、もう一つは、数ある〈
ハスナムス的科学〉の中でもとりわけあっぱれな〈科学〉に対する観念だ。ニキビ面の人間どもがでっちあげたこの〈科学〉たるや、恥ずかしげもなくこう断言しておる。つまり、周期的な相互破壊は地球にとって実は必要なもので、もしこれがないと、地球上には耐え難いほどの人口過剰が出現し、その結果経済恐慌が起こって、人間たちはお互いを食い合うようになるだろう、とな
もし彼らが、異常な通常の生存プロセスにしっかりと根をおろしたこの2つの慣習と観念を根絶することができれば、まず第一のものを廃止することによって、成長しつつある世代の精神をある特殊な性質に従属しがちな傾向へと導く〈自動的要素〉の大部分を永久に根絶できるだろう。つまりこの特殊な性質というのは、今話題にしているプロセスの期間中に彼らが必ずある状態に陥るその原因となるものだ。また第二のものを廃すれば、次のことが実現する上で大きな助けとなるだろう。すなわち、それでなくても、地球上では沢山の白痴的な考えがしょっちゅう生じ、何か合法則的で疑う余地のない〈あるもの〉として代々伝えられているが、その中の少なくとも一つでも将来の人間たちに伝わらないようにするということだ。実際これらの考えはすべて、我らの
大メガロコスモスの三脳生物にはふさわしくない特性が彼らの体内に形成される原因の一つとなっているが、その中には彼らにのみ固有の特性があり、それが彼らの体内に〈神性の存在に対する疑い〉さえ生み出しているのだ。そして主としてこの疑いを抱いているがために、彼らの体内では、すべての三脳生物の体内で必ず凝固しなくてはならないデータが凝固する可能性は全くなくなってしまっておる。そしてこのデータこそが、ある種の宇宙的真理に対する衝動、つまり〈本能的知覚〉と呼ばれる衝動を彼らの体内に生み出すのであり、しかもこの真理は、宇宙のあらゆるところに生息している一センターおよび二センター生物でさえ常に感じ取っているものなのだ。
ところが、おまえのお気に入りたちの中の普通の者たちにとって不幸なことには、これら惑星中から集まった権力者や重要人物たちは、こんな問題に専念しては自分たちの威厳にかかわると考えて、真剣に取り組もうとはしないのだ。
これほど〈重要な〉協会のこれほど〈重要な〉メンバーがこれほど取るに足りない問題に取り組むとは! 全くあきれたよ! というわけだ。
一般的にいって、個々の表現行為のためのあらゆる種類のデータは、おまえの興味を引いているこの三脳生物のほとんど、とりわけ現代の彼らの中では全く結晶化しなくなっており、そのため彼らは
器官クンダバファーの特性の諸結果が命じるとおりに行動する。その結果、彼らは自分の理性と力量の範囲内のことに取り組むのは嫌がり、逆に自分たちの理性とは比較にならないくらい高度な問題だけに専念しておる。
彼らのこの奇妙な精神の〈特性〉ゆえに、もう一つの独特かつ最高度に奇妙な〈精神的・有機体的欲求〉が、過去20世紀のうちに彼らの体内に形成されてきた。
この精神的・有機体的欲求が外部に現れると、彼らはみんな必ず、彼ら流にいえば〈他人に分別を説きたがる〉、あるいは〈他人を正しい方向に導きたがる〉ようになる。
実をいうとだな、坊や。一人の例外もなく彼らがみな生来もっている性格のこの実に珍しい側面について話しているうちに、いい考えが浮かんできた。つまりここで彼らの奇妙な精神について説明し、そして、我らが古きよき仲間であるアフーンが、前にわしが現代の地球のご立派な〈芸術〉について話した後でしてくれたのと同じようなアドバイスをしておこうと思うのだ。
彼はあの時こう言ったはずだ。もしおまえが何らかの理由で惑星地球に滞在してこの奇妙な三脳生物と過ごすことがあるならば、〈芸術の代表者〉と呼ばれているある特定のタイプの人間たちを怒らせないようにし、彼らの中に〈過激な〉敵を作らないように特に気をつけなくてはならない、とな。
同時にアフーンは、彼らの自己愛とか自尊心とか虚栄心、その他多くの弱点を念頭に置いて、どんな場合に彼らのどの特性を特に、彼の言葉を借りれば、〈くすぐら〉なければならないかを教えてくれた。
それに彼はまた、彼らと仲良くして、いつでもどこでもおまえのことをよく言わせたり褒めさせたりするためには、彼らとどんなことを、どんなふうに話さなくてはならないかについても詳しく説明してくれた。
彼のこうした助言に関しては、わしは何一つ否定するつもりはない。彼が話したタイプに関しては全く理想的な助言だ。
実際、この現代の芸術の代表者たちは、われらが親愛なるアフーンが列挙した特性を十分に具えており、だから事あるごとにこれらの特性を〈くすぐって〉やると、彼らは本当におまえを〈崇拝し〉、いつでも何かにつけて、その地で〈
アスクライアン奴隷〉と呼ばれている者たちに劣らぬ態度でおまえに接してくれるだろう。
彼のこの助言はたしかに素晴らしいものだし、彼らの間に生存するには欠かせないものではあるが、わし個人としてはこれがおまえにとって実用的であるとは思わない。なぜかというと、まず第一に、地球の人間たち全部が芸術の代表者たちと同様だというわけではないので、この助言は彼ら全般には当てはまらないということ。第二に、こんなに沢山の助言をいつも覚えておいて、そのつど立ち止まっては、この時にはいったいどの弱点を〈くすぐら〉なくてはならないかを思い出すのは、おまえにとっても不便だからだ。
そこでわしはおまえに、彼らの精神の大きな〈秘密〉を一つ教えてやろう。これは、活用方法さえ知っていれば、彼らすべての表現行為の中にアフーンが話したのと全く同じ効果を引き起こす特性だ。
この特性を利用して彼らに働きかけるならば、彼らと非常に仲良くなれるばかりか、彼らの精神のこの〈秘密〉を知っているおまえは、もしお望みとあらば、この地で必要となる〈お金〉に関して平安かつ至福の生存が約束されると同時に、その他様々な便宜、つまりその見事な味わいと至福感を我らが親愛なる師が〈バラよ、バラよ〉と表現した便宜を完全に保証されるだろう。坊や。もちろんおまえにはもう、わしの言う彼らの精神の秘密というのが、例の〈他人に分別を説きたがる〉、あるいは〈他人を正しい方向に導きたがる〉という〈精神的・有機体的欲求〉であることは察しがついただろう。
彼らの精神の中に形成されたこの特殊な性質は、もちろん例のごとく不断の異常な生存状態のために、彼らが責任ある年齢に達する頃にはすでに、彼らの身体の切り離せない一部となっている。
誰も彼も一人の例外もなく、老若男女、いやそれどころか、いわゆる〈月足らずで生まれた者〉まで、この〈精神的・有機体的欲求〉をもっておる。
今言った彼らの〈独特の欲求〉は、実は彼らのもう一つの特殊な性質から生じるのだが、この性質というのは、彼らが〈濡れた状態〉と〈乾いた状態〉を区別する能力を獲得した瞬間から、この獲得に狂喜するあまり、自分自身の異常や欠点を見ることは永久に停止して、逆に他人の異常や欠点だけを見るようになるという性質にほかならない
今ではもうおまえのお気に入りたちはみな、いつも他人に教えることに慣れっこになっていて、自分では考えたこともないような考えまで教えている始末だ。実におかしなことに、他人が彼の教えを聞こうとしなければ、いや少なくとも聞きたいというふりをしなければ、彼は腹を立て、心底憤慨するが、逆に彼から〈分別〉を学ぼうとすれば、あるいはとても学びたいというふりをしさえすれば、彼は彼らを〈愛し〉、〈尊敬する〉ばかりか、心から満足し、喜びを感じるのだ。はっきり言っておくが、おまえのお気に入りたちが悪意や非難を交えずに他人のことを話せるのはこういう時だけだ。
そういうわけでだな、坊や……
もしおまえが何かのことで彼らの間に滞在しなくてはならなくなれば、常に忘れずに彼らから何かを学びたいというふりをしなさい。子供たちに対しても同じように振る舞えば、彼らと仲良くなれるだけでなく、その家族全員もおまえを尊敬に値する友人として扱ってくれるだろう。
次のこともよく覚えておきなさい。彼らは誰でも、たとえその本質はどんなに取るに足りない者でも、この独特の性質から生じる自己欺瞞のために、他人の行動や振る舞いが彼自身の主観的な見方とはっきり対立する時には特に、彼らの行動や振る舞いを侮蔑の念をもって見下すのだ。こんな時には、さっきも言ったように、彼らは心底憤慨する。
次のことも言っておいたほうがいいだろう。まわりの者の欠点にいつも腹を立てるというおまえのお気に入りたちの特性のせいで、それでなくても異常で堕落している彼らの生存は、客観的に見て耐え難いものになっている。
この絶えまない憤慨ゆえに、この不幸な者たちの通常の生存には常に、不毛ないわゆる〈道徳的苦悩〉なるものがつきまとい、そして一般にこの不毛な道徳的苦悩は惰性によって長い間彼らの精神に、いわば〈
セムゼキオナリーな〉、あるいはこの惑星の言葉を借りれば、〈気を滅入らせるような〉影響を与え続ける。つまりはっきりいえば、彼らはついには、もちろん彼らの意識は一切関与しないまま、〈インストルアルネス的〉に、すなわち彼ら流にいえば〈神経質〉になってしまうのだ。
それで彼らは、通常の生存プロセスにおいて、いやそればかりか、この〈
インストルアルネス〉あるいは〈神経質〉を引き起こした原因とは何の関係もない表現行為においても、完全に〈コントロールを失ってしまう〉のだ。
まさに彼らのこの特性、つまり〈他人の欠点に腹を立てる〉という特性のために、彼らの生存は次第に極度に悲喜劇的なものになってきておる。
例えば一足歩くごとにおまえは次のような光景に出くわすだろう。
これらの奇形児たちは、〈教育〉という名で存在している例の有害な手段のおかげで、子供の頃から少しずついわゆる外側の仮面を身につけることを覚え、それによって自分の本当の、内的あるいは外的な取るに足りない価値を他人からうまく隠しおおせていた。しかしひとたびこの仮面を失うと、自動的に、こちらが恥ずかしくなるほど他人の奴隷となる。あるいは彼らの言い方を借りれば、あらゆる内的な経験に関して完全に他人の言いなりになる。例えば〈妻〉や〈愛人〉、あるいはそれに類する誰かに何かのことで自分の内的な無価値さを知られ、その結果その者に対してはもうそんな人工的な仮面をつけるのをやめると、途端に彼らの言いなりになるのだ。
実際、こういう他人の影響下にある人間こそが、一般的にいって、彼らの惑星の誰よりも他人に対して腹を立てる。例えば、何らかの理由で何万人もの人口をかかえる共同体をうまく統治できない王様に腹を立て、よき〈政府〉を作るには何をなすべきかを詳しく説明した様々な手引書を作ったりするのは、大抵こういった他人の言いなりになる輩なのだ。
あるいは、この奇妙な惑星の現代の人間たちの心は、例えばネズミがそばを通りすぎただけでも、彼ら流にいえば、怖くて〈クツの中に逃げこんでしまう〉のだが、こういった連中の一人が、誰それが虎に出会った時に少し尻ごみしたという話を耳にすると、この〈英雄〉は内心彼に対してひどく腹を立て、友だちと話をする時には必ず〈口角泡を飛ばして〉彼を非難し、虎〈ごとき〉に恐れをなすとはとんでもないろくでなしの〈憶病者〉だと断定してしまうのだ。
そこで、こういった〈ネズミなどにはビクともしない英雄〉たちは、再び虎とかそれに似た動物に会った時には何をいかにすべきか、あるいは何をすべきでないかについて様々な本や手引書を書き上げるのだ。
さらにこんなこともある。彼らの中には、いわゆる〈持病〉というやつをしこたまもっていて、そのために何週間もの間胃の調子が悪く、それで身体中に様々な悪性の吹き出物ができるといったことに日夜苦しんでいる者がいる。つまり一口でいえば、その惑星に存在するあらゆる病気を一身に具えた〈歩く解剖博物館〉とでもいうような連中だ。そしてこんなやつに限って、誰かが不注意に、そう、風邪でもひくと、誰よりも腹を立てるのだ。
こういった歩く解剖博物館たちは決まって、権威者然として他人に風邪の治し方を教えたりする。おまけにそういうやつに限っていろんな病気についての本や便覧を書いては、予防法や治療法を詳しく説明したりするのだ。
この種の気違い沙汰にはしょっちゅう出くわす。例えばある者は、彼をよくかむ〈ノミ〉と呼ばれる通常の小さな生物がどんなものであるかこれっぽっちも知らないのに、その彼が〈巨大な本〉を書いて、あるいは特別にいわゆる〈公開講座〉なるものを開いて、歴史上のノーカンという王様をかんで首をふくれ上がらせたノミの左の手のひらには、〈異常な形状の、異様なまでに深紅色のできもの〉ができていた、などと公言したりする。
さてそこで、もしこのノミの専門家が、今話したノミの〈深紅色のできもの〉について分厚い本を書いたり公開講座を開いたりした際、もし誰かが彼の言うことを信じなかったり、あるいは面と向かって疑いを表明したりすると、彼はただ気を悪くするだけではすまなくて、心底腹を立ててしまう。なぜ腹を立てるかというと、この誰かさんは、この〈専門家〉が伝えようとした〈真実〉をまだ聞いたこともないほどのとんでもない〈馬鹿者〉だからだ。
こうしたことがあるために、おまえの惑星では、この奇妙な三脳生物がいるところならどこでもこの種の出来事に遭遇する。だから、もしこの惑星の普通の人間が本当に自分の知覚したものを理解し、研究するつもりであれば、こういった出来事を観察し、研究するだけでも客観科学のあらゆる分野において多くのことが学べるだろう。
おまえのお気に入りたちがもっている驚くほど奇妙な欲求、すなわち苦しみたくないという欲求を満足させるためには、彼らは常に自分の教えの〈犠牲者〉を少なくとも一人はもっていなくてはならんが、彼らの中でも特に、何らかの理由でその表現行為において他人に対する権威を獲得し、その習慣が増長した結果恐ろしく厚かましくなった人間たちは、その欲求もふくれあがり、いつもたくさんの〈犠牲者〉を要求するようになっておる。
実のところ、坊や。おまえが彼らの間に滞在して、彼らの馬鹿げた表現行為を自分の目で見ることがあれば、いくら彼らの愚かさの原因はよく知っていても、それでもなおかつ内心では、彼ら流にいえば、〈笑わ〉ずにはおれんだろうが、しかし同時に、おまえの存在全体でもってこの不幸な者たちに憐みを感じるようになり、〈内心の笑い〉に徐々に〈
本質的なパルナッソーリアン悲哀〉と呼ばれるものが混じってくることだろう。
三センター生物の精神のこの特性がとりわけ強く発達しているのは、〈インテリゲンチャ〉と呼ばれる階層に属する人間たちだ。
このインテリゲンチャという言葉それ自体は、我々が〈自分の中の力〉という言葉で意味する観念にだいたい相当している。
地球でもインテリゲンチャという言葉は本質的にはこれとほぼ同じ意味をもっているが、にもかかわらずそこの人間たち、とりわけ現代人たちは、何らかの理由で、この言葉が表すものとは全く正反対の人間たちをインテリゲンチャと呼んでおる。
このインテリゲンチャという言葉もやはり古代ギリシア語から採られたものだ。ローマ人もこの言葉を使っていたが、おもしろいことに、彼らはこれをギリシア語から意味によってではなく音によって取り入れ、後になるとこの言葉はもともと自分たちの言語に属していたと考えるようになった。
しかし古代ギリシア人たちがこの言葉で意味していたのは、自己を完成し、自分の諸機能を思い通りに働かせることができるようになった人間のことで、例えばいわゆる生命をもたない宇宙形成物におけるように、外部からの刺激に対する反応としてしか諸機能が働かないような人間はこの言葉には当てはまらないのだ
たしかに今でもおまえのお気に入りの惑星の上では、この言葉の本来の意味にほぼ当てはまる人間たちがいるのは間違いない。しかしそういう人間は、現代の地球のほとんどの人間たちの理解からすれば〈非知性的〉と考えられている者たちの中にこそいるのだ。
わしの意見では、とりわけ近年インテリゲンチャと呼ばれるようになった者たちは、〈メカノゲンチャ〉くらいに呼ばれるほうがもっとぴったりするだろう。
なぜかというと、現代のインテリゲンチャたちは、自分の諸機能を思い通りに働かせることができないだけでなく、すべての三センター生物が誕生する時に大自然が必ず植えつけるデータ、つまり日常の生存における独創力という衝動を生み出すデータさえ、彼らの中では完全に衰弱してしまっているからだ。
責任ある存在として生存している間、これらインテリゲンチャたちは外部からそれ相応のショックを受けた時だけ行動したり表現したりする。そしてこのショックこそが、彼らがそれ相応に生気を取り戻して何かを経験する可能性を与えてくれるのだ。しかしそれとても、自分自身の意欲や意志でそうするのではなく、すでに自分の中にある一連の自動的な知覚を巻き戻すことによって起きるにすぎない。このような種類の経験を引き起こす外的なショックは、普通まず第一に、偶然彼らの視覚器官に入りこんでくる生物あるいは無生物であり、第二には、彼らが会う様々な人間であり、第三には、彼らがたまたまいる場所で反響している音や言葉、第四には彼らの嗅覚が偶然知覚した匂い、第五には、彼らの惑星体、つまり彼ら流にいえば〈有機体〉が機能している間に時おり進行するなじみのない諸感覚、等々だ。
しかし、本来彼らの〈私〉という存在の支配下にあるべき外的な表現行為一般や内的な衝動は、彼らの身体全体が調和的に機能した結果生じる欲求に従って進行することは決してない。
さらにこのことも言っておかなくてはならん。これら地球の〈インテリゲンチャ〉のうちのある者たち、つまり責任ある存在としての生存期間中に、すでに彼らの体内に定着している内的機能のある形態が確実に変化した者たちは、もう他の人間たちから〈インテリゲンチャ〉とは呼ばれなくなっており、そのかわりに別の言葉から作られた、もっと正確にいえば古代ギリシア語の語根から作られた名称で呼ばれている。
例えば、
〈ピューロクラート〉
〈プルートクラート〉
〈テオクラート〉
〈デモクラート〉
〈ゼヴロクラート〉
〈アリストクラート〉
等々といった名称だ。
今挙げた中の最初のもの、つまりピューロクラートという名称は、経験を生み出す連想、すなわち彼らの中にすでにある普通の自動的な一連の連想が限定されているインテリゲンチャにつけられたものだ。つまりピューロクラートの中では、外部からどんなに多様なショックが入ってきても、常に全く同一の経験の連想しか呼びさまされず、しかもそれが何度も繰り返されるために独自の性質を帯びるようになり、そして彼らの体内のいかなる霊化された部分の影響も受けずに全く独自の表現行為を行なうのだ。
それから二番目の者、つまりこれもある精神の変化を遂げて他の人間たちからプルートクラートと呼ばれるようになった人間たちだが、これは、責任ある存在としての生存期間の初期に、正直な、すなわち〈純朴な〉田舎者を罠にかけるのに芸術的なまでの手腕をもっていた者が、この手腕のおかげでいわゆる巨万の〈富〉と多数の〈奴隷〉の所有者となった者たちのことだ。
そしてまさにこういったタイプの人間どもから
ハスナムス個人の大半が生まれるということをよく心に留めておきなさい。
わしが惑星地球で興味を引かれた問題を調査していた時、偶然このプルートクラートという言葉の起源にまつわる秘密を知ることができた。
前にも言ったように、ここ25世紀の間に、はっきりしない観念やあやふやなものはすべて、どういうわけか古代ギリシア語で呼ばれるようになった。ピューロクラートとかアリストクラートとかデモクラートとかいった言葉も同様に古代ギリシア語を2つくっつけて造ったもので、彼らにとってちょっと怪しげな観念を表わしておる。
例えばピューロクラートという言葉は、〈高官の事務所〉という意味の〈ピューロー〉と、〈保管する〉とか〈保持する〉という意味の〈クラート〉の2つの語からできている。
この2つが結合すると〈事務所全体を運営あるいは管轄する者〉という意味になる。
そこでプルートクラートという言葉だが、この言葉の起源は他のものとはいささか異なり、それにそんなに古いものではない。
つまりほんの7、8世紀前に造られたのだ。
このタイプの人間はすでに古代ギリシアには存在していたが、当時彼らは〈プルーシオクラート〉と呼ばれていた。
ところが数世紀後には、この〈タイプ〉の人間の多くが勢力を伸ばし、それで地球の他の人間たちも、ともかく何らかの称号を与えて彼らの威厳を認めざるをえなくなった。そこで当時この問題にかかわっていた人間たちがこのプルートクラートという名称を造り出したのだ。
当時彼らは、長時間かけてどんな名称をつけたらいいかじっくり考えたようだ。彼らがなぜそんなにじっくり慎重に考えたかというと、彼らはこの惑星のこのタイプの人間が徹底したならず者で、いわばあらゆる種類の
ハスナムス的性質が骨の髄まで染みこんでいることをよく知っていたからだ。
最初彼らは、この種の人間たちに威厳を与えるために、その内的な意味に呼応する何か〈激しい〉言葉を造ろうとした。しかし次第にそうするのを恐れるようになった。というのは、この夕イプの人間たちは、そのいわゆる〈悪どい手口で手に入れた〉富のおかげで、恐らくは彼らの王様よりも強大な〈力と権力〉を手にしていたからだ。だから、もしこのタイプの人間たちに本当の意味を明示するような名称をつけて威厳を与えようとすれば、連中はひどく立腹して他の人間たちにもっとひどいことをするかもしれないと思ったのだ。そういうわけで彼らは最終的にはずる賢くやることに決めて、この名称を造り出した。こうすることで彼らは、連中をその本性を表わす名前で呼ぶことができると同時に、見かけ上は〈威厳を与える〉こともできたのだ。
当時彼らは次のようにしてこの言葉を生み出した。
先に言ったタイプの人間たちの称号は、もちろん古代ギリシア語の単語を2つ組み合わせて作らなければならず、またそのような称号はすべて後半に〈クラート〉という古代ギリシア語をつけていたので、彼らもこの新しい言葉が誰の目にも奇異に映らないようにこの古代ギリシア語の語尾を使うことにした。
しかしこの言葉の前半は、慣例に反して古代ギリシア語からは採らず、かわりにいわゆる〈ロシア語〉から取り入れた。つまり〈ごろつき〉を意味するロシア語の〈プルート〉を使って、このプルートクラートを造り上げたのだ。
実際彼らは目的を完全に達成した。というのも、現在この惑星では、この寄生虫たちだけでなく、他の人間たちもみなこの〈称号〉に極めて満足しているからだ。
この怪物どもは自分たちの称号に満足しきっており、いばりちらしたいために平日でもシルクハットをかぶって歩きまわっておる始末だ。
他の人間たちはといえば、これまた非常に満足しておる。なぜかというと、彼らはこの〈奇形児〉たちを本来の名前で呼び、しかもそう呼ばれる本人たちも腹を立てないばかりか、〈雄の七面鳥〉よろしく気取って歩いておるからだ。
さて次に三番目に挙げた名称、つまりテオクラートについてだが、この称号は、精神的・有機体的意味における身体の中で、プルートクラートになった者たちとほぼ同じ〈変動〉が起こった〈インテリゲンチャたち〉に威厳を与えるためにつけられたものだ。
ブルートクラートとテオクラートの間の違いは次の点だけだ。すなわち、プルートクラートは自分の
ハスナムス的欲求を満足させるために、彼らが〈信頼〉と呼んでいる機能を通してまわりの者に働きかけるが、一方テオクラートは、自己完成への3つの聖なる道の一つとしてすべての三脳生物の中で働いている聖なる機能、つまり彼らが〈信仰〉と呼んでいる機能に徐々にとってかわってきた機能を通して働きかけるのだ。
このテオクラートについてもっとはっきりした観念を得るためには、われらが深く敬愛するムラー・ナスレッディンの言葉を引用するだけで十分だろう。テオクラートに関して彼はある時ひどく奇妙なことを言った。
つまりこうだ。
『かわいそうなハエたちにとっては、どんなふうに殺されようと同じことではないかな? 角を生やした悪魔のひづめで蹴られて殺されても、あるいは神聖なる天使の美しい翼に打たれて殺されても?』
次にデモクラートと呼ばれているタイプの人間についてだが、最初に言っておかなければならないことは、このタイプは必ずしも、いわゆる〈遺伝的インテリゲンチャ〉から生まれたものではないということだ。だいたいにおいて彼らも最初は単純な普通の人間だったのだが、後に偶然インテリゲンチャになると、彼らの中には〈良心〉という聖なる機能からやはり退化した諸機能が存在しているために、未来のプルートクラートやテオクラートに起こったのと同じことが彼らの中でも起こり、その結果デモクラートなるものに変貌していったのだ。
このことも言っておいたほうがいいだろう。このデモクラートたちが何かの理由でたまたま権力者の地位につくと、彼らの行動からは非常に稀な宇宙現象が生じる。つまり、ムラー・ナスレッディンが言っているように、『ひどいウオノメが美しく手入れされた足に変わる』のだ。
こんな稀な現象がどうして起こるのかというと、わしの意見では、このデモクラートたちがたまたま権力者の地位についても、彼らには本能的に他の人間を指導するという遺伝的才能が全くないために、彼らの権力下にある人間たちの生存を導いてやることができないからだ。
我らが無上の師、ムラー・ナスレッディンは、このタイプにもぴったりの言葉をあてている。彼がこれを口にする時は決まってまず腕を天に向かって差し上げ、それからこの上なく敬虔にこう言うのだ。
『偉大にして公平なる《創造主》よ、あなたの満ちあふれる公平なる恩寵のおかげで、牛はかわいらしい小鳥のように空を飛ぶことはないよう運命づけられているのです』
さて坊や。さっき挙げたいろいろなインテリゲンチャのうち、まだ説明が残っているのはゼヴロクラートとアリストクラートと呼ばれているタイプだな。彼らは、例えば〈太守〉とか〈伯爵〉〈元首〉〈王子〉〈メリック〉〈男爵〉等々の愛称で呼ばれているが、こういった語の響きはある理由でこれらおまえのお気に入りたちのある機能に非常に快く作用する。この機能は彼らの中では常に極めて強く、彼らが死ぬまで残るが、これは〈虚栄心〉と呼ばれておる。
正直に告白すると、このタイプについて説明するのは、普通の言語ではもちろんのこと、我らが賢明なるムラー・ナスレッディンの言語をもってしても実に難しい。
せいぜい言えることは、彼らは単なる〈自然の冗談〉だということだ。
これも言っておかなくてはなるまい。つまり、おまえのお気に入りたちの中のこれら2つのタイプは別々の名前で呼ばれてはいるが、実はこのアリストクラートとゼヴロクラートはあらゆる点で同類であり、内的には全く同じ性質をもっているのだ。
前にこう言ったのを覚えておるかな。この惑星の様々な共同体には、二種類のいわゆる〈国家組織〉なるものが存在している。
一つは〈君主制〉国家組織、もう一つは〈共和制〉国家組織と呼ばれておる。
そして共和制国家組織をとっている共同体ではこのタイプはゼヴロクラートと呼ばれ、君主制国家組織をもつ共同体ではアリストクラートと呼ばれているのだ。
この2つのタイプがどういうものかもう少しよく説明するには、わしの経験を話すのが一番いいだろう。この〈できそこない〉たちに偶然会う機会があると、わしは決まって困惑したものだ。つまり偶然彼らに会うと、ある一つのことが特にわしを驚かせたが、それは、このタイプの三脳生物はいったいどうしてこの奇妙な惑星で他の三脳生物とほぼ同じ長さだけ生存できるのだろう?ということだ。
わしの中にこのような疑問を引き起こしたのはピューロクラートの階級に属する人間たちであったが、しかしそれでも、彼らに関してならこの疑問にも〈多少は〉答えられる。彼らの一連の経験も非常に限られたものではあるが、それでもとにかく彼らは経験をもつ。つまり一昼夜のうち、少なくとも一時間に一回は経験をもつのだ。
ところがわしの観察によれば、アリストクラートやゼヴロクラートのもつ経験全体はほんの3つの種類に還元することができる。
最初のものは食物に関するもので、第二のものは彼らの性器が以前もっていた機能にかかわる思い出と結びついており、第三のものは最初の乳母の思い出と結びついておる。
つまり、全部で三種類の経験しかもっていない人間が、どうして他の人間たちと同じ期間だけこの惑星上に生存できるのか? これがわしにはどうしても解けない謎だった。
このどうしようもない問題については、こんなこともいわれている。すなわち、あのとび抜けてずる賢いルシファーも、この夕イプの人間がどうやってこの惑星に生存できるのか深く考えたことがあり、あんまり集中して考えこんだものだから、しっぽの先の毛がみな灰色になってしまったというのだ。
この〈自然の冗談〉ともいうべき奴らについてわしに説明できるかもしれないのは、全く同種の人間なのになぜこうも名称が違うのかということだけだ。
なぜわざわざ〈かもしれない〉とつけ加えたかというと、わしもその原因をはっきり知らないからだ。しかしこの2つの言葉が造られた語源は知っているからかなりの確信はもっている。つまり2つの名称の違いは地球上のある慣習から生じたものなのだ。
まず言っておかねばならんが、おまえのお気に入りたちは何らかの理由で時おり〈人形劇〉なるものをやるのが大好きだ。
そしてこれもある理由で、彼らはゼヴロクラートやアリストクラートが〈人形劇〉にやってくるのをとても喜び、それで彼らがやってくると〈人形劇〉の中に引きずりこんでしまうのだ。
引きずりこまれた彼ら自身はすでに全く空虚な人間で、またそのためひどく弱々しいので、〈人形劇〉の間中その共同体の他の人間たちが彼らを支えてやらねばならなかった。
ひどく単純なことだが、彼らの支え方、つまりどちらの手で彼らを支えるかということからこの2つの名称の違いが生じたのだ。〈君主制国家組織〉をもつ共同体では、すでに昔から彼らを右手で支えるのがしきたりになっており、それでこれらの共同体ではこのタイプをアリストクラートと呼ぶ。
一方〈共和制国家組織〉をもつ共同体では左手で支えるところから、彼らはゼヴロクラートと呼ばれておる。
ここでわしは、地球の人間たちの様々な名称の間に見られるこれと同種の違い全般について、われらが賢明なるムラー・ナスレッディンがかつてわしにこう言ったのを思い出した。
ある時我々は、トルコとペルシアの〈カディ〉、つまり検察官がとる法的な手続きや判決の違いについて話していた。その時彼は、彼らのもっている同様の正義に関してこう言った。
『ああ、親愛なる友よ! 人間の犯罪の賢明な法的調査などというものが地球上にあるじゃろうか?
カディはどこでも同じで、ただその名称が違うだけじゃ。ペルシアではペルシア人、トルコではトルコ人と呼ばれているにすぎん。
他のものも地球上ではすべて同様だ。ロバはみな同じで、呼び方が違うだけじゃ。
例えばコーカサスに生息する種類のロバは〈カラバキアン〉と呼ばれておるが、全く同種のロバがトルキスタンでは〈コラサニアン〉と呼ばれておる』
この含蓄ある言葉はその後ずっとわしの頭に刻みこまれており、わしがおまえのお気に入りの惑星にいる間に何かを比較しようとする時にはいつもこれを思い出したものだ。
彼の名前が、彼が誕生し形成された惑星で永遠に讃えられますように!
もう一度繰り返しておこう。もし何かの理由でおまえが彼らの惑星に滞在せざるをえなくなった時には、くれぐれもこのことを、つまりこれまで話した彼らの欠点は、普通のインテリゲンチャのほとんどに、また彼らから生まれ、先ほど挙げた〈クラート〉で終わる名称の階級に属している者のほとんどに見られるということを覚えておきなさい。

さて坊や。わしはおまえの実際の役に立つと考えてこの脱線話をしたのだが、ここでまたもとの重要な問題に戻るとしよう。まず、〈地球はすべての生物に等しく開放されている〉というモットーを掲げた協会がどのように誕生し、そして消えていったかを約束通り話すことにしよう。これについての情報を聞けば、なぜ我々の
大メガロコスモスのこの不幸な三脳生物はこの恐るべき相互破壊のプロセスを周期的に繰り返さざるをえないのか、その最大の原因を理解する可能性が生まれてくるだろう。
それと同時におまえは、ここのいわば局地的な自然が(
汎宇宙的トロゴオートエゴクラットの目的にかなう正しい機能を何か予知できないものが妨害した時に)自分が生み出したものがこの最も偉大な宇宙法則のもっている調和とうまく融け合うようにいかにして自らを調節するのかについても知ることができるだろう。
地球の人間たちのこの協会は、前にも言ったように、6、7世紀前にアジア大陸の当時モスロポリスと呼ばれていた町に誕生した。
これが誕生した原因は次のようなものだ。
ちょうどその当時、この大陸では今話しているプロセスがとりわけ頻発していた。
このプロセスのあるものは別々の共同体間で起こり、またあるものは共同体の内部で起こっていた。この後のほうのプロセスは後には〈市民戦争〉と呼ばれるようになった。
当時アジア大陸の共同体間で、あるいは共同体の内部で頻発していたこの恐るべきプロセスの主な原因の一つは、当時形成されたばかりの宗教、つまりわれらが《永遠の主》から遣わされた真の使いである聖モハメッドの教えを土台として空想的に築かれた宗教であった。
今言った協会の基礎を最初に築いたのは、中央アジアに存在していた〈光明を得た者の集まり〉という名の友愛団のブラザーたちであった。
ここで注意しておかなくてはならないが、当時この友愛団に入っていたブラザーたちは、この惑星のほとんどすべての三脳生物に非常なる尊敬を受けていた者たちであり、そのためこの友愛団は〈地球のすべての生ける聖者の集まり〉と呼ばれることもあった。
地球の三脳生物たちのこの友愛団はすでにずっと以前に作られたものだが、これを作ったのは、やはり自分の中に
器官クンダバファーの特性の諸結果が存在しているのを感じ取り、それでこの特性から自由になるために一致団結して努力しようとした者たちであった。
さてそこで、この恐るべき相互破壊のプロセスがアジア大陸であまりに頻繁になってくると、ここで初めてこの友愛団のある兄弟たちは、最も高い尊敬を受けていたブラザー・オルマンタボールを指導者に仰いで、彼らの惑星で進行しているこの恐るべき現象を、たとえ完全に消滅させることはできないにしても、少なくとも何とかこのたけり狂っている悪を減少させることはできはしないかやってみることに決定した。
この決定を実行することに全力を傾けた彼らは、アジア大陸の様々な国を訪れ、いたるところで、人間のこの行ないがいかに大きな悪であり罪であるかを感動的に説いた。そして多くの熱心な人間たちが彼らのもとに集まってきた。
彼らの公平無私の、真の博愛精神にあふれた努力の結果、モスロポリスの町に、〈地球はすべての生物に等しく開放されている〉という名称のもとに、真摯な人間たちの大きな協会が設立された。
設立の当初からこの協会のメンバーは、この目的に向かって、後にも先にも地球のいかなる人間も成し遂げることのできなかった多くのことを達成した。
それができたのもひとえに、地球に存在する諸条件の中でそれらを達成する可能性に関して、当初から実にうまく計画が立てられていたからだ。
この協会の基本的な計画は、成果を生み出すべく徐々に実行されていったが、その中には次のようなものが含まれていた。第一の計画はアジア大陸のすべての人間に共通する宗教を生み出すことで、彼らはこれを、〈パーシー〉と呼ばれる宗派の教えを土台にし、これに少し変更を加えて作ることにした。次は共通の言語を造ることだが、そのために彼らは、アジア大陸で最も古く、多くのアジア系言語の母体となっている〈トルクメン〉語と呼ばれるものを採用することにした。
そして基本的計画の三番目のものは、アジアの中心、すなわち〈フェルガニアン・カナート〉と呼ばれる地域の首都であるマルゲランという町に、〈長老会議〉という名称で、アジアのすべての国々の中心となる基礎的な統轄組織を作るということだ。そしてそのメンバーはアジアの全共同体から選ばれた立派な人間でなくてはならなかった。
この組織がそう名づけられたのは、最長老で、かつてその任に最もふさわしい立派な人間だけがこれに加わることができたからだ。
彼らの理解していたところによれば、彼らの惑星では宗教や国籍にかかわらず、そのような人間だけが地球の他の人間に対して公平無私であることができるのだった。当時のモスロポリスのこの協会のメンバーには、すでにアジアのほとんどすべての共同体の人間たちが加わっていた。
その中には、いわゆる〈モンゴル人〉〈アラブ人〉〈キルギス人〉〈グルジア人〉〈ウクライナ人〉〈タミル人〉、それに当時の有名な征服者チムールの代表者まで含まれていた。
本当に熱心で公平無私な彼らの活動のおかげで、増える一方だったアジア大陸の戦争や市民戦争は減少に向かい始め、最終目標に向かってもっと多くの望ましいことが達成されるのではないか?という期待が生まれてきた。
しかしちょうどそんな時にあることが起こり、そのために、この比較を絶する惑星の非常に能率的な人間たちの協会も分裂に向かい始めた。
これに続いて起こったことはすべて、当時の非常に高名な哲学者アタルナクと、彼の論文『なぜ地球上では戦争が起こるのか』で彼が展開した理論の影響を受けておる。
彼がこの協会のメンバーになった時、彼らの考えはすでに混乱をきたしていた。わしはこのアタルナクという哲学者の経歴をよく知っておる。なぜかというと、この上なく聖なるアシアタ・シーマッシュの活動の成果を研究していく過程で、このアタルナク自身はもちろんのこと、彼の行なったことについても詳しく知る必要があったからだ。
このアタルナクという哲学者は、このモスロポリスの町のいわゆる〈クルド人〉の家庭に生まれた。彼は責任ある年齢に達する頃にはすでに、地球にとって重要な大学者になっておった。
初めのうちこのクルド人アタルナクは、〈人間の生存の意味は何か〉という疑問に答えてくれそうに思える様々な問題を多年にわたって辛抱強く研究していた。この研究の途中、あることで、非常に古いがよく保存されたいわゆる〈シュメール文書〉なるものが彼の手に入った。
この文書がそれほどよく保存されていたのは、〈チアマン〉という生物の血で、〈カリアンジェシュ〉と呼ばれる蛇の皮に書かれていたからだ。
わしの調査から判明したところによると、哲学者アタルナクはある古代人が書いたこの文書、とりわけこの古代の知識人が書いた予言的な部分にひどく興味を引かれたが、そこにはこう書かれていた。
『この世界に、存在するすべてのものの相互維持の法則が存在していることはまず間違いない。明らかに我々の生命は、世界の中のある大きなもの、あるいは小さなものを維持する働きももっている』
古代文書に書かれていたこの考えは哲学者アタルナクをすっかり虜にし、その後彼は、関心を抱いていた問題のこの側面の研究だけに全身全霊を打ちこんだのだ。
この考えは彼が後年抱くにいたる説得力ある理論全体の土台となった。その後彼は数年間詳細な研究を行ない、たどり着いた結論を精密な実験で証明して、彼の主著である『なぜ地球上では戦争が起こるのか』という論文でこれを説いたのだ。
わしは彼のこの理論も知ることができた。実際これは極めて真実に近いものであった。
このクルド人アタルナクが推測したことは、我々の宇宙に存在する偉大なる
根源的宇宙法則トロゴオートエゴクラッ卜に非常に近いものだ。この法則については、前に聖なる惑星パーガトリーについて話した時に多少なりとも詳しく説明しておいたな。
この理論で哲学者アタルナクは、はっきりと次のことを証明しておる。すなわち、疑いなくこの世界には〈存在するあらゆるものの相互維持〉の法則が存在し、またこの相互維持のためにある化学物質が働いており、この物質に助けられて生物の霊化の過程、すなわち〈生〉が進行する。そしてこの化学物質は、与えられた生命が停止した後、つまりその生物が死んだ後に初めて、存在するすべてのものの維持に役立つ働きをする。
非常に多くの論理的対比を行ないながら、アタルナクは次のこともはっきりと証明している。すなわち、ある時期になると必ず地球上では、ある一定の量の死がまとまって生じ、そして〈一定の強度〉をもつ振動を生み出すというのだ。
この〈地球はすべての生物に等しく開放されている〉という協会のある全体集会の席で、地球のそんじょそこらの三脳生物ではないこの人間が(彼はまた〈クルディスタン〉と呼ばれる国の人間たちから選ばれた代表でもあった)仲間のメンバーの要請に応えて、非常に雄弁にまた詳しく自説を披露したところ、この協会のメンバーの間に大混乱と興奮が湧き起こった。彼らはこの理論にひどくびっくりしたので、最初かなり長い間、そこでいうところの〈墓のような静けさ〉がその場を支配した。まるで人事不省に陥ったかのように、誰一人声を出す者はいなかった。かなり長い時間が経って初めて、彼らの間に大喚声と騒動がもちあがったが、それはまるで、自分の興奮を表現すればするほど自分の生命は救われるとでも思っているかのようであった。
こういったことすべての結果、その日の夜も遅く、彼らは全員一致で何人かの知識人を選び出し、彼らを驚かせたこの理論を徹底的に解明させ、後の全体集会でそれについての詳細な報告をさせることに決定した。
〈地球はすべての生物に等しく開放されている〉協会の選出されたメンバーは、すぐに翌日からアタルナクのこの理論に通じるべく熱心に勉強し始めた。
しかし、この呪われた惑星に誕生しつつあった次代の三脳生物にとっては不幸なことに、これら選出されたメンバーはすべて、たしかに長年研鑚を積んできており、そのため地球の人間たちに見られる、彼らの存在をいわば〈嫉妬深く〉〈貪欲な〉なものにしている悪しき機能はすでに彼らの体内では衰退していたが、しかしそれでも様々な理由で、それも主としてあの異常な教育ゆえに、彼らの夢、つまりこれもかの悪名高き異常な教育のせいで彼らの体内に育まれた夢が実現不可能であることを確信するにはまだ十分な素地ができていなかったようで、そのため彼らは、完全に公平無私になれるほどには十分に幻想から脱していなかったのだ。
その結果、彼らは最初の日から、この驚嘆すべき理論の細部を徐々に知っていくにつれて、地球の人間に典型的な状態に陥っていった。つまり彼らは、この理論の中で述べられている、彼らを驚かせたあの瞠目
(どうもく)すべき仮説を忘れ始め、実に地球の三脳生物らしく、次第に以前の典型的に主観的な、したがっていつも揺れ動いている信念に戻っていき、そこでたちまち対立する2つのグループに分裂してしまったのだ。
一方のグループは、論理的批判は一切しないでこの理論の中のすべての仮説を心から信じてしまった。しかし別のグループは、地球のほとんどの知識人の例にもれず、これらの仮説と正反対のことを口にして証明までしてみせ、その結果徐々に自らをあおりたてて、ついにはアタルナクの理論に対してだけでなく、彼自身に対しても個人的な敵意を抱くまでになってしまった。
要するにだな、坊や。アタルナクの理論を詳細に検討するために選ばれたメンバーたちは、この協会の他のメンバーが混乱と興奮を脱して仲間同士の対立を静めるのを助けるかわりに、彼らの考えの中によりいっそうの混乱をもたらし、その結果次第にこの熱心な協会の個々のメンバーの体内に、全く正反対の信念を生む母体となるデータが自動的に生じ始めたのだ。
第一の信念は、すべては哲学者アタルナクの理論通りに起こる、つまり地球上の〈戦争〉や〈市民戦争〉は人間の個人的な良心からは全く独立して起こらざるをえないというものであり、第二の信念は(これはこの協会のメンバー全員がそもそももっていたものだが)もし彼らが協会の定めた計画をやり遂げれば、彼らの惑星で進行しているこの悪も根絶することができ、すべては願い通りにいくだろうというものであった。
この時からこの協会のメンバー全員の間で様々な議論や口論や騒動がもちあがった。この場合も前に話したのと同様、ずっと以前から彼らの慣習になっていることが始まった。つまり彼らの口論や騒動が徐々に普通の人間たち、この場合にはモスロポリスの市民の間にも広まり、彼らの異常な精神がいっそうひどくなる原因となったのだ。
実際、ちょうどこの時、〈光明を得た者の集まり〉の協会のブラザーたちがやってきて後始末をしなかったならば、この騒動がどうやって収まったか見当もつかん。彼らの影響力のおかげでこの熱心な協会の全メンバーは次第に落ち着きを取り戻し、これから先何をすべきかをじっくりと穏やかに考え始めた。
真剣に熟考した結果、彼らは全員一致でアタルナクを指導者に選び、この状況から抜け出す道を教えてくれるよう彼に懇願した。
クルド人の哲学者アタルナクを議長とする会議を何度か開いた結果、彼らは満場一致で次のような結論に達した。
『自然の法則によるならば、地球上では〈戦争〉や〈市民戦争〉は人間の意志には関係なく周期的に起こらざるをえない。なぜかというと、自然はある期間に大量の死を要求するからである。
この見地からすれば、我々はみな、人間のいかなる知的な決断をもってしても、国家間や国家内での流血を根絶することはできないということを、大きな悲しみと宿命的ともいえる内的な諦念をもって認めざるをえない。そんなわけで我々は、この協会の過去および現在の活動をすべて停止し、それぞれの故郷に帰って、逃れることのできない〈生の重荷〉を引きずっていくことを全会一致で決定したのである』
この固い決意が提示されると、この本当に真剣な協会のメンバーは一人残らず、その日のうちに彼らのやっていたことを全面的に破棄することに決めた。その後で初めて、みんなの意見では非常に学識はあるがひどく誇り高くて自己愛の強いクルド人アタルナクが上座に登り、次のように話した。
『我が尊敬する同志諸君。
私は次のことに衷心からの悲しみを表するものであります。すなわち、地球のあらゆる国々の最も立派で賢明なあなた方が、数年間にわたって、地球上でこれまでも、またこれからも誰にも耐えられないような努力を重ね、あなた方のことを知りもしなければ関心をもってもいない他人のために公平無私な努力を傾注してきたこの偉大なる博愛的事業が、はからずも私が原因となって挫折したということに対してです。
あなた方はこの数年間、大衆が彼らの最も必要としている幸福を得られるようにとたゆまず努力してこられました。私も長年にわたって、やはり見知らぬ人々のために私の理論を完成させようと頑張ってきましたが、まさにその理論が、疲れを知らないあなた方の努力と慈悲にあふれた熱意をかき乱す原因となったのです。
あなた方の間に生じた誤解の原因は私にあるのではないかと思うと、ここ数日は全く安らげませんでした。それで私はずっと、この不本意な私の失敗を何とか償うことはできないものかと考えていました。
地球全体から選ばれた賢明なる同志諸君。そんなわけで私は、熟慮の末にたどり着いた結論をあなた方と分かち合いたいのです。
もし私の発見した普遍的な法則が、人類に幸福をもたらす手段とあなた方が考えられているものと対立しているとしたら、最初は奇妙に思えるかもしれませんが、その同じ法則を逆に使うと、我々が自分に課した目標を達成するのに役立つかもしれません。
さて、この目標を達成するために何をすべきかをよく考えてみましょう。私の研究の結果がはっきり示すところによれば、自然はある時期にある一定数の死が地球上で起こることを要求します。それと同時に判明したことは、自然はその必要が満たされるならば、何の死でもかまわない、つまり、人間の死でも他の形態の生物の死でもどちらでもかまわないということです。
このことから以下のことがわかります。すなわち、自然の要求する死の数が地球の他の生物の死ですべて満たされるならば、当然必要とされる人間の死の数はそれに応じて減るはずです。
だから、我々の協会のメンバー全員がこれまでと同じ熱意をもって、ただし以前の計画を実現するためにではなく、この地球上に古代の慣習を、つまり我々とは違う形態の生物を殺して神々や聖者に生け贄を捧げるという慣習を昔以上の規模で復活させるという目標に向かって努力するなら、これを達成するのは可能なのです』
この誇り高いクルド人が話を終えると、〈地球はすべての生物に等しく開放されている〉協会のメンバーの間には、彼があの有名な理論を最初に披露した時に劣らぬ驚きと興奮が巻き起こった。
この記念すべき日から三日三晩というもの、彼らはほとんど一度も休会しないで、この惑星中から集まってきた人間たちが自由に使えるようにとモスロポリスの市民が寄贈したホールに集まったまま、ああでもないこうでもないと討論や審議を繰り返した。そしてついに四日目に公式の全体集会が召集され、全会一致で、これから先も偉大なるクルド人哲学者のアタルナクが示したとおりにすべてを行なうという決議がなされた。
そしてその日のうちに協会の名称が変えられた。
数日後、いまや新たなモットー、〈人間だけのための地球〉を掲げた協会のメンバーは、モスロポリスの町からそれぞれの故郷に帰っていき、哲学者アタルナクの指示に従って、アジア大陸の人間の間に、別の形態の生物を殺すことによって神々や偶像に〈愛想よくする〉という考えを定着させ、これを強固にすべく活動を開始した。
実際その後、彼らがこの新たな計画を実行し始めてから、アジア大陸中の人間たちの間に、弱くて愚かな一脳や二脳の様々な生物の生存を破壊して、彼らの空想の中の〈聖者たち〉に生け贄として捧げるという慣習が再び定着した。
この新しい協会、〈人間だけのための地球〉のメンバーたちは、最初から、課せられた仕事の大部分を、当時アジア大陸の隅々にまで広まっていた聖モハメッドの教えを基礎にした宗教の、〈聖職者〉と呼ばれる者たちを通して行なった。
その結果この慣習は、以前よりもはるかに大規模に行なわれるようになった。以前というのは、わしが
天使ルーイソスに、地球の三脳生物のこの慣習を撲滅するためにできるかぎりのことをせよと命じられて地球にやってきた時のことだが、当時この宇宙の調和監査官には、この慣習はより大規模な宇宙現象にとって極めて好ましからざるものに見えた。それというのも、この時期にはおまえのお気に入りたちの数は非常に増え、それに伴って、空想の偶像たちに〈喜びを与える〉ことを熱望する者も増えたからだ。
しかし今回は、他の生物の生存を破壊するというこの行為は、家庭内の家族の間で行なわれただけでなく、特別な場所で公然と行なわれることもあった。
特別な場所というのは、ある点では主として聖モハメッドか、あるいは彼の側近の思い出と関連する場所であった。
殺戮の数は年ごとに増え、〈人間だけのための地球〉協会の設立後ほんの数百年後にはすでに、彼らが以前生け贄に捧げていた生物、すなわち〈雄牛〉〈羊〉〈ラクダ〉などの殺戮の数は、一年のうちにある一箇所だけで10万頭にのぼった。
過去二世紀間にこの種の場所で特別に敬意を払われ、人気もあったのは、アラビアのメッカとメディナの町、バグダッドと呼ばれる地域のメシェッドという町、それにトルキスタンのイエニニシュラックの近辺などだ。要するにアジア大陸では、再び血が〈河のように流れた〉のだ。
この種の生け贄の儀式は、〈バイラム〉や〈ゴールバン〉と呼ばれるモハメッド教の祭式や、またキリスト教で〈カーニバル〉とか〈セント・ジョージの日〉とか呼ばれる祭日に最も頻繁に行なわれた。
こんなふうにしてだな、坊や。〈人間だけのための地球〉協会のメンバーの懸命の努力によって、三脳生物の中にはこのような異常性が再び根づいてしまった。そうなると、あの恐るべきプロセスはたしかに減り、また規模も小さくなったし、またそれによって、時おり生じる比較的高いいわゆる〈死亡率〉も低下した。しかしそれにもかかわらず、三脳生物全体の〈死亡率〉はこれによって低下しなかったのみならず、増大しさえした。それはなぜかというと、彼らの生存が急速に堕落し続け、その結果、自然が彼らに要求している、生存プロセス中に彼らが放射する振動の質が劣悪化したために、一方では彼らの生存期間がさらに減少し、また一方では彼らのいわゆる〈出生率〉が高くなったからだ
この状態は、ある有名なペルシアのダーヴィッシュ、アサデュラ・イブラヒム・オグリーが出てくるまで続いた。彼はやはりこのアジア大陸で誕生し、責任ある存在となったが、後にこの状態を全く別の方向に変えたのだ。
このダーヴィッシュ、アサデュラ・イブラヒム・オグリーが活動を始めたのは、地球暦のほんの3、40年前のことだ。
モハメッド教の単なる熱狂的信者で、クルド人アタルナクのもっていたような真剣かつ深い学識は身につけていなかった彼は、この生け贄を捧げるという慣習の中に、人間の他の生物に対する恐るべき不正のみを感じ取り、それで、いかなる犠牲を払っても地球上からこの、彼の意見では反宗教的な慣習を一掃することを彼の生存の目的にした。
その時から彼はアジア大陸を放浪し始めたが、主として住民の大多数がモハメッド教の信奉者である地域を渡り歩き、そしてアジア大陸のほとんどの共同体にいる、彼と同じようなダーヴィッシュと一緒にこの仕事にとりかかった。
この利発でエネルギッシュなペルシアのダーヴィッシュ、アサデュラ・イブラヒム・オグリーは、いたるところで彼の考えの〈真理〉を他のダーヴィッシュに説き、そして説得された彼らもまた、いたるところでアジア大陸の普通の人間たちにこう説いた。すなわち、他の形態の生物の生存を破壊することは、神を喜ばせないだけでなく、破壊者自身も地獄という〈別世界〉で二重の刑罰を受けねばならず、その一つは彼ら自身のいわゆる〈罪〉に対して、もう一つは彼らが殺した生物の〈罪〉に対してである、等々。
端的にいえば、この〈善き〉ペルシア人ダーヴィッシュのやったことの結果が、ほかでもない、最も近年の巨大な相互破壊プロセス、あるいはおまえのお気に入りたちの言葉を借りれば、〈世界大戦〉だったのだ。
というわけでだな、坊や。
抜きん出た学識をもつクルド人アタルナクが自説で述べた仮説は、前にも言ったように、現実に非常に近いものではあったが、にもかかわらず彼には一番重要なことが理解できていなかった。それは何かというと、自然が要求する振動、つまり生存中もラスコーアルノのプロセスの間も生物から発している放射物で形成されていなくてはならない振動は、量ではなくてまさに質こそが問題だったということだ
クルド人アタルナクは傑出した地球の人間だったから、もしあることを詳しく知っておったならば、きっとこのことを理解しただろう。そのあることというのは、〈本質を愛する〉非常に聖なるアシアタ・シーマッシュのこの上なく聖なる努力によって、地球に誕生した三脳生物のために特別に創造された生存状態が、多少なりともこの惑星上に確立した後に生じた結果のことだ。
その時期には〈死亡率〉が低下しただけでなく、いわゆる出生率も低下し始めた
出生率が低下したのは以下のような理由による。当時三脳生物はすでに三センター生物にふさわしい生存形態を多少なりともとり始めており、そのため彼らが発する放射物は、この上なく偉大なる汎宇宙的トロゴオートエゴクラット全般のためと、またとりわけ月およびアヌリオスの維持のために自然が彼らに要求している振動にかなり近い振動を生み出すようになっていた。そこで大自然は忘れずに彼らの出生率を下げるよう自らを調節したのだが、おかげで近年では惑星・月の生存を維持するためのこの振動に対する必要性は当然のことながら減少し、それでますますこの調節を推し進めているのだ
おまえのお気に入りたちの生存の意味と目的の重要性に関するこの基本的な問題のこの側面は、地球上で進行している多くのことを理解する上で、と同時に戦争の原因にふれる問題を理解する上でも非常に重要なので、もう一度話しておく必要があるだろう。
わしが最初に知ったのは、
おまえの惑星上に誕生した生物の主たる運命は、彼らの生存プロセスを通して、以前この惑星の一部であり、現在では月およびアヌリオスと呼ばれているものを維持するために自然が必要とする振動をいっそう精妙なものにすることである、ということだった。これを知ったのは、覚えておるかな、わしがある功績を認められて、現在は大天使となっているが当時はまだ天使であったルーイソスという宇宙の調和監査官と個人的に二度目に話した時だ。
宇宙の調和監査官はこの時次のようなことを話してくれた。以前地球の一部であった2つの惑星の動きは、今では軌道の全体的調和によって最終的に調節されており、近い将来何らかの驚くべき事態が生じるのではないかという懸念は完全に消えてしまったが、それでも遠い将来に起こりうる混乱を避けるために、いと高き、この上なく聖なる個人たちは、
聖アスコキンと呼ばれるものを生むために、この惑星上にその〈相関物〉を生み出し、そうすることで、以前この惑星の一部であったものを維持するために必要とされるこの聖なる宇宙物質がこの惑星から引き続き生じるようにするという明確な決断を下したのだ。
この調和監査官がさらに話してくれたところによると、この宇宙物質
聖アスコキンは、通常主として〈アブルストドニス〉と〈ヘルクドニス〉という聖なる物質と混じって宇宙に存在しているが、この聖なる物質アスコキンが、今言った維持のための十分な活性度をもつためには、まずこれらの聖なる物質アブルストドニスヘルクドニスから分離しなくてはならない。
正直にいうとだな、坊や。わしは彼がその時話してくれたことを全部一度にはっきり理解できたわけではない。全部はっきりと理解したのはその後、つまり根源的宇宙法則を研究していた頃、
これらの聖なる物質アブルストドニスヘルクドニスは通常三脳生物の高次存在体、すなわちケスジャン体と魂体を形成し、完成させる物質であるということを知った時だ。その時わしは、いかなる惑星であろうと、そこの生物が高次存在体を形成し完成させるために、意識的努力と意図的苦悩を通して彼らの内部でこれらの聖なる物質アブルストドニスヘルクドニスを変容させる時、聖アスコキンはこれらの聖なる物質から分離するということを知ったのだ
そしておまえのお気に入りたちに興味をもち、彼らの奇妙な精神を観察し、研究するようになって初めてわしは、大自然といと高き、この上なく聖なる個人たちは、いったいいかなる目的のために、いつもこれほど忍耐強くあらゆるものに順応しているのかがようやく理解できたのだ。これに関してわしは次のような意見を抱くに至った。
もしおまえのお気に入りたちが、少なくともこのことをちゃんと考え、この点に関して誠実に自然に仕えておれば、恐らくはその結果として彼らの自己完成は、彼らの意識の関与がなくとも自動的に進むであろうし、またそれはともかくとしても、この不幸な惑星のかわいそうな自然は、汎宇宙的な調和と歩調をそろえるために〈あえぎながら〉自分を順応させる必要はなくなるだろう

しかしメガロコスモスに存在するすべてのものにとって残念なことに、おまえのお気に入りたちは、自然に対する義務、それも厳密にいえば、彼らの生存自体をそれに負うている自然に対する義務さえも誠実に果たしていないのだ
おまえのお気に入りたちが自然に対する義務を果たす際にいかに誠実さが欠けているかに関して、わしはちょうど今、われらが比類なき師ムラー・ナスレッディンがかつて言った叡智に富んだ言葉を思い出したが、今の場合にはその隠された意味もはっきりするだろう。
彼はこう言ったのだ。
『何はともあれ、ペストやコレラでも人間の誠実さほどには下劣なものではない。良心ある人々はこうした病気をもっていても、とにかく平安に暮らすことができるからな』
というわけでだな、かわいいハセインよ。
聖なる物質アブルストドニスヘルクドニスを彼らの体内に取り入れ、これを変容させることによって聖アスコキンを解放し、こうして月とアヌリオスを維持することができるようになるためには、意識的努力と意図的苦悩が必要だという本能的思慮がおまえのお気に入りたちの精神から完全に消え失せたと見るや、大自然は別の何らかの方法でこの聖なる物質を抽出する措置をとらざるをえなくなった。そしてまさしくそれが周期的に起こる恐るべき相互破壊のプロセスだったのだ
現代のおまえのお気に入りたちを正しく理解するために、ここでもう一度次のことを思い出してみなさい。器官
クンダバファーの活動がこの惑星の三脳生物の中で完全に停止させられた後、早くも次の世代の者たちは、ある宇宙物質が彼らを通して変容しなければならず、またこの変容を助けるのが彼らの主要な存在義務の一つであるということに気づいた。
前にこう言ったのを覚えておるかな。アトランティス大陸の人間たちはこの存在義務を神聖なものと考え、これを〈アマルロース〉と呼んだが、これは彼らの言語で〈月を助ける〉という意味であった。
当時、つまり〈サムリオス文明〉と呼ばれた時期のアトランティス大陸の三脳生物は、ある慣習を作り出し、極めて厳格にこれを遵守したが、これは今言った存在義務を遂行する上で最大限に建設的な役割を果たした。
アトランティス大陸の人間たちはこの2つの存在義務を遂行する上で実に賢明かつ巧妙な方法を考えついた。つまりこの2つ、すなわち自己の高次の体を完成させることと最も偉大なる
宇宙的トロゴオートエゴクラットに仕えるという2つの義務を一つに結合し、これを同時に行なうという形をとったのだ。
彼らはこれを次のように結合させた。
当時人間の住んでいる地域ならどこでも、かなり辺鄙な場所にも、絶対に必要不可欠な3つの重要かつ特殊な建物が立っていた。
一つは男性のための建物で、〈
アゴーロクロスティニー〉と呼ばれていた。
もう一つの建物は女性のためのもので、〈
ジネコクロスティニー〉と呼ばれた。
3つ目は当時〈中性〉と呼ばれていた人間のためのもので、この聖なる建物は〈
アノロパリオニキーマ〉と呼ばれていた。
アトランティス大陸の人間たちは、この重要な建物のうち、初めの2つを聖なるものと考えていた。そしてこれらは地球の現代人にとっての〈寺院〉〈教会〉〈礼拝堂〉その他の聖なる場所と同じ役割を果たしていた。
わしがこの惑星に最初に降下してアトランティス大陸に行った時、これらの建物のいくつかを訪ねてまわり、それらの担っている目的を詳しく知ることができた。
男性の寺院、つまり
アゴーロクロスティニーでは、その地域の男性が、〈自己想起〉と呼ばれる特殊な状態で、その場にふさわしい〈神秘劇〉を順番に演じておった。
アトランティス大陸の人間は、男性は能動的表現行為の源であるという確固たる考えをもっており、それで彼らは、
アゴーロクロスティニーの中にいる間中ずっと能動的、意識的黙想に専念し、その状態のままその場にふさわしい聖なる神秘劇を演じ、そうすることによって聖なる物質アブルストドニスヘルクドニスを彼らの中で変容させたのだ。
彼らはこれを慎重に、十分意識してやるのだが、その目的は、彼らの中でこの聖なる物質
アスコキンを解放し、これがさらに高い活性度を得るように、彼らからの放射物を通して流出させ、そして彼らが〈聖三位一体〉と呼んでいる聖なる法則の能動的部分にすることなのだ。
一方女性はすべて、ある期間、つまり現代の人間たちが〈月経期〉と呼んでいる時期には、女性のために建てられた
聖ジネコクロスティニーの中にとどまっていなくてはならない。さらに、自分が受動的存在であることを認識しているこれらの女性たちは、そこにいる間中ずっとただただ受動的になっていなければならないが、その目的は、彼女らの放射物を通して発する振動が、さらなる活性度を得るべく、今言った聖なる法則の受動的な部分として働けるようにすることだ。
そういうわけで、彼女らはその間ずっと
ジネコクロスティニーの中でひたすら受動的な状態になり、何も考えないように意識的に努める。
この目的のために、彼女らは、毎月生じるこの状態の期間中はいかなる能動的経験もしないようにし、また連想に従ってあちこちさまよう思考が集中を妨げることのないようすべてを配慮し、その期間中ずっと思考を、現在あるいは未来の彼女らの子供たちの幸せを望むことに向けるようにするのだ。
次に、当時の人間たちが作った
アノロパリオニキーマと呼ばれる第三の建物についてだが、これは前にも言ったように、当時〈第三の性〉と呼ばれていた人間たちのために建てられたものだ。われらがムラー・ナスレッディンならばこの種の人間たちを〈できそこない〉、あるいは〈あれでもこれでもない人間〉と呼ぶことだろう。
この中性人間の中には男性も女性も含まれていた。
こういった人間たちは、様々な理由で、自己完成の可能性も自然に仕える可能性もすでに失っていた。彼らは、われらがムラー・ナスレッディンの言葉によれば、〈天使のためのロウソクでもなければ、悪魔を突きさす火かき棒でもない〉のだ。
これに属する男性のうち、何らかの理由で、意識的に熟考する可能性をすでに完全に奪い取られていた者は、一定期間この建物に入れられた。また女性のうち、全く〈月経〉がないか、あるいは〈月経〉が不順な者もここに入れられた。同様に、ある一定期間、性欲という点に関して、そこでいう〈
クナネオメニー〉に変容してしまう者、あるいはわれらがムラーのいう〈春の雌馬そのもの〉になってしまう者もここに入れられた。
当時のアトランティス大陸の人間たちの間では、あるいくつかのはっきりとした、また極めて特異な徴候に関する概念が広く認識されており、それに従ってある人間がそれと認定されると、
アノロパリオニキーマに閉じこめられた。
その徴候というのは次のようなものだ。
(1)いかなる種類のものであれ、〈たわごと〉を信じていること。
(2)自分自身全く知りもしないこと、あるいは確信のないことを他人に断言すること。
(3)自分の名誉をかけた約束を破ったり、あるいはむやみに誓いを立てたりすること。
(4)最後に、他人を〈スパイ〉したり、〈
トーク・ソー・ケフ〉に没頭する傾向が見られること。
しかし何より明確な徴候は、当時〈
モユソール〉と呼ばれていた特徴、すなわち現代の人間たちもこれを病気とみなして〈痔〉と呼んでいる特徴が現われることだ。
この種の人間たちは、まわりの人間たちが定めた期間
アノロパリオニキーマの中にとどまって一歩も出てはならなかったが、ただし強制的に何かさせられるわけではなく、好きなようにしていればよかった。つまりこうすることの目的はただ一つ、彼らにその地域の正常な人間と会ったり話したりさせないことであった。
彼らをこのような建物に閉じこめたのは、当時の考えによれば、彼らは一ヵ月のある一定期間、その様々な〈病毒〉ゆえに発する放射物によってまわりの人間の平穏で規則正しい生存を妨害するからだ。
そう、実際だな……坊や……
アトランティス大陸の後世の人間たちは、正常な生存に役立つ素晴らしい慣習をすでに沢山もっていた。しかしおまえの惑星の現代の人間たちに対しては、憐み以外に感じようがない。というのも、この不幸な惑星に起こった第二の大惨事のために、この大陸はその上にあったものもろとも惑星の中に沈んでしまい、そのため、何世紀もかけて徐々に彼らの通常の生存プロセスに浸透していた、彼らの生存に役立つ良い慣習もすべて消滅してしまったからだ。
アトランティス大陸が消滅した後、後代の三脳生物たちも、今話したのとよく似た、通常の生存プロセスのための特殊な建造物をもつという慣習を再樹立するというところまでこぎつけた。
これを実現したのは、このような特殊な建造物の必要性を再び理解するに至った、ソロモンという名の分別を具えたヘブライの王であった。
この賢いヘブライの王が最初に建造を決定し、その後も長く彼の臣民によって建造を続けられた特殊な建物は〈
タク・ツチャン・ナン〉と呼ばれた。
この建物はアトランティス大陸に存在していた
ジネコクロスティニーにいく分か似ていて、ここにもやはり月経期間中の女性が閉じこめられた。
ソロモン王はこの慣習の樹立を急いだが、それには次のような理由があった。賢王として世を治めている間に、彼は、月経期にある女性は性格がひどく変わり、まわりの者、特に夫にとっては、ただ耐え難いだけでなく、そこから生じる、彼らと同様の他の人間たちとの〈不安定な関係ややりとり〉に至っては、精神的にも有機体的にも有害にさえなることをしばしば確認したからだ。そこで彼は急いで厳しい法律を臣民に公布し、それにしたがって、人間の住んでいる地域にはすべてその近くに特殊な隔離された建物を造らせ、女性がこの状態にある間はずっとここに閉じこめておくよう命じた。
わしは彼の公布したこの法律をたまたま読む機会にも恵まれた。
この法律にはこうあった。月経時の女性は、神聖という観点から見るなら、不浄である。それゆえこの時期に他の人間、とりわけ夫が、彼女らにふれることはもとより、話しかけることさえ、最も重い涜聖であり罪である
この時期の彼女らにふれたり、あるいは話しかけただけでも、夫やその他の男性には不浄な力、あるいは悪霊が入りこみ、その結果、男性たちが日常的にもつ関係や事柄の中には誤解や論争や敵意しか生まれなくなるだろう
偉大なる〈地球の賢者〉ソロモン王のこの最後の主張は今日でも変わらぬ真理である。
実際現在ではこのことは、全般的に複雑なものとなったおまえのお気に入りの惑星の人間たちの通常の生存が、彼らにとって極端なまでに無意味なものとなっている諸原因の一つでもある。
現代の〈地球生物〉の女性の中では、この状態にある間は、つい近年生じたある特殊な性質、つまり彼らが〈ヒステリー〉と呼ぶ特性がいやが上にも増大するが、これにとらえられた女性はまわりの人間、とりわけ夫をもこの状態に引きずりこみ、そのため彼らも、我らが偉大なるムラー・ナスレッディンがこう表現している者と同様になってしまうのだ。
『彼らの生存の目的はヒルの犠牲者になることだけじゃ』
事実まさにこのために、つまり現代の女性たちが〈月経〉期間中も自由に歩きまわるために、現代の男性の多くは互いに思いやりのある良い関係がもてないだけでなく、しばしば正真正銘のいわゆる〈罵詈雑言を後々まで繰り返す連中〉になってしまうのだ。
賢明なるソロモン王が作ったこの見事な慣習はかなりの間ヘブライ人の間に存在していたが、もし人間たちが、前に一度話したあの特殊な性質をもっていなかったならば、これはきっと地球全体に広まっていたことだろう。
その特殊な性質というのはこういうことだ。地球での通例にもれず、このヘブライ人たちもその栄華から没落し、他の共同体の人間たち、つまり自分たちより上位にいる者すべてに対して、嫉妬や羨望といった、おまえの惑星の三脳生物にとってはすでに生得のものとなっている衝動を感じたがゆえに、ヘブライ人が栄華と権力の絶頂にあった時には彼らを憎悪していた人間たちから、軽蔑され、虐げられるようになった。そうなると、これら他の共同体の人間たちは、当然ながら、ヘブライ人がもっていた本当に良い慣習までも軽蔑してしまったのだ。
そんなわけで、このよき慣習は、さらに広まらないどころか、彼らの持つもう一つの特徴的な性質も原因となって(これについては前に十分話したが、つまりヘブライ人自身が、その後強大になった別の共同体の影響を受けて何でもその真似をするようになってしまったということもあって)逆に軽蔑され、ついにはこれを生み出した当の人間たちにも見捨てられ、忘れられてしまったのだ。
この慣習は現在ではほんの小さな共同体で見られるにすぎないが、この共同体はコーカサスの山中にある〈ケヴソーリー〉という名のものだ。このケヴソーリーという小さな共同体は、その起源の謎ゆえに、多くの科学者を眠れないほどの困惑に落とし入れている。
先祖が営々と築き上げ、この惑星上に存続していた、通常の生存にとって非常に良い慣習をおまえのお気に入りたちがまたも破壊したことに関しては、我々は、いつも自分を調節し、順応しなければならない哀れな自然に対して、好むと好まざるとにかかわらず衷心からの悔やみを述べざるをえない。自然に対するこの種の不幸な出来事について、われらが敬愛する師である比類なきムラー・ナスレッディンは、ここでも明察に富んだ言葉を残している。
つまり同様の不幸を目にすると彼はこう言うのだ。
『ああ……もしあなたの人生が不遇なものであれば、名づけ親からでも性病をうつされるかもしれないよ』
また時にはこうも言っている。
『ああ、かわいそうな生き物よ! おまえの母さんはおまえを産む最中にアルメニアのバフードを歌っていたにちがいない』
ロシアの智恵の解説者であるクスマ・プロウトコフもこれについてはなかなかうまいことを言っておる。
『我々のうちで一番運が悪いのは松カサである。なぜといって、マッカールはみんなこれを踏んづけて行くからである』
もう一度言うが、地球の不運なる自然は、汎宇宙的な調和のうちにとどまるために、絶えず、しかも一刻の猶予も許されないまま、常にそれまでとは違うことをするよう自分を調節し続けなければならないのだ
汎宇宙的調和のためにこの惑星に要求されている〈均衡のとれた振動〉と呼ばれるものを生み出すために、地球の不運な自然がいかにして自分を調節しているのか、このことをはっきり理解するには、ある一つのことを説明するだけで十分だろう。それは現在実現されつつあること、すなわち彼らが〈世界大戦〉と呼んでいるプロセスに引き続いて起こっていることだ。
つまりそのプロセスの期間中に、〈ドイツ人〉と呼ばれる者たちが〈毒ガス〉なるものを発明し、また〈イギリス人〉と呼ばれる者たちが特製の〈速射マシンガン〉なるものを作り出したが、まさにそのために、この時期に、自然が予見できなかった
ラスコーアルノ、あるいは死が、しかも自然が要求しているよりもはるかに多量に生じた。あるいはビジネスマンと呼ばれるハスナムス候補生ならばこう言うだろう、『必要とされている三脳生物の死という点で〈生産過剰〉が起こった』とな。
その結果、この時から自然はまたしても〈あえがなくては〉ならなくなり、当地流にいえば、〈驚きで度を失い〉ながらも、この予見できなかった事態を収拾し、もう一度適当なやり方で自分を順応させ始めた。
これはそこに最後に滞在していた時にわし自らはっきり確認したことでもあり、また
エテログラムで知らされたことでもあるが、明らかに大自然は、来たるべき未来のために、地球の他の形態の生物の出生率を高め始めている
この世界大戦でどの共同体よりも多数の死者を出した大共同体ロシアのペトログラードとティフリスという町で気づいたことだが、普通町には絶対に現われない四足生物、つまり〈狼〉と呼ばれる、人間を憎んでいる四足生物がすでに町の通りをうろつきまわっていた。
エテログラムで伝えられた情報によると、この大共同体ロシアでは〈ハツカネズミ〉や〈ドブネズミ〉などと呼ばれる齧歯動物が空前の勢いで繁殖し、今ではこの共同体の人間たちの保存食まで食べ始めているということだ。エテログラムではさらにこう言っている。共同体ロシアの権力者たちは、彼らの間で異常繁殖したこれらハツカネズミやドブネズミなどの小動物の生存を破壊してくれるようヨーロッパの他の共同体に依頼し、かかった費用すべてを払うと約束した。
他の生物の生存を破壊する専門家の手になるあれやこれやの手段によって、哀れなドブネズミやハツカネズミの数は一時的には減少するかもしれないが、他の共同体の人間たちはむろんこれを〈ただで〉やることに同意するはずがない。ところがロシア人のほうも、約束はしたものの、そんな金を支払うことなどとうていできるわけはない。前の戦争にかかったよりもはるかに多額の金がかかるのだからな。
あの巨大なプロセスの間に金を引き出していたのと同じ源泉から金をしぼり出すのは、われらが親愛なるムラー・ナスレッディンの言葉を借りればこうなる。
『これはもうどうしようもない! 平和な時に農夫の肉が一文にもならんことぐらいロバでもわかるわい!』
ここまで話すとベルゼバブは黙りこみ、何か期待するような面持ちで孫を見た。孫のほうはまるで独り言でもいうように、悲しげに、絶望的な調子でこう言った。
「この結末はいったいどうなるのですか? 本当に解決法は全くないのでしょうか?
あの不運な惑星で形成された不運な魂は、本当に永遠に未完成のまま、これから先もずっとその惑星上の様々な形成体に変転しながら、この不運な惑星に最初に誕生した三脳生物の惑星体に、本質的には彼らとは無関係な理由から取りつけられたあの呪われた
器官クンダバファーの特性の諸結果ゆえに、果てしなく苦労を続けていかなくてはならないのですか?
それなら、われらが
全メガロコスモスがいわばその上に安らっている柱石は、正義と呼ばれている柱石はいったいどこにあるのですか!?
いや、こんなことはありえない! 何かが間違っているんだ。だってこれまでのぼくの生存期間には、客観的正義に関しては露ほどの疑いもぼくの中に忍びこんだことはないのですから。ぼくのすべきことは、これを解明し、理解すること……なぜ! なぜ!
ともかく、今この瞬間からぼくの生存の目的は、地球の三脳生物の中に生まれた魂がなぜこんなに前例がないほど恐るべき状態にあるのか、その理由をはっきり理解することに置かれるでしょう……。」
こう言うと、かわいそうなハセインは、憂鬱そうに首を垂れて悲しげに物思いに沈んだ。
するとベルゼバブはひどく奇妙な目つきで彼を見た。なぜ奇妙かというと、彼の眼差しの中にはハセインへの愛情がはっきり読み取れると同時に、孫がそのように落ちこんでいるのをとても喜んでいる様子がうかがわれたからである。
沈黙はかなりの間続いた。とうとうベルゼバブは、いわば彼の本質全体で深いため息をつき、孫に次のように話した。
「そうだな、かわいいハセインよ……たしかにここでは何かがうまくいっていない。
しかし、
聖〈ポドコーラッド〉の理性を具えた存在であり、世界を統治なさるわれらが《永遠なる主》の側近候補者の一人であるお方、すなわち非常に聖なるアシアタ・シーマッシュその人でさえこの惑星の生物に何もなしえなかったのであれば、我々、つまり普通の生物とほとんど同じ理性しか具えていない我々にいったい何ができるだろう
おまえは非常に聖なるアシアタ・シーマッシュが、『恐るべき現状』という標題をつけた思索の結実の中で、次のように言ったのを覚えているだろう。
もし今でも地球の生物を救う可能性があるとすれば、時のみがそれをなしうるであろう
これまで話してきた彼らの恐るべき特性、すなわち互いの生存を周期的に破壊し合うプロセスについても、我々は同じ言葉を繰り返すしかなす術がない。
今我々に言えることは、もし人間のこの特性があの不運な惑星から消滅することがあるとすれば、それはただただ時を待つしかないということだ。それも、非常に高次の理性を具えたある存在の指導か、もしくはある例外的な宇宙的事件があればの話だがな。」
こう言うと、ベルゼバブはまた例の奇妙な目つきでハセインを見た。

第44章 ベルゼバブの意見によれば、人間が理解している正義は、客観的意味においては呪うべき迷妄である

微笑み、愛情のこもった目で孫のハセインを見つめながら、ベルゼバブはこう言った。
「わしの未来の後継ぎよ、地球という惑星に生息する三脳生物についてこれまでかなり話してきたし、またその間におまえも全般にわたってかなりのことを理解したと思うから、この話の一番最後に集中的に話すと約束しておいた地球上のある〈問題〉について、いよいよ話す時期がきたようだ。
覚えておるかな。わしが前に彼らの精神の主たる〈欠陥〉について、つまり彼らの多種多様で実に特異な〈
ハヴァトヴェルノーニ〉、あるいは彼ら流にいえば〈宗教〉について話した時、彼らの間に広く流布している有害な観念に言及しただろう。彼らはこの有害な観念をすべての宗教の土台にしてしまったが、この観念は〈善と悪〉と呼ばれている。
その時こういう話もした。地球の三脳生物の間に存在しているこの有害な観念のために、最近聖なる
惑星パーガトリーである大きな事件が、あるいはおまえのお気に入りたちの言葉を借りれば〈騒動〉がもちあがったが、不本意ながらもその原因となったのは、おまえの〈ヘルナスジェンサ〉、つまりおまえのお気に入りたち流にいえば、おまえの〈系統樹〉の中の何人かのメンバーだったのだ。
わしがこれから説明することをはっきり視覚化して理解するには、まずこの長い歴史をもつ事件について少し知っておく必要があるだろう。なにぶん、一見したところこの事件がこの観念と関係あるとは思えんのでな。
さて……前にも一度話したように、わしはこの惑星の表面を5度目に訪ねた時には短期間しか滞在せず、すぐに火星の家に帰ってしまった。
そうしたのは、わしの友人が、近いうちにセンターから、我らが《すべてを抱擁する永遠なる主》の側近である智天使の一人が、わしに関するある指示を携えて火星に現われるということを知らせてくれたからだ。
わしが火星で待っていると、事実まもなくこの智天使が現われたが、天から彼に与えられたわしに関する指示というのは、こういうものであった。すなわち、宇宙全体の幸福という目的に向かってのわしの意識的努力の結果生まれた成果のおかげで、つまり言いかえれば、おまえの興味を引いている三脳生物がこの惑星で行なっていた〈生け贄の奉献〉という慣習を根絶させた功績によって、また同時に、宇宙の調和監査官である
天使ルーイソスが我らが《共通なる父である永遠の主》に個人的に嘆願してくれたおかげもあって、わし個人の規則違反に対する罰は軽減され、それ以後わしの子孫にまで及ぶということはなくなったのだ。
だからこの時から、わしの子供たち、つまりおまえのお父さんと
トーイランおじさんは好きな時にいつでもセンターに帰って、そこで、我らの《普遍的父》がなさる無数のことを助ける適切な責務を果たすことができるようになったのだ。
これは我が家族にとって一大事件であり、そこでわしの子供たちはさっそく火星を離れてセンターに帰っていった。帰還した時には、彼らはすでに客観的知識の各分野における立派な賢者であると同時に、その法則を実際に適用するのに実に巧みになっていたから、すぐにそれ相応の責任ある地位に任命された。
おまえのお父さんは、前にも言ったように、我らが愛する
カラタスのある地域の〈ジルリクナー〉というポストに直ちに任命されたが、そこで彼は徐々に、我々の惑星に生息している三脳生物すべてを統轄するジルリクナー長としての権限を獲得し、今もそのポストに就いている。
トーイランおじさんのほうは、これも前に話したように、聖なる惑星パーガトリーエテログラム局の局長補佐の一人に命ぜられたが、この局は昔も今も、我らが大宇宙のほとんどすべての惑星と〈エテログラム・コネクション〉をもっている。
彼もその後局長のポストに命ぜられ、今でもこのポストにいる。ここで説明しておかなくてはならないのは、わしの生み出したもの、あるいはおまえのお気に入りたち流にいえばわしの〈息子たち〉は、なぜ帰還早々それほどの責任あるポストを得ることができたかということだ。
この説明を聞けばおまえにもよく理解できるだろうが、我々が流刑になった当初、わしと一緒に追放された者の中に
惑星カラタスの〈ジルリクナー〉長がいた。彼はポーロージスティウスといって、当時まだ若かったがすでに非常な学識をもっており、あの恩寵あふれる赦免の後には、メガロコスモスの全凝集体の運動の大監査官である自己管理大臣、大熾天使クシュルタルブの補佐官にまでなり、今もその地位にある。
そういうわけで、わしが火星で観測所を造り始めた時も、この学識ある
ポーロージスティウスが、この新しい施設の監査官兼責任者の任に当たろうと申し出てくれた。
もちろんわしはすぐにこの申し出を受け入れた。何といっても彼は、大小様々な凝集体の位置確定の大権威であると同時に、それらの相互維持の法則に関する権威でもあったからだ。そしてそれ以後、この非常に博識な
ポーロージスティウスは火星のわしの家に住むようになった。
後にわしが能動的原理として働いた結実が誕生し、それ相応の年齢に達した時、わしはこの博識な
ポーロージスティウスに、〈オスキアノツネル〉、つまりおまえのお気に入りたちの言葉を借りれば、わしの子供たちの〈教育者〉の役を引き受けてくれないかと頼んでみたところ、彼はこの頼みを快く引き受けてくれた。彼もこのような異常な状況下で生存していたために、その多彩な学識を満足いくまで用いる可能性は全くなかったが、そんな時にわしがこの依頼をしたので、この点に関するいわゆる〈広い活動領域〉が彼に開かれることになったのだ。
この時から、彼自身の厳しい義務(最初はそんなに多くはなかったが)の遂行と並行して、彼は全身全霊をもって、わしの息子たちが、三脳生物にふさわしい責任ある生存を送るのに必要なデータが体内でうまく結晶化するように印象を受け取れるような内的、外的な教育環境の創造に取り組み始めた。
わしの息子たちはまもなく彼にすっかり魅了され、彼が観測所の仕事をしている時でも、片時もそばを離れなくなった。そんな時でもこの善良な
ポーロージスティウスは絶えず彼らの理性を啓発し、様々な凝集体の観測や、それらが相互に及ぼす影響の研究方法、またその影響自体の意味などについて、いろいろと実際的な説明をしておった。
彼はいつも、なぜ、また何の目的である特定の宇宙凝集体がある特定の場所を占めているのかを説明し、汎宇宙的
トロゴオートエゴクラティック・プロセスの進行中にそれらが互いに及ぼし合う影響の特殊性を教えていた。
こんなふうにすばらしい学識をもった生物の教えを受けていたから、わしの生み出したものの体内には、すべての責任ある三脳生物に必要とされるデータばかりでなく、種々の宇宙凝集体とその機能に関する真の知識を感じ取り、完全に把握するための多くのデータまで結晶化してきた。ところで、ちょうどこの時期に、それぞれの息子の中で、観察したり勉強したりする上での好みの主題が次第に形成されてきた。
つまり、おまえのお父さんは、第一源泉である至聖絶対太陽に近い圏内にある様々な宇宙凝集体の相互の影響や維持の様子を観察したり研究したりするのが好きになり、
トーイランおじさんは、惑星地球を観察して、おまえの興味を引いている三脳生物の生存プロセスを見ることに興味を示すようになった。だからわしも何かの用事で忙しい時は、よく彼に頼んで、地球で生じた変化をすべて記録しておいてもらったものだ。
わしの息子たちが永久に火星を離れる準備ができた時、
トーイランおじさんはわしに、地球の人間たちを観察した結果を定期的に知らせてくれるよう頼んだので、もちろんわしは承諾した。それから彼らは、我らの主の御許に近いセンターへと飛んでいった。
そこに着くと、彼らが宇宙凝集体の位置や性質や特徴について非常によく知っていること、そしてそれら相互の影響の総体を計算するのに精通していることが明らかになった。そこで彼らはすぐに、さっき言ったような責任ある地位に任命された。
こうして適任と認められたポストに就き、それぞれの任地に落ち着くと、それ以来わしは約束通り、我々の暦でいう一年に4回、ずっと続けている観察の要約の正確なコピーを
トーイランに送っている。こうしてトーイランエテログラムを送り始めてからすでにかなりの時が経つが、わしも、惑星パーガトリーで起こったあの騒々しい事件についての情報を得るまでは、彼らがどんなふうに暮らしているのかよく知らなかった。その時わしが知ったのは次のようなことだ。この聖なる惑星パーガトリーの大長官は全地域扶養官である大智天使ヘルクゲマティオスだが、ある時彼は偶然、エテログラム局の局長補佐の一人、つまりトーイランが、太陽系オルスにいる父からとても長いエテログラムを定期的に受け取っていることを知り、その内容を知りたいという希望を示した。それらに目を通すと、彼はその内容にいたく興味をもったばかりか、トーイランおじさんに、このエテログラムの内容を汎惑星的〈トーロークテルジネク〉でそのつど再現するよう命じた。つまりそうすれば、この聖なる惑星に住んでいる〈高次存在体〉が、もし気が向けば、メガロコスモスのはるか片隅に生息するこの奇妙な三脳生物の精神を知って気晴らしにでもできると考えたのだ。

*原注-
トーロークテルジネクというのは、地球上で〈無線電報〉と呼ばれているものに、もちろんある程度だが、似ている。

それ以後
トーイランおじさんはいつもそうしてきた。つまりわしからエテログラムを受け取るといつでも、その内容を汎惑星的トーロークテルジネクで再現するのだ。こうして聖なる惑星に住むすべての廉潔なる魂は、これら三脳生物の奇妙な精神に関するわしの観察や調査をすべて知ることができるようになった。
その時以来、この聖なる惑星の廉潔なる高次存在体のある者たちは、わしの観察を非常に注意深く聞き始めただけでなく、自分たちでも彼らの精神の不可思議さに思いを巡らし始めた。至福に満ちた高次存在体たちは、熟考の末、惑星地球の三脳生物の精神には何かおかしいところがあることに気づき、さらにこの〈何かおかしいところ〉の原因として疑わしいものを探り当て、そればかりか、ついに彼らの多くは、一見したところ不正と思えるものがいわば天から彼らに下されたのだと考えて深刻に憤慨し始めた。
義憤を感じたこれらの〈魂〉が他の〈魂〉と印象を交換し合うようになると、憤慨する者の数はますます増えていき、ついにはこの聖なる惑星のあらゆる〈
ザローアリー〉はこの話題でもちきりになってしまった。

*原注-聖なる惑星の
ザローアリーは、地球でいう町や村にだいたい相応している。

その結果彼らは、聖なる惑星の住民全体から50の廉潔なる魂を選出して合同で調査にあたらせ、惑星地球の三脳生物の精神にはどうしてこのような愚かしさが、つまり、何らかの理由で時おり彼らのある者の中に生じた〈高次の部分〉が自己完成に至るのを不可能にしている愚かしさが存在するのか、その真の理由を突き止めさせることにした。
選出された50の廉潔なる魂は、存在するあらゆるもののこの上なく神聖なる源に行く候補者としてすでにふさわしい者たちであった。
聖なる惑星の管轄者である全地域扶養官の
大智天使ヘルクゲマティオスまでが、この50の至福に満ちた魂の選出を認可したばかりか、彼自身の恩寵あふれる決定でもって、彼らの使命の遂行をあらゆる形で援助するとまで表明した。
というわけでだな、坊や。この50人の絶対太陽への候補者は調査を始め、複雑な研究を長期間続けた結果、次のようなことを明らかにした。すなわち、この惑星に誕生する三脳生物の精神がこれほど異常になった根本的原因は、その生物たちの間に、あるきわめて確固たる観念、つまり自分たちの本質の外部に、いわば真っ向から対立する2つの要因、すなわち〈善〉の源泉と〈悪〉の源泉があり、これが彼らの善悪様々な表現行為を誘発しているのだという確固たる観念が、生まれて定着してしまったことである、と。
つまり、惑星地球の三脳生物はこの有害な観念を惑星中にばらまき、定着させてしまったが、これを生み出す母体となったデータは彼らが準備的年齢に達するまでの期間に徐々に彼らの中で結晶化し、責任ある存在として生存する間は彼らの精神全体を支配し、一方では彼らのあらゆる表現行為を正当化して心を落ち着かせ、また一方では彼らのある者の中に生じる高次の部分を完成させる可能性を妨害する根本的要因となっていることが判明したのだ。
聖なる惑星の廉潔なる住民たちは以上のことを突き止めると、その三脳生物たちがこの状況を抜け出すためには彼らの側からどんなことがしてやれるかを見つけ出すためにあれこれ考え始めた。
わしが聞いたところでは、彼らは
ザローアリーのいたるところで集会や会議を開き、全員の努力で何らかの結論にたどり着こうとした。廉潔なる魂たちは長期間慎重に考え、単一のザローアリー内だけでなく様々なザローアリーにおいて非常に込み入ったいわゆる〈投票〉なるものを行ない、その結果次のような決定がほぼ全員一致で採択された。
まず第一に、我らが《創造主》に嘆願し、《彼の》恩寵でもって、この有害な観念をその場で根絶する可能性を見つけるだけの理性を生み出せるデータをもった使者を、天からこの惑星地球の三脳生物に遣わしていただくこと。第二は、この惑星の表面にこのような有害な観念が生まれたことが、今も昔も、そこに誕生する聖なる高次存在部分にとっての恐るべき不幸の根本的原因であるという事実に鑑みて、我らが《共通なる父》に、地球の三脳生物の間でこの有害な観念が生まれる原因となった者の高次存在部分は、たとえその高次存在体がいかに聖なる理性の要求される段階にまで自己を完成させていたとしても、聖なる惑星にやってきて住むことを許さないよう、そしてそのかわりに、惑星・良心の呵責に永久にとどまることを運命づけて下さるよう、残念ではあるがあえてお願いしてみることにしたのだ。
ちょうどその時、つまり聖なる惑星の住民がこの決定を可決した後に、さっき言った〈騒動〉がもちあがったのだが、この叙事詩ばりの話を知っている聖なる個人たちの中で、この話を思い出していわば〈身震い〉を感じない者はそう多くはないはずだ。
この騒動がもちあがった経緯はこうだ。今言った決定が認可されると、選出された50人の絶対太陽への候補者を中心としてすぐに実行に移され、地球のどの三脳生物が(恐らく彼はすでに高次存在部分を体内に形成しているであろうが)この有害な観念をこの惑星上に生み出す原因となったかを突き止める仕事に着手した。
調査の結果、この悪しき観念の結晶化に最初に手を貸したのは、
マカリー・クロンベルンクジオンなる三脳生物であることが判明したが、すでに彼の高次存在部分は必要とされる理性の段階にまで完成されていて、聖なる惑星に行くにふさわしくなっているばかりか、至聖絶対太陽に送られる最初の候補者の一人とさえ考えられていた。
後で聞いた話では、このことが聖なる惑星に知れ渡ると、惑星全体からいわば〈うめき声〉が舞い上がった。そこの廉潔なる魂の誰一人として、この恐るべき事実を聞いて後悔の念を覚えなかった者はいなかったという。
その後一年の四分の一近く、彼らはこの空前の騒動について〈ああでもないこうでもないと判断をくつがえす〉ばかりだったので、どこの〈
ザローアリー〉でも様々な委員や副委員がこの途方もない状態を解決するために再び活動を始めた。
こういったことすべての結果、再び前と同じ基盤に立って、今度は次のような案が可決された。
すなわち、『
マカリー・クロンベルンクジオンの高次存在部分に関して可決された最初の全惑星的決定は一時保留して、聖なる惑星の全住民の合意のもとに、《この上なく慈悲深い永遠の主》の御許に、以前に出したあの恐るべき決定を和らげてほしいという請願を申し出る』というものだ。
それで、我らが《この上なく慈悲深い創造者なる永遠の主》が次に聖なる惑星に出現された時、この請願が《彼》の御許に差し出された。
話によると、我らが《この上なく慈悲深い創造者》はほんの少し考えただけで、この立派な魂が、彼の悪行の結果が将来明らかになるまで聖なる惑星に生存し続けるよう命じることに同意なさったそうだ。
この完全に形成された高次存在部分が、この惑星の何人かの三脳生物の体内に生じた高次存在体が完全に自己を完成することを不可能にしている根本原因であるという事実にもかかわらず、我らが《共通の父》がこの慈悲深い命令を下されたのは、これらの三脳生物もやがては自らの誤りに気づき、三脳生物にふさわしい形で生存するようになるかもしれないと期待されたからにほかならない。
それにこの場合、あれほどの程度にまで自己を完成することのできた者、つまり彼の力ではどうしようもない、また彼の能力よりもはるかに強力な不利な状態に屈することなく、自分自身の中に必然的に存在する否定的原理と一心不乱に戦った者の高次の部分を、それほどひどく罰する必要はなかった。そこまでやったおかげで彼は、宇宙に存在するありとあらゆるものを支える土台の戸口に達する可能性を手に入れたのだからな。
我らが《この上なく慈悲深い創造者》のこの命令のおかげで、哀れなマカリー・クロンベルンクジオンの高次の部分は今も聖なる惑星にとどまっているが、今や彼の将来は完全におまえの興味を引いている三脳生物次第なのだ。」
かなり長い間をおいてから、ベルゼバブはこう続けた。
「聖なる惑星で起こっているこの事件に関する情報が最初にわしの耳に届いたのは、おまえの惑星の表面に6度目の滞在をしておる時だった。もちろんわしはこれに非常に興味をもち、自分でも直ちに、おまえが興味をもっている三脳生物に関係するこの悲痛な話を詳しく調べ始めた。
まず最初に、坊や、わしの直接の後継ぎであるおまえには率直に次のことを話しておく必要があると思う。つまり、たしかに聖なる惑星の廉潔なる住民は全員、多種多様な、しかも非常に精緻な手段を使って、おまえが興味をもっている三脳生物の精神のあらゆる異常の原因は、過去も現在もこの悪しき観念だけであると明確に断定したのではあるが、それでもわしとしては、これに全面的に同意することはできなかった。
もちろんこの空想的観念が、この不幸な者たちの精神が徐々にいわば〈薄弱化〉していく上で大きな役割を演じていることは否定できない。
この話に興味をもった時、多くの印象がわしの中にひとりでに入ってきて、個人的意見を生み出すデータが結晶化しつつあったところなので、わしも自分で研究を始めて、このマカリー・クロンベルンクジオンの誕生と形成の話を明確にしてみようと思ったのだ。
この特別の調査のおかげで次のことが明らかになった。たしかに〈善〉と〈悪〉という語を使ったのは彼が最初ではあるが、しかし後になってこれらの語が、後代の人間たちの生存プロセスの中で、おまえのお気に入りたちにとって害になるような意味をもつようになったことについては、彼には何の責任もない。
坊や。もしこれから、このマカリー・クロンベルンクジオンの誕生と生存プロセスの歴史についてわしが手に入れた情報をおまえに教えれば、恐らくおまえの中では、この地球上で起きた事実に関する大まかな理解のための適当なデータが結晶化するだろう。
まず次のことから話そう。この仕事に専念しようと決めた時から、適当と思われる個人に会うといつでもわしは、このマカリー・クロンベルンクジオンの個人性の何らかの側面に光を当ててくれそうなことなら何でも尋ねるようにした。
たぶんおまえにとっても興味深いと思うが、わしが初めの頃会った者の中で、このことに関して何らかの情報を提供することのできた個人の一人は我々の種族の老人で、彼はこの点で非常に役に立つことが判明した。話の中で彼はたくさんの疑問を明らかにしてくれたばかりか、後にそこから有益で詳細な情報をくみ取ることになるすばらしい情報源をいくつか教えてくれた。
これから話すこの老人は、実は我々の種族のある若者のおじさんであったが、わしはほかでもないこの若者のためにおまえのお気に入りの惑星に最初に降下していったのだ。この若者は後に、
オルス系に流刑された我々の種族全員の首長になった。
この老人はおまえのお気に入りの惑星ではアトランティス大陸に生存していたが、ちょうどその当時、あのマカリー・クロンベルンクジオンもそこに生存しておった。特別な調査方法によって入手した全情報によると、このマカリー・クロンベルンクジオンと名づけられた地球の三脳生物は、責任ある年齢に達したばかりの二人の異なる性の人間の間で行なわれた〈
エルモーアルノ〉という聖なるプロセスによってアトランティス大陸に誕生し、そこで生存を始めたということが判明した。
このカップルの遺伝的条件はあらゆる点から見て健全なもので、それに通常の外的な生存状態全般もそこではまだ比較的正常で、おまけにこのカップルは特別の好条件に恵まれていたので、この聖なるプロセスの結実、すなわち後にマカリー・クロンベルンクジオンと呼ばれるようになる、彼ら流にいえば彼らの〈息子〉は、誕生当初から生存の初期にかけて、われらの
大メガロコスモスの他のどの惑星においても、すべてのケスチャプマルトニアン三脳生物が誕生時にもっているべきデータ、つまり将来責任ある存在になった時の存在を生み出すデータをすでに体内に受け取っていた。そして彼を生み出した者、つまり当地流にいえば彼の〈両親〉は、彼らの〈結実〉が責任ある存在になった時に、〈科学に関する仕事〉に就けるような準備をしてやりたいという欲求をたまたまもつようになり、それと同時に、やはり偶然に、彼を適切に導ける指導者を見つけることができたおかげで、彼らの結実が責任ある存在となった時にはすばらしい〈科学者〉となっていた。
これはもちろん地球にとっては非常にいいことであった。
まもなく彼はその科学的業績によって名が知れ渡るようになり、知識人集団
アカルダンの正会員にまでなった。
責任ある存在として科学の分野で生存プロセスを送るうちに、彼は再び自分の存在の意味がもつ真の価値をはっきり直視し、そして自分が〈無であること〉を痛切に感じるようになった。
この時から彼は、悲痛な思いを抱きつつこの認識について真剣に熟考するようになり、その結果、彼の身体全体のすべての部分に徐々に希望が湧いてきて、ついには、意識的努力と意図的苦悩を通して自分を無から〈何か〉に変容することができるという確信を抱くに至った。
それからというもの、彼は意識的に、容赦なく自分の否定的部分に働きかけ、この否定的部分が不快を覚えるような状態を意図的に作り出した。さらに彼は、これらの意識的努力および意図的に作り出す状態を、彼が責任ある存在として引き受けた義務、すなわち科学研究の分野での認識や表現行為においてのみ実現させようとした。
彼がある宇宙的真理を理解したのは彼の生存のまさにこの時期であった。
当時の三脳生物の大多数と同じように、彼の中には〈同種のものへの愛〉と呼ばれる衝動を生み出すデータがまだ結晶化しており、そのため彼は、自分が知るに至ったこの真理を、この惑星に住む自分のまわりの自分と同種の人間たちにも知ってもらおうと思って、『人間に及ぶ肯定的ならびに否定的影響』と題する〈
ボールマルシャーノ〉を大理石で作った。
アトランティス大陸に存在していた
ボールマルシャーノというのは、現代の人間たちが〈本〉と呼んでいるものに相当する。たまたまわしはその後、つまり6度目の滞在の時に、〈チルニアーノ〉と呼ばれるものの牙でできたこのボールマルシャーノの正確な複製を見ることができ、それをかなり詳細に解読してみた。
おまえのお気に入りの惑星に最後に滞在していた時にたまたま解読することのできた、マカリー・クロンベルンクジオン自身の手で彫られたこの
ボールマルシャーノの複製が、どのようにして手つかずのまま現代にまで伝わったのかという点に関してわしが知ったことは非常に示唆に富んでおり、おまえにも興味があるだろうから、まずこれを簡単に話しておこう。
ボールマルシャーノのオリジナルが作られると、アカルダン協会の博識なるメンバーたちから非常な賞讃を受け、この協会に属している者たちが中央〈大寺院〉と呼んでいるものの中心に置かれることになった。
この
ボールマルシャーノの内容は当時ますます多くの人間たちの関心を引き始めたので、この協会の指導者たちはこれの複製をいくつか作り、アトランティス大陸だけでなく他の大陸の支部教会にも同じように置くことに決定した。
そのため、さっき言った
チルニアーノの牙で7つの正確な複製が作られた。
わしが〈
スピサイコーナリアン調査〉と呼んでいるもので明らかにしたところによると、その複製の一つは、当時〈シンドラーガ〉という名で存在していた小大陸(これは現在のアフリカ大陸からほど遠からぬところにあった)の協会の支部に委託された。
しかしこの不運な惑星に起こった
第二トランサパルニアン大変動によって、この小大陸〈シンドラーガ〉もアトランティス大陸と同様、その上に存在していたすべてのものと共に惑星の中に陥没してしまった。
現在〈アフリカ〉と呼ばれている
グラボンツィ大陸のほうは、(これはおまえも気づかなければならんが)当時たしかに全体が惑星の中に陥没したわけではないが、それでも他の現存している大陸、例えばアジア大陸と同様、多少は変動が起こった。すなわちある部分は陥没し、その場所に他の部分が海中から隆起して残っている部分と結合して、現在見られるような形を形成したのだ。
どうやらこの複製が
グラボンツィ大陸にもってこられ、そこからまたさらに別の場所に送られようとしていたちょうどその時、この不運な惑星に第二の大変動が起こったらしく、そしてこの複製が発見されたグラボンツィ大陸の表面が偶然にも無傷のまま残ったおかげで、この複製も惑星の中に埋もれるのを免れたのだ。
この恐るべき出来事の後、聖者に列せられるかどうか未定のままのマカリー・クロンベルンクジオンが作り出したものは長い間廃墟の下に埋もれ、次第に〈
カシマン〉におおわれていった。
その後30世紀を経て、おまえが興味をもっている三脳生物が再び繁殖し、この場所の近くで、当時〈
フィルノーアンジ〉および〈プリタゾーラリ〉と呼ばれていた共同体の間で相互破壊のプロセスが起こったが、その時共同体〈フィルノーアンジ〉の人間たちが自分たちとラクダの飲料水を手に入れるために穴を掘っていたところ、この複製を見つけて掘り出した。
その後まもなく、地球ではすでに通例になっていたことだが、この両方の共同体の人間たちの間で、彼らが〈友好条約〉と呼ぶものが締結され、同時にそのプロセスの間に様々な方法で、つまりこれもすでに通例となっていた〈征服〉とか〈略奪〉とか〈接収〉とか〈補償〉などと呼ばれる方法で、手に入れたものを全部山分けにした。それで、当時の地球の人間たちの理解では単に珍しい素材というにすぎなかったこの獲物も半分に分けられ、それぞれの共同体の人間たちはこの偉大なる創造物の各半分をもち帰った。
この複製の一方の半分は様々な理由でグループからグループへと渡り、最終的に7世紀後には、〈エジプトの高僧〉と呼ばれる者たちの手に渡った。
いくつかの牙を特殊な形で組み合わせてできているこの奇妙なものは、すでに彼らの理解の及ばぬものとなっており、そのため彼らはこれを聖なる遺物として保存したが、それも、前に一度話したことのあるペルシア王が大軍団を引きつれて、この不運なエジプトを、地球流にいえば〈一掃〉するまでのことであった。
そんなわけで、
ボールマルシャ-ノの複製のこの半分は今度はさらにアジア大陸に渡り、ここでも次々に人手に渡って、わしが6度目にそこにいた時には、あるアイソールの僧が祖父からの遺産の一部として所有していたが、わしが初めてこれを見たのはこの僧のところであった。
前例もなく、再び作ることもできないこの創造物のもう一方の半分は、これも様々な理由で人手から人手に渡り、最後にはアジア中部の共同体の一つに落ち着いた。ところがそこで〈地震〉と呼ばれるものが起こり、ひどく深いところではないが惑星の中に埋もれてしまった。
ここでついでに、6度目の滞在の時、これらはるか以前に起こった出来事や他の同様の情報全般を、どうして知ることができたかを話しておこう。
前にも話したが、この6度目の滞在の時、わしは職業的ないわゆる〈医療催眠術師〉なるものになり、特にこの催眠術の助けを借りて、つまりおまえのお気に入りたちの精神に遺伝的に蓄積されているある特殊な固有性を通して、彼らの奇妙な精神を研究した。
彼らの間でこの活動を続けている期間に、わしは彼らの何人かにある特殊な催眠術をかけ、そしてこれらの者を、以前の時代には〈
ピチアス〉、現代では〈霊媒〉と呼ばれているものに仕立て上げた。
ピチアス、あるいは霊媒に変えられたこれらの三脳生物は、周囲の偶然の環境から自然にそうなったのか、それとも別の意識が働いて意図的にそうなったのかはともかく、急な血液循環の変化に伴う内部の精神全体の変化に惑星体の内的機能がうまく順応し、その結果この者たちの体内では、意識的なものであれ無意識的なものであれ、外部に支配されている彼らの全般的な精神の種々の特殊性が自由に機能するのが妨げられなくなり、そればかりか、真の意識を生み出す母体となる、いまだに彼らの体内に残っている主要な自動的データも妨げられずに自由に働くことができるようになった。彼らの体内で働くこれらの機能を総称して彼らは〈潜在意識〉と呼んでいる
彼らの中に形成された様々な原因ゆえに、この潜在意識の中には、三脳生物に共通する精神の特殊性も偶然生き残っていたが、一般的にいえば、これはある条件の下でなら機能することもある。この特殊性は〈はるか昔に起こったことを見、かつ感じる能力〉と呼ばれている。
それでだな、坊や。わしは6度目の滞在中に、あの悲しむべき汎宇宙的な歴史がおまえの惑星で始まったことを知って、すぐその場で調査を開始し、同時にマカリー・クロンベルンクジオンの個人性もはっきりさせようとしたが、この事件はすでに遠い過去のものであった上に、本来その責任をとるべき存在に関する
〈カルザノーアルニアン〉痕跡までも完全に消滅していたので、そこでわしは通常の調査方法に加えて、スピサイコーナリアン方法も用いることにした。
わしは
スピサイコーナリアン方法の中でも特に、いわゆる〈霊媒術〉と呼ばれるものに頼ることにした。つまり、さっき話した特別に仕立て上げた霊媒たちの特殊な性質を利用することにしたのだ。
マカリー・クロンベルンクジオンの人物と活動について調査を進めていくうちに、彼に深い関係のある〈何か〉が今もこの惑星の表面に残っている可能性が強いことが判明したので、今言った方法でこの〈何か〉を探し始めた。この方法で、前に言ったように、マカリー・クロンベルンクジオンが一人で作った
ボールマルシャーノの複製の半分をアイソールの僧がもっていることを突き止め、同時にこの僧がアジア大陸の〈ウルミア〉と呼ばれる地域に住んでいることもわかったので、そこに行って彼を捜し出し、たしかに彼が非常に古い、彼の言葉によれば〈ひどい形の大きな象牙の塊〉をもっていて、すばらしく価値のある骨董だと考えていることを知った。
商談をもちかけると、彼はそれを見せることには同意したものの、どんな金額でも売ることだけは拒否した。それでも何日聞か通いつめて説得した結果、石膏の複製を作ることを許可してくれたので、わしはこれを作ってもち帰った。
同じ調査方法で、複製のもう片方もどこにあるかまもなくわかったので、その内容を解読するために直ちに手に入れようとしたのだが、これには非常に苦労した。
さっきわしは、地中に埋もれたもう一方の半分は、当時まだそれほど深くは埋もれていなかったと言ったが、それでも普通の方法で手に入れるには不可能なくらいの深さであった。
しかしもっと大きな問題は、それが埋もれていたのがおまえのお気に入りたちが集中的に住んでいた地域の中心の近くだということで、そのためわしはすべての準備を前もってやり、彼らの誰一人としてこのことを知ったり、あるいは気づいたりしないように、あらゆる手段を講じなければならなかった。
例えばこんなこともあった。その場所の近郊を大小様々な地主から買い取り、外国人の人夫ばかりを使ってそこを掘らせ、しかもいわゆる銅山の坑道を掘っているふりをしなければならなかった。
そんなわけでだな、坊や。こうしてわしは聖別未定のマカリー・クロンベルンクジオンの作り出したものの複製の両半分を今言ったような方法で手に入れ、当時わしの主な逗留地であった、現在〈トルキスタン〉と呼ばれている国のある町にもち帰った。そしてマカリー・クロンベルンクジオンが生み出した、
ボールマルシャーノに刻みこまれている『人間に及ぶ肯定的および否定的影響』と題された科学論文の内容を解読し始めた。
三脳生物の理性と、そしていうなれば〈手〉とが生み出したこの偉大なる産物の内容については、家に帰ってから必ずできるかぎりその言葉通りに話してやるつもりだが、とりあえずは、マカリー・クロンベルンクジオンが最初に〈善と悪〉の観念を扱った部分だけを説明してあげよう。彼はこの言葉で、霊的存在物の形成だけでなく、比較的独立した宇宙生成物一個一個の流動的な状態の形成においても、それにもちろん個々の生物の形成においても、その土台となっている種々の力を言い表わそうとしたのだ。
このボールマルシャーノに記録されている概念を普通の言語で言い表わすならば、次のようになるだろう。

『明らかに我々人間は、世界に存在しているありとあらゆる構成単位と同様、常に同じ三つの独立した力によって形成されており、またそれらの力によって存在するすべてのものの間には相互維持のプロセスが進行している。三つの独立した世界力とは以下のものである。
第一の力は、第一源泉そのものの中で活動する諸原因から、そしてまた新たに生まれたものの圧力によって絶えず生じ、惰性の力で生じ続けながらこの第一源泉から流出している。
第二の世界力は、最初の力が受けた惰性の力ではもはや進まなくなり、それが生まれてきたもとの源泉と再融合しようとする時に生まれる力である。この再融合を促すのは、〈ある原因から生じた結果は必ず再びもとの原因に戻らなくてはならない〉と呼ばれている根源的な世界法則である。
この二つの力は相互維持のプロセス全体の中では完全に独立しており、それぞれの現われにおいては常に、またいかなるものにおいても、それ自身の特性と特殊性を発揮する。
二つの根源的力のうち第一のもの、つまりそれ自身ではどうにもできない必然的な力によって、常にそれが生じる源泉の外部で顕現する力は、絶えず退縮しなくてはならない。逆に第二のものは、それが生じたもとの原因と再融合しようとして、常に、またあらゆるものにおいて進展しなくてはならない。
さっき言った三つの独立した力のうちの最初のものは、存在するあらゆるものを生み出す母体そのものの中で進行する活性力あふれる活動から生じ、それゆえ生命力を生み出す可能性の芽をその中に宿している。以上のことから、この力を〈善〉と考えることができる。つまり逆行的結果を生み出す要因とみなすことができる。一方この逆行的結果は、第一の力との関係から、〈悪〉と考えることができるし、またそう考えなくてはならない。
さらに、第一源泉そのものの中に生じる必然的かつ不可避的原因から現われる第一の力は、この見地からみるならば、受動的と考えることができる。一方、第二の逆行的な力は能動的と考えなくてはならない。それはなぜかというと、逆行しうる可能性、あるいは少なくとも、第一源泉内の諸原因から惰力を得た第一の受動的な力の流れに耐えられるだけの力を手に入れるために、絶えず抵抗を続けなければならないからである。
第三の独立した世界力は、先の二つの根源的な上昇する力と下降する力とが、あらゆるところで、またすべてのものの中で衝突する結果生じる力にほかならない。
第三の独立した力は、先の二つの力が生み出す結果にすぎないとはいえ、それは世界のあらゆる形成物の霊化の源泉であり、調和の源泉なのである。
なぜそれが世界のあらゆる形成物の霊化の源泉であるかといえば、全く逆方向に流れる先の二つの根源的な力の間に起こる、相互に及ぼし合う種々の特殊な抵抗から生じた結果が存在している間ずっと、この第三の力はそれらの形成物の中に一つの存在物として誕生し、そしてとどまらなくてはならないからである』


というわけでだな、坊や。あの不幸なマカリー・クロンベルンクジオンが初めて〈善〉と〈悪〉という言葉を使った時には、今話したような概念と意味をこめて使ったのだ。
彼の
ボールマルシャーノと、わしがその地で明らかにした他のデータとをもとにして、わしはマカリー・クロンベルンクジオンその人およびこの件にまつわるすべてのことに関する独自の意見を結晶化させたが、それは聖なる惑星の廉潔なる住人たちが出した結論とは全く違うものであった。彼らも独自の調査を経て結論に至ったとはいえ、その調査は賢明なものではあったが現地でのものではなかったのだ。
もう一度言うが、たしかに〈外なる善と悪〉という観念を生み出したのはマカリー・クロンベルンクジオンの個人性ではあったが、わしに言わせれば、これがあのような有害な意味を帯びるに至ったことについては、彼には何の責任もない。
それはともかくとしてだな、坊や。こういったことに関してわしがそこで行なった詳細かつ公平無私な調査の結果、次のことは疑う余地のないものになった。
この悪しき観念は次第に今まで話してきたような形をとるに至り、空想的な観念、すなわちおまえのお気に入りたちの外部に〈善と悪〉の客観的な源泉とでもいうべきものが存在し、それが彼らの本質に働きかけるという観念を生み出すデータが彼らの体内に結晶化する上での、彼らの精神にとっての〈実現要因〉と呼ばれるものになった。そしてその時から(最初は自然に、しかし後になると彼らの奇妙な意識を通して)別の奇妙なデータが彼ら一人一人の精神全体の中に結晶化し始めたが、このデータは自動的な連想によって、善きものも悪しきものも含めて彼らのあらゆる表現行為を生み出すのは彼ら自身ではなく、あるいは彼らの本質的なエゴイズムでもなく、彼らとは全く関係のない外部から来る未知の影響力であるという確信を彼らの中に生み出したのだ。なぜこの空想的観念からこれら不幸な者たちにとっての根源的な悪が生じたのかというと、その主な理由は(もちろんいつもながら、彼ら自身が生み出した例の通常の生存状態のために)彼らの体内ではすでにこれ以前から、〈様々な側面をもつ世界観〉と呼ばれるものを生み出すデータが結晶化しなくなっており、そのかわりに彼らの体内では、外部に存在する善と悪という有害な観念だけを土台として〈世界観〉が形成されるようになったからだ。
事実、現在ではおまえのお気に入りたちはすでに、一つの例外もなくすべての問題を、つまり通常の生存に関する問題はもちろんのこと、自己完成や種々の〈哲学〉、そして現存する様々な〈科学〉に関する問題、それにもちろん無数の〈宗教の教え〉から、かの悪名高き〈道徳〉〈政治〉〈法律〉〈倫理〉等々と呼ばれるものに関する問題に至るまで、すべて完全に、この空想的な、しかし客観的にいって彼らにとって非常に有害である観念のみに基づいて取り扱っている
この有害な観念についていろいろ話してきたが、これに加えてだな、坊や。この奇妙な惑星に流刑された我々の種族の者たちが、ある滑稽な出来事に不本意ながら関与するに至った経緯を話してあげよう。これを聞けばきっとおまえも、〈善〉と〈悪〉に関しておまえのお気に入りたちがもっている奇妙きてれつな観念のほぼ実像に近いものがつかめるだろう。
今から話すように、我々の種族の者たちは、全く意図しないのに、あの奇妙な三脳生物の通常の生存プロセスの中でこの滑稽な話が完全にできあがる原因になってしまったのだ。
前にも話したように、我々の種族のかなり多くの者がこの惑星に住むようにはなり、初めのうちはおまえのお気に入りたちの祖先とうまく交わり、かなり親しく交際する者もいた。
ここで言っておかなければならんが、これから話す悲喜劇的な話に関連するようなことは、我々の種族が実際彼らと共存していた間には全く何一つなかった。ただし唯一の例外は、我々の種族が最終的にこの惑星を離れる前に、ある通念、つまり我々の種族の者はいうなれば〈不死〉であるという通念が生じて、ある者たち(特別に純朴な者たちだけだが)の間に定着するようになったという事実だ。
なぜこういう通念が生まれたかというと、我々の種族の者たちの生存期間は彼らのそれよりも比較にならないほど長く、それゆえ
聖〈ラスコーアルノ〉が起こることは稀で、恐らく彼らがそこにいた期間、我々の種族の誰にもこの聖なるプロセスが起こらなかったからであろう。
もう一度言うが、今言ったことのほかには我々の種族がそこにいた間は何一つ問題はなかったのだ。
その後、ある配慮のもとに、この惑星に生存する我々の種族の者の数はできるかぎり少なくせよという通達が天から発せられた。そこで我々の大半は同じ太陽系の他の惑星に移住したが、その結果この惑星には我々の種族の者はほとんど残らなかった。そしてまさにこの時からあの滑稽な話が始まり、今でも我々の種族の何人かは、不本意ながらも本名でこの話に登場しているのだ。
この奇妙な偶然の一致、つまりこれら奇妙な三脳生物たちが自分たちの空想的な考えに我々の種族の多くの者の名前を結びつけるようになったのは、次のことが原因であった。
我々の種族がこの惑星を離れてまもなく、アルマナトーラという者が初めて、例の悪しき観念に基づいて一つの〈宗教教義〉を作り上げたが、彼はティクリアミッシュ文明の絶頂期の人間で、職業は僧侶、それもまわりの者が〈博識な僧侶〉と考える者の一人であった。
この〈宗教教義〉の中で彼は史上初めて、彼らの間に存在する目に見えない霊が〈外なる善と悪〉をまき散らし、さらにはこの霊は、人間がこの〈善と悪〉を受け入れ、行為によってこれを表現するよう強制していると説き、〈善〉を広める〈霊〉を〈天使〉、〈悪〉を広める〈霊〉を〈悪魔〉と名づけた。
彼によれば、この上なく高貴で神聖なる〈善〉を運んできて広める天使たちは、彼ら自身この上なく高貴で神聖なので、人間には絶対見えないし、感じることすらできない。
しかし悪魔のほうは最下層の出身なので、つまり〈底辺〉そのものから這い上がってきているので、人間にも見ることができる。もし人間に悪魔が見えないことがあるとすれば、それは悪魔が〈暗示〉をかけているからで、それゆえ人間の視覚が悪魔をとらえる確率はその人の〈公正さ〉に比例している、というのだ。
この新しい宗教教義が広範囲に広まった頃、彼らの中に、以前人間たちの間にはいうなれば不死の者たちがいたが突然消え失せた、という情報を祖先から伝え聞いている者たちがいた。そしてほかならぬ彼らが、この突然消え失せた者たちこそ悪魔であり、この悪魔たちは真の宗教教義が生まれるのを予見し、その結果人間たちが〈彼らを見つけ出す〉のではないかと恐れて突然自分たちの姿を不可視に変えたが、実はまだ人々の間にいる、などという憶測を広めることに決めたのだ。
この宗教教義が興った当時の人間たちは、今話したような経緯で我々の種族の者たちの名前をたまたま伝え聞いていたが、これらの名前はまさにこの時から格別に重要な意味をもつようになり、これが代々伝えられて、現代のおまえのお気に入りたちまで伝わっている。
彼らは現代に至るまで、あらゆる空想的な〈役割〉をこういった名前に割り当てているが、彼らの想像力によれば、これらの役割は必ずやあの悪魔の〈軍団〉が担っているはずのもので、しかもこの軍団は、なんとわれらが《創造主御自身》が特別に組織され、彼らをからかうためにこの惑星に遣わされているというのだ。
要するに、われらが
メガロコスモスにいるこの三脳の奇形生物の想像力では、悪魔というのは、いわば彼らの間に存在する不可視の〈何か〉で、我らが《あらゆるものを扶養される創造主》の命を受けて、《扶養者としての彼》のある目的のためにこの惑星に派遣されているように思えるのだ。
これらの悪魔たちは、まあいうなれば嘘も真実もとりまぜたありとあらゆる手練手管を使って人間にささやきかけ、人間たちが一歩踏み出すごとに、すでにいわば彼らの本質の特性となっている無数の〈悪業〉を犯すようそそのかすというわけだ。
もしそういった様々な悪業が彼らの間で起こっているとすれば、それはもちろん誤った生存の仕方をしている彼らが、自分たちの中に内なる〈邪神〉(わしは前にこれを〈自己沈静〉と呼んだことがある)が生まれるのを許したからにほかならないのだが、彼らはもちろんそんなことは考えもしない。彼らの内なるこの〈邪神〉は彼らの精神全体を完全に支配しており、まさにこれこそが〈外なる善と悪〉という観念を必要としているのだ。
ともかくこの空想的な考えから、われらが比類なきルシファーの名が彼らの間で広く讃美され、その栄光が讃えられるようになった。実際のところ、宇宙のいかなるところでも、おまえのお気に入りたちほど彼の能力を誉め讃えている者はいないのだ。」
ベルゼバブがここまで話した時、宇宙船カルナックのこの話が行なわれていた部屋に召使いが入ってきて、ベルゼバブに新しく届いた彼宛の〈
レイトーチャンブロス〉を渡した。そして部屋を出る時、彼はみんなの方を向いて、惑星カラタスの大気圏の反照がもう見えるようになったと嬉しそうに言った。

第45章 ベルゼバブの意見によれば、人間が自然から電気を抽出し、使うことによってそれを破壊していることが、人間の寿命を縮めている主因の一つである

タイトルの通り、過剰な電気を生み出すことは人間にとって大変有害なようです。

第46章 ベルゼバブ、人間に関する情報を伝達するにあたって選んだ形式および順序の重要性について孫に説明する

第二存在食物を摂り終えると、ベルゼバブは〈
ジャメーチョーナトラ〉からいつも会話をしている場所にすぐには戻らないで、まず彼の〈ケシャー〉に行った。
ケシャーというのは宇宙船内のある部分につけられた名前で、地球の船で〈客室〉と呼ばれるものに相当していた。
ケシャーに入るとベルゼバブはまず、もうひどく老衰している彼の尻尾をある液体につけて少し冷やした。かなりの老齢である彼は時々こうしなくてはならなかった。
ケシャーを出て、宇宙船カルナックの中の通常時間を過ごしている場所に静かに入っていくと、彼は思いがけずあまり見慣れない光景を目にした。
彼の愛する孫のハセインが部屋の隅に立って、手で顔をおおって泣いていたのである。ベルゼバブはひどく動揺し、急いでハセインに近づくと心配そうな声でこう尋ねた。
「坊や。いったいどうしたのだ。本当に泣いておるのか」
ハセインは、返事がしたくても彼の惑星体のすすり泣きのためにどうにも言葉が出ないようだった。
かなり時間が経って、ハセインの惑星体が少しばかりおだやかさを取り戻した時、ようやく彼は話せるようになった。ひどく悲しそうな目をしていたが、それでも顔には愛情にあふれた微笑みが浮かんでいた。
「お祖父様、どうか心配なさらないでください。こんな状態はすぐに終わってしまいます。ぼくはこの〈
ディオノスク〉の間、一所懸命考えてみたのですが、このような不慣れで〈新しいテンポをもった〉活動をしたために、ぼくの身体全体の活動の普通のテンポがすっかり変わってしまったにちがいありません。
それで、ぼくの思考活動のこの新しいテンポが、すでにぼくの中に定着している全活動のテンポとうまく調和がとれるまでは、恐らくこの泣くという異常な事態は続くと思います。
お祖父様、正直に申しますと、ぼくの中にこのような状態が生じた根本的な原因は、思考活動における連想によって、あの高次存在体の悲しい運命、つまり様々な偶発的出来事のために、地球の三脳生物の体内に誕生しても、半分しか形成されないこの高次存在体の状況と運命とが、まざまざと目に浮かんできたからなのです。
連想によって引き起こされたこの考えは、
ジャメーチョーナトラで第二存在食物の聖なる摂取を行なっている時に始まり、時とともに悲しみの衝動は強まっていきました。この考えが連想によってぼくの思考活動の中に生じたのは、あそこで起こったことによってぼくがあふれんばかりの幸せを感じた時なのです。
このところずっとあなたは、あの不幸な三脳生物について実に多くのことを話してくださいましたが、彼らについて、ぼくの中のこの考えはこんなふうに展開していきました。彼らにとって実に呪わしいあの〈あるもの〉、つまり彼らの本質とは何の関係もない原因、すなわちあるこの上なく高貴な聖なる個人たちが未来を十分に予見できなかったことから生じた原因により彼らの先祖の体内に植えつけられたあるものの特性から生じる様々な結果のために、彼らの内部でおおい包まれている〈高次存在体〉だけでなく、普通の生物としての彼ら自身までもが、あの至福、つまり、例えばぼくたちがたった今行なったような第二存在食物の聖なる摂取といった行為の最中に、あらゆる種類の比較的独立した個人の体内に当然生じるであろう至福、そういった至福を経験する可能性を永久に奪われている、と考えるようになったのです。」
ハセインが話し終えると、ベルゼバブはじっと彼の目を覗きこんだが、やがて愛という衝動を如実に表わす微笑みを浮かべてこう言った。
「おまえがこの前の
ディオノスクの間中積極的に思考した、あるいは現代のおまえのお気に入りたちの言葉を借りれば、〈その間ずっと内部では眠っていなかった〉ということはよくわかった。ではいつもの場所に行ってこれについて話してみよう。前にもわしはこのことについては話すと約束していたし、こんなことが起こったからにはなおさら適切な話題だからな。」
彼らが席に着き、アフーンもやってくると、ベルゼバブは次のように話し始めた。
「まず最初に、わしの身体から生じたおまえに関するわしの喜びを言葉ではっきり述べておきたい。わし個人は、おまえの中で起こり、いまだに続いているこの危機を非常に嬉しく思う。どうしてそんなに嬉しいかというと、わしが今見たおまえの真心のこもったすすり泣きは、おまえの生存のこの時期に起こったわけだが、この時期というのは、偉大なる
ヘローパスの法則によれば、責任ある生物がもつ存在の敷居に当たっている。言いかえると、各々の三脳生物が責任ある生存を送る期間に彼の個性を形成することになるいろいろな働きを生み出すデータが結晶化し、身体全体の働きとぴったり調和したテンポを獲得する時期なのだ。そんなわけで、おまえのそのすすり泣きは、一見したところ非論理的なわしの存在・歓喜の〈味わい〉とでもいうべきものをおまえがおおまかに認識すること、いやそれを感じ取ることだけでも、おまえにとって、つまり責任ある年齢に達したすべての三脳生物にとってと同様、責任ある存在を送ることになるおまえにとっても、非常に望ましいことであるばかりか、必要でさえあるということをわしに確信させてくれたのだ。だからまずこのことから説明することにしよう。
おまえのすすり泣きを見てわしは次のことを確信するに至った。すなわち、将来おまえが責任ある生存を送るようになった時、おまえの体内には、神性なる理性をもっている者の本質の土台になっているデータが形成されるであろうということだ。このデータはわれらが《共通なる父》御自身が定義なさったもので、その言葉は聖なる
惑星パーガトリーの中央門の上に掲げられている。それは次のようなものだ。
『わが・仕事が・生み出した・別の・結実、すなわち・他の・生物の・位置に・自らを・置ける・ものだけが・ここに・来ることを・許される』
これこそまさに今おまえの本質が表明していることだ。つまり、おまえ個人は至福を感じておったのに、何かの連想で偶然、他のものはこれを感じる可能性を奪われていることを思い出し、心の底から泣けてきたというわけだ。
わしがこんなに喜んでいる理由をもっと明瞭にいえば、生物にとって絶対に必要なこのデータが、おまえの中で、これ以外のすべての存在データ、つまりその生物自身の理性によってではなく、まわりにいる生物および外的な状況、そしてこの上なく偉大なる
汎宇宙的イラニラヌマンジの影響だけを受けて結晶化するデータがおまえの内部で結晶化し、形作られてくるまさにその時期に機能しはじめたからだ。
さてそれではもとの話題に戻ろう。つまり、なぜわしはこの宇宙船での旅の間ずっと、地球という惑星に生息する三脳生物について、こんなにたくさん、しかもこういった順序で話したのか、ということだ。
要点をいえば、わしはなつかしい
カラタスに帰還した時すべての義務から解放されたので、おまえが責任ある存在にふさわしい存在をもつためのオスキアーノ、つまりおまえのお気に入りたちが〈教育〉と呼ぶものを完結する指導を責任をもってやろうと自発的に申し出たのだ。当時おまえは、三脳生物全般にいえることだが、すでに具わっている諸機能が調和をとる時期にちょうど当たっていた。この諸機能全体が調和すれば、責任ある生存を送る時期に入った時、いわゆる〈健全な思考活動〉と呼ばれる型の思考活動が形成されるのだ。そういう状況にあったので、宇宙船カルナックに乗って旅に出た時、わしはこの時間を有効に使って、おまえの諸機能がうまく調和し、そしてそれから生じる将来の能動的な思考活動が一定の順序を踏んできちんと発展するのを助けてやろうと考えたのだ。わしはこのやり方の正しさを、長い生存プロセスを通して、自己の存在全体でもって確信するようになったのだ。
旅が始まるとまもなく、おまえが惑星地球の三脳生物にひどく興味をもっているのに気がついた。そこでわしは、おまえの興味を満たしてやるという心づもりもあって、彼らに関するすべてのことを話してやることに決めた。そうすればおまえの中に、将来おまえが連想的思考をする時に必要となる〈
エゴプラスティクーリ〉と呼ばれるものが、いかなる疑いの念も混じらずにおまえの体内に結晶化するに違いないと考えたのだ。
そのためわしは、どんな話をする時でも2つの原則を固く守った。
一つは、どんなことでも、あたかもわし自身の個人的意見であるかのように言わないこと。これはおまえが確信をもつために必要なデータが、他の者の意見によって生半可な形でおまえの中に結晶化するのを防ぐためだ。2つ目の原則は、この惑星地球上のおまえが興味をもった三脳生物の間に生じ、しかも徐々に悪化している彼らの通常の生存プロセスにおける様々な内的、外的両面での異常な事態に関すること、そしてそれが現在彼らを絶望的な、ほとんど出口のない状態に落とし入れていることも含めてすべて、前もって選択し、考え抜いた順序で話すということだ。そうすればおまえは、物事の原因に関する主観的な理性活動を、わしが話す一定の事実のみを基盤にして組み立てることができるようになると考えたのだ
こうすることに決めたのは、結果として、将来おまえが論理的思考をするのに必要な様々な本質をもった〈
エゴプラスティクーリ〉がおまえの体内のしかるべき位置に結晶化するようにと考えたからであると同時に、こうすれば、おまえが能動的な思考活動をする時、おまえの2つの高次存在体を共にきちんと形成し、完成するのに必要な聖なる物質アブルストドニスヘルクドニスの適切な純化が、もっと強力に推し進められると考えたからだ。
そこでだな、坊や。今話していることをおまえがもっとよく理解するには、以前様々なきっかけで何度も話したことだが、あらゆる三脳生物の中に存在している〈知識〉と〈理解〉と呼ばれているものの違いをもう一度別の形で話す必要があると思う。
この違いを明確にするために、わしはもう一度おまえのお気に入りたちが通常もっている理性を例に取り上げよう。
彼ら自身が〈意識的理性〉と呼んでいるものは、現代の人間たちの中に完全に定着してしまっているが、この理性と、われらが
大メガロコスモスの他の諸惑星に生息する三脳生物がもっている理性を対比して見てみると、前者を〈知るための理性〉、後者を〈理解のための理性〉と呼ぶことができるだろう。
意識的な理解のための理性は、一般的に三脳生物がもっていてしかるべきものだが、これは彼らの身体と合体融合した〈あるもの〉であり、それゆえこの理性がとらえた情報はどんなものでも永久に切り離すことのできない彼らの一部となる。
つまりこの理性が知覚した情報、あるいはそれ以前に入手した情報全体を熟考した結果得られるものは、その生物そのもの、あるいは彼をとりまく環境がいかに変化しようと、永久に彼の本質の一部としてとどまる。
一方、わしが知るための理性と呼んだものは、現代のおまえのお気に入りたちのほとんどにとって生得のものになっているが、この理性を通して知覚されたすべての印象、また同様に、以前に受けた印象から意図的に、あるいは単に機械的に生じたものもすべて、一時的にその生物の一部となっているにすぎず、しかもそれさえ、周囲のある一定の環境が整った時にのみ、そして彼という存在の基盤を構成している情報が、折にふれて間違いなく、いわば〈新鮮にされる〉、あるいは〈繰り返される〉という一定の条件が揃った時にのみ彼らの体内で起こるのだ。そういった条件が揃わなければ、以前に受けた様々な印象はひとりでに変化するか、あるいはその三脳生物の身体から完全に、いわば〈蒸発〉してしまうのだ。
聖トリアマジカムノの観点からいえば、たしかにこれら双方の理性が誕生するプロセスは同じではあるが、それぞれにおいて3つの聖なる力を形成している要素は異なっている。すなわち、知るための理性が形成される際には、以前に受け取った互いに対立し合う印象が、三脳生物のもっている3つの部位のうちのどれか一つの中で結晶化し、それが肯定的要素および否定的要素として作用する。そしてこの場合は、外部から新たに入ってくる印象が第三の要素として働くのだ。
一方、理解のための理性にとっての三要素は次のようなものだ。第一のもの、すなわち〈聖なる肯定〉は、3つの部位のどれか、つまりある瞬間に〈重心機能〉と呼ばれるものをもっている部位が新たに受け取った印象であり、第二の要素、すなわち〈聖なる否定〉は、それを受け取ったのとは別の部位にある、それと呼応するデータである。そして第三の要素は、〈
アウトコリジクナー〉あるいは〈ホーダズバボグナリ〉と呼ばれるもので、この名称が意味するところは、〈自分自身の個人性を顕現させることへと向かう長く苦しい闘いから生まれた成果〉ということだ。
それからついでに、すでによく知っているかもしれんが、次のことも話しておいた方がいいだろう。つまり今言った
アウトコリジクナーは、いかなる三脳生物であれ、〈パートクドルグ義務〉を果たした結果としてのみ、言いかえれば、三脳生物が誕生したそもそもの初めに、われらが《単一存在なる共通の父》が生物の自己完成の手段として作り出されたこの義務を遂行することによってのみ、彼らの体内の3つの部位すべてに形成されるのだ。
理解のための理性を生み出すのに必要な
聖トリアマジカムノの第三の聖なる力となるのは、三脳生物の体内のこれらの形成物なのだ。
この要素があるために、三脳生物の体内で様々な印象が新たに受け取られ、それらが混じり合っていく過程で、この生物がもつにふさわしい独自の認識や理解のためのデータが
聖トリアマジカムノを基盤として結晶化する。また同様に、三脳生物の体内に意識を生み出すデータが結晶化するこのプロセスが進行している間だけ、〈ゼルノフォーカルニアン摩擦〉と呼ばれるものが生じ、そしてそのおかげで、彼らの高次の部分を形成し、完成させるために、聖なる物質アブルストドニスヘルクドニスが彼らの体内に形成されるのだ。
ここで言っておかなくてはならないが、新しく入ってきた印象の中でも、今話したような順序で結晶化したもの、および意識的な思考活動の結果その生物の中に新たに誕生したものだけが、生物の各部位の中に以前に定着している一連のデータの中に、つまりこれら新たな印象と同種の、すでに彼らの体内に存在している印象と呼応する一連のデータの中に定着するのだ。
一方別の形で、すなわち知るための理性を通して結晶化した印象は、各部位の中にバラバラに定着し、いかなる、いうなれば〈分類〉もなされない。そんなわけで、こうして新たに入ってくる印象は、ほとんどどんな場合でも、これらとは何の共通性もない古い一連の印象の中に定着してしまう。
主として今言ったような理由から、知るための理性しかもっていない三脳生物の中に新たに入ってきて定着したものはすべて、彼らの全存在による認識を伴わないただの断片的な情報になってしまうのだ。
だから、知るための理性しかもたない三脳生物の中でこんなふうに形成され、固着してしまった新たなデータは、どんな種類のものであれ、有効性の点からいえば、以後の自分の生存の幸福に対しては何の役にも立たない。さらにいえば、このような固着した印象を打ち崩すための期間は、その生物が生み出す衝動の量と質に左右される。このことは、現代のおまえのお気に入りたちのほとんどがすでにもっている三脳生物にふさわしい理性の機能が劣悪化していることから生じているのだが、これに関連してわしは、われらが尊敬する師ムラー・ナスレッディンのあまり引用されることのない言葉を思い出した。それはこういうものだ。
『どんなものであれ、それが必要になるとたちまち、それは汚ならしくてネズミにかじられているように見えてくる』
おまえのお気に入りたちはたしかにこの、自分たちが〈知識〉と呼んでいるものを、今話したような方法で体内に取り入れてはいるが、これは主観的なもので、いわゆる〈客観的知識〉と呼ばれているものとは全く何の関係もない。
さて坊や。わしはおまえが興味をもっている三脳生物の間に〈職業的催眠術師〉として滞在していた時、〈諸観念の・各部位への・固着・および・離脱に・関する・法則〉と呼ばれるものを学び、非常に詳しく知るようになったので、さっき言った
ゼルノフォーカルニアン摩擦がおまえの中に生じるように、またそれと同時に、理解のための理性に向かって新しい知覚が結晶化するように、何らかの外的な規範に従って新たな情報を刻々と知覚することに関する多くの重要な原則の中でも、とりわけ次のことを念頭に置いて話そうと努めてきた。すなわちおまえの体内で、〈憤怒〉とか〈立腹〉とか〈心痛〉などの衝動を全く伴わずに、〈情報の精髄〉ともいうべきものが徐々にふくらんでいくのに必要不可欠なルールを常に厳守するということだ。
わしがおまえに話してきた順序、およびおまえが本質的に理解したことに関しては、次のことを言っておかなくてはならん。すなわち、おまえが惑星地球に誕生した三脳生物に関心をもっていることに気づいた時、もしわしが全くの最初から、どんなことに関してでもわしの個人的な確信や意見、つまりわしが彼らを観察した結果抱くに至った個人的な結論を述べ、その後で初めて、これまで話してきたような多面的かつ膨大な量の〈情報の総体〉を話したとしたら、おまえは自らそれらと論理的に対決しつつ考えることなく、わしの話したことをそっくりそのまま受け入れ、その結果、これらの情報を記録するために結晶化したデータは、それらを真に理解することなく、単なる情報としてそれ相応の部位に落ち着いていたことだろう。
そういうわけで、この惑星地球に生息する三脳生物について話す時はいつでも、わしは次のような目標を念頭に置いて話してきた。まず一つには、将来客観的知識の〈総体〉あるいは〈一分野〉に関する連想を生み出すであろう多面的なデータがおまえの体内のしかるべき部位に結晶化すること。そしてもう一つは、
ゼルノフォーカルニアン摩擦のプロセスがおまえの体内で激しく起こること。そしてつい今しがたわしは、『どうして泣いているのだ』というわしの質問に対するおまえの答の中に、この目標の成果をはっきり確認したのだ。
というわけでだな、坊や。わしがずっとやってきたことは無駄ではなかったということ、つまり、おまえが興味をもった惑星地球の三脳生物について話してきたことから、おまえがわしの期待通りのものをつかんでくれたことをほぼ確認したので、これ以上おまえの中に能動的思考活動のプロセスを呼びさまさないためにも、ここら辺で話をやめた方がいいのではないかと思う。それにまもなく我々のなつかしい惑星に到着するようなので、時間もあまりなさそうだ。
とはいえわしは次のことをはっきりおまえに命じておく。この旅が続いている間、ということはつまり地球の三脳生物について話を続ける間は、おまえのもっている理性の力で、ある機能、つまりおまえの中でも働いており、また一般的にいって三脳生物に能動的思考をする可能性をもたらしている機能を、非活性化しておかなくてはならん。つまりそれを〈休息〉させなくてはならんということだ。なぜ休ませねばならんかというと、今までずっとこの機能は、おまえの能動的思考活動の中で普段よりはるかに強烈に働いてきたが、ところがこの機能の働きは、生物の本質にではなく、いわゆる〈汎宇宙的なテンポの調和〉と呼ばれるものにのみ依存しているからだ。
ついでにこのことも常に覚えておきなさい。いかなる生物であれ、それが有している理性およびその理性の働きの強度は、彼の全身体のすべての部分が正しく機能しているかどうかによって決定されるのだ。
例えば、〈惑星体〉がもっているすべての機能と惑星体そのものとは、生物の主要な部分ではあるが、しかしその生物のもっている各機能や他の霊的部分を切り離した全惑星体そのものは、単に何か他のものに依存した宇宙形成物にすぎず、これはいかなるものも意識してはいない。それゆえ、以前おまえが〈公正という普遍的な柱石〉と呼んだものを基盤にするならば、生物のそれぞれの霊的な部分は、この依存的、無意識的部分に対して常に公正を保ち、その能力以上のことを要求してはならない。
この
メガロコスモスに存在するすべてのものと同様、〈生物の惑星体〉が生物の主要な部分に対して正しく仕えるためには、つまり言いかえると、その生命体全体から見れば補助的、従属的なこの部分がその本質そのものに適切に仕えるためには、本質は常に公正を保ち、惑星体に対しては、それが遺伝的に受け継いだ能力以上のことを要求しないようにしなければならない。
この公正の問題は別にしても、本質は、生物のこの無意識的な部分に対して、時にはそれがあるいくつかの機能の活動を停止することを可能にするような形で働きかけなくてはならない。そうすれば、無意識的な部分はそれなりに必要な時間をかけて徐々に、新たに獲得した主観的な〈テンポ〉を、われらが共通なる
メガロコスモスのもっている客観的な〈テンポ〉と融合させることが可能になるのだ。
メガロコスモスの中では、このテンポの融合は〈カズノーキズケルニアン〉に進む。つまりおまえのお気に入りたちの言葉を借りれば、〈法則に従ってゆっくりと〉進んでいくのだ。
だから、もしおまえが将来責任ある生存を送る時に、〈能動的思考活動〉を正しくかつ生産的に行なうことを望むのであれば(もしこの思考活動がすでにおまえの中で始まっていて、しかもその内的プロセスがおまえの惑星体に好ましからざる影響を与えているのであればなおさら)今のところはしばらくこの種の思考活動に専念するのはひかえなくてはならん。たとえどんなにこれが好きで、これに大きな興味を抱いていようと、やはりやめておくべきだ。さもないとおまえの中に〈
デゾナコーアサンツ〉が生じる。つまり、おまえの存在全体の中の一部だけが別のテンポで機能し始め、その結果再びおまえは、おまえのお気に入りたちのいう〈偏った状態〉に陥るだろう。
ついでにいうと、おまえのお気に入りたち、特に現代の人間たちのほとんどは、責任ある年齢に達する頃にはみんなこのような偏った人間になっているのだ。
要するに、全体の中の一部分のテンポを徐々に変えていくことによって初めて、どこも傷つけずに全体のテンポを変えることができるのだ。
もう一度言っておくが、一個の生物の中の〈能動的思考活動〉と、その能動的思考活動から生じる有益な結果は、実は彼の存在の中の3つの霊化された部位すべて、つまり〈思考センター〉〈感情センター〉〈動作センター〉と呼ばれているものが全部同等に機能した時に初めて得られるのだ。」

第47章 公平無私なる思考活動から必然的に生じた結果

ベルゼバブは話を続けるつもりであったが、ちょうどその時突然、周囲全体が〈何か青白いもの〉で照らし出された。そしてそれ以後、宇宙船カルナックの降下速度は知覚できるほどに減少し始めた。
これはすなわち、巨大な宇宙
エゴリオノプティの一つがまもなく宇宙船カルナックの近くにやってくることを意味していた。
事実、宇宙船カルナックの外側は透明であったので、まもなくあの〈青白い何か〉の源が見えてきた。これは宇宙船カルナックの内部全体だけでなく。この巨大な宇宙
エゴリオノプティのまわりの、生物の普通の視覚が届きうる範囲内の宇宙空間をすべて照らし出していた。
この巨大な
エゴリオノプティは宇宙にたった4つしかなく、その一つ一つは、4人いる宇宙の全領域維持者の管轄下にあった。
乗客の間にはあわただしく心配そうなざわめきが広がったが、まもなく乗客も乗務員も全員が宇宙船の真ん中にある中央ホールに集まった。
彼らはみんな片手には
ギンバイカの枝を、もう一方の手にはデヴデル・カスチォをもっていた。
巨大な宇宙
エゴリオノプティが宇宙船カルナックのそばに近づいてくると、宇宙船の一部が特殊な形に開き、そしてエゴリオノプティから宇宙船の中央ホールに向かって、少数の大天使と多数の天使、それに智天使と熾天使から成る行列が行進し始めた。彼らもみんな手に枝をもっていたが、それはヤシの枝であった。
この行列の先頭には高い尊敬を受けている大天使がおり、そのすぐ後には、何かオレンジ色のものを放射する小箱を手にした二人の智天使が厳粛な面持ちで続いていた。
宇宙船カルナックの中央ホールでは、居並ぶ者たちの前にベルゼバブが立ち、その後ろには彼の近親者と船長が、そしてその後ろにはうやうやしく距離を置いて他の者たちが立っていた。
エゴリオノプティからの行列は、期待に胸をふくらませてそれを待っているベルゼバブの一行に近づくと立ち止まり、それからこの2つの違った性質をもつ三脳生物の集団は、一緒になって〈われらが《永遠なる主》への讃歌〉を歌った。この讃歌は宇宙のどこでも、いかなる性質や外形をもった生物でも、このような機会には必ず歌うものであった。
この讃歌の歌詩は次のようなものである。

呼吸するすべてのものを創られた忍耐強い創造者よ、
存在するすべてのものを生み出された慈愛あふれる源泉よ、
無慈悲なる
ヘローパスを打ち負かした唯一無比のものよ、
我らが捧げまつる栄光の歌に、ただただ喜び、至福の中にとどまりたまえ。
あなたは比類なき御努力によってわれらすべてを生み出されました。
あなたが
ヘローパスを打ち負かして下さったおかげで、
私たちは
聖アンクラッドヘと自己を完成させる可能性を得たのです。
あなたは十分なことをされ、讃えられたのですから、今はただお休み下さい。
我々は感謝に満ちて、あなたが創造なさったものをすべて維持していきます。
我々は常にあらゆるものの中であなたを誉め讃えます。
創造者であるあなたを誉め讃えます。
あらゆる終わりの始まりであるあなた、
無限なるものから出てこられたあなた、
すべてのものの結末を内部にもっておられるあなた、
われらが《永遠なる主》であるあなた。

讃歌が終わると、高貴なる大天使がベルゼバブの前に進み出て、おごそかにこう述べた。
「全領域維持者である
大天使ペシュトヴォグナーの命により、彼の聖なる笏をば捧げもって、尊師よ、我々はあなたの前に現われ、あなたのなされた数々の功績ゆえに天から下された恩赦により、この流刑期間にあなたが失っていたもの、すなわち角をお返ししたいと存じます。」
こう言うと、高貴なる大天使は智天使が捧げもっている小箱の方を向き、深い畏敬の念をこめて注意深くその中から聖なる笏を取り出した。
その間ずっと他の者たちは片膝をつき、天使と智天使はその場にふさわしい聖歌を歌い始めた。
大天使は枝を手にしたままベルゼバブの方を向き、そしてベルゼバブの同族の者たちにこう語った。
「われちが《単一存在なる永遠の主》がお創りになった被造物たちよ、《彼》はかつて過ちを犯したこのベルゼバブを赦され、そしてベルゼバブは、われらの《創造者》の無限の御慈悲によって、これからはまた、《彼御自身》の似姿をもった被造物であるおまえたちと一緒に生存することになった……
おまえたちの種族の者たちは、頭上の角によって理性の強度と段階とを示しているので、我々は全領域維持者の許可を得、そしておまえたちの協力も得て、ベルゼバブが失っていた角をもう一度つけてやらなければならない。
われらが《唯一の共通なる父》の創りたもうた被造物たちよ、おまえたちの協力というのは、ベルゼバブに与えられた恩赦のために、おまえたちの角のある小部分を捧げることである。
これに同意し、そうしたいと思う者は、進み出て聖なる笏の柄を握りなさい。それを握っている間におまえたちの角から活性元素が生じ、それがおまえたちの一族のこの恩赦を受けた者にふさわしい角を形成するが、その活性元素の量は柄を握っている時間に比例するのである。」
話の間、この高貴なる大天使は、聖なる笏の球形をした主要部分を握り、これをひざまずいたベルゼバブの頭上にかざしていたが、こう言い終わると、集まってきた者たちが誰でもさわれるようにこの柄を差し出した。
高貴なる大天使が話し終わるか終わらないかのうちに、ベルゼバブの一族の間で一騒動がもちあがった。つまり誰も彼もがこの聖なる笏に一番先にさわろうと近寄り、しかもできるだけ長く握っていようとしたのである。
しかしすぐに秩序は回復し、監督役を買って出た宇宙船の船長の指示に従って、一人ずつ順番に、彼が決めた長さだけ柄を握った。
この神聖なる行為が厳粛に続いている間に、ベルゼバブの頭には少しずつ角が生え始めた。 
初めのうち、まっすぐな角が形成されている間は、ただピンと張りつめた静寂だけが集まった者たちを支配していた。しかしその角の上に二叉の角が生え始めると、強い興味と一種熱狂的な関心が彼らの間に生じた。彼らがこれほどの関心を示したのは、ベルゼバブの角が何本に枝分かれするかを知りたくて興奮していたからである。それというのも、理性の聖なる規準によれば、枝の数によってベルゼバブの理性がどの段階にまで達したかが明らかになるからであった。
まず一つが枝分かれし、次いで二つ目、さらには三つ目が分岐したが、新しい枝分かれが起こるたびに、歓喜の渦と、隠しようのない満足感がそこにいるすべての者から感じられた。
彼の角についに4つ目の枝分かれが生じるや、集まっている者たちの緊張は頂点に達した。それというのも、4つ目の分岐が生じるということは、ベルゼバブの理性がすでに
聖テルノーナルドの段階にまで達しており、したがって聖アンクラッドに到達するにはほんの二段階が残っているにすぎないことが明らかになったからである。
この珍しい儀式も終わりに近づき、集まった者たちもみんな歓喜にあふれた熱狂から我に返りかけていた矢先、誰一人予期しなかったのに突然、全員がよく知っている形をした第五の枝が全くひとりでにベルゼバブの角に生じた。
これを見るや、一人の例外もなくすべての者が、大天使自身さえもがベルゼバブの前にひれ伏した。ベルゼバブはすでに立ち上がっていたが、頭上に生じた実に堂々たる角のおかげで、威厳に満ちた容姿に変貌していた。
みんながベルゼバブの前に平伏したのは、彼の角に五番目の枝が現われることによって、彼が
聖ポドコーラッドの理性、すなわち聖アンクラッドの理性の一つ前の段階にまで達していることが示されたからである。
一般的にいって、
聖アンクラッドの理性はすべての生物が獲得できる最高位の理性であり、それは《永遠なる主御自身》の絶対理性からほんの三段階離れているにすぎない。
しかしベルゼバブが到達した
聖ポドコーラッドの理性も、この宇宙では極めて稀なものであり、高貴なる大天使その人でさえベルゼバブの前にひれ伏したのは、彼の理性はいまだに聖デギンダッド、つまり聖アンクラッドの理性から三段階下のところまでしか達していなかったからである。
みんなが立ち上がると、高貴なる大天使はそこに集まっている様々な種類の生物に向かってこう述べた。
「唯一の《創造主》が創りたもうた生物たちよ。ありがたいことに我々は全員、ここにいる者のみならず、われらの
大メガロコスモス全体に住むすべての生物の夢でもあるものが、ついに形成されるところを見ることのできた最初の者となった。
これほど稀有なことに遭遇できたありがたさを共に喜び合おうではないか。これは我々にとって、自分の中の否定的な力の源に対して闘いを挑む力を再び活気づけるのにまたとないショックであり、そしてこの力だけが、我々を
聖ポドコーラッドヘと導くことができるのである。これを達成したわれらが《共通なる父》の息子の一人は、若さゆえに一度は道を踏み外したが、その後は意識的努力と意図的苦悩によって、彼の本質共々、我らの大宇宙でも極めて稀な聖なる個人の一人となることができたのである。」
大天使がこう述べると、宇宙船カルナックに乗っていた者は例外なくみな、あらかじめ決められていた讃美歌〈我は喜ぶ〉を歌い始めた。
讃美歌が終わると、高貴なる大天使を先頭にした天使と智天使の一団は宇宙
エゴリオノプティに帰り、そしてそれは宇宙船カルナックを離れて次第に宇宙空間へと消えていった。そこでカルナックの乗客も乗員ももとの場所に戻り、宇宙船カルナックは目的地への航行を再開した。
上述したような最も厳粛なる宇宙儀式が終了すると、ベルゼバブもその孫も召使いのアフーンも、宇宙船カルナックの他の乗客全員と同様この予期せぬ出来事に深く感動し、惑星地球に誕生し、生息している人間という生物の話をしていた場所へ戻っていった。
今ではその功績にふさわしく、すっかり変貌した容姿のベルゼバブがいつもの場所につくと、彼のほとんど全生存期間にわたって彼の近くで仕えてきた老いた召使いのアフーンは、突然彼の前にひれ伏すと、心の底から懇願するような声でこう言った。
「われらの
大メガロコスモス聖ポドコーラッド様! この哀れな、何のとりえもない三脳生物であるこの私が、過去にあなたの聖なる本質に対して犯しました、意図的あるいは不本意な様々の失礼な行為をどうかお許しになり、私に慈悲をお与え下さい。
慈悲をもって私をお許し下さい。この三脳生物はずいぶん長いこと生存してきましたが、残念なことに、その形成期に、
パートクドルグ義務を強力に達成する能力を生み出すデータを自分の中に結晶化するのを誰一人助けてくれなかったために、これまでずっと近視眼的にしかものを見ることができず、そのため、メガロコスモスに生存しているもの、そして新たに誕生してくるものすべて、つまり自分の体内に聖なる〈あるもの〉、すなわち理性と呼ばれるものをもっているべきすべての個体が汎宇宙的トロゴオートエゴクラットに従って身にまとっている外装の下に隠されている真なるものを感じることができなかったのです。」
こう言うとアフーンは立ち上がり、恍惚として何かを待つかのように黙りこんでしまった。
ベルゼバブも黙ったまま彼を見つめた。その眼差しは、外見的には愛と許しに満ちてはいたが、同時に彼の本質悲哀といかんともし難い諦念も感じられた。
こうしたことが起こっている間ずっと、ハセインは少し離れたところで、〈宇宙的に有名な隠者の姿勢〉(これは
惑星キルマンクシャーナハルナトールクパララーナという隠者からきていたが)という名で広く知られている姿勢をとったままじっと立っていた。
しばらくしてベルゼバブが見まわすと、孫が今言ったような姿勢をとっているのが目に止まったので、振り向いてこう言った。
「なんとなんと、坊や! おまえの中でも我らが老アフーンと同じことが起こっているのかな?」
ベルゼバブのこの質問に、ハセインはいつになくはっきりしない語調でおずおずとこう答えた。
「そうです……それに近いことです……われらが
大メガロコスモス聖ポドコーラッド様。ただ一つ違うのは、今この瞬間、ぼくの中では、われらがアフーンに対する愛の衝動と惑星地球の三脳生物に対する愛の衝動が今までよりいっそう強く働いていることです。
この愛の衝動がぼくの中でこんなに強くなった理由は、どうやらアフーンも地球の三脳生物も、ぼくがつい先ほどの大儀式に臨席できるほど立派になる上で共に大きな手助けをしてくれたからだと思います。この大儀式の主役はぼくの誕生の原因のそのまた原因であり、それまでぼくは彼をお祖父様と呼んでいたのですが、今やその人は我らが
大メガロコスモス聖ポドコーラッドとなり、彼の前ではすべての者が礼拝します。そして今この瞬間、ぼくは彼の前にこの上なく幸福な気持ちで立っているのです。」
「オー、オー、オー」とベルゼバブは大きな声をあげた。それから地球滞在中によく見せていた表情を浮かべてこう言った。
「わしはまず、特別に尊敬しているムラー・ナスレッディンの言葉を借りてある考えを述べておきたいのだが、これは今のアフーンの言葉と(これは彼の言葉としてはそれほど奇異なものではないが)それに彼としては極めて珍しい姿勢から連想的に浮かんできたものだ。
こんな場合、われらの敬愛する師はよくこう言ったものだ。
『漁夫にかみついたのはいいが、下半身の左半分を食いちぎりそこねたワニのように、無駄な涙は流さんことじゃ』
さて、それではいつものところに戻りなさい。もう少し話すとこの宇宙船は今
惑星カラタスの大気圏に入ろうとしているが、通例宇宙船がそれまでの惰性を完全に消してしまって、目的の停泊地に止まるまでにはかなり長いことかかるからな。」
ハセインとアフーンは黙ったまますぐにベルゼバブの提案に従った。しかし彼らの動きや透けて見える内部の心理から、先ほど述べた全宇宙的事件以来、彼らのベルゼバブその人に対する態度がすっかり変わってしまったことは一目瞭然であった。
彼らはそれぞれの場所に座ったが、今回は以前のような自由に何でも言える雰囲気ではなかった。     
そこでベルゼバブはハセインの方を向いてこう言った。
「坊や。まず最初にわしは次のことを言っておこう。我々が家に着いて、もし我々の本質とは関係のない外的な出来事が邪魔しなければ、おまえの興味を引いている三脳生物のことで、この宇宙船カルナックでの旅行中説明すると言いながらある理由で延ばしていたことを説明してあげよう。
しかしもし今何か説明してほしいことがあれば、何なりと尋ねなさい。
一つ言っておくが、この旅行中にずっとやってきたような方法で答えるには時間が足りないので、簡単に答えられるようになるべく質問を簡略化しなさい。
ついでにいうと、おまえの質問を聞けば、わしがこれまで、惑星地球に誕生し、生存している三センター生物の奇妙な精神について話してきたのを聞くことによって、おまえがどの程度論理的思考活動ができるようになったかわかるだろう。」
祖父がこう提案すると、ハセインはかなり長い間深く考えこんでいたが、やがて少し上気した面持ちでこう言った。
「ぼくの誕生の原因を生み出した根源的原因である
聖ポドコーラッド様!
さきほど催された儀式で、あなたの聖なる本質はそれにふさわしい目に見える外形をまとい、それによって、すべての三脳生物が知覚も理解もできなかったこの本質の意味と価値が、ぼくを始めすべての宇宙構成単位(もちろんあなた御自身は別ですが)にとって明瞭になり、感じることさえできるようになったのですが、この儀式以来ぼくは、あなたの話される一つ一つの言葉、一つ一つの助言を法則と考えるようになりました。
だから今あなたがしてくださった提案を全身全霊で実行すべく、質問をできるかぎりうまく、そして簡潔にまとめてみようと思います。
ぼくの誕生の原因の原因である
聖ポドコーラッド様。
あなたが惑星地球で生じている異常な事態を説明してくださったおかげで、この期間にぼくの中ではある確信が形成されてきましたが、それがもっと完全に結晶化するために、次のことについてあなた御自身の率直な意見をお聞きしたいのです。
それは、もし我らが《あらゆるものを抱擁する創造者である永遠の主御自身》があなたを召喚されて次のようにお尋ねになるとしたら、あなたはいったいどう答えられますか?

『ベルゼバブよ!!! わしが生み出したものの中でも、期待通りのすばらしい成果をあげたものの一人であるおまえよ。長年にわたって惑星地球の三脳生物の精神を公平に観察し、研究してきた結果を簡潔にまとめ、そして、何らかの手段を使えば彼らを適切な道に連れ戻すことが今でも可能であるかどうかを言葉で述べてみよ。』」

こう言うとハセインは立ち上がり、敬意を表する姿勢をとって、期待に満ちた眼差しでベルゼバブを見た。
するとアフーンも立ち上がった。
ハセインのこの質問を聞くとベルゼバブはにっこり笑い、まず、彼の話がハセインの中に望み通りの結果を生み出したことを完全に確信したと述べた。それから真剣な口調でこう続けた。もし我らが《あらゆるものを抱擁する単一の創造主》が本当に彼を呼び出してそう尋ねられるとしたら、彼はこう答えるであろう、と。
そこで突然ベルゼバブは立ち上がり、右手を前に、左手を後ろに伸ばして、どこか遠くの方に視線を向けた。それはまるで、視力でもって空間の最も深いところまで見通そうとするかのようであった。
すると同時に、薄黄色の〈あるもの〉が少しずつベルゼバブのまわりに立ちこめ始め、ついには彼を包んでしまった。このあるものがどこから生じたのか、ベルゼバブ自身からなのか、それとも彼のまわりの空間の中のある源泉から発したものなのか、理解することも確かめることもできなかった。
三脳生物には全く理解不能なこの宇宙現象の中にあって、ベルゼバブはいつになく大きく、すばらしい洞察力を秘めた声で次のように言った。

私の《全一体》を生み出された《すべて》にして《完璧なるもの》よ!
惑星地球の生物を救うただ一つの道は、彼らの体内に
クンダバファーのような新しい器官をもう一度植えつけることです。ただし今度は、この哀れな者たちすべてが、生存期間中ずっと、自分自身が、そして目にとまるすべての者が必ず死ぬということを絶えず感じ、認識するような器官を植えつけなければなりません。
今となっては、そのような感覚、そのような認識のみが、彼らの中に固く結晶化して彼らの本質全体を飲み込んでいるエゴイズムを破壊し、それと同時に、このエゴイズムから生じる、他者を憎むという傾向をも打ち崩すことができるでしょう。この傾向こそが、現在地球に存在しているあらゆる歪んだ相互関係を生み出しており、そしてこの歪んだ相互関係こそが、三脳生物にあるまじき、そして彼ら自身にとっても宇宙全体にとってもこの上なく有害な、彼らのすべての異常さの元凶なのです
。」

第48章 著者より
(グルジェフによる後書き)

この6年間というもの、私は自分に無慈悲なまでに絶えまなく苛酷な思考活動を強いてきた。その結果、ようやく昨日、以前から計画し、6年前に書き始めた三部作の第一部を、誰にでも理解できると思われる形で完成することができた。この三部作の中で私は、まず第一に理論面で、次に実践面で考えを発展させていくことにより、そして同時に、以前に考え、用意しておいた手段を用いて、自分に課した3つの必要不可欠な課題をやり遂げようとした。すなわち、第一シリーズで、人々の誤った理解の中にあたかも真実であるかのように存在しているものをすべて破壊すること、言いかえれば、〈
何十世紀にもわたる人間の思考活動を通して蓄積されてきたガラクタをすべて情容赦なく粉々にしてしまうこと〉。
そして第二シリーズでは、いうなれば〈新しい建築材料〉を用意すること、そして第三シリーズでは、〈新しい世界を構築すること〉。
さて、今この第一シリーズを完成したので、すでにはるか以前に地球上に確立している慣例、すなわち、いわゆる偉大なる〈仕事〉はすべて、エピローグだとかあとがき、あるいは〈著者より〉等々と呼ばれるものをつけ加えなければ決して完結しないという慣例に従って、私もそれらしきものを書こうかと考えている。
そう考えて私は今朝、6年前に書いた「思考の覚醒」という標題の〈まえがき〉を非常に注意深く読んでみた。そうすれば、今書こうと思っている結論とこの始まりの部分とが適切な、いうなれば〈論理的融合〉を起こすようなうまい考えがそこから出てくるのではないかと考えたからである。
この第一章はほんの6年前に書いたものではあるが、現在の私の感覚からすれば、もっとずっと昔に書いたような気がする。私の身体がこう感じるのは、ほかでもない、この6年間というものずっと私は集中的に思考し、あるいはこういう言い方もできようが、8冊の分厚い本を書くのに必要とされる適切な素材をすべて〈体験〉しなくてはならなかったからである。(はるかな昔から伝わっていて、現代人にはほとんど知られていない真の科学の一分野に、〈人間の思考活動における連想の法則〉と呼ばれるものがあるが、その中に、〈時の流れに対する感覚は思考の流れの質と量に直接比例する〉という言葉があるのもゆえなきことではない。)
ともかくこの第一章に関しては、私はあらゆる角度から入念に考えてみたし、それにこれは、自発的苦行という極めて厳格な行為の中で体験されたものであり、さらに何にもまして、私はこれを、身体全体の機能、つまり〈自分の意志によって行為する力〉と呼ばれるものを人間の中に生み出す機能が完全にガタガタになっていた時に書いたのである。すなわち私はその少し前に事故を起こし、そのためにまだひどく調子が悪かったのだ。この事故というのは、世界の首都であるパリとフォンテーヌブローを結ぶ歴史的な道を全速力で走っていた私の車が、無秩序なテンポの時の流れをじっと見つめてきた観察者のように静かに立っている木に〈ぶち当たって大破した〉というものである。この〈衝突〉は、通常の人間が考えるところによれば、私の命を奪っても少しもおかしくないほどのものであった。ともかく、そんな条件下で書かれたこの章を読んでいるうちに、私の中に極めて確固たるある決心が生まれてきた。
この第一章を書いていた時期の自分の状態を思い出すと、私はどうしても次のことをつけ加えておかなくては気がすまない。(そう思うのも私の中のもう一つの小さな弱点のためなのだが、その弱点というのは、我々が敬愛している現代のいわゆる〈厳密なる科学の代表者〉と呼ばれる人たちの顔に、彼ら独特の何ともいえない微笑みが浮かぶのを見るたびに、いつもある内的な満足を感じてしまうということである。)
ともあれ、私がここにつけ加えたいと思うのは次のことである。あの事故の後、私の身体はいわば〈メチャクチャになり、その中のものもすべてひどく混乱してしまった〉ので、何ヶ月もの間それは、〈清潔なベッドの上に転がっている生きた肉塊〉とでもいうべきもののような姿をしていた。しかしそれにもかかわらず、そんな身体的状態にある時でさえ、いつも規律正しく統御されている私のいわゆる〈霊魂〉は、彼らの目からすれば落胆して当然なのに少しも失望せず、それどころか逆に、事故の直前に霊魂の中に生じたある高揚した興奮状態によって、その力はむしろ強化されたのである。なぜそんな状態が生じたかというと、私が人々に、とりわけ彼らのいう〈科学〉に身を捧げている人々に何度も繰り返し失望したからであり、また同時に、この時まで抱いていた私自身の理想にも失望したためである。その理想というのは、主として子供の頃に聞かされた教えのおかげで徐々に体内に形成されてきた、次のようなものであった。
「人間の生の最高の目標と意味は、隣人の幸福のために全力を尽くすことである」
そしてこれは、自分自身の幸福を意識的に放棄して初めて可能であった。
というわけで、今言ったような状態の中で書かれたこの第一シリーズの最初の章を注意深く読み、連想によってこれに続く多くの章の内容が記憶によみがえってきた時、私は(というよりここでは、これまでの私の生の中で結晶化したデータから得られる結果の総体を代表している、私の身体の中の支配的なあるものと言ったほうがいいであろう。そしてこのデータというのは、自己の責任ある生存プロセスにおいていわば〈能動的かつ公平無私に思考活動を行なう〉という目標を掲げた人間の体内に、様々なタイプの人々の精神を見通して理解する能力を生み出すものである)その時、同時に湧き起こってきた〈同類に対する愛〉と呼ばれる衝動に駆り立てられて、この第一シリーズ全体の目的と呼応するようなものは何一つこの結論部分につけ加えないことを決心した。そのかわりに、おびただしい回数にのぼる講演の初期のものを加えるだけにしておこうと思う。これらの講演の写しは今は手元にあるが、以前は、つまり〈人間の調和的発展のための学院〉という名称のもとに私が創立した教育機関がいまだ存在していた時には、みんなの前で読まれていたものである。
ついでにいうと、この学院はもう存在していないが、主として様々な国のある特定のタイプの人々を安心させるために、私はこれを完全かつ永久に廃絶したことをはっきり宣言しておく必要があるし、また今がそのいい機会だと思う。
私は、この学院と、翌年様々な国々に18箇所の支部を開設する予定で注意深く計画し、準備してきたものすべてを、要するにこれまでほとんど超人的な努力で築き上げてきたものすべてを放棄するという決断を下さざるをえなくなった時、口で言い表わせないほどの悲しみと落胆の衝動に見舞われたが、その主たる理由はこうだ。さきほど述べた事故のしばらく後、すなわち3ヵ月後、身体こそまだ全く無力であったが、思考活動だけは以前の機能を多少とも取り戻した頃、私は、この学院を存続させようという試みは、私のまわりに真の人間が一人もいないし、それにまた、私がいなくてはこれを維持運営していくのに必要な大量の物資を調達することも全くできないとあっては、必然的に破局に至るほかないだろうと考えた。つまりその結果は、老齢の私にとっても、また私に完全に依存している多くの人々にとっても、いわば〈植物のような生活〉にならざるをえないであろうと考えたからだ。
この第一シリーズの結論につけ加えようとしている講演は、この学院が存在していた時には一度ならず、当時私の〈第一級の弟子〉と呼ばれていた者たちによって朗読されたものである。ところで彼らの何人かは、実に残念なことではあるが、その後その本質の中に、自分の精神をハスナムス的と呼ばれる精神にすばやく変容させる傾向を見せるようになった。この傾向は彼らのまわりにいる多少とも正常な者にははっきり見え、感じられるものになったが、それがとりわけ顕著になったのは次のような時である。
すなわち、今話した事故のために、それまで築き上げてきたものがすべて崩壊の瀬戸際に立たされた時、彼らはいうなれば〈鳥肌立つほど震え上がり〉、つまり言いかえると、彼らの個人的な幸福を(それも実は私が彼らのために作り出したものであるが)失うことをひどく恐れて、学院全体のための仕事を投げ出し、しっぽを巻いて自分の犬小屋へ逃げこんだ、その時である。犬小屋の中で彼らは、いうなれば私の〈思想のテーブル〉からこぼれ落ちたパンくずをせっせと食べ、そしてついには、私なら〈シャッヘルマッヘル・ワークショップ小屋〉とでも呼びたいものを開設し、そして一瞬の油断もない私の統制からすみやかにかつ完全に解放されるというひそかな希望、いやむしろ喜びさえこめて、多くの不幸な純真なる人々の中から〈精神病院入院候補者〉を育て始めたのである。
私が特にこの講演をつけ加えようとする理由はいくつかあるが、第一のものはこうである。この講演は、私が世にもたらした考えが流布し始めた最も初期に、これに続く一連の講演に対する導入部、あるいはいわば敷居にあたるものとして特別にこのヨーロッパ大陸で準備したものであり、そしてこの一連の講演全体を通じて初めて、私がこれまでの半世紀というもの昼夜を問わず精励刻苦して解明し、そして確立した不変の真理を実現する必要性、いやむしろ必然性を、誰にでもわかる形で明らかにすると同時に、この真理を人々の幸福のために用いる具体的な可能性までも明らかにすることができたのである。これをつけ加える第二の理由は、これが最後に公衆の前で朗読された時(私はたまたまこの大きな集会に出席していたのであるが)私はあることをつけ加えたのだが、それはベルゼバブ氏自身が、彼のいわば〈締めくくりの和音〉で紹介している隠された教えと完全に符合すると同時に、この偉大なる客観的真理を明るく照らし出し、そのことによって、私の意見では、読者がこの真理を、自らを〈神の似姿〉と言い張る人間を益するものとして受け止め、同化吸収することを可能にすると考えるからである。

第一講演 法則の観点より見た、人間の個人性の顕現の諸相(1924年1月、ニューヨークのネイバーフッド・プレイハウスにおいて最後に読まれる)

過去の多くの科学者たちの研究によれば、そしてまたグルジェフ氏のシステムに基づく人間の調和的発展のための学院において極めて独自の方式で行なわれた研究を通して現在入手されているデータによれば、人間の個人性全体は(原初以来地球上に誕生して徐々に定着してきた、人々の生のプロセスの法則と条件とに従うならば)その人間がいかなる遺伝の結果生まれたものであろうと、また彼がたまたま生まれおちて育った環境がいかなるものであろうと、責任ある生活を始めた時点から(現実において、単に動物としてではなく、人間として存在することの意味と運命とに呼応して存在するための条件として)必ず明確に峻別された4つの人格から成り立っていなくてはならない。
この4つの独立した人格の第一のものは、ほかでもない、人間のみならずすべての動物が具えているはずの自動的機能の総体である。これを生み出すデータは、まず第一に、周囲の現実から、それにまた外部から意図的、人工的に植えつけられたものすべてから受け取られた印象が生み出したものの総計から成っており、第二には、これまたすべての動物に固有の〈白昼夢〉というプロセスの結果から受け取られた印象が生み出したもので構成されている。そしてほとんどの人間はこの自動的機能の総体を愚かにも〈意識〉と呼んだり、せいぜいよくても〈思考活動〉などと名づけている。
4つの人格のこの2つ目のものは、ほとんどの場合第一のものからは独立して機能しているが、これは植えつけられ、定着したデータが生み出す結果の総計から成っており、この結果とは、すべての動物の身体が、〈種々様々な質をもつ振動の受信器〉と呼ばれる6つの器官を通して知覚してきたものである。これらの器官は新たに受け取られた印象に従って機能するが、その敏感さは、受け継がれた遺伝的特質、およびその個人が責任ある存在になる準備期間中に置かれていた状況によって決定される。
生命体全体の中の第三の独立した部分は、その有機体の主要な機能であり、〈互いに影響し合いながら体内で生じる動作反射機能〉と呼ばれている。この機能の質も前のものと同様、遺伝並びに形成準備期間中の環境によって決定される。
個体の中のやはり独立しているべき四番目の部分は、ほかでもない、今挙げた3つの人格、すなわち彼の中で別々に形成され、独立した教育を受けたこの3つの人格が、全部機械的に機能するようになった時にそこから生じる結果の総体が顕現したものである。つまり言いかえれば、生命体の中の〈私〉と呼ばれるものがそれなのである。
人間の体内には、彼全体の中の今挙げた3つの別々に形成された各部分が霊化され、自己を表現できるよう、それぞれ独立した〈重心的部位〉と呼ばれるものがある。これらの重心的部位はそれぞれが独自の包括的システムを具えており、自らの機能を果たすためのそれ固有の特殊性と傾向をもっている。そのため、人間が何一つ欠けるところなく調和的に完成するためには、これら3つの部分のそれぞれに、それに最も適した正しい教育を施すことが必要不可欠となる。そしてそれは、今日〈教育〉と呼ばれるものがやっていることとは全く違うことなのである。
以上のことが叶えられた時に初めて、人間の中に当然あるべき〈私〉は彼自身の〈私〉になるのである。
前にも言った、多年にわたる厳密に組織立てられた実験的な調査によれば、いや、そんな面倒なことはしなくても、現代人なら誰でも、健全かつ公平無私に熟考してみるだけで、次のことが了解されるであろう。すなわち、すべての人間の身体は(とりわけある種の人間、つまり何らかの理由で、ただ普通の平均的な人間にではなく、言葉の真の意味において〈インテリゲンチャ〉と呼ばれている人々の一人になりたいという欲求をもつに至った人間の身体は特に)今言った4つの完全に区別され、独立した人格をもっていることはもちろんのこと、それだけではなく、その一つ一つが完全に適正に発達していて、責任ある存在として生存するようになった時、そのあらゆる行為、立ち居振る舞いにおいて、それら別々の部分が互いに調和していることが絶対に必要なのである。
人間の組織体全体の中にあるこれらの人格が、いかなる源泉から生まれ、またいかなる質をもっているかを包括的、視覚的に明確にとらえ、そして同時に、〈カッコつきでない人間〉、すなわち真の人間の体内には当然あるべきいわゆる〈私〉と呼ばれるものと、人々が今日それと取り違えているいわば偽りの〈私〉との違いを明瞭にするためには、一つのアナロジーを使うのが一番いいであろう。たしかにこのアナロジーは、よくいわれるように、現代のいわゆる心霊家だとかオカルティストだとか神智学者だとか、あるいはその他、〈泥水の中から魚をつかまえる〉専門家たちが、人間の体内にあるとされる〈メンタル体〉とか〈アストラル体〉とかその他様々に呼ばれるものについてうるさくお喋りしてきたせいで、〈ほつれが見えるほど使い古されている〉のではあるが、それでも我々が今考えている問題に適切な光を投げかけてくれるものである。
人間を一つの全体として見ると、すなわち別々に凝集し機能している部位、言いかえれば、独立して形成され、教育を受けた〈人格〉をすべて具えた全体として見るならば、これは乗客を運ぶための一つの組織体、つまり馬車と馬と御者から成る組織体と正確に呼応している。
まず最初に言っておかなければならないが、真の人間と擬似人間、つまり自分自身の〈私〉をもっている人間ともっていない人間との違いは、今取り上げているこのアナロジーを使えば、馬車に座っている乗客の存在によって示すことができる。すなわち前者、真の人間においては、この乗客が馬車の所有者である。ところが後者では、乗客は単に最初に乗ってきた偶然の客にすぎない。つまり乗客は〈貸馬車〉の料金のように絶えず変わるのである。
動作反射機能をすべて具えた人間の身体は、馬車そのものと正確に呼応している。感情機能とそのあらゆる表現は、馬車に結びつけられてこれを引っぱる馬に相当し、馬車に座ってこれを操っている御者は、人間の中にある意識とか思考活動とか呼ばれているものに相当する。そして馬車の中に座って御者に命令を下している乗客が、〈私〉と呼ばれるものなのである。
現代人の間に蔓延している根源的な悪は(これは成長しつつある世代を、根深い、しかも広範に広まった異常な方法で教育することから生じたのであるが)さきほど言った第四の人格、つまり責任ある年齢に達するまでにはすべての人間の中にできあがっているべきこの第四の人格が、完全に欠如している点にある
それゆえ彼らのほとんどは、前の3つの部分だけから成り立っているのだが、さらに悪いことには、この3つの部分も行き当たりばったりに、何とかようやく形成されたものにすぎないのである。
言いかえれば、責任ある年齢に達した現代人のほとんどは、この〈貸馬車〉以外の何ものでもない。つまり、〈最盛期はとうの昔に過ぎ去った〉故障した馬車、老いぼれ馬、御者台の上には、ぼろをまとい、半分居眠りし、半分酔っ払い、自己完成のために母なる自然が定めて下さった時間を道の角で客を待っている間につぶしてしまい、空想的な白昼夢にふけっている御者、そしてたまたま通りがかって彼を雇い、そして好きな時に彼と彼に従属するすべての部分を解雇するであろう偶然そこにいる乗客。要するに現代人は、こういうものから成り立っているのである。
思考、感情、肉体を具えた典型的な現代人と、馬車、馬、御者とのアナロジーを進めていくと、両方の組織を構成しているそれぞれの部分には、それ独自の、またそれだけにふさわしい欲求、習慣、好みなどが形成され、存在しているにちがいないということが明瞭に見てとれる。これらの部分はそれぞれ誕生の経緯も違うし、形作られてきた状況も様々で、またもっている可能性もそれぞれに異なっている。それゆえ各々の中では、例えばそれ独自の精神、独自の観念、独自の主観的な基盤、独自の視点等々が必然的に形成されているにちがいない。
人間の行なう思考活動という行為、つまりこの機能にふさわしい固有の性質と独自の特殊性をもったこの行為の総体は、あらゆる角度から見て、典型的な雇われ御者の本質と行為とにほぼ正確に合致している。
雇われ御者は一般にみなそうだが、彼はいわゆる〈運ちゃん〉と呼ばれるタイプである。彼は完全に文盲というわけではない。というのも、彼の国の〈3つのR(初等教育としての、読み、書き、算数)のための一般義務教育〉とやらが定めている規則によって、子供時代には時おり、いわゆる〈教区教会学校〉と呼ばれるものに行かされていたからである。
彼は田舎出身で、仲間の田舎者と同様ずっと無知であったのに、職業柄、いろいろな教育を受けた種々雑多な人々と肩をふれ合わすうちに、ここから少しあそこから少しという具合に、様々な観念を表わす表現を拾い上げ、その結果今や彼は、田舎じみたものはすべて侮蔑をこめて見下すようになり、憤怒に燃えてこれらすべてを〈無知〉の一語のもとに退けるようになったのである。
要するにこれは、〈カラスとなら競争できるがクジャクには追い抜かされる〉という定義がぴったり当てはまるようなタイプなのだ。
彼は宗教、政治、社会学などといった分野の問題においてもいっぱしの議論ができると考えており、似た者同士で議論するのが大好きである。ところが目上の者に対しては奴隷のようにこびへつらい、彼らの前ではいわば〈最敬礼をして立っている〉。
彼の最大の弱点の一つは、まわりの料理人や女中につきまとうことであるが、しかしその最たるものは、心のこもったごちそうと一、二杯ひっかけるのが大好きなこと、そしてその結果満腹でごきげんになり、うつらうつらしながら白昼夢にふけることである。
この弱点を満足させるために、彼は馬のかいば用に雇い主からもらうお金をいつも少しちょろまかす。
どの〈運ちゃん〉もみな同じだが、彼もいわゆる〈ムチ打ち〉が怖いから働いているにすぎない。たまに命じられないで何かやることがあっても、それはもちろんチップ目当てである。
チップがほしいためにあれこれやっているうちに、彼は次第に、客である人々の中にある弱さがあることに気づき、その弱みにつけこんで利益を得るようになる。つまり機械的にずる賢くなる方法を覚え、人におべっかを使ったり、巧みに喜ばせたり、要するに嘘をつくことがうまくなるのだ。
都合がいい時や暇な時にはいつでもパブやバーに行って、ビールを飲みながら何時間でも白昼夢にふけったり、似たような夕イプの者と話したり、新聞を読んだりして過ごす。
威厳ある風貌を作るためにひげをのばし、やせている場合には服の中に何か詰めこんで、重要人物たるべくあれこれ苦労するのである。

人間の中の感情部位の働き全体、そしてその機能の仕方は、このアナロジーでは貸馬車の馬にぴったり一致する。
ついでにいうと、人間の感情組織を馬と比べてみると、成長しつつある現代の教育がいかに誤り、偏っているかが極めて明瞭になる。
全体的にいうとこの馬は、これがまだ小さい頃にまわりにいる者が不注意だったり怠慢だったりしたために、いつも一人ぼっちで放っておかれ、そのためちょうど自分で自分の戸に鍵をかけてしまったような状態に置かれる。つまり、いわばその〈内的な生命〉は内向し、外に向かっての表現はただ惰性によってしか行なわなくなるのである。
周囲をとりまく異常な状態のために、この馬は特殊な教育は全く受けず、それどころか絶えず、ムチ打ちとひどい扱いに対する恐怖におびえることだけに慣れてしまうのである。
つまりいつもつながれているのだ。食べ物といえば、カラスムギや乾草のかわりに麦ワラばかり与えられるが、こんなものは馬が本当に必要としているものにとっては全く無価値である。
ほんのこれっぽっちの愛情や友情も自分に対して表現されるのを見たことがないものだから、ほんのわずかの思いやりでも示されようものならその人に完全に服従してしまう。
こういったことすべての結果、興味も希望ももてない状態に置かれたこの馬は、必然的に食べ物と飲み物と異性に対する自動的な欲求のみに関心を抱くようになり、これらが得られそうなところならどこへでも突き進んでいくようになる。例えばもし、たくさんある欲求の一つがほんの一、二回でも満たされたことのある場所を目にするや、そこに向かって走り出すチャンスをじっとうかがうようになるのである。
さらに次のことをつけ加えておかなくてはならない。たしかに御者は自分の義務についてはほとんど理解していないが、それでも、ほんのわずかとはいえ論理的に考えることができる。それに将来のことを考えると、職を失うことを恐れてか、それとも報酬を期待してかはともかく、時には強制されないでも雇い主のために何かをやることに興味を示すこともある。ところが馬のほうは、適切な教育が全くなされていないため、責任ある存在になるのに必要な熱意を表現する母体となるデータが適切な時期に全く形成されていない。その結果、当然のことながら、全般的に自分が何をしなくてはならないかということがさっぱり理解できない(実際、これがそんなことを理解するなどとはとうてい期待できない)。そのため馬は、惰性と、これ以上打たれるのは嫌だという理由だけで、義務を果たすのである。

さて次に馬車であるが、これは我々のアナロジーでは、人間の身体の中のそれぞれに独立して形成された他の部分を除いた肉体に対比されるが、これに関しては状況はもっと悪い。
馬車はどれもそうだが、これも実に様々な材料でできていて、おまけに機構がひどく込み入っている。
健全な思考能力をもつ人間にとっては自明のことだが、この馬車は、現代人がやっているように乗客を運ぶためだけでなく、あらゆる種類の荷物を運ぶように作られている。
馬車に関する様々な誤解の最大の原因は、この馬車は脇道を進むように作られているということ、つまりその細部の構造はこの目的にかなうよう先見の明をもって作られているという事実を見逃している点にある。
例えば、これほど様々な材料から作られているものにとっては必要不可欠な潤滑油であるが、これは、このような脇道を進む上で避けられない激しい振動を受ける金属部分にはすべて行き渡るように作られている。ところが今日では、脇道を行くように設計されているこの馬車は、町の中に一列に駐車され、アスファルトを敷いた平らでなめらかなところだけを動きまわっている。
こんな道ばかり通っていると振動は全然ないので、必要な部分全体に均等に油が行き渡らなくなり、そのため当然ある部分は錆びて、本来やるべき動きを停止してしまう。
動く部分にちゃんと油が行き渡ってさえいれば、馬車は動くものである。油が足りないとその部分は熱をもち、しまいには真っ赤に焼けて他の部分まで駄目にしてしまう。逆にある部分に油をやりすぎると、馬車全体の動きが損なわれる。いずれの場合も馬が引くのは難しくなる。

現代の御者、われらが運ちゃんは、馬車には油をさす必要があるということなど知らないし、考えたことさえない。それにたとえ油をさすにしても、正確な知識なしに、最初に来た者の指示に盲目的に従っていい加減にやるだけだ。今や多少とも平担な道を進むことに慣れてしまった馬車が、何らかの理由で脇道を通らなくてはならなくなると必ずどこかが故障するが、それはこのためである。ナットが外れるか、ボルトがねじ曲がるか、とにかく何かが緩んでくるのである。だからこのような脇道を行こうとすれば、かなりの大修理をしないとまず目的地には着けないであろう。
ともかくこの馬車を本来の目的に使うことは、かなりの危険を冒さなくてはすでに不可能になっている。いったん修理を始めると、こんな場合は常にそうであるが、全体を分解し、部品を全部調べ、〈灯油〉できれいに清掃し、それからまた組み立てなくてはならない。しばしば部品の交換が必要になってくる。その部品があまり高くないものであればいいのだが、結局新しい馬車を買うより高くついたということにもなりかねない。
というわけで、貸馬車全体を構成している組織の各部分について今言ったことは、人間が共通にもっている身体の全組織にもそのままぴったり当てはめることができる。
現代人には、成長しつつある世代の人間の身体のいろいろな部分を全部教育して、責任ある存在へと適切に導くいかなる特殊な知識も能力も完全に欠如している。そのため今日の人間はすべて混乱し、恐ろしいほど馬鹿げた存在で、今のアナロジーを使えば次のように表わすことができる。

最新モデルの馬車が工場から出てきたばかりで、バルメンという町出身の純粋なドイツ職人がこれを磨き上げ、トランスコーカシアという地方で〈ドグロツィジ〉と呼ばれている種類の馬がこれにつながれた(〈ジ〉というのは馬で、〈ドグロツ〉というのは、全くの駄馬を買って皮をはぐのを専門にしているアルメニア人につけられた名前である)。
この最新流行の馬車の御者台には、ひげもそらず、髪はもじゃもじゃの眠そうな運ちゃん御者が座っているが、着ているものといえば、料理女のマギーが、もうどうしようもない代物と見限って捨てたゴミの山から引っぱり出してきたボロボロの上着である。頭の上にはロックフェラーのものをそっくり真似た新品のシルクハットがのっかり、ボタン穴は巨大な菊で飾られている、という具合だ。
現代人のこの戯画はいかに馬鹿げたものに見えようとも、実は必然的に生まれたものである。なぜかというと、ある一人の現代人が形成され、誕生すると、その最初の日から、彼の中で形作られた3つの部分は(これらの部分が生まれた原因は様々であるし、また具えている特質も多様ではあるが、ただ一つの目標を追求する責任ある存在として生存する期間には、これらの部分全部で一個の全体を形成していなくてはならない)いわば〈生きて一人立ち〉を始め、おまけに彼が必要とする自動的な相互維持や相互補助、それにほんのわずかの相互理解も、するようには訓練されていないために、各自勝手に独自の振る舞いをするようになるからである。それゆえ後に協調的な行為が必要となっても、そのような行為は彼らからは生まれてこないのだ。
〈成長しつつある世代の教育制度〉と呼ばれているものは、今日では人間の生活の中に完全に根をおろしてはいるが、その実態はといえば、ほとんど中身のない雑多な言葉や表現の意味を生徒に感じ取らせ、おまけにそういった言葉や表現によって表わされていることになっている現実を発音の違いだけでつかめるように、〈狂気〉に近い反復練習によって訓練すること、まさにこの一事である。そのおかげで御者も自分のいろいろな欲求を、自分の身体の外部にいる自分と同タイプの者に対してだけではあるが、どうにかこうにか説明できるし、それに時には大まかにではあるが、他人を理解することもできる。
このわれらが運ちゃん御者は、客待ちしながら他の御者と噂話をし、時には門のところで近所の女中といわゆる〈いちゃつきごっこ〉をしているうちに、様々な形態のいわゆる〈人に好かれる術〉まで習得するのだ。
ついでにいうと彼は、一般に御者の置かれている外的状況ゆえに、ある道を他の道と区別することを覚える、つまり、例えばある道が工事中であれば別の道を通って目的地に着けるように徐々に自分を慣らすのである。
一方馬に関していうと、現代人の発明になる教育と呼ばれる悪しき産物は馬の養育にまでは手がまわらず、おかげで馬の受け継いだ可能性は失われずに残るが、それでもやはりこの馬も、普通の人々の異常な生存プロセスにとりかこまれて養育され、その上まるで孤児、しかもひどい扱いを受けた孤児のように誰からも無視されて成長するので、そのため馬は、御者の中にできあがった精神に相当するものは何も獲得しないし、御者が知っていることもさっぱりわからない。だから馬は、御者が慣れ親しむようになったありとあらゆる形態の相互関係というものには全く無知のままであり、それで当然のことながら、両者の間には理解のための接触などというものは全くないのである。
とはいえ、このような閉塞状態の中でも馬が御者と何らかの関係を結ぶことは可能であるし、時には馬も何らかの〈言語〉を話すかもしれない。しかし問題は、御者はそんなものは知らないし、いや、そんなものがわかるなどとは考えてもみないということである。
前述の異常な状態のために、馬と御者が互いを、たとえ大ざっぱにでも理解し合うための基盤となるデータは、両者の間には全く形成されていないが、またこれとは別に、全く独立した原因、つまり両者が定められた目標達成のために協力する可能性を奪っている外的な原因が、ほかにもたくさんある。
要するに、それぞれ切り離されたバラバラな部品が連結して〈貸馬車〉ができあがっているのとちょうど同じように(つまり馬車の本体が車軸によって馬と連結し、馬は手綱で御者と結ばれるといった具合に)人間という一個の組織体もバラバラな部分が結合してできあがっている。つまり肉体は血液によって感情組織と結びつき、感情組織は、
ハンブレッドゾイン、すなわち意識的になされた努力によって人間の体内に生まれる物質によって、思考活動あるいは意識の機能を遂行する組織と結びついている。
今日存在している誤った教育制度のために、御者はもはやいかなる命令も馬に伝達することができなくなっている。もっとも、手綱を使って馬の意識に3つの観念、すなわち右、左、止まれだけは伝えることができるのではあるが。
しかし厳密にいえば、これさえいつもできるとは限らない。というのは、普通手綱は大気圏内の様々な現象に反応する素材でできていて、例えば雨が降ると膨張し、そして収縮する。暑いと逆のことが起きる。そんなわけで、馬の自動化された知覚機能に手綱が伝えるものは絶えず変わるのである。
平均的な人間の組織体の中でも全く同じことが起きる。つまり何らかの印象によって彼の中の
ハンブレッドゾインのいわば〈テンポの密度〉が変化すれば、そのたびに彼の思考は感情組織に影響を与える可能性を完全に失ってしまうのである。
というわけで、これまでに述べたことをすべて考えあわせるなら、人間はみな自分の〈私〉を獲得すべく奮闘しなくてはならないことが否応なしに認識されるであろう。さもないと彼は、どんな乗客でも好きな時に乗り降りできる貸馬車のままいつまでもとどまるであろう。
ここで次のことを言っておくのは決して無駄ではあるまい。グルジェフ氏のシステムに基づいて組織された人間の調和的発展のための学院は、基本的な課題の一つとして、先に挙げた独立した人格を、個々に、また相互の関係において生徒各自の中で適切に教育することを課している。さらに一方では、いやしくも〈カッコつきでない人間〉を名乗る者であればすべてもっているべきもの、すなわち自分自身の〈私〉を各自の中で生み、育てるという課題をも課しているのである。
真の人間、つまり当然そうであるべき姿の人間と、〈カッコつきの人間〉と呼ばれている人間、つまり現代人のほとんど全員が相当する人間との違いをもっと正確に科学的に定義しようとするなら、グルジェフ氏自身がある小さな〈講義〉で話したことを再録するのが適当であろう。
それは次のようなものである。
「我々の視点から人間を定義しようとすれば、現代の知識、すなわち解剖学的なものも生理学的なものも、心理学的な知識でさえ役に立たない。なぜかというと、人間の示している徴候は、程度の差こそあれ遺伝的なもので、それゆえすべての者に等しく当てはまる。そのためこれらの徴候は、今我々がやろうとしている二種類の人間の間の違いを明確にするには助けにならない。この違いは次のようにしか定式化できない。すなわち『人間とは為すことのできる生物である』そして〈為す〉とは、意識的に、自分の意志によって行動することである」

多少とも公平かつ健全にものを考えることのできる人であれば、これまでにも、またこれからも、これ以上完全で徹底的な定義はありえないということに同意せざるをえないであろう。
しかしたとえ仮にこの定義を受け入れるとしても、必ず次のような疑問が湧いてくるであろう。
現代文明と現代教育の産物である人間が、自分の意志で意識的に何かをやることが全くできないのだろうか?
むろん、否
(NO・できないの)である……この疑問にはすでに冒頭で答えておいた。
ではなぜできないのか?
理由は一つ、人間の調和的発展のための学院が実験的に証明し、絶対に間違いないと確認したとおり、現代人は、始めから終わりまですべてのことを自動的にやり、彼自身がやることは何一つないからである。
個人的な生活においても家族生活や共同生活においても、そして政治、科学、芸術、哲学、宗教においても、要するに現代人の普通の生存プロセスにおいてはすべて、徹頭徹尾ひとりでに起こり、この〈現代文明の犠牲者〉の誰一人として何かを〈為す〉ことはできないのだ。
人間の調和的発展のための学院が実験的に証明したこの絶対的な断定、すなわち普通の人間は何一つできず、すべては彼の中で、彼を通して自動的に起きるという断定は、現代の〈精密実証科学〉が人間について述べていることと偶然の一致を示している。
現代の〈精密実証科学〉がいうには、人間はごく単純な有機体が進化によって極めて複雑な有機体に発展してきたものであり、今では外部の刺激に対して非常に複雑な反応をすることができる。人間のもっているこの反応能力は実に複雑で、またその結果起きる動作も、それを生み出し、条件づけた原因からはひどく隔たって見えるために、素朴な観察者の目には、人間の反応、少なくともその一部は、極めて自発的なものに見える、というものである。
一方グルジェフ氏の考えによれば、平均的な人間は実際ただの一つも、独立した、もしくは自発的な行動をとったり言葉を発したりすることはできない。その人間全体が外部の刺激から生じた結果にすぎない。つまり人間は変換装置、一種の力の伝達所なのである。
したがってグルジェフ氏の考え全体から見ると、また同時に現代の〈精密実証科学〉のいうところに従っても、人間が動物と異なるところは、外部の刺激に対してより複雑な反応ができるという点、およびそれを知覚し、反応するためのより複雑な機構をもっているという点だけである。
普通の人間がもっているとされている〈意志〉と呼ばれるものについては、グルジェフ氏はこれが平均的人間の身体中にあることを完全に否定している。
意志というのは、為すことができる人間によって特別に鍛え上げられたある特性が生み出すものから得られる一定の組み合わせである。
平均的人間の中にある彼らが意志と呼んでいるものは、単なる欲望の産物にすぎない。
真の意志は、普通の人間の存在と比べて非常に高度の存在を有していることの証である。そしてこのような存在を有する人間のみが為すことができるのだ。
その他のすべての人間は単なる自動人形、機械、つまり機械仕掛けのおもちゃにすぎず、外部の力に刺激されて動き始め、しかも周囲の偶然の状況によって内部に植えつけられた〈バネ〉が巻き戻す分だけしか動かない。おまけにこのバネは、自分の意志では伸ばすことも縮めることも、ましてや取り替えることなど全くできないのである。
そんなわけで、人間のもつ大きな可能性は認めながらも、我々は、人間が現在のような状態にとどまるかぎり、一個の独立した単位として価値をもっていると認めることはできない。
平均的人間にはいかなる意志も完全に欠如しているということを確認するために、グルジェフ氏の別の講義から一部を引用してみようと思う。ここでは、人間が当然もっているとされている、かの有名なる意志の表出形態が生き生きと描かれている。
出席者に向かってグルジェフ氏は次のように述べた。
「あなた方は十分な金をもち、豪勢な生活を送り、高い名声と尊敬を享受している。あなた方の中にしっかりと根をおろした最大の関心事は、完全に信頼でき、そしてあなた方に献身的に尽くしている人々である。つまり一言でいえば、あなた方の生活はバラの花壇なのだ。
あなた方は好きなように時間を使えるし、芸術家のパトロンでもあり、コーヒーを飲みながら世界の問題を片づけ、さらには人間の中に眠っている霊的な力を発達させることにまで関心がある。霊魂の必要とするものについてもある程度知っており、哲学的な問題にも精通している。高い教育を受け、読書も十分にしている。あらゆる問題に関して多量の知識をもっており、どんな分野にも詳しいので、賢者の名声さえ博している。つまりあなた方は文化の規範なのだ。
あなた方を知る人はみな、あなた方を巨大な意志の人とみなし、それどころかあなた方のもっている長所はすべて、この意志が発現した結果にほかならないとさえ考えている。要するに、どの点から見てもあなた方は模範とするに足る人であり、うらやまれてしかるべき人である。
ある朝、あなた方の一人が、嫌な夢の印象がまだ残ったまま目を覚ますとしよう。
このかすかな嫌な気持ちは、起床すると消えてしまうが、それでもわずかな痕跡は残っている。
つまり何をやるにも何となくけだるいし気乗りがしないのだ。
鏡のところに行って髪をとこうとするが、うっかりしてブラシを落としてしまう。拾い上げるがまた落としてしまう。また拾おうとするが、苛々しているのでもう一度落とす。落ちる途中でつかもうとするが……手が変な具合に当たってブラシは鏡を直撃、あわてて止めようとするが……ガチャン……あれほど自慢にしていたアンティークの鏡にひびが入ってしまった。
くそったれ! 悪魔にくれてやる! 生まれたばかりのこの苛々した感情を誰かにぶちまけたいと感じる。そこへもってきて、召使いが朝のコーヒーの席へ朝刊を置くのを忘れていたとくる。ついに堪忍袋の緒が切れ、こんな家のやつらにはもう一刻も我慢がならなくなる。
出かける時間である。天気もいいし、そんなに遠くもないので歩くことにする。あなたのかたわらを最新モデルの自動車が音もなく通り過ぎていく。
明るい日射しに少しばかり心は和み、通りの角に群がっている群集があなたの注意を引く。
近づいてみると、群集の真ん中に、一人の人間が気を失って歩道に倒れている。警官が、集まってきたいわゆる〈浮浪者たち〉に手伝わせてこの男を〈タクシー〉に乗せ、病院に連れていこうとしている。
あなたはこのタクシーの運転手の顔が、去年ある誕生日のパーティーで大騒ぎをして、ほろ酔い気分で帰宅する途中、バッタリ行きあった酔っ払いの顔と驚くほどよく似ているのに気がついた。そのためあなたの連想の中では、この街角の事故が、そのパーティーで食べたメレンゲとどうしようもなく結びついてしまった。
ああ、あれは実にすばらしいメレンゲだった!
召使いが朝刊をもってくるのを忘れたために朝のコーヒーは台無しになってしまった。いったいどうやってこれを埋め合わせてやろうか?
ちょうどそこに友達とよく行く粋なカフェがあった。
もう召使いのことなんか思い出さなくてもいいじゃないか。今朝の嫌なことはもうほとんど忘れたんだろう? 今は……このメレンゲはコーヒーと一緒に食べると実にうまい。
ほら! 隣のテーブルに二人の女性が座っている。なんてすばらしいブロンドなんだ!
彼女があなたを見ながら友達にささやいているのが聞こえてくる。
『彼は私の好みのタイプよ』
この偶然聞いた言葉、それどころかわざと聞こえるような声で言ったかもしれない言葉を聞いて、あなたの全身が、いわば〈ひそかに歓喜に打ち震える〉のをあなたは否定するだろうか?
もしその瞬間誰かがあなたに、今朝のようなことで気をもんだり癇癪を起こしたりする価値があると思うか?と尋ねたとしたら、あなたはもちろんノーと答え、二度と再びこんなことは起こらないと約束するだろう。
あなたが興味をもち、向こうもあなたに興味をもっているこのブロンドとお近づきになる間に、あなたの気分がどれほど変わり、そして彼女と一緒に過ごしている間あなたの気分がどんな状態であるか、改めて申すまでもないだろう。
あなたは歌でも口ずさみながら帰宅し、ひびの入った鏡を見ても微笑みがもれるだけだろう。しかしそこでハッと思い出す。今朝出かけていった主目的である商売はどうなるのか? しかし賢明なあなたは大丈夫。なに、気にすることはない。電話すればいい。
あなたは電話をかけるが、交換手が間違った番号につないでしまう。もう一度かけるが、また同じ番号にかかる。相手の男が迷惑だと言うので、あなたも私が悪いのではないとやり返す。もう二言三言やりとりがあった後、驚いたことに、あなたはならず者で白痴だと罵られる。もう一度でも彼のところへかかろうものなら……さて……
足の下で絨毯がすべるとあなたの怒りは爆発し、手紙を届けにきた召使いをトゲのある声でなじらずにはいられなくなる。
その手紙はあなたの尊敬する人からで、あなたは彼の意見を高く評価している。
手紙の内容はあなたに媚びへつらったもので、読んでいくうちに苛立ちは次第に消え、ほめ言葉を聞く人間が感じる〈快適な照れくささ〉に変わってくる。そして読み終わった時にはこの上なく幸せな気分になっている。
こんなふうに、私はいくらでもあなた方自由な人間の一日を描くことができる。
あなた方は恐らく、私が誇張していると考えているだろう。
とんでもない。これは写真のように正確に現実を写しとったものである。」

以上、人間の意志、および自発性をもつとされるその意志の発現の諸相、つまり現代のいわゆる〈探求心あふれる人間〉(我々の目からすれば〈単純な精神の人間〉)にとっては知ったかぶりと自己礼讃の材料となるものを見てきたわけであるが、ここでグルジェフ氏のもう一つの〈座談風講義〉を引用しておくのも無駄ではあるまい。その中で彼は、すべての人間がもっているとされる意志の幻想性に見事な光を当てているからである。
グルジェフ氏はこう言っている。
「人間は真っ白な紙のような状態でこの世界に生まれてくるが、たちまちまわりの者たちと競って互いに汚し合い、教育とか道徳、あるいは知識と呼ばれている情報、それに義務だとか名誉、良心等々、ありとあらゆる感情で満たされるようになる。
そして彼らはみんな、一人一人、こういった枝葉を幹に、つまり人間の人格と呼ばれる幹に接ぎ木する際に用いる方法として、不変性と完全性を要求するのである。紙は次第に汚れてくるが、汚なくなればなるほど、つまり人間がはかない情報や、義務とか名誉とかいった観念を、他人からほのめかされたりやかましく教えられたりして詰めこまれれば詰めこまれるほど、彼はまわりの者から〈賢明〉で立派だと考えられるようになる。
このように人々が彼の〈汚れ〉を功績とみなすのをみているうちに、彼自身も必然的に、この汚れた紙を同じような見方で見るようになる。
というわけで、我々が〈人間〉と呼んでいるもののモデルができあがった。これにはしばしば〈天の贈り物〉だとか〈天才〉だとかいった言葉が添えられる。
しかしこの我らが〈天の贈り物〉の気分たるや、朝目を覚ました時、ベッドのそばにスリッパがなかったら気難しくなってしまうような代物なのだ。
普通の人間は、表現行為においても気分においても、生きている間中自由ではないのである。彼は自分がなりたいものにはなれない。彼は自分でそう考えているものとは違うのだ。
人間、何と力強い響きであろう!
〈人間〉なる語はまさに〈創造の極地〉を意味している。しかるに……いったい現代人はこの称号にふさわしいだろうか?
しかしともあれ、人間は本当に創造の極致でなくてはならない。なぜならば、人間は、宇宙全体に《存在するすべてのものの創造者》の有するデータと全く同じデータをすべて獲得する可能性をもっている、いやむしろその可能性自体で形成されているからである。」

〈人間〉の名に値するためには全一にならなくてはならない。
そうなるためには、まず第一に、自分の身体全体を構成しているそれぞれ独立した部分から生じる、疲れを知らない粘り強さと抑えようにも抑えきれない欲求という衝動をもって、つまり思考、感情、有機体的本能から同時に生じる欲求をもって、自分自身に関する全般的な知識を獲得するよう努めなくてはならない。そしてその後、自分の中に定着した主観性の中にひそむ欠点、およびそれと闘う可能性を有する明確な方法に関して、自分の意識だけを使って得た結果を土台として、自分自身に対していかなる容赦もせず、この欠点を根絶することに全力をあげなくてはならない。
いかなる偏見も排して率直にいえば、我々の知っている現代人は時計仕掛けの装置以上でも以下でもない。ただしその構造はきわめて複雑である。
人間の機械性に関しては、あらゆる角度から、すべての偏見や先入観を捨てて深く考え、そしてよく理解しなくてはならない。そうすれば、この機械性およびそれが引き起こすすべての結果が、自分の将来の生活にとってのみならず、自分の誕生と生存の意味と目的を正当化する上で、いかなる意味と重要性をもっているのかが完全に理解できるであろう。
人間の機械性全般について研究し、明確にしたいと望む者にとって、最良の研究対象は自分自身、つまり自分の機械性である。そしてこれを実際に、ただし〈精神病的〉にではなく、つまり身体のどこか一部分でだけではなく全存在でもって研究し、明瞭に理解することは、正しくなされた自己観察の結果としてのみ可能なのである。
さてそれでは、この自己観察を正しく行なえるように、つまり、適切な知識ももたずにこれを行なう人々に時おり見られるような有害な結果を誘発する危険を冒さないでこれを行なえるように、ある種の警告をしておく必要がある。これは同時に情熱過多を防ぐためにも必要であろう。その警告とは、我々のもっている広範かつ正確な情報に基づいた経験が示すところによれば、自己観察は一見して思えるほど簡単ではないということである。だからこそ我々は、正しい自己観察の土台に現代人の機械性の研究を置くのである。
機械性および正しい自己観察の諸原則を研究する前に、人間はまず次のような断固たる決意をしなくてはならない。すなわち、自分に対して絶対的に誠実であること、いかなるものにも目をつぶらないこと、どんな結果が生まれても回避しないこと、いかなる推論も恐れないこと、これまで自分で自分に押しつけてきた限界で自分を縛らないこと。そして第二に、この新しい教えの信奉者たちがこれらの原則に関する説明を適切に受け止め、消化吸収できるように、これにふさわしい形態をもった〈言語〉を造ることが必要である。というのも、現在使われている言語の形態はこのような説明には全く適していないことが判明したからである。
これを始めるにあたって、第一の条件に関してもう一度注意を促しておかなくてはならないが、自己観察の原則に従って考えたり行動したりすることに慣れていない人は、それから導き出される推論を真摯に受け止める勇気をもち、そして決して落胆してはならない。それを甘受し、自己観察に絶対必要な持続力をさらに強めて、これらの原則に従って続けていかなくてはならない。
こうして導き出された推論は、人間の内部深くに根を張っている確信や信念、それに彼の通常の思考活動の全体系をいわば〈ひっくり返す〉かもしれない。もしそうなると、これまで彼の生活を穏やかで安楽なものにしてきた基盤である、いうなれば〈彼の心にとってかけがえのない快適な価値〉そのものが、根こそぎ、しかも恐らくは永久に奪い去られてしまうであろう。
正しい自己観察を行なえば、その最初の日から、まわりの文字通りすべてのものに直面した自分が、完全に無力でどうしようもない存在であることを明確に把握し、疑いの余地なく納得するであろう。
彼はあらゆるものが自分を支配し、指図していることを自己の存在全体で確信するだろう。彼自身は何も支配したり指図したりできないのである。
彼が引きつけられたり反発したりするのは、彼の中に何らかの連想を生じさせる力をもっている生命体だけでなく、ぴくりとも動かない無生物からも彼は影響を受けるのだ。
現代人からはもはや分離できなくなっている衝動、すなわち自己空想癖と自己沈静を脱するならば、彼は、自分の人生とはすなわち、この誘引と反発に対する盲目的な反応にほかならないことを悟るであろう。
そして自分のいわゆる世間体とかものの見方、性格、嗜好等々が、どのようにして型にはめられてきたか、つまりいかにして自分の個人性というものが形作られ、またどのような影響を受ければその細部が変わるのかをはっきりと理解するであろう。
次に第二の必要不可欠な条件、すなわち正確な言語の構築についてであるが、これは次のような理由から必要である。比較的新しく造られ、いわば〈市民権〉を獲得した言語、すなわち我々が現在話したり、知識や観念を他人に伝えたり、本を書いたりするのに使っている言語は、我々の意見では、多少とも正確な意見交換にはもはや全く用をなさなくなっている。
現代の言語を構成している語彙は、人々がそれに勝手な意味をくっつけて使うために、不正確であいまいな考えしか伝えることができず、そのため平均的な人々はこれを〈伸縮自在に〉受け取っている。
人間が生きていく過程でこの異常な事態を生み出していることに関しても、我々の見るところでは、やはり例の、成長しつつある世代に対する歪んだ教育制度が一役かっている。
なぜこれが一役かっているかというと、この教育制度は、前にも言ったように、若者に強制的に〈丸暗記〉させることを、それもできるだけ多くの言葉を、それにこめられた意味の精髄によってではなく、単にその響きから受けた印象によって区別できるように丸暗記させることを基礎にして成り立っているからである。その結果人間は、自分が話していること、あるいは耳にしていることについて、熟考したり省察したりする能力を徐々に失ってきた。
こうしてこの能力を失いはしたが、それでもなおかつ自分の考えは多少とも正確に他人に伝える必要がある。そこで彼らは、現在使っている言語にはすでに無数に近い語彙があるにもかかわらず、他の言語から言葉を借りてくるか、さもなくば次々に新しい語を造り出さざるをえなくなった。その結果どういうことが生じたか。例えば現代人がある考えを表現したいと思い、それに適する語もたくさん知っていたとする。そこで彼は、頭であれこれ考えた結果最も適当と思われる語を使ってこの考えを表現するが、それでもやはり自分の選んだ語が適切かどうか本能的に不安になり、それで知らず知らずのうちに、この語に自分だけの主観的な意味を与えるのである。
つまり、一方ではこのようにすでに自動化された言語の使用があり、また一方では、ほんのわずかの時間でも能動的な注意を集中する能力が徐々に失われてきたために、平均的人間は、言葉を口にしたり聞いたりする時には、その語が伝える観念のある一部をわれ知らず強調し、そのことだけを考えるようになる。つまり必ず、その語が意味するもの全体を、それが示す観念のある一点に集中させるのである。言いかえると、彼にとってのその語の意味とは、ある一つの考えが示唆するもの全体ではなく、彼の中で流れている自動的な連想の中でその時たまたま生じた考えと偶然最初に結びついた意味にすぎないのである。だから現代人が会話の中である一つの語を使ったり聞いたりしても、時によってその語に全然違う、あるいは矛盾する意味さえ付与するのである。
このことに多少とも気づき、観察の仕方をある程度知っている者であれば誰でも、ある二人の現代人の会話に第三者が加わった時にとりわけはっきりとこの〈悲喜劇的な音の饗宴〉を確認することであろう。
彼らはみな、このいうなれば〈内容の空っぽな言葉の交響曲〉の中で中心的な意味をもつに至った語に、すべて各自の主観的な意味をつけ加えて話しているので、公平無私な観察者の耳には、昔の『千一夜物語』の中のシノコーロービアニアンの話の中の〈耳ざわりで幻想的な馬鹿話〉と呼ばれているものとそっくりに聞こえるのである。
こんな具合に会話しながらも、現代人たちは、自分たちの考えを互いに伝え合い、互いに理解し合っていると想像、いや確信しているのだ。
また一方で我々は、心理学的、生理学的、化学的実験によって確認された多くの疑う余地のないデータに基づいて次のように断定する。現代人が今のまま、つまり〈平均的人間〉であり続けるかぎり、どんなことを話し合おうと(話題が抽象的であればなおさらそうだが)同じ一つの言葉で同じ考えを心に抱いて理解し合うことは絶対にないし、したがって実質的な意思疎通ということもありえない。
まさにそれゆえに、平均的現代人は、思考活動を引き起こした諸経験や、また状況さえ異なればまわりの者に非常な恩恵を与えたかもしれない何らかの論理的な結果を生み出した内的な経験、いや辛い経験でさえも、外に向かっては表現せず、ただ自分自身の中で、いわば〈奴隷的、抑圧的要素〉に変えてしまうのである。
その結果、個々人の内的生活はますます孤立し、人々が集団で生存する上で欠くべからざるいわゆる〈切磋琢磨〉は消えていく一方である。
熟考し、省察する能力が失われてくるにつれて、平均的現代人が会話の中で、その響きだけに慣れ親しんでいる語を聞いたり使ったりするとしても、彼らはちょっと間を置いて考えてみようとはせず、また相手はその語によって正確には何を意味しようとしているかなどといった疑問は頭に浮かびさえしない。つまり自分も相手もその語の意味をよく知っていると頭から決めてかかっているのだ。
ただ、全くなじみのない言葉を初めて聞いた時には彼も疑問をもつであろうが、その時でも、その耳慣れない言葉をなじみのある響きをもった言葉に置きかえることで満足し、それで自分はその言葉を理解したと思いこんでしまう。
これまで話したことを腹の底から納得していただくために、ひとつすばらしい例を取り上げてみよう。それは現代人が恐ろしく頻繁に使う言葉、〈世界〉である。この〈世界〉という言葉を聞いたり使ったりする時、何が自分の思考の中をよぎるかをつかまえることができるならば、そしてもちろん彼らが誠実であればだが、彼らのほとんどは、その言葉はいかなる正確な意味も自分には伝えてこないことを認めざるをえないであろう。聞きなれたその響きを耳で聞くだけであれば、彼らはその言葉が意味しているものは当然知っていると仮定し、「ああ、世界か、何のことかもちろん知っているよ」とでもいわんばかりに、ほとんど注意も払わず安らかに考えを続けるのである。
もし誰かがあえて彼らの注意をこの言葉に向けさせて、それで彼らが何を理解しているかを徹底的に調べてみるとすれば、まず彼らは単純に、いわば〈ドギマギする〉が、すぐにもち直してすばやく自分を欺く。つまり最初に心に浮かんだその言葉の定義をあたかも自分のものであるかのように口にするのだが、事実はもちろん、そんな定義のことなど考えたこともなかったのである。
もし相当の力をもっている者が、現代人のあるグループ、それもいわゆる〈良い教育〉を受けた人々に、〈世界〉という語をどう理解しているかを厳密に言わせたと仮定すると、彼らはみなきっと〈要点にはさっぱりふれずにああだこうだと言う〉ので、それを聞いている彼は思わず、ヒマシ油の思い出さえも優しい気持ちで思い出すであろう。
例えば天文学の本を何冊か読んだことのある者は、『〈世界〉というのはたくさんの惑星にとりまかれた無数の太陽からできており、その諸惑星も互いにものすごく離れて位置していて、全体でいわゆる〈銀河系〉を形成している。その向こうには、我々の探索できる空間をはるかに超えたところに、恐らく他の星雲と他の世界があるだろう』と言うのであろう。
別の、現代物理学に興味をもっている者は、『世界は物質が体系的に進化したもので、それは原子から始まって惑星とか太陽のような巨大な結集体にまで至る』と言うであろう。ことによれば彼は、原子やエレクトロンの世界と太陽や惑星の世界との類似性の理論にまで話を進めて、その延長線上であれこれ言うかもしれない。
また別の、何らかの理由で哲学を趣味にし、これに関するガラクタなら何でもかんでも読んでいる者なら、『世界は我々の主観的な想像力の産物にすぎず、例えば我々の地球も、そこに存在する山も海も植物や動物の王国も、すべては見せかけの世界、幻影の世界だ』と言うであろう。
最近の多次元空間の理論をかじっている者なら『普通世界は無限の三次元空間とみなされているが、実際はそのような三次元世界は存在しえず、別の四次元世界のある想像上の断面図にすぎない。そして我々の周囲で生起するものはみな、この四次元世界から生まれ、またそこへ還っていくのだ』とでも言うであろう。
世界観を宗教教義の上に据えている人間は、『世界とは、神がお創りになり、彼の意志に依存している、目に見えるものも見えないものも含めた存在するすべてのものであると言い、さらには、目に見える世界での我々の生ははかないものであるが、不可視の世界では、可視の世界に存在していた間に行なったすべてのことに対して報酬ないしは罪が与えられ、そしてそこでの生は永遠に続く』などと言うだろう。
心霊術にかぶれている者は、『この目に見える世界と隣り合わせに、もう一つの世界、すなわち〈彼方〉の世界が存在しており、この〈彼方〉の世界に住む人々との交流はすでに確立している』と言うであろう。
神智学に熱をあげている者は、さらに進んで、『互いに浸透し合った七つの世界が存在しており、先に行くにしたがってより精妙な物質で作られている』とでも言うだろう。
要するに、現代人の誰一人として、〈世界〉という語の真の意味に関して、すべての者が受諾できるような、正確で確固とした唯一の概念を述べることはできないのである。
平均的人間の内的な精神生活というのは、結局のところ、以前に受け取った種々の印象が、その時体内に生じていた何らかの衝動の働きによって、彼の中にある3つの異なる部位あるいは〈脳〉の全部に固着し、その印象から生じる2つか3つの連想の流れが〈機械的に接触〉するという、ただそれだけのことにすぎない。この連想が新たに活動を始めると、つまりそれ相応の印象がまた記憶にのぼってくると、人間は、内部の、あるいは外部からの偶発的なショックに影響されて、別の部位でそれらの連想が引き起こした同種の印象が再び繰り返され始めるのをはっきりと確認するであろう。
普通の人間の世界観がもっている特殊性、および彼の個人性の特徴的な性質は、新しい印象が入ってくる瞬間に彼の中で活動している衝動が生み出す結果と、これらの印象が反復して生じるために確立した自動性とによって決定される。
そしてまさにこれこそが、平均的人間でさえ受動的な状態にある時にはいつでも感じられる不条理、つまり彼の中で互いに全く関連のないいくつかの連想が同時に流れるという不条理を説明してくれるのである。 
今言った人間の体内のこれらの印象は(すべての動物の中に装置があるのと同様)彼の中にある3つのいわば装置が、7つの〈惑星の重心振動〉と呼ばれるものを受け取る知覚器官として働くことによって知覚される。
この3つの知覚装置の構造は細部に至るまで同じである。
これらの働きは、ロウを塗布してきれいに磨かれたレコード盤に喩えることができる。こうしたレコード盤(あるいは〈テープ〉と呼んでもいいが)には、人間がこの世に誕生した最初の日以来、いや、実は母親の胎内で育成されている期間以来、受け取った印象はすべて記録されるのである。
このメカニズムを構成している別のいくつかの装置も、これと同じく、自動的に記録する機能をもっている。そのため新しく入ってきた印象は、それ以前に受け取られた同種の印象と一緒に記録されるのに加えて、これら新しい印象と同時に受け取られた別種の印象とも一緒に記録されるのである。
このように、経験された印象はすべてある場所、あるいはあるテープに刻印され、しかも変化を受けずに保存される。
このようにして知覚された印象は次のような特性をもっている。つまり、同種、同質の振動と接触すると、いうなれば〈目を覚まし〉、そして最初にその印象を生み出した活動と同種の活動を彼らの中に再現するのである。
知覚された印象の反復はいわゆる連想というものを生み出す。そしてこの印象が反復的に再現されたものの一部は、人間の注意という領域に入りこむ。〈記憶〉と名づけられたものを条件づけるのは、実にこの印象の反復再現なのである。
平均的人間の記憶は、調和的に完成した人間の記憶に比べると極めて不完全なもので、そのため、責任ある存在として生存する間にこの印象の貯蔵庫を利用しようとしてもうまくいかない。
平均的人間は、受け取った印象から形成される記憶の助けを借りても、貯蔵された印象全体のほんのわずかな部分しか利用できないし、またいわば跡をたどることもできない。ところが真の人間がもつにふさわしい記憶は、いつ受け取ったものであろうと例外なく、すべての印象を記録しているのである。
これまで多くの実験がなされた結果、以下のことが疑問の余地なくはっきりと確認された。すなわち、ある状態、例えば催眠状態のある段階にいる人間は、それまで彼に起こったことを、驚くほど細部に至るまで思い出すことができる。周囲の細かい状況や、人々の顔や声、それどころか自分の人生の第一日目の様子まで、人々の目から見れば無意識といえる状態にある間に思い出すのである。
人間がこのような状態にある時には、彼の全機構の一番ぼんやりした片隅に隠れているテープでさえも人工的に動かすことができる。しかしこれらのテープはしばしば、何らかの経験によって引き起こされた明らさまな、あるいは隠されたショックから影響を受けると、ひとりでに巻き戻り始める。そして突然、長い間忘れていた風景や情景、顔、そういったものが眼前に浮かんでくるのである。

ここで私は講演を中断させた。以下のことをつけ加えるのにちょうどいい機会だと考えたからである。

付録

以上が普通の平均的な人間である。すなわち、彼自身の個人性とは何の関係もない全宇宙的目的に無意識のうちに全面的に仕えている奴隷、これである。
彼は今のままで一生過ごすかもしれないし、またそのままで永久に朽ち果てるかもしれない。
しかし大自然は人間に、ただ単にこの全宇宙的、客観的な目的にわけもわからず盲目的に仕える道具になる可能性だけではなく、大自然に仕え、彼に定められた義務(これは生きとし生けるものすべての運命であるが)を果たしながらも、同時に、彼自身、すなわち彼の自己中心的な個人性のために働く可能性をも与えてくれている。
この可能性は、これら外在する諸法則が均衡を保つためにはこのような比較的自由な人間が必要だという事実に則って、全体がうまく機能するために与えられたのである。
今述べた自由を手に入れることはたしかに可能ではあるが、ある特定の人間にこれを達成する可能性があるかどうかを断定するのは極めて困難である。
断定しにくい理由はたくさんある。しかもほとんどの場合、その理由は我々個人とも種々の大法則とも関係がなく、ただ我々がその中で誕生し、育った偶然の状況にのみ依存している。その状況の中の主たるものは、遺伝および我々が〈準備的年齢〉の期間を過ごした環境である。先ほど述べた自由が達成できないのは、まさにこれらコントロールできない条件のためなのである。
全面的な奴隷状態から自由になる道の途上で出遭う最大の困難は次のことである。つまり、
自分の自発的な意志と根気強さから生まれ、自分の努力で支えられた、つまり他人の意志ではなく自分の意志によって維持されている意図をもって、我々の祖先の中にあったクンダバファーと呼ばれる器官の特性から生じ、すでに我々の体内に根をおろしている諸々の結果と、再び現われるかもしれないこれらの結果に屈服しやすい傾向とをともに根絶する必要があるという点である。
この奇妙な器官とその特性、そしてその特性の結果が我々の中でどのように作用するかを大まかにでも理解するには、少々時間をかけてこの問題を詳しく論じてみなくてはならない。
はるか先まで見通すことのできる大自然は、多くの重要な理由から(それについては後の講義で理論的に説明するが)、我々のはるか昔の祖先の体内にこのような器官を取りつけざるをえなかった。つまりこれが生み出す特性によって、我々の祖先が現実の中で生起していることを見たり感じたりする可能性から保護されると考えたのである。
この器官は後に、やはり大自然によって彼らの体内から取り除かれたが、〈たびたび繰り返された動作の結果の蓄積〉と呼ばれる宇宙法則のために(この法則によれば、ある条件の下で全く同じ動作を頻繁に繰り返せば、いかなる〈世界凝集体〉においても似たような結果を生み出す傾向が生じる)この合法則的な傾向が我々の祖先の中に芽生え、遺伝によって代々伝えられた。その結果、彼らの子孫は通常の生存プロセスの中で、この合法則性に適していることが後になって判明した様々な状態を確立していくが、その時以来、この器官のもつ様々な特性の結果が彼らの中に現われ、代々遺伝によって受け継がれて蓄積し、ついにこの器官は、彼らの中でも祖先の中でと同じような作用を及ぼすようになったのである。
以下の事実は、我々の理性が疑問の余地なく完全に把握できるものであるが、この事実によってこの器官が我々にいかなる作用を及ぼしているかを大体理解することができるであろう。
我々人間の生は有限であり、いつ何時死ぬかわからない。
ここで疑問が湧く。いったい人間は意識の中で、自分の死のプロセスを視覚化し、いわば〈経験する〉ことができるだろうか?
否! いかに望んでも、人間は絶対に自分の死のプロセスを視覚化し、経験することはできはしない。
普通の現代人は他人の死なら思い浮かべることができるが、これとて完全にできるわけではない。
例えば、あるスミス氏なる人物が劇場を出て道を横切ろうとして転び、車にはねられて死ぬという場面なら想像できる。
あるいは看板が強風のために落ち、たまたま下を通っていたジョーンズ氏を直撃して即死させるという場面。
あるいはブラウン氏が悪くなったイセエビを食べて食中毒を起こし、どうにも治療できずに翌日死ぬという場面。
こういった場面なら誰でも簡単に想像できる。しかし平均的な人間は、これを自分に当てはめて、つまりスミス氏やジョーンズ氏やブラウン氏になら起こることを承認した出来事が自分に起こる可能性を考えることができるだろうか? さらには、こういったことが自分にも起きるかもしれないということから生じる絶望感を受け止め、それを生き抜くことができるだろうか?
自分の死の不可避性をはっきり視覚化し、それを生き抜くことができる人間に何が起こるかを考えてみなさい。
これについて真剣に考え、これの中に深く入りこみ、自分の死を認識できるならば、これ以上恐るべきことがありうるだろうか?
日常生活においては、とりわけ近年では、いつかは必ずやってくる死の不可避性に関する気の滅入るような事実の上に、人々にとってはよく似たような事実が実際たくさん積み重なっており、彼らが、これらすべては自分に降りかかってくる可能性があることを本当に視覚化したならば、口では言えないほどの耐えがたい苦痛を自らの中に呼びさまさざるをえないのである。
未来に対する真の客観的な希望を抱く可能性をすでに全く失ってしまった現代人、つまり、責任ある年代のうちに全然〈種まき〉をしていないので、当然将来何一つ〈収穫する〉ものがないという人々、こういった人たちが、絶対に避けられない死がたちまちやってくることを万一認識したとしたら、頭の中でそう考えただけで彼らは首をつってしまうだろう。
先述の器官の特性から生じる諸結果が人々の精神に及ぼす作用の特徴は次のようなものである。この三脳生物は、高次の目的に仕える存在になってくれるのではないかという我らが《創造主》の希望と期待を担っているのであるが、この器官の影響が残っているために、ほとんどの現代人は先ほど言った心底からの恐怖など全く認識しない。おかげで彼らは、前もって定められているものを無意識のうちに満たしながら平和に生存を続けているが、実は彼らは自然のもっている一番手近な当面の目的を遂行しているだけであり、その間に、彼らにはふさわしくない異常な生活ゆえに、高次の目的に仕える可能性を完全に失ってしまったのである。
この器官が生み出したもののおかげで、現代人はこの恐怖を認識することができないばかりか、自分をなだめるために、自分が本当に感じたものや全く感じたことのないものに対してまで、ありとあらゆる空想的な説明、それこそ彼らの素朴な論理に対してしか説得力をもたないような説明を作り上げたりしているのだ。
例えば、我々は様々なことに対する真の恐怖、とりわけ自分自身の死に対する恐怖を本当には感じることができないという問題、この問題に対する解決法が、いわゆる〈今日白熱した議論を呼んでいる問題〉になったと仮定してみよう。(現代ではある種の問題がこういう議論の的になっている。)そうなると現代人はみんな、普通の死すべき人間も、いわゆる〈知識人〉と呼ばれている者も、口をそろえてある解決法を提供するだろう。
彼らはこの解決法については一瞬も疑ったことがなく、そこでいわば口角泡を飛ばしてこの解決法を証明しようとするだろうが、その解決法とは、そのような恐怖を感じないですむようにしてくれているのは、ほかならぬ彼ら自身の〈意志〉であるということだ。
しかしもしそうであるなら、人間がもっていると彼らが主張するこの意志は、なぜ我々がいたるところで感じる小さな恐怖から我々を守ってくれないのだろう?
私が今言っていることを、〈知性の姦淫〉とでもいうべきもので理解するのではなく(これは、我々の子孫には不幸なことであるが、現代人の支配的な特徴となっている)あなたの全存在で感じ、理解するためには、次のことを想像するだけで十分である。
今日あなたはこの講義から帰宅して、服を脱ぎ、ベッドに入る。ちょうど毛布をかぶろうとした時、枕の下からネズミが飛び出してきて、あなたの身体の上をチョロチョロ走って毛布のひだにもぐりこもうとした。
率直に認めなさい。こんなことが起こると考えただけでも、身体中を悪感が走ったのではないだろうか? 本当にそうではないか?
さて今、あなた方の中に根づいてしまっている〈主観的に感情的になること〉をいったん脇に置き、それが一切関与しないようにした上で、今言ったようなことが起こったと仮定して、それを思考活動だけで考えてみなさい。次のような反応が起こることに自分でもびっくりするであろう。
何をそんなに恐れることがあろう?
ただのそこら辺にいる家ネズミじゃないか。動物の中で一番無害で、どうってことはないやつだ。
さて、そこでお尋ねするが、すべての人間の中にあるとされる意志というやつでもって、今言ったこと全部をどうやって説明できるだろう?
ちっぽけで臆病なネズミ、動物の中で一番ビクビクしているこの生き物に恐れおののいている人間、それどころか、実際には起きないかもしれないこれと同様の無数のささいなことにびくついている人間、それでいて絶対に避けることのできない自分自身の死には何ら恐怖を感じない人間、いったいこの両方の事実をどうやって折り合わせることができるだろう?
いずれにせよ、人間がもっているとされるかの有名な意志の働きでこのように明白な矛盾を説明することは不可能である。
この矛盾を真正面から見据えるならば、ということはつまり、有象無象のいわゆる〈権威〉と呼ばれる輩(彼らのほとんどは、要するに人々の純朴さと〈群集本能〉のおかげでそのような地位にありついたのだが)のたわごとや、異常な教育によって我々の思考活動の中に生じるものから引き出した既成の考えにわずらわされずにこの矛盾を考えるならば、次のことが疑いの余地なく明白になるであろう。すなわち、先述の恐怖は(もっとも人間はこの恐怖ゆえに首をつろうかなどという気持ちには全くならないのではあるが)我々が通常の生存を営む上で必要な程度だけは自然自身が認めているということである。
実際これがないと、つまり客観的見地から見ればいわば〈ノミがかんだような〉ものだが、我々には〈空前絶後の恐怖〉のように見えるものがなければ、我々は喜びも悲しみも、希望も絶望も経験できないし、さらにはいかなる気遣いや刺激や努力も、またもっと一般的にいって、我々を行動に駆り立て、何かに到達し、ある目的を達成するよう促すいかなる衝動ももつことはできない。
つまり、このように平均的人間の中で生まれ、流れている自動的な、〈子供っぽい経験〉と呼んでもいいようなものの総体こそが、一方では彼の人生を作り上げ、維持していると同時に、他方では、現実を見たり感じたりする可能性も時間も彼から奪い取っているのである。
もし平均的現代人に、たとえ思考の中だけにでも、あるはっきりした日、例えば明日でもいいし、あるいは一週間後、一ヵ月後、一年もしくは二年後でもいいが、そういうある明確な日に、自分が死ぬ、それも間違いなく死ぬということを感じるか思い出すかする能力が与えられているならば、人はこう自問せざるをえないだろう。これまで自分の人生を満たし、作り上げていたものの中で、いったい何が残るのか? と。
彼にとってはあらゆるものが意味や重要性を失うであろう。そうなれば、長い間の功績に対して昨日与えられ、非常に嬉しく思った勲章にいかなる重要性があるだろう? あるいは、長い間報われないまま思い続けてきた女性が、つい最近思わせぶりたっぷりの視線を投げてくれたことや、朝のコーヒーの席で読む新聞、階段のところで会った近所の人にうやうやしくあいさつされたこと、夜の観劇、休息や睡眠、いや、彼のお気に入りのことすべて、これらがいったいどんな価値をもつというのか?
死ぬとわかった日がたとえ5年か6年先であったとしても、それまで彼にとって重要だったものはもはや同じ価値をもつことはない。
要するに平均的な人間は、自分自身の死をいわば〈直視〉することはできないし、またしてはならないのだ。そんなことをすれば彼は、いわば〈自分がはまりこんでいる深み〉から引きずり出され、目の前に極めて明確な形で次の疑問を突きつけられるだろう。
「それではいったい何のために我々は生き、骨折って働いて苦しまなくてはならないのか?」
大自然は、ほとんどの人間の体内には、三センター生物にふさわしい賞讃に値する表現行為を生み出す要因はもう存在しなくなったことを確信したので、まさに今言ったような疑問が彼らの中に生じないように、神意によって巧妙に彼らを保護したのである。つまりこの保護というのは、三センター生物にふさわしからぬ無価値な特性から生じる諸結果が彼らの中に生まれるのを許し、そうすることによって、現実を知覚し、感じる能力を奪い去ったということである
そこで大自然は、このような客観的な意味における異常な事態に順応せざるをえなくなった。それというのも、人間自身が作り上げた例の生存状態のために、高次の汎宇宙的目的に必要とされる放射物の質が低下し、その結果、調和を保つためには、こういった生物の誕生と生存の量を増やすことがどうしても必要になってきたからである。
一般的にいって、生命は人間が自由にできるものとして与えられているのではない。そうではなくて、生命は今言った高次の宇宙目的のために必要なのである。それゆえ大自然はこの生命が多少とも許容できる形で流れるよう見守り、時期尚早に停止してしまわないよう注意しているのである。
では我々人間も、所有している羊やブタがなるたけ快適に生存できるためにエサを与え、見守って世話をしているのだろうか?
いったい我々は、彼らの生命それ自体が価値あるものと思うから世話をするのだろうか?
そうではない! 我々がこういったことをするのは、ある晴れた日にこれを屠殺し、必要な肉や脂肪をできるだけたくさん取るためである。
全く同様に自然は、我々がこの恐怖に気づいて首をつったりしないよう、つまりなるべく長生きさせるようにあらゆる手を尽くしている。
そして必要な時がくれば、我々を屠殺するのである
すでに確立された状態で日常生活を送っている人間たちにとって、これは自然のもつ動かし難い法則となっている。
我々の生には確固たる、非常に巨大な目的がある。そして我々はすべてこの偉大なる宇宙目的に仕えなくてはならない。まさにここにこそ、我々の生の意味と運命とがある。
すべての人間は一人の例外もなくこの〈偉大さ〉の奴隷であり、それゆえ否応なくこれに仕え、いかなる条件や妥協もなく、遺伝によって受け継いだ資質と自分で獲得した存在とによって、各自あらかじめ定められているものを遂行することを強制されているのである

さて、この点について必要なことはほぼ話したので、今日の講義の中心テーマに戻ることにしよう。すでに何度か人間の定義にふれ、そこで〈真の人間〉と〈カッコつきの人間〉という表現を使ってきたが、これに関して次のことを結論として言っておきたい。
自分自身の〈私〉をすでに獲得している真の人間も、そうでないカッコつきの人間も、同様にこの〈偉大さ〉の奴隷である。しかし前にも言ったように両者の間には厳然たる違いがある。それは、前者つまり真の人間は、自分が奴隷であることに対して意識的な態度をとっているために、全宇宙的な実現に仕えながらも同時に、大自然の恩寵によって、自分の表現行為の一部を自分自身の〈不滅の存在〉獲得のために使う能力を得ることができるのに対し、後者、つまりカッコつきの人間は、自分の奴隷性に気づいていないために、自分の全生存プロセスが流れ続けている間はただ物として仕え、そして必要がなくなれば永久に消滅してしまうということである。
これまで述べたことをもっと具体的に理解しやすくするには、集合的な人間の生命を大きな河に、すなわちいろいろな源泉から発して我々の惑星の上を流れていく大河に喩え、そして個々人の生をこの大きな生の河を構成している一滴一滴の水に喩えてみるといい。
最初この河は比較的平坦な谷間を流れていくが、しかし特に自然がいわゆる〈法則によらない大変動〉と呼ばれるものを被る地点で、この河は2つの支流に分かれる。あるいは別の言い方をすれば、この河に〈水の分岐〉が生じる。
一方の流れは、この地点を通過するともっと平坦な谷間に入り、いわゆる〈絵のように雄大な〉風景に邪魔されることもなく、ついには広大な大海へと流れこむ。
もう一方の流れは、この〈法則によらない大変動〉の結果形成された場所を流れ続け、ついには、これも同じ大変動によって生じた大地の割け目に落ちて、大地深くしみこんでいく。
分岐した後、この2つの流れはずっと独立して流れ、もう交わることはない。とはいえ全行程を進むうちには接近することも度々あるので、流れていく過程で生じたものはすべて混じり合い、さらに大気中の大きな現象、例えば嵐だとか風などが起こった時には、しぶきや、時には一滴一滴のしずくまでもが一方の流れから別の流れへと飛んでいくこともある。
人間の生を個人的に見ると、責任ある年齢に達するまでの人間は最初の大河の中の一滴に相当し、流れが分岐する場所は彼が成人する時期に相当する。
分岐した後には、引き続き起こるあらゆる大きな動き、つまりこの河の動きや、河全体があらかじめ定められた目的地に到達するために行なう活動のあらゆる細部の動きは、法則に従って、その中の一滴一滴にも(それが河という総体の中に合まれているかぎりは)等しくかかわってくるようになる。というのも、この一滴一滴は、つまりそれらが有している独自の傾向や方向性、また個々の位置の違いや偶然に生じた周囲の諸々の状況、およびそれ自身の動きのテンポが加速されたか減速されたかなどの違いによって生じた様々な状態はすべて、常に完全に偶発的な性格をもっているからである。
水の一滴一滴がそれぞれ個々に定められた運命をもっているということではない。定められた運命は全体としての河だけにあるのである。
河の流れの初期段階では、水滴の生は、この瞬間はここ、次はあそこと移っていき、その次の瞬間には今までいたところから消えてしまう、つまりしぶきになって河からとび出し、蒸発してしまうかもしれない。
人間が自らにふさわしからぬ生を送るようになったために、大自然は彼らの体内にそれに対応するものを生み出さざるをえなくなり、その時以来、存在するすべてのものを実現させるという普遍的な目的のために、地球上の人間の生は2つの流れに分かれなくてはならなくなった。そして大自然は先を見越して、徐々に自己の創造の細部に実に適切な合法則性を定着させていったが、そのおかげで、生の河の上流の水一滴一滴(これはみな独自の〈自己否定との闘い〉と呼ばれるものを内に秘めているのだが)の中に、〈あるもの〉が生まれる可能性が生じた。つまりそれのおかげである特性が獲得され、そしてその特性が、生の河の水が分岐する地点で、個々の水滴にどちらの流れにでも入れる可能性を与えるという、そのような〈あるもの〉が生まれる可能性が生じたのである。
このあるものというのは、一滴の水の中では、2つの流れのいずれかに呼応する特性をそれ自体の中に生み出す要因となるものであるが、人間に当てはめていえば、責任ある年齢に達した人間一人一人の体内に存在する、今日の講義でも何度かふれた、あの〈私〉である。
体内に自分自身の〈私〉を獲得した者は、生の河の2つの流れの一方に入り、これをもっていない者はもう一方の流れに入る。
生の河の中の個々の水滴のその後の運命は、どちらの流れに入ったかによって、その分岐点で決定されるのである。
前にも述べたように、これは次のような形で決定される。すなわち、2つの流れの一方は究極的には大海に注ぎこむ。つまり自然全体の中の、〈多くの巨大な宇宙凝集体の間で繰り返される物質の相互交換〉と呼ばれるものをもっている圏に、〈
ポクダリスジャンチャ〉と呼ばれるプロセスを経て入りこむのである。(ついでにいうと、このプロセスの一部を現代人は〈サイクロン〉と呼んでいる。)以上の結果、この流れの中の水滴は、いわばより高次の凝集体へと進化していく可能性を手に入れる。
一方もう一つの流れの行き着く先は、前にも言ったように、大地の割け目の〈地下の領域〉であり、そこでこの流れは、惑星内で進行している〈退縮的構築〉と呼ばれる継続的プロセスに合流し、そこで蒸気となって、これに呼応する新しい生成物の圏内にまき散らされる。
この流れの分岐以後、両方の流れがあらかじめ定められた目的地にたどり着くという目的のために必要な、大小様々の合法則性および河の外面的な変転の細部が、やはりこれと同じ宇宙法則から生じてくるが、ただしこれらの法則から生じる生成物は、おのおのの流れに、いわば〈同化されてそれ特有のものとなる〉。しかも、両者はそれぞれ別々に機能し始めるが、それでも常に互いに助け合い、維持し合う。このように、根源的宇宙法則に従って特有の性質をもつに至った第二等級の生成物は、ある時は協調して機能するが、またある時にはぶつかり合い、交差し合う。しかしいずれにせよ、両者は決して混じり合うことはない。特有の性質を付与されたこれら第二等級の生成物の活動は、周囲の環境がある一定の条件下にある時には、多くの個々別々の水滴にまで及ぶこともありうるのだ。
我々現代人のもっている最大の悪とは(主として〈教育〉と呼ばれるものの異常性の結果、自分たちで作り出した日常生活の様々な条件のために)責任ある年齢に達する頃、先述の、究極的には〈地下の領域〉に流れこんでしまう生の河に呼応した身体を獲得し、その流れにどっぷりつかって、どこへ行くかも考えないで流れに身を任せ、受動的なままどんどん運ばれていくこと、これである。
受動的なままでいるかぎり、我々は必然的に、自然の〈退縮的および進展的構築〉のための単なる手段として使われるばかりでなく、残りの人生において、ちょっとした気まぐれな出来事すべてに奴隷のように盲従しなくてはならないであろう。
今日この講義を聞いているあなた方のほとんどは、いわばすでに責任ある年齢に〈足を踏み入れている〉だろうが、まだ自分の〈私〉を獲得していないことを率直に認めるであろう。そして同時に、私がこれまで話した内容を聞いた以上、自分にとってとりわけ明るい未来が開けているとは考えていないであろう。そこであなた方、つまり以上のことを認めたあなた方が、いわばひどく〈失望〉して、今日の人々の異常な生活に蔓延しているありふれたいわゆる〈ペシミズム〉なるものに陥ることがないように、私は躊躇せず、極めて率直に次のことを言っておこう。これまで長い間続けてきた調査研究によって私はある確信をもつに至ったが、これは数多くの極めて例外的な実験(これらの実験の結果を基盤として私は〈人間の調和的発展のための学院〉を創立したのであるが)によってさらに強められた。そしてこの確信によれば、あなたたちもまだ手遅れではないのだ。
つまり、これまでの研究と実験がはっきり示すところによれば、母なる自然の庇護の下にあるものならいかなるものにおいても、人間が自己の本質の核、すなわち〈私〉を獲得する可能性は、たとえ責任ある年齢に達した後でも完全に消滅しはしないのである。
公正なる母なる自然が予見している可能性とは、この場合、ある内的、外的な条件がそろえば、一つの流れから別の流れへと移ることができるというものである。
古代から伝わっている〈人間の最初の解放〉という言葉は、まさにこの可能性、すなわち地下の領域に消えていくよう定められている流れから、広大無辺な大海へと注ぎこむ流れに移る可能性のことを言っているのである。
しかし別の流れに移るということは、したいと思えばすぐできるというほど簡単なことではない。このためにはまず第一に、あなたたちの体内に、消し難い持続的な欲望という衝動を生み出すためのデータを意識的に結晶化させる必要がある。そしてその後で初めて、長い準備が始まるのである。
流れを移るためにはまず、今いる生の流れの中にある、あなたにとって〈祝福〉と思えるものを(実はそれらは奴隷のように機械的に定着した習慣にすぎないのであるが)すべて放棄しなくてはならない。
言いかえるならば、あなたはあなたにとって通常の生活となっているものに対して死ななければならないのだ。
あらゆる宗教で語られている死は、まさにこの死にほかならない。
このことは、はるかな昔から伝わっている「死なくして復活なし」という言葉の中に明確に述べられている。これはすなわち、「あなたは死ななければ、復活することはないであろう」ということである。
ここでいわれている死は肉体の死ではない。肉体の死には復活など必要ないからである。
なぜならば、もし魂が、いや、不死の魂というものがあるならば、それは肉体の復活を必要としないからである。
また同様に、教会の長老たちに教えられてきたように、復活するためには主なる神の荘厳なる裁きの席に出頭することを求められるというのも正しくない。
いや、全く間違っている! イエス・キリストやその他の天から送られてきたすべての予言者たちでさえ、生の最中に起きるかもしれない死、すなわち我々のこの奴隷的な生の元凶である〈暴君〉の死について語っているではないか。人間の第一の主要な解放はまさにこの〈暴君〉からの解放にかかっているのである。
これまで話したこと、あなた方の聞いた講義、および今日つけ加えたことの中で述べられた思想を要約すると以下のようになる。現代人は、内的なものに関するかぎり互いに何の共通性もない2つのカテゴリーに分けることができる。私の今日の話である程度明らかになった悲しむべき事実、すなわち、我々の作り上げた日常生活の状態が急速に悪化しているがゆえに(これは特に成長しつつある世代に対する誤った教育制度に由来するのであるが)近年人々の体内では
器官クンダバファーが生み出す様々な結果が以前よりもはるかに強く現われてきているという事実に関して、次のことを強調しておかなければならない。我々が共同生活を営むプロセスで起きる、それもとりわけ相互関係において起きる誤解、すなわち不和、争い、和解、性急な決定(こういう決定がなされ、実行に移されると、決まって〈良心の呵責〉というプロセスが我々の中で長々と尾を引くものである)さらに発展すると戦争あるいは市民戦争、そしてこれと同様の性格をもった日常的な不幸、これらはすべて一つの例外もなく、普通の人々、つまり一度として特別な自己修練をしたことのない人々の体内にひそむある特性から生じてくるのである。彼らのもっているこの特性を、今日のところは〈現実を逆さまにとらえること〉と呼んでおくことにしよう。
少しでも真剣に考える者なら、ということは、自分の情熱にいわば〈同一化することなく〉考えることのできる者なら誰であれ、もし我々の内的な生存プロセスで頻繁に繰り返される、あるたった一つの事実を考慮に入れれば、以上のことに同意せざるをえないであろう。その事実というのは、我々の経験はみな、最初、つまり我々がまだその経験のまっただなかにいる時には、例えば純然たる恐怖であったのに、ほんのわずかな時間が経って別の経験がそれにとってかわり、我々の論理的思考からいえば全く違った気分になっている時に、何かの偶然でこれを思い出すと、いわゆる〈びた一文の価値もない〉ものに思われるというものである。
平均的人間の思考と感情の産物は、おおむねこんなふうに言ってよかろう。
〈ハエは象になり、象はハエになる〉
先ほどいった普通の人々の体内では、この有害な特性の働きは、戦争とか革命とか市民戦争といった出来事の間は特別に強くなる。
こういった出来事の最中には、ある状態が、彼ら自身でも気がつくほど特に強く表面に出てきて、わずかの者を除いて彼らはみなこの状態に陥る。この状態を彼らは〈集団狂気〉と呼んでいる。
この状態の最も肝要な点は次のことである。すなわち、平均的な人々が、それでなくても貧弱なのにこういう時だからなおさら貧弱になっている思考活動によって、ある気違いが話したろくでもない話からショックを受け、言葉の完全な意味においてこの有害な話の犠牲者になる。そうなると彼らは完全に自動的に振る舞うようになるのである。
このような苦しみ、普通の現代人からはもはや切り離せない特徴になってしまった苦しみの最中にあっては、彼らの体内にはいわゆる〈良心〉と呼ばれるものは全く存在しなくなる。大自然が、単なる動物とは違った神のような存在としての人間に、この〈良心〉を獲得する能力を生み出すデー夕を授けてくれたにもかかわらずだ。
このことを知っている人々は、現代人に見られるこの特徴を心から残念に思っている。というのも、歴史的データによっても、また過去の多くの本物の知識人たちが実験的に解明したところによっても、大自然は自分の均衡を保つために集団狂気といった現象を必要とすることを、すでにはるか以前に停止しているからである。それどころか全く逆に、このように定期的に人々の中に生じる特徴こそが、自然に絶えずそれに順応することを強いており、その結果が、出生率の上昇であったり、〈心理全般のテンポ〉と呼ばれるものの変化であったり、その他様々な形で現われているのである
ここで強調しておかねばならないことは、現代人まで伝わってきて、私もたまたま知る機会のあった歴史的デー夕、すなわち、現在地球上のほとんどすべての若い世代の者たちが詰めこまれている歴史的デー夕ではなく(これはいわゆる学者連中、特にドイツの学者たちがでっちあげたものであるが)過去の人間の生活の中で本当に起こったことに関する歴史的データがはっきり示すところによれば、昔の人々は生の2つの流れに分割されてはおらず、すべての者が一つの河を流れていたのである。
そもそも人間の生活が2つの流れに分割されるようになったのは、〈ティクリアミッシュ文明〉と呼ばれる時代以来のことでおり、これはバビロニア文明の直前に当たる。
そしてまさにこの時から、人間たちの間には徐々に例の生活様式が定着しはじめ、ついには完全に確立するに至るのである。この様式は、健全な思考をする人ならば誰でも気づくはずであるが、人々が主人と奴隷とに分割されてでもいなければとうてい耐えられるものではない。
われわれのような《普遍なる父》の子の共同生活の中では、主人であることも奴隷であることも人間にはふさわしくないのだが。
現代の状態、つまりはるか昔にその源を発し、今では人々の共同生活のプロセスの中に完全に根を張っているこの状態がある以上、われわれはこの状態と折り合いをつけ、妥協案、すなわち、公平無私に考えて、われわれの個人的な利益にもなり、同時に〈存在するすべてのものの第一源泉〉から特にわれわれ人間に発せられた戒律にも反しないような妥協案を受け入れざるをえない
私の思うには、このような妥協案は、ある特定の人々が、まわりにいる同類の者たちの間にあって、主人となるために必要なデー夕を体内に獲得することを意識的に自己の生存の主要目的にしている場合にのみ可能である。
これからさらに進んで、古代の賢人の言葉、すなわち、「現実において公平かつ善良なる愛他主義者となるためには、まず最初に徹底したエゴイストになることが絶対に必要である」という言葉に従い、同時に大自然から与えられているよき感覚からも助けを得ながら、我々はみな共同生活のプロセスにおいて主人となることを最大の目標にしなくてはならない。
といっても、ここで主人というのは、現代人がこの言葉から思い浮かべる意味での主人、つまりほとんどの場合世襲によって受け継がれた多くの奴隷と金をもっている人間のことではなく、客観的な意味におけるまわりの人々への献身的な行為(ということはとりも直さず、有害な
器官クンダバファーの特性から生じる先述の諸結果が人間の中に生み出す様々な衝動に影響を受けずに、自己の純粋な理性の命ずるところにのみ従ってなされた行為ということであるが)の結果、人々が自然に彼の前でぬかずきたくなり、彼の言うことであれば敬意をもって行ないたくなるような、そんな何かを獲得した人間のことである。
以上で私は、三部作の第一シリーズを完了した。それもきわめて満足のいく形で完了したと考える。
ともかく明日からは、もうたとえ5分といえどもこの第一シリーズには時間をとらないつもりである。
第二シリーズの執筆を始める前に、これを私の観点から見て誰にでも理解できる形にするために、丸々一ヵ月間休養をとって、むしろ積極的に何も書かないようにし、そして極限まで疲れ果てたこの有機体に刺激を与えるために、まだ残っている15本の〈最上・最高の天上的神酒〉、すなわち現在地球では〈古いカルバドス〉と呼ばれているものを、ゆ・っ・く・り・と飲もうと思う。ところでこの古いカルバドスは、私が見つけるべくして見つけたものである。つまり数年前、現在の私の主要な住居の地下室の一つを、冬に備えてニンジンを保存しようと錮り返していたところ、偶然27本のカルバドスが、石灰や砂や細かく切りきざんだワラなどと一緒に埋まっていたのを見つけたのである。
この神々しい液体の詰まったビンは、魂の救済のために世俗的誘惑を離れてこの近くに住んでいた僧たちが埋めたのにちがいあるまい。
思うに、彼らは決して深慮なしにこの神酒を埋めたのではない。つまり、彼らのいわゆる〈本能的洞察力〉、すなわち、彼らの敬虔な生活のおかげで(と想像するほかないが)彼らの体内に形成された特性が生み出したデータである〈本能的洞察力〉のおかげで、こうして埋めた神酒が、このような事柄の意味を理解するに値する者の手に入ることを予見していたのであろう。そして実際に今、この神酒はその手の所有者に全くもって見事に刺激を与え、この僧たちが共同生活の基盤としていた理想の真の意味を次代に正確に伝えるよう鼓舞し、促しているのである。
私に休息をとる権利があることには誰しも異論はないと思うが、この休息の間に、私はこのすばらしい神酒を飲み(実際最近はこれだけが、私のまわりにいる私とよく似た獣たちを苦痛を感じないで耐え忍ぶ力を与えてくれるのである)そして新しい小話を聞きたいと思う。新しいのがなければ古いものでもいいが、いずれにせようまい話し手がいればの話である。
明日からはこの第一シリーズに何一つ書き加えたくないと言明したので、まだ昼でもあるし時間があるから、この約束を破らないように良心的に次のことをつけ加えておこう。一、二年前に私は、予定していた著作のうち、この第一シリーズだけを誰にでも理解できるようなものにし、第二および第三シリーズに関しては、誓いを込めて立てたもともとの課題の一つを実現するためにも、誰にでも近づけるという形にはせずに、出版も規制することを固く決意した。その課題というのは以下のようなものである。究極的には私のすべての同時代人に、かの有名な、あまりにも美しい〈天国〉やおぞましい〈地獄〉といった、仮定的存在である〈別の世界〉に関して抱いている彼ら固有の考えの馬鹿馬鹿しさを、論理的並びに実際的にはっきりと示すこと。そして同時に、地獄も天国もたしかに存在してはいるが、ただしそれは〈あの世〉にではなく、この地球上のわれわれのすぐそばにあるということを、現代教育の〈完全なる犠牲者〉も含めたすべての者が理解し、震え上がることなく知ることができるよう論理的に証明し、そしてその後で実際に見せること、この2つである。
この第一シリーズが本になって出版されたならば、私は第二シリーズの内容を広めるために、いくつかの大都市で同時に、誰でもが参加できる公開朗読会を開くつもりである。
第三シリーズで光を当てようと考えている真の厳正なる客観的真理に関しては、私の著作の第二シリーズの朗読を聞いた者の中でも、私の指導に従って特別の準備を受けた者にのみ理解できる形にするつもりである。
終わり