グルジェフが残した言葉


ここではグルジェフ(以下G)が残した特に重要だと感じた短めの文章・格言・言葉を、書き残していきます。

この教えの第一の原則は、何事も信じるなかれと言うことである。

すべてを常識で判断しなさい。あなた自身の判断を持ち、何ものもそのまま信じてはならない。あなた自身が、筋道立った推論と論拠によって、あることについて動かすことのできない確信と完全な理解に達したとき、あなたは一定の水準の伝授を達成する。

今日われわれが芸術と呼ぶものは、太古においては客観的知識の役を果たしたのである。少し前に述べたように、舞踊について言うと、舞踊芸術は宇宙構造の永遠の法則を叙述し、記録するものであった。探求に献身した人々が、入手した重要な法則の知識を、今日では書物にまとめるように、芸術作品に表現したのである。

星明りの夜、広い空間に出て、頭上に光る無数の世界を見上げなさい。おそらくその世界の一つ一つに、あなたと同じような、あるいはおそらくは有機的組織においてあなたより高等な生物が、数十億も群れをなしているということを思い起こしなさい。銀河を見なさい。この無限の空間においては、地球は一粒の砂とさえ呼ぶことができない。やがて地球はなくなり、消える。それとともに、あなたも消える。その時、あなたはどこにいるのだろうか? あなたの欲しいものは単に狂気なのだろうか?

あなたは過去に生きている。過去は死んでいる。もしあなたがこれまでのように生きれば、未来は過去のようになるだろう。ワークをしなさい、自分の中の何かを変えなさい。そうすれば、おそらく未来は違ったものになるだろう。

現在は過去の結果であり、未来は現在の結果である。あらゆるものは生と格闘しなければならない。過去を顧みる際、私たちはたいてい辛かった時のことを、闘いの時のことを思い出す。しかし、闘うことが生なのだ。

私たちは何か新しいものを建設することを目的としているのではない。失われたものを取り戻すことを目的としているのだ。

他人に対して客観的になる前に、あなたたちは自分自身に対して客観的にならなければならない。

東と西の世界、および、東洋人と西洋人との考え方に相互理解を欠くという問題を持ち出したとき、グルジェフはかなり時間をかけて、そうした理解不足から生じる、東西の誤解について語り、少なくとも一部には、東洋のエネルギー不足と西洋の知恵不足に起因する問題であると言った。東洋が再び世界的に重要な地位に台頭し、彼によると、いかにも非常に強いが、また非常に若くもあるアメリカに支配されているという、西洋の圧倒的に強力で、圧倒的に優勢な、つかの間の新しい文化にとって、東洋が脅威となる日が来ることを予言した。そのあとで、他人や自分自身を見るように、世界を見るべきであると言った。一人一人の個人が、一つの世界そのものであり、地球(我々みなが住んでいる大世界)は、ある意味において、我々一人一人の内側にある世界を反映した、あるいは拡大した世界にすぎないと言った。
あらゆる指導者、救世主、神の使者たちの目的には、一つの基本的な、非常に重要な目的がある。それは、人間の2つの面、したがって地球の2つの側が、平和に調和して共存できる手段を見いだすことである。時間は緊迫している。完全な大惨事を避けるには、この調和を可及的すみやかに達成する必要がある。哲学、宗教等の運動は全部、この大目標を達成しそこなった。この目標を達成する唯一の可能な道は、人間一人一人の発展を通して為される。一個人が、その人自身の未知な潜在性を発展させると、その人は強くなり、次には、もっと多くの人々に影響を与える。充分な数に足りる個人が、たとえ不完全でも、本当の、自然の人間、人間に適切な真の潜在能力を使える人間に発展できれば、そのような個人の一人一人が、他の百人もの人間を納得させ、説得することができ、その百人のそれぞれが発展を達成すると、別の百人に影響を与える。
G「私は、時間は緊迫していると言ったが、まったく冗談ではなくそう言ったのだ」と、彼はぞっとするようにつけ加えた。さらに続けて、人間を個人の存在としてではなく、「全体として」扱った政治、宗教、その他の組織化された運動のどれもが失敗したことは、すでに歴史によって証明ずみであると語った。組織化された運動はきまって失敗し、世界中のそれぞれの人間の、個々の、個別の成長だけが、唯一の可能な解決を導くということなのだ。

問:あなたの体系は、ヨーガ行者の哲学とどのように異なりますか?
G:ヨーガ行者は唯心論者で、われわれは唯物論者である。私は懐疑論者である。研究所の壁に記された最初の禁止命令は、「何も信じるな、自己さえ信じるな」というものである。私は統計的証拠があって初めて信じる、つまり、繰り返し同じ結果を得て、初めて信じる。私が研究し、仕事するのは、導きを得るためで、信じるためではない。

問:グルジェフ氏の教育方式により、彼が発展させたいと願うタイプの人間が今までに形成された例がありますか?
G:この短期間に、この研究所で生徒が達成した結果について、まず最初に挙げられることは、(1)健康の向上である。つまり、生徒のかかっている慢性病が除かれ、将来の健康を向上させる基礎が築かれたことだ。例をあげるならば、肥満体が改善され、薄弱な記憶力が強化され、無秩序な神経系統に秩序が与えられたことが指摘できる。(2)2番目は、生徒の視野が拡大したことである。一般に、人々は非常に狭い人生観しかもっていない。まるで目隠しされているみたいだ。ここでは、様々な新しい状況における仕事や、その他の諸条件のおかげで、まるで新しい地平線を獲得したように視野が広がる。(3)新しい関心が生まれたことが挙げられる。ここへ来る大部分の人たちは、人生に興味も関心も失っている。これは、彼らの狭い人生観に起因している。ここでは、彼らにとって新しい関心が生まれる(この新しい関心が生まれるという結果こそ最も重要視されなければならない点である、とグルジェフが言った)。
ここでの滞在から得られる結果は枚挙にいとまがないが、その大部分は、今挙げた3つの基本的なものから派生する。したがって、それらを列挙することは重要でない。当地における研究所の存在期間が極めて短いので、私の要求に応える生徒が出てきたのはごく最近である。概して、自己発展には限界がなく、達成はどれも一時的な状態にすぎない。外的な生は、研究所によって拘束されない。どんな社会的役割を果たしてもよく、どんな仕事をしてもよく、どんな職業についていてもよい。独自の人生をもつと同時に仕事(ワーク)している人が大勢いる。腕のよい靴屋だった人が研究所の生徒になって学び続ければ、別の靴屋になり、牧師だった人は別の牧師になる

問:研究所の生徒の中には初めのうちみじめに感じる人がいますが、このみじめさをどう説明されますか?
G:これから話すが、研究所には原則がある。これを聞けば、みじめな期間がどういうことなのかはっきりするであろう。
人間は、たいてい「本質とは無関係」の心で生きている。人は、自分自身の見解をもたず、他人から聞かされることにいちいち影響されている(誰かの悪口を聞かされたばかりに、その人に悪意を抱く人の例が挙げられた)。
研究所では自分自身の心で生きることを学ばなければならない。積極的に自分自身の心をもち、自分自身のものを発展させなければならない。大勢の人が「本質とは無関係」に抱く関心から研究所へ来る。彼らの本質は仕事に少しも関心がない。
そのため、研究所に新入生が来ると、わざと難しい状況をつくり、あらゆる類の問題を発生させて、仕事への関心がその人自身のもつ関心なのか、それとも、人から聞かされた関心にすぎないのか、自分自身でこの点を明確にさせるように仕向けるのである。自分のためにつくられた難しい外的条件をものともせず、自己の主目的とする仕事を続けられるだろうか? この目的が自分自身の内に存在するだろうか? こうした必要性がなくなれば、意図的な状況はつくらない。
人が人生でみじめに感じる一時期も、これと同じ状況から発生する。人は、外的影響により偶然自己の内部に形成された「本質とは無関係」の心で暮らしている。そういう生活が続くかぎり、人は満足している。ところが何かのきっかけで、外部からの影響が存在しなくなると、人は関心を失い、みじめになる。
自分自身のもの、自分から取り去ることのできないもの、常に自分のもの、が存在していない。これが存在し始めるとき初めて、このみじめさがなくなる。

問:死の不可避性と、自由意志について、グルジェフ氏の教えはどのように言っていますか? 一般民衆が永遠の生命を獲得できますか、それとも、少数の人だけが獲得できるのですか? 不死を獲得していない人はどうなりますか? 彼らに輪廻や回帰のようなことが起こりますか?
G:イエスとも言えるし、ノーとも言える。魂をもっている人は不滅であるが、誰もが魂をもっているわけではない。人は魂をもたないで生まれ、魂を獲得する可能性だけをもっている。魂はその人の人生で獲得されなければならない。
魂を獲得しなかった人には何も起こらない。生きて、死ぬだけだ。人は死ぬが人を構成している原子は死なない。宇宙に存在するものは何一つ死なない。
だが不滅の魂でさえ、いくつかの異なる段階において存在する。完全に不滅の魂は、ただ一つしかない。